月次報告書 2023-09
プロフィール
学科
イベロアメリカ言語学科
学年
3年
専攻
ブラジル・ポルトガル語専攻
留学期間
2023-03-01 ~ 2023-12-31
留学種別
交換
生活編
学生ストライキ そして「楽しさ:苦しさ=1:9」の1ヶ月

 留学から7ヶ月が経った。タイトルにもある通り、9月は悪い出来事が続き、苦しんで悩むことが多かった。その上、長期間の学生ストライキも起こった。もちろん楽しいこともあったが、その楽しさを糧に乗り越えられないほど私にとってショックな出来事が次々と起きたことで寝れない日々が続き、気分が回復するのに時間がかかった。 [気候]  日中は暖かく、半袖で過ごせる日が多かった。朝晩は先月同様少し冷えるため長袖が必要だったが、そんな日は先月よりも減っていった。 [生活] ・アルゼンチン旅行!!  アルゼンチン旅行について考え始めたのは、先月先輩がサンパウロに旅行しに来たときである。特に南米は、他の国々に比べて旅行するのに少し勇気がいる。今後日本に帰って、「よしアルゼンチンに旅行しよう!」と例え思ったとしてもおそらく言語も治安も、そして費用も未知の世界で、ハードルが高くていけない。知り合いがいるうちに旅行したほうが良いな。と思ったのがきっかけである。  ブエノスアイレスへの飛行機は、往路がコルドバを経由しているものを買った。購入したのが8月末だったため、往復で約6万円ほどかかった。データ通信に関しては、ブラジルで私が使用しているVIVOという会社で他国用のデータ通信プリペイドがあったため、それを購入した。アルゼンチンは現在物価の上がり下がりが激しいようで、私がちょうど行ったときは下がっている途中だった。そのため買い物やご飯に関しては安く収めることができる。またレートは2つあり、ブルーレートで換金するとかなりお得らしい。アルゼンチンではあまりクレジットを使わないようで、主に現金を使用する。そのため換金は空港でするのではなく、できるだけブルーレートを扱っている換金所で行ったほうが良いらしい。  空港に着いて、まずはじめに思ったのが「予想以上に寒い、、」ブラジルもアルゼンチンもまだ冬の時期だが、やはりサンパウロとは緯度が違うため、アルゼンチンのほうが圧倒的に寒かった。私はヒートテックや長袖とトレーナー二枚着ていたが、それでも寒かったため極寒と言って良いと思う。 コルドバではストップオーバーを利用して1人で旅行した。まず初めに有名な競技場をみたあと、予約したAirbnbに荷物を置きに行った。ホストの方は、ポルトガル語も話せる方で、会話はすべてポルトガル語で行うことができ、とても良い練習になった。彼はとても優しくて、コルドバの町を一緒に歩いて細かく案内してくれた。Iglesia del sagrado corazónをみたり、おいしいパン屋さんを紹介してもらったり、石畳のおしゃれな街並みを見せてくれたりした。コルドバは私が考えていたよりも素敵な街で、さすが第二の都市(アルゼンチン)と言われるくらいだなと感じた。  次の日の早朝の便で、私はブエノスアイレスへと向かった。空港につき、Uberを捕まえて、アルゼンチンで留学している別の大学の先輩の家の近くまで向かった。到着したとき、私はデータ通信を追加購入するのを忘れてネットがない状況にいることに気づいた。私はとても焦って周りを見渡したが、話しかけられるような人がおらず、少し歩いてコンビニまで行った。お水を購入するついでに、私は試しにポルトガル語で「wifiを貸してください」と尋ねると、しっかりと通じた。その後、なんとか先輩と会うことができた。聞いていた通り、意外とポルトガル語でも通じるらしい。(もちろん内容によりけり)   先輩はまず初めにサンテルモ地区を案内してくれた。その日はちょうど日曜日でとてつもなく長いフェイラ(雑貨の屋台のようなもの)があった。どれもアルゼンチンっぽいものばかりで、ただ歩いているだけでも楽しかった。それから大きな市場を訪れた。そこには様々な国の料理店が集まっていた。サンパウロにも似たようなものがあり、ちょっとした共通点を見つけた。ちょうどお昼の時間だったので、そこでアルゼンチンで有名なミラネサとエンパナーダを注文した。食べきれないくらいの大きなお肉が運ばれてきてとても驚いた。アルゼンチンではブラジルと同じようにDoce de leite(Dulce de leche)が有名で、専門店まであった。私はDoce de leiteの大ファンであるため、思わず購入してしまった。  その後はレコレータ地区へと移動し、文化センターを訪れた。そこには展示や広々とした勉強スペースなどがありすごくおしゃれで、私の家の近くにもこのような場所がほしいなと思った。