【① 気候・衣服】 11月のジュイス・ジ・フォーラは、スコールや雷雨が頻繁に発生するなど、天候が荒れる日が多い1ヶ月となりました。 高原地帯に位置しているため、午前と午後で天候が真逆になることも珍しくなく、外出前に天気予報サイトでの確認が欠かせない日々が続きました。 ( 私は、普段 Climatempo というアプリを利用しています。) 気温については、日中が約28℃、朝晩が約17℃と、10月と比較して平均気温が上がり、半袖で過ごせる時間帯も多くなりました。一方で、天候が急変すると気温が急激に下がり、夜間や雨天時にはジャケットが必須となる寒さになることも多く、1日の寒暖差に柔軟に対応する工夫が必要でした。 【② 学校生活と授業】 学校生活では、授業内容のレベルが上がり、それに伴い宿題の量が増えるなどの変化が見られました。 特に、英語とスペイン語の授業では既に発表やテストなどが実施され、その準備に時間を割くことが多くなりました。前期に比べて履修している授業数は少ないものの、言語科目を集中して履修しているため、どの授業も週に2回あり、非常に速いペースで進行しています。1ヶ月で教科書が20〜30ページ進むことも珍しくなく、来月もテストを控えているため、引き続き予習、復習、自習が欠かせない状況です。 また、今月も Buddy Project のイベントへ参加し、在学生や他の留学生との交流を深めることができました。普段関わる機会の少ない学部の学生とも交流でき、大人数ならではのアクティビティやレクリエーションを通じて、親睦を深めています。今後も積極的に参加していきたいと考えています。 【③ 私生活】 São João del Rei サン・ジョアン・デル・へイ 今月の初旬は、上部の項目にも記載した Buddy Project のイベント旅行からスタートしました。 開催日の数週間前からグループ内で参加希望者を募り、旅行専用のグループチャットが作成されました。その中で、企画陣によって立てられた当日のプランニング、注意事項、持ち物リスト、移動費などの費用に関する情報が送られてきました。 大学組織の団体旅行という利点を活かし、今回の旅の移動には大学のバスを利用することができ、現地で利用した汽車を除き、交通費は基本無料となりました。 Buddy Project による旅行は、交通費を抑えて楽しめることに加え、現地の事前調査や予約といった準備が全て手配されること、そして安全かつ安心して行動できることが、非常に大きな利点です。こうした手厚いサポートのおかげで、個人旅行ではなかなか訪問しない場所へもお得に旅行することが可能となっています。なので少しでも興味がある方は勇気を出して参加してみることをお勧めします。 当日は、早朝に大学に集合し、バスで約3時間かけて現地に到着すると、すぐにカルチャーセンターのような施設に案内していただきました。そこで、現地のコーディネーター(UFSJ サン・ジョアン・デル・へイ連邦大学の学生)の方から、街の歴史や見どころ、観光地などについて丁寧な説明を受けました。 その後、事前に決められていたグループごとに分かれ、制限時間内に各施設を巡るという形で散策が始まりました。 Igreja de Nossa Senhora do Carmo ノッサ・セニョーラ・ド・カルモ教会 グループごとに分かれ最初に訪れたのは、18世紀に建造されたノッサ・セニョーラ・ド・カルモ教会です。この教会は、バロック様式からロココ様式へと移行する時期に建てられ、両様式が融合した優美で豪華な装飾が特徴的です。外観、内部ともに白い石を基調とした美しいデザインは、当時の街の文化的な豊かさを物語っていました。 この教会で特に印象的だったのは、二階部分に展示されていた多数の鐘です。サン・ジョアン・デル・ヘイは「鐘の街」としても知られており、その伝統を象徴するかのように、様々な大きさや年代の鐘を間近に見ることができました。ブラジルにおける鐘の歴史や重厚感を肌で感じることができる貴重な機会となりました。 お昼ご飯 UFSJ (サン・ジョアン・デル・へイ連邦大学)の学食 お昼には、UFSJの学食を訪れました。ブラジルでは、学食は在学生向けに安価で提供されており、入館の際には学生証を使ってチェックもされるため、他大学の学食を利用する機会はなかなか得られません。今回は、訪問者(Visitante)として受付で15レアルを支払い、利用させていただきました。 UFSJ の学食は、UFJF(ジュイス・ジ・フォーラ連邦大学)の学食と比べると規模は小さかったものの、食材や提供スタイルに個性が見られました。