学生6137の報告書一覧
プロフィール
学科
イベロアメリカ言語学科
学年
4年
専攻
ブラジル・ポルトガル語専攻
留学期間
2018-03-01 ~ 2019-02-28
留学種別
交換
1~9件目 / 9件中
2018-11
月次報告書11月分
ブラジルの果物2
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2018-10
2018-09
月次報告書9月分
Sushi
今、世界中で日本食が注目を集めているが、ここブラジルでも日本食の人気は高い。特にスシは、とても人気でロンドリーナにも多くのスシレストランが存在する。しかし、ブラジルのスシは日本の寿司とはとても事なり、とてもブラジルナイズされている。その事は現地の人達もよく分かっているようで、ブラジル人から頻繁に「ブラジルのスシは好きか?」という質問を受ける、そして私が「とても好きだ!」と言うと、皆はとても喜び「ブラジルのスシを気に入った日本人は君が初めてだよ!」と言いとても喜んでくれる。しかし、冗談を抜きにして私はブラジルのスシが気に入ったし、多くの日本人には受け入れられるのではないかと感じている。ブラジルのスシネタは、主にサーモン、マグロ、ペイシブランコ(おそらくpeixe prego)と呼ばれるこってりした魚、の3種類であり、サーモンの人気が高い。スシの種類は、手巻き寿司、握り寿司が主でありその他にも巻き寿司、太巻き、裏巻き、いなり寿司なども見られる。ブラジル独特な物としては、サーモンにクリームチーズを合わせる食べ方と、サーモンの細巻きをフライにしテリヤキソースをかけたホッチロールがあり、とても人気だ。両方とも、とてもこってりとしていて私自身もとても気に入り、日本の若い世代にも受け入れられるのではと感じた。 ブラジルのスシレストランには、主にいくつかの種類がある。1つは、Temakeria,テマケリアと呼ばれるその名の通り、主に手巻き寿司を販売する比較的カジュアルなタイプだ。これは、ショッピングモールのフードコートなどでも多く見られる。もう1つは、食べ放題タイプのスシレストランだ。値段は決して安くは無いが、スシの他にも焼き魚やシメジの炒め物、店によっては餃子など、日本料理風のメニューも満足のいくまで楽しむことができる。また、スーパーやフードトラックなどでも一般的に販売されている ブラジルのスシは、日本の物とは異なる部分もあるため日本のそれをイメージすると多少違和感が感じられるかもしれないしかし、先入観を捨て、食べる価値は大いにあると感じる。スシ1つをとっても、日本との違いやブラジルらしさを感じる事が出来るのはとても楽しい事だ。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2018-08
月次報告書8月分
ブラジルの日本
ブラジルは、多くの移民によって構成されている他民族国家という事で様々な場面でそれを感じる事が出来る。ここロンドリーナも、ドイツやイタリア、日本からの移民が多く着いたという歴史から、人種や食文化、言語その他の面で名残を感じる事が出来る。ここロンドリーナにおいても例外では無いが、多くの場合入植した彼らの文化は徐々に薄くなっていく傾向をもつ。ロンドリーナでの日本文化においても言語や食の面からよくわかる。多くの日系人の暮らしは、日本文化の面影こそ残ってはいるものの日常ではポルトガル語を話し、白ご飯とおかずという日本の食卓とは異なる、油飯とフェイジョアンを始めとしたブラジルで一般な食事をとっている。 そうした中でも、ブラジルの中でほぼ日本の暮らし、文化を守り続けている場所がある。それが、「弓場農場」または、Comunidade Yuba と呼ばれる場所である。サンパウロ州、ミランドポリス付近に位置する弓場は、1935年に日本人により建設された農場を基にする共同体である。ここでは、約55名の一世から4世まで(公式サイトによる)が言語や生活様式などの日本の文化を基盤として暮らしている。ここでは、外部からの訪問者を受け入れており私も約1週間お世話になった。ここでの経験は、唯一無地の経験でありとても特別なものであった。何が良かったのかなど、何を感じたのかなどは、到底言葉で表わすには表しきれないものであり、それを経験した者しか分からないものである。 