月次報告書 2023-12
プロフィール
学科
イベロアメリカ言語学科
学年
3年
専攻
ブラジル・ポルトガル語専攻
留学期間
2023-03-01 ~ 2023-12-31
留学種別
交換
生活編
経験し、考えること

 今月は最後の試験や課題、授業があった。また多くのボランティアも行ったため、慌ただしい1ヶ月となった。今月で留学11ヶ月目。締めくくりの月である。11年前、両親と一緒に住んだブラジル。今回は留学生として再度訪れ、子供の時と今では、ブラジルの見え方も自分に対するブラジル人の接し方も全く異なっていた。幼少期の記憶で、自分の中で勝手に作り上げられていたブラジルとのギャップに悩んだこともあった。考える事が増えた分、苦しむことももちろん多く、この留学生活を楽しかった‼とは言えない。しかしそれでも充実していたと胸を張って言える。留学生活の間、私が受けたい授業を受けるのは当たり前として、私はできるだけ色々な体験をできるようにと心がけてきた。そのおかげで沢山の人と出会い、色々な考えに触れ、且つ自分についても良い部分だけでなく悪い部分をよく知ることができた。特に「色々な考えに触れる」という部分は私が留学中に掲げていた目標のうちの1つで、それをできたことは自分の将来にとってすごく価値のあることだと思う。私にとって留学はあくまでも通過点、もしくは始まりに過ぎないので、日本に帰ってからより一層頑張ろうと思うし、頑張れると思う。 [気候]  12月になると気候は完全に夏になった。朝から夜にかけて基本的に長袖で生活できる。日中は湿気がないといえど日差しが強く、とても暑い。基本的には30℃を超える。日焼け止めを塗っていても日焼けをするくらい。12月からは午後に大雨(通り雨)が降る季節も始まる。かなりの大雨なので、傘は持ち歩くようにした方が良い。 [生活] ・サッカー観戦 なでしこジャパンVSブラジル代表  12月上旬には、女子サッカー日本対ブラジルの試合があった。隣の駅付近にあるスタジアムで行われたうえに、チケット代はたったのR$20!そのため行かない意外の選択肢はなかった。スタジアムについてみると、応援席には予想以上に日本人がたくさんいた。もちろん日本からはるばる来ている人もいるだろうが、親子連れが多く、ほとんどは駐在員の方々だと思われた。私は改めてサンパウロの日本人の多さを感じた。日本人たちとブラジルで、日本の応援をすることは自然と団結感が生まれ、シュートが決まったときに一緒に喜んだり、外れたときには惜しかったねと言ったりするのはなんだか不思議で楽しかった。ブラジル側の応援の声量はとても大きく、一方日本は少しおとなしめで、それもなんだか日本らしいなと思った。  試合の動きは激しかったが、見事日本が2対0で勝利した。試合が終わったあと、日本チームは各方面へお辞儀をしていた。ブラジル対アルゼンチンのサッカーの試合を観ていたため、てっきりブラジルサポーターからブーイングが飛ぶと思っていた。しかし全くその逆で、大きな歓声が湧いていた。もちろん本格的な試合ではないということも関係あると思うが、それでもやはりブラジルは親日国なのだと感じた。その後監督は私達のほうまで走ってきて、「ありがとうございました!」と伝えに来てくれた。その後もちろんまたブラジルサポーターの方にもしっかりとお辞儀をしていた。しっかりと「礼儀正しくお礼を伝える」という日本(だけではないが)の代表的な文化は素晴らしいなと思った。  ちなみに私はこの日、激暑だったにも関わらず日焼け止めを塗っていなかったため、日にあたった部分は真っ赤になり、後日真っ黒になった。そして人生で初めて皮が剥けた。やはりブラジルに注がれる日光を侮ってはいけないなと、それがその日一番の学びだった。 ・私が今月行った5つのボランティア ①留学生の会  12月にやっと、今まで準備していた留学生の会が行われた。これはブラジルに駐在員としている社会人のかたと、ブラジルの留学生が集まる会である。実際ブラジル留学を経験している社会人のかたもいて、就活や今後について、なにか質問したりすることをメインとしている。コロナ以降初めての開催で、既に10回開催されている。中には数年前に留学生の会に留学生として参加していた社会人の方もいた。 私と先輩2人は中心となって会の運営をしていて、ディスカッショングループを決めたり、どのように会を進めるかなど数カ月に渡って考えてきた。  当日社会人の方9人、留学生13人程が集まった。