月次報告書 2014-12
プロフィール
学科
英米語学科
学年
4年
留学期間
2014-08-01 ~ 2015-05-31
留学種別
交換
生活編
Final&Christmas Break

一学期もついに終わりを迎え、冬期休暇に入りました。 12月前半はファイナルに向けての勉強の毎日でしたが、後半は課題を気にすることなくのんびりと過ごせました。 やはり、このONとOFFの切り替えが出来る環境好きです。勉強するときは勉強。遊ぶときは遊ぶ。このメリハリがしっかりしているので、勉強に身が入るんだろうなと感じます。 <前半戦> ファイナルに向けての勉強とエッセイを仕上げるのでほとんどの時間を費やしました。 一つのエッセイやレポートを書くのにも今まで学んできたことを理解してないと書けないので、まず膨大な量の教科書をもう一度読み、与えられた問題から自分のテーマを選び参考文献を探して書くという作業は本当に大変でした。特に歴史。ただ、歴史を学んだことでいろんな知識が身に着きました。最近アメリカ各地で起こっているファーガソン事件に関しての抗議活動も深い歴史をよく知らないと理解しているようで理解できないし、アメリカという多人種国家を理解する上では本当に役立つ知識だと思います。そして、最後の社会学のレポートでは人種問題について友達に議論をしてもらいレポートを書いたので歴史の授業と関連して意見を取り入れることができました。 <後半戦> 17日に最終試験が終わり、そこからアメリカ人の友達のお家(ミネアポリスから一時間程度)に27日まで過ごしました。 数日間かけてクリスマスに向けて準備を進め、一人一人がお世話になった人たちにプレゼントを送るという素敵な行事を体験することが出来ました。街、国全体がクリスマスモードなので、テレビやラジオをつけるといつでもクリスマスソングが流れてきます。友達の家族が本当の家族の一員として接してくれたので居心地良くとても素敵な時間を過ごすことが出来ました。 そして、27日からは友達の住むカリフォルニア、サンディエゴへ飛行機で飛びました。寒かったミネソタの地をついに脱出し、温暖な気候のサンディエゴでの数日間は本当に休暇そのものでした。大みそかに風邪を引いてしまい新年を盛大には祝えませんでしたが、それでも楽しい日々を過ごしました。カリフォルニアに来ると、本当に人種の多さ、そしてアジア人が多いなどミネソタでは感じられないこともたくさん経験しました。ただ、カリフォルニアの気候は好きですが、やはり私はミネソタの人の温かさが好きと再確認しました。 1月からはいよいよこっちでの最後の学期が始まります。 勉強はもちろんですが、充実した留学生活が送れるようにいろんな事にチャレンジしていきたいと思います。

住居形態
学生寮
無線LAN(Wi-Fi) 有線LAN
月額費用
アメリカ ドル
102.07円
内訳 費用(現地通貨) 日本円換算
家賃 387 39,501円
水道光熱費 0円
学費・教材費 0円
交通費 62.25 6,354円
通信費 28 2,858円
食費・その他 815.45 83,233円
合計 1,292.7 131,946円
授業編
United States in Perspective since 1865
アメリカ近現代史
講義(英語)
490分
辛かった辛かったアメリカ史もいよいよ最後になりました。 12月に入ってからはアメリカの近現代史について、1970年頃から現代のオバマ大統領に至るまでの歴史を学びました。 最終のテストはレポート提出だったため、私は20世紀後半のアメリカに最も大きな影響を与えたイベント「グローバライゼーション」と「社会格差」について大統領の政策や経済状況を絡めながらレポートを書きました。
Social Problems
社会学(社会問題への提議)
講義(英語)
500分
今月はディスカッションの機会が多くありました。アメリカでの禁酒制度(過去)が引き起こした失業問題や家庭内暴力など、社会問題に対して国や地域が出した政策が逆に思わぬ結果や問題をさらに深刻にしてしまうケースなど、いろいろな問題について社会学の観点から専門用語を勉強したりしました。 最終テストと共にレポート提出がありました。 レポートは、クラス外の友達や家族(3人以上)集めて自分の興味を持った社会問題について最低10分以上の話し合いをしてもらい、それを録音し今まで学んできた社会学の知識を元にレポートとしてまとめるという大変面白いものでした。
American English Language,Culture Ⅱ
ELLクラス
語学(英語)
540分
最後の月は主に11月後半から取り組んできた詩を作り、発表するというものでした。 生徒一人ずつに英語学科(数年後に小学校の英語の先生になる生徒)のJoint Pertnerが付き、何度も訂正を繰り返しながら自分の詩を作り上げていくという作業でした。