【① 気候、衣服】 10月のジュイス・ジ・フォーラは、9月に続いて暖かい日が増え、より春らしい気候になりました。平均的な最高気温は28〜30℃、最低気温は10〜14℃程度で、日中は気温が上がり半袖でも快適に過ごせる日が多くなりましたが、朝晩はまだ肌寒いため、長袖Tシャツや薄手の上着を着用することが多かったです。 天候は晴れまたは曇りの日が中心で、時折強い雨が降ることもあります。ただし、雨は長時間続くことは少なく、多くの場合1時間ほどで止みます。ブラジルの雨は突発的に激しく降り出す傾向があるため、折りたたみ傘を常に携帯するなどの工夫をしています。 【② 学校生活と授業】 後期が始まって1ヶ月が経過し、授業にも順調に慣れてきました。新たな友人も増え、学内での交流の幅が広がっています。 一方で、初めて学ぶスペイン語には苦戦しており、ポルトガル語と文法構造が似ているため、読んで理解することはある程度できますが、発音や聞き取り、そして微妙な語彙の違いにはまだ十分に対応できていません。今後は引き続き努力を重ね、より自然でスムーズな会話ができるようになることを目標としています。 授業外では、4月以来利用していなかった留学生支援制度「Buddy Project」主催のシュハスコイベントに参加しました。これまであまり関わる機会がなかったため、既知の友人が一人もいませんでしたが、参加してみると皆とても親切で、日本の話題やサッカーなどのレクリエーションを通じてすぐに打ち解けることができました。後期から新しく来た留学生とも知り合うことができ、もっと早くから参加していれば良かったと感じるほど、多くの学びと出会いに恵まれた非常に有意義な時間でした。 今回のイベント参加をきっかけに新たな友人とのつながりが生まれ、来月には旅行にも誘っていただきました。後期はジュイス・ジ・フォーラでも様々なイベントに参加し、より多くの人と交流を深められるようにしたいです。 【③ 私生活】 Rio de Janeiro リオデジャネイロ 先月に引き続き、今月も週末にリオデジャネイロを訪れました。 残り5ヶ月しかブラジルに滞在できないため、時間とお金が許す限り、できるだけ多くの場所を訪れ、また地元の人と同じくらいリオデジャネイロの街やお店、地理を学ぶことを最近の目標としています。 今回もサッカーのチケットを取ることができたため、日帰りで観戦に行きました。学生割引(Meia)を使えるうちは存分に活用し、学生ならではの特権を最大限に楽しみたいと思っています。 CBF ブラジルサッカー連盟 iPhoneの調子が悪かったため、リオ中心部から電車で約1時間の場所にあるApple Storeへ修理に行きました。その帰り道、近くにCBFの本部があることを知り、せっかくなので外観だけでも見ておきたいと思い立ち寄りました。 到着すると、ブラジル代表のエンブレムにも描かれているCBFのシンボルが刻まれた巨大な建物が目に入り、「ここがブラジルサッカーの全てを統括する場所なのか」と、その威厳と存在感に圧倒されました。フェンス越しに写真を撮っていると、中の警備員の方々が笑顔でこちらを見ており、「今どくから、ここから撮りな」と机をどかして撮影場所を作ってくださるなど、とても親切に対応してくれました。 内部には歴代ユニフォームやワールドカップトロフィーのレプリカなどが展示されているそうですが、一般の立ち入りは禁止されており、今回は外観のみの見学となりました。いつかこの場所に堂々と入れるような人間になりたいと強く感じました。 Maracanã マラカナンでのサッカー観戦 今回訪れたのは、ブラジルサッカーの象徴であり、「サッカーの神殿」とも呼ばれるマラカナン・スタジアムです。世界的にも名高いこのスタジアムでは、過去にW杯の決勝戦も開催され、ペレ、ジーコ、ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ、ネイマールといった数々のレジェンドたちが歓喜と屈辱、栄光と挫折を経味わってきました。