日本の新年号が令和になり、そのニュースをインドネシアで聞く、という特別な体験をしました。4年生になったので、帰国後の就活のために、履歴書作成や企業研究等を進めながら、期末試験に向けて勉強しました。 4月6日には大学で卒業式があり、私のとても仲の良かった友達も卒業してしまいました。8日からはいよいよ最後の期末試験、あっという間にすべての授業と試験が終わってしまいました。 試験後、友達の実家がある、Surabayaの近くのLamonganという町に遊びに、初めて電車を乗り継いで行きました。温かいbakso屋さんをやっている家族に迎えられ、おいしいbaksoをご馳走になりました。 4月17日、インドネシア全体が大統領選挙で盛り上がりました。インドネシアの選挙は日本と違い、道端にテントが張られます。そのため通行止めになる道も多かったです。また、投票の仕方も違い、紫色のインクを左手の小指につけ、投票したい大統領候補の方にそのインクをつけます。先生曰くこの方法は、字の読み書きが出来ない人でも投票できるように、ということで実施されている方法だそうです。日本では字を書いて投票、オンラインで国勢調査等をすることもできますが、インドネシアではまだ電子機器の普及、識字率等も完全ではないため、その辺が考慮されているそうです。 そんな中、ジャカルタに留学している友達が2人、Malangに遊びに来てくれました。締め切りが迫る論文を進めながら、観光地をいくつか案内し、多くの友達とご飯を食べる事も出来ました。 4月21日の夜から、ABMのダルマシスワ生とISPの先生たちと、Yogyakartaへ旅行へ行きました。有名な観光名所を回り、世界遺産を堪能しました。首に謎の蕁麻疹ができ、火傷のように腫れあがってしまったため、旅行後、医者に診てもらうことにしました。今回は 病院ではなく、Puskesmasというローカルな診療所のようなところへ行きました。蕁麻疹は辛かったですが、初めてそのような診療所に行けたため、全てまとめて良い経験になりました。 その後は5月月初が締め切りの論文を終わらせるため、大学にこもりました。インドネシア人、日本人それぞれ100人ずつにアンケートを取ったり、インタビューをしたり、体験談を綴ったり。私の論文指導担当の先生に添削をしてもらいながらなんとか終わりに近づくことが出来ました。また5月初めにスピーチコンテストも控えていた為、大学が閉まるまでその台本と論文と戦いました。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 1,000,000 | 7,200円 |
水道光熱費 | 0 | 0円 |
学費・教材費 | 0 | 0円 |
交通費 | 173,000 | 1,246円 |
通信費 | 85,000 | 612円 |
食費・その他 | 2,287,680 | 16,471円 |
合計 | 3,545,680 | 25,529円 |