Davi/Masakiの報告書一覧
プロフィール
学科
イベロアメリカ言語学科
学年
4年
専攻
ブラジル・ポルトガル語専攻
留学期間
2025-04-01 ~ 2026-01-31
留学種別
交換
1~5件目 / 5件中
2025-08
【① 気候、衣服】  今月のジュイス・ジ・フォーラは乾季の真っただ中にあり、空気が非常に乾燥しています。昼夜を問わずほとんど雨が降らず、毎日のように澄みきった青空が広がっています。日中は気温が20度前後まで上がる日もありますが、朝晩は10度近くまで冷え込むため、外出時には薄めのダウンジャケットや厚手のパーカーが欠かせません。日差しが強く、歩いていると汗ばむこともありますが、日が沈むと一気に冷え込むため、気温差への対応が難しく、服装の調整に苦労することもありました。  夜間は特に冷え込みが厳しく、私は週に一度、友人たちと夜にサッカーをしていますが、運動中には身体や頭から湯気が立ち上がるほどで、気温の低さを実感します。それでも、乾いた空気の中で身体を動かす爽快感があり、日本の蒸し暑い8月とは真逆の感覚で過ごしています。  衣類に関しては、想像以上に冬服が必要でした。ブラジルと聞くと「常夏の国」という印象を持つ方も多いかもしれませんが、ジュイス・ジ・フォーラの冬は内陸の高原地帯に位置していることもあり、朝晩の冷え込みが予想以上に厳しいです。現地の衣料品店は日本ほど品ぞろえが豊富ではなく、防寒用のインナーも限られているため、日本からヒートテックを持参したのは正解でした。  日本では今夏、記録的な猛暑に見舞われたというニュースを目にしました。それを思うと、涼しいブラジルの冬に身を置けていることに少し安堵を覚えます。季節が逆転しているため、家族や友人と「日本は灼熱なのに、こちらは冬だよ」と話題にすることもしばしばあります。こうした気候の違いを実際に肌で感じ、生活の中で適応していく過程も、留学ならではの貴重な体験だと感じました。 【② 学校生活と授業】  8月は前期の最終月であり、各授業でテストや課題発表が重なり、学内は慌ただしい雰囲気に包まれていました。私が履修している写真の授業では、前月から友人と共同で制作を進めていたフォトブックを、アート学部全体で開催された展示会に出展しました。  展示中、驚くことに私たちの作品が購入されるという出来事がありました。私は、観客の方々が購入できること自体知らなかったため驚きましたが、自分たちの作品が他者に評価され、形として受け入れられた経験は、努力が報われたことを実感させ、前期の授業を締めくくるにふさわしい、充実感と達成感に満ちた体験だったと感じています。 (ちなみに約2700円の収益を得ることができました!)  前期が終わった今、ようやく一段落ついたという安堵感と、時間があっという間に過ぎてしまったことへの名残惜しさが入り混じっています。ブラジルに来た当初、日本人1人でブラジル人ばかりの教室に入り、友人ができるまでの数週間、多くの不安や苦労を感じていたことを思い出すと、今では懐かしい気持ちになります。 そして、せっかく仲良くなった彼らとも、後期では中々会えなくなることに寂しさも感じます。  前期が終わったことにより、小学一年生から続いてきた私の学生生活も、残すところ後期のみとなりました。前期の経験を糧に、絶対に思い残すことがないよう、後期も最後まで全力で取り組んでいきたいと思います。 【③ 生活と旅行】 サッカーの試合  私は週に一度、友人たちとサッカーを楽しんでいますが、今月は月初めに別のグループとの対抗試合が行われました。普段の内輪でのゲームとは違い、メンバー全員が数日前から気合が入っており、グループチャットには 試合のルール! ・謝罪は禁止 ・相手との接触は即ファウルアピール ・膝から下への接触は全て許可 ・金属スタッド付きスパイクを持参 ・携帯電話を一台、SAMU(救急)にすぐかけられる状態で用意 ・ルーズボールなんて存在しない=全てのボールは命がけで取りに行け など冗談混じりでありながらも本気度が伝わるメッセージが送られてきました。  当日、球際の激しい攻防が続き、攻守にわたって緊張感あるプレーが繰り返されました。結果は惜しくも敗北となりましたが、これまでの内輪の試合とは違い、全員が本気で勝ちにこだわり戦う姿やチームワークを体感することができ、チームとしての結束がまた一段と深まったと感じます。 今回の悔しさと経験を糧に、さらに気合を入れて練習し、次の試合ではチーム一丸で勝利を目指したいと思います。 寿司職人    サンパウロで日本の調味料を手に入れられるようになったことで、以前から続けていた日本料理作りがさらに充実するようになりました。8月には友人を自宅に招き、寿司や日本の家庭料理を振る舞うことにしました。サーモンや玉子などの握り寿司を提供し、ブラジル人の友人たちにも実際に寿司を握ってもらいました。「ヘイ、お待ち!」と掛け声をかけながら、日本の寿司文化を擬似体験してもらう様子はとても楽しそうで、見ている私も嬉しく感じました。  寿司以外にも、豚汁やじゃがバターなど、久しぶりの和食も食べることができました。日本の家庭料理はブラジルの日本料理店ではあまり提供されておらず、なかなか味わえない家庭的な温かさを改めて実感しました。こうして友人たちと日本の食文化を共有する時間は、単なる料理体験を超えて、異文化交流の貴重な機会にもなりました。 天文観測  大学内にあるサイエンスセンターで、友人たちと天体観測体験に参加しました。この体験ツアーは事前申し込み制で無料であり、地域の子どもたちも一緒に参加していました。ツアーでは、サイエンスセンターの屋上にある巨大な展望台から月や星座を観察しました。職員の方がレーザーポインターを使って星の位置や特徴を丁寧に説明してくださり、とても楽しむことができました。  その後も、人体の構造を学ぶ科学の授業や、静電気を利用した実験などが行われ、無料で体験できる内容とは思えないほど充実していました。しかし、ツアーの最後に訪れたプラネタリウムでは、夜遅くまでの1時間半以上に及ぶ科学ツアーで疲れが溜まってしまい、開始からわずか5分ほどで眠ってしまいました。友人に起こされるまで全く記憶がなく、せっかくのプラネタリウム体験をほとんど楽しめずに終わってしまいました。 せっかく訪れた貴重な機会を無駄にしてしまったため、近いうちに必ずリベンジし、しっかり星空とプラネタリウムを楽しみたいと思います。 Rio de Janeiro リオデジャネイロ旅行  今月は、リオデジャネイロを初めて本格的に観光しました。日帰りで行ける距離にも関わらず、これまでバスや飛行機の経由地としてしか利用していなかったため、旅行前から非常に楽しみにしていました。 Santa Teresa サンタテレーザ  サンタテレーザは、石畳の坂道と古い家並み、そして街の至るところに描かれたカラフルなストリートアートが印象的な地区です。リオ中心部の再開発と家賃高騰により、多くの芸術家たちがこの地へ移り住み、自宅の壁や街角をキャンバスとして絵を描き始めたことから、街全体がひとつの美術館のような姿へと変わっていきました。 日本であれば、ストリートアートはしばしば「落書き」とみなされ、観光地として評価されることはほとんどありません。だからこそ、こうして路上の自由な表現を受け入れ、街の魅力として共存しているサンタテレーザの寛容さに、深い魅力を感じました。 アートの中には、排水管やマンホール、階段などを利用し、作品の一部として彩られています。キャンバスの上では描けない“路上ならでは”の自由な表現と工夫に、私は強く心を惹かれました。  また、街を歩いていると、黄色い車体がトレードマークの路面電車が、ゆっくりと坂を登っていく姿が目に入りました。これは世界最古の路面電車の一つであり、今も現役で走り続けています。今回は時間の都合で乗ることはできませんでしたが、歴史を感じさせるその車体がカラフルな街並みの中を進む光景は、まるで一枚の絵のように美しく、思わず立ち止まって見入ってしまいました。 芸術が生活の中に溶け込み、壁のない美術館として存在するサンタテレーザという街は、リオの豊かな感性と自由を象徴しているように感じました。 Copacabana コパカバーナビーチ  コパカバーナビーチはリオを象徴する場所のひとつで、旅行するならぜひ訪れたいと思っていました。白い砂浜と青い海が印象的で、海岸沿いにはヤシの木が並び、遠くにはポンジアスカールがそびえ立っていました。 ビーチでは、人々がそれぞれの時間を思い思いに楽しんでおり、ビーチサッカーに興じる人、波音に耳を傾けながら読書をする人、日光浴で陽ざしを満喫する人、平日にも関わらず多くの人で賑わい、この場所にはリオの人々の“自由さと"明るさ"がそのまま現れているように感じられました。 