Davi/Masakiの報告書一覧
プロフィール
学科
イベロアメリカ言語学科
学年
4年
専攻
ブラジル・ポルトガル語専攻
留学期間
2025-04-01 ~ 2026-01-31
留学種別
交換
1~10件目 / 10件中
2026-01
【① 気候、衣服】  1月の気候は、不安定そのものだった。今月はジュイス・ジ・フォーラ、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロなど複数の都市に滞在したが、いずれの地域においても、真夏日を思わせる強い暑さを感じる日があった一方で、長袖が必要と感じるほど気温が下がる日もあり、日による寒暖差が非常に大きかった。  月を通した気温の目安としては、最低気温が約16℃、最高気温が約33℃程度であり、天候によって体感温度が大きく左右される印象を受けた。特に晴天時の日差しは強く、同じ気温であっても、日本のような蒸し暑さではなく、日差しそのものによる暑さを強く感じる場面が多かった。また、日差しの影響により、1日屋外を歩いているだけでも肌が大きく日焼けしてしまうことがあるため、日焼け止めに加え、現地で広く使用されているPos sol(日焼け沈静用アロエジェル)などを携帯することの重要性を実感した。     さらに、11月頃から雨の日が増え始め、1月に入ってからも降雨の頻度は高い状態が続いている。ブラジルの雨は短時間で激しく降る、いわゆるスコールのような形態が多く、外出前に天候を確認する習慣が欠かせないものとなった。現地で販売されている雨具は簡易的なものが多く、耐久性の面で不安を感じる場面もあったため、日本から高性能なレインウェアや折り畳み傘を持参することは、実用面で大きな利点があると感じた。私は上着用のカッパのみを持参していたが、防水性のある靴や下半身用の装備を用意していなかったため、この点については少し後悔している。 【② 学校生活と授業】  今月は後期の最終月にあたるため、各授業においてテストが実施された。テストの形式はオーラルテストや筆記試験、プレゼンテーションなど多岐にわたり、後期を通じて身につけた語学力や理解度が総合的に問われる内容であった。前期と同様に、単なる暗記では対応できない設問が多く、準備にはかなりの時間を要した。 特にオーラルテストでは、即興的な受け答えや自分の意見をその場で組み立てて発話する力が求められ、単なる知識量だけでなく、実際に使える言語運用能力を重視する授業方針が明確に表れていると感じた。  また、この1年間の留学生活を通じて多様な授業に参加し、多くの学びを得てきたが、今月でそれらすべてが終了したことで、留学としての1つの大きな節目を迎えたことを強く実感した。 日々の授業に追われていた期間は長いようで短く、学習が日常の一部として定着していたからこそ、その終わりを迎えた際には静かな寂しさを覚えた。  しかし、後期の終了をもって私の学生生活における全授業が完結した現在、これまで受講してきた授業を改めて振り返ると、受講して後悔したものは1つもなく、いずれの授業においても、自身の語学力のみならず、異なる価値観に向き合う姿勢や考え方そのものを広げる貴重な経験になったと感じている。これらの学びは、私の今後の学習や将来の進路を考えるうえでも重要な基盤になると確信しており、改めて自身で選択してきた進路が、意義のあるものであったと認識する契機となった。 【③ 私生活】 リオ・デ・ジャネイロ/コパカバーナビーチでの年越し  2025年も大晦日を迎え、海外で初めて新年を迎えることとなった。昼過ぎ、地球の反対側にある日本ではすでに年が明けており、LINEや Instagramなどの SNS上には「明けましておめでとう」という言葉が次々と流れていた。画面の向こうでは新年が始まっていて、自分だけがまだ2025年に取り残されている状態に、時差というものをこれまで以上に強く意識させられた瞬間だった。  大晦日のリオ・デ・ジャネイロは、日本で一般的に見られる落ち着いた年末の雰囲気とは大きく異なり、観光都市であることも相まって、街全体がお祭りのような高揚感に包まれていた。留学前から、2026年の年明けはコパカバーナビーチで迎えたいと考えていたため、この日はブラジル人の友人とともに、伝統に倣って全身白い服に着替え、夕方17時頃、早めにコパカバーナへ向けて出発した。 (ブラジルでは、新年に平和や幸せを願い、白い服を身に着ける習慣がある。また、年明けに海へ入り、7回波を越えながら願い事をするという伝統的な儀式もある。)  当日のコパカバーナ周辺は想像以上の混雑で、19時以降の車両の進入が閉鎖されていたため、主な移動手段は公共バスや電車、徒歩に限られていた。バスは乗車率が100%近く、途中乗車が難しいほどであるが、友人から事前に情報を得ていたため、私たちは始発から乗車することで大きな支障なく現地へ向かうことができた。年末に同地を訪れる際には、ブラジル人と一緒に行くか事前の情報収集が重要であると感じた。  ビーチに到着すると、前面の道路は歩行者天国となっており、街中から集まった多くの人々で溢れていた。リオの年末年始は治安面に不安を抱いていたが、実際には警察官や機動隊の姿が至る所にあり、周囲の雰囲気も含め、想定していたほどの不安は感じなかった。ビーチに設置された特設ステージでは、有名アーティストによるライブが絶え間なく行われ、日本の年末とは全く異なっていた、音量も規模も規格外で賑やかな年末の光景が広がっていた。  当日は10数名のグループで訪れていたため、カンガを6〜7枚ほど敷き、それぞれが持ち寄ったお菓子やジュースを囲みながら、年明けの瞬間を待った。カウントダウンが始まると、多くの人々が一斉に海の方向へ集まり、身動きが取りづらいほどの混雑の中で空を見上げていた。  「0」の掛け声と同時に、夜空を覆い尽くすような花火が一斉に打ち上げられ、その迫力に圧倒された。日本の花火大会と比べても規模は非常に大きく、日本でいうクライマックスに相当する花火が、約30分間にわたって続いた。周囲は拍手と歓声に包まれ、その場にいる全員が同じ瞬間を共有し、一体感を強く感じた。  その後はドローンショーが始まり、夜空にコルコバードのキリスト像が描かれたり、「2025」から「2026」へと数字が切り替わる演出が行われたりする様子を見ることができた。日本の伝統的で静かな新年とは異なる、賑やかで祝祭的な年明け、そして初めて目にした大西洋から昇る初日の出、すべてが新鮮で強く心に残る体験となった。ここで新年を迎えられたことで、今年もまた新たな挑戦に前向きに取り組んでいきたいという気持ちを一層引き締めることができた。 帰国する友人達  1月を迎え、UFJFではまだ授業が継続しているものの、ストライキの影響を受けていない他大学では学期が既に終了しており、それぞれ母国へ帰国する友人たちが出始めた。 1年間という限定的な期間ではあったが、多くの時間を共に過ごした友人が次々と帰っていく現実は想像以上に寂しく、次はいよいよ自分の番なのだと思うと、ブラジルでの生活が一層名残惜しく感じられた。  私を含む帰国予定の留学生組と現地の学生達で Despedida(お別れ会) を開き、これまでの留学生活を振り返りながら思い出を語り合い、写真を撮り、さらには互いにメッセージを書き合うなど、限られた残りの時間を惜しむように過ごした。中には、別れを前に涙を流してくれる友人や、わざわざサプライズプレゼントを用意してくれた友人もおり、その瞬間、自分がどれほど多くの人に支えられ、恵まれ、そして大切に思われていたのかを強く実感することができた。  留学生活の終わりが近づくことは寂しく、時に辛さも伴います。しかし、ここでしか出会えなかった友人や、ここでしか得られなかった経験、そして数えきれない思い出が胸に刻まれているからこそ、心から「留学をして本当によかった」と思えました。 アマゾン旅行  ブラジルでの最後の旅行先として、私はアマゾン州の州都マナウスを選びました。 アマゾンは説明不要な地球の肺であり、ブラジルをブラジルたらしめている象徴的な地域でもあります。世界最大の流域面積を誇るアマゾン川と、広大な熱帯雨林を有するこの地を、自分の目で確かめずに帰国するわけにはいかないと感じていました。  リオ・デ・ジャネイロからサンパウロを経由し、マナウス空港へ向かう機内で、眼下にアマゾン川が見えた瞬間、その規模に思わず言葉を失いました。 流域面積が世界一で、「海のように見える」と聞いてはいましたが、実際に上空から見た印象はそれをはるかに超えていました。最初に頭に浮かんだ感想は、「海の上に森が浮かんでいる…」といったもので、人間の想像や理解度を軽々と超えてくる光景でした。この異様とも言えるスケールを前に、これから始まる旅への期待で胸の高鳴りが止まりませんでした。  マナウス到着後は、日本の真夏をそのまま思い出させるような、湿度を伴った蒸し暑さに包まれながらホテルへ向かい、翌日以降の行程に備えて体を休めました。 熱帯雨林散策ツアー  滞在中、アマゾンの自然をより深く体感するため、現地の Tucano Turismo というツアー会社を利用し、1人 R$300の日帰り探索ツアーに参加しました。 インターネット上では同様のツアーが R$450以上、かつ宿泊を伴うものしか見つからず、日帰りでの参加を希望していたため、現地到着後に直接店舗を訪れて予約を行いました。ポルトガル語で直接やり取りしたことで、相場よりも安く予約できただけでなく、複雑な集合場所や当日の流れも問題なく理解することができ、自身の語学力の向上を実感する機会にもなりました。  ツアーでは、車で街の中心部から約3時間移動し、鬱蒼と木々が生い茂るジャングルの中へ入っていき、下車後森の中を歩きながら、洞窟や滝など熱帯雨林ならではのスポットを巡っていきました。雨季の時期で天候が不安定だったため、カッパ、滝用のサンダルと水着、虫対策として長袖・長ズボン、虫除け(SC Johnson社Repelente Exposis Extreme)を持参しました。参加者は、13名程でブラジル国籍の方はおらず、英語での説明も多くありました。 (バンの乗車人数に限りがあるので利用する場合は、早めの予約をお勧めします。 集合は、Teatro Amazonas 近くにあるHotel Dez de Julho 前に7:15でした。)  実際には半袖・半ズボンの参加者も多く、想像していたほど虫はいませんでしたが、万が一があるためやややりすぎ程度の対策をしておいて損はないと感じました。靴はトレッキングシューズを履いていきましたが、泥濘や水の中を進む場面も多く、マリンシューズや折り畳み式の長靴があればより便利だったと思います。  森を1時間ほど歩いた先で、大きな滝に到着しました。水は茶色く、流れも速く、少し泡立っている様子でしたが、多くの観光客が泳いで楽しんでいました。  「アマゾンで泳ぐ」という1つの夢を叶えるため、私も勇気を出して近くの岩場から水に飛び込みました。見た目の色から少し身構えていましたが、実際に入ってみると水は思っていたよりも心地よく、流れも想像ほど強くはありませんでした。茶色く濁った水に身を委ねるという非日常的な感覚がむしろ心地よく、滝の轟音を間近に聞きながら水面に浮かんでいると、世界最大級の熱帯雨林の中にただ自分がひとりぽつんといるのではないかという錯覚さえ覚えました。巨大な自然の中で遊んでいるという解放感に包まれ、時間の感覚さえ曖昧になるようなひとときでした。  水から上がったときには、「本当にアマゾンで泳いだ」という実感が強く残り、単に楽しかったという以上に、自分の中の1つの夢を確かに叶えたという満足感を覚えました。 先住民の洞窟  その後、車で別の森へ移動し、ガイドさんとともに再び1時間ほど歩き続けると、突然視界が開けた岩場に到着しました。巨大な岩が重なり合って自然の通路を形成し、その奥には洞窟と、上から滝が流れ落ちる幻想的な空間が広がっていました。  ガイドさんによると、この洞窟は約2000年前に実際に先住民が使用していた場所であり、光が差し込む滝は聖地として扱われていたそうです。洞窟の奥には調理場の跡も残されており、森の中に突如現れる岩場という地形の特性上、狩りをせずとも動物が自然と落ちてくることもあったと説明を受けました。  実際に彼らの生活の痕跡を目の当たりにし、この場所にわざわざ足を運んだからこそ貴重な体験ができました。熱帯雨林の自然だけでなく、人々の歴史にも触れることができた、非常に意義深い旅となりました。 アマゾン料理  アマゾン旅行中、特に驚かされ、感動したのが郷土料理の数々でした。 この地域では川で獲れる魚が日常的に食卓に並び、ジュイス・ジ・フォーラで肉中心の食生活を送っていた私にとって、アマゾンの魚料理は大きな楽しみの1つでした。  Mercado Municipal(中央市場)では、滞在中に何度も地元料理を味わう機会があり、世界最大の淡水魚である Pirarucu(ピラルク) をはじめ、Pacu(パクー)、Tambaqui(タンバキ)、Jaraqui(ジャラキ)、Piranha(ピラニア) など、さまざまな魚を主にフライでいただきました。  味の印象としては、 ・Pirarucu(ピラルク)はクセのない上質な白身魚で、骨もほとんどなく非常に食べやすいのが特徴です。ムケッカとして提供されることもありました。 ・Pacu(パクー)は皮が鶏皮せんべいのような味わいで、身は鶏肉と白身魚の中間のような食感でした。ただし骨が非常に多く硬いため注意が必要で、実際に口の中に骨が刺さり、出血してしまったこともありました。 ・Tambaqui(タンバキ)は脂が多く、ジューシーで食べ応えがあり、特にムケッカとの相性が良い魚でした。 ・Jaraqui(ジャラキ)は卵にししゃものような苦味があり、全体としてはタラに近い味わいでした。 ・Piranha(ピラニア)は味がほとんどなく、骨が非常に多いため可食部分が少ない魚でした。提供している店もほとんど見かけず、唯一見つけた店でも昼頃には在庫がなく、予約をすれば夜までに仕入れるという状況で、日常的に食べられているものではないと感じました。  ピラニアを除く多くの魚料理は、ワンプレートにご飯やフェイジョアーダが付いて R$25〜40程度 で提供されており、レモンを絞って食べると、日本の唐揚げのような感覚で次々と箸が進みました。これほど多くの川魚を食べる機会は初めてで、非常に満足度の高い食体験となりました。 船ツアー  翌日は、Boto Da Amazônia のツアー会社を利用し、1人 R$140 の船ツアーに参加しました。このツアーは WhatsApp を通じて事前予約を行い、朝8時に Mercado Municipal に集合した後、船で複数のスポットを巡る内容でした。参加者は約30人で、熱帯雨林散策ツアーとは異なりブラジル人の参加者が多く、ガイドも含めほぼすべてポルトガル語で進行されました。そのため、他の観光客とポルトガル語で会話する機会も多く、実践的な語学経験の場にもなりました。  大型船でのツアーだったため、船内には浄水器やトイレも完備されており、非常に快適な環境でした。Rio Negro(ネグロ川) を進むにつれて、川幅の広さと心地よい風に包まれ、まるで大海原へ航海に出たかのような感覚を覚えました。 Encontro das Águas(川の合流地点)  最初に向かったのは、Rio Negro(ネグロ川)と Rio Solimões(ソリモインス川)が、混ざり合うことなく並んで流れる「Encontro das Águas」と呼ばれる場所です。pH値や水温、流速の違いによって、色の異なる二つの川が一本の線を引いたように分かれて流れる、アマゾンを代表する景色の一つです。  船で20分ほど進むと、それまで一面に広がっていた黒い川の向こう側に、泥色がかった真っ茶色の水が現れました。近づくにつれて境界線ははっきりとし、水と油が分かれるように、二つの川が混ざる気配なく流れているのが目に見えて分かりました。その光景に、乗客たちは身を乗り出して写真や動画を撮り、船内は自然と盛り上がっていきました。  周囲では野生のイルカの姿も確認でき、ただ景色を眺めているだけでも、アマゾンという場所のスケールと不思議さを肌で感じる時間となりました。 ピラルク釣り  川の合流地点を後にした後は、そのままソリモインス川をしばらく遡りました。途中、現地の人々が小型ボートで移動する様子や、川の上に森が浮かんでいるかのような独特の景観も見ることができました。  やがて小さな水上施設に到着し、「これからピラルク釣りを行います」というアナウンスが流れました。施設にはピラルクの生簀が設置されており、すでに他の観光客が釣りに挑戦していました。水面から時折現れる巨大な鱗や尾びれが、水飛沫を上げながら動く様子は圧巻でした。  3回で R$10 のチケットを購入し、約10cmの小魚を餌にした釣竿を受け取り挑戦しました。竿を入れた瞬間、強靭な力で引き込まれ、姿を見ることも叶わず30秒足らずで餌を持っていかれてしまいました。そもそもピラルクは世界最大の淡水魚で、体長は最大 4.5m にも達する古代魚であり、約 1億年前 から姿を変えていない「生きた化石」とも呼ばれる怪魚です。そのため、竿1本で釣り上げるのは成人男性でも非常に困難です。  再挑戦では集中して臨み、強烈な引きに耐えながら力いっぱい竿を引くと、水中から巨大な頭部が姿を現しました。その姿はまるで恐竜のようで、約10秒間の格闘の末、再び敗北しましたが、その圧倒的なスケールとパワーを体感することができ、非常に印象深い体験となりました。 インディオの集落訪問  その後、インディオの集落を訪れました。集落では、顔にペイントを施してもらったり、伝統的な儀式を見学したり、インディオの人々やナマケモノと写真を撮る機会がありました。  しかし、写真撮影にはインディオが一人R$10、ナマケモノは一回R$25程度と明確な料金が設定されており、全体として強い観光ビジネスの色を感じました。特に印象的だったのは、集落で対応していたインディオの中に、同年代あるいは年下に見える若い女性たちも多く含まれていた点です。彼女たちは終始無表情で、儀式や撮影対応もどこか事務的に進められており、文化を共有する場というよりも、観光客を相手にした労働の場として機能しているように感じられました。  また、ナマケモノやワニとの写真撮影では、かなり積極的に勧誘される場面も多く、動物が文化体験の一部というより、収益のための「道具」として扱われている印象を受けました。個人的には、この点については違和感が強く、心から楽しめたとは言い難い体験でした。さらに撮影を断る場合は、曖昧な態度ではなく、かなり強めの意思表示をする必要があるとも感じました。撮影を希望する場合でも1頭ごとに請求をされてしまうので、同時に複数の動物を身体に乗せられないよう注意が必要です。 カワイルカ(ボト)  旅の最後に訪れたのは、今回の最大の目的の一つであるカワイルカ(通称ボト)が生息するスポットでした。ボトはアマゾン川流域のみに生息する固有種のイルカで、淡いピンク色の体を持つことが特徴です。絶滅危惧種にも指定されており、幼い頃に図鑑で眺めていた存在を、実際にこの目で見て触れられるという事実に、現地へ向かう前から自然と胸が高鳴っていました。  ガイドが水に入り、餌を撒いて呼び寄せると、水面下から次々と大きな魚影が現れ、あっという間に周囲を取り囲みました。ガイドが腕を上げて魚を差し出すと、ピンク色のイルカが水面から顔を出し、勢いよく餌をくわえていきました。そのたびに船上から歓声が上がり、現場は一気に熱気に包まれました。  ライフジャケットを着用し、私もイルカを囲むように水に入ると、水面から見えていたのはせいぜい2頭ほどだったにもかかわらず、実際には足元に何頭ものイルカが集まっていました。つるりとした体が手や足に触れ、ときには足の間をすり抜けるように泳ぎ、まるで持ち上げるかのように体を預けてくる瞬間もありました。  人生で初めてイルカと共に泳いだ体験は、想像をはるかに超えるもので、アマゾンの自然の豊かさと生命の近さを強く実感する時間となりました。深い満足感と余韻を胸に、旅の終わりを迎えました。 【総括】   1月は、複数のテストや発表を乗り越え、私の学生生活における最終学期を納得のいく形で締めくくることができた月であった。語学力の向上だけでなく、物事を多角的に考える力や異なる価値観を受け入れる姿勢の成長を実感できたことは、留学という選択が確かな意味を持っていたことの証になった。  私生活では、友人たちが次々と帰国していく姿を見送りながら、以前から覚悟していたはずの自身の帰国という現実が、日を重ねるごとに重みを増していった。別れの寂しさと同時に、多くの人に支えられてきた1年だったのだと気づく場面も多く、そうした思いを噛みしめる中で、この留学生活の充実を改めて実感した。  また旅行面では、念願であったアマゾン州マナウスを訪れ、世界最大級の熱帯雨林を実際に体感する機会を得た。熱帯雨林探索ツアーでは鬱蒼とした森を歩き、夢であったアマゾン川で泳ぎ、さらに先住民の歴史的痕跡にも触れることができた。自然の壮大さだけでなく、そこに積み重なってきた人々の営みにも向き合えたことは、極めて意義深い経験であった。さらに船ツアーにて、川を進みながらアマゾン固有の生物達に触れ、目の前に広がる自然の豊かさ肌で感じた。アマゾンを「歩き、泳ぎ、食べ、触れる」という五感すべてを使った体験は、単なる観光を超え、巨大な自然と真正面から向き合う時間であったと言える。  1月は、学業の一区切りを迎え、留学生活の終わりを実感しながら、念願であったアマゾンという象徴的な地にも足を踏み入れた、極めて密度の高い1ヶ月であった。来月にはいよいよ帰国を控えている。留学の締めくくりとして、私がブラジルを知るきっかけとなったブラジル最大のイベント、リオのカーニバルが待っている。最後の最後までこの国を自分の目で確かめ、心から楽しみ、確かな満足感を胸に日本へ帰国したい。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-12