それぞれ大学も仕事先も異なる中で、様々なお話を聞くことができた。就職活動に遅れを取っている私達にとって、この機会はとてもありがたく、実際に同じ時期を過ごした先輩方からお話を聞けるのは貴重だった。  会は無事終了して、社会人の方と連絡先を交換できた方たちもおり、多少うまく行かない部分はあったが充実した1日になったと私は思う。以前も述べたが、サンパウロの良いところは、日本人駐在員の方がたくさんいて、そういった方と繋がりやすいことだと思う。日本ではこんなにたくさんの社会人の方と近い距離でお話できる機会はそんなにないと思う。そしてこのような会があることで、皆の就職活動のスピードに追いつけていないという不安を少しでも払拭できるのではと思う。 ②卓球バレー通訳  卓球バレーの通訳ボランティアも今月ついに本番だった。当初は11月上旬に日本から卓球バレー連盟会長が訪れる予定だったが、時期がずれ、12月になった。その影響で私は最終課題やテストの期間と被ってしまい、授業を受けていない先輩に任せることになり。結果的にはそこまでお手伝いすることができなかった。  基本的に行った内容は、会場までの付き添い、通訳(会話通訳や講演内容の通訳)である。私は授業との兼ね合いもあるため、授業が終わったあとに会場へ向かったり、講演が終わったあとに大学へと向かったりした。訪問したのは、知的障害を持った方たちの施設、視覚障害を持った方たちの施設、またスポーツ系の大学である。私はそのうちの1つで講演の通訳を経験させてもらえた。会長さんが障害者スポーツや卓球バレーについて日本語で説明していくのを、ポルトガル語で同時通訳するというものだった。私は厳しい状況になる、ということを予めわかってはいたが、結果的にそれ以上にダメダメな通訳となった。公演の途中、次第に日本語もポルトガル語も話せる卓球バレーのスタッフの方が私に先立って通訳をするようになり、私は結局、私よりもポルトガル語を話せる先輩と途中で交代することになった。講演の同時通訳は私にとって初めてでとても緊張した。しかしそれが理由にならないほど、ひどく、自分のポルトガル語能力のなさに絶望した。かつ今まで先輩と同じ約1年間ほどブラジルで過ごしてきたにも関わらず、私の能力は先輩よりも遥かに下だ。と比較してしまい、とても落ち込んでしまった。私はポルトガル語関係の仕事に就きたいと考えていたため、本当に大丈夫なのか、本当に成長できるのか、と深く深く考えこみ、一時期は本当に夢を諦めてしまおうかと思った。両親に相談し、「人はそうやって成長していくんだよ」と私が知っていたようでしっかりと分かっていなかったことを言われ、「だめだったけど、失敗したのが今で良かった」とそう思うことができた。  卓球バレーの普及活動最終日、講演で失敗してしまった私は申し訳のない気持ちで会場へと向かったが、会長さんは「大丈夫だよ、経験だよ」と私に言ってくださった。  卓球バレーを体験している障害を持っている方たちや持っていない方たちすべての方が、負けても勝っても笑顔で楽しそうにプレーをしていた。障害の有無に関わらず皆平等にプレーできるスポーツは本当に素晴らしいなと、そう感じた。そして実際にそういったスポーツの普及活動に関わらせてもらえたことをとても嬉しく思う。今回のボランティアのために、本当だったら訪れることのなかっただろう障害者施設に訪れたり、様々な人と関わることができ、私の名前を呼んでもらえ、本当に貴重な機会になったと思う。そして何より、わざわざ私達にこの仕事を任せていただけたこと、ここで失敗をさせてもらえたことに感謝したい。 ③岩手県人会おもちつきのお手伝い  岩手県人会の方には、7月の日本祭りでもボランティアとしてお世話になっていた。岩手県人会では毎年12月にお餅つきを行い、大量のお餅を販売用に作る。餅米を炊き、杵でつき、丸めて梱包するという作業を全部手作業で行なっていた。私はお餅に触れられるだけでも幸せだったが、作業時間は思ったよりも長く、朝の9時から夜の9時まで行われていた。私は用事があったため夕方で抜けさせてもらったが、それまでの間永遠にお餅を丸めていた。その間は日系人の方とお話をしたりしていた。県人会の方達は、日本人の方もいるが、ほとんどが日系人の方のよう。30人ほどの人たちがお手伝いに訪れていて、県人会はすごいなと思った。お餅をいただくことができなかったが、購入することができた。