37の報告書一覧
プロフィール
学科
イベロアメリカ言語学科
学年
3年
専攻
スペイン語専攻
留学期間
2013-08-01 ~ 2014-05-19
留学種別
交換
1~10件目 / 11件中
2014-06
月次報告書6月分
帰国して
5月21日に帰国してから、私は実家がある栃木県に帰りました。それまであまり帰国したという実感があまりなかったですが、日々の食事と家族との再会を通してやっと日本に帰ってきたのを実感しました。今回は日本とメキシコとの違いについて書きたいと思います。日本に帰ってきて最初思ったのが、とても清潔だなと感じました。スーパーに買い物にいってもしっかりと封がしてあって、肉や魚コーナーに虫一匹も飛んでいませんでした。卵もしっかり衛生管理してあって、安心して食べることができました。また、道路は平で、運転もしっかり気配りができているなと感じました。レストランに行くと店員はせっせと働いていて、客をイライラさせていないと感じました。ここまで見るとメキシコは相当悪い印象かもしれませんが、日本という先進国とメキシコという発展途上国を比べてしまってはとても差が出てしまうのは当たり前です。ただ、メキシコの良い点もあります。メキシコは日本ほどお客様と店員というおおきな区別がありません。何が言いたいかというと、あるお店に通っているとそこの店員さんとすぐに友達になることができるということです。私はあるコーヒ―チェーン店に通っていました。店員さんはすぐに名前を覚えてくれて、行くたびに話しかけてくれました。これは日本にはあまりあり得ることではないと思います。日本に帰ってきて、すこしさみしく思ったこもありました。 私はこの留学を通して日本人とメキシコ人との違いを体験してきました。メキシコ人はとてもオープンな人ですぐにいろいろな人と友達になります。そして、自分が思ったことをすぐに口にします。これらはとてもいいことだと思います。日本人は親しい人にしか心を開かず、自分の意見を心の中に閉じ込めています。私は帰国した日に授業に参加しました。そこで、先生から投げかけられた質問に対し、学生はみな黙っていました。私は昔だったら一緒に黙っていたかもしれません、しかし、その時私はぞっとしました。こんなに黙っているのに驚いたからです。こんなにも日本人の学生は積極性がなかったのかと思いました。本当にもったいないと思いました。 この様に私は、留学を通して違う見方で日本を見ることができました。そして帰国してもう一か月がたちました。だんだん「日本人」に戻りつつありますが、さきほどいったようなことは決して忘れずにこれからの学校生活を送っていこうと思います。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2014-05
月次報告書5月分
留学の終了と帰国
今月は私の留学生活最後の月でした。今月の16日に授業が終わり、向こうでの友人たちとお別れ会を行い、次週の月曜日の19日にメキシコを発ちました。帰国したのは21日の水曜日の朝6時でした。今思えば留学の一年間(実質9か月)はとてもあっという間に姿と感じます。その後学校に行くと、友人たちがそろって口にします。「帰国早いね。」と。ほかの留学生はいまだにまだ帰ってきていません。私だけ、5月。それには理由があります。以前ここで五月に帰るとかきました。今日はそのことについて書こうと思います。 私は8月10日にメキシコにつきました。行く前は、メキシコたのしそうと思っていました。しかし。現実はそうではなかった。到着したてのときは、スペイン語での会話が全くできず、自分の言いたいことすら明確に伝えられませんでした。治安はそこまで悪くなかったが、あにがあるかわからなかったので、外出も学校に行くだけの生活を送っていました。だから、授業はたのしくやっていたが、学校から帰宅すると、もう寝るまでずっと家にいました。私は思いました。なんてつまらないんだろうと。日本の大学だったら、授業がおわったら、MULCで友人と話したり、留学生と話したりできたのに、メキシコにきたらそういう交流の場はないし、メキシコ人との出会いも一切ない、と。そんな中、私は日本にいる友人たちと連絡をとっていました。やはり、毎日が充実していなかったせいか、早く帰りたいなと思うようになったのです。この様に私は早い段階でホームシックになったわけです。この様な生活が冬休み前まで続きました。冬休みに入ると、ペルーに旅行に行きこのような気持ちは薄れていました。しかし、追い打ちをかけるように一月の頭、新年を友達と迎え、家に帰ってきてすぐに私は食中毒にかかりました。それ以前までは大きな体調の崩れはなかったので、その時我慢してた私の中の何かが切れました。日本の薬は全く効かず、高熱に苦しみ、スペイン語で家族や病院の先生に伝えなければならずと、とてもつらい状況におかれました。大体一週間なにも食べられず本当に大変な思いを経験しました。私はそこで、日本にいたらここまで死にそうな体験はしなかったのにと思ってしまいました。