【① 気候、衣服】  12月のジュイス・ジ・フォーラは、11月に引き続き天候の不安定さが見られるものの、季節としては完全に夏へと移行しました。月全体を通して気温は高く、月の最高気温は32℃、最低気温は15℃、平均気温はおよそ23℃となり、日本の初夏から真夏を思わせる気候が続きました。  11月までは朝晩に肌寒さを感じる日もありましたが、12月に入るとそうした冷え込みはほとんど見られなくなり、日中は汗ばむことが多くなりました。そのため、普段は半袖やタンクトップにショートパンツといった軽装で過ごすことが基本となり、衣服選びにおいても通気性や涼しさを重視するようになりました。  一方で、天候の安定度という点では注意が必要な月でもありました。晴天の日は11月と比べて増えたものの、突発的な豪雨に見舞われる日も少なくありませんでした。特に12月15日には、わずか1時間の間に85.8mmという非常に激しい雨が降り、道路の冠水やセントロ地区のショッピングモールの浸水、さらには山間部での土砂崩れなど、災害級と呼べる被害が各地で発生しました。   【② 学校生活と授業】  12月に入り、学校生活においては年末に向けて、発表や課題提出の機会が徐々に増えてきました。ブラジルの大学では、発表を通じて学習成果を示す場面が多く、日常的に人前で話す機会が頻繁に設けられていると感じています。  学習内容を直接問う定期テストに関しては、現地の学生と比べると十分な点数を取ることが難しい場面もあります。そのため、発表や課題については、内容や構成に十分な時間をかけ、毎回できる限り高いクオリティで提出することを意識して取り組んでいます。 ( 発表課題の具体的な内容については、各授業の授業内容の欄に記載しました。)  一方でスペイン語の年内最後の授業では、小規模な発表会が行われました。授業中に繰り返し練習してきたスペイン語の歌をクラス全員で歌ったほか、スペイン語圏の筆者によって書かれたポエムがその場で配布され、それをクラスメイトの前で音読するという活動も行われました。  私自身も、クラスメイトから急遽依頼を受け、彼が弾き語りで発表予定だった曲の中の日本語パートを担当することになりました。事前の準備時間はほとんどなく、本番で初めて歌う形となりましたが、強い緊張を感じつつも、無事に最後まで歌い上げることができました。 【③ 私生活】 日本人の会  今月は、留学生と現地で働く駐在員の方々が、半年に1度サンパウロに集まって開催される「日本人の会」に参加しました。前回もこの会に参加させていただきましたが、今回は2回目ということもあり、前回以上に積極的に行動し、この会で得られることを1つでも多く持ち帰ろうという気持ちで臨みました。  当日は複数のグループに分かれ、日系人コミュニティがブラジル社会に与えている影響や、AI 社会をどのように生きていくべきかといった、私たちの将来や仕事、生活に直結するテーマについて意見交換を行いました。その後、各グループで話し合った内容をまとめ、発表する機会も設けられました。  前回は緊張から思うように行動できなかった場面もありましたが、今回は積極的に駐在員の方に対して質問や意見を述べることができ、自身の将来の可能性を広げるために、より主体的に参加できたと感じています。  会の終了後には、参加者全員でシュハスコを囲み、和やかな雰囲気の中で交流を深めました。将来に対する素朴な疑問や不安から、日常生活やプライベートな話題に至るまで幅広く語り合うことができ、非常に有意義な時間を過ごすことができました。 田所商店ブラジル店!?  サンパウロを訪れる際は、久々に日本食を味わえる貴重な機会でもあるため、滞在中はなるべく日本食を食べるようにしています。今回もその一環として、友人に味噌ラーメンの店へ連れて行ってもらいましたが、そこで食べた一杯は、これまでブラジルで食べた日本食の中でも、最も強く印象に残るものとなりました。  今回訪れたのは「MISOYA RAMEN」という店です。日本食といえばリベルダージ地区を思い浮かべることが多いのですが、この店はパウリスタ通りから数分、MASPの近くにあります。この立地に本格的なラーメン屋があるとは知らず、訪問前から意外性を感じていました。  味噌ラーメンはもともと大好物であるため、期待しながら入店するとどこか見覚えのある店内… 違和感を覚えつつ席につきメニューを見た瞬間、思わずハッとしました。「田所商店だ!」  そうなんです、この店は神田外語大学の近くに本店を構える「田所商店」の海外店舗だったのです。幕張に通っていた頃から何度も足を運んでおり、日本に帰国したら必ず食べたい店リストの一つにも入れていため、まさかブラジルで再会することになるとは思ってもみませんでした。  日本で通っていた際、一番好きだった北海道味噌炙りチャーシューラーメンを注文し、待つこと数分、日本のものと全く同じ見た目のラーメンが運ばれてきました。失礼ながら、ブラジルでは写真と実際の商品が異なることも少なくないため、いくらチェーン店でノウハウがあるとはいえ、日本人の店員がいない環境で、ここまで再現度が高いとは正直予想していませんでした。  待ちきれずスープを一口味わった瞬間、味さえも日本とまったく同じであることに驚きを隠せませんでした。麺を啜っても、チャーシューを頬張っても、間違いなく日本で何度も味わった、あの田所商店の味でした。  ブラジルにある日本食は、日本食として提供されていても、味付けや完成度が日本と全く同じということはほとんどないのが現状です。しかし、このラーメンは例外で、味・見た目・店の雰囲気のすべてが日本での記憶と重なり、たった一杯のラーメンを通じて、日本で過ごしていた頃の思い出が蘇るほどの感動を覚えました。  たった一杯のラーメンに心を動かされ、強い満足感を抱きながら店を後にしました。後日調べてみると、同じ田所商店ブランドとして「SORA」という別のラーメン店も展開されていることを知りました。そちらでは醤油ラーメンも提供されているそうなので、次回サンパウロを訪れる際には、ぜひ足を運んでみたいと考えています。  ( ちなみに同じ同じと言ってますが、価格だけは大きく違い、一杯R$72にサービス料が加算されるので、価格は日本のおよそ2倍くらいします。そこだけが唯一の違いです。それでも食べに行く価値は十分あると思います!) Porto Alegre ポルトアレグレ  今月は、リオグランデ・ド・スル州のポルトアレグレを訪れました。大学2年時に拝野先生のブラジルの民族・地理という授業でこの地の存在を知り、最終課題にてガウーショ(カウボーイ)文化について調べて以来、この場所はブラジル滞在中に是非一度訪れたいなと思っていました。  愉快な港を意味するこの都市は、ブラジルでも有数の白人移民が多い都市で、ブラジルでありながらすれ違う人々の7割ほどが白人の方で、地理的な影響でアルゼンチンやウルグアイの文化なども感じられる、ブラジルの中でも他地域とは異なる独自の文化圏を形成している都市です。  都市の中には博物館や美術館館などが多く点在し、本来であればそれら全てを周りたかったのですが、訪れたのがクリスマスシーズンだったために、修繕工事や閉業期間に入ってしまい、何箇所かはお預けとなってしまいました。それでも有名な中央市場は営業しており、マテ茶のカップやBombilla(マテ茶用ストロー)、茶葉など現地ならではのお土産を購入することができました。  夜にはシュハスカリアを訪れました。リオグランデ・ド・スル州は、ガウーショ文化の中で発展したシュハスコの発祥地としても知られており、本場のシュハスコを一度は食べてみたいと思ってました。    店内に案内され本場のシュハスコといざ対面、一口食べてみると驚くほどジューシーで肉汁が溢れ出してきました。本場のシュハスコは、他州のもと比べ、肉自体に炭や煙の香りがしっかりと乗っており、高火力で一気に焼かれたためか外の皮は少し焦げが乗るほどカリカリで香ばしく、中はレアで美しいロゼ色に仕上がっていました。    今回は時間の都合で行くことができなかったですが、ブラジル最初のシュハスカリアとされる「Santo Antônio 」という店もここポルトアレグレにあるので、いつかまた次にこの街を訪れる機会があれば、改めて本場の味を求めて足を運びたいと考えています。 Gramado グラマド  グラマドは、ブラジル南部に位置する高原リゾートで、「ブラジルの中のヨーロッパ」とも呼ばれる街です。19世紀後半から20世紀初頭にかけて入植したポルトガル系、ドイツ系、イタリア系移民によって築かれたこの街は、ブラジルにありながらも、明らかに他の都市とは異なる空気をまとっていました。  街を歩くと、スイスやオーストリアなどのアルプス地方に見られるシャレー様式の建物が立ち並び、ヨーロッパの山岳リゾートに迷い込んだかのような錯覚を覚えます。冬には気温約8℃、年によっては0℃も記録したことがあるこの街では、夜にはチーズやチョコレートのフォンデュを楽しむ文化が根付き、街全体が「寒さを楽しむ場所」として完成されている印象を受けました。  また、グラマドは「イベントの街」としても知られています。ブラジル国内で高い評価を受けているグラマド映画祭が開催されるほか、年末には「Natal Luz」と呼ばれる大規模なクリスマスイベントが街全体を舞台に行われます。今回は、このNatal Luzのクリスマスパレードを見るために、グラマドを訪れました。  ポルトアレグレからバスに揺られること約3時間。街へと近づくにつれ、道路沿いには大量の紫陽花が咲き誇り、日本人の感覚では夏を連想させる花とクリスマスシーズンが同時に存在するという、不思議な季節感を味わいながら到着しました。  バスを降りた瞬間、目の前に広がっていたのは、クリスマス一色に染まったヨーロッパの街並みでした。ここが本当にブラジルなのかと疑ってしまうほど、建物の装飾や街灯、看板に至るまで細部まで作り込まれており、信号や電線さえも視界に入らず、テーマパークのような空間が広がっていました。  パレードが始まるまでの時間は、街を散策しながらチョコレート店や土産物店を巡り、カトリックの国で迎える初めてのクリスマスの雰囲気を存分に味わいました。日本のクリスマスとは異なり、各施設がバラバラにクリスマスの飾りつけをしているのではなく、街全体が本気でひとつのクリスマスを作り上げるその空気感に驚くほどの没入感を覚えました。  夜になると中央道路にパレード会場が設けられ、事前に購入していた有料席のチケットを手に入場しました。会場はこの日のために集まった観客で溢れかえり、パレードを一目見るための人々で会場周辺の道路は通行できないほどでした。  パレードが始まると、通りに張り巡らされたイルミネーションが一斉に点灯し、会場全体が強い光に包まれました。音楽が鳴り響く中、クリスマスの衣装に身を包んだキャストたちが次々と登場し、歌や踊り、観客へのファンサービスで、会場を一気に盛り上げていきました。  パレードは約1時間にわたって続き、その間、色鮮やかな山車が次々と目の前を通り過ぎていきました。それぞれの山車ごとに演出やテーマが異なり、照明の色や音楽の雰囲気も切り替わるためとても見応えがありました。上空からは人工の雪が絶え間なく降り注ぎ、生演奏で流れるクリスマスソングに合わせ自然と手拍子と笑顔が広がっていました。  気づけば私も、音楽と光、人々の歓声に包まれながら夢中になって楽しんでおり、視界に入るすべてが祝福に満ちていて、「クリスマスを祝う」という言葉の意味を初めて心の底から理解した瞬間だったように思います。ブラジルで迎えたこの夜は、私の心に強く残り、忘れることのできないクリスマスの思い出となりました。 リオデジャネイロで過ごすクリスマス  年末年始を過ごすため、リオグランデ・ド・スル州での旅の後、リオデジャネイロへと向かいました。  クリスマスイブにリオデジャネイロへ到着する予定だったため、グラマドでの壮大なクリスマスパレードを見た直後だったということもあり、リオデジャネイロのクリスマスはどのようなものなのかと楽しみにしていました。しかし、実際に過ごしてみると、その印象は一変しました。  リオでは、スーパーなどを含めたほぼすべての店が朝から晩まで閉まっており、iFood(ブラジル版Uber Eats)でさえも、注文受付後にキャンセルされ夕飯を食べられないといった状況に陥ってしまいました。  クリスマスには多くの店が閉まると事前にブラジル人から聞いていましたが、経済活動そのものがほぼ停止してしまうほどだとは想像しておらず、大きな驚きとカルチャーショックを受けました。 その一方で、日本では正月やクリスマス、お盆といった行事の時期であっても、生活に必要なサービスが一定程度維持されており、日常生活に大きな支障が出にくい社会構造になっていたことを改めて実感しました。  これから来る留学生の方は、クリスマス前から食材などを準備し、備えるようにしてください。 年末リオデジャネイロの治安  年末のリオデジャネイロは、国内外から多くの観光客が訪れる時期である一方で、治安は平常時と比べて明らかに悪化していると感じました。  実際に、私がリオデジャネイロを訪れる数日前には、在リオデジャネイロ日本国総領事館から、セントロ地区における邦人被害の強盗事件について注意喚起が出されていました。  12月17日午後3時頃には邦人男性2名が、また12月24日午後7時頃には邦人女性1名が、いずれもセントロ地区のカリオカ水道橋およびリオデジャネイロ大聖堂付近、Rua do Lavradio周辺において強盗被害に遭っています。  いずれの事件も被害者に怪我はなかったものの、あまり遅くない時間帯での発生であり、日中であっても決して油断できない治安状況であることが分かります。  私自身も、ブラジル人の家族とともに友人宅からセラロン階段へ向かう途中、リオデジャネイロ大聖堂前、カリオカ水道橋、Praça da Cruz Vermelha の前を通過しましたが、これらの3か所はいずれも特に注意が必要だと強く感じました。  中でもカリオカ水道橋周辺では、上半身裸の人々が30人ほど路上に座り込んだり、寝転がったりしており、明らかに異様な雰囲気が漂っていました。同行していた友人の父親に状況を尋ねたところ、「ここにいる人々のほとんどはクラック中毒者で、この辺りは本当に危険だ」と話しており、現地住民でさえ警戒するエリアであることを実感しました。  またセラロン階段からの帰り道にも、路上で男女のクラック中毒者と思われる人々による喧嘩に遭遇しました。女性が2m程ある角材で男性を殴り、それに激昂した男性が女性の顔面を拳で複数回殴る場面を目の当たりにしました。 非常に緊迫感のある衝撃的な光景でしたが、Uberの運転手は「セントロならこれくらいは日常だ」と話し、特に気にも留めていない様子でした。  この報告書を読んでいる方の中には、年越しをリオのコパカバーナで迎えようと考えている方もいるかもしれません。しかし、年末年始は特に観光客を狙った犯罪が増加する時期です。Uber乗車中であっても安易に携帯電話を使用せず、周囲の状況に常に注意を払いながら行動するなど、慎重すぎるくらいの意識で観光を楽しむことを強く勧めます。 【総括】  今月は、気候の変化や学業、私生活における多様な出来事を通して、ブラジルという国の特徴をより立体的に理解することができた1か月でした。夏本番を迎えたジュイス・ジ・フォーラでの生活に加え、南部のポルトアレグレやグラマド、そしてリオデジャネイロを訪れたことで、同じブラジル国内であっても、地域によって気候、文化、街の雰囲気、さらには人々の価値観まで大きく異なることを実感しました。  また、日本人の会への参加や授業内での発表などを通して、これまで以上に自ら発言し、行動する姿勢を意識できた月でもありました。特に前回の経験を踏まえ、「縮こまらずに一つでも多くを吸収する」という意識を持って臨めたことは、自身の成長を感じられる点で大きな収穫でした。  一方で、クリスマス期間中の経済活動の停止や、年末のリオデジャネイロで目にした治安の現実など、日本ではあまり意識することのない社会の側面にも直面しました。これらの経験を通じて、文化や価値観の違いは単なる知識として理解するものではなく、実際にその中で生活し、体験することで初めて実感を伴って理解できるのだと強く感じました。  今後も、安全面への配慮を怠らず、積極的に行動しながら、現地でしか得られない経験を一つひとつ自分の糧として積み重ねていきたいと考えています。  
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-11
【① 気候・衣服】  11月のジュイス・ジ・フォーラは、スコールや雷雨が頻繁に発生するなど、天候が荒れる日が多い1ヶ月となりました。 高原地帯に位置しているため、午前と午後で天候が真逆になることも珍しくなく、外出前に天気予報サイトでの確認が欠かせない日々が続きました。 ( 私は、普段 Climatempo というアプリを利用しています。)    気温については、日中が約28℃、朝晩が約17℃と、10月と比較して平均気温が上がり、半袖で過ごせる時間帯も多くなりました。一方で、天候が急変すると気温が急激に下がり、夜間や雨天時にはジャケットが必須となる寒さになることも多く、1日の寒暖差に柔軟に対応する工夫が必要でした。 【② 学校生活と授業】    学校生活では、授業内容のレベルが上がり、それに伴い宿題の量が増えるなどの変化が見られました。  特に、英語とスペイン語の授業では既に発表やテストなどが実施され、その準備に時間を割くことが多くなりました。前期に比べて履修している授業数は少ないものの、言語科目を集中して履修しているため、どの授業も週に2回あり、非常に速いペースで進行しています。1ヶ月で教科書が20〜30ページ進むことも珍しくなく、来月もテストを控えているため、引き続き予習、復習、自習が欠かせない状況です。  また、今月も Buddy Project のイベントへ参加し、在学生や他の留学生との交流を深めることができました。普段関わる機会の少ない学部の学生とも交流でき、大人数ならではのアクティビティやレクリエーションを通じて、親睦を深めています。今後も積極的に参加していきたいと考えています。 【③ 私生活】 São João del Rei サン・ジョアン・デル・へイ  今月の初旬は、上部の項目にも記載した Buddy Project のイベント旅行からスタートしました。  開催日の数週間前からグループ内で参加希望者を募り、旅行専用のグループチャットが作成されました。その中で、企画陣によって立てられた当日のプランニング、注意事項、持ち物リスト、移動費などの費用に関する情報が送られてきました。  大学組織の団体旅行という利点を活かし、今回の旅の移動には大学のバスを利用することができ、現地で利用した汽車を除き、交通費は基本無料となりました。  Buddy Project による旅行は、交通費を抑えて楽しめることに加え、現地の事前調査や予約といった準備が全て手配されること、そして安全かつ安心して行動できることが、非常に大きな利点です。こうした手厚いサポートのおかげで、個人旅行ではなかなか訪問しない場所へもお得に旅行することが可能となっています。なので少しでも興味がある方は勇気を出して参加してみることをお勧めします。  当日は、早朝に大学に集合し、バスで約3時間かけて現地に到着すると、すぐにカルチャーセンターのような施設に案内していただきました。そこで、現地のコーディネーター(UFSJ サン・ジョアン・デル・へイ連邦大学の学生)の方から、街の歴史や見どころ、観光地などについて丁寧な説明を受けました。  その後、事前に決められていたグループごとに分かれ、制限時間内に各施設を巡るという形で散策が始まりました。 Igreja de Nossa Senhora do Carmo ノッサ・セニョーラ・ド・カルモ教会  グループごとに分かれ最初に訪れたのは、18世紀に建造されたノッサ・セニョーラ・ド・カルモ教会です。この教会は、バロック様式からロココ様式へと移行する時期に建てられ、両様式が融合した優美で豪華な装飾が特徴的です。外観、内部ともに白い石を基調とした美しいデザインは、当時の街の文化的な豊かさを物語っていました。  この教会で特に印象的だったのは、二階部分に展示されていた多数の鐘です。