サッカーファンにとって、ここで試合を観戦することは一つの夢であり、私自身もいつかその現場に立ち会いたいと長年思っていました。 マラカナンは、Flamengo(フラメンゴ)とFluminense(フルミネンセ)のホームスタジアムとして知られています。今回は、ブラジル国内リーグ首位Palmeiras(パルメイラス)と2位 Flamengoが激突する注目の一戦を観戦しました。 リオのチームによるホーム試合、さらに勝てば順位が入れ替わるという大一番だったため、チケットはまさに争奪戦でした。販売開始と同時に公式サイトへアクセスしましたが、サーバーが混雑し何も操作できず、サイトのアクセス待機人数は3万5千人を超えるほど。何度もエラーを繰り返しながら、3時間半もの格闘の末にようやくチケットを手に入れることができました。 試合当日は、会場近くで軽く食事を済ませ、試合開始の1時間前に到着。スタジアムへ向かう途中、街中は赤と黒のユニフォームを身にまとったフラメンゴサポーターで溢れかえり、360度どこを見ても同じ色のユニフォームで染まっていました。 顔認証、ボディチェックを経てスタジアムに入ると、耳をつんざくような大歓声が響き渡っていました。先月訪れたヴァスコ・ダ・ガマのホームスタジアム「サン・ジャヌアリオ」よりも規模が大きいにもかかわらず、観客の熱気は桁違いで、隣の友人と会話をするのも困難なほどでした。 人の波をかき分けて前方の席を確保し、前から5〜6列目、ピッチまでの距離約10mという絶好のポジションで観戦することができました。試合前には応援団による大合唱や、赤と黒の風船を空に放つ儀式、相手チームへのブーイングなど、フラメンゴのホームらしい圧倒的な熱量を肌で感じました。 大歓声と雨の中で試合がキックオフ。両者が意地と誇りをかけて激しくぶつかり合い、一時は乱闘寸前の緊迫した場面もありました。迎えた開始10分、フラメンゴが値千金の先制点を挙げると、スタジアムは爆発的な歓声に包まれ、サポーターは狂喜乱舞、会場全体が歓喜の渦に包まれていました。 得点後、勢いづいたサポーターは椅子を叩き、指笛を鳴らし、相手チーム罵声を飛ばしながら、ありとあらゆる方法でチームに追い風を送っていました。その圧倒的な一体感と圧力はもはや、相手選手たちが平常心を保ってプレーすることが不可能に思えるほどでした。 試合はその後も白熱した展開となり、壮絶な撃ち合いを制したフラメンゴが最終スコア3−2で勝利。勝ち点で首位パルメイラスに並んだことで、サポーターは歓喜し、スタジアムの外でも歌い踊りながら勝利を祝っていました。 ここまで情熱的で力強い応援を目の当たりにしたのは初めてであり、この自国リーグに対する愛とサッカーへの情熱こそが、「サッカー王国ブラジル」を支える強さの根底にあるのだと改めて実感しました。 Brasília ブラジリア 今月末は、ブラジルの首都であるブラジリア連邦直轄地を訪れました。ブラジリアは、1960年にリオデジャネイロから首都が移された内陸部の都市であり、オスカー・ニーマイヤーによる近代建築群が数多く存在することから、都市全体がユネスコ世界文化遺産に登録されています。 ジュイス・ジ・フォーラからバスで向かう途中は、「本当にこの先に近代都市があるのだろうか」と思うほど、何もない乾燥した高原地帯が延々と続いていました。建物ひとつ見当たらないため、車窓からは地平線が見え、夜になると満天の星空を眺めることができました。 約14時間の移動を経て、突然道幅が広がり、これまで閑散としていた道路が一気に混雑し始めました。Google Mapを確認すると、そこはブラジリアへと続く一本道。窓の外を見ると、乾いた大地の彼方に巨大ビル群が聳え立っており、まるで映画の未来都市を見ているかのような感覚でした。 さらにその一本道には、約300メートルほどの間隔でブラジル国旗が立ち並び、「ここがブラジルの首都なのだ」と強く実感させられました。 ブラジリアの中心部に入り、まず驚かされたのは街の整然とした美しさでした。