また、日本の友人たちは「早く帰ってきなよ、みんなまってるよ。」といい。今までたまっていたものが爆発したように、涙があふれてきました。私はそこで授業が終わったらすぐに帰ろうと決心しました。そう決めてからというもの、後期は毎日勉強するようになり、友人たちとも楽しい生活がおくれるようになり、なんだか楽しい毎日になりました。だんだん帰国日が近づくにつれ、寂しくなりました。最初はあれだけつまらないといっていたメキシコも帰国するころには好きになっていました。帰国する日、帰国日をもっと遅くしていればなと思いましたが、帰国日を早めたからこそ、後期を充実させられたと今では思います。私はこの留学を通して、スペイン語はもちろん、日本という国のすばらしさと日本の友人の大切さを学びました。日本にいたら周りに友達がいるのが当たり前だとかんじるが、一人離れてみると、どれだけ助けられていたかを身をもってかんじさせられた一年間でした。無事帰国し、メキシコの大学で一緒だった先輩たちともご飯に行けて、今は元気に楽しく生活を送っています。留学の話はきっとここまでで終わりになると思います。9か月間ありがとうございました。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2014-04
月次報告書4月分
Cancún
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2014-03
月次報告書3月分
誕生日
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2014-02
月次報告書2月分
終盤
みなさん、こんにちは。今月は特にイベントごともなく、普通にいつもの通りに毎日をすごしました。今回はタイトルにあるように「終盤」についてかこうとおもいます。なぜ、まだ二月なのに、終盤かといいますと、わたしの大学は留学生用の語学コースがあり、留学生はみんなそこに配属されるわけですが、文法と会話のクラスをメインにとります。それで、文法のレベルが1~8、会話が1~5、文学が6,7、商業が1、2とあって、最後に私のとったレベル9の文学の授業があります。最初私は先輩たちからは文法の9といわれていましたが、実際文法の授業は一切やらず、文学でしたね。私は来た当初レベル4から文法も会話もスタートしましたが、もう最終レベルになってしまいました。さらにうちの大学は四週ごとにコースが変わります。何が言いたいかというと、来月の頭でレベル9がおわり、文法の授業(朝9時から11時)はすべて終わってしまうのです。今思えば、ここまで来るのに早かったなとおもいます。 私の留学期間は七月いっぱい名なのですが、私の留学期間中の授業は五月におわるので、結果のこり三か月になってしまいました。私は帰りの航空券を往復で買ってなかったので、帰国日を決めていなかったので、来る前は、授業終わってから残ってメキシコを旅行しようかなと考えていましたが、今となって、授業が終わったらすぐ帰りたいという気持ちにかわりました。それはなぜか?それは帰国した月の五月分ですべてを語りたいとおもいます。 残り三か月、悔いのないように過ごしたいとおもいます。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2014-01
月次報告書1月分
El año nuevo
今回は一月といえば、これということについて書きたいと思います。今年は人生初めての海外での年越しでした。毎年私は年越しは家族と地元で越すわけですが、今回はメキシコのグアナファトというところで日本人の友人たちととしを越しました。グアナファトというところは今私が留学している、グアダラハラという場所からバスで三時間ほどのところにあります。このグアナファトというところは町全体が世界遺産になっていて、とてもきれいな町です。私たちは12月31日の朝グアダラハラを出発し、日中はグアナファトを観光して、夜は年越しのカウントダウンのために会場である教会の前で待機してました。私たちは夕食を終えて、夜11時半ごろに会場に向かいましたが、そこにはもうたくさんの人がいてマリアッチの演奏が始まっていました。いよいよ時計の針が12時になろうとするころ、もうマリアッチの演奏は終わり、MCの人がカウントダウンを始めました。カウントダウンがゼロになると同時に教会のてっぺんから花火が上がり、鐘が鳴り響きました。周りの人々も家族で抱き合ったりしてました。とても感動しました。日本であれば除夜の鐘が鳴り、静かに新年を迎えていましたが、正直日本にいると、年が明けたきがあまりしなといつも思ってましたが、ここメキシコの年明けはすごく、年が明けたなと実感できる年越しでした。とても楽しかったし、またとても貴重な体験ができてよかったです。 また、今月の頭で冬休みが終わり、また授業が始まりました。一月からはまた雰囲気がガラリとかわったなと実感しました。というのも、半年留学に人達はもう帰ってしまったからです。前期同じ教室で勉強していた、たくさんの仲間たちが各々の国に帰ってしまいました。前期には日本人は17人くらいいたのに今では6人になってしまいました。寂しいものですね。そして後期からはスペイン語の文法や会話以外にもほかの授業もトとれるようになりました。私は人類学とメキシコの地理とメキシコ料理のクラスをとる予定です。また来月からは、DELEのクラスの授業も始まるので、後期の方が忙しくなるなと不安をかかえていますが、もう折り返し地点を過ぎたので、やれることやって帰国しようかなとおもっています。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2013-12