海ではサーフィン教室も行われており、次回訪れたときには、水着を持参してウォーターアクティビティにも挑戦してみたいです。 Garota de Ipanema イパネマの娘  夕食には、ボサノヴァの名曲『イパネマの娘』の舞台にもなった Garota de Ipanema というレストランを訪れました。 店内には、作曲家 アントニオ・カルロス・ジョビン と作詞家 ヴィニシウス・デ・モライス が手がけた『イパネマの娘』の楽譜や彼らの写真、ギターなど音楽関連の品々が並び、ボサノヴァの歴史を身近に感じることができました。  接客も温かく、興奮して写真を撮っていた私に「写真を撮ってあげるよ」と声をかけてくださり、記念写真を撮ってもらうこともできました。 料理は少し高めですが、クオリティは抜群で、歴史ある雰囲気の中、心から楽しんで食事をすることができました。平日に訪れたため比較的空いていましたが、週末や祝日には観光客で混雑するそうなので、訪れるなら平日がおすすめです。 Museu do Amanhã 明日の美術館  オスカー・ニマイヤーが設計した、美しい曲線と近代的なデザインが印象的な美術館を訪れました。外観からして圧倒されるような存在感がありました。 入館すると正面には、地震や天気、気温などの情報を映し出す巨大な地球儀が浮かんでおり、まるで地球そのものが館内に現れたかのような迫力がありました。 館内には、地球の環境問題や気候変動、資源の現状などについて考えさせられる写真や映像作品が数多く展示されていました。海の汚染や森林破壊を写した作品の前では、日常生活の中で私たちができることについて自然と意識が向き、単なる鑑賞にとどまらず、自分自身の行動や価値観について考えさせられる時間となりました。 さらに、世界各国の文化や生活を紹介する写真もあり、日本の和式の結婚式の様子や世界各国のリアルな日常を垣間見ることができ、異文化理解の面でも非常に興味深い体験となりました。作品の展示方法も工夫されており、映像、音響、光の演出が絶妙に組み合わさって、ただ見るだけでなく身体全体で作品を体感できるようになっています。 近代的な空間と最新のテクノロジーを駆使し、地球の現状と未来を考えさせられ、学びと感動が同時に得られる素晴らしい体験となりました。 また、お土産コーナーも非常に充実しており、他では手に入らない凝った商品を購入できる点もおすすめです。 滞在期間中のアクシデント  今回の旅行では、サンタテレーザにある宿に滞在しました。 景色が素晴らしく、主要エリアにもアクセスしやすいことからこの場所を選んだのですが、思いがけない危険な出来事にも遭遇しました。  2日目の朝、ベランダで朝食をいただいていた時、突然「パンッ!パンッ!パン!!」と大きな破裂音が響き、その直後、頭上を何か小さくて速いものが風を切る音が通り過ぎました。 私たちはすぐに室内へ避難し、その後オーナーに確認したところ、「銃の音ではないかもしれないが、断言はできない」とのことでした。幸いベランダには屋根があり、身の安全は確保されていましたが、心臓が凍るような瞬間でした。 また、滞在期間中にUberで宿戻るたび、何人かのドライバーから 「ここはファベーラが近くて危ない。自分も襲われたことがある」 と忠告されることがあり、自分たちの想像以上にリスクの高い場所に滞在していたことを実感しました。 次にリオを訪れるときは、景色や価格だけで選ぶのではなく、周辺環境や治安を入念に調べ、安全を最優先に滞在先を選ぼうと思います。 Valença ヴァレンサ・Rio preto リオプレト旅行  ヴァレンサは、リオデジャネイロ州内陸にある人口約8万人の小さな街です。 今回の旅の目的は、友人から「8月にFesta de Nossa Senhora da Glóriaという、聖母マリアの栄光を讃える伝統的なカトリックのお祭りがある」と聞いていたため、その祭りに参加することでした。 ヴァレンサに向かう前に、州境に位置するリオプレトという町で数日間過ごしました。ここには友人の実家があり、滞在中はご家族の家に宿泊させてもらいました。ご両親はとても温かく迎えてくださり、日本の話をたくさん聞かれたり、ブラジルの家庭料理を振る舞っていただいたりと、ホテル滞在では決して味わえない家庭ならではの時間を過ごすことができました。  リオプレトでは、ハイキングを通して壮大なミナスジェライス州の自然を満喫し、洞窟の中に作られたキリスト教の祭壇にも足を運びました。野生動物も多く、野鳥のトゥカーノを見ることができたり、夜にはジャガーが現れることもあると聞き、自然のスケールの大きさを肌で感じました。 これまで訪れたブラジルの中でも特に田舎で、道路を牛の群れが悠々と歩いていたり、立ち寄った店で「アジア人が珍しい」と写真を求められたり、都市部や観光地では出会えない光景と人々に触れることができました。  ヴァレンサのお祭りでは、街の中心にある教会の周りに多く人々が集まり、ステージやメリーゴーランドが設置され、音楽に合わせて踊る人、屋台を楽しむ人など、街全体が一体となって盛り上がっていました。 内陸の小さな町ならではの、町全体でお祭りを盛り上げようとする一体感と温かく素朴な雰囲気があり、ブラジルの地方文化とコミュニティの力強さを肌で感じることができました。 São Paulo サンパウロ  冬休みの大きな旅行として、来月の頭にサンパウロ大学のメンバーとブラジル北部へ旅行する予定があり、出発地であるグアルーリョス空港があることから、その数日前から再びサンパウロに滞在することにしました。 これまでにもサンパウロには数回訪れていましたが、いずれもイベントに合わせた週末のみの短期滞在だったため、予定が詰まり自分の時間がほとんどありませんでした。そのため今回は、「自分の行きたい場所を、自分のペースで巡る」ことをテーマに観光を楽しむことにしました。 Museu Afro Brasil アフロ・ブラジル博物館  サンパウロでぜひ訪れたいと思っていた場所のひとつが、このアフロ・ブラジル博物館でした。ここは、黒人差別と奴隷制度の歴史、文化、そして彼らが生み出した芸術を深く知ることができる場所です。 館内には、ブラジルに連れてこられたアフリカ系の人々が使っていた祭具や衣装、部族を象徴する像などが展示されていました。数多くの展示の中でも特に目を引いたのは、再現された奴隷船の模型と、奴隷制度下における黒人たちの様子を描いた絵画です。 奴隷船の模型は一見大きく見えるものの、船底の高さは1.5メートルほどしかなく、その狭さに何百人もの人々が押し込められていたとは到底信じられない構造でした。また絵画には、銃を持ち別の部族の人々を捕らえて白人に売る黒人の姿や、白人の子どもの遊び相手として馬乗りにされる黒人女性、白人女性が黒人の子どもを棒で叩く場面などが描かれていました。 どの作品も、文字や知識だけでは味わえない圧倒的な重みがあり、ブラジル、そして人類史に刻まれた悲しい過去を、自分の目で見て心で受け止める時間となりました。 コンセプトレストラン  サンパウロには映画やアニメをテーマにしたコンセプトレストランが多く、普段は日本食ばかりでなかなか行けないのですが、今回は時間に余裕があり、ついに訪れることができました。 最初に訪れたのは、ONE PIECE をコンセプトにしたレストラン。店内にはフィギュアや装飾が所狭しと並び、まさにワンピース愛に溢れた空間でした。メニューにも遊び心があり、〈Gomu Gomu Burger〉や〈Gol D. Poteto〉など、キャラクターにちなんだ名前が並んでいました。 私はGomu Gomu Burgerを注文。運ばれてきたときは「普通のハンバーガーだ…!」と思ったのですが、一口食べるとチーズがびよーんと伸びて“ゴムゴム”感を再現しており、思わず「こういうことか!」と笑ってしまいました。ユーモアだけでなく味も絶品で、最後は2階の展示コーナーで写真撮影までさせてもらい、大満足の時間でした。 翌日は、私の大好きな洋画 Pulp Fiction をテーマにしたレストラン Big Kahuna へ。こちらも作品に関連した装飾やファンアートで溢れており、平日でお客さんが少なかったこともあって、店内をほぼ独り占めで写真撮影を楽しめました。もちろん映画に登場するチーズバーガーを注文し、こちらも期待を裏切らない美味しさでした。 サンパウロには作品愛に満ちたコンセプトレストランが本当に多く、日本のメイド喫茶を再現したお店もあるそうなので、次回はぜひそちらにも足を運んでみたいです。 ブラジルのフラメンコ  サンパウロ最終日には、ブラジルでフラメンコが楽しめるスペイン料理レストランを訪れました。 私自身、神田外語に通っていた頃、フラメンコ部に所属しギターの練習に励んでおり、まさかブラジルで本場さながらのフラメンコを見ることができるとは思ってもいませんでした。