直線的でゴミひとつない道路、美しく手入れされた芝生、そして東京のような大都市とは対照的に、開放的で余裕のある土地の使い方がなされていました。滞在中、ホームレスなどをほとんど見かけることはなく、フードコートでさえ綺麗な格好をした人々ばかりで、サッカーユニフォームのようなラフな服装をしている人がほとんどいないことに衝撃を受けました。 街全体がまるで一つの巨大な建築作品のようで、美的でありながら機能的でもありました。 行政・住宅・商業といった空間が明確に分けられていることで、統一感のある景観が生み出されており、計算し尽くされた街づくりであることがひと目で伝わってきました。 街並みを見て、こんなに感動したことは今までなく、世界のどこにもない唯一の街づくりだと感じまた。 Catedral Metropolitana de Brasília ブラジリア大聖堂 ブラジリアで最も有名な観光施設のひとつでありオスカー・ニーマイヤーによって設計されたブラジリア大聖堂。 1970年に完成したこの教会は、コンクリート製の白い柱が天に向かって広がるように配置されており、外観はまるで王冠のような形をしています。その独創的で曲線的なデザインは、半世紀以上前に建てられたとは思えないほど近未来的で、都市全体のモダンな景観とも調和していました。 内部に入ると、青・緑・白のステンドグラスが天井一面に広がり、自然光が柔らかく差し込む幻想的な空間が広がっていました。外からの印象とは対照的に、内部は静寂に包まれており、宗教施設でありながら現代建築の芸術作品のような美しさを感じました。また、教会ということもあり、内覧は無料で誰でも自由に入ることができ、観光客だけでなく地元の人々にとっても心を落ち着ける憩いの場となっていました。 Museu Nacional da República 国立共和国博物館 こちらもブラジリアを象徴する建築群のひとつで、建築家オスカー・ニーマイヤーによって設計されました。2006年に開館した比較的新しい施設で、白く滑らかな半球状の外観が特徴的です。近未来的でシンプルなデザインながら、その巨大なドーム構造は圧倒的な存在感を放ち、まるで宇宙船のようにも見えました。 内部は広い吹き抜けの空間で、展示作品は多くありませんでしたが、独特の静けさと空間の広がりが印象的でした。展示内容は時期によって入れ替わるようで、訪れるタイミングによって異なる雰囲気を味わえるようです。 また、入館料は無料で、他の観光地のような混雑もなく、ブラジリアの近代建築と芸術との融合を肌で感じて楽しめる貴重な場所でした。 Torre de TV de Brasília ブラジリアテレビ塔 ブラジリアの中心部にそびえる高さ224メートルのテレビ塔は、市内を一望できる人気の観光スポットです。建築家ルシオ・コスタによって設計され、1967年に完成しました。ブラジリアの都市計画を象徴する建築物のひとつでもあります。 展望台は地上約75メートルの位置にあり、ガラス張りのエレベーターで上ることができます。そこからは、「飛行機の形」ともいわれるブラジリアの都市全体を見渡すことができ、国会議事堂やカテドラルなど主要な建築群を一望できるそうです。 私が訪れた日は、不運にもエレベーターの故障により展望台に登ることは叶いませんでしたが、その代わりに、塔の足元にある「Eu ♡ Brasília」のオブジェや噴水の前で写真を撮りつつ、夕陽を受けてオレンジ色に染まるテレビ塔を眺める時間を楽しみました。 先輩との再会 ブラジリア滞在期間中、在外公館派遣員としてブラジリアで勤務されている大学の先輩と久しぶりに再会し、一緒に昼食をとったあと、カフェで仕事の苦労やこれまで訪れたブラジルの観光地での思い出などをゆっくりお話しすることができました。 同じ大学・学部の先輩が、海外で第一線で活躍されている姿を目の当たりにし、自分も将来に向けてより一層努力しようという気持ちが強まりました。 Belo Horizonte ベロオリゾンチ ブラジリアでの旅行を終え、飛行機でミナスジェライス州の州都ベロオリゾンチへ向かいました。