サン・ジョアン・デル・ヘイは「鐘の街」としても知られており、その伝統を象徴するかのように、様々な大きさや年代の鐘を間近に見ることができました。ブラジルにおける鐘の歴史や重厚感を肌で感じることができる貴重な機会となりました。 お昼ご飯 UFSJ (サン・ジョアン・デル・へイ連邦大学)の学食    お昼には、UFSJの学食を訪れました。ブラジルでは、学食は在学生向けに安価で提供されており、入館の際には学生証を使ってチェックもされるため、他大学の学食を利用する機会はなかなか得られません。今回は、訪問者(Visitante)として受付で15レアルを支払い、利用させていただきました。  UFSJ の学食は、UFJF(ジュイス・ジ・フォーラ連邦大学)の学食と比べると規模は小さかったものの、食材や提供スタイルに個性が見られました。例えば、煮込み料理が提供されることが多い UFJF では、あまり出てこないグリルチキンが提供され、マイボトルを持参しなくてもプラカップでコーヒーやジュースを飲めるようになっていました。( UFJF ではマイボトルがないと飲み物が飲めません。)    学食を利用できたことで、みんなで同じ席に座りながら安価で美味しく昼食をいただくことができ、さらに他大学の学生生活を垣間見て、体験できる貴重な経験となりました。 Passeio de Maria-Fumaça 蒸気機関車ツアー    昼食を終えた後、午後の目的地であるチラデンチスへ向かうため、蒸気機関車を利用しました。 この列車は、1881年に開通し、かつては Estrada de Ferro Oeste de Minas(ミナス・ジェライス州の鉄道網)として金などの物資を運んでいたという歴史を持っています。現在は、古い農場や川、森、渓谷をのんびり走る情緒溢れる観光列車として地元住民や観光客に愛されています。 今回は、サン・ジョアン・デル・へイからチラデンチスまでの約12km の区間を、所要時間約40〜45分で運行しました。  本格的な蒸気機関車ということもあり、乗車前から私を含め参加者全員のテンションが上がっていました。決して広くはない車内でしたが、皆で席を詰めて座り、ワイワイ話し合いながら持ち寄ったお菓子を交換し合うなど、まるで子供時代の遠足を彷彿とさせるような雰囲気で乗車していました。  沿線の住民の方々が笑顔で手を振ってくれる温かい雰囲気の中、田舎ののどかな風景と、機関車から出る煙の香りを楽しみながらゆっくりと進み、目的地のチラデンチスに到着しました。ミナス・ジェライスの自然と歴史を感じる、非常に思い出に残るツアーとなりました。 Tiradents チラデンチス  チラデンチスに到着してまず驚いたのは、その街並みの美しさでした。まるで絵画やおとぎ話に出てくるような中世ヨーロッパ風の景観が保たれており、街全体が統一された美しいデザインで溢れていました。カラフルな家々と美しい石畳、そして街中を走る馬車が、情緒豊かな雰囲気を醸し出していました。    この街の名前は、独立運動家であるチラデンチスに由来します。彼は、このチラデンチス近郊の Fazenda (農場)で生まれました。植民地時代のブラジル、特にミナス・ジェライス州では産出された金にポルトガルが莫大な税を課した影響で、当時のミナス・ジェライス州は深刻な貧困に陥っていました。チラデンチスは、この状況を打破すべく州を独立させるための運動を起こしましたが、1792年にポルトガル王室に弾圧され、処刑されたのち、見せしめとしてその遺体を四つ裂きにされました。    この街は、もともと São José del-Rei(王の聖ヨゼフ)というポルトガル王政を感じさせる名でしたが、1889年の共和制成立に伴い、王政時代のイメージを払拭するため、共和制の象徴として国内で再評価されていた地元の英雄チラデンチスの名を取り改名されたと言われています。  美しい街並みを見るだけでなく、その名称や景観の背景にある歴史を理解したうえで街を歩いたことで、単なる観光にとどまらず、ブラジルの独立と共和国成立を象徴する場所を実際に訪れた経験とすることができました。 マラカナンで体感した「ブラジルの至宝」ネイマール  11月に入り、ブラジル国内リーグもいよいよ終盤戦に入ってきました。残り少ない貴重な観戦機会を逃さないために、週末を利用して再びサッカーの聖地、マラカナン・スタジアムを訪れました。    今回のカードは、リーグ首位を走るフラメンゴ対、降格圏からの脱出を狙うサントス。今回、会場まで足を運んだ理由として、フラメンゴサポーターの熱狂的な声援を再び肌で感じたいという思いももちろんありましたが、最大の目的は別にありました。それは、今年サントスに電撃復帰したネイマールのプレーを生で観戦することでした。    今シーズンの度重なる怪我からついに復帰し、チームの危機を救うために彼が次試合からピッチに戻ってくる。このニュースを目にした瞬間、「この絶好の機会を逃すわけにはいかない」とすぐさまチケットを確保しました。    当日は、いつものように試合開始1時間前に会場入りし、少しでも近くの席を確保しようと人混みをかき分けて進みましたが、1人での観戦だったことも幸いし、運良くコーナー付近の前から2列目という、選手の息遣いまで聞こえてきそうな絶好の座席を確保することができました。  試合が始まると予想に反し、サントスは首位フラメンゴを相手に互角以上の攻防を繰り広げ、両チームともシュートシーンの多い白熱した展開となりました。  すると前半20分頃、サントスがコーナーキックを獲得し、キッカーを務めるネイマールが私の目の前まで近づいてきたのです。その距離、実にわずか5メートル!ずっと憧れていたスター選手を至近距離で目にし、胸の高鳴りが収まりませんでした。とはいえ、試合中には彼に対する激しい野次も飛んでいましたし、フラメンゴのホーム席で敵チームのエースを公然と応援することは身の危険を伴います。そのため、表立って喜ぶのは控えようと心がけていました。  しかし、そこは流石「ブラジルの至宝」。たとえフラメンゴのファンであっても、彼を目の前にしてその興奮を抑えきることは難しかったようで、気がつけば私以外の周囲のサポーターも、一斉にカメラを構えたり、彼に声をかけサインを貰おうと身を乗り出す人々で溢れかえっていました。彼の持つ圧倒的なスター性を、体感した瞬間でした。    彼は、後半途中で交代してしまったものの結果は、3-2の接戦でフラメンゴの勝利で終わりました。長年欧州サッカーを見てきた自分にとってかけがえのない瞬間であり、留学生活の中でもトップクラスで良い思い出となりました。 人生で初めて開いた誕生パーティー  11月末、半年前から構想していた自身の誕生日パーティを、ついに開催することになりました。  自分の人生を振り返ってみても、誕生日パーティを自ら主催し、人を招いて祝ってもらうという経験はこれまで一度もありませんでした。そこで今回は、ブラジルに根付く「誕生日をパーティで盛大に祝う文化」に便乗させていただくことにしました。  一般的にブラジルの誕生日パーティは、主催者の家に集まり、シュラスコや料理、ケーキを主催者側が用意し、参加者は各自飲み物やお菓子を持ち寄るというスタイルで開催されます。    しかし、11月にもなると、これまで何人もの友人が誕生日パーティでシュラスコを行っており、そろそろ皆も飽きてきているのではないかと悩んでいました。  それならば、せっかくの機会なので日本人らしさを全開に出したいと思い、用意する料理のコンセプトを「1日居酒屋スタイル」に変更し、ブラジルで可能な限り再現できるよう準備を進めました。  当日は、15人ほどの友人が集まってくれ、唐揚げや焼き鳥、寿司、玉子焼きなど、久しく口にしていなかった日本料理を振る舞いました。  皆とても喜んでくれ、その後はケーキを食べたり、プレゼントをもらったり、音楽に合わせて踊ったりと、終始陽気で笑顔にあふれた、これまでで一番楽しい誕生日にすることができました。  本当に一生の思い出に残る経験となるので、これから留学を考えていて、ブラジル留学中に誕生日を迎える予定の方は、ぜひ勇気を出して、パーティの開催を検討してみてください。 【総括】  今月は、学業、課外活動、私生活のいずれにおいても、ブラジルでの留学生活を強く実感する1か月となりました。気候面では、スコールや寒暖差といった環境の変化に対応する必要があり、日常生活においても事前の情報収集や準備の重要性を改めて認識しました。また、授業では言語化の学習量と進度が大きく上がり、限られた時間の中で計画的に学習を進める力が多く求められました。  私生活では、Buddy Project を通じた団体旅行や学外活動に参加することで、個人では得がたい安全性と学習機会を享受し、ブラジルの歴史や文化を実体験として学ぶことができました。サン・ジョアン・デル・へイやチラデンチスでは、街並みの美しさだけでなく、その背景にある独立運動や共和制成立の歴史を理解した上で行動できたことが、単なる観光との差を生む経験となりました。  さらに、サッカー観戦や誕生日パーティの主催といった経験を通じ、ブラジルの人々の熱量や人間関係の近さを実感することができました。異文化の中で主体的に行動し、人と関わる経験は、語学力の向上にとどまらず、自身の適応力や行動力を高める機会となっています。今後もこの環境を最大限に活かし、学びを実践につなげていきたいと考えています。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-10
【① 気候、衣服】  10月のジュイス・ジ・フォーラは、9月に続いて暖かい日が増え、より春らしい気候になりました。平均的な最高気温は28〜30℃、最低気温は10〜14℃程度で、日中は気温が上がり半袖でも快適に過ごせる日が多くなりましたが、朝晩はまだ肌寒いため、長袖Tシャツや薄手の上着を着用することが多かったです。  天候は晴れまたは曇りの日が中心で、時折強い雨が降ることもあります。ただし、雨は長時間続くことは少なく、多くの場合1時間ほどで止みます。ブラジルの雨は突発的に激しく降り出す傾向があるため、折りたたみ傘を常に携帯するなどの工夫をしています。 【② 学校生活と授業】  後期が始まって1ヶ月が経過し、授業にも順調に慣れてきました。新たな友人も増え、学内での交流の幅が広がっています。  一方で、初めて学ぶスペイン語には苦戦しており、ポルトガル語と文法構造が似ているため、読んで理解することはある程度できますが、発音や聞き取り、そして微妙な語彙の違いにはまだ十分に対応できていません。今後は引き続き努力を重ね、より自然でスムーズな会話ができるようになることを目標としています。  授業外では、4月以来利用していなかった留学生支援制度「Buddy Project」主催のシュハスコイベントに参加しました。これまであまり関わる機会がなかったため、既知の友人が一人もいませんでしたが、参加してみると皆とても親切で、日本の話題やサッカーなどのレクリエーションを通じてすぐに打ち解けることができました。後期から新しく来た留学生とも知り合うことができ、もっと早くから参加していれば良かったと感じるほど、多くの学びと出会いに恵まれた非常に有意義な時間でした。  今回のイベント参加をきっかけに新たな友人とのつながりが生まれ、来月には旅行にも誘っていただきました。後期はジュイス・ジ・フォーラでも様々なイベントに参加し、より多くの人と交流を深められるようにしたいです。 【③ 私生活】 Rio de Janeiro リオデジャネイロ  先月に引き続き、今月も週末にリオデジャネイロを訪れました。 残り5ヶ月しかブラジルに滞在できないため、時間とお金が許す限り、できるだけ多くの場所を訪れ、また地元の人と同じくらいリオデジャネイロの街やお店、地理を学ぶことを最近の目標としています。  今回もサッカーのチケットを取ることができたため、日帰りで観戦に行きました。学生割引(Meia)を使えるうちは存分に活用し、学生ならではの特権を最大限に楽しみたいと思っています。 CBF ブラジルサッカー連盟  iPhoneの調子が悪かったため、リオ中心部から電車で約1時間の場所にあるApple Storeへ修理に行きました。その帰り道、近くにCBFの本部があることを知り、せっかくなので外観だけでも見ておきたいと思い立ち寄りました。  到着すると、ブラジル代表のエンブレムにも描かれているCBFのシンボルが刻まれた巨大な建物が目に入り、「ここがブラジルサッカーの全てを統括する場所なのか」と、その威厳と存在感に圧倒されました。フェンス越しに写真を撮っていると、中の警備員の方々が笑顔でこちらを見ており、「今どくから、ここから撮りな」と机をどかして撮影場所を作ってくださるなど、とても親切に対応してくれました。  内部には歴代ユニフォームやワールドカップトロフィーのレプリカなどが展示されているそうですが、一般の立ち入りは禁止されており、今回は外観のみの見学となりました。いつかこの場所に堂々と入れるような人間になりたいと強く感じました。 Maracanã マラカナンでのサッカー観戦  今回訪れたのは、ブラジルサッカーの象徴であり、「サッカーの神殿」とも呼ばれるマラカナン・スタジアムです。世界的にも名高いこのスタジアムでは、過去にW杯の決勝戦も開催され、ペレ、ジーコ、ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ、ネイマールといった数々のレジェンドたちが歓喜と屈辱、栄光と挫折を経味わってきました。サッカーファンにとって、ここで試合を観戦することは一つの夢であり、私自身もいつかその現場に立ち会いたいと長年思っていました。  マラカナンは、Flamengo(フラメンゴ)とFluminense(フルミネンセ)のホームスタジアムとして知られています。今回は、ブラジル国内リーグ首位Palmeiras(パルメイラス)と2位 Flamengoが激突する注目の一戦を観戦しました。    リオのチームによるホーム試合、さらに勝てば順位が入れ替わるという大一番だったため、チケットはまさに争奪戦でした。販売開始と同時に公式サイトへアクセスしましたが、サーバーが混雑し何も操作できず、サイトのアクセス待機人数は3万5千人を超えるほど。何度もエラーを繰り返しながら、3時間半もの格闘の末にようやくチケットを手に入れることができました。  試合当日は、会場近くで軽く食事を済ませ、試合開始の1時間前に到着。スタジアムへ向かう途中、街中は赤と黒のユニフォームを身にまとったフラメンゴサポーターで溢れかえり、360度どこを見ても同じ色のユニフォームで染まっていました。  顔認証、ボディチェックを経てスタジアムに入ると、耳をつんざくような大歓声が響き渡っていました。先月訪れたヴァスコ・ダ・ガマのホームスタジアム「サン・ジャヌアリオ」よりも規模が大きいにもかかわらず、観客の熱気は桁違いで、隣の友人と会話をするのも困難なほどでした。 人の波をかき分けて前方の席を確保し、前から5〜6列目、ピッチまでの距離約10mという絶好のポジションで観戦することができました。試合前には応援団による大合唱や、赤と黒の風船を空に放つ儀式、相手チームへのブーイングなど、フラメンゴのホームらしい圧倒的な熱量を肌で感じました。  大歓声と雨の中で試合がキックオフ。両者が意地と誇りをかけて激しくぶつかり合い、一時は乱闘寸前の緊迫した場面もありました。迎えた開始10分、フラメンゴが値千金の先制点を挙げると、スタジアムは爆発的な歓声に包まれ、サポーターは狂喜乱舞、会場全体が歓喜の渦に包まれていました。 得点後、勢いづいたサポーターは椅子を叩き、指笛を鳴らし、相手チーム罵声を飛ばしながら、ありとあらゆる方法でチームに追い風を送っていました。その圧倒的な一体感と圧力はもはや、相手選手たちが平常心を保ってプレーすることが不可能に思えるほどでした。  試合はその後も白熱した展開となり、壮絶な撃ち合いを制したフラメンゴが最終スコア3−2で勝利。勝ち点で首位パルメイラスに並んだことで、サポーターは歓喜し、スタジアムの外でも歌い踊りながら勝利を祝っていました。 ここまで情熱的で力強い応援を目の当たりにしたのは初めてであり、この自国リーグに対する愛とサッカーへの情熱こそが、「サッカー王国ブラジル」を支える強さの根底にあるのだと改めて実感しました。 Brasília ブラジリア  今月末は、ブラジルの首都であるブラジリア連邦直轄地を訪れました。ブラジリアは、1960年にリオデジャネイロから首都が移された内陸部の都市であり、オスカー・ニーマイヤーによる近代建築群が数多く存在することから、都市全体がユネスコ世界文化遺産に登録されています。  ジュイス・ジ・フォーラからバスで向かう途中は、「本当にこの先に近代都市があるのだろうか」と思うほど、何もない乾燥した高原地帯が延々と続いていました。建物ひとつ見当たらないため、車窓からは地平線が見え、夜になると満天の星空を眺めることができました。  約14時間の移動を経て、突然道幅が広がり、これまで閑散としていた道路が一気に混雑し始めました。Google Mapを確認すると、そこはブラジリアへと続く一本道。窓の外を見ると、乾いた大地の彼方に巨大ビル群が聳え立っており、まるで映画の未来都市を見ているかのような感覚でした。 さらにその一本道には、約300メートルほどの間隔でブラジル国旗が立ち並び、「ここがブラジルの首都なのだ」と強く実感させられました。  ブラジリアの中心部に入り、まず驚かされたのは街の整然とした美しさでした。直線的でゴミひとつない道路、美しく手入れされた芝生、そして東京のような大都市とは対照的に、開放的で余裕のある土地の使い方がなされていました。滞在中、ホームレスなどをほとんど見かけることはなく、フードコートでさえ綺麗な格好をした人々ばかりで、サッカーユニフォームのようなラフな服装をしている人がほとんどいないことに衝撃を受けました。  街全体がまるで一つの巨大な建築作品のようで、美的でありながら機能的でもありました。 行政・住宅・商業といった空間が明確に分けられていることで、統一感のある景観が生み出されており、計算し尽くされた街づくりであることがひと目で伝わってきました。 街並みを見て、こんなに感動したことは今までなく、世界のどこにもない唯一の街づくりだと感じまた。 Catedral Metropolitana de Brasília ブラジリア大聖堂    ブラジリアで最も有名な観光施設のひとつでありオスカー・ニーマイヤーによって設計されたブラジリア大聖堂。 1970年に完成したこの教会は、コンクリート製の白い柱が天に向かって広がるように配置されており、外観はまるで王冠のような形をしています。その独創的で曲線的なデザインは、半世紀以上前に建てられたとは思えないほど近未来的で、都市全体のモダンな景観とも調和していました。  内部に入ると、青・緑・白のステンドグラスが天井一面に広がり、自然光が柔らかく差し込む幻想的な空間が広がっていました。外からの印象とは対照的に、内部は静寂に包まれており、宗教施設でありながら現代建築の芸術作品のような美しさを感じました。また、教会ということもあり、内覧は無料で誰でも自由に入ることができ、観光客だけでなく地元の人々にとっても心を落ち着ける憩いの場となっていました。 Museu Nacional da República 国立共和国博物館  こちらもブラジリアを象徴する建築群のひとつで、建築家オスカー・ニーマイヤーによって設計されました。2006年に開館した比較的新しい施設で、白く滑らかな半球状の外観が特徴的です。近未来的でシンプルなデザインながら、その巨大なドーム構造は圧倒的な存在感を放ち、まるで宇宙船のようにも見えました。  内部は広い吹き抜けの空間で、展示作品は多くありませんでしたが、独特の静けさと空間の広がりが印象的でした。展示内容は時期によって入れ替わるようで、訪れるタイミングによって異なる雰囲気を味わえるようです。  また、入館料は無料で、他の観光地のような混雑もなく、ブラジリアの近代建築と芸術との融合を肌で感じて楽しめる貴重な場所でした。 Torre de TV de Brasília ブラジリアテレビ塔  ブラジリアの中心部にそびえる高さ224メートルのテレビ塔は、市内を一望できる人気の観光スポットです。建築家ルシオ・コスタによって設計され、1967年に完成しました。ブラジリアの都市計画を象徴する建築物のひとつでもあります。  展望台は地上約75メートルの位置にあり、ガラス張りのエレベーターで上ることができます。そこからは、「飛行機の形」ともいわれるブラジリアの都市全体を見渡すことができ、国会議事堂やカテドラルなど主要な建築群を一望できるそうです。  私が訪れた日は、不運にもエレベーターの故障により展望台に登ることは叶いませんでしたが、その代わりに、塔の足元にある「Eu ♡ Brasília」のオブジェや噴水の前で写真を撮りつつ、夕陽を受けてオレンジ色に染まるテレビ塔を眺める時間を楽しみました。 先輩との再会  ブラジリア滞在期間中、在外公館派遣員としてブラジリアで勤務されている大学の先輩と久しぶりに再会し、一緒に昼食をとったあと、カフェで仕事の苦労やこれまで訪れたブラジルの観光地での思い出などをゆっくりお話しすることができました。  