少し中心地から離れた場所でしたが、予約を入れてワクワクしながらレストランに向かいました。 ショーが始まるまでの間は、パエリアなどのスペイン料理を堪能。思っていたよりも本格的な味に驚きつつ、ショーの始まりを楽しみに待ちました。 暗くなり、照明が落とされると、会場は一気に熱気に包まれ、バイレの美しい舞に息を飲んで見入ってしまいました。 ショーの間、私は持参したカメラでたくさん写真を撮り、終了後に食事をしながらその写真を眺めていました。すると、突然楽屋に帰っていったはずの出演者の方が私の席までやってきて、「さっき撮っていた写真をぜひ送って欲しい」と声をかけてくれたのです。 まさかこんなことが起こるとは思わず、私は「アマチュアですが、よろしければ」と写真を送ると、出演者全員で喜んでくれました。 思いがけないサプライズもあり、この日の体験はフラメンコの情熱だけでなく、人との温かい交流も重なった、最高の思い出となりました。 【総括】  8月は、日常の学びや生活、そして旅行や異文化体験が絶妙に交錯する、充実した一か月となりました。ジュイス・ジ・フォーラでは、乾季の冷たい空気の中で授業やテスト、フォトブック制作に取り組む一方で、友人たちとのサッカーの試合にも興じ、忙しい日々の中にも楽しさや充実感を感じながら過ごすことができました。 旅行では、リオやサンパウロの美術館や博物館、ストリートアートを巡る中で、芸術や歴史、街の文化の豊かさに触れる貴重な体験を重ねました。また、ヴァレンサやリオプレトでは、地方の祭りや地域の人々との交流を通じて、都市部とは異なる暮らしの息づかいや温かさに触れ、旅ならではの発見や驚きに満ちた時間を過ごすことができました。 この一か月を振り返ると、日常の小さな出来事から旅行先での非日常的な体験まで、さまざまな経験が互いに重なり合い、ブラジルでの生活の奥行きや多面性をより深く実感できた月だったと感じます。学び、交流、旅での感動、そのすべてが結びつき、8月は自分にとってかけがえのない特別な時間になったと思います。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-07
【① 気候、衣服】 7月に入り、気温は徐々に下がってきました。平均気温はおよそ17℃前後で、日中は20℃を超えることもありますが、夜間は13℃程度まで下がるため、ジャケットがないと肌寒さを感じます。 天候は、先月までに比べて曇りがやや増え、7月末には嵐のような暴風雨と雷雨に見舞われる日もありました。 朝晩には吐く息が白くなることもあり、今まさにブラジルの冬を過ごしているのだと実感しています。 【② 学校生活と授業】 学校生活は特に大きな変化もなく、落ち着いて過ごしています。先月行われた文化人類学のテストが返却され、9割を獲得することができました。資料の閲覧が可能な形式だったため難易度は高くありませんでしたが、数字として成果を残せたことは、これまで「本当に成績が取れるのだろうか」と不安を抱きながら履修していた自分にとって、大きな安心材料となりました。 一方、外国人向けポルトガル語の授業では、授業内容自体は変わらないものの、徐々に自国へ帰国する生徒が出始めています。開講当初は15人ほどいた教室も、今では10人ほどに減りました。留学が始まってまだ2か月ほどですが、せっかくできた友人との別れを経験することになりました。 帰国する生徒のために先生がケーキを用意してくださり、授業後に皆でケーキを食べ、写真を撮り、ブラジルの国旗にメッセージを書くなど、小さな送別会を開くことができました。自分自身もあと数か月すればブラジルでの生活が終わってしまうのだと実感し、少し切なさを覚えました。 【③ 食事】 先月サンパウロに行った際に購入した調味料を使い、さまざまな日本食を作っています。豚骨ラーメンやすき焼き、豚カツ、寿司、しゃぶしゃぶなど、3ヶ月ぶりに本格的な日本食を味わうことができ大変感動しています。 日本とは異なり、牛の薄切り肉の取り扱いがなかったり、肉の質が違ったりするため、完全に同じ味を再現することは難しいですが、工夫を重ねることでできる限り近づける努力をしており、自分の料理の腕前向上にもつながっています。 日本の調味料が揃ったことで、留学経験のある学生たちと日本食パーティを開くこともでき、食生活は非常に充実しています。また、スーパーよりも 安くて融通の効く地元のAçougue(精肉店)で肉を購入するように心がけており、現地のスタイルを取り入れながら生活するようにしています。 【生活】 イグアスの滝旅行  30時間のバス移動 先月、日本人の会で仲良くなったサンパウロ大学に留学中の学生達と一緒に、イグアスの滝へ旅行する事になりました。 サンパウロ組は市内に大きな空港があるため飛行機で向かうことになったですが、私の住むジュイス・ジ・フォーラにも空港はあるものの直行便はなく、仕方なくリオデジャネイロ経由でイグアスに向かうことになりました。 旅程を考えている際、以前日本人の会にいらっしゃった駐在員の方が「若い頃はバスでブラジル中を旅していた」と話していたエピソードを思い出し、「ここで若気の至りを出さなければいつ出すのか」と決意した私は、リオからの飛行機利用をやめ、計30時間に及ぶバスルートを選択しました。 旅行当日、出発は午前3時。前夜23時まで友人宅で誕生日パーティをしていた私は、わずか3時間の睡眠で片道1,600kmというこの狂気の長距離のバス旅行に臨みました(もちろん復路もバスです) バスの旅は、ミナスジェライス州からサンパウロ州、パラナ州を横断する長距離の道のりでした。 建物一つない広大な自然が果てしなく続き、日本では経験できない、国土の広いブラジルならではの壮大さを肌で感じました。 各所で休憩のために停車するたび、飛行機で移動していたら出会うことのなかったであろう小さな町や風景を見たり通ったりすることができ、バス移動ならではの醍醐味を味わいました。 飛行機のほうが早くて便利ではありますが、不便だからこそ得られる経験の貴重さもあり、費用を抑えられる点でも魅力的でした。 とはいえ、さすがに丸一日以上の移動ということもあり、何度眠っても到着せず、節約のために最も安いシートを選んだこともあって、リクライニング範囲は限られスペースも広くはなく、体力的にはやや大変でした。 それでも身体を痛めることなく、無事に最終目的地のフォズ・ド・イグアスに到着し、皆と合流することができました。 宿泊トラブル 初日は昼頃に到着し、翌日に備え午後をゆっくり過ごすためにAirbnbに向かいましたが、チェックイン時にトラブル発生。宿の外にあるキーボックスに鍵が入っておらず、入室することができませんでした。結局、約30分後にオーナーが到着し対応してくれましたが、滞在中は定期的にブレーカーが落ちたり、シャワーが冷水しか出なかったり、エアコンが使えなかったり、寝室の電線が屋根裏の動物にかじられて使えなくなったりと、日本では考えられないトラブルが次々と発生しました。サンパウロのような都市部以外での旅行は初めてだったため、これまで順調だったブラジル生活の中で、初めて本格的なブラジルの洗礼を受けることになりました。 (後日、滞在中トラブルが多発したため、オーナーに交渉して宿代を値下げしてもらうことができました。) イグアスの滝へ イグアス旅行2日目、タクシーとバスを乗り継ぎ、ようやくイグアスの滝のある公園に到着しました。本命の滝に向かって歩く道中にも大小さまざまな滝があり、数え切れないほどの虹がかかっていました。人生で初めて、虹の端から端までくっきりと広がる光景を目にし、その美しさに圧倒されました。目的の大滝に着く前から、息を呑む景色が続き、感動と大興奮で胸がいっぱいになりました。 本命の滝に到着すると、台風のような勢いで襲いかかる水飛沫と轟音が響き渡り、その凄まじさに心を打たれました。 私たちは河童を着用し完全防備で臨んでいたため問題ありませんでしたが、普通の格好やジーンズで訪れている方達もおり、彼らはどうやって帰るのかと少し心配になるほどでした。 圧巻のスケールを持つ滝は、人間では到底コントロールできないような大自然の力を見せつけ、世界遺産且つ世界三大瀑布に数えられるだけの価値を実感させられました。これまで人生で訪れた場所の中で、最もインパクトがあり、感動的な体験となりました。現地のガイドさんによると、この日の水量は通常の3〜4倍で、まさに絶好の観光日だったそうです。 滝突っ込みツアー その後、来た道を戻り、1時間の山道ハイキングを経て川に降り、先ほど見た滝に突っ込むボートツアーに参加しました。川を逆流しながら滝に向かう最中は、船体が激しく揺れ、水を被ったり、くるぶしを超える高さまで水に浸かる場面もありました。しかし滝の真下に到着すると、上から見た景色とはまた違い、その威力に恐怖を覚えるほどの圧巻の迫力。 