到着してまず驚いたのは、自分が想像していた以上に街全体が高層ビルで埋め尽くされていたことです。ブラジル内陸部に位置し、これまで訪れたミナス州内の都市はビルとは無縁の場所も多かったため、中心地だけでなく広い範囲にビル群が広がる光景は予想外でした。 特に宿のある Savassi(サヴァッシ)地区 は、安全な高級住宅街としても知られ、おしゃれなカフェやバーが立ち並ぶ洗練されたエリアでした。一部の通りは歩行者天国になっており、ランニングをする人や愛犬と散歩を楽しむ人々でにぎわっていました。全体的に落ち着きがありながらも活気が感じられ、歩いているだけで楽しくなる地域でした。 Praça da Liberdade リベルダージ広場 サヴァッシからほど近い場所にあるリベルダージ広場は、ベロオリゾンチでも人気のエリアです。 大きな噴水のまわりには楽器を演奏する人たちが自然と集まり、その周囲では子どもたちが元気に走り回っていました。平日でも多くの市民が思い思いの時間を過ごしており、広場全体にのびのびとした雰囲気が広がっていました。 また、広場を取り囲むように複数の博物館や美術館が並んでいるのも大きな特徴です。かつては州政府の行政建築として使われていた歴史的な建物群が、Circuito Cultural Praça da Liberdade(リベルダージ文化回廊)としてリノベーションされ、文化施設へと生まれ変わっています。 観光客にとっても一つの場所を歩くだけで複数の施設を巡れるため、非常に効率的で魅力的なスポットでした。 Palácio da Liberdade リベルダージ宮殿 リベルダージ広場の一角に建つリベルダージ宮殿は、ミナスジェライス州政府の旧庁舎として使われていた歴史的建造物です。19世紀末に建設された建物で、ネオクラシック様式を基調とし、重厚な石造りと繊細な装飾が組み合わされた優雅な外観は、当時の州政の中心地としての威厳を今に伝えていました。 現在は行政機能を終えており、観光地としての運営が中心となっていますが、緑豊かな庭園に加え、折衷主義(エクレクティシズム)に基づき世界の文化を取り入れた豪華な会議室などがあり、その美しさは健在でした。 MM Gerdau – Museu das Minas e do Metal 鉱山と金属の博物館 この博物館では、ミナスジェライス州で産出される鉱物資源や、それに関連して発展してきた科学技術などが紹介されていました。 ミナスジェライス(Minas Gerais)という地名は、ポルトガル語で「広大な鉱山群」や「多種多様な鉱山」を意味しており、この地名が示す通り、州全体が鉱山資源によって発展してきた歴史的背景があるため、この博物館での見学は、ミナスジェライス州ならではの産業史と鉱物に関する内容を深く学べる、とても貴重な機会になりました。 さらに、博物館内のお土産もユニークなものが多く、市場に売っているものよりも値段が良心的でした。 Mercado Central de Belo Horizonte ベロオリゾンチ中央市場 ベロオリゾンチの有名な中央市場を訪れました。同じ施設型の大型市場でも、以前訪れたサルヴァドールのモデーロ市場とは雰囲気も商品構成も大きく異なり、地域による違いがよく表れていました。 サルヴァドールが観光客向けの土産物や民芸品が中心だったのに対し、ベロオリゾンチ中央市場は生活に密着した実用的な市場で、肉屋や八百屋に加えて、多くのレストランが並び、地元の人々で常ににぎわっていました。私自身もそのレストランのひとつで朝食をとりましたが、牛肉を使ったワンプレート定食にもかかわらず会計は約9レアル(250円)ほどと非常に安く、地元市場ならではの素朴さと現地の雰囲気を感じることができました。 また、市場内には、ウサギやインコなどの小動物を扱うエリアや、ミナス地方特産の編み物、ミナスチーズが大量に並ぶミナスならではのエリアもあり、地域の文化と生活がぎゅっと詰まった場所だと感じました。 Ouro Preto オーロプレット ベロオリゾンチの滞在期間中、ベロオリゾンチからバスで片道3時間移動し、ブラジルで初めてユネスコ世界文化遺産に登録された街、オーロプレットを訪れました。 