学生5233の報告書一覧
プロフィール
学科
国際コミュニケーション学科
学年
3年
専攻
国際コミュニケーション専攻
留学期間
2016-09-01 ~ 2017-03-31
留学種別
推薦
1~7件目 / 7件中
2017-03
月次報告書3月分
留学終了
七ヶ月間の留学を経て、異文化コミュニケーション能力や積極性が身についたと感じる。四六時中英語を使う環境い身を置いていたため、もちろん語学力も留学当初からは比べ物にならないほど伸びているとは思うが、言語はあくまでコミュニケーションツールのひとつでしかなく、使えるか使えないかは自分の積極性にかかっていた。しかしただ話しかければコミュニケーションが取れるというわけでもなく、相手を不快にさせないようにするにはどうしたらいいか、どんなことに気をつければ楽しくコミュニケーションが取れるかなどを考えることが必要だった。アメリカは確かに自由の国だと謳われていはいるが、それは何をしても許されるというわけではない。そこかしこにアメリカ式の常識が張り巡らされ、それに順応しなければ常識知らずのレッテルを貼られるのである。ただ、それに気をつけてさえいれば、私のいたエリアは寛大で温かい人たちばかりで、快適に暮らすことができた。旅の恥はかき捨てという言葉があるように、アメリカ暮らしの新人である留学生たちは、恥をかくようなことをしてもそれが公衆の迷惑でない限り温かく見守ってもらえていたと思う。この留学で気づいたのは、どこで何をするにしても現地の常識にはなじまなくてはならず、わからないことは積極的に聞かないと教えてもらえないという、ごく一般的なことだった。しかし、日本にいるままだったらそんな当たり前のことになど気づかず、自分の狭い常識の範囲から抜け出せなかっただろう。この留学は、確実に私の視野を広くしてくれた。最後にこの場をお借りして、留学に行かせてくれた家族、励ましの言葉をくれた友人たち、留学のサポートをしてくれた先生方、その他私の留学にかかわったすべての方々に感謝を申し上げる。
国際コミュニケーション学科 3年 推薦
2017-02
月次報告書2月分
ホームシック
国際コミュニケーション学科 3年 推薦
2017-01
月次報告書1月分
新年
私は元旦は親類一同が集まって新年を祝う日だと思っていたが、どうやらアメリカはそこまで盛大に一年の始まりを祝うことはないようで(多分個人差あり)、私の一年は12時間の睡眠とチーズフォンデュで開始した。1月3日にはホストの女性がバケーションで外国に一か月旅行に行ってしまい、猫と一緒ではあるが一人暮らしをしている。最初は防犯などに関して大丈夫だろうかとかなり心配していたが、Bellinghamはとても治安が良い場所なので、いきなり不審者が銃で窓を割って侵入してきたなどといった映画のような展開もなく、日本食を作りながら快適な毎日を過ごしている。日本では一か月も仕事を休むなど考えられないと思うが、個人的にはこのように長期休暇を取ることを許される働き方がとても羨ましい。 日本語クラブに顔を出していたことが幸いして、Bellinghamの日本人クラブの新年会にお誘いいただき、多くの日本に縁のある人や日本に興味のある人達にお会いした。生け花が飾ってあったり臼と杵で餅をついたりと、まさしく童謡に聞くような日本の新年会といった様相で、現代日本でもあまり見られないような光景に感動した。 1月になってから気温がマイナスになることが少なくなってきたが、上旬から中旬は日中も噴水の氷が全く融けないのが普通だった。しかしそんな気温の中ですら半袖でいたり、上着を着てはいてもハーフパンツを穿いていたりと、目を疑うような恰好をした人々もよく見受けられた。白人種と黄色人種では耐寒度が違うと耳にしたことはあるが、周りが上着を含め何も防寒具を身に着けていない中、私だけコートを着てマフラーを巻いていると、一人だけ北極に生きているようでいたたまれないと感じることがある。ただ、こういった驚きも留学の醍醐味だと思うので、日常の小さな相違点にも着目して留学生活を楽しみたいと思う。
国際コミュニケーション学科 3年 推薦
2016-12
月次報告書12月分
冬休み
12月は早々に授業が終わってしまい、ほぼ一か月もある冬休みに入った。雪はたまにしか降らないと聞いていたような気がするが、皆が口を揃えて今年は寒いと言っていたので、去年は温暖だったのだろうと思った。雪のせいで外出するのも億劫になってしまい、なかなか出不精になってしまったが、近くの大学の図書館に行ったりクリスマスプレゼントを買いに行ったりなど、雪がないときを見計らって散歩を楽しんでいた。 12月といえばクリスマスで、ダウンタウンも雪の結晶のオーナメントが飾られたりバスが装飾されたりしていた(装飾されたバスは無料で乗車することができた)。私がお世話になっているホストは独身の女性で、Thanks Giving Dayなどの特別な休日には隣町に住む彼女のご両親の家に行くことが恒例となっており、クリスマスもそちらにお邪魔した。さて、クリスマスといえばプレゼント交換だが、私は貰った量の余りの多さにかなり驚いてしまった。彼女と彼女のご両親からもらったプレゼントは大きな段ボール箱にようやく収まるというほどの量で、私はそこまで多くのプレゼントを買わなかったので少し申し訳なく思った。プレゼント交換が終わった後は四人で映画館に出かけ、スターウォーズの最新作を観た。 留学生活の半分が終わり、あと三か月しかアメリカに滞在できないと思うとやはり寂しく思ってしまう。しかし同時に帰国して自分が成長したか確かめるのがとても楽しみでもある。日々、私を支えてくれる人々への感謝を忘れず、残りの留学生活も最高だったと思えるように頑張りたい。