全員が歓声を上げて大興奮し、自然の圧倒的な力を全身で体感できる、まさに貴重な体験となりました。 アルゼンチン側へ 初のアルゼンチン入国 アルゼンチンに入国するにはUberは利用できず、バスで国境まで移動して入国手続きを済ませ、その後再びバスに乗って国内に入りました。 手続き中は、ブラジルから入国しているにも関わらずスペイン語でしか話しかけられず、理解するのに苦労しましたが、何とか入国することができました。てっきりパスポートにアルゼンチンのスタンプがもらえると思っていたのですが、手に入らず少し残念でした。 それでも、島国の日本では経験できない飛行機以外で国境を跨ぐ体験に、新鮮さを覚えました。ただし、景色自体はブラジル側とほとんど変わらず、あまりアルゼンチンに入った実感はなかったのが正直なところです。 悪魔の喉笛 アルゼンチン側のイグアスの滝で最も有名なスポット「悪魔の喉笛」へは、アマゾン川のように広大で茶色い川の上にある一本橋を歩き続けることで辿り着きます。アルゼンチン側では滝口の真上ギリギリまで近づくことができ、まるで濁流に飲み込まれてしまいそうな感覚を覚えました。 ブラジル側では、滝が流れ落ちてくる水を横や下から眺める形になりますが、アルゼンチン側では滝の上流の川をほぼ水平な目線で見ており、その川が滝口に吸い込まれていく様子を目の当たりにすることができます。滝口の上側に立つことで視点の違いを体感でき、また別の迫力を味わうことができました。 落下の勢いで舞い上がった水は雨のように降り注ぎ、凄まじい轟音を立てていました。ブラジル側にも負けない迫力に、圧倒されると同時に感動しました。 鳥公園 最終日は Parque das Aves(鳥公園) を訪れました。 この公園の最大の特徴は、鳥を一般的な動物園のように檻越しで観察するのではなく、観光客が鳥たちのいるドーム内に入り、至近距離で観察できる点です。国鳥のトゥカーノやオウム、インコ、ハチドリなど、美しい羽毛を持つ鳥たちを間近で見ることができ、その鮮やかさに思わず感動しました。 さらに、各エリアには巨大なパネルが設置されており、顔をはめて遊んだり、パネルの羽に合わせてポーズを取ったりすることもでき、とても楽しかったです。写真撮影が趣味の私にとって、檻越しではなく自由に鳥たちを撮影できるのは、これ以上ない幸運であり、貴重な体験となりました。 日本祭りと友人との別れ このイグアス旅行を終え、この数日間の貴重な体験を胸に帰路につきました。帰宅後、サンパウ口で日本祭りが開催されると聞き、異国の地で開催される自国のお祭りを体験したいと思い、イグアス旅行終了から中1週間で再び週末にサンパウロへ向かいました。 会場のサンパウロエキスポセンターには、北海道から沖縄まで各都道府県(一部を除く)のご当地料理の屋台が並び、大盛り上がりしていました。 来場者数の多さで移動が大変な程でしたが、日本文化が異国でこれほど広く受け入れられていることに改めて感動しました。お好み焼きやカツ丼、抹茶ソフトなど、久しく味わっていなかった日本食に触れ、大満足でした。さらに、屋台の人手不足で急遽サンパウロ大学の友人に誘われ、埼玉県の屋台で餃子を焼くボランティアをすることになったり、在外公館派遣員としてサンパウロに勤務している先輩と一年越しに再会できたりと、参加の価値が非常に大きいイベントでした。 そしてこのタイミングで、約半年のサンパウロ大学への留学を終えた大阪大学の学生たちが帰国日を迎えました。 最後のシュハスコパーティや空港での別れでは、大勢の友人とともに涙を流しながら別れを告げました。 友人の帰国により、自分の留学生活もいずれ終わるという実感を再び抱き、残りの半年間で何を残せるか、何ができるかを改めて考えるきっかけになりました。 【総括】 7月は、自分にとってまさに“濃密”という言葉がふさわしい一か月となりました。冬の訪れを肌で感じながら、日常の学びや生活の充実、非日常的な冒険や異文化体験が入り混じり、これまで以上に多面的な経験を積むことができました。友人とのパーティや交流を通して生活も豊かになり、文化的な発見や気づきも多く得られました。 イグアスの滝への旅は、言葉では表せないほどの圧倒的な体験の連続でした。滝の轟音や濁流に飲み込まれそうな迫力、そして最終日の鳥公園で美しい鳥たちを間近で観察した瞬間、どれもが人生で忘れられない体験となりました。 7月を通して、学び、生活、旅、友情、異文化体験——すべてが繋がり、自分自身の成長を実感できた一か月でした。心も体も全力で動かし、充実した特別な時間を過ごせたと改めて感じています。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-06
【① 気候、衣服】 6月に入り急激に気温が下がり、長袖で過ごす日々が続いています。最近は、日没も早まっており、授業後に学食で夕飯を食べた後だと20時過ぎになってしまう為、そこから歩いて帰るのにはかなり体が冷えます。 私は、ブラジルには長袖と半袖だけ持ってきて、ダウンやジャケットなどの防寒着を持ってきていなかった為、近くのRENNER(UNIQLO的なファストファッションブランド)に行きジャケットを買うことにした。 種類も沢山あり値段も様々だったが、基本はそんなに高くなくダウンジャケットでも1万円は超えない。稀にダウンを着たくなるような極寒の日もあるが、基本はそこまで気温が下がないため、8000円くらいで人工皮革の革ジャンを購入しました。 8000円にしては素材も良く、風も通さない為当分はこのジャケットで快適に過ごしていけそうです。 (交換留学の予定の方は、薄めのダウンジャケットか軽くて、風を通さないウインドブレーカージャケットのようなものを持参することをおすすめします。もし日本で使っているものをブラジルに持っていくのが不安でしたら、お近くのワークマンを一度訪れてみてください。4000円もあれば、高性能な商品がかなり色々選べます。By 店員歴5年より) 【② 学校生活と授業】 6月になり、大きめのプレゼンテーションや課題、テストのシーズンに入りました。私が受講している文化人類学でもテストが行われ、先生の都合によりオンラインでの開催になった為、早く終わらせれば早く自由になれると喜んでいましたが、実際には設問が難しすぎて5問の問題を解くのに4時間を要しました。 普段の授業で集めていた資料を使ってこれだったので頑張っていなかったらどうなっていただろうとゾッとしました。私は例外で、テスト前に事前に先生からポルトガル語か英語好きな方法で回答していいと言われており、もちろんポルトガル語で答えようと思っていましたが、英語で回答してもギリギリでした。手応えはあったので、来月に結果が返ってくるのが楽しみです。 【③ 食事】 今までは学食があまり好きではなかったため、ほとんど利用していませんでした。しかし、食費のことを考えて少しずつ通い始めると、徐々に味も好みに合うようになり、今では学校のある日の食事はほとんど学食で摂るようになりました。入る時間を工夫したり、ドレッシングを変えたりすることで、混雑を避けつつ、健康的な食事を意識しています。自炊に関しては、そろそろ本格的な日本食が恋しくなってきました。今月はサンパウロへ行く予定があるため、リベルダージで日本の調味料を手に入れ、料理に活かせればと考えています。 【④ 生活】 銀行口座の開設 ブラジル到着から2か月が経ち、ようやく銀行口座を開設しました。 RNMがまだ完成していなくても、申請時に発行される顔写真付きの仮証明書とパスポート、マイナンバーカードを提示すれば、約1時間で手続きは完了します。 口座を持つ最大のメリットは、PIX(インターネット送金やQR決済が可能なサービス)を利用できることです。ブラジルはキャッシュレス化が非常に進んでおり、現金や日本のクレジットカードが使えない場所も少なくありません。そのため、PIXが使えるだけで生活が格段に便利になります。 実際に友人と食事に行った際も、代表して支払いして貰った場合、PIXで送金するのが一般的でした。これから留学に来る方は、RNMの登録が済んだらできるだけ早めに口座を開設することを強くおすすめします。 サンパウロ旅行 今月は、留学生活で初めての旅行としてサンパウロを訪れました。 ジュイス・ジ・フォーラからは飛行機の直行便がなく、長距離バスを利用することに。ブラジルのバスは比較的安価で、Wemobiを利用して往復約6,700円に抑えることができました。 最初は「本当に乗り場は合っているのか」「パスポートを忘れていないか」「荷物は正しく預けられるのか」と不安でいっぱいでしたが、スタッフの丁寧な対応のおかげで無事に出発。片道約8時間の移動も、映画を観たり外の景色を眺めたりしているうちにあっという間で、無事にサンパウロのRodoviária Tietê へ到着しました。 