同じ大学・学部の先輩が、海外で第一線で活躍されている姿を目の当たりにし、自分も将来に向けてより一層努力しようという気持ちが強まりました。 Belo Horizonte ベロオリゾンチ  ブラジリアでの旅行を終え、飛行機でミナスジェライス州の州都ベロオリゾンチへ向かいました。到着してまず驚いたのは、自分が想像していた以上に街全体が高層ビルで埋め尽くされていたことです。ブラジル内陸部に位置し、これまで訪れたミナス州内の都市はビルとは無縁の場所も多かったため、中心地だけでなく広い範囲にビル群が広がる光景は予想外でした。  特に宿のある Savassi(サヴァッシ)地区 は、安全な高級住宅街としても知られ、おしゃれなカフェやバーが立ち並ぶ洗練されたエリアでした。一部の通りは歩行者天国になっており、ランニングをする人や愛犬と散歩を楽しむ人々でにぎわっていました。全体的に落ち着きがありながらも活気が感じられ、歩いているだけで楽しくなる地域でした。 Praça da Liberdade リベルダージ広場  サヴァッシからほど近い場所にあるリベルダージ広場は、ベロオリゾンチでも人気のエリアです。 大きな噴水のまわりには楽器を演奏する人たちが自然と集まり、その周囲では子どもたちが元気に走り回っていました。平日でも多くの市民が思い思いの時間を過ごしており、広場全体にのびのびとした雰囲気が広がっていました。    また、広場を取り囲むように複数の博物館や美術館が並んでいるのも大きな特徴です。かつては州政府の行政建築として使われていた歴史的な建物群が、Circuito Cultural Praça da Liberdade(リベルダージ文化回廊)としてリノベーションされ、文化施設へと生まれ変わっています。 観光客にとっても一つの場所を歩くだけで複数の施設を巡れるため、非常に効率的で魅力的なスポットでした。 Palácio da Liberdade リベルダージ宮殿  リベルダージ広場の一角に建つリベルダージ宮殿は、ミナスジェライス州政府の旧庁舎として使われていた歴史的建造物です。19世紀末に建設された建物で、ネオクラシック様式を基調とし、重厚な石造りと繊細な装飾が組み合わされた優雅な外観は、当時の州政の中心地としての威厳を今に伝えていました。  現在は行政機能を終えており、観光地としての運営が中心となっていますが、緑豊かな庭園に加え、折衷主義(エクレクティシズム)に基づき世界の文化を取り入れた豪華な会議室などがあり、その美しさは健在でした。 MM Gerdau – Museu das Minas e do Metal 鉱山と金属の博物館  この博物館では、ミナスジェライス州で産出される鉱物資源や、それに関連して発展してきた科学技術などが紹介されていました。    ミナスジェライス(Minas Gerais)という地名は、ポルトガル語で「広大な鉱山群」や「多種多様な鉱山」を意味しており、この地名が示す通り、州全体が鉱山資源によって発展してきた歴史的背景があるため、この博物館での見学は、ミナスジェライス州ならではの産業史と鉱物に関する内容を深く学べる、とても貴重な機会になりました。 さらに、博物館内のお土産もユニークなものが多く、市場に売っているものよりも値段が良心的でした。 Mercado Central de Belo Horizonte ベロオリゾンチ中央市場  ベロオリゾンチの有名な中央市場を訪れました。同じ施設型の大型市場でも、以前訪れたサルヴァドールのモデーロ市場とは雰囲気も商品構成も大きく異なり、地域による違いがよく表れていました。  サルヴァドールが観光客向けの土産物や民芸品が中心だったのに対し、ベロオリゾンチ中央市場は生活に密着した実用的な市場で、肉屋や八百屋に加えて、多くのレストランが並び、地元の人々で常ににぎわっていました。私自身もそのレストランのひとつで朝食をとりましたが、牛肉を使ったワンプレート定食にもかかわらず会計は約9レアル(250円)ほどと非常に安く、地元市場ならではの素朴さと現地の雰囲気を感じることができました。 また、市場内には、ウサギやインコなどの小動物を扱うエリアや、ミナス地方特産の編み物、ミナスチーズが大量に並ぶミナスならではのエリアもあり、地域の文化と生活がぎゅっと詰まった場所だと感じました。 Ouro Preto オーロプレット  ベロオリゾンチの滞在期間中、ベロオリゾンチからバスで片道3時間移動し、ブラジルで初めてユネスコ世界文化遺産に登録された街、オーロプレットを訪れました。 Ouro Preto (黒い金)の名前を持つこの街は、17世紀末のゴールドラッシュによって誕生した植民都市で、18世紀にはブラジルの経済と文化の中心として栄えました。  街全体が「ミナス・バロック」と呼ばれる独自のバロック様式で統一されており、起伏の激しい地形に沿って石畳の坂道と豪華な教会が点在しています。特に、「ブラジルのミケランジェロ」と称される彫刻家アレイジャジーニョ(Aleijadinho)の作品が多く残されており、サン・フランシスコ・ヂ・アシス教会などにその傑作を見ることができます。街並みそのものが歴史的芸術作品として保存されており、現在では観光業と大学都市として機能しています。 Mina de ouro 金鉱山  オーロ・プレットに到着して最初に向かったのが、金鉱山の探索ツアーでした。かつて金の採掘によって繁栄したこの街には、操業を終えた鉱山跡が多数点在しており、訪問した際にはぜひ見学したいと考えていた場所の一つでした。  車で30分ほど移動して施設に到着し、受付で料金を支払って鉱山へ向かいましたが、平日だったこともあり、参加者は私たちのみでした。ツアーの醍醐味であるトロッコで地下350mまで一気に降りていくと、気温が急に低くなり、最下層に着くまでの道中にも複数の採掘跡が連続して現れ、当時の作業の痕跡を感じました。  最下層に到達すると、外界の音が一切届かない静寂の世界が広がり、壁には断層がくっきりと見えていました。さらに、地下水が湧き出して湖になっている場所や、当時使用されていた古いポンプ類も残されており、採掘現場がそのまま時間を止めたような雰囲気でした。  奥へ進むと、マリア像を飾った小さな祭壇や、金鉱石を選別した際に残る「脈石」と呼ばれる厚さ15cmほどの石の板が一箇所に無数に積み上げられ、3mを超える高さで洞窟の天井にまで届いていました。この膨大な量の脈石を見ると、この場所で黒人奴隷たちがどれほど過酷な作業を強いられていたのかが、数字以上の説得力をもって伝わってきました。  地上へ戻った後は、砂に水を混ぜ、円盤状の板を回して遠心力で金を分離する実演を見学しました。大量の砂の中から米粒ほどにも満たない小さな金片が現れ、先ほど街中で目にした豪奢な金装飾が、ひとつひとつこの途方もない作業の果て積み重ねられたものだという事実が、より強い実感を伴って理解できました。ブラジルの歴史を支えた現場を巡る大変貴重なツアーでした。 Restaurante Contos de Réis コントス・ジ・レイス・レストラン  昼食には、ミナス料理の専門店であるRestaurante Contos de Réisを訪れました。この店は18世紀の古い邸宅を改装してつくられており、現在レストランとして使われている部分は、当時奴隷の宿舎として利用されていた空間です。  そのため、上階の建物は通常の壁で構成されていますが、レストランのあるフロアは石壁で造られており、天井も低めに設計されています。室内は薄暗く、窓には鉄格子が残されているなど、建物の歴史を物語る特徴が随所に見られました。  現在はエレガントな雰囲気のレストランとして整えられていますが、空間の細部には、かつての用途を思い起こさせる要素が残されており、料理とともにこの地域の歴史を深く感じられる場所でした。 ( 料理は、とても美味しかったです。) Museu Casa dos Contos カサ・ドス・コントス博物館  食後には、Museu Casa dos Contos を訪れました。この施設は、植民地時代のブラジルで有数の富豪であったジョアン・ロドリゲス・デ・マセドの邸宅を利用したもので、現在は資料館・博物館として運営されています。当時の硬貨や紙幣、財政制度に関する貴重な史料が多数保存されていることが特徴です。  さらに、建物の地下には奴隷宿舎である Senzala(センザラ) が、当時のままの保存状態で残されています。レストラン同様、邸宅の上階部分は煌びやかな装飾や通常の壁で構成されていますが、センザラは壁も床もすべて石で造られており、窓はありましたがこちらにも強固な鉄格子が取り付けられていました。昼間にもかかわらず、照明をつけなければ薄暗くなるほどの環境で、石壁には複数の穴があり、かつて奴隷を手枷・足枷で固定するために使われていたそうです。  その空間は重苦しい雰囲気を帯びていましたが、知っておかなければならない歴史の現場に触れることができ、当時の暮らしと奴隷制度の現実をより深く理解する貴重な経験となりました。 Igreja de Nossa Senhora do Rosário dos Homens Pretos ノッサ・セニョーラ・ド・ロザーリオ・ドス・オメンス・プレットス教会  最後に訪れたのは、Igreja de Nossa Senhora do Rosário dos Homens Pretos(黒人信徒のためのロザリオの聖母教会)でした。この教会は、制度としての黒人奴隷制が解放された後も、社会の中に人種差別が根強く残り、白人の教会で礼拝に参加することを許されなかった黒人たちが、自らの信仰の場を確保するために建てたものです。ここは宗教施設としてだけでなく、自分たちの文化やコミュニティを守る重要な拠点として機能してきました。  バロック様式を基調とした楕円形の建築は、貧しく限られた資源の中、そして社会的に抑圧された状況に置かれながらも、最高の技術と芸術性をもって自分たちの信仰の場を築き上げたという、“不屈の精神の証”とも言えるものです。  内部には入れませんでしたが、外から眺めるだけでも十分に力強さと静かな存在感があり、ここが単なる教会以上の意味を持つ場所であることが自然と感じ取れました。 【総括】    10月は、旅行や私生活、そして学校での活動を通して、ブラジルでの生活の奥行きを格段に深めることができた1ヶ月となりました。  学校生活では、授業に順調に慣れ、学内イベント「Buddy Project」への参加を機に、新たな友人たちとのつながりが生まれました。特に、イベント参加や旅行に誘われるなど、私的な交流が本格的に深まり始めたことで、後期生活の期待や大きな充実感につながっています。一方で、初めて学ぶスペイン語の語彙や発音の微妙な違いに苦戦しつつも、今後の語学学習における具体的な目標も明確にすることができました。  私生活面では、1ヶ月を通し、ブラジルの「熱狂」「未来」「歴史」を追体験する、非常に密度の高い旅を展開することができました。  リオデジャネイロでは、ブラジルサッカーの象徴であるマラカナンでの大一番を観戦し、サポーターの圧倒的な「熱狂」と「一体感」を肌で感じ、ブラジルサッカーの強さの根源を実感しました。    またブラジルの首都ブラジリアでは、オスカー・ニーマイヤーの計算し尽くされた近代建築を目の当たりにし、世界のどの都市にもないような計算し尽くされた、「整然とした美」という新たな一面を発見しました。    さらに、ミナスジェライス州の歴史都市オーロ・プレットでは、金鉱山や奴隷宿舎(センザラ)が残る歴史的建造物を巡ることで、かつてのゴールドラッシュの栄光と、それを支えた過酷な奴隷制度という、ブラジルの根幹にある歴史的現実に深く触れることができました。 日常の交流から、非日常的な場所での探索まで、この1ヶ月は、ブラジルという国が持つ多様で複雑な文化・歴史・情熱を多角的に体感し、多くの学びと出会いに恵まれました。結果として、ブラジル滞在と国に対する理解の質が一段階上がった特別な1ヶ月となりました。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-09
【① 気候、衣服】  9月のジュイス・ジ・フォーラは、冬から春へと移り変わる季節で、気候はとても過ごしやすいものでした。最高気温はおよそ27℃、最低気温は13〜15℃ほどで、朝晩はひんやりとしながらも、日中は太陽が出ると一気に暖かさを感じる日々が続きました。  季節の変わり目ということもあり、晴れた日には半袖で快適に過ごせる一方、寒冷前線の影響で気温が急に下がる日もあり、前日との気温差が10℃近くになることもありました。そのため、軽い上着を持ち歩き、天候の変化に合わせて衣服を調整する日が多かったです。  また、これまで乾季特有の澄んだ青空が続いていましたが、今月は曇りや小雨の日も少しずつ増え、季節の移り変わりを実感しました。全体としては、日本の3月〜4月頃の気候に近く、ブラジルの春の訪れを感じながら、少しずつ街の雰囲気や空気の湿度の変化も感じられる時期となりました。 【② 学校生活と授業】  9月半ばに冬休みが終わり、新学期が始まりました。前期と同様、履修登録では今回も苦戦を強いられました。  希望する講義を試しに受講しながら時間割を組み立てていましたが、UFJFでは授業時間帯の幅が非常に広く、朝8時から夜23時まで設定されています。さらに、講義によっては同じ科目の複数レベルが同時開講されていることもあり、希望する授業のレベル選択や、他科目との時間調整など、日本の大学以上に慎重な計画が求められました。  加えて、大学の敷地が非常に広大であるため、日本ではあまり意識することのなかった講義間の移動時間や距離も重要な要素となり、教室間の位置関係を確認しながらスケジュールを組む必要がありました。最終的には、移動負担と履修希望のバランスを取りつつ、試行錯誤を重ねて時間割を完成させました。  前期は講義系科目を多く履修した関係で、語学科目を取り入れることができませんでした。しかし、語学力を維持しさらに向上させたいという思いから、今学期は英語とスペイン語を必ず履修する方針で臨みました。特にスペイン語は、7月のイグアス旅行でアルゼンチンを訪れた際に、その重要性を改めて痛感し、学習意欲が一層高まったことが要因です。  ただし、今期の履修登録も一筋縄ではいかず、慎重に組み上げた時間割には、後から開講されないことが判明した講義も含まれていたほか、ポルトガル語の授業の教室が前期とは別の棟に変更されていたことに気づかず、初回授業に参加できないというハプニングもありました。また、前期同様に先生方のバカンス明けが遅れるケースも多く、「実際に行ってみるまで授業があるか分からない」というブラジルスタイルに、今学期も振り回される場面がありました。  最終的に、後期は語学科目のみを履修することになりましたが、各科目が週2回開講されるため、結果的に前期より登校日数は増えました。今学期は学生生活最後の学期でもあるため、これまで培った学びを確実に自分のものにし、良い形で締めくくることができるよう、引き続き努力してまいります。 【③ 私生活】 Recife ヘシフェ  冬休みを利用し、サンパウロ大学の学生とともにブラジル北東部ペルナンブーコ州の都市、ヘシフェを訪れました。今回は、サンパウロ発の航空券が比較的安価であったため、飛行機での移動を選択しました。    ヘシフェは「ブラジルのヴェネツィア」とも呼ばれ、運河が多く美しい景観が広がるほか、ビーチや歴史的建造物が人気の観光地です。一方で、北東部は貧富の差が大きく、リオデジャネイロと同様に犯罪発生率も高い地域であるため、事前に宿泊地や観光地、危険エリアについて慎重に情報収集を行いました。滞在先は、治安が比較的安定している高級住宅街 Boa Viagem地区を選択し、安全に配慮しながら観光を楽しみました。 Porto de galinhas ポルトデガリーニャス  ヘシフェ旅行で最初に訪れたのは、美しいビーチで知られるポルト・デ・ガリーニャスです。このビーチは、ブラジルの観光誌『ボヤージュ&ツーリズム』主催のランキングで、8回連続「ベスト・ブラジリアン・ビーチ」に選ばれるほどの人気を誇ります。    あいにく私たちが訪れた日は曇りがちの天候でしたが、ビーチには無数のパラソルが並び、観光客や地元の人々で賑わっていました。パラソルを借り、安全のため、荷物をひとつにまとめて交代で海に入りました。海は透明度が高く、砂浜も白く清掃が行き届いており、日本のビーチよりも格段に整備されていることを実感しました。  近くで購入したボールを使ってサッカーやビーチバレーを楽しみ、少し遠くまで泳ぐなどして思う存分海を満喫しました。リオのコパカバーナビーチなどは以前訪れたことがありますが、泳いだのは今回が初めてで、ブラジルの海で初めて泳いだという経験は特に思い出に残りました。  途中、短時間ですがゲリラ豪雨のようなスコールが降りましたが、すぐに止んだため大きな影響はありませんでした。  ビーチを後にして少し歩くと、すぐ近くに多くのお土産屋が並んでおり、北東部ならではの置き物や、ガリーニャス(鶏)をモチーフにしたお土産などもたくさん販売されていました。 Olinda オリンダ    次の日は市内観光を行いました。ヘシフェで外せない観光地といえばオリンダです。街の名前はポルトガル語の「Ó, linda!(なんて美しい!)」に由来しています。オリンダ地区は、ブラジルで最も保存状態が良く、植民地時代の建物が残る地域で、世界文化遺産にも登録されています。  街は中世ヨーロッパの風景を思わせる建築物や、黄色、青、赤、ピンクといったカラフルな壁を持つ家々が立ち並ぶことが特徴で、まるでディズニーの世界観に迷い込んだかのような美しい景色が広がっていました。  また、オリンダ地区は高台に位置しているため、建物の合間を抜けた先にはヘシフェの街並みや美しいビーチを一望できる場所が多くありました。 Centro de Artesanato de Pernambuco ペルナンブーコ州手工芸センター  マルコ・ゼロ広場のすぐ隣にある、ペルナンブーコ州の手工芸品を集めた大型展示販売施設です。州内の1,500人以上の職人によって作られた、陶器・木工・ガラス・金属を用いた2万点以上の作品が並んでいます。どれもクリエイティビティとオリジナリティにあふれ、見ているだけでもとても楽しい場所です。置物から家具まで、さまざまなものが展示されています。  実際に購入することも可能ですが、値段は高く、15万円を超える品も少なくありません。それでも、ここでしか手に入らないであろう作品が多く揃っているため、お金を貯めてまた訪れたいと思わせる魅力的な場所でした。 Nordeste(北東部)料理  お昼時には、地元で有名なノルデスチ料理のレストランを訪れました。 ブラジル北東部の料理は、ヨーロッパとアフリカの文化が混ざり合って発展したと言われています。海が近い地域ということもあり、魚介類を使った料理が多く見られる一方、ポルトガル由来の肉と野菜の煮込み料理、アフリカ由来の香辛料やヤシ油を用いたコクのある料理など、多様な食文化が共存しているのが特徴です。  今回私が注文したのは、この店の一番人気メニュー Ensopado de Cabra(子ヤギ肉の煮込み)。 見た目はカレーに近く、複数の香辛料でじっくり煮込まれたその料理は、運ばれてきた瞬間から独特で芳醇な香りを放っていました。  ひと口食べると……これがもう絶品! 香辛料がしっかり染み込んだ子ヤギ肉はホロホロと柔らかく、深い旨味とほんのりスパイシーな後味。ブラジル料理はもちろん、和食と比べても遜色ないどころか、むしろ衝撃を受けるほどの美味しさでした。お米との相性も抜群で、日本の料理に例えるなら、味の染みた豚の角煮をご飯と一緒に食べる感覚に近いかもしれません。  ノルデスチ料理は独特で好みが分かれると聞いていましたが、私にはドンピシャ。 「日本食以外に、ここまで自分の好みの味が存在したのか…!」と心の底から驚かされました。  食後には、すっかり虜になり、気づけばスマホで“自宅から通えるノルデスチ料理店”を夢中で検索していました。新しい食文化を発見した満足感と喜びでいっぱいの食事体験でした。 Instituto Ricardo Brennand リカルド・ブレンナンド博物館  ヘシフェ最後の観光地として、内陸部に位置するリカルド・ブレンナンド博物館を訪れました。この博物館は、実業家リカルド・ブレンナンド氏の個人コレクションを基礎に設立されたもので、中世ヨーロッパの城を思わせる壮麗な建築と、世界有数の武器コレクションを所蔵していることで知られています。    館内には絵画や彫刻だけでなく、中世の鎧や剣、火器など多様な展示が並び、過去には南米No.1博物館に選ばれたこともあります。特に、ヘシフェがオランダに占領されていた17世紀に関連する品々が多く、当時の歴史や文化を視覚的に理解できる内容でした。巨大な古地球儀のほか、当時の人物や服装を精巧に再現した蝋人形の展示室もあり、まるで17世紀の世界に入り込んだかのような没入感がありました。  なかでも圧巻だったのは「鎧のホール」です。部屋に入った瞬間、無数の甲冑騎士が立ち並ぶ光景が広がり、中世の軍勢に囲まれたような迫力を体感しました。