日数にすると8月の2倍もあった9月ですが、意外とあっという間に過ぎました。というのも、ハリケーンという一大事があったからだと思います。5日に本格的に学校から避難が促されるようになり、何人かの友達からも、「逃げる場所はある?どこに行くの?」という連絡を受け、「台風くらいで大げさな」と思っていた私もすごく不安になりました。学校側としては、全員寮から出るよう連絡はするものの、それは留学生や実家が遠く止むを得ず学校に残る人が限られた資源でやりくりできるようにするためだそうです。私は何人かの友達が、家に来ていいと言ってくれた状況の中で、最後まで悩みました。建物の強さや洪水の危険性の点では確実に大学に残った方が安全でしたが、皆実家に帰って取り残されるような気持ちになり、友達の家にお邪魔することにしました。3、4日くらいだと思っていた避難生活は結果的に9日となり、友達の家では1週間近く停電していました。発電機で最低限の電子機器は使えたものの、毎日暑さと退屈に耐えるのが辛かったです。のちに聞くと、大学は2分程度しか停電せず、学生が1箇所に集められてみんなで寝たのも1日だけだったらしいです。周囲や泊めてくれた友達は、大学にいればよかったねと言いますが、友達の家に泊めてもらってよかったと、全て終わった今は思えます。25年に1度の規模のハリケーンに偶然遭遇し、現地の人々が災害後どのように過ごすのか、復旧の仕方は日本とどう違うのかなど、いろいろなことが知れてよかったです。あとは単純に友達の家族と出会い、フィリピンの文化を知れたこともとても良い経験になりました。 授業は、だんだんと先生の言っていることがわかるようになって来ました。宿題やテストも増えましたが、今の所は特に問題なくこなせています。8月は、暇な時間が多くて退屈することもありましたが、授業が難しくなっていくにつれて授業後に図書館に行ったり、先生に話を聞きに行ったりする時間が増えて、疲れますが充実して来ました。また、個人的にすごくやりがいを感じているのが日本語の授業でのボランティアです。まだ2回しか行っていないのですが、今月伺った授業の先生は、生徒を2つの教室に分けて片方を私に全て任せるという斬新なやり方でした。最初は私で大丈夫なのかと不安でしたが、アメリカの学生の言語を学ぶ積極的な姿勢と、自分が教職課程で学んで来たことに救われ、すごく自分らしく楽しい会話の授業ができました。またお手伝いに呼んでいただけるようにお願いしました。 生活面では自炊もほとんど毎日するようになり、だいぶリズムが整って来ました。平日はしっかり勉強したり、映画を見たりと自分の時間を過ごし、週末はなるべく色々な友達と過ごすようにしています。今月の週末はビーチに行ったり、アジアの食材を買いに遠くまで行ったり、映画を見たりしました。9月最終日にはハリケーンで延期になっていたフットボールの試合があり、友達と見に行きました。しかし実際、試合前のTailgateというパーティーで散々はしゃいで疲労し、試合はルールが全くわからないので30分ほどで帰りました。せっかくアメリカにいるのでもう少しこちらのスポーツに詳しくなろうと思います。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 860 | 87,780円 |
水道光熱費 | 0 | 0円 |
学費・教材費 | 0 | 0円 |
交通費 | 35 | 3,572円 |
通信費 | 0 | 0円 |
食費・その他 | 300 | 30,621円 |
合計 | 1,195 | 121,973円 |