途中でKUISの先輩とも合流させてもらい、国立装飾芸術博物館を訪ねた。夕方にはカフェでミルクシェイクとケーキという甘々なスイーツを食べて、世界で二番目に美しいと言われているエル・アテネオという本屋さんを訪れた。まるで劇場かのように装飾されていてとても綺麗だった。宿泊先まで送ってもらい、久しぶりの湯船を楽しんで、私は日本でもブラジルでもなくアルゼンチンで誕生日を迎えた。  ブエノスアイレス2日目は、朝にMedialunaという甘いクロワッサンを食べた。これはアルゼンチン人の朝食で、甘さ慣れしていない方からすると甘々なクロワッサンだと思う。しかしながら私は完全にブラジルで甘さ特訓を受けているため、特に甘い!!!!と感じることもなく美味しくいただくことができた。慣れって怖いです、、、。  ブエノスアイレスには世界一幅が広い道路がある。実際渡ってみたが確かに一回で渡り着ることはできなかった。全速力で走ってみたらどうなるのか、少しだけ気になる。その後はPuerto Maderoに行った。ここは川に面した地域で、キッチンカーやレストランなどがズラッと並んでいる。近くのベンチに座って、寄ってくる鳩と戦いながら、お昼ごはんのチョリパンとスブマリノを食べた。デザートにはジェラートを食べ、幸せな時間を過ごした。日が暮れる前にサンテルモで買い物をし、道端のタンゴを観たりした。かの有名なオベリスコに行く途中には、ブロードウェイのような街並みを見ることもできた。ブラジルに比べ、おしゃれできれいな格好をしている方が殆どで、治安の落ち着きを感じた。あまり良い感想は出てこないが、オベリスコはとても大きかった。夜ご飯にはケンタッキーというチキン、ではなくピザを食べた。生地がパンのようにふわふわしていた。ブラジルのピザは生地が薄く、具材がドンッとしたようなものが多い。私的にはアルゼンチンのピザ派かもしれない。  3日目の前半は、KUISの先輩が案内してくださった。美味しいパスタを食べ、Floralis Genéricaをみた。これは金属彫刻だが、日中は花が開き夜になると閉じるという本当の花のような彫刻である。その後はバスに乗って日本庭園へと向かった。ブエノスアイレスのバスは、サンパウロのバスに比べ意外にもシンプルな感じだった。ブエノスアイレスの日本庭園は、本当に日本のような庭園だった。中には鳥居やおみくじもあったり、また折り紙をしたりした。少しだけ時間がすすむのが遅くなったような、そんな穏やかな時間を過ごした。日本庭園を訪れたあと、留学生の先輩が彼女に代わってパレルモ地区を案内してくださった。ここにはおしゃれなカフェやレストランが沢山ある。またまたジェラートを食べたり、ラパヌイというチョコレートブランドのチョコを食べたりした。どれも甘くて美味しく、ほっぺたが落ちそうだった。落ちた。その後はレコレータ地区に戻り、バーへと行った。そこで私は初めてフェルネット・ブランカのコーラ割り(アルゼンチンで有名なお酒)を飲んだ。フェルネット・ブランカ自体はイタリアの製品らしく、コーラで割ったものがアルゼンチンのお酒らしい。先輩から聞いていた通り、うがい薬のイソジンの味がした。私の舌はまだ子供のため、美味しい!!!とは思えなかったが、飲めてとても嬉しかった。3日目もまたまた幸せな時間を過ごしてしまった。  4日目、観光ができる最終日。この日は留学生の先輩とKUISの先輩と一緒に、ラ・ボカのカミニートを訪ねた。ここにはとってもカラフルな建物が並んでいる。またそれだけでなくお土産がたくさん売っている。アルゼンチンで有名なキャラクター、マファルダのトートバックもあり、購入した。はじめはあまり可愛いと思っていなかったマファルダも、何度も見ているうちに愛着が湧いてしまった。お昼ごはんには、スペイン語圏で有名なアサードという焼肉料理を食べた。このお店は、ありがたいことにKUISの先輩が予約してくださっていた。ブラジルにもシュラスコ(churrasco)という似たようなお肉料理があるが、焼き方が違う様。シュラスコは、お肉を炭火で炙るように焼くのに対し、アサードは熾火の熱で部位そのままのブロック肉を燻すように焼く。個人的にはアサードのほうが、引きずる味が少ないため食べやすいなと感じた。お腹いっぱい食べたあとは、博物館を見学し、美味しいクレープを食べたあと、昨日行ったバーに再び行った。ホテルに帰ったのは2時近くだったが、ブラジルに比べ治安は落ち着いているようで、私がよく感じる危険な匂いを感じなかった。 あっという間に帰国日(ブラジルへ)となり、やはり楽しい時間は早く過ぎるのだと実感した。飛行機に乗り、サンパウロに3時間ほどかけて戻った。  