例えば、煮込み料理が提供されることが多い UFJF では、あまり出てこないグリルチキンが提供され、マイボトルを持参しなくてもプラカップでコーヒーやジュースを飲めるようになっていました。( UFJF ではマイボトルがないと飲み物が飲めません。) 学食を利用できたことで、みんなで同じ席に座りながら安価で美味しく昼食をいただくことができ、さらに他大学の学生生活を垣間見て、体験できる貴重な経験となりました。 Passeio de Maria-Fumaça 蒸気機関車ツアー 昼食を終えた後、午後の目的地であるチラデンチスへ向かうため、蒸気機関車を利用しました。 この列車は、1881年に開通し、かつては Estrada de Ferro Oeste de Minas(ミナス・ジェライス州の鉄道網)として金などの物資を運んでいたという歴史を持っています。現在は、古い農場や川、森、渓谷をのんびり走る情緒溢れる観光列車として地元住民や観光客に愛されています。 今回は、サン・ジョアン・デル・へイからチラデンチスまでの約12km の区間を、所要時間約40〜45分で運行しました。 本格的な蒸気機関車ということもあり、乗車前から私を含め参加者全員のテンションが上がっていました。決して広くはない車内でしたが、皆で席を詰めて座り、ワイワイ話し合いながら持ち寄ったお菓子を交換し合うなど、まるで子供時代の遠足を彷彿とさせるような雰囲気で乗車していました。 沿線の住民の方々が笑顔で手を振ってくれる温かい雰囲気の中、田舎ののどかな風景と、機関車から出る煙の香りを楽しみながらゆっくりと進み、目的地のチラデンチスに到着しました。ミナス・ジェライスの自然と歴史を感じる、非常に思い出に残るツアーとなりました。 Tiradents チラデンチス チラデンチスに到着してまず驚いたのは、その街並みの美しさでした。まるで絵画やおとぎ話に出てくるような中世ヨーロッパ風の景観が保たれており、街全体が統一された美しいデザインで溢れていました。カラフルな家々と美しい石畳、そして街中を走る馬車が、情緒豊かな雰囲気を醸し出していました。 この街の名前は、独立運動家であるチラデンチスに由来します。彼は、このチラデンチス近郊の Fazenda (農場)で生まれました。植民地時代のブラジル、特にミナス・ジェライス州では産出された金にポルトガルが莫大な税を課した影響で、当時のミナス・ジェライス州は深刻な貧困に陥っていました。チラデンチスは、この状況を打破すべく州を独立させるための運動を起こしましたが、1792年にポルトガル王室に弾圧され、処刑されたのち、見せしめとしてその遺体を四つ裂きにされました。 この街は、もともと São José del-Rei(王の聖ヨゼフ)というポルトガル王政を感じさせる名でしたが、1889年の共和制成立に伴い、王政時代のイメージを払拭するため、共和制の象徴として国内で再評価されていた地元の英雄チラデンチスの名を取り改名されたと言われています。 美しい街並みを見るだけでなく、その名称や景観の背景にある歴史を理解したうえで街を歩いたことで、単なる観光にとどまらず、ブラジルの独立と共和国成立を象徴する場所を実際に訪れた経験とすることができました。 マラカナンで体感した「ブラジルの至宝」ネイマール 11月に入り、ブラジル国内リーグもいよいよ終盤戦に入ってきました。残り少ない貴重な観戦機会を逃さないために、週末を利用して再びサッカーの聖地、マラカナン・スタジアムを訪れました。 今回のカードは、リーグ首位を走るフラメンゴ対、降格圏からの脱出を狙うサントス。今回、会場まで足を運んだ理由として、フラメンゴサポーターの熱狂的な声援を再び肌で感じたいという思いももちろんありましたが、最大の目的は別にありました。それは、今年サントスに電撃復帰したネイマールのプレーを生で観戦することでした。 今シーズンの度重なる怪我からついに復帰し、チームの危機を救うために彼が次試合からピッチに戻ってくる。このニュースを目にした瞬間、「この絶好の機会を逃すわけにはいかない」とすぐさまチケットを確保しました。 当日は、いつものように試合開始1時間前に会場入りし、少しでも近くの席を確保しようと人混みをかき分けて進みましたが、1人での観戦だったことも幸いし、運良くコーナー付近の前から2列目という、選手の息遣いまで聞こえてきそうな絶好の座席を確保することができました。 