Ouro Preto (黒い金)の名前を持つこの街は、17世紀末のゴールドラッシュによって誕生した植民都市で、18世紀にはブラジルの経済と文化の中心として栄えました。 街全体が「ミナス・バロック」と呼ばれる独自のバロック様式で統一されており、起伏の激しい地形に沿って石畳の坂道と豪華な教会が点在しています。特に、「ブラジルのミケランジェロ」と称される彫刻家アレイジャジーニョ(Aleijadinho)の作品が多く残されており、サン・フランシスコ・ヂ・アシス教会などにその傑作を見ることができます。街並みそのものが歴史的芸術作品として保存されており、現在では観光業と大学都市として機能しています。 Mina de ouro 金鉱山 オーロ・プレットに到着して最初に向かったのが、金鉱山の探索ツアーでした。かつて金の採掘によって繁栄したこの街には、操業を終えた鉱山跡が多数点在しており、訪問した際にはぜひ見学したいと考えていた場所の一つでした。 車で30分ほど移動して施設に到着し、受付で料金を支払って鉱山へ向かいましたが、平日だったこともあり、参加者は私たちのみでした。ツアーの醍醐味であるトロッコで地下350mまで一気に降りていくと、気温が急に低くなり、最下層に着くまでの道中にも複数の採掘跡が連続して現れ、当時の作業の痕跡を感じました。 最下層に到達すると、外界の音が一切届かない静寂の世界が広がり、壁には断層がくっきりと見えていました。さらに、地下水が湧き出して湖になっている場所や、当時使用されていた古いポンプ類も残されており、採掘現場がそのまま時間を止めたような雰囲気でした。 奥へ進むと、マリア像を飾った小さな祭壇や、金鉱石を選別した際に残る「脈石」と呼ばれる厚さ15cmほどの石の板が一箇所に無数に積み上げられ、3mを超える高さで洞窟の天井にまで届いていました。この膨大な量の脈石を見ると、この場所で黒人奴隷たちがどれほど過酷な作業を強いられていたのかが、数字以上の説得力をもって伝わってきました。 地上へ戻った後は、砂に水を混ぜ、円盤状の板を回して遠心力で金を分離する実演を見学しました。大量の砂の中から米粒ほどにも満たない小さな金片が現れ、先ほど街中で目にした豪奢な金装飾が、ひとつひとつこの途方もない作業の果て積み重ねられたものだという事実が、より強い実感を伴って理解できました。ブラジルの歴史を支えた現場を巡る大変貴重なツアーでした。 Restaurante Contos de Réis コントス・ジ・レイス・レストラン 昼食には、ミナス料理の専門店であるRestaurante Contos de Réisを訪れました。この店は18世紀の古い邸宅を改装してつくられており、現在レストランとして使われている部分は、当時奴隷の宿舎として利用されていた空間です。 そのため、上階の建物は通常の壁で構成されていますが、レストランのあるフロアは石壁で造られており、天井も低めに設計されています。室内は薄暗く、窓には鉄格子が残されているなど、建物の歴史を物語る特徴が随所に見られました。 現在はエレガントな雰囲気のレストランとして整えられていますが、空間の細部には、かつての用途を思い起こさせる要素が残されており、料理とともにこの地域の歴史を深く感じられる場所でした。 ( 料理は、とても美味しかったです。) Museu Casa dos Contos カサ・ドス・コントス博物館 食後には、Museu Casa dos Contos を訪れました。この施設は、植民地時代のブラジルで有数の富豪であったジョアン・ロドリゲス・デ・マセドの邸宅を利用したもので、現在は資料館・博物館として運営されています。当時の硬貨や紙幣、財政制度に関する貴重な史料が多数保存されていることが特徴です。 さらに、建物の地下には奴隷宿舎である Senzala(センザラ) が、当時のままの保存状態で残されています。