プーパーの報告書一覧
プロフィール
学科
アジア言語学科
学年
3年
専攻
タイ語専攻
留学期間
2015-05-01 ~ 2016-03-31
留学種別
交換
1~10件目 / 11件中
2016-03
月次報告書3月分
タイでの留学生活
 タイでの留学生活が終わった。タイでは様々なトラブルや楽しい出来事、そして旅行を経験した。タイは何事にもルーズであると感じた。たとえば、ビザ更新のトラブルも地位の高い人の決断ですぐに解決する。バスに乗り看板には目的地まで行くと書いてあるのに、遠いから行かないと断られ、次のバスが来るのを待つときがある。幸いなことに乗車賃は請求されない。フルーツの王様ドリアンを大金をはたいてよく買っていたら、商売人と仲良くなりドリアン園に連れて行ってもらいドリアンをたくさん無料で食べさせていただいた。以後は無料で頂けるようになった。ものすごくおいしい経験だった。サマーコースでたまたま知り合ったPC専攻の友達と意気投合し、仲良くなり地元のひとだけの観光地や田舎の実家に連れて行ってもらい温かい農村の人間関係にふれあい心が温まった、また大親友としてタイ人のお友達ができたことに感激している。最後にタイの東西南北すべてを旅行しタイという国には様々な伝統、民族、人種がいる国だと改めて実感した。日本と違い、外国人嫌いや人種差別もなく、人々がそれぞれのスキルにあった仕事、生活などを営み、よく棲み分けができていて良い国だと考えた。  約10ヶ月留学し、神田外語大学で大学生活しないで、4年間タイの大学で大学生活をすればよかったと、非常に悔やんでいる、しかし神田外語でタイ語を一生懸命学んだからこの経験を体験できたので、私は神田外語大学タイ語専攻にいることを非常に誇りに思う。留学は非常に楽しい。終わり。
アジア言語学科 3年 交換
2016-02
月次報告書2月分
交渉
 2学期は大変な学期である。タイは数年前から学期の始まりと終わりが変わった。以前は休日を除けば、ほとんど日本と変わらなかったが、今では5月に始まり5月に終わる。詳しく言うと、5月はサマーコース、7月から12月が1学期、そして1月から5月が2学期である。タイの学生は少し変更に困惑していたが、きちんと全学期を履修し終えることができるが、日本からきた私たちは、5月から履修し、3月の中頃には就職活動の関係で帰国しなければならなくなる。ゆえに2学期の履修には問題が生じてくることになる。その問題とは、2学期は1月に始まり5月に終わる。だが私たちは日本に用事が待っているので3月には帰国しなければならなくなる。つまり学期末までいられないので普通に履修をすると授業参加時間が不足で単位が貰えなくなる。なので、履修登録、修正期間中に受けたい授業の先生に授業を受けても良いか尋ねなければいけなくなる。先生に断られることもあれば、認めてくださるときもある、指標はない。また、私たち留学生の大学での履修のお世話をしてくださる先生にも、どの先生の授業を受けるか、また何学部の授業を受けるのか、そして動機も添えて一緒に自分で申告しなければいけなくなる。全て自分のタイ語の力と自力で交渉しなければならなかったので、大変な学期であった。しかし良い経験になった。
アジア言語学科 3年 交換
2016-01
月次報告書1月分
ガラクタ市場
 大学から約12KM先にニンジャー市場と呼ばれる。闇市が存在する。毎週金曜日と土曜日の夕方からはじまる。なぜこの市場がガラクタ市場と呼ばれるかというと、中古タイヤ、冷蔵庫、ハンドル、自転車、琴、不発弾、天皇様の即位メダル、賞状などといった、よくわからない品物が売られているからだ。売られている品物はほぼすべて中古品である。なかには、「新品のナイキの靴を売ってます。」と宣伝しているお店もあるが、店員さんに「この靴長持ちしますか。」と問いかけてみたら、店員さんが「手作りだから、もちろん。」と偽物であるとみずから言っているお店もある。また、ガラクタ市場は中古のバイクや自転車の宝庫である。売られている、ほとんどの自転車を見てみると日本から来た自転車で防犯登録もされている自転車ばかりだった。日本で駐輪違反をして行政に自転車を没収されると、いろいろな過程を踏んで結局は海外に売り飛ばされてまうのかと驚いた。最後に売られている中古のメカニックのほぼすべてが日本製だった。なぜかと店員さんに尋ねてみたら「中国製や韓国製は中古品になる前に使い物にならなくなるから、売り物にならない。」という返事がきた。やはり日本製は質が良いのだと感激した一面であった。
アジア言語学科 3年 交換
2015-12
月次報告書12月分
キャンピング
アジア言語学科 3年 交換
2015-11
2015-10
2015-09
月次報告書9月分
お菓子の名前の由来
 タイには不思議な名前な食べ物がある。シンガポールのチェンドルである。タイ語名はロッチョンシンガポーだ。チェンドルとは緑の着色をおこなった米粉から作るゼリー状の麺に冷たい氷とヤシ糖やココナッツミルクをかけて食べるお菓子である。日本で言うかき氷のようなお菓子である。  シンガポールのチェンドルは、名前は確かにシンガポールのチェンドルとあるが、このお菓子の由来はシンガポールではない。現にシンガポールではないのだ。ある有力な説では、昔チェンドルをあるお店が商店街で庶民の味として売っていた。偶然お店反対側にシンガポールという名前の劇場があった。そこで、チェンドルを食べに行くお客さんが、友達にそのお店の場所を伝えるときにわかりやすいように「シンガポール劇場の向かい側にあるチェンドル店ね。」と伝えた。これがいつしか簡素化され「シンガポールのチェンドルで待ち合わせね。」になった。以降からはそのお店のチェンドルがシンガポールのチェンドルという名前で認識されるようになった。これがシンガポールのチェンドルという名前の由来である。  タイにはロッチョンとシンガポールのチェンドルという名前は違うが、見た目はほとんど同じなお菓子がある。もしタイに足を運んだなら一度食べ比べてみるのもいいかもしれない。