隣の展示室には、刀剣から古式銃器まで幅広い武器が整然と並び、武器技術の発展を一望することができました。  滞在時間は約2時間と限られていましたが、それでも心が満たされるほど濃密な時間でした。次の機会があれば、もっと時間をかけてじっくり鑑賞したいと思わせる、非常に価値のある文化体験でした。 Salvador サルバドール  ヘシフェでの滞在を終え、長距離バスで約13時間かけて南下し、バイーア州の州都サルバドールを訪れました。サルバドールはブラジルの旧首都であり、かつて大西洋奴隷貿易の中心地として栄えた歴史を持つ都市です。サンバ発祥の地としても知られ、リオと並ぶ規模のカーニバルが開催されるなど、ブラジル文化の中枢として重要な役割を果たしてきました。ヘシフェ同様、旧市街の都市景観はユネスコ世界文化遺産に登録されており、歴史と文化が重厚に息づく街です。 Mercado Modelo モデーロ市場  サルバドールの低地エリア、港の目の前に位置する市場で、「ブラジル最大の手工芸品ショッピングセンター」とも称されます。200以上の小規模店舗が軒を連ね、バイーアならではの民芸品、木彫り、レース編み、カンドンブレ(アフリカ系ブラジル宗教)関連の品々、カシャッサや絵画など、地域文化を象徴する多彩な商品が所狭しと並んでいました。市場内を歩くだけでも、街の文化や生活の豊かさを五感で体感できる場所です。   Elevador Lacerda ラセルダ・エレベーター  世界初の公共エレベーターとして知られるラセルダ・エレベーターは、全高72メートルを誇る歴史的建造物です。授業でも紹介された象徴的なランドマークであり、リオのコルコバードのキリスト像と並び、ブラジルを訪れる際にはぜひ立ち寄りたい名所の一つでした。  1873年(日本の明治初期)に開業した建造物とは思えない規模で、目の前で見上げるとその高さと存在感に圧倒されました。実際に乗ってみると、予想を超える快適さと速度で、古さをほとんど感じさせません(現在は電力式ですが、かつては水力式だったとのことです。)  上層階に出ると、眼下には港と市場が広がり、遮る建物がほとんどないため、水平線まで見渡せる絶景が広がっていました。この日はあいにくの曇り空でしたが、それでも街と海が一体となったパノラマは圧巻で、サルバドールの歴史と地理的スケールを肌で実感できる瞬間でした。 Largo de Pelourinho ペロウリーニョ広場  石畳の道路と植民地時代の当時のままの建物が立ち並ぶ、サルバドール旧市街・ペロウリーニョ地区の中心広場です。ユネスコ世界文化遺産にも登録されており、アフロ・ブラジル文化のルーツが色濃く残る歴史地区として知られています。  広場周辺では観光客が集い、ストリートで音楽を奏でる人々やダンスを楽しむグループ、太鼓隊(batucada)の力強いリズムが響き渡り、まさに「音の街」の空気を全身で感じられます。色鮮やかな建物と陽気なリズムが重なり合い、ただ歩くだけでも自然とエネルギーが湧いてくる場所です。  さらにここは、キング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソンが「They Don’t Care About Us」のMVを撮影した場所として世界的に有名です。映像で登場した建物には記念パネルが掲げられ、MVさながらの景色が現在もそのまま残っています。マイケルのファンである私にとっては、まさに夢のような場所でした。映像の中から飛び出してきたかのような街並みを目の前にし、聖地に立っている実感に胸が熱くなりました。  一方で、「Pelourinho」という名前はポルトガル語で “鞭打ちの柱” を意味します。植民地時代、この広場では黒人奴隷が売られたり、罰を受けるための公開の場でもありました。現在は明るく陽気な雰囲気に包まれていますが、その背景には悲しい歴史があることも忘れてはならない場所です。 Casa do Carnaval da Bahia バイーア・カーニバル博物館  カーニバル博物館は、ペロウリーニョ地区にあるカーニバル専門の博物館です。バイーア州のカーニバルの歴史や文化、衣装、音楽、踊りなどを展示・紹介しています。入館者は映像や楽器、ダンス体験を通じて、単に展示を見るだけでなく、五感でカーニバル文化に触れることができます。  館内には、お面や衣装、楽器、装飾品、衣装を着た小さなフィギュアなど、カーニバル関連の品々が多数展示されており、各展示スペースでは実際のカーニバル映像やサンバのリズムも流れていて、没入感のある体験ができました。展示室全体がカラフルで煌びやかであり、カーニバルの熱気や華やかさを存分に感じることができます。  特に印象的だったのは、2階の体験コーナーです。プロジェクターにはダンス指導の映像が流れ、仮装用のキラキラした帽子や太鼓、マラカスなどが用意されていました。映像と音楽に合わせ、他の来館者と一緒に歌い、踊り、演奏する体験は、まるでカーニバルを擬似体験しているかのようで、非常に楽しく、記憶に残るものでした。 Catedral Basílica de Salvador サルバドール大聖堂  サルバドール大聖堂は、ペロウリーニョ地区に位置する、カトリックの重要な歴史的建造物です。17世紀に建設され、バロック様式の華麗な内装や祭壇が特徴で、サルバドール旧市街の象徴的存在となっています。教会内には宗教美術品も多数展示され、訪れる人々は歴史と文化の両方を感じることができます。    聖堂内には、美しい大理石の階段やシャンデリアの光を受け金色に輝く祭壇など、豪華絢爛な空間が広がっており、とても印象的でした。 Cidade da Música da Bahia 音楽の博物館  モデーロ市場のすぐ隣に位置するこの施設では、サンバやアクシェなど、バイーアに根付く音楽文化を、最新の映像や音響技術を通して体験できます。音楽の源流や文化的背景、そして現代への発展までを、ただ“見る”のではなく、身体感覚を伴って“感じる”ことができるのが特徴です。  最上階のミュージックルームでは、キャストの合図や歌に合わせて打楽器を演奏する参加型のアクティビティが行われ、来館者全員でリズムを共有する一体感が非常に印象的でした。特に驚かされたのは、そこで使用されていた楽器です。コップ、動物の骨、貝殻、陶器のお皿、ペットボトルなど、一見すると楽器とは結びつかない日用品が、見事に音を奏でる道具として使われていました。  歴史と高度な技術によって音色を洗練させた西洋楽器の美しさとは異なり、日常のどこにでもあるものを、自分たちのリズム感と表現力だけで楽器へと変えてしまうという発想に圧倒されました。形式や既成概念に縛られず、生活の中から“音が生まれる場”を作り出してきたバイーアの人々の感性に触れ、音楽文化の多様性と奥深さを改めて実感しました。 帰路  ヘシフェ、サルヴァドール旅行を大満足で終え、帰路につきました。歴史と文化が入り混じり、街全体が華やかに溢れる都市や観光名所を見られ、心から充実した旅となりました。  帰路では、サルヴァドールからジュイス・ジ・フォーラ行きのバスに乗車し、約31時間かけて自宅に到着。道中では、隣に座ったおじさんに話しかけられ、家族に向けたビデオメッセージを残すことになったり、かつて麻薬戦争が勃発し、2022年の国内殺人率ランキングでトップとなった Jequié という街を通過したりと、さまざまなことがありました。  ヘシフェからの移動を含めると、バス旅で合計45時間、距離にしてなんと2,200km(日本の本州は約1,500km)を移動したことになります。年を取ったらもうできないだろうなと思える壮大で貴重な旅路でした。 リオデジャネイロ一人旅  週末には、リオデジャネイロへ一人旅も行いました。私はこれまで人生で一度も一人旅をしたことがなく、いつか挑戦したいと思っていましたが、その夢がまさかブラジルで実現するとは、思ってもみませんでした。ジュイス・ジ・フォーラからリオデジャネイロへのバスは頻繁に運行しており、所要時間は約3時間。往復の交通費も時期によって2,500 〜 6,000円と手頃で、非常にアクセスしやすい環境です。 イパネマビーチでサーフィン  前回リオを訪れた際、海でウォーターアクティビティを楽しむ人々を見て、次回来たときには自分も挑戦したいと思っていました。今回、一人で自由にリオを満喫できるタイミングだったため、思い切ってサーフィンに挑戦してみることに。評判の良いイパネマのサーフィンスクールを予約しました。  料金はR$130(約3,500円)ほどで、2時間マンツーマンでしっかり教えてもらえるため、とてもお得でした。インストラクターさんは、浜辺で15分ほど基本を教えた後、すぐに私を連れて海に飛び出して、実践の中で教えるというスタイルでした。波に乗るタイミングや立ち方、視線の向け方など、私が理解しやすいように日本語でも指示を出してくれ、「コイデ!タッテ!ハマベ!」など、ビーチに日本語が飛び交う不思議な光景も。  初めての挑戦でなかなかうまくいかず何度も失敗しましたが、数回は波に乗ることに成功。想像以上に気持ちよく、充実した時間を過ごすことができました。日本に帰るまでには、さらに上達して波に乗りこなせるようになるのが目標です。 Corcovado コルコバードの丘  今回は、前回曇り空で訪れられなかったリオの象徴、コルコバードのキリスト像を訪れました。ブラジルを代表するランドマークだけあって、行く前から胸が高鳴っていました。  料金所までのバンが営業時間外だったため、Uberで向かい、チケットを購入して丘の上へ。登頂すると、目の前にそびえ立つ圧巻のキリスト像と、360℃広がるリオの街の大パノラマが迎えてくれました。到着した瞬間、その景色の壮大さに心が震える感動を覚えました。  たくさん写真を撮る中で、たまたま旅行に来ていたスペイン人の方々やブラジル人家族と仲良くなり、彼らの写真を撮る代わりにひとり旅だった私の写真も撮ってもらいました。旅が終わり数週間経った今でも、連絡を取り合っているほどです。一期一会の出会いも感じられる、特別な時間になりました。 ファベーラに連れて行かれた  コルコバードを満喫した余韻も束の間、予想外のトラブルが襲ってきました。 バンの運行はすでに終了し、Uberも全く繋がらない。残された手段は個人タクシーのみ。しかも、この後すぐにサッカー観戦が控えており、急いで下山する必要がありました。  上でタクシーを捕まえるとぼったくられる可能性が高いため、少し歩いて登りの際に下車した山の中腹まで降り、そこで再びUberを試みました。しかしやはり呼ぶことができず、仕方なく近くにいたバイクドライバーに声をかけると、降りるだけでR$400(約1万円)を要求されました。リオでは観光客やアジア人に対するぼったくりが珍しくなく、交渉の末、なんとかR$80まで下げることができました。(ちなみに登りはR$30でした。)  下山途中、彼と「君、交渉上手いね。俺は悲しいよ」「ごめん、まじでお金持ってないから」と談笑しながら歩を進めると、彼が突然「実は俺、ファベーラに住んでるんだ。行ってみたい?」と尋ねられました。危険を察知した私は、「行きたくない」と断固拒否。しかし彼は「危なくないよ」と言いながらも、私が登って来た道とは違う狭い道へ進み始めました。  「この道、違くない?登る時にはこんな道通らなかったよ」と私が尋ねると、彼は平然と「こっちのほうが近いんだ、俺の家の方だから」と返答。私は「いや、ここには行きたくない」と再度訴えましたが、「俺がいるから大丈夫」と言って運転を続け、ついにファベーラに到着してしまいました。  目の前に広がっていたのは、まさしくファベーラの光景。細く暗い通路沿いに、縦に連なる茶色いレンガの家々。所々欠けて窓もなく、壁には落書きが描かれていました。周囲には上裸で裸足の子どもたちが走り回り、ヘルメットなしでバイクを操縦する子どもおり、置かれている状況の深刻さを実感。彼は「ここからコルコバードが見えるよ、写真撮りな」と言いましたが、少し仲良くはなったものの、さっきまで私をぼったくろうとしていた相手であり、ここで拒否することに危険を感じ、バイクの後部座席から降りることもなくサブのサブの携帯で2枚だけ撮影し、「予定があるから早く降りて」と伝え、なんとか下山を再開してもらいました。途中も、「髪切っていくか?」など他の住人にも声をかけられましたが、「予定がある」と繰り返し断り続け、ようやく普通の道に戻ることができました。  結果として、故意ではないとはいえ、アジア人一人でファベーラに足を踏み入れ、非常に危険な状況に遭遇してしまいました。本当に九死に一生を得た瞬間でした。私は幸運にも無事で済みましたが、他の留学生の皆さんには、同じような状況に決して遭わないよう、心から注意を呼びかけたいと思います。 ヴァスコ・ダ・ガマ対クルゼイロ  恐怖体験も束の間、リオのサッカーチーム、ヴァスコ・ダ・ガマの本拠地に到着しました!ユニフォームに着替え、スタジアムであるサン・ジャヌアーリオへ歩いて向かいます。  サッカー観戦は長年の趣味でしたが、ブラジルに来てからは実は一度も現地で観戦したことがなく、今回が初めての経験でした。スタジアム周辺はヴァスコサポーターであふれ、屋台の香ばしい香りが煙とともに充満し、スピーカーから流れる音楽に合わせて、みんな盛り上がっていました。  スタジアム内に入ると、熱気あふれる大歓声!今日の対戦相手は、ミナスジェライス州の強豪でリーグ首位のクルゼイロ。ヴァスコへの応援歌と相手へのブーイングが入り混じり、会場全体が一体となっていました。  今回のお目当ては、元ブラジル代表で元バルセロナ所属のフィリペ・コウチーニョ。長年のファンとして、彼のプレーをこの目で見るのはまさに夢でした。選手たちがピッチに姿を現すと、会場を鼓舞するため、なんとコウチーニョが私たちサポーター席のすぐ目の前まで歩いてきて、こんな幸運な瞬間に、興奮を抑えきれませんでした。  試合が始まると、前半で順位で下位に位置するヴァスコがまさかの先制点!会場は揺れ、歓喜の瞬間に、万歳で飛んだであろうビールの雨が頭上から降り注ぎました。日本ではまず味わえない一体感と熱狂で、サッカーがこの国の生活文化そのものとして根付いていることを肌で感じました。  結果は2対0でヴァスコ・ダ・ガマの勝利。ホームで首位クルゼイロを撃破し、直近3試合の不振を吹き飛ばした瞬間、スタジアムは歓喜と歌声に包まれました。 【総括】  9月はジュイス・ジ・フォーラの春先の気候の変化を感じながら、長期休みを終えて後期がスタートした。私生活では冬休みを活かし、ヘシフェやサルバドールを訪れて、北東部の文化・歴史・建築・美食を存分に堪能。多彩な観光地を巡る中で、現地での文化体験を通じて地域ごとの多様性や歴史的背景を肌で実感した。  リオデジャネイロでは新たな挑戦にも取り組み、思わぬハプニングにも見舞われたが、無事に帰ることができた。この1か月を通して、学びと旅行・文化体験が相互に深く結びつき、異文化理解とブラジルでの経験値が一段と高まった、実りある月となった。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-08
【① 気候、衣服】  今月のジュイス・ジ・フォーラは乾季の真っただ中にあり、空気が非常に乾燥しています。昼夜を問わずほとんど雨が降らず、毎日のように澄みきった青空が広がっています。日中は気温が20度前後まで上がる日もありますが、朝晩は10度近くまで冷え込むため、外出時には薄めのダウンジャケットや厚手のパーカーが欠かせません。日差しが強く、歩いていると汗ばむこともありますが、日が沈むと一気に冷え込むため、気温差への対応が難しく、服装の調整に苦労することもありました。  夜間は特に冷え込みが厳しく、私は週に一度、友人たちと夜にサッカーをしていますが、運動中には身体や頭から湯気が立ち上がるほどで、気温の低さを実感します。それでも、乾いた空気の中で身体を動かす爽快感があり、日本の蒸し暑い8月とは真逆の感覚で過ごしています。  衣類に関しては、想像以上に冬服が必要でした。ブラジルと聞くと「常夏の国」という印象を持つ方も多いかもしれませんが、ジュイス・ジ・フォーラの冬は内陸の高原地帯に位置していることもあり、朝晩の冷え込みが予想以上に厳しいです。現地の衣料品店は日本ほど品ぞろえが豊富ではなく、防寒用のインナーも限られているため、日本からヒートテックを持参したのは正解でした。  日本では今夏、記録的な猛暑に見舞われたというニュースを目にしました。それを思うと、涼しいブラジルの冬に身を置けていることに少し安堵を覚えます。季節が逆転しているため、家族や友人と「日本は灼熱なのに、こちらは冬だよ」と話題にすることもしばしばあります。こうした気候の違いを実際に肌で感じ、生活の中で適応していく過程も、留学ならではの貴重な体験だと感じました。 【② 学校生活と授業】  8月は前期の最終月であり、各授業でテストや課題発表が重なり、学内は慌ただしい雰囲気に包まれていました。私が履修している写真の授業では、前月から友人と共同で制作を進めていたフォトブックを、アート学部全体で開催された展示会に出展しました。  展示中、驚くことに私たちの作品が購入されるという出来事がありました。私は、観客の方々が購入できること自体知らなかったため驚きましたが、自分たちの作品が他者に評価され、形として受け入れられた経験は、努力が報われたことを実感させ、前期の授業を締めくくるにふさわしい、充実感と達成感に満ちた体験だったと感じています。 (ちなみに約2700円の収益を得ることができました!)  前期が終わった今、ようやく一段落ついたという安堵感と、時間があっという間に過ぎてしまったことへの名残惜しさが入り混じっています。ブラジルに来た当初、日本人1人でブラジル人ばかりの教室に入り、友人ができるまでの数週間、多くの不安や苦労を感じていたことを思い出すと、今では懐かしい気持ちになります。 そして、せっかく仲良くなった彼らとも、後期では中々会えなくなることに寂しさも感じます。  前期が終わったことにより、小学一年生から続いてきた私の学生生活も、残すところ後期のみとなりました。前期の経験を糧に、絶対に思い残すことがないよう、後期も最後まで全力で取り組んでいきたいと思います。 【③ 生活と旅行】 サッカーの試合  私は週に一度、友人たちとサッカーを楽しんでいますが、今月は月初めに別のグループとの対抗試合が行われました。普段の内輪でのゲームとは違い、メンバー全員が数日前から気合が入っており、グループチャットには 試合のルール! ・謝罪は禁止 ・相手との接触は即ファウルアピール ・膝から下への接触は全て許可 ・金属スタッド付きスパイクを持参 ・携帯電話を一台、SAMU(救急)にすぐかけられる状態で用意 ・ルーズボールなんて存在しない=全てのボールは命がけで取りに行け など冗談混じりでありながらも本気度が伝わるメッセージが送られてきました。  当日、球際の激しい攻防が続き、攻守にわたって緊張感あるプレーが繰り返されました。結果は惜しくも敗北となりましたが、これまでの内輪の試合とは違い、全員が本気で勝ちにこだわり戦う姿やチームワークを体感することができ、チームとしての結束がまた一段と深まったと感じます。 今回の悔しさと経験を糧に、さらに気合を入れて練習し、次の試合ではチーム一丸で勝利を目指したいと思います。 寿司職人    サンパウロで日本の調味料を手に入れられるようになったことで、以前から続けていた日本料理作りがさらに充実するようになりました。8月には友人を自宅に招き、寿司や日本の家庭料理を振る舞うことにしました。サーモンや玉子などの握り寿司を提供し、ブラジル人の友人たちにも実際に寿司を握ってもらいました。「ヘイ、お待ち!」と掛け声をかけながら、日本の寿司文化を擬似体験してもらう様子はとても楽しそうで、見ている私も嬉しく感じました。  寿司以外にも、豚汁やじゃがバターなど、久しぶりの和食も食べることができました。日本の家庭料理はブラジルの日本料理店ではあまり提供されておらず、なかなか味わえない家庭的な温かさを改めて実感しました。こうして友人たちと日本の食文化を共有する時間は、単なる料理体験を超えて、異文化交流の貴重な機会にもなりました。 天文観測  大学内にあるサイエンスセンターで、友人たちと天体観測体験に参加しました。この体験ツアーは事前申し込み制で無料であり、地域の子どもたちも一緒に参加していました。ツアーでは、サイエンスセンターの屋上にある巨大な展望台から月や星座を観察しました。職員の方がレーザーポインターを使って星の位置や特徴を丁寧に説明してくださり、とても楽しむことができました。  その後も、人体の構造を学ぶ科学の授業や、静電気を利用した実験などが行われ、無料で体験できる内容とは思えないほど充実していました。しかし、ツアーの最後に訪れたプラネタリウムでは、夜遅くまでの1時間半以上に及ぶ科学ツアーで疲れが溜まってしまい、開始からわずか5分ほどで眠ってしまいました。友人に起こされるまで全く記憶がなく、せっかくのプラネタリウム体験をほとんど楽しめずに終わってしまいました。 せっかく訪れた貴重な機会を無駄にしてしまったため、近いうちに必ずリベンジし、しっかり星空とプラネタリウムを楽しみたいと思います。 