レストラン同様、邸宅の上階部分は煌びやかな装飾や通常の壁で構成されていますが、センザラは壁も床もすべて石で造られており、窓はありましたがこちらにも強固な鉄格子が取り付けられていました。昼間にもかかわらず、照明をつけなければ薄暗くなるほどの環境で、石壁には複数の穴があり、かつて奴隷を手枷・足枷で固定するために使われていたそうです。 その空間は重苦しい雰囲気を帯びていましたが、知っておかなければならない歴史の現場に触れることができ、当時の暮らしと奴隷制度の現実をより深く理解する貴重な経験となりました。 Igreja de Nossa Senhora do Rosário dos Homens Pretos ノッサ・セニョーラ・ド・ロザーリオ・ドス・オメンス・プレットス教会 最後に訪れたのは、Igreja de Nossa Senhora do Rosário dos Homens Pretos(黒人信徒のためのロザリオの聖母教会)でした。この教会は、制度としての黒人奴隷制が解放された後も、社会の中に人種差別が根強く残り、白人の教会で礼拝に参加することを許されなかった黒人たちが、自らの信仰の場を確保するために建てたものです。ここは宗教施設としてだけでなく、自分たちの文化やコミュニティを守る重要な拠点として機能してきました。 バロック様式を基調とした楕円形の建築は、貧しく限られた資源の中、そして社会的に抑圧された状況に置かれながらも、最高の技術と芸術性をもって自分たちの信仰の場を築き上げたという、“不屈の精神の証”とも言えるものです。 内部には入れませんでしたが、外から眺めるだけでも十分に力強さと静かな存在感があり、ここが単なる教会以上の意味を持つ場所であることが自然と感じ取れました。 【総括】 10月は、旅行や私生活、そして学校での活動を通して、ブラジルでの生活の奥行きを格段に深めることができた1ヶ月となりました。 学校生活では、授業に順調に慣れ、学内イベント「Buddy Project」への参加を機に、新たな友人たちとのつながりが生まれました。特に、イベント参加や旅行に誘われるなど、私的な交流が本格的に深まり始めたことで、後期生活の期待や大きな充実感につながっています。一方で、初めて学ぶスペイン語の語彙や発音の微妙な違いに苦戦しつつも、今後の語学学習における具体的な目標も明確にすることができました。 私生活面では、1ヶ月を通し、ブラジルの「熱狂」「未来」「歴史」を追体験する、非常に密度の高い旅を展開することができました。 リオデジャネイロでは、ブラジルサッカーの象徴であるマラカナンでの大一番を観戦し、サポーターの圧倒的な「熱狂」と「一体感」を肌で感じ、ブラジルサッカーの強さの根源を実感しました。 またブラジルの首都ブラジリアでは、オスカー・ニーマイヤーの計算し尽くされた近代建築を目の当たりにし、世界のどの都市にもないような計算し尽くされた、「整然とした美」という新たな一面を発見しました。 さらに、ミナスジェライス州の歴史都市オーロ・プレットでは、金鉱山や奴隷宿舎(センザラ)が残る歴史的建造物を巡ることで、かつてのゴールドラッシュの栄光と、それを支えた過酷な奴隷制度という、ブラジルの根幹にある歴史的現実に深く触れることができました。 日常の交流から、非日常的な場所での探索まで、この1ヶ月は、ブラジルという国が持つ多様で複雑な文化・歴史・情熱を多角的に体感し、多くの学びと出会いに恵まれました。結果として、ブラジル滞在と国に対する理解の質が一段階上がった特別な1ヶ月となりました。
| 内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
|---|---|---|
| 家賃 | 800 | 22,640円 |
| 水道光熱費 | 0 | 0円 |
| 学費・教材費 | 0 | 0円 |
| 交通費 | 3,117 | 88,211円 |
| 通信費 | 681 | 19,272円 |
| 食費・その他 | 3,900 | 110,370円 |
| 合計 | 8,498 | 240,493円 |