ブラジルのすき家 サンパウロで最初に訪れたのは、日本でもお馴染みの「すき家」でした。ジュイス・ジ・フォーラには店舗がなく、友人から噂を聞いていたので楽しみにしていました。 店内には多くの客がいて、「いらっしゃいませ」と声をかけられたときは、まだ日本を離れてそんなに月日が流れた訳ではないが、どこか懐かしい不思議な感覚を覚えました。メニューには牛丼やネギ玉丼といった定番のほか、ラーメンやしめじ丼、さらにはフライドポテトや餃子といったサイドメニューまであり、日本と同じようで少し違う新鮮さがありました。 私は最初ということもあり、あえてトッピングなしの牛丼を注文。日本の方が米や肉の甘みは強いものの、思っていた以上に「牛丼そのもの」で驚きました。アジア圏以外で日本のチェーンを味わえる機会は貴重で、特別な体験となりました。(価格は日本より約200円程高めでした。) リベルダージ 今回の旅行で一番楽しみにしていたのが、日本人街リベルダージです。 日本を思わせる建物や店舗が道路を挟んでズラッと並び、観光客だけでなく地元の人々でも賑わい、活気あふれる街並みに浅草の仲見世通りを歩いているような印象を受けました。 特に楽しみにしていたのは、日本食材を扱う「丸海」です。店内には菓子や調味料、食器まで日本の商品がずらりと並び、店員さんとも日本語で会話できるほど。ブラジルにいながら日本に一時帰国したような気分を味わいました。 結局、味噌・カレールー・みりん・ほんだしなどをまとめ買いし、1万円ほど使ってしまいました。価格は日本の倍近く(カレールー930円、みりん1L 1,500円、味噌1,800円など)するため、余裕があれば日本から持参するのが賢明だと思います。 サンパウロ動物園 サンパウロ動物園は、以前から訪れたい場所の一つでした。広大な森林を切り開いて造られた園内は、日本の動物園とは規模がまるで違います。 国鳥トゥカーノ、国獣ジャガー、絶滅危惧種のゴールデンライオンタマリン、アマゾンのカラフルなカエルやアナコンダなど、南米特有の動物を間近で観察できました。駆け足で回っても約3時間を要し、非常に充実した時間を過ごせました。 サンパウロ水族館 水族館でありながら動物園のように多様な生き物が展示されている、不思議な場所でした。世界最大の淡水魚ピラルクやピラニア、ニシキヘビのほか、ワオキツネザル、カンガルー、ミーアキャットまでいて驚かされました。 中でも楽しみにしていたのが、7か月前に誕生して話題となったシロクマの赤ちゃんです。基本的に動かない大人のシロクマとは違い、元気に走り回り、水に飛び込んで観客を沸かせる姿はとても愛らしく、癒やされました。 日本人の会 サンパウロで開催される「日本人の会」に参加させていただきました。これは、現地駐在員や留学生が集まり交流する場です。 他大学から来ている留学生とも出会い、キャリア形成や駐在員の役割、学生時代にしておくべきことなどをグループディスカッションやプレゼンテーションを通して話し合うことができました。懇親会では個別に相談に乗っていただいたり名刺をいただいたりと、将来進もうと考えている道で現役で活躍されている先輩方にお会いし、直接交流できたことは、今後の人生やキャリアを考えるうえで非常に貴重な経験となりました。 LGBTプライドパレード サンパウロで毎年行われるLGBTQ+のプライドパレードにも参加しました。パウリスタ通りに約400万人が集まる世界最大級の規模で、圧倒されました。 虹色の衣装や扇子を手にした人々、ドラァグクイーン、巨大トラックから流れる大音量の音楽と白煙、通り全体が巨大なクラブのようになり、熱狂と混沌に包まれていました。日本では到底見られない規模の社会運動であり、自己表現のあり方として日本でも参考にするべき点が多くありました。 栃木県民会と盆踊り 最後に参加したのは、サンパウロで開催された「栃木県民会」です。 20世紀初頭に栃木からブラジルへ移住した日系人とその子孫が受け継いできたコミュニティで、日伯外交樹立130周年を記念したイベントでした。 劇や盆踊り、カラオケ、流しそうめんなどが行われ、日本文化とブラジル文化が融合した独特の雰囲気に包まれていました。特に流しそうめんは、暖かいスープに錦糸卵やナルトが添えられ、ブラジルらしいアレンジが加わっていて印象的でした。 【総括】 6月は気温の低下や授業・課題の多忙さ、生活面での変化を実感した一か月でした。長袖やジャケットの準備不足を補うための買い物、銀行口座開設、学食での食生活改善など、日常生活の工夫が求められました。 また、サンパウロ旅行やリベルダージでの日本食材購入、動物園・水族館の訪問を通じて、ブラジルの文化や自然に直接触れることができ、異文化理解を深める貴重な体験となりました。加えて、日本人の会や栃木県民会、LGBTプライドパレードへの参加では、現地で活躍する先輩方や多様な人々と交流する機会を得ることができ、将来のキャリアや自己表現のあり方について考えるきっかけにもなりました。来月も引き続き、多様な体験や交流を通して、留学生活をさらに充実させていきたいと考えています。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-05
月次報告書5月分
慣れて来た矢先に点滴治療
ブラジルに来てから1ヶ月半が経過し、生活にも慣れて毎日楽しく過ごすことができています。日本では大学、部活、バイト、勉強、遊びと忙しなく過ごしていましたが、こちらでは田舎という環境もあり、ゆったりと余裕をもって生活できていることが最近の喜びです。 日に日に知っていることや場所、友人が増え、自分の世界が広がっていくのを実感しています。もちろんずっとゆったりはしていられませんが、この束の間の1年間を実りあるものにするために努力しつつ、この心の余裕も忘れずに過ごしていきたいと思います。 【① 気候、衣服】 日中はまだ暖かく半袖で過ごせますが、日没後や夜は肌寒い日が増えてきました。地形の影響もあり、日や時間によって気温差が大きいため、体調を崩さないよう注意しています。 今月は雨の日が増えると予想していましたが、実際にはあまり降らず、日本から持ってきたカッパはまだクローゼットの奥で眠っています。 【② 学校生活と授業】 履修登録を無事に終え、本格的に授業がスタートしました。先月は始まっていなかった授業も開講され、勉学に力を注ぐ日々が続いています。 (余談ですが、文化人類学と写真の授業は、結局履修前に体験することができませんでした。こればかりは仕方のないことですが、もし早めに DRI などに相談していれば多少状況が変わっていたかもしれません。今後交換留学される方は、積極的に大学の事務局などに相談することをおすすめします。) 授業を通して次第に友人も増え、授業後に車で食事に連れていってくれる機会が増えました。彼らは、「日本での生活」、「何でブラジルに来たのか」、「何でこの大学を選んだのか」など、日本人がジュイス・ジ・フォーラいることに対しかなり強い興味と関心を持っています。そのため、これらの話題がきちんと話せると、仲良くなるスピードも早いように思います。また、状況に合わせてスラングを使うと、外国人が使ってるという不自然さもあり、場が盛り上がることも多く、良いコミュニケーションのきっかけになっています。 特にサッカーの授業では、月に一度ほど学んだ戦術を実際にフィールドで実践する日があります。一緒にボールを蹴って、言葉以外でも意思疎通をすることで一体感が生まれるため、スポーツ系の授業は友人を作るのにとても良い機会になると思います。 ブラジルの授業は課題が少ない一方で、レポートやテストの比重が大きいのが特徴です。テストは一問一答形式ではなく、設問に対して自分の考えを200〜400字程度で記述する思考力重視の形式が多いように感じます。そのため授業中の内容を必ずドキュメントにまとめるよう心がけています。スライドを使わない先生も多いため、資料なしで理解するのは難しい場面もあります。現在はテスト期間ということもあり、「Whisper」という翻訳・文字起こしアプリを利用して、授業内容の記録漏れが起こらないように工夫しています。 【③ 食事】 食事は、4月に引き続き自炊が中心ですが、夕食の時間帯の学食は、混雑が少ない上に昼にはないパンやスープが付いてくるため、取ってきたパンをスープと食べたりオリーブオイルと塩で食べたりすることで、味のバリエーションを広げ飽きが来ないように工夫しています。 自炊では、各スーパーで手に入る食材や価格感覚が分かってきたため、オムライス、アヒージョ、カレー、親子丼など、日本でもよく食べていた料理を作り、食生活でストレスを感じないよう工夫しています。最近は本格的なアサイーを作るためにブレンダーを購入し、材料を少しずつ変えて「自分にとってベストなアサイー」を研究することが日課になっています。 