ここでは、大まかに弓場での私の生活と感じた事をおおまかに記したいと思う。弓場での生活は、主に農業による収入により賄われている。しかし、その収入は個人には帰属せずに共同体のものとして管理され、共同体を運営する資金となる。この、資金の中から共同体のメンバーが必要な物を調達するという仕組みだ。また、弓場の大きな特徴としてあげることの出来るもう1つは、自給自足という言葉だ。ここでは、食事から食器、石鹸をはじめとしたものをなるべく自分たちでまかなっているのだ。そのため、食事において野菜はもちろん、豚肉、醤油や味噌といった調味料、納豆や豆腐といった食品までが手作りであり、とれも美味である。ここで私は、農作業をしながら共同体の1メンバーとして約1週間を過ごした。ここでの、感想については前に述べたように言葉には出来ない、また人によっても感じることは違うであろう。ただ1つ言えることは、日々の生活(仕事、食事、仲間)が感謝に溢れていたという事だ。私はここで、人間が大切にすべきこと、人生を豊かにする大切なことを思い出すことができたと思う。弓場では、日本人が忘れている心を大切にしているのだろう。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2018-07
月次報告書7月分
フェイラとメルカド
ブラジルの食文化を語る上で欠かせないのがフェイラとメルカドだ。フェイラは、日本でいう青空市の様なもので、時間や曜日ごとに街の至る所で開催される。大抵は、朝から正午頃までだが、日が沈んでから行われるFeira da lua と呼ばれるものもある。メルカドは、Mercadão や Mercado municipal という市場であり、たいていの街ごとに存在する。メルカドやフェイラでは、スーパーでは手に入れにくい様々な食品を、価格は多少上がるが、新鮮な状態で買う事が出来る。また、場所によっては観光向けに特化されているものもあり、市民の台所とは言えない様な場所もある。食品以外にも、手作りの雑貨を扱うフェイラも地域によりみられる。メルカドやフェイラは、地域により特徴が事なる、それぞれの地域のメルカドを見学する事はとても楽しいし、情報収集にも繋がる。また、お土産探しの際にもオススメだ。ロンドリーナのフェイラはというと、セントロ近辺だけでも1週間で大小合わせて5つくらいある。このフェイラでは、日本でも馴染みのあるほうれん草やチンゲン菜などの野菜や、手作りの餃子、パステウの屋台など、フェイラにのみ出店する店舗もあり買い物をする楽しみが得られる。メルカドに関して、ロンドリーナにはMercado Shangri-láという市場がある、ここでの特徴としてはフェイラのように新鮮野菜や魚介類が手に入るのは勿論だが、アジア食品を扱う店舗が数件ある。ここではキッコーマンの醤油(ブラジルでは、原材料や製法が日本とは異なる国産の醤油が一般的)からエバラの焼肉のタレ(とても高価なので買った事はない)、キムチやコチュジャンまで、日本の台所にあるものは大抵手に入れる事が出来る。また、ここにはCerveja artesanal いわゆるクラフトビールを専門に扱う店もあり、豊富な種類の美味しい生ビールを楽しむ事が出来る。 ※写真はクリチバのフェイラとメルカドムニンシパル
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2018-06
ブラジルでのストライキについて 私は、5月21日から始まったトラックドライバーによる燃料費引き上げに対するストライキを経験した。このストライキはブラジル全土に広がり、私自身の生活にも少なからず影響があった。何故なら、ブラジルは輸送手段の60%以上をトラックが担っており、トラックが止まり道路が封鎖されると、物資が街に届かず街の機能が止まってしまうからだ。私自身に直接影響したのは、学校の閉鎖だけであった。しかし、街からはガソリンが消え、公共交通機関、消防、救急の機能も制限された。また、病院では医療物資が不足し急を要する場合にのみ対応をするなどの対応が見られた。影響は、養鶏場でも大きく餌の不足のために多くの鳥が死んだようだ。多くの鶏肉を輸入している日本にも、価格高騰の影響は出るだろう。