Rio de Janeiro リオデジャネイロ旅行  今月は、リオデジャネイロを初めて本格的に観光しました。日帰りで行ける距離にも関わらず、これまでバスや飛行機の経由地としてしか利用していなかったため、旅行前から非常に楽しみにしていました。 Santa Teresa サンタテレーザ  サンタテレーザは、石畳の坂道と古い家並み、そして街の至るところに描かれたカラフルなストリートアートが印象的な地区です。リオ中心部の再開発と家賃高騰により、多くの芸術家たちがこの地へ移り住み、自宅の壁や街角をキャンバスとして絵を描き始めたことから、街全体がひとつの美術館のような姿へと変わっていきました。 日本であれば、ストリートアートはしばしば「落書き」とみなされ、観光地として評価されることはほとんどありません。だからこそ、こうして路上の自由な表現を受け入れ、街の魅力として共存しているサンタテレーザの寛容さに、深い魅力を感じました。 アートの中には、排水管やマンホール、階段などを利用し、作品の一部として彩られています。キャンバスの上では描けない“路上ならでは”の自由な表現と工夫に、私は強く心を惹かれました。  また、街を歩いていると、黄色い車体がトレードマークの路面電車が、ゆっくりと坂を登っていく姿が目に入りました。これは世界最古の路面電車の一つであり、今も現役で走り続けています。今回は時間の都合で乗ることはできませんでしたが、歴史を感じさせるその車体がカラフルな街並みの中を進む光景は、まるで一枚の絵のように美しく、思わず立ち止まって見入ってしまいました。 芸術が生活の中に溶け込み、壁のない美術館として存在するサンタテレーザという街は、リオの豊かな感性と自由を象徴しているように感じました。 Copacabana コパカバーナビーチ  コパカバーナビーチはリオを象徴する場所のひとつで、旅行するならぜひ訪れたいと思っていました。白い砂浜と青い海が印象的で、海岸沿いにはヤシの木が並び、遠くにはポンジアスカールがそびえ立っていました。 ビーチでは、人々がそれぞれの時間を思い思いに楽しんでおり、ビーチサッカーに興じる人、波音に耳を傾けながら読書をする人、日光浴で陽ざしを満喫する人、平日にも関わらず多くの人で賑わい、この場所にはリオの人々の“自由さと"明るさ"がそのまま現れているように感じられました。 海ではサーフィン教室も行われており、次回訪れたときには、水着を持参してウォーターアクティビティにも挑戦してみたいです。 Garota de Ipanema イパネマの娘  夕食には、ボサノヴァの名曲『イパネマの娘』の舞台にもなった Garota de Ipanema というレストランを訪れました。 店内には、作曲家 アントニオ・カルロス・ジョビン と作詞家 ヴィニシウス・デ・モライス が手がけた『イパネマの娘』の楽譜や彼らの写真、ギターなど音楽関連の品々が並び、ボサノヴァの歴史を身近に感じることができました。  接客も温かく、興奮して写真を撮っていた私に「写真を撮ってあげるよ」と声をかけてくださり、記念写真を撮ってもらうこともできました。 料理は少し高めですが、クオリティは抜群で、歴史ある雰囲気の中、心から楽しんで食事をすることができました。平日に訪れたため比較的空いていましたが、週末や祝日には観光客で混雑するそうなので、訪れるなら平日がおすすめです。 Museu do Amanhã 明日の美術館  オスカー・ニマイヤーが設計した、美しい曲線と近代的なデザインが印象的な美術館を訪れました。外観からして圧倒されるような存在感がありました。 入館すると正面には、地震や天気、気温などの情報を映し出す巨大な地球儀が浮かんでおり、まるで地球そのものが館内に現れたかのような迫力がありました。 館内には、地球の環境問題や気候変動、資源の現状などについて考えさせられる写真や映像作品が数多く展示されていました。海の汚染や森林破壊を写した作品の前では、日常生活の中で私たちができることについて自然と意識が向き、単なる鑑賞にとどまらず、自分自身の行動や価値観について考えさせられる時間となりました。 さらに、世界各国の文化や生活を紹介する写真もあり、日本の和式の結婚式の様子や世界各国のリアルな日常を垣間見ることができ、異文化理解の面でも非常に興味深い体験となりました。作品の展示方法も工夫されており、映像、音響、光の演出が絶妙に組み合わさって、ただ見るだけでなく身体全体で作品を体感できるようになっています。 近代的な空間と最新のテクノロジーを駆使し、地球の現状と未来を考えさせられ、学びと感動が同時に得られる素晴らしい体験となりました。 また、お土産コーナーも非常に充実しており、他では手に入らない凝った商品を購入できる点もおすすめです。 滞在期間中のアクシデント  今回の旅行では、サンタテレーザにある宿に滞在しました。 景色が素晴らしく、主要エリアにもアクセスしやすいことからこの場所を選んだのですが、思いがけない危険な出来事にも遭遇しました。  2日目の朝、ベランダで朝食をいただいていた時、突然「パンッ!パンッ!パン!!」と大きな破裂音が響き、その直後、頭上を何か小さくて速いものが風を切る音が通り過ぎました。 私たちはすぐに室内へ避難し、その後オーナーに確認したところ、「銃の音ではないかもしれないが、断言はできない」とのことでした。幸いベランダには屋根があり、身の安全は確保されていましたが、心臓が凍るような瞬間でした。 また、滞在期間中にUberで宿戻るたび、何人かのドライバーから 「ここはファベーラが近くて危ない。自分も襲われたことがある」 と忠告されることがあり、自分たちの想像以上にリスクの高い場所に滞在していたことを実感しました。 次にリオを訪れるときは、景色や価格だけで選ぶのではなく、周辺環境や治安を入念に調べ、安全を最優先に滞在先を選ぼうと思います。 Valença ヴァレンサ・Rio preto リオプレト旅行  ヴァレンサは、リオデジャネイロ州内陸にある人口約8万人の小さな街です。 今回の旅の目的は、友人から「8月にFesta de Nossa Senhora da Glóriaという、聖母マリアの栄光を讃える伝統的なカトリックのお祭りがある」と聞いていたため、その祭りに参加することでした。 ヴァレンサに向かう前に、州境に位置するリオプレトという町で数日間過ごしました。ここには友人の実家があり、滞在中はご家族の家に宿泊させてもらいました。ご両親はとても温かく迎えてくださり、日本の話をたくさん聞かれたり、ブラジルの家庭料理を振る舞っていただいたりと、ホテル滞在では決して味わえない家庭ならではの時間を過ごすことができました。  リオプレトでは、ハイキングを通して壮大なミナスジェライス州の自然を満喫し、洞窟の中に作られたキリスト教の祭壇にも足を運びました。野生動物も多く、野鳥のトゥカーノを見ることができたり、夜にはジャガーが現れることもあると聞き、自然のスケールの大きさを肌で感じました。 これまで訪れたブラジルの中でも特に田舎で、道路を牛の群れが悠々と歩いていたり、立ち寄った店で「アジア人が珍しい」と写真を求められたり、都市部や観光地では出会えない光景と人々に触れることができました。  ヴァレンサのお祭りでは、街の中心にある教会の周りに多く人々が集まり、ステージやメリーゴーランドが設置され、音楽に合わせて踊る人、屋台を楽しむ人など、街全体が一体となって盛り上がっていました。 内陸の小さな町ならではの、町全体でお祭りを盛り上げようとする一体感と温かく素朴な雰囲気があり、ブラジルの地方文化とコミュニティの力強さを肌で感じることができました。 São Paulo サンパウロ  冬休みの大きな旅行として、来月の頭にサンパウロ大学のメンバーとブラジル北部へ旅行する予定があり、出発地であるグアルーリョス空港があることから、その数日前から再びサンパウロに滞在することにしました。 これまでにもサンパウロには数回訪れていましたが、いずれもイベントに合わせた週末のみの短期滞在だったため、予定が詰まり自分の時間がほとんどありませんでした。そのため今回は、「自分の行きたい場所を、自分のペースで巡る」ことをテーマに観光を楽しむことにしました。 Museu Afro Brasil アフロ・ブラジル博物館  サンパウロでぜひ訪れたいと思っていた場所のひとつが、このアフロ・ブラジル博物館でした。ここは、黒人差別と奴隷制度の歴史、文化、そして彼らが生み出した芸術を深く知ることができる場所です。 館内には、ブラジルに連れてこられたアフリカ系の人々が使っていた祭具や衣装、部族を象徴する像などが展示されていました。数多くの展示の中でも特に目を引いたのは、再現された奴隷船の模型と、奴隷制度下における黒人たちの様子を描いた絵画です。 奴隷船の模型は一見大きく見えるものの、船底の高さは1.5メートルほどしかなく、その狭さに何百人もの人々が押し込められていたとは到底信じられない構造でした。また絵画には、銃を持ち別の部族の人々を捕らえて白人に売る黒人の姿や、白人の子どもの遊び相手として馬乗りにされる黒人女性、白人女性が黒人の子どもを棒で叩く場面などが描かれていました。 どの作品も、文字や知識だけでは味わえない圧倒的な重みがあり、ブラジル、そして人類史に刻まれた悲しい過去を、自分の目で見て心で受け止める時間となりました。 コンセプトレストラン  サンパウロには映画やアニメをテーマにしたコンセプトレストランが多く、普段は日本食ばかりでなかなか行けないのですが、今回は時間に余裕があり、ついに訪れることができました。 最初に訪れたのは、ONE PIECE をコンセプトにしたレストラン。店内にはフィギュアや装飾が所狭しと並び、まさにワンピース愛に溢れた空間でした。メニューにも遊び心があり、〈Gomu Gomu Burger〉や〈Gol D. Poteto〉など、キャラクターにちなんだ名前が並んでいました。 私はGomu Gomu Burgerを注文。運ばれてきたときは「普通のハンバーガーだ…!」と思ったのですが、一口食べるとチーズがびよーんと伸びて“ゴムゴム”感を再現しており、思わず「こういうことか!」と笑ってしまいました。ユーモアだけでなく味も絶品で、最後は2階の展示コーナーで写真撮影までさせてもらい、大満足の時間でした。 翌日は、私の大好きな洋画 Pulp Fiction をテーマにしたレストラン Big Kahuna へ。こちらも作品に関連した装飾やファンアートで溢れており、平日でお客さんが少なかったこともあって、店内をほぼ独り占めで写真撮影を楽しめました。もちろん映画に登場するチーズバーガーを注文し、こちらも期待を裏切らない美味しさでした。 サンパウロには作品愛に満ちたコンセプトレストランが本当に多く、日本のメイド喫茶を再現したお店もあるそうなので、次回はぜひそちらにも足を運んでみたいです。 ブラジルのフラメンコ  サンパウロ最終日には、ブラジルでフラメンコが楽しめるスペイン料理レストランを訪れました。 私自身、神田外語に通っていた頃、フラメンコ部に所属しギターの練習に励んでおり、まさかブラジルで本場さながらのフラメンコを見ることができるとは思ってもいませんでした。少し中心地から離れた場所でしたが、予約を入れてワクワクしながらレストランに向かいました。 ショーが始まるまでの間は、パエリアなどのスペイン料理を堪能。思っていたよりも本格的な味に驚きつつ、ショーの始まりを楽しみに待ちました。 暗くなり、照明が落とされると、会場は一気に熱気に包まれ、バイレの美しい舞に息を飲んで見入ってしまいました。 ショーの間、私は持参したカメラでたくさん写真を撮り、終了後に食事をしながらその写真を眺めていました。すると、突然楽屋に帰っていったはずの出演者の方が私の席までやってきて、「さっき撮っていた写真をぜひ送って欲しい」と声をかけてくれたのです。 まさかこんなことが起こるとは思わず、私は「アマチュアですが、よろしければ」と写真を送ると、出演者全員で喜んでくれました。 思いがけないサプライズもあり、この日の体験はフラメンコの情熱だけでなく、人との温かい交流も重なった、最高の思い出となりました。 【総括】  8月は、日常の学びや生活、そして旅行や異文化体験が絶妙に交錯する、充実した一か月となりました。ジュイス・ジ・フォーラでは、乾季の冷たい空気の中で授業やテスト、フォトブック制作に取り組む一方で、友人たちとのサッカーの試合にも興じ、忙しい日々の中にも楽しさや充実感を感じながら過ごすことができました。 旅行では、リオやサンパウロの美術館や博物館、ストリートアートを巡る中で、芸術や歴史、街の文化の豊かさに触れる貴重な体験を重ねました。また、ヴァレンサやリオプレトでは、地方の祭りや地域の人々との交流を通じて、都市部とは異なる暮らしの息づかいや温かさに触れ、旅ならではの発見や驚きに満ちた時間を過ごすことができました。 この一か月を振り返ると、日常の小さな出来事から旅行先での非日常的な体験まで、さまざまな経験が互いに重なり合い、ブラジルでの生活の奥行きや多面性をより深く実感できた月だったと感じます。学び、交流、旅での感動、そのすべてが結びつき、8月は自分にとってかけがえのない特別な時間になったと思います。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-07
【① 気候、衣服】 7月に入り、気温は徐々に下がってきました。平均気温はおよそ17℃前後で、日中は20℃を超えることもありますが、夜間は13℃程度まで下がるため、ジャケットがないと肌寒さを感じます。 天候は、先月までに比べて曇りがやや増え、7月末には嵐のような暴風雨と雷雨に見舞われる日もありました。 朝晩には吐く息が白くなることもあり、今まさにブラジルの冬を過ごしているのだと実感しています。 【② 学校生活と授業】 学校生活は特に大きな変化もなく、落ち着いて過ごしています。先月行われた文化人類学のテストが返却され、9割を獲得することができました。資料の閲覧が可能な形式だったため難易度は高くありませんでしたが、数字として成果を残せたことは、これまで「本当に成績が取れるのだろうか」と不安を抱きながら履修していた自分にとって、大きな安心材料となりました。 一方、外国人向けポルトガル語の授業では、授業内容自体は変わらないものの、徐々に自国へ帰国する生徒が出始めています。開講当初は15人ほどいた教室も、今では10人ほどに減りました。留学が始まってまだ2か月ほどですが、せっかくできた友人との別れを経験することになりました。 帰国する生徒のために先生がケーキを用意してくださり、授業後に皆でケーキを食べ、写真を撮り、ブラジルの国旗にメッセージを書くなど、小さな送別会を開くことができました。自分自身もあと数か月すればブラジルでの生活が終わってしまうのだと実感し、少し切なさを覚えました。 【③ 食事】 先月サンパウロに行った際に購入した調味料を使い、さまざまな日本食を作っています。豚骨ラーメンやすき焼き、豚カツ、寿司、しゃぶしゃぶなど、3ヶ月ぶりに本格的な日本食を味わうことができ大変感動しています。 日本とは異なり、牛の薄切り肉の取り扱いがなかったり、肉の質が違ったりするため、完全に同じ味を再現することは難しいですが、工夫を重ねることでできる限り近づける努力をしており、自分の料理の腕前向上にもつながっています。 日本の調味料が揃ったことで、留学経験のある学生たちと日本食パーティを開くこともでき、食生活は非常に充実しています。また、スーパーよりも 安くて融通の効く地元のAçougue(精肉店)で肉を購入するように心がけており、現地のスタイルを取り入れながら生活するようにしています。 【生活】 イグアスの滝旅行  30時間のバス移動 先月、日本人の会で仲良くなったサンパウロ大学に留学中の学生達と一緒に、イグアスの滝へ旅行する事になりました。 サンパウロ組は市内に大きな空港があるため飛行機で向かうことになったですが、私の住むジュイス・ジ・フォーラにも空港はあるものの直行便はなく、仕方なくリオデジャネイロ経由でイグアスに向かうことになりました。 旅程を考えている際、以前日本人の会にいらっしゃった駐在員の方が「若い頃はバスでブラジル中を旅していた」と話していたエピソードを思い出し、「ここで若気の至りを出さなければいつ出すのか」と決意した私は、リオからの飛行機利用をやめ、計30時間に及ぶバスルートを選択しました。 旅行当日、出発は午前3時。前夜23時まで友人宅で誕生日パーティをしていた私は、わずか3時間の睡眠で片道1,600kmというこの狂気の長距離のバス旅行に臨みました(もちろん復路もバスです) バスの旅は、ミナスジェライス州からサンパウロ州、パラナ州を横断する長距離の道のりでした。 建物一つない広大な自然が果てしなく続き、日本では経験できない、国土の広いブラジルならではの壮大さを肌で感じました。 各所で休憩のために停車するたび、飛行機で移動していたら出会うことのなかったであろう小さな町や風景を見たり通ったりすることができ、バス移動ならではの醍醐味を味わいました。 飛行機のほうが早くて便利ではありますが、不便だからこそ得られる経験の貴重さもあり、費用を抑えられる点でも魅力的でした。 とはいえ、さすがに丸一日以上の移動ということもあり、何度眠っても到着せず、節約のために最も安いシートを選んだこともあって、リクライニング範囲は限られスペースも広くはなく、体力的にはやや大変でした。 それでも身体を痛めることなく、無事に最終目的地のフォズ・ド・イグアスに到着し、皆と合流することができました。 宿泊トラブル 初日は昼頃に到着し、翌日に備え午後をゆっくり過ごすためにAirbnbに向かいましたが、チェックイン時にトラブル発生。宿の外にあるキーボックスに鍵が入っておらず、入室することができませんでした。結局、約30分後にオーナーが到着し対応してくれましたが、滞在中は定期的にブレーカーが落ちたり、シャワーが冷水しか出なかったり、エアコンが使えなかったり、寝室の電線が屋根裏の動物にかじられて使えなくなったりと、日本では考えられないトラブルが次々と発生しました。サンパウロのような都市部以外での旅行は初めてだったため、これまで順調だったブラジル生活の中で、初めて本格的なブラジルの洗礼を受けることになりました。 (後日、滞在中トラブルが多発したため、オーナーに交渉して宿代を値下げしてもらうことができました。) イグアスの滝へ イグアス旅行2日目、タクシーとバスを乗り継ぎ、ようやくイグアスの滝のある公園に到着しました。本命の滝に向かって歩く道中にも大小さまざまな滝があり、数え切れないほどの虹がかかっていました。人生で初めて、虹の端から端までくっきりと広がる光景を目にし、その美しさに圧倒されました。目的の大滝に着く前から、息を呑む景色が続き、感動と大興奮で胸がいっぱいになりました。 本命の滝に到着すると、台風のような勢いで襲いかかる水飛沫と轟音が響き渡り、その凄まじさに心を打たれました。 私たちは河童を着用し完全防備で臨んでいたため問題ありませんでしたが、普通の格好やジーンズで訪れている方達もおり、彼らはどうやって帰るのかと少し心配になるほどでした。 圧巻のスケールを持つ滝は、人間では到底コントロールできないような大自然の力を見せつけ、世界遺産且つ世界三大瀑布に数えられるだけの価値を実感させられました。これまで人生で訪れた場所の中で、最もインパクトがあり、感動的な体験となりました。現地のガイドさんによると、この日の水量は通常の3〜4倍で、まさに絶好の観光日だったそうです。 滝突っ込みツアー その後、来た道を戻り、1時間の山道ハイキングを経て川に降り、先ほど見た滝に突っ込むボートツアーに参加しました。川を逆流しながら滝に向かう最中は、船体が激しく揺れ、水を被ったり、くるぶしを超える高さまで水に浸かる場面もありました。しかし滝の真下に到着すると、上から見た景色とはまた違い、その威力に恐怖を覚えるほどの圧巻の迫力。 全員が歓声を上げて大興奮し、自然の圧倒的な力を全身で体感できる、まさに貴重な体験となりました。 アルゼンチン側へ 初のアルゼンチン入国 アルゼンチンに入国するにはUberは利用できず、バスで国境まで移動して入国手続きを済ませ、その後再びバスに乗って国内に入りました。 手続き中は、ブラジルから入国しているにも関わらずスペイン語でしか話しかけられず、理解するのに苦労しましたが、何とか入国することができました。てっきりパスポートにアルゼンチンのスタンプがもらえると思っていたのですが、手に入らず少し残念でした。 それでも、島国の日本では経験できない飛行機以外で国境を跨ぐ体験に、新鮮さを覚えました。ただし、景色自体はブラジル側とほとんど変わらず、あまりアルゼンチンに入った実感はなかったのが正直なところです。 悪魔の喉笛 アルゼンチン側のイグアスの滝で最も有名なスポット「悪魔の喉笛」へは、アマゾン川のように広大で茶色い川の上にある一本橋を歩き続けることで辿り着きます。アルゼンチン側では滝口の真上ギリギリまで近づくことができ、まるで濁流に飲み込まれてしまいそうな感覚を覚えました。 ブラジル側では、滝が流れ落ちてくる水を横や下から眺める形になりますが、アルゼンチン側では滝の上流の川をほぼ水平な目線で見ており、その川が滝口に吸い込まれていく様子を目の当たりにすることができます。