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プロフィール
学生4078
学科
アジア言語学科
学年
4年
専攻
インドネシア語専攻
留学先
インドネシア共和国
/
STIE MALANGKUÇEÇWARA
留学期間
2015-08-01 ~ 2016-07-31
留学種別
交換
1~10件目 / 12件中
2016-07
月次報告書7月分
7月
今月の頭にムスリムの一ヶ月の断食が終わりました。断食明けの一週間はお店や役所等がお休みになり、それぞれの田舎に帰ったりして過ごします。私もその週の最後に日本へ帰国したのですが、そこでトラブルが相次ぎ、バタバタした大変な帰国となりました。 まず帰るためのビザの申請ができない!帰国日の一週間前以内に申請しなければいけないのですが、私の帰国日から計算するとちょうど断食明けで役所がお休みのため、事前にイミグレーションで確認し休みに入る直前に来てくださいといわれていたのですが、言ってみたら出来ないといわれチケットを買い換えるように言われました。粘りに粘って3時間、ようやく受理してくれて、ビザは解決。ですが、帰国当日、予約していた乗り合いタクシーが時間になっても来ない!結局2時間おくれで向かえに来て、道も渋滞しているので空港についたのはフライトの10分前。カウンターに走っていったのですが、荷物がもう積み込めないため、飛行機に乗り遅れました。そして言われたのが明日の便にしてくれ。ここでも駄々をこねて、乗り換え時間が短いから乗り換えミスするかもと脅されながら、何とかその日の最終便に乗せてもらい、乗り換えも成功し、無事に日本に帰ることが出来ました。
インドネシア共和国
STIE MALANGKUÇEÇWARA
学生4078
アジア言語学科 4年 交換
2016-06
月次報告書6月分
6月
今月の半分は旅行に行っていました!ラマダーン(イスラム教徒の断食月)が始まるのと同時に、シンガポールへ。スラバヤの空港には、数十人で全身おそろいのバティックを着たインドネシア人の団体が何組もいて、みんなツアーで海外に行くようでした。わざわざ断食のときに海外に行くなんて、料理が楽しめないからもったいないんじゃないかなあと思っていたのですが、どうやら旅行など特別なときは断食は延期にしてもよいらしく、現実逃避のためこの時期に海外に行く人は意外と多いそうです。 シンガポールはマレー語が母国語らしく、意外とインドネシア語が通じます。私たちも、インド人のやっているカレー屋さんでインドネシア語を使っていたら、お店の人たちにジャカルタからきた中華系と勘違いされました。さまざまな人種がそれぞれの町をつくり、自分たちのアイデンティを崩さないまま暮らしているシンガポールは、インドネシアとはまた違った魅力がありました。
インドネシア共和国
STIE MALANGKUÇEÇWARA
学生4078
アジア言語学科 4年 交換
2016-05
月次報告書5月分
5月
今月はインドネシアに来て以来こつこつと進めていた論文をなんとか完成させ、プレゼンテーションも行いました。納得のいくものができてよかったです。授業がもうなかったので、旅行にも2回行きました。 1回目の旅行は友達の家のあるblitarという町へ行きました。私は2回目の町だったのですが、前回と違って友達に案内してもらうと、また違って見えて楽しかったです。そこで初めてパイナップル畑を見て、パイナップルの生え方をしり非常に驚きました。今月2回目の旅行は、5月22日にあるwaisakという仏教のお祭りに参加するため、一緒に留学に来ていた友達たちとジョグジャカルタへ。世界遺産が多くある町ですが、全員2回目、3回目だったので、世界遺産を素通り。ボロブドゥールの下で行なわれるランピオンに参加しました。ディズニーのラプンツェルに出てくる提灯上げのイメージです。言葉では言い表せないほどきれいで、自分であげた経験もいいけれど今度はぜひ少し遠くからランプがあがっていくところを見たいと思いました。この旅行では1泊2万のvillaや、シャワーがなく水浴びする埃だらけのホテル、いつもより少しランクの上のホテルなどに泊まって、日中はお祭りの情報集めで暑い中自転車に乗り、学生じゃないとできない旅行だったなあと感じました。
インドネシア共和国
STIE MALANGKUÇEÇWARA
学生4078
アジア言語学科 4年 交換
2016-04
月次報告書4月分
4月