試合が始まると予想に反し、サントスは首位フラメンゴを相手に互角以上の攻防を繰り広げ、両チームともシュートシーンの多い白熱した展開となりました。 すると前半20分頃、サントスがコーナーキックを獲得し、キッカーを務めるネイマールが私の目の前まで近づいてきたのです。その距離、実にわずか5メートル!ずっと憧れていたスター選手を至近距離で目にし、胸の高鳴りが収まりませんでした。とはいえ、試合中には彼に対する激しい野次も飛んでいましたし、フラメンゴのホーム席で敵チームのエースを公然と応援することは身の危険を伴います。そのため、表立って喜ぶのは控えようと心がけていました。 しかし、そこは流石「ブラジルの至宝」。たとえフラメンゴのファンであっても、彼を目の前にしてその興奮を抑えきることは難しかったようで、気がつけば私以外の周囲のサポーターも、一斉にカメラを構えたり、彼に声をかけサインを貰おうと身を乗り出す人々で溢れかえっていました。彼の持つ圧倒的なスター性を、体感した瞬間でした。 彼は、後半途中で交代してしまったものの結果は、3-2の接戦でフラメンゴの勝利で終わりました。長年欧州サッカーを見てきた自分にとってかけがえのない瞬間であり、留学生活の中でもトップクラスで良い思い出となりました。 人生で初めて開いた誕生パーティー 11月末、半年前から構想していた自身の誕生日パーティを、ついに開催することになりました。 自分の人生を振り返ってみても、誕生日パーティを自ら主催し、人を招いて祝ってもらうという経験はこれまで一度もありませんでした。そこで今回は、ブラジルに根付く「誕生日をパーティで盛大に祝う文化」に便乗させていただくことにしました。 一般的にブラジルの誕生日パーティは、主催者の家に集まり、シュラスコや料理、ケーキを主催者側が用意し、参加者は各自飲み物やお菓子を持ち寄るというスタイルで開催されます。 しかし、11月にもなると、これまで何人もの友人が誕生日パーティでシュラスコを行っており、そろそろ皆も飽きてきているのではないかと悩んでいました。 それならば、せっかくの機会なので日本人らしさを全開に出したいと思い、用意する料理のコンセプトを「1日居酒屋スタイル」に変更し、ブラジルで可能な限り再現できるよう準備を進めました。 当日は、15人ほどの友人が集まってくれ、唐揚げや焼き鳥、寿司、玉子焼きなど、久しく口にしていなかった日本料理を振る舞いました。 皆とても喜んでくれ、その後はケーキを食べたり、プレゼントをもらったり、音楽に合わせて踊ったりと、終始陽気で笑顔にあふれた、これまでで一番楽しい誕生日にすることができました。 本当に一生の思い出に残る経験となるので、これから留学を考えていて、ブラジル留学中に誕生日を迎える予定の方は、ぜひ勇気を出して、パーティの開催を検討してみてください。 【総括】 今月は、学業、課外活動、私生活のいずれにおいても、ブラジルでの留学生活を強く実感する1か月となりました。気候面では、スコールや寒暖差といった環境の変化に対応する必要があり、日常生活においても事前の情報収集や準備の重要性を改めて認識しました。また、授業では言語化の学習量と進度が大きく上がり、限られた時間の中で計画的に学習を進める力が多く求められました。 私生活では、Buddy Project を通じた団体旅行や学外活動に参加することで、個人では得がたい安全性と学習機会を享受し、ブラジルの歴史や文化を実体験として学ぶことができました。サン・ジョアン・デル・へイやチラデンチスでは、街並みの美しさだけでなく、その背景にある独立運動や共和制成立の歴史を理解した上で行動できたことが、単なる観光との差を生む経験となりました。 さらに、サッカー観戦や誕生日パーティの主催といった経験を通じ、ブラジルの人々の熱量や人間関係の近さを実感することができました。異文化の中で主体的に行動し、人と関わる経験は、語学力の向上にとどまらず、自身の適応力や行動力を高める機会となっています。今後もこの環境を最大限に活かし、学びを実践につなげていきたいと考えています。
| 内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
|---|---|---|
| 家賃 | 800 | 23,171円 |
| 水道光熱費 | 0 | 0円 |
| 学費・教材費 | 0 | 0円 |
| 交通費 | 1,740 | 50,396円 |
| 通信費 | 183 | 5,300円 |
| 食費・その他 | 3,521 | 101,980円 |
| 合計 | 6,244 | 180,847円 |