もう11月も終わろうとしていて、一年経つの早いなと今年もいつものように思った。 近年、根性論的なものが嫌悪される風潮があるように感じるのだが、子供を持つ知り合いの人の話を聞いて、いくら逃げようとしても根性は必要なのだろうなと感じた。根性と根性論は端的に別物で、根性論が思想であるのに対して、根性は実践の伴うものであり、それが必要な場面で必然的に私たちに要請されるものである。私は根性論には完全に同意することはないし、どちらかというと嫌いで、根性論を避けているが、それでも根性は必要なのだと思った。どうしても逃げられないものや場面、それらを達成するため一要因として、根性が必要なのだ(もちろん根性の発揮の仕方は様々で、ただがむしゃらにやるということが全てではない)。そしてその逃げられないようなものや場面というのは、つまり責任を負っている場面などである。仕事、子供を育てるなど、責任を持つときにある程度の根性が要求されるのだ。そして、責任をもつということ、根性が要求されることを受け入れるということが大人になることなのではないかとその知人と話の中で思った。その上で、私は責任から逃げようとすることが多いので、自省した。 タイムラインは地層的である。Twitter のタイムラインは地層的だ。色々なツイートが縦に並んでいるのも実に地層的な見た目をしている。そのタイムラインを見れば、その時どんなことが流行っていたり、話題になっていたりしたのかがわかる。使われている言葉からそのツイートがいつ頃にツイートされたものかがわかる。実際の地層から得られる情報は世界の科学的な視点からの環境であるが、タイムラインの地層から得られるものは人間社会の情報が主なものであるだろう。1000年後の史料研究でTwitterが扱われているかもしれないと思うと少しワクワクする。 私は音楽を聴くときに歌詞が頭に入ってきてしまい、楽器を聴くのが苦手だ。言語に縛られすぎているのか馴染み深い音だから耳が自然に言語を捕まえてしまうのかわからないが、とにかく楽器を聞き取るのが難しい。音楽を聴く上で言語が中心にあり、その周りに諸楽器があるというような感じだ。だから、どうしても言語がよく耳に入ってくる。私の好きなロックバンドにマキシマム・ザ・ホルモンというバンドがあるのだが、彼らの楽曲を聴いているときは割と楽器の音を聴くことができる。それはおそらく歌詞を聞き取るのが難しいからだと思う。そしてこのような歌詞を聞き取るのが難しいような曲を聴くと、言語がただ単純に音になる。つまり、言語がある一種の楽器、音色になる。言語に縛られている(特に日本語)私からすると、言葉の「音」という側面を強調しているような曲を作れるのはすごく憧れである。おそらく母語で曲を作ろうとすると言葉の「音」という側面よりも、その言葉に持たせる意味とかの方に気を取られてしまうことが多いと思う。つまり、歌詞には文学的な意味があり、メッセージがあるということが重視され、ただ、耳が、聴覚が、感覚的に楽しいというような視点は軽視されてしまうことがあるのではないかと思う。さらにマキシマム・ザ・ホルモンのすごいところは言葉を音とした上で、歌詞にもしっかり意味があることである。文学としても、音としてもどちらでも言語を楽しめる。おそらく、全く知らない言語の曲をきく際には単純に言語を音として楽しめているのだろう。 今月で授業が終わるので、留学の締めくくりの月として、授業に臨みたい。 最近は雨が降ったり、降らなかったりしていて天気が変わるの見ると楽しい気持ちになる。この前RU(学食)にお昼ご飯を食べに行こうと思い、歩いていたら急に大雨が降ってきて、傘も持っていなく笑うしかなったので、雨の中笑いながら走ってRUへ向かった。走っている最中楽しかったので、嘘でも笑ってみるものだなとずぶ濡れの状態でRUでご飯を食べている時に思った。 旅行に行くとお金がかかるが、日本から南米に旅行するのはもっと大変なので、今のうちに旅行をしておこうと思った。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
---|---|---|
家賃 | 1,102 | 34,312円 |
水道光熱費 | 0 | 0円 |
学費・教材費 | 0 | 0円 |
交通費 | 30 | 934円 |
通信費 | 0 | 0円 |
食費・その他 | 8,071 | 251,300円 |
合計 | 9,203 | 286,546円 |