国際コミュニケーション学科 3年 推薦
2016-11
Japanese Clubで知り合ったローカルスチューデントの友人がシアトルに連れていってくれることになり、彼女と彼女の彼氏さんと彼氏さんの友人の四人でシアトルに行った。訪れたのはChihuly Garden and Grass, Pike Place Market, Uwajimayaの三か所。Pike Place Marketはシアトルの中でもかなり有名な観光名所のようで、雨天にもかかわらず大勢の人で混み合っていた。UwajimayaはPike Place Marketのある場所から電車のようなバスのような乗り物で少し移動した場所にあった。名前の響きからして察することができるだろうが、日本中心のアジアンマーケットである。建物の中はほぼ日本の店と品物で埋まっており、たこ焼きの屋台なども見られたが値段が恐ろしく高かった。紀伊国屋書店を覗いてみれば、売っている本は大半が日本から輸入されたものであり、ぐでたまなどのぬいぐるみなども販売されていた。 月末にはホストの女性と人生初のシューティングに行った。防音のイヤーマフをしているにもかかわらずピストルの発砲音は大きく、自分の意思とは無関係に体が跳ねてしまうほどだった。ホストの女性に銃の構え方や装填の仕方を教えてもらったが、初めて聞く単語の数々(magazine: 弾倉 など)と極度の緊張で何を言われているのかさっぱり分かっていなかった。何回か弾を込めたままあちこちを向きそうになり、彼女のみならず隣でシューティングをしていた人達にまで注意される始末だった。それだけ銃は怖いものということなのだろう。慣れてきたら銃を扱う手順もだんだん飲み込めてきて、初めてにしては上手いと職員の方からお褒めの言葉をいただいた。私はピストルとライフルの二つを撃たせてもらい、ピストルの方が口径数が大きいこともあって撃ちにくかったが最終的にはライフルよりも気に入った。撃っている間は楽しかったのだが、長時間腕を伸ばし続けたり慣れない姿勢を取り続けたせいか翌日左半身が筋肉痛に襲われた。銃を撃っていると強くなるよとホストの女性に言われた時は銃自体が強いと思っていたためそれはそうだろうと聞き流していたが、銃を撃ち続けているおかげで腕の筋肉が鍛えられるのだと悟った。実際、ピストルを撃っている人たちはマッチョ揃いだった。これを機に腕立て伏せを始めようかと思ったが、考えただけで終わったのは内緒にしておきたいところである。
国際コミュニケーション学科 3年 推薦
2016-10
月次報告書10月分
敵はコミュ障にあり
アメリカに来て早一か月が経過し、心なしか英語スキルの上達速度が鈍重になってきたように思う。質問を聞き返すことが少なくなってきたからそう思うのかもしれない。しかし先生の英語は聞き取れても、ローカルスチューデントの英語は速さもボキャブラリーも容赦がない。本気で分からなくなったら笑顔だけは崩さず、Nice, That's too bad, Really? What?の四つのみでさも理解しているように振る舞っていた。人間、聞いているふりをすればたいてい何とかその場はしのげるものだというのはどうやら万国共通らしい。『今の言葉はどういう意味だったのか聞いておけばよかった!』と後悔することもざらにあったのだが、思い悩むよりも教科書を読みながら言葉を聞き返す練習をする方がよほど有意義である。 今月中、会話スキルの無さできっと一生後悔を引きずるのだろうと思う出来事がひとつだけあった。留学生のためのスクールトリップに参加して一人友人ができたのだが、その人は西サハラ出身で家族が難民キャンプにいるという女性だった。彼女は大学に入って勉強するのが夢だったと言い、英語のスキルも私よりはるかに高かった。日本という恵まれた環境の中で育ってきた私は難民生活がどのようなものなのか全く見当もつかないが、間違いなく私よりも勉強するという行為が困難である環境にいたであろうことは間違いないはずである。正直、彼女との英語スキルの差と経験の差にショックを受けた。後日、彼女を招いて私と私のホストの女性との三人でJapanese Curry Partyをしたのだが、大統領選が近いということもあり、会話は政治についての話題が中心だった。幸い、私は政治に関心を持っていたため話を理解することはできたのだが、日本の政治について質問されたとき、日本語では簡単に説明できることが全く英語で説明することができなかった。