4月の終わりから5月の初めに、三泊四日でパラグアイを訪れた。パラグアイはブラジルとの国境の町である、シウダ・デル・エステ、日本人移住地があるイグアス、そして首都であるアスンシオンを訪れた。ブラジルとパラグアイの国境は、パラナ川が流れており友情の橋と呼ばれる橋を渡る事で国境をまたぐ事が出来る。この橋には、ブラジルとパラグアイのイミグレーションがあるのだが、ブラジルからパラグアイに越境する場合は、日帰りに限り審査無しで越境する事が可能な様で、イミグレーションを素通りする車や人がとても多く驚いた。日帰りでパラグアイを訪れる者の多くは、南米最大の電気街であるシウダ・デル・エステへ買い物に行く者が多い。これは、ブラジルやアルゼンチンなどの周辺国に比べ、とても安く電化製品が手に入るためである。 橋を渡り、パラグアイに入った瞬間にブラジルとの違いを感じた。1つは音楽文化の違いだ。橋を渡った瞬間に、ブラジルでは聴くことのない、中南米産まれのReggaetónというジャンルの独特のリズムの音楽が、そこら辺の車から聞こえてきた。パラグアイを旅行中、Reggaetónを耳にする機会は頻繁にあり、長距離バスに乗った際も、隣の席の若い女性が何のためらいも無しに、Reggaetónを響かせており、パラグアイにとても浸透しているのだと感じると共にスペイン語圏とポルトガル圏の文化の違いを考えた。 もう1つは、マテ茶の文化だ。パラグアイに入ると、多くの人がパラグアイの冷たいマテ茶であるテレレを飲むために、グアンパと呼ばれるコップ、ストローのようなボンビージャ、そして水を入れるテルモを携帯し、そこら中でテレレを楽しんでいるのだ。ブラジルでもマテ茶はとても身近な存在であるが、少なくとも私の暮らすパラナ州ではこの様な光景を目にすることは少ない。また、パラグアイの街中では、様々な薬草を調合しオリジナルのテレレを販売する光景もみられる。実際、パラグアイのテレレを飲んだ感想は、マテの茶葉の他に爽やかなハーブが入っており、爽快感を感じとても気に入った。因みに、街中でテレレを楽しむ多くの人が茶殻をその辺に捨てるので、パラグアイの街は汚いことが多い。 イグアス居住地 イグアス居住地は、日本人居住地であり小さな町に約200家族が移住した。イグアスは小さな町であるという事もあるが、日系人の多く住むロンドリーナと比べてもより日本に近かった。 入植開始が1961年と遅いという事もあり、言語については、町で日本語が普通に使われている、人によっては公用語であるスペイン語やグゥアラニー語より日本語を使うという。スーパーで、普通に「おはよー」という客同士の挨拶を耳にした時はとても驚いた。 イグアスを訪れた際、たまたま運動会が開催されていたため、何人かの若者と会話をしたが、彼らは日本を訪れた経験が無いにも関わらず、まるでそこが日本であるかの様な会話であった。メールなどで会話をしても、日本の友達と会話をしているのと変わらなく感じた。また、食文化についても完全な日本食を楽しむ事ができた。ブラジルにも日本米があるが、イグアスの日本米はブラジルの米と比べられないくらい美味しく、日本で食べる旨い米に感じられた。イグアスでは、町の日系組織を運営するのに日本語が重要だと考えられている。それも、イグアスが日本により近く感じられた理由でああると考えられる。 アスンシオン アスンシオンでは、町の中心、国会議事堂の目の前にチャカリタと呼ばれるスラムが広がっていることが驚きであった。治安はスラム街以外の場所では比較的良好であり、セントロでは夜中も多くの観光客で賑わっている。 食文化 ブラジルのシュハスコの様なアサードが代表的だが、マンジョッカやトウモロコシの粉から作られたチパと呼ばれるパンのようなものや、ソパ・パラグアジャと呼ばれるスープでは無いタルトの様な不思議な郷土料理がある。 まとめ パラグアイは、グゥアラニー語やテレレの文化からもわかる様に先住民の文化が色濃いという事だ。そして、日本人も農業の分野でパラグアイの経済発展に大きく貢献したという事でとてもイメージが良いという事だ。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 580 | 17,980円 |
水道光熱費 | 0円 | |
学費・教材費 | 0円 | |
交通費 | 87 | 2,697円 |
通信費 | 0円 | |
食費・その他 | 802 | 24,862円 |
合計 | 1,469 | 45,539円 |