ついに大学での授業が終わってしまいました。テスト後や年末年始などの長期休みが短かったり、休み自体が少なかった分、ほかの学生、学校よりも授業が終わるのは早いようです。今後の旅行の予定なども立て始め、待ちきれない気持ちでいっぱいなのですが、その前に最後の課題の論文がなかなか終わりません。5月中旬に完成させ、プレゼンテーションもあるので、これから本気でやっていきたいとおもいます。 最近は4月30日に発表するRemoという踊りの練習に加え、silat、バドミントンも始めたので、以前よりよく体を動かすようになりました。動いた後は毎回筋肉痛もなりますが、こっちに来てから体を動かす機械がなかったので気持ち良いです。困ることといえば、練習着の洗濯が間に合わないこと。キロ単位のランドリーなので毎日出すこともなく、1回だすと3.4日返ってくるまでにかかってしまうので、最近は練習着は自分で手洗いするようになりました。
インドネシア共和国
STIE MALANGKUÇEÇWARA
学生4078
アジア言語学科 4年 交換
2016-03
月次報告書3月分
3月
中旬に一年生のプログラムの閉会式がありました。それに合わせて友達と先生たちの協力の元、サプライズで練習していた東ジャワの踊りの練習がほとんど毎日あり、久しぶりにたくさん汗をかきました。一年生たちが来てからの一か月は本当に時間が経つのが早く、自分も一年生のときに初めてインドネシアに来て一ヶ月研修でいろんなことを学んだことを思い出したりして、刺激も受けました。踊りの練習ですが、4月の末にある学校の同窓会でも踊ることになったので、これからも続きそうです。 日本では就活が始まり、まだ実感がないまま履歴書について少しずつ考え始めました。日本にいる友人に就職活動について話を聞き焦る半面、まだまだ先の話だと思い、なかなか進められずにいます。 ほかには、月末の連休を使って、laskar pelangi(虹の少年たち)という日本語にも訳されている小説や映画で有名なブリトゥンという島に遊びに行きました。ジャワ島、バリ島以外の初めての島です。海がきれいで、魚貝もおいしかったです。
インドネシア共和国
STIE MALANGKUÇEÇWARA
学生4078
アジア言語学科 4年 交換
2016-02
月次報告書2月分
2月
今月の頭にソロとスマランを一人旅してきました。普段から一人旅は嫌だと言っていたのですが、せっかくの連休だしどこか行かなくちゃ!と急に思い立ち、人生初の一人旅になりました。ソロもスマランもすごくいい街でしたが、やっぱりみんなと行きたかったです。インドネシアでも祝日になっている旧正月をスマランで過ごしましたが、モールには多くの中華系の人たちが家族全員で赤の服で決めて買い物していました。中旬からは一年生が一か月研修のためにたくさん来て学校がとても賑やかになっています。末にあった中間試験後の休みには、日本から両親が来てくれたのでマランとジョグジャカルタも観光しました。不便もあったと思いますが、二人ともとても楽しんでくれたので良かったです。両親を見送ったあとまだ日付に余裕があったので、ジョグジャカルタにいる友達と一日会うこともでき、とても良い連休になりました。 一年生に刺激を受け、また改めて残りの留学生活を頑張ろうと思うことができました。
インドネシア共和国
STIE MALANGKUÇEÇWARA
学生4078
アジア言語学科 4年 交換
2016-01
月次報告書1月分
1月
大学自体は1月の頭にテスト期間も終わり前期が終了し休みに入りましたが、インドネシア語の授業は後期が4日から始まりました。他の留学先と比べ長期休みは非常に短かったですが、イジェンという山に登りました。夜中の3時頃にしか見えないというブルーファイヤーを見れると聞いて、それは見ておかないと!と思い軽い気持ちで参加しましたが、想像をはるかに超える辛さでもうあの山は登らないと決めました。ブルーファイヤー自体は本当に青く見に来てよかったと思いましたが、それ以上に星が天の河がはっきり見えるほど本当に綺麗で夜中に山に登ってよかったと思いました。授業が始まってすぐの土日にジャカルタに用事があり行きましたが、その時は久しぶりに日本食を堪能しました。ジャカルタへ出発するときは近くの山の噴火があり灰が降ってきたり、その影響で近くの空港が閉鎖され他の空港から行かなければいけなくなったり、ジャカルタから帰ってきた週には宿泊していた近くでテロが起きたりと、いろんなことがありました。インドネシア語の授業の後期が始まったということで、留学も残すところ約半分となりましたが、これまで以上に楽しんでいきたいと思います。