やはりつきたてのお餅はとても美味しく、やっぱりお餅はいいなと、日本でまた食べたいなと思った。 ④栗農家さんのお手伝い  Atibaiaの栗農家さんのお手伝いはこれで3回目となる。お手伝いの前に、最後だからとPedra Grandeに連れて行ってもらった。おっきな岩で作られた景色のいい観光名所なので、本当だと車で上まで登ることができる。が、天候などで随時道の形状が変わってしまうようで、今回は土でタイヤがうまく回らず途中から徒歩で頂上まで登った。坂はとてもきつかったが、頂上に着くと、Atibaia一帯の景気が見渡せてとても綺麗で爽やかだった。頂上では農家さんが作ってくれたおにぎりを食べ、リラックスした時間を過ごした。 その時間とは裏腹に、その後は次の日に行われる、駐在員の方向けの栗拾い体験会の準備を慌ただしく行った。大量のお肉を切ったり、お食事を食べてもらう場所の大掃除をしたりした。その日の夜はすき焼きをご馳走していただけて、幸せな気分だった。  体験会当日、約11組の駐在員の方ご家族が訪れた。なかには以前運動会でご一緒させていただいたご家族もおり、偶然の再会をした。体験会ではまず初めに朝ごはんの栗ご飯を提供し、その後栗拾い、野菜の収穫、お昼ご飯の焼肉、デザート、焼き栗の試食を行った。とても忙しい1日でほとんど動きっぱなしだった。日本で行っていたバイトのようなことを行なった。ブラジルで薄切りの和牛を食べれるのは本当に貴重で、栗拾いもでき、かつここの栗はブラジルのものとは異なり艶があるため、参加している親御さんやお子さんはすごく嬉しそうだった。私栗拾いの際、サポートとして一緒についていった。サポートをしながらも初めて栗拾いをすることもでき、栗愛好家の私にとって幸せな時間だった。  皆さんを見送った後、大量のお皿洗や片づけをし、サンパウロへと戻った。おそらく最後のお手伝いだが、とても良い経験だったと思う。 ⑤スポーツ合宿スタッフ  2泊3日の泊まり込みで、日本人の小学生のお子さん向けのスポーツ合宿のお手伝いをした。10月の報告書で述べた通り、この合宿を行なっているのは日本人元プロサッカー選手の方である。普段はブラジルとメキシコで、日本人駐在員のお子さんを対象にスポーツアカデミーを行なっている。合宿はSKA Brasilというサッカーチームの本拠地で行われた。このクラブチームには中学生の頃にブラジルに渡ってきた最年少日本人男性が4年間所属している。  今回私が行う内容は、まず第一に小学生への指示、コーチのサポート、コーチよりも近い距離でいることのできるお姉さんになること、そして90分の陸上指導である。ボランティアは、保護者の方に挨拶をし、ミニバスに小学生を乗せるところから始まった。小学生は本当に元気で、バスの中でもたくさん騒いでいた。1時間ほどで現地に到着し、それからスポーツの授業が始まった。鬼ごっこをしたり、サッカーをしたりと、暑いのにも関わらずたくさん運動していた。お昼ご飯は選手と同じ食堂で食べた。低学年だとまだ身長が高くないため、おかずを取るのをサポートしたりしていた。その後また屋外でスポーツをした後、おやつタイムがあり、そしてまたスポーツをした。夕食も同じ食堂で食べ、その後は就寝まで自由時間となった。その間、私たちは小学生たちが頼んできたことに答えたり、皆の分の水筒を洗ったりと色々な作業をした。夜中には各部屋の見回りをしたりなど、修学旅行の引率の先生の気分だった。  2日目の活動開始時間は6:30で、小学生とはいえさすが合宿という感じだった。もちろん私は早めに起きて、小学生を起こしに行ったりしなければならなかった。朝の散歩を終え、朝食をとり、その後大体は同じような活動を行った。2日目には私の陸上の授業もあった。私は大人数、しかも小さい子供に何かを教えるのは初めてで、数週間前からとても緊張していた。そして、全てが全て走ることに興味がある子ではないため、やはり教えるのはとても難しかった。教えた内容としては、スタートダッシュの仕方や基本動作、走り方などである。もちろん真剣に練習しようとする子はいたが、やはり小学生なのですぐに飽きてしまう子もいた。また小学生にわかるように説明するのも本当に難しいなと感じた時間だった。陸上を教えている父やコーチをとても尊敬する。その後はプールに一緒に入ったり、工作のお手伝いをしたりした。握力がまだなく、ハサミでダンボールを切れない子もいて、可愛いなと思った。夜には私も一緒にレクリエーションを行ったりした。  