今月の報告はタイのアユタヤに観光で出かけた時に知った歴史について述べる。 1つめに、アユタヤの初代の王、ウートン王の出身地の新説である。現説ではアユタヤに隣接するスパンブリー県のウートンという地名の着いた場所から来たとされている。実際にスパンブリー県はウートン王に縁にあるお寺やラマ5世以前のお寺がたくさん残っている。しかし新説ではポルトガル人カトリック宣教師の記述によると、ペペッブリー出身であると記述されている。これをタイ語にするとホワヒンの上の県ペッチャブリ県のウートン出身であったということになる。 2つめに、タイの歴代王の崩御の編纂である。歴代の王様で一番タイの支配地域を拡大させた第2次アユタヤ朝の豪傑ナレースアン王の死は現説では胃の病気で亡くなったことになっている。しかし、当時の文献と亡くなったとされる場所の要素を含めて考えると、ビルマへ遠征中に像が地面の下にいたハチの巣を踏んでしまい、そのハチの毒により亡くなったということが近年わかってきた。豪傑の死にしてはあっけない最後であるとみうけられる。 終わりに、アユタヤ観光を通して歴史は編纂されている部分があることがわかった。本当に歴史を勉強したいなら通説を学んでから、どう歴史が編纂されたのかを自ら調べるのも楽しいと考えた。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 5,500 | 17,270円 |
水道光熱費 | 800 | 2,512円 |
学費・教材費 | 150 | 471円 |
交通費 | 500 | 1,570円 |
通信費 | 100 | 314円 |
食費・その他 | 8,000 | 25,120円 |
合計 | 15,050 | 47,257円 |