インドネシア共和国
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学生4078
アジア言語学科 4年 交換
2015-12
月次報告書12月分
12月
今月はスラバヤやバリに旅行に行ったり、パレンバンやジャカルタに留学中の友人が立て続けにマランに来たので、お金はかかりましたがとても賑やかな月でした。バリはジャワ島と宗教が違いバリヒンドュー教なのと、海外からの観光客が溢れているので、普段と違う食事を楽しむことができました。マランではいたるところでモスクを見ることができ、お祈りの時間になるとアザーンが聞こえてきますが、バリではヒンドュー寺院をよく目にしました。これほど観光地として発展しているのに、宗教的な部分は消えずに残っていることに、日本との違いをいろいろと考えさせられました。年越しはマランで過ごしましたが、市場にはいつもより多くのトウモロコシが並び、いつもお店のない場所にまで広がっていました。ブブゼラのようなラッパも道で約50円ー100円ほどで売られており、夜になるといろいろなところからその音が聞こえてきました。日付が変わる前からいたるところで花火が上がり、日本とは違う年末を楽しむことができました。
インドネシア共和国
STIE MALANGKUÇEÇWARA
学生4078
アジア言語学科 4年 交換
2015-11
月次報告書11月分
11月
今月はマランにいる日本人の方々とお会いする機会が何度かありました。マランの学校で日本語を教える手伝いをしている人の学校のクラブ活動にお邪魔したり、駐在員の方々と食事に行く機会もありました。私が生まれたころからマランと日本を行ったり来たりしている方もいて、いろいろなお話を聞くことができました。そのほかには、インドネシアのボランティア活動に初めて参加しました。はじめ、孤児院の子どもたちに海の近くで食べ物を配ると聞いていたので日本の配給のような、すでに出来上がっているものをその場で食べれるように配るのを想像していたのですが、実際は招待券のようなものを持っている人たちに対して、調理前の米、油、ソース、砂糖、コーヒー、紅茶などの入った結構重い袋をその券と引き換えに渡し、子供たちには文房具のセットを渡していまいた。受け取った人々はそのままバイクや徒歩などで帰っていき、私のイメージとはだいぶ違ったので驚きました。また、ボランティアに参加するにはRp.50.000(日本円で約500円)支払うのですが、参加していた人数は非常に多かったのにも驚きました。
インドネシア共和国
STIE MALANGKUÇEÇWARA
学生4078
アジア言語学科 4年 交換
2015-10
月次報告書10月分
10月
今月はテスト期間のおかげで木曜日から日曜日まで4連休があったので、友達と電車でジャカルタ、バンドンに行ってきました。長距離の移動でしたが、エコノミーの電車を取ったため、移動は本当に疲れました。まず、水曜日の夕方から次の日の朝まで17時間電車に揺られ、ジャカルタへ向かいました。目的は観光ではなく、日本食。マランにも日本食レストランがいくつかありますが、味が少し違うのと生魚などがないため、本物の日本食を求めてジャカルタにある大戸屋に行ってきました。値段は高かったですが、おいしかったです。お昼過ぎに、ジャカルタに留学中の友達が3人来てくれて、いろいろな話をしました。一番驚いたのは、物価の違い。果物もwarungの食べ物も何もかもがマランよりも高かったです。 ジャカルタには宿泊せず、その日のうちにまた電車に乗ってバンドンに向かいました。バンドンにも友達がいるのでそこに2泊泊めてもらい、観光に連れて行ってもらいました。Udjoという場所でAnkulungという楽器の公演をみたり、お土産ストリートやモールで買い物をしました。Udjoの公演は2時間ありましたが、さまざまなパフォーマンスがありとても楽しかったので、ぜひおすすめしたいです。 旅行から帰ったら、私の住んでいる家の空いていた部屋に新しい人が住み始めていました。先月日本人の友達が引っ越して1人暮らしが始まったばかりでしたが、早くもまたルームシェアが始まりました。今度はインドネシア人との共同生活なので、それもまた楽しみです。
インドネシア共和国
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学生4078
アジア言語学科 4年 交換
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