日光に当たりながら、小学生に注意を向けながらの慣れない活動で、私は2日目でもうすでに体力に余裕がなくなっていた。しかしながら小学生は2日目でもまだ元気で、本当に回復が早く、歳をとるとはこういうことなのかと深く感じた。  3日目もほとんど同じようなことを行なったが、合宿の最後には、初めに書いた日本人若手選手のサッカーの試合で小学生たちがエスコートキッズをし、観戦するためにスタジアムに行くことになっていた。そのため時間はあまりなく、慌ただしい1日になった。小学生を急かさなければならない状況で、ごめんねと思いながらもなんとか時間に間に合わせた。  試合会場では、小学生に注意を向けながらも、試合観戦をすることができた。日本人選手は、サッカーのことに詳しくない私でもわかるほどパスやドリブルが上手で格好良かった。彼はポルトガル語の発音も上手で、流暢に話せる。中学生の頃からブラジルに来て、周りに日本人がいない中1人で頑張っていると考えると本当にすごいなと思った。合宿中にたくさんお話しできる機会があり、周りに同年代の友達がいないため寂しく、私たちに会えて嬉しいと話していた。試合は大きく得点差をつけSKAが勝利した。  試合が終わった後、小学生たちをバスに乗せ、ご飯を配ったりし、サンパウロへと帰った。帰りのバスも小学生はとても元気で、へとへとになった私とは正反対だった。これが若さというものなのかと。そして無事到着し、親御さんの元へと帰った。  この2泊3日の合宿サポートは、今までのボランティアの中で一番というほど色々考え、動き、疲れた。陸上を教えたり、小学生を導いたりなどたくさんの初めての体験をさせてもらえてすごく良かったと思う。  コーチは好きなことを仕事にした方ではあるが、それでももちろん大変そうだった。親御さんのクレーム対策で色々なことを考え事前対策したり、子供達に対してどうすべきなのか、怒るべきところは怒る、甘くするところは甘くするという判断を適切に行っていた。これも慣れといえばそうだが、できない人はやはりできないので、そういった姿を見て私は勉強になる部分があった。子供達の中には日本人学校に通っている子もいて、私がブラジルにいた時(12年前)と同じ境遇の子達をサポート、指導するという不思議な体験をできたボランティアだった。 ・お見送り、お別れ  私より早く帰る留学生友達のお見送りがあった。また1年留学組の1人も日本に帰国し、日本で会えるとはいえ悩みを共有し一緒に過ごしてきた人をお見送りするのはやはり寂しかった。  また空港に到着した日から今までお世話になっていたiFriendsの友達とも最後の食事をした。彼は私に「成長したね」と言ってくれ、とても嬉しかった。 ・美術館、博物館など ①アフロブラジル博物館  イビラプエラ公園にはアフロブラジル博物館がある。これはブラジルのアフリカ系移民に関する展示が行われている場所で、持ち込まれた文化や黒人奴隷についてなどを知る、見ることができる。水曜日は無料で入ることができ、現地の学生証があれば7.5レアル(約220円)で入ることができるのでおすすめ。 ②MASP(サンパウロ美術館)  MASPはブラジルで初めての近代的な美術館。パウリスタ通りの真ん中にある。様々な国の作品が集まる。 火曜日は無料で入ることができ、その他の曜日は学生は半額の30レアルで入ることができる。とはいえ少々お高めなので無料の日に入ることをお勧めする。私が行った時は冷房がとてもきいていてむしろ寒すぎるくらいだった。もしかしたら長袖を持って行った方が落ち着いて見れるかもしれない。 ③日本移民資料館  リベルダージには日本移民資料館がある。この資料館には名前の通りブラジルに渡ってきた日本移民についての展示がたくさんある。昔ブラジルに渡ってきた日本人の名前を検索できる機械もある。展示には日本語と英語、ポルトガル語の説明が書いてあるため、留学序盤でも十分に楽しむことができると思う。水曜日は無料で、その他の曜日は学生は8レアル(約240円)で入ることができる。 ・クリスマス  クリスマスは、日本人のように恋人と過ごすのではなく、ブラジル人は家族と過ごすのが一般的。そのため多くの人が地元に帰っていて、私のブラジル人の友達たちも地元へ帰ってしまっていた。私が住んでいる住居もほとんどブラジル人がおらず、スカスカだった。クリスマスイブとクリスマスは日本人留学生と過ごすことになった。