1ヶ月通しで授業がある最後の1ヶ月になった。勉強面ではフランス語の授業のテストに向けてひたすら先生とマンツーマンの補習を行っていた。過去形、未来形の動詞の活用をひたすら問題を解きながら間違いを解説していただいたり、授業でわからない部分を相談していただいたりと、テストのみならずこれからの自分のフランス語にも必ず生きてくるような補習だったと考える。加えて、フランス人の友達をポルトガルに迎えた。そこで多くのフランス語会話の機会を得ることが出来た。生活面ではポルトガル語を使って何かを行うことに関しては、以前よりもより自信を持つことができ、実際問題もほとんどなくなっていた。ただ、正直フランス語以外の学習にはほとんど手をつけられていない状況だったので自分の中で、ポルトガルに留学に来たのにフランス語にばかり集中していいのだろうか、と迷う場面も多くあった。そこで自分の専攻の先生に相談してみたところ、「留学をしていて迷うことも沢山ある」ということ「フランス語を集中して学習するポルトガル留学も良いのではないか」という意見を頂くことができ、また一つ自分自身の困難を乗り越えられたように感した。 4月に入ったこともあり、気温は非常に暖かく、日本の夏服で過ごしても問題ないほどに、ぽかぽかとした日が増えてきた。春に入るとポルトガルは雨の日が急激に少なくなり、日中は晴れてかつ日照時間が伸びたことも合わさって、午後8時ほどまで明るくなってきた。 暖かくなってきたので、ポルトガルのあらゆる街を訪れてみた。高い波が名物の「ナザレ」、神田外語大学のMULCにあるブラジルポルトガル語エリアのデザインの元となっている「オビトス」、スペインのセビリアと一緒に訪れたのがポルトガル最南端の町「ファロ」、ポルトガル人の友達に誘われて、かのバスコ・ダ・ガマの出身地である「シネシュ」にも足を運んだ。そこでの友達との会話が深く印象に残った。彼は私に「何故旅を続けるのか」という質問を投げかけた。僕が「その土地の文化や歴史を知りたいから」と答えると、彼は「君は文化を知るだけじゃなくて、もう既に文化に生きている」と伝えてくれた。今まで自分のその言葉は口先だけで本当に歴史や文化を知れていないのではないかと思い詰めることもあったが、その言葉を聞いて自分もポルトガルに溶け込めることができたのだなと感じた。またその友達は「ポルトガルでは何もしない時間は心に不安がないと言うことであり、焦って何かをする必要はなく生きているだけで充分なものだ」とも話してくれた。今まで何かしらしなければいけないと思い込んでいた私にとって、救われるような言葉だった。 最後に、4月中で最も嬉しかった言葉をここに記したい。友達とシントラという街へ訪れた時、彼らがふと僕に「あなたはもうポルトガル人だ」と話してくれた。これまでなんとかポルトガルにまつわることについて自分ながら学び、ポルトガル語を続けてきた私にとってこれ以上ない言葉だった。市民権は得ていないけれど、私はポルトガル人になれたんだなと思える。出来事であった。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 460 | 75,833円 |
水道光熱費 | 0 | 0円 |
学費・教材費 | 0 | 0円 |
交通費 | 30 | 4,946円 |
通信費 | 14.6 | 2,407円 |
食費・その他 | 379 | 62,479円 |
合計 | 883.6 | 145,665円 |