今月は私の留学生活最後の月でした。今月の16日に授業が終わり、向こうでの友人たちとお別れ会を行い、次週の月曜日の19日にメキシコを発ちました。帰国したのは21日の水曜日の朝6時でした。今思えば留学の一年間(実質9か月)はとてもあっという間に姿と感じます。その後学校に行くと、友人たちがそろって口にします。「帰国早いね。」と。ほかの留学生はいまだにまだ帰ってきていません。私だけ、5月。それには理由があります。以前ここで五月に帰るとかきました。今日はそのことについて書こうと思います。 私は8月10日にメキシコにつきました。行く前は、メキシコたのしそうと思っていました。しかし。現実はそうではなかった。到着したてのときは、スペイン語での会話が全くできず、自分の言いたいことすら明確に伝えられませんでした。治安はそこまで悪くなかったが、あにがあるかわからなかったので、外出も学校に行くだけの生活を送っていました。だから、授業はたのしくやっていたが、学校から帰宅すると、もう寝るまでずっと家にいました。私は思いました。なんてつまらないんだろうと。日本の大学だったら、授業がおわったら、MULCで友人と話したり、留学生と話したりできたのに、メキシコにきたらそういう交流の場はないし、メキシコ人との出会いも一切ない、と。そんな中、私は日本にいる友人たちと連絡をとっていました。やはり、毎日が充実していなかったせいか、早く帰りたいなと思うようになったのです。この様に私は早い段階でホームシックになったわけです。この様な生活が冬休み前まで続きました。冬休みに入ると、ペルーに旅行に行きこのような気持ちは薄れていました。しかし、追い打ちをかけるように一月の頭、新年を友達と迎え、家に帰ってきてすぐに私は食中毒にかかりました。それ以前までは大きな体調の崩れはなかったので、その時我慢してた私の中の何かが切れました。日本の薬は全く効かず、高熱に苦しみ、スペイン語で家族や病院の先生に伝えなければならずと、とてもつらい状況におかれました。大体一週間なにも食べられず本当に大変な思いを経験しました。私はそこで、日本にいたらここまで死にそうな体験はしなかったのにと思ってしまいました。また、日本の友人たちは「早く帰ってきなよ、みんなまってるよ。」といい。今までたまっていたものが爆発したように、涙があふれてきました。私はそこで授業が終わったらすぐに帰ろうと決心しました。そう決めてからというもの、後期は毎日勉強するようになり、友人たちとも楽しい生活がおくれるようになり、なんだか楽しい毎日になりました。だんだん帰国日が近づくにつれ、寂しくなりました。最初はあれだけつまらないといっていたメキシコも帰国するころには好きになっていました。帰国する日、帰国日をもっと遅くしていればなと思いましたが、帰国日を早めたからこそ、後期を充実させられたと今では思います。私はこの留学を通して、スペイン語はもちろん、日本という国のすばらしさと日本の友人の大切さを学びました。日本にいたら周りに友達がいるのが当たり前だとかんじるが、一人離れてみると、どれだけ助けられていたかを身をもってかんじさせられた一年間でした。無事帰国し、メキシコの大学で一緒だった先輩たちともご飯に行けて、今は元気に楽しく生活を送っています。留学の話はきっとここまでで終わりになると思います。9か月間ありがとうございました。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 1,900 | 14,934円 |
水道光熱費 | 0 | 0円 |
学費・教材費 | 0 | 0円 |
交通費 | 400 | 3,144円 |
通信費 | 200 | 1,572円 |
食費・その他 | 500 | 3,930円 |
合計 | 3,000 | 23,580円 |