イブは友人と自炊料理を持ち寄り屋上でゆっくりご飯を食べた。25日になると同時に、あちこちで花火が上がっているのが見え、屋上で食べてよかったなと思った。  クリスマスは、友人のお家で食べ物を持ち寄り、みんなで集まる予定だったが、スーパーなどほとんどのお店はどこに行っても閉まっており、空いているのは薬局だけだった。唯一開いていたピザ屋さんのピザをRappiで頼み、みんなで食べた。クリスマスソングを流し、色々な話をしながらビリヤードをしたりした。ブラジル人と一緒に過ごすことはできなかったが、楽しい2日間だった。  クリスマスや年末の時期は、バスと地下鉄料金が無料になる。そのためホームレスの人たちもその期間の間に移動したりするのかなと考えた。またクリスマスは囚人が解放されるため治安にも注意である。 11月からクリスマスムードに入るが、それと同時にバスもイルミネーションでクリスマス仕様にデコレーションされる。また運転手さんがサンタ帽をかぶっているバスもあるそう。地下鉄の音楽もクリスマスで、なんだか愉快な気分になる。 ・年越し  年越しはリオで過ごした。年末もまた、ブラジル人はクリスマスからずっと実家にいる人が多いようで、友人もその1人のため、またまた日本人と過ごした。年末は高速バスの料金も高くなり、ホテルも高くなる。8人ほどで泊まったため少しだけ安くはなったが、少人数で泊まると少し大変かもしれない。  私の念願のコパカバーナビーチでの年越しで、とても嬉しかった。コパカバーナでの年越しはスリや強盗などが多く危ないと聞いていたため、大人数とはいえ荷物は服の下に隠すなど対策し、かつ本当に荷物は最小限にして盗まれても大丈夫なものだけを持って行った(スマホ以外)。一応ステージは22時から始まるようで、向かった時にはすでに多くの人が集まっていた。人混みを例えるなら、休日の原宿通りである。皆幸運の象徴である(ラッキーアイテム)の白い服を着ていた。道端にはちょっとした屋台もあり、軽食や飲み物を買うことができる。基本的に音楽に合わせて皆踊っているのだが、ファンキ(ブラジルの若者に人気な音楽の種類)が流れた時は本当に踊りが激しくなるので、体が持っていかれないように注意した方が良い。  スマホはできる限り出さない方が良いが、撮影したい時は周りを囲んでもらったり見張ってもらって撮ると対策にはなる。とはいえ、万が一のことを考えてスマホで写真を撮るのは最低限に控えた方が良い。実際、目の前で強盗の現場を目撃し、逃げている人にぶつかられた。もちろん私は気をつけていたのでただぶつかられただけだが、コパカバーナで年越しを過ごしたい人はブラジルでの普段の生活の10倍は気をつけた方が良い。ちなみに、その犯人は奇跡的に警察に取り押さえられ、叩かれており、その姿を見たブラジル人たちは警察を称えていた。  カウントダウンが始まると、みんなも声を上げだす。年越しと同時に、一面の花火がたくさん上がる。Feliz ano novo!と叫び、抱き合う人もいる。花火は本当に綺麗だった。正直日本には敵わないだろうと思っていたが、もしかしたら迫力では日本を超えてしまうかもしれない。それくらい圧倒された。綺麗な花火に見惚れ、見ている間に留学生活のことを思い出し、少し泣きそうになってしまったりもした。見た景色は一生忘れないと思う。ブラジルでは新年とともに、願い事をしながら波を7回飛び越えると願い事が叶うという言い伝えがあ。そのため波を飛び越えている人がいっぱいいた。もちろん私たちも真似して飛び越えた。ちなみに私は願い事をするのを忘れてしまった、残念。。花火の写真も無事撮れ、その後は何も被害を負わずに一旦無事ホテルに帰ることができた。  初日の出を見るために4:30ごろにまたホテルを出発した。夜に見た景色とはまた異なった景色が広がっていて、ブラジル人もまだたくさんいた。新年を迎えたままビーチにそのままいたようである。初日の出は残念ながら少し雲に隠れていたが、それでも綺麗な砂浜で見る初日の出は素晴らしかった。  初日の出を見た後はまたホテルに帰り、夕方までみんなで寝た。そのままゆっくりして夜ご飯を食べ、その日はそのままホテルで過ごした。最終日もまたコパカバーナの海へ行った。天気も良かったため、海に入った。気温も暑かったため、水温もちょうど良く、ブラジルで海に入るのは初めてだったため幸せな時間だった。  その後は軍隊の博物館へ行った。その日はちょうど無料で入ることができた。