もちろん、食料品や日用品なども消費者には届かず一部の地域ではスーパーでの品薄や価格の高騰などが報道されていた。私が住む街では、スーパーでのストックがあったようで新鮮な野菜を除き目立った品切れは見られなかった。 ストライキが始まってからは、ブラジル中でデモ行進が起き、ここロンドリーナでもデモ行進があり多くの住民が参加しいていた。街の車にも、私はストライキを援助しますなどと書いたものが散見された。他にも、街の商店ではデモ行進に使う国旗やラッパなどが多く売られていた。デモでは、タイヤや車を燃やしたりなどの過激なものも見られ、軍警察もストライキの対応に当たっていた。ストライキに賛成していた層でも、長引くにつれて不満が出てきていた。 ストライキ中にブラジルらしいと感じたことは、自分の思想や意見にとてもオープンだということだ。街中では、普通に意見交換をしていたり、車などにストライキ賛成や、様々な意見を主張する光景が見られた。もう1つは、国や生活が大変な状況でも自虐的なユーモアがあるという事だ、ガソリン不足や食品不足を面白おかしく皮肉る表現などが日常で見られた。 サンパウロ 6月、サンパウロを訪れた。滞在は1週間にも満たず、様々な見所や博物館が集中するサンパウロではとても短く感じた。サンパウロには、大小合わせてもとても多くの博物館や資料館が集中しており、そこでは授業で見た絵画やモニュメントを目の当たりにする事が出来た。ただ現物を見るというだけでなく、事前に学んだ事で、より興味深く作品を感じた。また南米最大の都市、サンパウロというだけあり、欲しいものは何でも手に入り、街並みも綺麗で、地下鉄も便利であり(路線は短い)日本の東京のような感覚であった。日本文化についても、南米最大の東洋人街、リベルダージ地区や日本文化を紹介するジャパンハウスなどのスペースがあり、多くの人が日本文化を知り触れる機会が存在する。和食についても、すき家や日本の有名ラーメン店が出店していたりと日本と変わらない質の高いものを楽しむ事が出来る。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2018-05
4月の終わりから5月の初めに、三泊四日でパラグアイを訪れた。パラグアイはブラジルとの国境の町である、シウダ・デル・エステ、日本人移住地があるイグアス、そして首都であるアスンシオンを訪れた。ブラジルとパラグアイの国境は、パラナ川が流れており友情の橋と呼ばれる橋を渡る事で国境をまたぐ事が出来る。この橋には、ブラジルとパラグアイのイミグレーションがあるのだが、ブラジルからパラグアイに越境する場合は、日帰りに限り審査無しで越境する事が可能な様で、イミグレーションを素通りする車や人がとても多く驚いた。日帰りでパラグアイを訪れる者の多くは、南米最大の電気街であるシウダ・デル・エステへ買い物に行く者が多い。これは、ブラジルやアルゼンチンなどの周辺国に比べ、とても安く電化製品が手に入るためである。 橋を渡り、パラグアイに入った瞬間にブラジルとの違いを感じた。1つは音楽文化の違いだ。橋を渡った瞬間に、ブラジルでは聴くことのない、中南米産まれのReggaetónというジャンルの独特のリズムの音楽が、そこら辺の車から聞こえてきた。パラグアイを旅行中、Reggaetónを耳にする機会は頻繁にあり、長距離バスに乗った際も、隣の席の若い女性が何のためらいも無しに、Reggaetónを響かせており、パラグアイにとても浸透しているのだと感じると共にスペイン語圏とポルトガル圏の文化の違いを考えた。 もう1つは、マテ茶の文化だ。パラグアイに入ると、多くの人がパラグアイの冷たいマテ茶であるテレレを飲むために、グアンパと呼ばれるコップ、ストローのようなボンビージャ、そして水を入れるテルモを携帯し、そこら中でテレレを楽しんでいるのだ。ブラジルでもマテ茶はとても身近な存在であるが、少なくとも私の暮らすパラナ州ではこの様な光景を目にすることは少ない。また、パラグアイの街中では、様々な薬草を調合しオリジナルのテレレを販売する光景もみられる。実際、パラグアイのテレレを飲んだ感想は、マテの茶葉の他に爽やかなハーブが入っており、爽快感を感じとても気に入った。