ブエノスアイレスは、徒歩圏内に様々な観光地が詰まっており、観光客の立場からするととてもありがたいなと思う。また、危険と言われているサンパウロで過ごしているからか、夜中も出歩くことができるくらいブエノスアイレスは治安が非常に落ち着いているように感じた。街並みもまるでパリのようにおしゃれで、もう一度行きたくなってしまうような、そんな場所だった。だからこそ私はブラジルと比較してしまい、少しだけ落ち込んでしまった。もちろん国同士を比べるのにはとても無理はあるが、アルゼンチンではできることがブラジルではできない。と感じてしまい、ほんの少しだけ苦しくなった。  Airbnbの方にも助けられ、更に二人の先輩には、授業もお仕事もあるにも関わらず付きっきりで案内してくださったり、プランを練ってくれたりして、感謝してもしきれない。素敵な約一週間の旅となった。 ・悲しかったこと①  土日にリベルダージに行くと、大体フェイラが行われている。私はCaldo de canaが好きなので、その日はそれを飲もうと思っていた。お店で注文したとき、若い男の人がばかにしたように私がいった言葉を1つ1つ真似してきた。嫌だな。と思い、なんで笑うの?と聞いたら、彼は嫌な笑い方で「発音が”違うから”」と言った。私はとても嫌な気分、というより悲しい気持ちになってすぐに家に帰った。家に帰っても、言われた言葉がずっと頭に残り、何回も頭の中を流れた。私は元々自分のポルトガル語を話す能力や発音に自信がなく、留学を半年終えて、やっと少しの自信がついたところだった。そんな中こういうことを言われてしまい、ジェンガが崩れたときのように今まで培ったちょっとの自信を失ってしまった。たった一人の人にとはいえバカにしたように笑われたのはとても悲しくて、結局のところ一週間程度夜もよく寝れない日が続き、ブラジル人と話すことが怖くなってしまい、コミュニケーションを避けようと、せっかく始めたスポーツの授業も休むことになった。日本の友達に電話したり、自分を理解してくれているブラジル人の友人と話したりして、自信は失ったままではあるが、気分はだんだんと立て直す事ができた。 ・悲しかったこと②  私のアパートは個室はありつつも4人で2つのトイレとお風呂、そしてキッチンを共有している。以前も書いた通り、4人中2人は片付けが得意ではなく、キッチンが散らかされたままの状態が数日続く事がよくある。あまり言うと「うるさい」「pessoa chata」と思われるのは知っていたため、自分が使うときや邪魔なときだけグループwhatsでお願いをしていた。悲しい出来事が起きたその日は、私と片付けのできないBとその友人以外アパートにはいなかった。私がシャワーを浴びに行こうとすると、私ともう1人(かたづけのできる人)だけが使用するお風呂に彼女の友達の水着やタオルがおいてあった。濡れてしまうため、片付けてほしいとお願いしてもしばらく来ず、またお願いしてようやく片付けてくれた。その後シャワーを浴び、部屋で髪の毛を乾かしていると、ドアをノックされた。Bの友人は私に「私のシャンプーとかゴミ箱に捨てたでしょ。」と言った。色や形を聞いたが、見覚えがないし、ましてやゴミ箱に入れてすらもいない。私は一切何もしていないのに私がやったと言われた。また、「あの世に行って」と私にわかるように英語で叫ばれた。その後Bと友人はアパートを出ていったため、私はリビングに行くと、紙が置かれていた。そこにはつらつらと悪口とともに「ちゃんとしたコミュニケーションを学べ。」と書かれていた。ついでに署名もあった。本当に状況が理解できず、ただただ悲しい気持ちになっていると彼女たちはなにかをしに一旦部屋へ戻ってきた。私が「これは私に書いたの?私本当に何も知らないよ?」というと、「じゃああなた(私)以外誰もいないのに誰がやったんだろうねえ」と笑いながら言われた。そして彼女らはまた外へ出ていったが、私は何もしていないのに悪口を言われ、書かれ、とてつもなく悲しくなってしまった。耐えきれずに泣きながらブラジル人の2人の友人に話を聞いてもらった。彼らは、悲しくて起こる元気もない私のかわりに、自分のことのようにとても怒ってくれた。Bの部屋と私の部屋は隣同士で、壁も薄いため話し声はだいたい聞こえる。そのため私は毎日家で不安で怖いきもちになっていた。家にいるとよくないと思い、友人に外で一緒にいてもらったり、日本の友達に長電話をしてもらったりした。前の悲しい出来事からまだ立ち直って数日でまたこのような出来事が起き、私はまたエネルギーを失ってしまった。また寝付きが悪い日々が続いた。引っ越すかどうか考えていたとき、別の部屋の子は私に「彼女が引っ越す話をしていた」と教えてくれ、1ヶ月たってBは引っ越しをした。