また、毎週末に開かれるフェイラ(市場)では、日系人家族の方が焼きそば、肉まん、ラーメン、おにぎり、餃子、饅頭、メロンパンなどさまざまな日本食を販売しています。自炊が面倒な方には、平日は学食、週末はフェイラで日本食という生活スタイルをおすすめします。 【④ 生活】 生活では実は苦しい出来事がありました。5月中旬に体調を崩し、最終的に病院で点滴を受けることになりました。 最初は咳と鼻水が少し続くだけだったため、季節の変わり目の風邪だろうと放置していました。しかし数日後、容体が急変し、嘔吐と下痢が止まらず、熱も38.8度まで上がり、自力で動けなくなってしまいました。体調が悪化したため、病院を利用しようとしましたが、地元の病院の利用方法を事前に調べていなかったため使い方が分からず、同じアパートに住む友人に助けてもらい、24時間対応の病院「UPA」へ行くことができました。診察の結果は原因不明でしたが、症状からウイルス性の食中毒かデング熱の可能性があると診断されました。病院では1時間ほど抗ウイルス用の点滴治療を受け、その後4日ほどは固形物を食べられず、病院でもらった塩を水に溶かしたものだけを摂取して過ごしました。 日本でも辛いレベルの病気を異国で、しかも言葉も十分に通じない中で体調を崩すのは想像以上に不安でした。これから留学する皆さんには、少しでも異変を感じたら迷わず病院に行くことを強くおすすめします。躊躇する必要はないので、手遅れになる前に受診することが大切です。 一方で、週末には出かける機会も増え、今月はブラジルに来て初めて友人の誕生日パーティに招いてもらいました。ブラジルの誕生日パーティは、日本とは雰囲気が大きく違います。参加者はお菓子や飲み物を持ち寄り、主催者が用意したご飯やケーキを皆で囲んで過ごすのが一般的で、今回の規模では20人近くが集まりました。 特に印象的だったのは、パーティの終盤に行われたケーキを囲んでのお祝いのシーンです。誕生日の歌は1曲で終わらず、「Parabéns pra você」の後に「É pique é pique」「É hora é hora」と続く別の祝い歌が歌われます。その後、「Primeiro pedaço」という儀式で主役が最初のケーキを一番大切な人に渡し、さらに主催者が参加者への感謝や今年の抱負を簡単に述べてから、ようやくケーキを食べ始めます。 ブラジルの誕生日パーティは、祝うシーン自体が非常長く、日本と比べて“誕生日”という日をしっかり祝う文化だと強く感じました。 会場全体の盛り上がりも想像以上で、まさに“お祝いの場をみんなで楽しむ”というブラジルらしい雰囲気に圧倒されました。自分も11月に誕生日を迎えるので、せっかくならブラジル流のスタイルでパーティを開催し、この文化を自分自身でも体験してみたいと思います。 【総括】 留学生活は楽しいことばかりではなく、思いがけない困難もありますが、その一つひとつが貴重な経験になっています。友人との交流や授業でのディスカッションを通じて、言語力やコミュニケーション能力、異文化理解も着実に広がっているのを感じます。 健康面では予期せぬ病気を経験し、異国での生活におけるリスク管理や、迷わず助けを求めることの大切さを学びました。この経験は、今後の生活や留学での判断にも大いに役立つと感じています。 今後は、より積極的に現地の文化や社会を体験し、授業や日常生活で得られる学びを最大限に活かしていきたいです。心身の健康と余裕を大切にしながら、留学生活を充実させる努力を続けていきます。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-04
月次報告書4月分
留学開始
目次 長文になってしまうため目次形式にしました。ご自身に必要な箇所をお読みいただければ幸いです。 ①渡航 ②滞在先・住居 ③食事 ④通学・交通 ⑤携帯・通信 ⑥授業・学生生活 ⑦気温・天候・衣服 ⑧友人関係 ⑨現地での生活・治安 【①渡航】 • 成田 NRT→チューリッヒ ZRH→サンパウロ GRU →リオデジャネイロ GIG →Rodoviária do Rio →Shopping Independência 渡航費総費約15万円 費用を抑えるため到着時間(あまり遅い時間に到着すると危険な為)のみを条件にSkyscanner を利用して検索・予約を行いました。 私の場合は、オプションを最低限にしたことで、この価格に抑えることが出来ました。 今回利用したスイス航空は、渡航中の不満もなく、サービスも安定していたため、費用を抑えたい人には非常におすすめ出来ます。 私は到着予定日を授業開始の1週間前に設定しましたが、実際には到着前日に交流会が行われてしまい参加が叶いませんでした。 オリエンテーションの日程については、日本にいた間から大学に何度か確認メールをしていましたが、航空券を取る時点ではまだ日程の詳細を得ることが出来なかった為、到着日は、授業開始の2週間前から10日前に設定するのが理想的だと思います。 それでも後日、大学の説明を個別に受けることができたので、参加せずとも特に支障をきたすことはありませんでした。 • 自分が工夫して良かったこと  ブルーリボンバッグ 760円 着陸から96時間以内に荷物が届かなかった場合、最大15万円まで保証されるサービス。オンライン上で荷物の所在を確認出来たのも安心材料でした。 オンライン自動チェックイン 720円 出発の24〜48時間前に自動でチェックインし搭乗券が発券されるサービス。チェックイン忘れ防止と、空港での手続き時間短縮に役立ちました。 エアークッション2200円 Amazonで事前に購入したもの。長時間フライトによる腰やお尻の負担を軽減でき、背中にも使用可能。結果的に移動中の疲労感が大幅に軽減され、個人的には必須アイテムでした。 • 移動中のトラブル  スーツケースの受け取りに時間を要する  サンパウロ空港では、実際に受け取りまで約50分かかりました。 リオデジャネイロ空港でも正確な時間は記録していないものの、同様にかなり待たされた印象があります。そのため、空港到着後にそのままバスを利用する方は、十分に時間の余裕を持って予約することをおすすめします。 • リオデジャネイロ空港 → Rodoviária do Rio の移動  Uberを利用して移動しましたが、飛行機の遅延+荷物取得トラブル+渋滞により、バスターミナルには、元来の到着予定時刻から40分後に到着しました。 • バスチケットの取得  チケットは友人に取得してもらいました。 Wemobiという格安バス予約サイトがブラジルでは一般的ですが、支払い方法がやや複雑なため、 元留学生や現地のサポートを受けられるならこちらの利用がおすすめです。 • 治安、安全  最終的に自宅に到着するまで、大きなトラブルはありませんでした。 ただし、Rodoviária do Rio(バスターミナル)では要注意です。 人も多く、大きなスーツケースを持ったアジア人というだけで目立つため、周囲への警戒は常に必要と感じました。 自分の場合は運良く、ドイツ系ブラジル人の親切な男性に声をかけてもらい、4時間の待機時間を安全かつ楽しく過ごすことができました。 一方で、他の方からは「この場所で話しかけてくる人は誰も信用するな」と書かれた注意喚起のメモをスッと手渡されるという映画のような体験もありました。警戒をするに越したことはありませんが、本当に親切な人もいるということを実感した場面でもありました。   飛行機、バスを含む全移動中、自分は見事に寝落ちしていましたが、幸運にも何事も無く無事でした。バスでは、寝る直前まで世間話をしていた隣の席の親切な女性が自分の目的地の直前に起こしてくれたおかげで寝過ごすという最悪のパターンを回避しました。 (もちろん不用意な危険を回避する為、寝ないほうが良いに決まってます景色でも堪能してください) 降車後は、バス停にブラジル人の友人が迎えに来てくれたので彼女と共にUberで自身のアパートまで向かいました。こちらのバス停は、Rioと違いとても雰囲気が良く、少し暗い時間であったものの恐怖心を覚えることは無くやっと安全地帯に入ったのだなと感じました。 【 ②滞在先・住居】 • 住居確保  多くの方は、先輩が住んでいた部屋に入居するパターンが多いそうですが、自分はより多くリアルな意見を参考にしたかったので以前神田に留学していた友人にサポートをお願いしました。 その結果、友人の知人でアパートのオーナーをしている方を紹介してもらい、彼と直接連絡先を交換する事が出来ました。 当初は現地到着後に住まいを探すつもりでしたが、「その時期には大学の新入生の入居ラッシュで物件が少なくなる」という情報を受け、日本にいるうち(1月下旬頃) から連絡を取り合い、事前に住居を確保する運びになりました。 