ブラジルは、多くの移民によって構成されている他民族国家という事で様々な場面でそれを感じる事が出来る。ここロンドリーナも、ドイツやイタリア、日本からの移民が多く着いたという歴史から、人種や食文化、言語その他の面で名残を感じる事が出来る。ここロンドリーナにおいても例外では無いが、多くの場合入植した彼らの文化は徐々に薄くなっていく傾向をもつ。ロンドリーナでの日本文化においても言語や食の面からよくわかる。多くの日系人の暮らしは、日本文化の面影こそ残ってはいるものの日常ではポルトガル語を話し、白ご飯とおかずという日本の食卓とは異なる、油飯とフェイジョアンを始めとしたブラジルで一般な食事をとっている。 そうした中でも、ブラジルの中でほぼ日本の暮らし、文化を守り続けている場所がある。それが、「弓場農場」または、Comunidade Yuba と呼ばれる場所である。サンパウロ州、ミランドポリス付近に位置する弓場は、1935年に日本人により建設された農場を基にする共同体である。ここでは、約55名の一世から4世まで(公式サイトによる)が言語や生活様式などの日本の文化を基盤として暮らしている。ここでは、外部からの訪問者を受け入れており私も約1週間お世話になった。ここでの経験は、唯一無地の経験でありとても特別なものであった。何が良かったのかなど、何を感じたのかなどは、到底言葉で表わすには表しきれないものであり、それを経験した者しか分からないものである。 ここでは、大まかに弓場での私の生活と感じた事をおおまかに記したいと思う。弓場での生活は、主に農業による収入により賄われている。しかし、その収入は個人には帰属せずに共同体のものとして管理され、共同体を運営する資金となる。この、資金の中から共同体のメンバーが必要な物を調達するという仕組みだ。また、弓場の大きな特徴としてあげることの出来るもう1つは、自給自足という言葉だ。ここでは、食事から食器、石鹸をはじめとしたものをなるべく自分たちでまかなっているのだ。そのため、食事において野菜はもちろん、豚肉、醤油や味噌といった調味料、納豆や豆腐といった食品までが手作りであり、とれも美味である。ここで私は、農作業をしながら共同体の1メンバーとして約1週間を過ごした。ここでの、感想については前に述べたように言葉には出来ない、また人によっても感じることは違うであろう。ただ1つ言えることは、日々の生活(仕事、食事、仲間)が感謝に溢れていたという事だ。私はここで、人間が大切にすべきこと、人生を豊かにする大切なことを思い出すことができたと思う。弓場では、日本人が忘れている心を大切にしているのだろう。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 450 | 13,050円 |
水道光熱費 | 0円 | |
学費・教材費 | 0円 | |
交通費 | 0円 | |
通信費 | 0円 | |
食費・その他 | 2,238 | 64,902円 |
合計 | 2,688 | 77,952円 |