月次報告書12月分
冬休み
今月の6日で今学期が終わりました。私は8月19日か授業が始まって、12月6日に授業が終わり、留学生活がもう折り返しをしてしまいました。こっちに来たてのころは一日一日が長く感じて、ものすごく暇だなと思っていましたが、慣れてくるとものすごく速く一日が過ぎていくのを実感しました。後期は1月13日から5月17日までです。残り半分充実した生活を送りたいと思います。 さて、今月の大体は冬休みということである国へ二週間旅行に行ってきました。その国とは前々から行きたいと思っていた、ペルーです。私は古代文明にものすごく興味があり、ぜひインカ文明も見ておきたいということでペルーのリマとクスコ、マチュピチュへ行ってきました。それについて少し書きたいと思います。まずリマ。リマは2日しか滞在しませんでした。なぜなら、リマに古代遺跡があまりなかったと、新市街と旧市街を見るということしか計画していなかったからです。やはり新市街は本当に現代的なビルやショッピングモールなどがありましたが、旧市街には大聖堂や広場などがあり新旧の2つの町がありとても興味深かったです。その後クスコへいきました。クスコは標高約3600メートルあるため夏でもかかわらずとても涼しく、ときには寒いくらいでした。クスコやクスコ周辺にはたくさんの遺跡があり、ツアーに参加してみてきました。最後にマチュピチュです。これは、本当にすごかったです。標高2400メートルくらいの場所にあんな都市があったのかと思うと驚きです。私は少しマチュピチュ内を歩いただけで、息が上がってしまうのに、当時の人は山の下から思い荷物を背負って登ってきて生活をしていたのですからインカ人は身体が強かったんだと感じました。 といったように冬休みに貴重な経験をしてきました。 今月はペルーへ旅行に行ったので交通費等が多くなってしまいました。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2013-11
月次報告書11月分
El día de muertos
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2013-10
2013-09
月次報告書9月分
本格的に授業スタート
九月に入って、本格的に授業がスタート。グアダラハラ自治大学(UAG)留学のコースは四週間ごとにレベルが上がっていく。私はレベル4からスタートしたので、九月で一度レベル5に上がった。このコースの良いところは短い期間で、内容の濃いもの学ぶということである。しかし、短期でやるということは、短いスパンで、テストテストになってしまうということでもある。テストは基本、文法のテストは普通にテストをするのだが、会話のテストか基本的にプレゼンテーションをする。だから、少し最後の方になってくると苦しいときがある。 今月は、UAGの留学生対象にした、トナラへの遠足があった。トナラは手工芸が有名な町だ、グアダラハラからバスで一時間くらいのところにある。そこにはティヤンギスと呼ばれる、市場もようなものがあって、そこにはたくさんの手工芸品が売られていて、とても魅力的であった。また、9月16日はメキシコの独立記念日があり、メキシコ人と祭りにも行った。 今月は一人クラスメートの誕生日があり、みんなでサプライズパーティをした。そこには彼の友人やクラスメートが集まって、とても楽しいパーティだった。そこでメキシコ人の友人もできたり、お祝いができたりととても充実した一日であった。 今月から毎週金曜日にfutbol rapidoというフットサルのようなものを始めた。日本人と韓国人がメインだが、よくメキシコ人と一緒にもプレーする。スポーツを通して、文化交流ができて毎回楽しみである。しかし、ここはメキシコ、グアダラハラ。何を言いたいかというと、標高が約1500メートルで日光がとても強く、日本でのように動くことできない。とてもいい運動である。 10月は月を通して、お祭りをするので楽しみである。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
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