因みに、街中でテレレを楽しむ多くの人が茶殻をその辺に捨てるので、パラグアイの街は汚いことが多い。 イグアス居住地 イグアス居住地は、日本人居住地であり小さな町に約200家族が移住した。イグアスは小さな町であるという事もあるが、日系人の多く住むロンドリーナと比べてもより日本に近かった。 入植開始が1961年と遅いという事もあり、言語については、町で日本語が普通に使われている、人によっては公用語であるスペイン語やグゥアラニー語より日本語を使うという。スーパーで、普通に「おはよー」という客同士の挨拶を耳にした時はとても驚いた。 イグアスを訪れた際、たまたま運動会が開催されていたため、何人かの若者と会話をしたが、彼らは日本を訪れた経験が無いにも関わらず、まるでそこが日本であるかの様な会話であった。メールなどで会話をしても、日本の友達と会話をしているのと変わらなく感じた。また、食文化についても完全な日本食を楽しむ事ができた。ブラジルにも日本米があるが、イグアスの日本米はブラジルの米と比べられないくらい美味しく、日本で食べる旨い米に感じられた。イグアスでは、町の日系組織を運営するのに日本語が重要だと考えられている。それも、イグアスが日本により近く感じられた理由でああると考えられる。 アスンシオン アスンシオンでは、町の中心、国会議事堂の目の前にチャカリタと呼ばれるスラムが広がっていることが驚きであった。治安はスラム街以外の場所では比較的良好であり、セントロでは夜中も多くの観光客で賑わっている。 食文化 ブラジルのシュハスコの様なアサードが代表的だが、マンジョッカやトウモロコシの粉から作られたチパと呼ばれるパンのようなものや、ソパ・パラグアジャと呼ばれるスープでは無いタルトの様な不思議な郷土料理がある。 まとめ パラグアイは、グゥアラニー語やテレレの文化からもわかる様に先住民の文化が色濃いという事だ。そして、日本人も農業の分野でパラグアイの経済発展に大きく貢献したという事でとてもイメージが良いという事だ。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2018-04
月次報告書4月分
食について
ブラジルの食文化 ブラジルと日本の食文化では、食材や調理法が異なるという点はいうまでも無い。しかし、実際にブラジルで暮らしてみて、料理そのものでは無く食べ方について興味深い事を2つ発見した。 1つ目は、ナイフとフォークを持つ手についてだ。日本では、多くの人が利き手にナイフ、もう片方にフォークとう使い方をするが、ブラジルでそれは反対だという事だ。実は、この事はブラジルを訪れる前から聞いた事があった。しかし、実際ブラジルで食事をする中で、人々が日本とは逆の持ち方をする理由が1つの仮説として導き出された。それは、ブラジルの主食が日本と同じコメであり、利き手と逆の手でフォークを使いコメを食べるのは難しいという事だ、特にブラジルのコメは日本のそれとは異なり、粘り気が無くパラパラしている。ブラジルでは、肉、野菜、コメが1つの同じ皿に乗っている場合が多く、自分自身、ナイフとフォークを持ち替えずに食事するにはこの方法が1番だと感じた。もちろん、利き手にナイフを持つ人や、その都度持ち替える人もいる。 もう1つの発見は、ピザの食べ放題ではピザのミミを残す人が多いという事だ。ブラジルに到着してから、2回ピザの食べ放題に行ったが、一緒に行ったブラジル人は全員ミミを残していた。テーブルにも、ミミを残す用の皿が用意されているため、多くのテーブルで積み上げられたミミを見る事が出来る。ミミを残す理由としては、ミミ食べるとすぐにお腹が一杯になってしまうからだ。私自身、食べ物を残すのは嫌いだったが、ついつい真似をしてしまった。 20代男性、一人暮らし、ロンドリーナでの食生活 留学生活の中での食生活について紹介をする。まずは朝食だが、実際のところ朝食はチョコレートやクッキーといったお菓子のみですませることが多く、参考にはならないだろう。昼食については、授業がある日は大学の学食で食事をする。因みに、ポルトガル語で学食は"Restaurante Universitário" だが、その頭文字をとり"R,U"と呼ばれる。学食のメニューは日替わりの1つのみで、ブラジルで一般的に食べれている様々な料理を食すことができる。