アジア言語学科 3年 交換
2015-08
月次報告書8月分
ビザ更新の悲劇。
 私たちはタイにノンイミグレートビザで来た。このビザは3ヶ月に1度、大使館で更新手続きをしなければいけない。故に期限1週間前に大使館へ行き更新手続きを行った。1回行けば良いところを私たちは全部で3回行った。その理由を今日は説明しよう。  ビザを更新するには、様々な書類を集めなければいけない。まず、留学先の大学が用意してくれた書類、次に大使館で配布される書類、最後に滞在しているアパートが出してくれる書類の3つが、更新手続き必要な書類である。  必要な書類の内、初めの2つは不備なく揃っていた。しかし最後のアパートが出す書類に不備がありビザを1回目だけではなく2回も更新できずにいた。初回は「今年からアパート関連の書類がコピーではなく原本ではないと更新できない。」と言われたため断られた。ゆえに大学の先生とアパートの管理人にその趣旨を伝え、ルールに沿った書類を作成してもらうようにお願いをした。その趣旨をアパートの管理人に伝えたら、「今年から法律が厳しくなって大変なんだ、こちらの仕事は忙しいんだ、頼むから仕事を増やさないでくれ。」と逆に叱咤された。この会話が原因で少しアパートと私たちの関係がギクシャクした。  そして、3回目は2人が残り期限があと1日であったため、問題の根源であるアパートの従業員と一緒に大使館へ更新しに行った。その結果、またしても書類の不備が指摘されビザ更新を断られた。私たちも含め、従業員の人にもなにが不備なのかわからなかった。さすがに大使館の人も3回も断られた人達を見て見限ったのか、説明もなく、大使館の裏手にあるビザ更新で問題を起こす人達を処理する法律探偵事務所のところへ案内してくれた。  そこで私たちは唖然とした事実を探偵の人から聞いた。それは、現地のアパートには「いつに外国人が入居したか、いつに大使館へビザ更新をするか。」ということを事前に大使館へ報告する義務があるのに、怠っていたのだ。この義務は以前から存在している法律である。しかしアパートの人は何も知らないような素振りをしていた。私たちは腸が煮えくり返る感情を表には出さなかったが、本当にタイは仕事が適当で自分を過ちをあたかも他人のせいにする、自分の面子を重視する人達もいる国であるのだと痛感した。  結局のところアパートの責任でビザ更新できず、またアパートの従業員が法律に沿った仕事をしなかったためにこの問題が起きたので、アパート側は1人当たり800バーツの罰金を支払うことで、無事に私たちはビザ更新をすることができた。  ビザ更新を終えアパートに着いたときにアパートの管理人さんに呼び止められた。管理人さんからは「私たちの仕事を増やさないで欲しい、ビザ更新のアパートの義務については、以前は緩かったから申告しなくても大丈夫だった、しかし最近厳しくなったから問題が起きたのだ。」とやはり自分にミスがあったとは言われなかった。私たちはアパートは家賃はしっかり持っていくが、後の事は適当なんだと痛感した。  最後に、このビザ更新という経験を通じて、タイ人と日本人の問題対処のやり方の違い、そして仕事の出来の違いを知った。問題が起こりそうなら、事前に説明し、一緒に対処して欲しかった。また感情に身を任せても問題は解決しないので、常に冷静でいることの大切さを改めて知った、またその道のプロに仕事を任せるだけではなく、私たち当事者もこれからすることを自ら知ることが大切であると学んだ。 8月はタイでは雨期と言われ、とても雨が降る時期なのに、雨があまり降らなかったので、お出かけにとても良い月でした。
アジア言語学科 3年 交換
2015-07
月次報告書7月分
新しい趣味の発見
 今月の報告はタイのアユタヤに観光で出かけた時に知った歴史について述べる。  1つめに、アユタヤの初代の王、ウートン王の出身地の新説である。現説ではアユタヤに隣接するスパンブリー県のウートンという地名の着いた場所から来たとされている。実際にスパンブリー県はウートン王に縁にあるお寺やラマ5世以前のお寺がたくさん残っている。しかし新説ではポルトガル人カトリック宣教師の記述によると、ペペッブリー出身であると記述されている。これをタイ語にするとホワヒンの上の県ペッチャブリ県のウートン出身であったということになる。  2つめに、タイの歴代王の崩御の編纂である。歴代の王様で一番タイの支配地域を拡大させた第2次アユタヤ朝の豪傑ナレースアン王の死は現説では胃の病気で亡くなったことになっている。しかし、当時の文献と亡くなったとされる場所の要素を含めて考えると、ビルマへ遠征中に像が地面の下にいたハチの巣を踏んでしまい、そのハチの毒により亡くなったということが近年わかってきた。豪傑の死にしてはあっけない最後であるとみうけられる。  終わりに、アユタヤ観光を通して歴史は編纂されている部分があることがわかった。本当に歴史を勉強したいなら通説を学んでから、どう歴史が編纂されたのかを自ら調べるのも楽しいと考えた。
アジア言語学科 3年 交換
2015-06
1~10件目 / 11件中