滝口の上側に立つことで視点の違いを体感でき、また別の迫力を味わうことができました。 落下の勢いで舞い上がった水は雨のように降り注ぎ、凄まじい轟音を立てていました。ブラジル側にも負けない迫力に、圧倒されると同時に感動しました。 鳥公園 最終日は Parque das Aves(鳥公園) を訪れました。 この公園の最大の特徴は、鳥を一般的な動物園のように檻越しで観察するのではなく、観光客が鳥たちのいるドーム内に入り、至近距離で観察できる点です。国鳥のトゥカーノやオウム、インコ、ハチドリなど、美しい羽毛を持つ鳥たちを間近で見ることができ、その鮮やかさに思わず感動しました。 さらに、各エリアには巨大なパネルが設置されており、顔をはめて遊んだり、パネルの羽に合わせてポーズを取ったりすることもでき、とても楽しかったです。写真撮影が趣味の私にとって、檻越しではなく自由に鳥たちを撮影できるのは、これ以上ない幸運であり、貴重な体験となりました。 日本祭りと友人との別れ このイグアス旅行を終え、この数日間の貴重な体験を胸に帰路につきました。帰宅後、サンパウ口で日本祭りが開催されると聞き、異国の地で開催される自国のお祭りを体験したいと思い、イグアス旅行終了から中1週間で再び週末にサンパウロへ向かいました。 会場のサンパウロエキスポセンターには、北海道から沖縄まで各都道府県(一部を除く)のご当地料理の屋台が並び、大盛り上がりしていました。 来場者数の多さで移動が大変な程でしたが、日本文化が異国でこれほど広く受け入れられていることに改めて感動しました。お好み焼きやカツ丼、抹茶ソフトなど、久しく味わっていなかった日本食に触れ、大満足でした。さらに、屋台の人手不足で急遽サンパウロ大学の友人に誘われ、埼玉県の屋台で餃子を焼くボランティアをすることになったり、在外公館派遣員としてサンパウロに勤務している先輩と一年越しに再会できたりと、参加の価値が非常に大きいイベントでした。 そしてこのタイミングで、約半年のサンパウロ大学への留学を終えた大阪大学の学生たちが帰国日を迎えました。 最後のシュハスコパーティや空港での別れでは、大勢の友人とともに涙を流しながら別れを告げました。 友人の帰国により、自分の留学生活もいずれ終わるという実感を再び抱き、残りの半年間で何を残せるか、何ができるかを改めて考えるきっかけになりました。 【総括】 7月は、自分にとってまさに“濃密”という言葉がふさわしい一か月となりました。冬の訪れを肌で感じながら、日常の学びや生活の充実、非日常的な冒険や異文化体験が入り混じり、これまで以上に多面的な経験を積むことができました。友人とのパーティや交流を通して生活も豊かになり、文化的な発見や気づきも多く得られました。 イグアスの滝への旅は、言葉では表せないほどの圧倒的な体験の連続でした。滝の轟音や濁流に飲み込まれそうな迫力、そして最終日の鳥公園で美しい鳥たちを間近で観察した瞬間、どれもが人生で忘れられない体験となりました。 7月を通して、学び、生活、旅、友情、異文化体験——すべてが繋がり、自分自身の成長を実感できた一か月でした。心も体も全力で動かし、充実した特別な時間を過ごせたと改めて感じています。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-06
【① 気候、衣服】 6月に入り急激に気温が下がり、長袖で過ごす日々が続いています。最近は、日没も早まっており、授業後に学食で夕飯を食べた後だと20時過ぎになってしまう為、そこから歩いて帰るのにはかなり体が冷えます。 私は、ブラジルには長袖と半袖だけ持ってきて、ダウンやジャケットなどの防寒着を持ってきていなかった為、近くのRENNER(UNIQLO的なファストファッションブランド)に行きジャケットを買うことにした。 種類も沢山あり値段も様々だったが、基本はそんなに高くなくダウンジャケットでも1万円は超えない。稀にダウンを着たくなるような極寒の日もあるが、基本はそこまで気温が下がないため、8000円くらいで人工皮革の革ジャンを購入しました。 8000円にしては素材も良く、風も通さない為当分はこのジャケットで快適に過ごしていけそうです。 (交換留学の予定の方は、薄めのダウンジャケットか軽くて、風を通さないウインドブレーカージャケットのようなものを持参することをおすすめします。もし日本で使っているものをブラジルに持っていくのが不安でしたら、お近くのワークマンを一度訪れてみてください。4000円もあれば、高性能な商品がかなり色々選べます。By 店員歴5年より) 【② 学校生活と授業】 6月になり、大きめのプレゼンテーションや課題、テストのシーズンに入りました。私が受講している文化人類学でもテストが行われ、先生の都合によりオンラインでの開催になった為、早く終わらせれば早く自由になれると喜んでいましたが、実際には設問が難しすぎて5問の問題を解くのに4時間を要しました。 普段の授業で集めていた資料を使ってこれだったので頑張っていなかったらどうなっていただろうとゾッとしました。私は例外で、テスト前に事前に先生からポルトガル語か英語好きな方法で回答していいと言われており、もちろんポルトガル語で答えようと思っていましたが、英語で回答してもギリギリでした。手応えはあったので、来月に結果が返ってくるのが楽しみです。 【③ 食事】 今までは学食があまり好きではなかったため、ほとんど利用していませんでした。しかし、食費のことを考えて少しずつ通い始めると、徐々に味も好みに合うようになり、今では学校のある日の食事はほとんど学食で摂るようになりました。入る時間を工夫したり、ドレッシングを変えたりすることで、混雑を避けつつ、健康的な食事を意識しています。自炊に関しては、そろそろ本格的な日本食が恋しくなってきました。今月はサンパウロへ行く予定があるため、リベルダージで日本の調味料を手に入れ、料理に活かせればと考えています。 【④ 生活】 銀行口座の開設 ブラジル到着から2か月が経ち、ようやく銀行口座を開設しました。 RNMがまだ完成していなくても、申請時に発行される顔写真付きの仮証明書とパスポート、マイナンバーカードを提示すれば、約1時間で手続きは完了します。 口座を持つ最大のメリットは、PIX(インターネット送金やQR決済が可能なサービス)を利用できることです。ブラジルはキャッシュレス化が非常に進んでおり、現金や日本のクレジットカードが使えない場所も少なくありません。そのため、PIXが使えるだけで生活が格段に便利になります。 実際に友人と食事に行った際も、代表して支払いして貰った場合、PIXで送金するのが一般的でした。これから留学に来る方は、RNMの登録が済んだらできるだけ早めに口座を開設することを強くおすすめします。 サンパウロ旅行 今月は、留学生活で初めての旅行としてサンパウロを訪れました。 ジュイス・ジ・フォーラからは飛行機の直行便がなく、長距離バスを利用することに。ブラジルのバスは比較的安価で、Wemobiを利用して往復約6,700円に抑えることができました。 最初は「本当に乗り場は合っているのか」「パスポートを忘れていないか」「荷物は正しく預けられるのか」と不安でいっぱいでしたが、スタッフの丁寧な対応のおかげで無事に出発。片道約8時間の移動も、映画を観たり外の景色を眺めたりしているうちにあっという間で、無事にサンパウロのRodoviária Tietê へ到着しました。 ブラジルのすき家 サンパウロで最初に訪れたのは、日本でもお馴染みの「すき家」でした。ジュイス・ジ・フォーラには店舗がなく、友人から噂を聞いていたので楽しみにしていました。 店内には多くの客がいて、「いらっしゃいませ」と声をかけられたときは、まだ日本を離れてそんなに月日が流れた訳ではないが、どこか懐かしい不思議な感覚を覚えました。メニューには牛丼やネギ玉丼といった定番のほか、ラーメンやしめじ丼、さらにはフライドポテトや餃子といったサイドメニューまであり、日本と同じようで少し違う新鮮さがありました。 私は最初ということもあり、あえてトッピングなしの牛丼を注文。日本の方が米や肉の甘みは強いものの、思っていた以上に「牛丼そのもの」で驚きました。アジア圏以外で日本のチェーンを味わえる機会は貴重で、特別な体験となりました。(価格は日本より約200円程高めでした。) リベルダージ 今回の旅行で一番楽しみにしていたのが、日本人街リベルダージです。 日本を思わせる建物や店舗が道路を挟んでズラッと並び、観光客だけでなく地元の人々でも賑わい、活気あふれる街並みに浅草の仲見世通りを歩いているような印象を受けました。 特に楽しみにしていたのは、日本食材を扱う「丸海」です。店内には菓子や調味料、食器まで日本の商品がずらりと並び、店員さんとも日本語で会話できるほど。ブラジルにいながら日本に一時帰国したような気分を味わいました。 結局、味噌・カレールー・みりん・ほんだしなどをまとめ買いし、1万円ほど使ってしまいました。価格は日本の倍近く(カレールー930円、みりん1L 1,500円、味噌1,800円など)するため、余裕があれば日本から持参するのが賢明だと思います。 サンパウロ動物園 サンパウロ動物園は、以前から訪れたい場所の一つでした。広大な森林を切り開いて造られた園内は、日本の動物園とは規模がまるで違います。 国鳥トゥカーノ、国獣ジャガー、絶滅危惧種のゴールデンライオンタマリン、アマゾンのカラフルなカエルやアナコンダなど、南米特有の動物を間近で観察できました。駆け足で回っても約3時間を要し、非常に充実した時間を過ごせました。 サンパウロ水族館 水族館でありながら動物園のように多様な生き物が展示されている、不思議な場所でした。世界最大の淡水魚ピラルクやピラニア、ニシキヘビのほか、ワオキツネザル、カンガルー、ミーアキャットまでいて驚かされました。 中でも楽しみにしていたのが、7か月前に誕生して話題となったシロクマの赤ちゃんです。基本的に動かない大人のシロクマとは違い、元気に走り回り、水に飛び込んで観客を沸かせる姿はとても愛らしく、癒やされました。 日本人の会 サンパウロで開催される「日本人の会」に参加させていただきました。これは、現地駐在員や留学生が集まり交流する場です。 他大学から来ている留学生とも出会い、キャリア形成や駐在員の役割、学生時代にしておくべきことなどをグループディスカッションやプレゼンテーションを通して話し合うことができました。懇親会では個別に相談に乗っていただいたり名刺をいただいたりと、将来進もうと考えている道で現役で活躍されている先輩方にお会いし、直接交流できたことは、今後の人生やキャリアを考えるうえで非常に貴重な経験となりました。 LGBTプライドパレード サンパウロで毎年行われるLGBTQ+のプライドパレードにも参加しました。パウリスタ通りに約400万人が集まる世界最大級の規模で、圧倒されました。 虹色の衣装や扇子を手にした人々、ドラァグクイーン、巨大トラックから流れる大音量の音楽と白煙、通り全体が巨大なクラブのようになり、熱狂と混沌に包まれていました。日本では到底見られない規模の社会運動であり、自己表現のあり方として日本でも参考にするべき点が多くありました。 栃木県民会と盆踊り 最後に参加したのは、サンパウロで開催された「栃木県民会」です。 20世紀初頭に栃木からブラジルへ移住した日系人とその子孫が受け継いできたコミュニティで、日伯外交樹立130周年を記念したイベントでした。 劇や盆踊り、カラオケ、流しそうめんなどが行われ、日本文化とブラジル文化が融合した独特の雰囲気に包まれていました。特に流しそうめんは、暖かいスープに錦糸卵やナルトが添えられ、ブラジルらしいアレンジが加わっていて印象的でした。 【総括】 6月は気温の低下や授業・課題の多忙さ、生活面での変化を実感した一か月でした。長袖やジャケットの準備不足を補うための買い物、銀行口座開設、学食での食生活改善など、日常生活の工夫が求められました。 また、サンパウロ旅行やリベルダージでの日本食材購入、動物園・水族館の訪問を通じて、ブラジルの文化や自然に直接触れることができ、異文化理解を深める貴重な体験となりました。加えて、日本人の会や栃木県民会、LGBTプライドパレードへの参加では、現地で活躍する先輩方や多様な人々と交流する機会を得ることができ、将来のキャリアや自己表現のあり方について考えるきっかけにもなりました。来月も引き続き、多様な体験や交流を通して、留学生活をさらに充実させていきたいと考えています。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-05
月次報告書5月分
慣れて来た矢先に点滴治療
ブラジルに来てから1ヶ月半が経過し、生活にも慣れて毎日楽しく過ごすことができています。日本では大学、部活、バイト、勉強、遊びと忙しなく過ごしていましたが、こちらでは田舎という環境もあり、ゆったりと余裕をもって生活できていることが最近の喜びです。 日に日に知っていることや場所、友人が増え、自分の世界が広がっていくのを実感しています。もちろんずっとゆったりはしていられませんが、この束の間の1年間を実りあるものにするために努力しつつ、この心の余裕も忘れずに過ごしていきたいと思います。 【① 気候、衣服】 日中はまだ暖かく半袖で過ごせますが、日没後や夜は肌寒い日が増えてきました。地形の影響もあり、日や時間によって気温差が大きいため、体調を崩さないよう注意しています。 今月は雨の日が増えると予想していましたが、実際にはあまり降らず、日本から持ってきたカッパはまだクローゼットの奥で眠っています。 【② 学校生活と授業】 履修登録を無事に終え、本格的に授業がスタートしました。先月は始まっていなかった授業も開講され、勉学に力を注ぐ日々が続いています。 (余談ですが、文化人類学と写真の授業は、結局履修前に体験することができませんでした。こればかりは仕方のないことですが、もし早めに DRI などに相談していれば多少状況が変わっていたかもしれません。今後交換留学される方は、積極的に大学の事務局などに相談することをおすすめします。) 授業を通して次第に友人も増え、授業後に車で食事に連れていってくれる機会が増えました。彼らは、「日本での生活」、「何でブラジルに来たのか」、「何でこの大学を選んだのか」など、日本人がジュイス・ジ・フォーラいることに対しかなり強い興味と関心を持っています。そのため、これらの話題がきちんと話せると、仲良くなるスピードも早いように思います。また、状況に合わせてスラングを使うと、外国人が使ってるという不自然さもあり、場が盛り上がることも多く、良いコミュニケーションのきっかけになっています。 特にサッカーの授業では、月に一度ほど学んだ戦術を実際にフィールドで実践する日があります。一緒にボールを蹴って、言葉以外でも意思疎通をすることで一体感が生まれるため、スポーツ系の授業は友人を作るのにとても良い機会になると思います。 ブラジルの授業は課題が少ない一方で、レポートやテストの比重が大きいのが特徴です。テストは一問一答形式ではなく、設問に対して自分の考えを200〜400字程度で記述する思考力重視の形式が多いように感じます。そのため授業中の内容を必ずドキュメントにまとめるよう心がけています。スライドを使わない先生も多いため、資料なしで理解するのは難しい場面もあります。現在はテスト期間ということもあり、「Whisper」という翻訳・文字起こしアプリを利用して、授業内容の記録漏れが起こらないように工夫しています。 【③ 食事】 食事は、4月に引き続き自炊が中心ですが、夕食の時間帯の学食は、混雑が少ない上に昼にはないパンやスープが付いてくるため、取ってきたパンをスープと食べたりオリーブオイルと塩で食べたりすることで、味のバリエーションを広げ飽きが来ないように工夫しています。 自炊では、各スーパーで手に入る食材や価格感覚が分かってきたため、オムライス、アヒージョ、カレー、親子丼など、日本でもよく食べていた料理を作り、食生活でストレスを感じないよう工夫しています。最近は本格的なアサイーを作るためにブレンダーを購入し、材料を少しずつ変えて「自分にとってベストなアサイー」を研究することが日課になっています。 また、毎週末に開かれるフェイラ(市場)では、日系人家族の方が焼きそば、肉まん、ラーメン、おにぎり、餃子、饅頭、メロンパンなどさまざまな日本食を販売しています。自炊が面倒な方には、平日は学食、週末はフェイラで日本食という生活スタイルをおすすめします。 【④ 生活】 生活では実は苦しい出来事がありました。5月中旬に体調を崩し、最終的に病院で点滴を受けることになりました。 最初は咳と鼻水が少し続くだけだったため、季節の変わり目の風邪だろうと放置していました。しかし数日後、容体が急変し、嘔吐と下痢が止まらず、熱も38.8度まで上がり、自力で動けなくなってしまいました。体調が悪化したため、病院を利用しようとしましたが、地元の病院の利用方法を事前に調べていなかったため使い方が分からず、同じアパートに住む友人に助けてもらい、24時間対応の病院「UPA」へ行くことができました。診察の結果は原因不明でしたが、症状からウイルス性の食中毒かデング熱の可能性があると診断されました。病院では1時間ほど抗ウイルス用の点滴治療を受け、その後4日ほどは固形物を食べられず、病院でもらった塩を水に溶かしたものだけを摂取して過ごしました。 日本でも辛いレベルの病気を異国で、しかも言葉も十分に通じない中で体調を崩すのは想像以上に不安でした。これから留学する皆さんには、少しでも異変を感じたら迷わず病院に行くことを強くおすすめします。躊躇する必要はないので、手遅れになる前に受診することが大切です。 一方で、週末には出かける機会も増え、今月はブラジルに来て初めて友人の誕生日パーティに招いてもらいました。ブラジルの誕生日パーティは、日本とは雰囲気が大きく違います。参加者はお菓子や飲み物を持ち寄り、主催者が用意したご飯やケーキを皆で囲んで過ごすのが一般的で、今回の規模では20人近くが集まりました。 特に印象的だったのは、パーティの終盤に行われたケーキを囲んでのお祝いのシーンです。誕生日の歌は1曲で終わらず、「Parabéns pra você」の後に「É pique é pique」「É hora é hora」と続く別の祝い歌が歌われます。その後、「Primeiro pedaço」という儀式で主役が最初のケーキを一番大切な人に渡し、さらに主催者が参加者への感謝や今年の抱負を簡単に述べてから、ようやくケーキを食べ始めます。 ブラジルの誕生日パーティは、祝うシーン自体が非常長く、日本と比べて“誕生日”という日をしっかり祝う文化だと強く感じました。 会場全体の盛り上がりも想像以上で、まさに“お祝いの場をみんなで楽しむ”というブラジルらしい雰囲気に圧倒されました。自分も11月に誕生日を迎えるので、せっかくならブラジル流のスタイルでパーティを開催し、この文化を自分自身でも体験してみたいと思います。 【総括】 留学生活は楽しいことばかりではなく、思いがけない困難もありますが、その一つひとつが貴重な経験になっています。友人との交流や授業でのディスカッションを通じて、言語力やコミュニケーション能力、異文化理解も着実に広がっているのを感じます。 健康面では予期せぬ病気を経験し、異国での生活におけるリスク管理や、迷わず助けを求めることの大切さを学びました。この経験は、今後の生活や留学での判断にも大いに役立つと感じています。 今後は、より積極的に現地の文化や社会を体験し、授業や日常生活で得られる学びを最大限に活かしていきたいです。心身の健康と余裕を大切にしながら、留学生活を充実させる努力を続けていきます。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-04
月次報告書4月分
留学開始
