アメリカに来て早一か月が経過し、心なしか英語スキルの上達速度が鈍重になってきたように思う。質問を聞き返すことが少なくなってきたからそう思うのかもしれない。しかし先生の英語は聞き取れても、ローカルスチューデントの英語は速さもボキャブラリーも容赦がない。本気で分からなくなったら笑顔だけは崩さず、Nice, That's too bad, Really? What?の四つのみでさも理解しているように振る舞っていた。人間、聞いているふりをすればたいてい何とかその場はしのげるものだというのはどうやら万国共通らしい。『今の言葉はどういう意味だったのか聞いておけばよかった!』と後悔することもざらにあったのだが、思い悩むよりも教科書を読みながら言葉を聞き返す練習をする方がよほど有意義である。 今月中、会話スキルの無さできっと一生後悔を引きずるのだろうと思う出来事がひとつだけあった。留学生のためのスクールトリップに参加して一人友人ができたのだが、その人は西サハラ出身で家族が難民キャンプにいるという女性だった。彼女は大学に入って勉強するのが夢だったと言い、英語のスキルも私よりはるかに高かった。日本という恵まれた環境の中で育ってきた私は難民生活がどのようなものなのか全く見当もつかないが、間違いなく私よりも勉強するという行為が困難である環境にいたであろうことは間違いないはずである。正直、彼女との英語スキルの差と経験の差にショックを受けた。後日、彼女を招いて私と私のホストの女性との三人でJapanese Curry Partyをしたのだが、大統領選が近いということもあり、会話は政治についての話題が中心だった。幸い、私は政治に関心を持っていたため話を理解することはできたのだが、日本の政治について質問されたとき、日本語では簡単に説明できることが全く英語で説明することができなかった。私のたどたどしい説明に二人は頷きながら質問を重ねてくれたのだが、英語力の無さが恥ずかしかったとともに勉強量が足りないことを反省した。もっと英語を話せていたら、もっと二人の会話の中に入っていけただろうと思うと後悔の念しか出てこない。文法ができればとりあえず何とかなるだろうと思っていたし実際何とかなっているのだが、人間というのは一つ何かを手に入れるとさらに上を目指したくなる生き物である。この件で、私はとにかく語彙を身に着けようと英語の文章を積極的に読むようになった。負けず嫌いの性格が役に立った瞬間であった。 しかし、私は俗にいうコミュ障だと自覚している。人見知りが激しく、決まった相手としか雑談できず、知らない相手が会話に割って入ってこようものなら空気になってフェードアウトしていくタイプのコミュ障である。日本語でもそうなのだから、英語ならなおさらである。つまり、会話をして経験を重ねようとしても会話に付き合ってくれる友人が圧倒的に不足していたのである。いざ思い立って何かをしようと思っても、その基盤がぐらついているのでは話にならない。私の本当の敵は英語力ではなく、コミュニケーションスキルであった。これから留学を考えている後進には、英語力も勿論だが何よりも対人能力を高めておくことを個人的にはおすすめする。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 575 | 59,656円 |
水道光熱費 | 0円 | |
学費・教材費 | 1,200 | 124,500円 |
交通費 | 15 | 1,556円 |
通信費 | 0円 | |
食費・その他 | 100 | 10,375円 |
合計 | 1,890 | 196,087円 |