そのおかげで私は回復することができたが、今思い出してもとても悲しくなる。他国に住むこと、異なる文化を持つ人が一緒に住むのはこんなにも難しいのか。と感じた。 ・フェスタ  私はいままであまりフェスタに行かなかったが、上記の出来事で家に帰りたくなくて、初めてUSPの通常のフェスタに行った。このときのフェスタは、よる1時までは洋楽、その後朝方まではファンキ(ブラジルの若者の中ではやっている音楽、一定のリズム)だった。私が想像していたよりも楽しく、また行きたいと思った。 ・ストライキ  9月18日から学生ストライキが始まった。この学生ストライキは学長が条件をのむまで終わらないと言われていた。ストライキ間、校舎は閉鎖され、FFLCHや他のほとんどの学部の授業は完全になくなった。FFLCH、特にLetras(文学部)が求めていたのは、教師の雇用改善であった。韓国語専攻は人気であるのにも関わらず、教師は一人しかいないため、来年は専攻自体がなくなると言われていた。また、日本語専攻も教師が足りておらず、いくつかの授業がキャンセルとなっていた。私が履修したかった授業もその1つである。このストライキは、学生が中心となって行われていたため、学生がストライキを終わりにすれば授業は再開することになる。しかしながら教師雇用の問題は深刻で、学長は今までも条件をのまなかったため、今回の学生ストライキは長期化すると周りの皆は言っていた。  ストライキ中には、イベント講義や、デモ行進などがあった。デモ行進は、USP内や近くの地域をバテリア(楽器)隊とともにフレーズを叫びながら歩く。色々な学部が集結していた。  今回のストライキで、一部の留学生はとても不安を感じていた。特に後期から留学に来た学生たちはそうだった。というのも、もしストライキが長期化すると、授業も受けられずに自国へと帰ることになる。そうすると単位を貰えず、奨学金もなくなってしまう。自由な時間がたくさんできて、旅行をするお金もあまりない上にいつ終わるかわからないため遠出できないことで他の学生たちは不安な日々をおくっていた。私も、留学中の単位が必要なため、単位に関してとても心配していた。ちょうど冬休みに新たなボランティア活動に参加したことで、幸いストライキ中にできることがあった。また、私が履修しているポルトガル語の授業とスポーツ実技(空手、サッカー、カポエイラ)の授業は行われていたためそれらの授業に行っていた。 9月の時点ではストライキがまだいつ終わるかわからない。おそらく10月もまだストライキ中だろう、、。 ・ポルトガル語博物館  中旬に、サッカーの授業の友達達とポルトガル語博物館に行った。この博物館はLuz駅に併設されており、近くにはpinacotecaという有名な美術館もある。ポルトガル語の博物館にはもちろん様々な展示があり、ポルトガル語の歴史についても書かれていた。 ・Rua augusta  家から逃げるために、友達とRua Augustaにあるバーに行った。Rua Augustaという通りはパウリスタ通りの近くにあり、たくさんのおしゃれなバーがあることで有名である。中には生演奏を聴きながらお酒を飲むことのできる場所もある。そう高くもなく、サケリーニャを飲んで落ち着いて過ごすことができた。 ・眠れない日々  今月は何かと不安を抱えることが多く、寝つきが悪い日が多かった。でもどうにかして寝ないといけないと思っていると、以前ポル語専攻の先生から「男の人から、「君のことを考えていたら眠れなくなってしまったよ」と言われたら、「睡眠にはパッションフルーツがいいそうよ。」と言いなさい」と言われていたのを思い出した。調べてみると確かに不眠にはパッションフルーツのジュースが良いと言うことがわかった。ブラジルではマラクジャのジュースである。実際飲んだら本当に寝つきが良くなった。まさかここで先生の言葉が役にたつとは思ってもいなかったが、無事寝つきも前よりは良くなり安心した。 [授業]  ストライキの影響で、9月はほとんど授業がなかった。 ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 ——————————————————————————————————————————————— ・住居について  上記の「悲しかったこと②」に書かれているような出来事が起きて思ったのは、もちろん私が今住んでいるSHAREは立地も施設も素晴らしいなと思っているが、引っ越しするのにも部屋を変えるのにも大きなお金を取られてしまうということと、自由に引越しができないのが問題だと感じた。「ブラジルだから」と許容できることもあれば、そもそもの人間性で耐えられないこともあるため、出来る限り引っ越しのしやすい場所が良いのかなあと感じた。