友人と一緒に複数の物件を見て回ってもらい、写真や動画付きで紹介してもらった中から、最終的に自分の求める条件を満たす物件を選ぶことが出来ました。 この物件は、紹介してもらったオーナー自身の所有物件で、入居希望を伝えた段階でキープしておいてくれた点も安心できる要素でした。 また、あらかじめ物件条件として「家賃は850レアル以下が良い」という希望を伝えていたため、友人価格で割引してもらうことができ、結果的に元の家賃よりも安い金額で契約できました。 • 家探しのコツ  滞在先を探す際に役立ったのが、Viva Realという物件検索アプリです。 それ以外にも、FacebookなどのSNSにはジュイス・ジ・フォーラの学生向けにアパート情報を掲載している個人やグループがあり、República(学生シェアハウス)の募集投稿も頻繁に見かけました。これらも家探しの際には大いに参考になります。 治安面を考え1階物件を避けたり、アパートなら顔認証物件を探すのも良いと思います。 (ブラジルだと顔認証は一般的で、アパートなら大体付いてます。)  私は、「mobiliado(家具付き)」の物件を契約したため、基本的な生活用品は最初から揃っており、到着後すぐに生活を始めることができました。 事前に家を決めておくことで、パッキングの段階で「何を持っていくか」に悩む必要が減るため、荷物を最小限に抑えられるのも大きなメリットだと感じます。 実際、私は掛け布団やハンガー、本棚などを現地の友人や同居人から譲り受けたため、生活用品の購入はほとんど不要でした。 (必要ならHavan Juiz de Fora、Independência Shopping に行けば大抵手に入ります。)  また、住む場所についてはSão Pedro(サン・ペドロ)地区を選んでおけば間違いないと思います。 São Mateus(サン・マテウス)やCentro(セントロ)も選択肢にはなりますが、場所によっては大学までやや距離があることも。 (場所によります、私自身、São Pedroに住んでいますが、徒歩で約40分ほどかかっています。) • シェアハウスでの生活  私の住居はシェアハウスですが、学生同士ではなく一般の方と一緒に住んでいます。 同居人は少し年上の親切な方で、初日にハウスルールを決め合い、共有スペースの家事の分担なども行いました。 基本的にはお互い自分のことは自分で行い、共有スペースや家具や消耗品の購入は二人で折半。 シェア生活で困ることは特になく、むしろ助かることばかりです。 トイレやお風呂、洗濯機などの使用方法が日本と大きく異なるため、生活の中で発生した疑問を何でも気兼ねなく聞ける良き友人となっています。 個人の部屋には鍵があり、プライベートも確保されていますし、騒音もほとんどありません。 この点は、最終的には「良い同居人を引けるかどうかの運」ですが、うまくいけば本当に心強いパートナーになってくれます。(ちなみに、まだ喧嘩は一度もしていません!) 【 ③食事】    食事は基本的に自炊しています。 大学内の学食(RU:Restaurante Universitário da UFJF)は非常に安価(約35円)ですが、メニューがほぼ同じで飽きてしまうため、私は自炊で自由に食べたいものを作っています。 学食の様子はネットで「RU UFJF」で検索するとすぐに写真が出てくるので、ご興味のある方は参考にしてみてください。学食のメニューは基、ご飯・豆・肉・野菜・フルーツなどのワンプレートで提供され、お肉とフルーツが日変わりになります。 またワンプレートに好きな量を自由に盛り付け可能なので、お腹いっぱい食べることも出来ます。 スーパーでは、醤油や日清カップラーメン、味の素など、日本の食材も見かけますが、品ぞろえはそこまで多くありません。(ちなみに、UFO焼きそば味もありますが、美味しくないです。) 白米も売っていますが、日本の米とは少し食感が違い、細長くてパラパラしています。 また、私の住まいはmobiliado(家具付き物件)ですが、炊飯器は備わっていなかったので、鍋でご飯を炊いています。 冷蔵庫や食器は同居人と共有しており、鍋などの調理道具を使った後は、すぐに洗って片付けることをルールとしお互いにストレスが溜まらないように工夫しています。 私は、日本からは特に食材は持ってきませんでした。せっかくブラジルに来たので、現地の食材を使っていろいろな料理を試しています。 最悪、アジア物産店やサンパウロのリベルダージに行けば、大抵手に入ります。 (日本食が恋しくなると予想される方は、みりん、酒、味噌、ほんだし、カレールーあたりを持参すると良いでしょう。この辺は、ジュイス・ジ・フォーラでは入手が難しくリベルダージでも値段が高いです。参考までに→みりん1300円、味噌1700円、カレールー900円) 生魚(刺身など)はほぼありませんが、ブラジルは牛肉が日本よりずっと安く、ミナスチーズを使った料理など、日本ではなかなか味わえない食材に出会えます。 現地の食文化を楽しむことも、留学の醍醐味だと感じています。 【 ④通学・交通】 • 通学 通学は、徒歩で40〜50分ほどかかります。 大学の敷地は広大で、学部によって建物が遠く離れているため、到着時間にはかなり差が出ます。 キャンパス内は坂道や階段が多く、徒歩移動はかなり体力を使います。(ほぼ山登りです。) その代わり、大学内には無料バスが運行されており、各学部や学食(RU)に停まり、キャンパス内をぐるっと一周してくれるので、遠い学部に行くときはとても便利です。 ただ、昼時以外は本数が少なく、いつ来るかわからないので、時間帯によっては歩いた方が早いこともあります。 • その他の移動  通学以外の移動は、主にUber Bikeを利用しています。 車よりもバイクの方が3〜5割ほど安く、渋滞をすり抜けられるので早く到着できるのが魅力です。 ただし、背もたれのないバイクも多く、坂道を時速60kmほどで走るので、最初は少し怖いかもしれません。 (※ ジュイス・ジ・フォーラは安全な街なので、走行中にスリに遭う心配はありません。ただし、他の都市ではその街に合った安全対策を取ってください。) また、Uberのほかに「99」という配車アプリもあり、時間帯や混雑状況によってはこちらの方が安いこともあります。(配車サービスは混雑時や時間によってに高騰するため) 私は、2つのアプリを併用して、そのときに安い方を選んでいます。 ドライバーさんは親切で、到着が遅れた場合に割引してくれたり、「帰りも自分を呼んでくれるなら行きと同じ料金で帰れるよ」など、粋な対応をしてくれる事もあります。 (ドライバーさんの顔もアプリで確認でき、過度な請求をされた事も無いので安心して利用出来ます。 ただ、走行中平気で斜め後ろを向いて「どこの国から来たんだ?」などの質問をしてくるので若干ヒヤヒヤします。) 【 ⑤携帯・通信】 • 携帯 最初の1週間は、携帯をストラップで体にかけて、外でもなるべく使わないようにしていました。 ただ、ジュイス・ジ・フォーラは想像以上に安全で、今では人混みに行くとき以外はストラップを付けずそのまま使っています。 留学前は、「iPhoneは高値で、アップルマークが見えると狙われる」と聞いていましたが、実際にはブラジル人のiPhoneユーザーは意外にも多く、約半数がiPhoneを利用しています。 私も安全対策のため、古いのiPhoneを持参しましたが、使う機会はなく、そのまま15Proを使っています。 (※ ただし、これはあくまでジュイス・ジ・フォーラでの話なので、他の地域では対策は必要です。) • 通信プラン 回線は、最初の15日間はAhamoの海外プランを利用し、その間にSailyのE-simに切り替えました。 E-simならSIMカードを入れ替える必要がなく、帰国の際もオンラインで解約できるので便利です。 Saily契約後は、AhamoをPovoに乗り換えて、電話番号だけを残し、基本料金0円にしています。 (Sailyの契約にはCPFや現地住所が必要なので、事前に準備しておくのが重要です。  また作業は、全てブラジルについてからネット上で行いました。) 大学内にはWi-Fiがありますが、場所によっては届かないこともあるため、月10GB〜20GBくらいの契約にしておくと安心でしょう。 【 ⑥授業・学生生活】 • 授業  ジュイス・ジ・フォーラ大学では、留学生むけの授業は1以外なく、「外国人のためのポルトガル語」以外は、基本的に現地の学生と同じ授業を受ける必要があります。 そのため当然、授業内容、進行、解説スピードは現地レベルで行われるので、スライドなどの資料を見ながら先生の話を聞くのは至難の業です。(また授業によってはその集中を4時間持たせないといけないものもあります。) 