中には昔使われていた軍人用の部屋や兵器などが置いてあった。屋上は展望台のようなものになっていて、コパカバーナの海全体を見渡すことができた。  博物館の後は、サンバのバーに行った、そこにはサンバのエスコーラの服やネームなど、サンバに関するものがたくさん置かれていた。演奏を聞きながらバスの時間までの間、ゆっくり過ごした。  これが留学中最後のリオになる。リオの治安は少しサンパウロより悪く感じるが、サンパウロに比べ観光地がいっぱいあり、とても楽しいため、留学中一度は行ってみてほしい。 [住居]  今月でアパートのシェア生活は終了した。いざ終わって、完全に1人の部屋になると少し寂しく感じるが、色々な問題はなくなるので少し楽かもしれない。部屋の人は出かけていたのでメッセージでお別れをすると、感謝と応援のメッセージを送ってくれた。  ブラジル出発までの残りの期間は、日本人がたくさん住む、Paraísoという地域に住む。エアコンがある住居で、最安のところをAirbnbで探した結果この住居になった。パウリスタ通りにも徒歩で行くこともでき、USPには遠くなるが交通の便もいいため好立地。そして全く気にしていなかったが、たまたま12年前に住んでいたマンションの隣で、よく行っていたスーパーも近くだった。私の原点に戻った生活になる。やはり人間は原点に戻るのだと思った。 [授業]  12月は最終レポート、テストの時期である。中旬には私の授業が終了していたが、ある一部の授業はストライキの影響で1月まで授業終了が延期されることになった。 ・日本文化  日本文化の最終テストはグループで行えるものだった。他のテストもあり余裕がなかったので前期とは異なり個人ではなくグループでテストを行った。  日本文化の授業は唯一2学期通して受講した。私は正直歴史を学ぶのが苦手であるが、講師の先生が好きだったというのと、授業内容を知っていることでポルトガル語を勉強しやすくなるという理由で受講した。また日本語を学んでいるブラジル人学生と知り合うきっかけともなったため、受講して良かったと思う。 ・言語心理学  ペアで5日間のうちに設問(記述問題)に答えて提出するという内容だったが、私は深くは授業内容を理解できておらず、点数が心配な上に相手に迷惑をかけると思い、先生に3人でできないかお願いした。しかし先生はそれを許してはくれず、2人で行うように私に言った。それでは私と組んでくれる人が見つからないため3人にしてほしい。と諦めずに先生に言うと、今度は先生が私と組んでくれる生徒を探し、その人と2人でテストを行うように言った。私は状況はこれ以上変わらないと思い、組んでくれる相手に状況を伝え、ごめんねと言い、今まで通りテスト勉強を続けていた。するとどうやらペアがいない生徒がいたようで、最終的に3人で試験を行えるようになった。もちろん私は勉強を続けていたが、結局のところ3人で試験問題を解き始めたのは締切前日で、とてもバタバタしていた。どうやら他2人の会話は噛み合っていないようで、なかなか進まず、結局時間が十分になくなってしまい、試験問題の半分くらいは私が用意した解答を使用することになった。試験問題自体は私にとって少し難しいくらいだったため、言語がわかる2人にとっては私よりも簡単に感じるはずなのだが私が作った回答を提出することになり、嬉しくもあり不安でもあった。  この授業は私がとりたかった科目ではあるが、内容は「子供の言語学習」に焦点を当てたもので、私の希望とは少しだけ違かった。しかしながらこの学問は言語学の1つであり、かつ知らないことを沢山知れて留学中に履修した授業の中で1番面白かったと思う。 ・スポーツジャーナリズム  12月の授業では、スポーツ施設の訪問をすることができた。その施設には、サッカー、バスケ、テニス、器械体操、水泳、ハンドボールなどなどその他たくさんのスポーツができる場所があった。それぞれのクラブチームに入っている人たちだけが利用できる施設なため、一般の人たちは利用できないが、施設がとても充実していた。この授業は座学だけではなく他の実践的な体験や訪問もできるため、面白い。  この授業の最終課題は、スポーツに通じる身近の人にインタビューしてレポートを書くと言うもので、私はちょうどボランティアをしていたということもあり、卓球バレーの会長さんにインタビューすることができた。課題自体はそう難しくはなく、留学生でも他のブラジル人たちと同じようにできる最終課題だったと思う。 ・外国人のためのポルトガル語C1  この授業の最終課題は、自分の学術分野(出身国とブラジルを関係させる)の発表だった。私はブラジルの日本移民についてと日本にいるブラジル人についての話をした。なるべく原稿を見ないようにとの指示だったが、練習のおかげか当日はほとんど見ないで話すことができた。また先生には、「文法や単語の間違いはほぼなく、発音は完璧だ」と褒められ、少しだけ成長が感じられとても嬉しかった。最後に、成績には入らないが、次の学期同じ授業を受ける留学生に向けて留学生活についての手紙を書いた。  この授業は前期後期両方開催されている。ABCの中で、C1は最もレベルの高い授業だったが、なんとかついていくことができた。文法に関する授業だが、ブラジルの歴史や文化などを交えながら勉強するため、文法だけでなくブラジルについても知ることができる。私にとってとても有意義で楽しい授業だった。 ・ポルトガル語形態学  この授業の最終課題はなく、毎週のレポートによって成績が出る。  ポルトガル語の仕組みについてより知ることができるため、面白かった。そして何より、先生は留学生向けの授業も経験済みなため、留学生や外国人に対しての理解がある。また話している内容も面白いため、授業が楽しかった。 ・スポーツ系の授業  サッカー、カポエイラ、空手のスポーツの授業は、肉離れをして以来行くのをやめてしまったが、特に団体競技だと座学の授業よりも新しい友達を作りやすく、さらに気分転換にもなったため受講して良かったなと思う。サッカーやカポエイラはブラジルの文化の1つであり、ブラジルでできたことは良かったと思う。また空手は日本の文化に興味のある人たちが多かった。 ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 ——————————————————————————————————————————————— ・ブラジルから日本への荷物の送り方  意外と簡単です。Correiosのサイトから、ダンボールの大きさを入力しプランを選択すると大体の金額が出てきます。私はお土産を沢山持って帰るために、先に重い本を送ろうと考えており、重さを計ってみると11キロもありました。11キロで大体R$853(日本円で約25000円程度)でした。預け荷物の重量超過分を支払うよりも安く送ることができるのでなくなったとしても諦めのつく、もしくは荷物が戻ってきた場合を考えはやめに荷物を送るのであれば郵便で送っても良いと思います。  具体的な送り方を説明すると、まずその荷物が入るだけのダンボールを用意するもしくは買います。ダンボールの裏面には送り主(remetente)の住所と名前、cpfをポルトガル語で書きます。表面には宛先(destinatário)を日本語とポルトガル語で書きます。中に荷物を詰め、封をして郵便局に持っていきます。その際、中に入っているものの名前と値段を書いたメモを持っていくと受付がスムーズに行きます。郵便局で手続きをしたあと、6枚ほどの書類に署名をし、代金を支払ったら終了です。支払い方法は基本的にはデビットもしくは現金のようですが、私の住居の近くのcorreiosはクレジットカードも受け付けてくれました。郵便局の方からもらえる受領証には追跡番号がついているので、correiosのHPから荷物の追跡をすることができます。 ・Bilhete Únicoの期限  学生料金でメトロやバスに乗れるのは12月が最後のようです。1月になると更新手続きを行わなければならず、更新するには授業の履修登録証明書などが必要になってくるため、更新することはできません。年末に近づくと、お金をチャージできる金額に制限がかかり始めるため、もし1月以降も使いたいのであれば制限がかかり始める前にお金をチャージしておく必要があります。

住居形態
アパート
無線LAN(Wi-Fi)
月額費用
ブラジル レアール
30.058円
内訳 費用(現地通貨) 日本円換算
家賃 2,750 82,660円
水道光熱費 0 0円
学費・教材費 0 0円
交通費 650 19,538円
通信費 36 1,082円
食費・その他 4,580 137,666円
合計 8,016 240,946円
授業編
Psycholinguistic
言語心理学
講義(地域言語)
240分