目次 長文になってしまうため目次形式にしました。ご自身に必要な箇所をお読みいただければ幸いです。 ①渡航 ②滞在先・住居 ③食事 ④通学・交通 ⑤携帯・通信 ⑥授業・学生生活 ⑦気温・天候・衣服 ⑧友人関係 ⑨現地での生活・治安 【①渡航】 • 成田 NRT→チューリッヒ ZRH→サンパウロ GRU →リオデジャネイロ GIG →Rodoviária do Rio →Shopping Independência 渡航費総費約15万円 費用を抑えるため到着時間(あまり遅い時間に到着すると危険な為)のみを条件にSkyscanner を利用して検索・予約を行いました。 私の場合は、オプションを最低限にしたことで、この価格に抑えることが出来ました。 今回利用したスイス航空は、渡航中の不満もなく、サービスも安定していたため、費用を抑えたい人には非常におすすめ出来ます。 私は到着予定日を授業開始の1週間前に設定しましたが、実際には到着前日に交流会が行われてしまい参加が叶いませんでした。 オリエンテーションの日程については、日本にいた間から大学に何度か確認メールをしていましたが、航空券を取る時点ではまだ日程の詳細を得ることが出来なかった為、到着日は、授業開始の2週間前から10日前に設定するのが理想的だと思います。 それでも後日、大学の説明を個別に受けることができたので、参加せずとも特に支障をきたすことはありませんでした。 • 自分が工夫して良かったこと  ブルーリボンバッグ 760円 着陸から96時間以内に荷物が届かなかった場合、最大15万円まで保証されるサービス。オンライン上で荷物の所在を確認出来たのも安心材料でした。 オンライン自動チェックイン 720円 出発の24〜48時間前に自動でチェックインし搭乗券が発券されるサービス。チェックイン忘れ防止と、空港での手続き時間短縮に役立ちました。 エアークッション2200円 Amazonで事前に購入したもの。長時間フライトによる腰やお尻の負担を軽減でき、背中にも使用可能。結果的に移動中の疲労感が大幅に軽減され、個人的には必須アイテムでした。 • 移動中のトラブル  スーツケースの受け取りに時間を要する  サンパウロ空港では、実際に受け取りまで約50分かかりました。 リオデジャネイロ空港でも正確な時間は記録していないものの、同様にかなり待たされた印象があります。そのため、空港到着後にそのままバスを利用する方は、十分に時間の余裕を持って予約することをおすすめします。 • リオデジャネイロ空港 → Rodoviária do Rio の移動  Uberを利用して移動しましたが、飛行機の遅延+荷物取得トラブル+渋滞により、バスターミナルには、元来の到着予定時刻から40分後に到着しました。 • バスチケットの取得  チケットは友人に取得してもらいました。 Wemobiという格安バス予約サイトがブラジルでは一般的ですが、支払い方法がやや複雑なため、 元留学生や現地のサポートを受けられるならこちらの利用がおすすめです。 • 治安、安全  最終的に自宅に到着するまで、大きなトラブルはありませんでした。 ただし、Rodoviária do Rio(バスターミナル)では要注意です。 人も多く、大きなスーツケースを持ったアジア人というだけで目立つため、周囲への警戒は常に必要と感じました。 自分の場合は運良く、ドイツ系ブラジル人の親切な男性に声をかけてもらい、4時間の待機時間を安全かつ楽しく過ごすことができました。 一方で、他の方からは「この場所で話しかけてくる人は誰も信用するな」と書かれた注意喚起のメモをスッと手渡されるという映画のような体験もありました。警戒をするに越したことはありませんが、本当に親切な人もいるということを実感した場面でもありました。   飛行機、バスを含む全移動中、自分は見事に寝落ちしていましたが、幸運にも何事も無く無事でした。バスでは、寝る直前まで世間話をしていた隣の席の親切な女性が自分の目的地の直前に起こしてくれたおかげで寝過ごすという最悪のパターンを回避しました。 (もちろん不用意な危険を回避する為、寝ないほうが良いに決まってます景色でも堪能してください) 降車後は、バス停にブラジル人の友人が迎えに来てくれたので彼女と共にUberで自身のアパートまで向かいました。こちらのバス停は、Rioと違いとても雰囲気が良く、少し暗い時間であったものの恐怖心を覚えることは無くやっと安全地帯に入ったのだなと感じました。 【 ②滞在先・住居】 • 住居確保  多くの方は、先輩が住んでいた部屋に入居するパターンが多いそうですが、自分はより多くリアルな意見を参考にしたかったので以前神田に留学していた友人にサポートをお願いしました。 その結果、友人の知人でアパートのオーナーをしている方を紹介してもらい、彼と直接連絡先を交換する事が出来ました。 当初は現地到着後に住まいを探すつもりでしたが、「その時期には大学の新入生の入居ラッシュで物件が少なくなる」という情報を受け、日本にいるうち(1月下旬頃) から連絡を取り合い、事前に住居を確保する運びになりました。 友人と一緒に複数の物件を見て回ってもらい、写真や動画付きで紹介してもらった中から、最終的に自分の求める条件を満たす物件を選ぶことが出来ました。 この物件は、紹介してもらったオーナー自身の所有物件で、入居希望を伝えた段階でキープしておいてくれた点も安心できる要素でした。 また、あらかじめ物件条件として「家賃は850レアル以下が良い」という希望を伝えていたため、友人価格で割引してもらうことができ、結果的に元の家賃よりも安い金額で契約できました。 • 家探しのコツ  滞在先を探す際に役立ったのが、Viva Realという物件検索アプリです。 それ以外にも、FacebookなどのSNSにはジュイス・ジ・フォーラの学生向けにアパート情報を掲載している個人やグループがあり、República(学生シェアハウス)の募集投稿も頻繁に見かけました。これらも家探しの際には大いに参考になります。 治安面を考え1階物件を避けたり、アパートなら顔認証物件を探すのも良いと思います。 (ブラジルだと顔認証は一般的で、アパートなら大体付いてます。)  私は、「mobiliado(家具付き)」の物件を契約したため、基本的な生活用品は最初から揃っており、到着後すぐに生活を始めることができました。 事前に家を決めておくことで、パッキングの段階で「何を持っていくか」に悩む必要が減るため、荷物を最小限に抑えられるのも大きなメリットだと感じます。 実際、私は掛け布団やハンガー、本棚などを現地の友人や同居人から譲り受けたため、生活用品の購入はほとんど不要でした。 (必要ならHavan Juiz de Fora、Independência Shopping に行けば大抵手に入ります。)  また、住む場所についてはSão Pedro(サン・ペドロ)地区を選んでおけば間違いないと思います。 São Mateus(サン・マテウス)やCentro(セントロ)も選択肢にはなりますが、場所によっては大学までやや距離があることも。 (場所によります、私自身、São Pedroに住んでいますが、徒歩で約40分ほどかかっています。) • シェアハウスでの生活  私の住居はシェアハウスですが、学生同士ではなく一般の方と一緒に住んでいます。 同居人は少し年上の親切な方で、初日にハウスルールを決め合い、共有スペースの家事の分担なども行いました。 基本的にはお互い自分のことは自分で行い、共有スペースや家具や消耗品の購入は二人で折半。 シェア生活で困ることは特になく、むしろ助かることばかりです。 トイレやお風呂、洗濯機などの使用方法が日本と大きく異なるため、生活の中で発生した疑問を何でも気兼ねなく聞ける良き友人となっています。 個人の部屋には鍵があり、プライベートも確保されていますし、騒音もほとんどありません。 この点は、最終的には「良い同居人を引けるかどうかの運」ですが、うまくいけば本当に心強いパートナーになってくれます。(ちなみに、まだ喧嘩は一度もしていません!) 【 ③食事】    食事は基本的に自炊しています。 大学内の学食(RU:Restaurante Universitário da UFJF)は非常に安価(約35円)ですが、メニューがほぼ同じで飽きてしまうため、私は自炊で自由に食べたいものを作っています。 学食の様子はネットで「RU UFJF」で検索するとすぐに写真が出てくるので、ご興味のある方は参考にしてみてください。学食のメニューは基、ご飯・豆・肉・野菜・フルーツなどのワンプレートで提供され、お肉とフルーツが日変わりになります。 またワンプレートに好きな量を自由に盛り付け可能なので、お腹いっぱい食べることも出来ます。 スーパーでは、醤油や日清カップラーメン、味の素など、日本の食材も見かけますが、品ぞろえはそこまで多くありません。(ちなみに、UFO焼きそば味もありますが、美味しくないです。) 白米も売っていますが、日本の米とは少し食感が違い、細長くてパラパラしています。 また、私の住まいはmobiliado(家具付き物件)ですが、炊飯器は備わっていなかったので、鍋でご飯を炊いています。 冷蔵庫や食器は同居人と共有しており、鍋などの調理道具を使った後は、すぐに洗って片付けることをルールとしお互いにストレスが溜まらないように工夫しています。 私は、日本からは特に食材は持ってきませんでした。せっかくブラジルに来たので、現地の食材を使っていろいろな料理を試しています。 最悪、アジア物産店やサンパウロのリベルダージに行けば、大抵手に入ります。 (日本食が恋しくなると予想される方は、みりん、酒、味噌、ほんだし、カレールーあたりを持参すると良いでしょう。この辺は、ジュイス・ジ・フォーラでは入手が難しくリベルダージでも値段が高いです。参考までに→みりん1300円、味噌1700円、カレールー900円) 生魚(刺身など)はほぼありませんが、ブラジルは牛肉が日本よりずっと安く、ミナスチーズを使った料理など、日本ではなかなか味わえない食材に出会えます。 現地の食文化を楽しむことも、留学の醍醐味だと感じています。 【 ④通学・交通】 • 通学 通学は、徒歩で40〜50分ほどかかります。 大学の敷地は広大で、学部によって建物が遠く離れているため、到着時間にはかなり差が出ます。 キャンパス内は坂道や階段が多く、徒歩移動はかなり体力を使います。(ほぼ山登りです。) その代わり、大学内には無料バスが運行されており、各学部や学食(RU)に停まり、キャンパス内をぐるっと一周してくれるので、遠い学部に行くときはとても便利です。 ただ、昼時以外は本数が少なく、いつ来るかわからないので、時間帯によっては歩いた方が早いこともあります。 • その他の移動  通学以外の移動は、主にUber Bikeを利用しています。 車よりもバイクの方が3〜5割ほど安く、渋滞をすり抜けられるので早く到着できるのが魅力です。 ただし、背もたれのないバイクも多く、坂道を時速60kmほどで走るので、最初は少し怖いかもしれません。 (※ ジュイス・ジ・フォーラは安全な街なので、走行中にスリに遭う心配はありません。ただし、他の都市ではその街に合った安全対策を取ってください。) また、Uberのほかに「99」という配車アプリもあり、時間帯や混雑状況によってはこちらの方が安いこともあります。(配車サービスは混雑時や時間によってに高騰するため) 私は、2つのアプリを併用して、そのときに安い方を選んでいます。 ドライバーさんは親切で、到着が遅れた場合に割引してくれたり、「帰りも自分を呼んでくれるなら行きと同じ料金で帰れるよ」など、粋な対応をしてくれる事もあります。 (ドライバーさんの顔もアプリで確認でき、過度な請求をされた事も無いので安心して利用出来ます。 ただ、走行中平気で斜め後ろを向いて「どこの国から来たんだ?」などの質問をしてくるので若干ヒヤヒヤします。) 【 ⑤携帯・通信】 • 携帯 最初の1週間は、携帯をストラップで体にかけて、外でもなるべく使わないようにしていました。 ただ、ジュイス・ジ・フォーラは想像以上に安全で、今では人混みに行くとき以外はストラップを付けずそのまま使っています。 留学前は、「iPhoneは高値で、アップルマークが見えると狙われる」と聞いていましたが、実際にはブラジル人のiPhoneユーザーは意外にも多く、約半数がiPhoneを利用しています。 私も安全対策のため、古いのiPhoneを持参しましたが、使う機会はなく、そのまま15Proを使っています。 (※ ただし、これはあくまでジュイス・ジ・フォーラでの話なので、他の地域では対策は必要です。) • 通信プラン 回線は、最初の15日間はAhamoの海外プランを利用し、その間にSailyのE-simに切り替えました。 E-simならSIMカードを入れ替える必要がなく、帰国の際もオンラインで解約できるので便利です。 Saily契約後は、AhamoをPovoに乗り換えて、電話番号だけを残し、基本料金0円にしています。 (Sailyの契約にはCPFや現地住所が必要なので、事前に準備しておくのが重要です。  また作業は、全てブラジルについてからネット上で行いました。) 大学内にはWi-Fiがありますが、場所によっては届かないこともあるため、月10GB〜20GBくらいの契約にしておくと安心でしょう。 【 ⑥授業・学生生活】 • 授業  ジュイス・ジ・フォーラ大学では、留学生むけの授業は1以外なく、「外国人のためのポルトガル語」以外は、基本的に現地の学生と同じ授業を受ける必要があります。 そのため当然、授業内容、進行、解説スピードは現地レベルで行われるので、スライドなどの資料を見ながら先生の話を聞くのは至難の業です。(また授業によってはその集中を4時間持たせないといけないものもあります。) 日本にいる間に「どの分野・授業を取りたいか」をあらかじめ決めておき、その授業に必要な基礎知識やそれに関連するポルトガル語の単語をある程度調べておくと良いと思います。必要な時にすぐ確認できるようにメモなどを作っておくと、授業が格段に楽になります。 授業中に現地の学生に助けられることもありますが、彼らも自分の勉強が第一です。 当然ながら、助ける義理も余裕もありません。 彼らに迷惑をかけないよう、できるだけ自力で頑張り、どうしても分からない語彙や課題についてだけ協力や説明をお願いするのが礼儀だと思います。 一方で、ブラジルの授業では日本に比べて発言や質問が非常に多いです。 「この部分がこのように分からない」とはっきり伝えれば、先生は丁寧に説明してくれるので、遠慮せずにどんどん質問するのが大切です。 (日本だと「先生が話している時は静かにする」という文化があるので、最初はなかなか勇気が出ないかもしれませんが、せっかくの海外生活ですし、ここは「自分ファースト」で挑戦してみてください!嫌な顔をされることはなく、むしろ応援してくれるようにすら感じます。) 実際、先生に「スピードが早く授業についていくのが難しい」と授業後に伝えたところ、WhatsAppやメールで次回の授業内容や話す予定のメモを送ってくれたこともありました。 唯一避けられない問題を挙げるとすれば、私の履修予定の授業の内2つが、先生がバカンスから戻ってこず、新学期最初の2週間、授業が全く開講されないことがありました。また30分ほど遅刻してくるとも日常です。不安なときは、各学部の事務室(Secretária)に行って、必ず状況を確認するようにしましょう。 • 国際戦略部(DRI)のサポート  大学には、国際戦略部(DRI)という留学生の生活を支援してくれる部署があります。 ここにいる職員さんは、皆とても親切で、授業のことや日常生活の悩みまで、あらゆる相談に真摯に対応してくれます。 実際、私が外国人登録(RNM)の手続きでサーバーエラーが発生しうまくいかなかった時も、自分たちの業務があるはずなのに最後まで手伝ってくださり、さらに、登録料の支払いのために学外の宝くじ売り場まで同行してくれるなど本当に最後の最後まで熱心なサポートをしていただきました。 また、神田外語に留学経験がある、日本語が堪能なHugoさんという方もいて、ポルトガル語で相談するのが難しくても日本語で相談ができるという環境があるのはとても心強いと思います。 【 ⑦気温・天候・衣服】 • 気温・天候 4月の気温は、25℃前後の残暑が続き、基本的に暖かいです。 ただ、標高が高く木々も多いため、朝晩は冷え込むことがあり、気温差が激しいです。 そのため、薄手のパーカーやジャケットを持っていると便利です。 雨はほとんど降らず、2週間に1度程度しか降らない印象です。基本的には快晴の日が続いています。 • 衣服 服装は、日本で着ていたものをそのまま使っています。ブラジル人の学生もおしゃれな人が多く、日本の服でも全く浮きません。当初は、「現地で服を買ったほうが目立たないかな?」とも思っていましたが、アジア人というだけで目立つので、無駄な出費を抑えるためにも日本から持参した服で十分だと感じました。 ただ、道路がかなりでこぼこしているので、トレッキングシューズ風のスニーカーを持参することを強くおすすめします。 【 ⑧友人関係】  ジュイス・ジ・フォーラでは、事前に申請した留学生に対して、必ず1人のバディがつきます。 バディは、留学前の手続きサポートから現地での案内まで、大学生活をあらゆる面で支えてくれる頼れる存在です。 また、ジュイス・ジ・フォーラ大学には、神田外語大学に留学経験のあるブラジル人学生が多く、私の到着日にはバス停まで迎えに来てくれたり、布団や生活用品を分けてくれたり、スーパーでの買い物の仕方やおすすめのレストランを教えてくれるなど、本当に多くの場面で助けてもらいました。 彼らのおかげで、友人関係もすぐに広がり、何か困ったことがあった時にはすぐに相談できるので、とても心強い存在です。 ポルトガル語の勉強を日本にいる間に頑張るのはもちろん大切ですが、彼らと仲良くなっておくことも、現地でスムーズな生活を送るためには同じくらい大事だと思います。 また、彼らは日本の食材や製品をとても恋しがっているので、お土産として持っていくととても喜んでくれます。 私は犬夜叉のフィギュアや一蘭のラーメン、KUISのTシャツ、かつお節など、友人たちとの思い出の品や、頼まれたものを持っていきました。 【 ⑨現地での生活・治安】  ジュイス・ジ・フォーラは基本的には安全な街とされています。現地の人たちもあまり警戒せずに暮らしており、私自身も不安なく生活できています。 ただし、大学近くのDom Bosco地区は危険地帯と言われており、実際に深夜2時頃、ブラジル人の友人とタクシーに乗っている際に薬を買わないかと声をかけられたこともありました。また、Centro付近ではマリファナを吸っている人を見かけるので、場所や時間帯には注意が必要です。とはいえ、日本にも危ない場所はあるので、似たような感覚でいれば問題ないと思います。堂々とした態度でいることも大切です。 個人的に最も気をつけるべきだと感じるのは車です。ジュイス・ジ・フォーラは完全に車社会で、歩行者優先の意識はほとんどありません。信号も少なく、カーブミラーもない道が多いため、犯罪よりも車に轢かれるリスクの方が高い印象です。細心の注意を払うようにしています。 また、野良犬も多く食べ物を持っているとずっと付いてくることがあります。実際、昨年度ブラジリアに留学していた学生が、大型の野良犬五匹に対して威嚇行動をし、興奮した彼らに足を噛まれ負傷するという凄惨な事故がありました。万が一、狂犬病などにかかってしまったら大変なので、こちらも注意を払うようにしています。 【最後に】  ここまでご覧いただき、ありがとうございました。 私自身、まだブラジルに来て1ヶ月ほどですが、既に多くの文化の違いを実感しています。特に「外国人として見られること」に、強いカルチャーギャップを感じることが多くあります。 日本にいた頃、珍しい国籍の外国人とすれ違うと、思わず目で追ってしまったり、話しかけるのを躊躇ってしまったことがありました。けれど今は、私たちがその立場にいます。現地の出来上がったコミュニティに入っていくことは簡単ではなく、授業中に孤立してしまうこともしばしばです。 でも、今ではそれを必要以上に気にすることはなくなりました。それは、新たな視点を得たからです。 日本にいた頃、私自身も、同じ授業に参加していた留学生に対して、丁寧には接していたものの、自分から積極的に話しかけたり、彼らがコミュニティに入れるように働きかけたりすることはできていませんでした。 立場が逆になった今、当時の彼らの気持ちが少し分かる気がします。 仲間外れにする気があったわけではなくても、「何を話せばいいかわからない」「自分から近づくには少し勇気がいる」そう感じていたのだと思います。 それとまったく同じことが、こちらでも起きているだけなのです。現地の人たちも、私たちを嫌っているわけではなく、「どう接したらいいのか分からない」だけなのだと思います。 だからこそ、私たちから一歩踏み出すことがとても大事なのだと感じています。 そう考えるようになってからは、気持ちも前向きになりました。 授業後には、勇気を出して思い切って大人数のグループに声をかけ、自分のことを話すことで、一気に友人ができ、今では一緒にお昼を食べる仲にもなりました。 また、すれ違いざまに子どもたちが「Japonês? Koreano?」とヒソヒソ話しているときには、「Sou japonês!」と笑顔で声をかけるようにしています。日本でも、世界には色んなルーツを持つ人がいる事を知っている大人より、まだ自分の世界が狭く、無邪気な子ども達のほうがつい視線を送ってしまうことってありますよね。 「そういうものなんだ」と理解できれば、不安になる必要はまったくないのだと感じています。 ブラジルでは、毎日が新しい体験の連続です。初めてのことに戸惑ったり、考え込んだりすることもあります。でも、留学とはそういうもので、自分の可能性や視野を大きく広げてくれる挑戦だと思います。 不安もたくさんあるかもしれませんが、「今」しか得られないことが必ずあります。もし少しでも留学に興味がある方がいたら、ぜひ一歩踏み出してみてください。 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。 次回の投稿も、どうぞお楽しみに!
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
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