日本にいる間に「どの分野・授業を取りたいか」をあらかじめ決めておき、その授業に必要な基礎知識やそれに関連するポルトガル語の単語をある程度調べておくと良いと思います。必要な時にすぐ確認できるようにメモなどを作っておくと、授業が格段に楽になります。 授業中に現地の学生に助けられることもありますが、彼らも自分の勉強が第一です。 当然ながら、助ける義理も余裕もありません。 彼らに迷惑をかけないよう、できるだけ自力で頑張り、どうしても分からない語彙や課題についてだけ協力や説明をお願いするのが礼儀だと思います。 一方で、ブラジルの授業では日本に比べて発言や質問が非常に多いです。 「この部分がこのように分からない」とはっきり伝えれば、先生は丁寧に説明してくれるので、遠慮せずにどんどん質問するのが大切です。 (日本だと「先生が話している時は静かにする」という文化があるので、最初はなかなか勇気が出ないかもしれませんが、せっかくの海外生活ですし、ここは「自分ファースト」で挑戦してみてください!嫌な顔をされることはなく、むしろ応援してくれるようにすら感じます。) 実際、先生に「スピードが早く授業についていくのが難しい」と授業後に伝えたところ、WhatsAppやメールで次回の授業内容や話す予定のメモを送ってくれたこともありました。 唯一避けられない問題を挙げるとすれば、私の履修予定の授業の内2つが、先生がバカンスから戻ってこず、新学期最初の2週間、授業が全く開講されないことがありました。また30分ほど遅刻してくるとも日常です。不安なときは、各学部の事務室(Secretária)に行って、必ず状況を確認するようにしましょう。 • 国際戦略部(DRI)のサポート  大学には、国際戦略部(DRI)という留学生の生活を支援してくれる部署があります。 ここにいる職員さんは、皆とても親切で、授業のことや日常生活の悩みまで、あらゆる相談に真摯に対応してくれます。 実際、私が外国人登録(RNM)の手続きでサーバーエラーが発生しうまくいかなかった時も、自分たちの業務があるはずなのに最後まで手伝ってくださり、さらに、登録料の支払いのために学外の宝くじ売り場まで同行してくれるなど本当に最後の最後まで熱心なサポートをしていただきました。 また、神田外語に留学経験がある、日本語が堪能なHugoさんという方もいて、ポルトガル語で相談するのが難しくても日本語で相談ができるという環境があるのはとても心強いと思います。 【 ⑦気温・天候・衣服】 • 気温・天候 4月の気温は、25℃前後の残暑が続き、基本的に暖かいです。 ただ、標高が高く木々も多いため、朝晩は冷え込むことがあり、気温差が激しいです。 そのため、薄手のパーカーやジャケットを持っていると便利です。 雨はほとんど降らず、2週間に1度程度しか降らない印象です。基本的には快晴の日が続いています。 • 衣服 服装は、日本で着ていたものをそのまま使っています。ブラジル人の学生もおしゃれな人が多く、日本の服でも全く浮きません。当初は、「現地で服を買ったほうが目立たないかな?」とも思っていましたが、アジア人というだけで目立つので、無駄な出費を抑えるためにも日本から持参した服で十分だと感じました。 ただ、道路がかなりでこぼこしているので、トレッキングシューズ風のスニーカーを持参することを強くおすすめします。 【 ⑧友人関係】  ジュイス・ジ・フォーラでは、事前に申請した留学生に対して、必ず1人のバディがつきます。 バディは、留学前の手続きサポートから現地での案内まで、大学生活をあらゆる面で支えてくれる頼れる存在です。 また、ジュイス・ジ・フォーラ大学には、神田外語大学に留学経験のあるブラジル人学生が多く、私の到着日にはバス停まで迎えに来てくれたり、布団や生活用品を分けてくれたり、スーパーでの買い物の仕方やおすすめのレストランを教えてくれるなど、本当に多くの場面で助けてもらいました。 彼らのおかげで、友人関係もすぐに広がり、何か困ったことがあった時にはすぐに相談できるので、とても心強い存在です。 ポルトガル語の勉強を日本にいる間に頑張るのはもちろん大切ですが、彼らと仲良くなっておくことも、現地でスムーズな生活を送るためには同じくらい大事だと思います。 また、彼らは日本の食材や製品をとても恋しがっているので、お土産として持っていくととても喜んでくれます。 私は犬夜叉のフィギュアや一蘭のラーメン、KUISのTシャツ、かつお節など、友人たちとの思い出の品や、頼まれたものを持っていきました。 【 ⑨現地での生活・治安】  ジュイス・ジ・フォーラは基本的には安全な街とされています。現地の人たちもあまり警戒せずに暮らしており、私自身も不安なく生活できています。 ただし、大学近くのDom Bosco地区は危険地帯と言われており、実際に深夜2時頃、ブラジル人の友人とタクシーに乗っている際に薬を買わないかと声をかけられたこともありました。また、Centro付近ではマリファナを吸っている人を見かけるので、場所や時間帯には注意が必要です。とはいえ、日本にも危ない場所はあるので、似たような感覚でいれば問題ないと思います。堂々とした態度でいることも大切です。 個人的に最も気をつけるべきだと感じるのは車です。ジュイス・ジ・フォーラは完全に車社会で、歩行者優先の意識はほとんどありません。信号も少なく、カーブミラーもない道が多いため、犯罪よりも車に轢かれるリスクの方が高い印象です。細心の注意を払うようにしています。 また、野良犬も多く食べ物を持っているとずっと付いてくることがあります。実際、昨年度ブラジリアに留学していた学生が、大型の野良犬五匹に対して威嚇行動をし、興奮した彼らに足を噛まれ負傷するという凄惨な事故がありました。万が一、狂犬病などにかかってしまったら大変なので、こちらも注意を払うようにしています。 【最後に】  ここまでご覧いただき、ありがとうございました。 私自身、まだブラジルに来て1ヶ月ほどですが、既に多くの文化の違いを実感しています。特に「外国人として見られること」に、強いカルチャーギャップを感じることが多くあります。 日本にいた頃、珍しい国籍の外国人とすれ違うと、思わず目で追ってしまったり、話しかけるのを躊躇ってしまったことがありました。けれど今は、私たちがその立場にいます。現地の出来上がったコミュニティに入っていくことは簡単ではなく、授業中に孤立してしまうこともしばしばです。 でも、今ではそれを必要以上に気にすることはなくなりました。それは、新たな視点を得たからです。 日本にいた頃、私自身も、同じ授業に参加していた留学生に対して、丁寧には接していたものの、自分から積極的に話しかけたり、彼らがコミュニティに入れるように働きかけたりすることはできていませんでした。 立場が逆になった今、当時の彼らの気持ちが少し分かる気がします。 仲間外れにする気があったわけではなくても、「何を話せばいいかわからない」「自分から近づくには少し勇気がいる」そう感じていたのだと思います。 それとまったく同じことが、こちらでも起きているだけなのです。現地の人たちも、私たちを嫌っているわけではなく、「どう接したらいいのか分からない」だけなのだと思います。 だからこそ、私たちから一歩踏み出すことがとても大事なのだと感じています。 そう考えるようになってからは、気持ちも前向きになりました。 授業後には、勇気を出して思い切って大人数のグループに声をかけ、自分のことを話すことで、一気に友人ができ、今では一緒にお昼を食べる仲にもなりました。 また、すれ違いざまに子どもたちが「Japonês? Koreano?」とヒソヒソ話しているときには、「Sou japonês!」と笑顔で声をかけるようにしています。日本でも、世界には色んなルーツを持つ人がいる事を知っている大人より、まだ自分の世界が狭く、無邪気な子ども達のほうがつい視線を送ってしまうことってありますよね。 「そういうものなんだ」と理解できれば、不安になる必要はまったくないのだと感じています。 ブラジルでは、毎日が新しい体験の連続です。初めてのことに戸惑ったり、考え込んだりすることもあります。でも、留学とはそういうもので、自分の可能性や視野を大きく広げてくれる挑戦だと思います。 不安もたくさんあるかもしれませんが、「今」しか得られないことが必ずあります。もし少しでも留学に興味がある方がいたら、ぜひ一歩踏み出してみてください。 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。 次回の投稿も、どうぞお楽しみに!
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
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