価格は160円くらいであり、コメ、豆の煮こみ(Feijão)とサラダが食べ放題、その他にメインが一品とデザートまでつく。メインは肉が多いが、2週間に一回ほど、魚のフライ(メルルーサ)やラザニアが提供される。日替わりということで、様々な野菜や料理を食べることができるので気に入っている。 夕食は自炊が基本であり、肉と野菜を中心とした食生活である。ここブラジルでは肉がとても安く手に入る。私が基本的に毎晩食べるササミは、1kg300円以下であり、とりもも肉はもっと安い。豚肉も安いものでは、1kg300円ほどで手に入る。野菜は、ケールやクレソン、ルッコラといったブラジルで一般的な野菜を食べることが多い。その他に、タピオカを主食とすることも多い。写真にある、白いトルティーヤのようなものがタピオカであり、ブラジルの食生活ではとても一般的である。味付けに関しては、醤油と砂糖といった和風の味が多い。また、日本と比べてとても安いのがビール、マンゴー、柑橘類でありこれらを楽しむことも多い。スーパーにてビールは350ml缶で70円ほど、マンゴーは手の平サイズで170円ほど、柑橘類は旬の今、大体1kg100円ほどだが、驚くことに近所のスーパーでポンカンが1kg32円ほどで売られていた。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2018-03
月次報告書3月分
ロンドリーナ
現在、私が暮らしているのはブラジル南部、パラナ州に位置するロンドリーナというまちである。この街は、訪れる前から日系がとても多いという話を聞いていた。実際、街に着いてみるとイメージしていたよりも日系が多いという事、そして、日本語を話すことのできる人々が多いということである。興味深いのは、街で日系が話している言葉には日本語が混じっている場合があるという事である。例としては、「Vou chegar 12時ね」というイメージである。この様な、日本語が混じったポルトガル語を街で時々聞くことがある。(外国人である自分に向けたものでは無く、街での盗み聞きによるもの) また、食文化についても、ざっと街を散策した感想では中華料理店よりも日本料理店の方が遥かに多く感じられ、とても驚いた。言語以外にも、日本人移民を記念した公園が存在する点など様々な点において、日本との距離の近さを感じることが出来る。日系に限らず、親日家がとても多い。 街の雰囲気に関して、日本に近いものを感じた。街は静かで、人々も落ち着きがあるように感じた。自分のブラジルのイメージであった、「果てしなく愉快で、音楽が鳴り響く」というイメージはここパラナ州には当てはまらない様である。交通に関しても、やたらとクラクションを鳴らすといったことなどは無いが、日本と比べると少し運転が荒く感じられた。 治安に関して、到着して直ぐは、治安の悪さは余り感じ無かった。しかし、多くの家には電気柵や高い塀がある事、現地の人の話を聞くと、やはり、治安は余り良く無くないようである。また、ロンドリーナに限ったことでは無いが麻薬汚染が存在し、注意を促されたことが幾度かあった。とても安全な日本で当たり前のことは、当然通用しないということである。 ポルトガル語の習得に関して、日本語を話す事が出来る人が多いのはデメリットには感じない。何故なら、彼らは言うまでも無くポルトガル語話者であるからだ。むしろ、知らない単語や言い回しを理解するにはとてもメリットに感じる。 ロンドリーナとパラナ州、州都であるクリチバを訪れた際に感じた、発音の違い。 クリチバは、ロンドリーナからバスで約6時間に位置する。興味深いのは、あまり距離が離れていないのにも関わらず、言葉の発音が違うと言う事だ。典型的に感じたのは、「Te」の発音である。ここロンドリーナでは、日本語の「ち」に近い発音をするが、クリチバでは「ティ」に近く感じられた。「Rr」の発音は、ロンドリーナ、クリチバ共に摩擦音は弱く感じられた。 交通費の内訳には、ロンドリーナ、クリチバ間の往復、約272 Reais を含む。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
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