私のたどたどしい説明に二人は頷きながら質問を重ねてくれたのだが、英語力の無さが恥ずかしかったとともに勉強量が足りないことを反省した。もっと英語を話せていたら、もっと二人の会話の中に入っていけただろうと思うと後悔の念しか出てこない。文法ができればとりあえず何とかなるだろうと思っていたし実際何とかなっているのだが、人間というのは一つ何かを手に入れるとさらに上を目指したくなる生き物である。この件で、私はとにかく語彙を身に着けようと英語の文章を積極的に読むようになった。負けず嫌いの性格が役に立った瞬間であった。 しかし、私は俗にいうコミュ障だと自覚している。人見知りが激しく、決まった相手としか雑談できず、知らない相手が会話に割って入ってこようものなら空気になってフェードアウトしていくタイプのコミュ障である。日本語でもそうなのだから、英語ならなおさらである。つまり、会話をして経験を重ねようとしても会話に付き合ってくれる友人が圧倒的に不足していたのである。いざ思い立って何かをしようと思っても、その基盤がぐらついているのでは話にならない。私の本当の敵は英語力ではなく、コミュニケーションスキルであった。これから留学を考えている後進には、英語力も勿論だが何よりも対人能力を高めておくことを個人的にはおすすめする。
国際コミュニケーション学科 3年 推薦
2016-09
月次報告書9月分
初めての長期留学
 9月10日土曜日午後4時40分成田発の飛行機に乗り、9月10日土曜日午前9時20分シアトルタコマ空港にてアメリカに足を踏み入れた。荷物を引き取って指定を受けていた場所に行くと、Whatcom Community Collegeと書かれた小さなスケッチブックを持った女性が笑顔で出迎えてくれた。しかし、思っていたよりも緊張していたのかTOEICばかり重視してきたツケか、会話に十分に受け答えすることができなかった。正直なことを言えば、この時点で既に「私の英語は通じないのでは」と不安を感じていた。同日午後、バスで大学やステイ先のあるBellinghamに到着し、ホストファミリーと顔を合わせた。私のホストは独身女性一人だが、現在友人とホームシェアリングをしているということで、女性二人が私を迎えに来てくれていた。車で家まで移動する途中、彼女たちは私にいろいろ話しかけてくれていたが、ほぼ全ての質問を聞き返してしまったことに自分で驚いていた。ネイティブスピーカーの会話速度がいかに早いか、どれだけ大学の英語教員の先生方がゆっくり話してくれていたのかを痛感し、ショックを受けた瞬間であった。  9月13日から19日がオリエンテーション期間で、20日から本格的な大学生活が始まった。オリエンテーションでは、大学生活についての諸注意から現地銀行の口座開設や携帯電話についてなど、留学するうえで欠かせない知識を身に着けた。ただし、私は留学期間が半年なので銀行口座は開設せず、携帯電話もソフトバンクのアメリカ放題に加入しているから大丈夫だと思って購入していない。必要に迫られたら購入しようとは思っているが、しばらくはこのままでいようと思っている。授業については、オリエンテーション期間中に受けた英語・数学のテストを基に、取る授業を留学生補助の先生と話し合って決めた。私の場合、今期はESLAを二つ(Oral Communication, Grammar)とArtのクラスを受講することになった。ESLA(神田外語でいうEICのような授業)は留学生のみで構成されているので、教員もかなりゆっくりなスピードで話してくれる。そのため、この名前のつく授業では英語にあまり困らない。ただし、Artの授業はAcademicと呼ばれ、現地学生の中に混ざって授業を受けるので、英語があまり聞き取れていないというのが現状である。先生は留学生に多少気を遣ってくれているようだが、生徒の話すスピードが信じられないほど早く、発言をまともに聞き取れたことがまだない。初回授業で生徒全員が自己紹介を行ったが、名前を聞き取ることで精一杯だった。ちなみに、自己紹介の内容は「名前、出身地、絵画についての経験、好きな動物」であった。絵画についての経験を述べるとき、正面に座っていた女子学生が私の英語を聞いて眉間にしわを寄せていたため、私の英語はやはり日本語なまりが強いんだろうなと実感した。初日から英語の不安があったと既に言及しているが、この日に自分の英語への自信はぼろぼろになった。しかし、立ち直りもものすごく早かったため、逆に羞恥心を捨て去ってあれこれ聞けるようになったので良かったのかもしれない。  アメリカに来た当初はかなり英会話に戸惑ったが、英語と日本語の使う比重が逆転して二週間もたってしまうと、頭では英語で物事を理解できるようになる。まだ頭と口が直結していないのか、言いたい英文が頭にあるのに口から出てこないということが多々あるが、初日よりずっと英語が上達したとホストファミリーから褒められた。この調子で留学生活を楽しんでいこうと思う。
国際コミュニケーション学科 3年 推薦
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