生徒数は70名ほど。言語習得(特に幼少期)について。予習のために本が提示され、その本の内容に沿って教師がスライドを使って説明する。 授業の雰囲気はとても活発で、生徒の意見もたくさん飛び交い、その意見に対し別の生徒が助言をすることもある。授業内容自体は難しく、顔を顰めている生徒もいるほどである。 <最終試験> ペアで5日間のうちに設問(記述問題)に答えて提出する。(ストライキの影響で対面から5日間のリモートに変更された) <授業内容> 12/04 - Kahoot!を用いた後期の復習 12/11 - 授業のまとめ
Japanese Culture I
日本文化Ⅰ
講義(地域言語)
600分
生徒数は30人ほど。授業の内容は、日本の歴史を勉強していく中で日本の文化について知っていくというもの。後期は鎌倉時代から江戸時代の範囲を勉強する。日本について学ぶ授業ではあるが、講義、資料ともにポルトガル語で行われる。日本での歴史の授業で学んだ内容は勿論、初めて知る内容も多く、面白い。教授がスライドを見せて講義をする形式であるが、合間に問いを投げかけられたりコメントを求められ、それに対して生徒たちは自主的に答える。授業を受けている生徒は皆日本語専攻の生徒で、授業内での発言を聞く限りでは自分で興味を持って調べている方達も多いようである。 <試験> 試験は2回。1回目は個人で受ける試験。マーク式がほとんど、記述は少し。 最終試験は3人までのグループで試験を記述解答する。4つの画像が出され、それについて述べる。 <授業内容> 12/01 - 江戸時代(1603‐1868)幕末 12/04 -ストライキ補習(リアルタイムオンライン) 12/08 -江戸時代(1603‐1868)吉原 12/11 - ストライキ補習(リアルタイムオンライン) 12/15 - グループ試験
Morphology of PortugueseI
ポルトガル語の形態論Ⅰ
講義(地域言語)
360分
生徒数は80名ほど。単語分類、単語形成や形態素の基礎など、ポルトガル語がどのような構造をしているかについて学習する授業。授業形式としては、もちろん教師による説明もあるが基本的にはクラス全体で一つのテーマについての先生対生徒のディスカッションが大半を占めている。最終課題や試験はなく、週ごとの授業リフレクション&ミニ調査のレポートを毎週提出(投稿)し、それが評価される。USPでは稀な評価方法だと思う。 授業の雰囲気としては、意見が活発に出ておりディスカッションも盛り上がっているように感じる。また毎週のレポートは他の人も閲覧することができる。様々な人の考え方を知ることができ、非常に面白い。 <最終課題> この授業には最終課題はなく、毎週のレポートによって成績が出る。 <授業内容> 12/01 - 接尾辞の導出 12/08 - 同音接尾辞、接頭辞の導出 12/15 - 回帰導出 12/22 - 授業キャンセル
Curso de Conversaçao e Escrita em Português para Estrangeiros- Nível C1
外国人向けのポルトガル語、会話、筆記ーC1 応用レベル
語学(地域言語)
120分
生徒数は10名ほど。留学生や、外国人向けの授業。開講されているポルトガル語授業の難易度としては一番上である。ポルトガル語の文法やコミュニケーションを学ぶ。毎週少し多めの宿題がある。初めはアルファベットから始まり、その後難易度が上がっていく。 <最終課題> 自分の学術分野(出身国とブラジルを関係させる)の発表。 <授業内容> 12/05 - 各自発表(最終課題)、授業のまとめ。
Sports journalism - the agenda beyond soccer
スポーツ・ジャーナリズム - フットボール以外の課題
講義(地域言語)
210分
生徒数は40名ほど。配属される学部とは別の学部(芸術コミュニケーション/ジャーナリズム)の授業。スポーツに興味がある人が集まった授業で、特にサッカー好きが多い印象。スポーツジャーナリズムについて、実践的な活動を含めて勉強する。ジャーナリズムのついて広い知識を持っており、発言をする人が多い。 <最終課題> スポーツに通じる身近の人にインタビューしてレポートを書く。 <授業内容> 12/07 - Clube Pinheirosの見学 12/14 - ブラジルのRede Globoで働くジャーナリストの講演。(東京オリンピックについて) 授業のまとめ。