住居形態
アパート
無線LAN(Wi-Fi)
月額費用
ブラジル レアール
30.0589円
内訳 費用(現地通貨) 日本円換算
家賃 2,750 82,662円
水道光熱費 0 0円
学費・教材費 0 0円
交通費 210 6,312円
通信費 136 4,088円
食費・その他 3,658 109,955円
合計 6,754 203,017円
授業編
Psycholinguistic
言語心理学
講義(地域言語)
240分
生徒数は70名ほど。言語習得(特に幼少期)について。予習のために本が提示され、その本の内容に沿って教師がスライドを使って説明する。 授業の雰囲気はとても活発で、生徒の意見もたくさん飛び交い、その意見に対し別の生徒が助言をすることもある。授業内容自体は難しく、顔を顰めている生徒もいるほどである。 <授業内容> 9/11 - 生成文法② 9/18 - 経験主義理論。合理主義論×経験主義論
Japanese CultureII
日本文化Ⅱ
講義(地域言語)
360分
生徒数は30人ほど。授業の内容は、日本の歴史を勉強していく中で日本の文化について知っていくというもの。後期は鎌倉時代から江戸時代の範囲を勉強する。日本について学ぶ授業ではあるが、講義、資料ともにポルトガル語で行われる。日本での歴史の授業で学んだ内容は勿論、初めて知る内容も多く、面白い。教授がスライドを見せて講義をする形式であるが、合間に問いを投げかけられたりコメントを求められ、それに対して生徒たちは自主的に答える。授業を受けている生徒は皆日本語専攻の生徒で、授業内での発言を聞く限りでは自分で興味を持って調べている方達も多いようである。 <授業内容> 9/1 - 鎌倉時代(1192-1333) 建築、美術、文学。宗教ー新仏教 9/15 -室町時代(1333-1573) 北山・東山文化、日本の伝統芸能
Morphology of PortugueseI
ポルトガル語の形態論Ⅰ
講義(地域言語)
360分
生徒数は80名ほど。単語分類、単語形成や形態素の基礎など、ポルトガル語がどのような構造をしているかについて学習する授業。授業形式としては、もちろん教師による説明もあるが基本的にはクラス全体で一つのテーマについての先生対生徒のディスカッションが大半を占めている。最終課題や試験はなく、週ごとの授業リフレクション&ミニ調査のレポートを毎週提出(投稿)し、それが評価される。USPでは稀な評価方法だと思う。 授業の雰囲気としては、意見が活発に出ておりディスカッションも盛り上がっているように感じる。また毎週のレポートは他の人も閲覧することができる。様々な人の考え方を知ることができ、非常に面白い。 <授業内容> 9/1 - 言語クラスとその分類 9/15- 言語クラスとその分類(2) ブラジルの文法基準(NGB) 
Curso de Conversaçao e Escrita em Português para Estrangeiros- Nível C1
外国人向けのポルトガル語、会話、筆記ーC1 応用レベル
語学(地域言語)
360分
生徒数は10名ほど。留学生や、外国人向けの授業。開講されているポルトガル語授業の難易度としては一番上である。ポルトガル語の文法やコミュニケーションを学ぶ。毎週少し多めの宿題がある。初めはアルファベットから始まり、その後難易度が上がっていく。 <授業内容> 9/12 - 基礎的な内容の復習(前置詞)。 Machado de Assisについて。 9/19 - 基礎的な内容の復習(動詞→名詞 名詞→形容詞)。Machado de Assisの"Cartomante"。文章の要約練習。 9/26 - 基礎的な内容の復習(再帰代名詞、直接補語代名詞、間接補語代名詞)。論証表現の使用練習。ブラジルの社会階級について。
Sports journalism - the agenda beyond soccer
スポーツ・ジャーナリズム - フットボール以外の課題
講義(地域言語)
180分
生徒数は40名ほど。配属される学部とは別の学部(芸術コミュニケーション/ジャーナリズム)の授業。スポーツに興味がある人が集まった授業で、特にサッカー好きが多い印象。スポーツジャーナリズムについて、実践的な活動を含めて勉強する。ジャーナリズムのついて広い知識を持っており、発言をする人が多い。 9/14 - 人種差別、脱植民地主義、批判的イデオロギー:カポエイラポータルの議論分析。