高雄の次に向かったのが台南です。ここには日本の統治時代の建物というよりかはオランダ統治時代の遺跡であったり、お城が残っています。本当はオランダのことについても書きたいのですが、ここでは割愛させていただきます。 その後、私は台南から自転車で嘉義市の手前にある烏山頭ダムに行きました。ここで私は今回の旅の目的であった「なぜ台湾という国はこれほどまでに親日なのか」が自信を持って答えられると確信できるようになりました。 このダムは1930年に完成された台南の地域の治水工事のためのダムです。工事の計画は日本人技術者の八田與一によってつくられ、このダムが出来たことにより嘉南平原の農作物が安定して栽培できるようになりました。その功績を称え、ダムの施設内には八田與一技師の銅像が建てられたそうです。日本が先の大戦で敗れ、国民党が台湾を治めた当時、日本の歴史的なものを壊す運動がありました。そんな時、八田與一の銅像も狙われたのですが、その恩恵をあやかった当時の住民たちが必死に守り抜いたそうです。ですので、八田與一は台湾の農業発展の礎を築き、さらに住民からも慕われるそんな素晴らしい方なのです。もちろん、台湾の歴史の教科書にも登場してくるので、台湾人なら誰でも知っています。(私は台湾人に教わるまで知らなかった、、、) このダムとその近くに併設されている八田與一のお家にに向かう途中私は迷子になってしまいました。なぜなら、近くの駅からバスが出ているらしいですが、本数が少なくその日の運行は終わってしまったため、片道一時間半かけて15kgあるバックパックを背負って歩くことにしました。しかし、Googleマップの道順に沿って進んでいったら、目的地まであと一キロのところでその先は行き止まりになっていました。しかも、この時すでに午後4時半。午後5時には施設が閉まってしまうため、今から戻って別のルートで行くにしても5kmあるので間に合いません。諦めながら来た道を戻っていたら、そこへ一台の車が来て私の目の前に止まりました。車の窓が開き、そこから1人の中学生くらいの娘さんとそのお父さんとみられる男性が、「今からどこ行くの?」と聞いてきたので、私はそこのダムと八田與一の家に に行きたいと片言の中国語で言いました。そしたら、「もう時間ないから早く乗って!」と言われ、何がなんだかわからない状態のまま、車に乗せてもらいました。最初に見えたのが八田與一の家でしたので、まずはそこで降ろしてもらったのですが、なんとダムの入場券は八田與一の家では販売しておらず、そこから500メートル離れた先にある観光案内所に行ってそこでチケットを買ってからまたこの場所に戻らないといけないということが発覚しました。そこで代わりにお父さんがチケットを買いに行って来てくれるというので、その間に私は八田與一の家を観光していました。一巡して、戻ってきたら受付の人にダムのチケットを渡されました。あのお父さんは?と受付の方に尋ねたら、もうすでに行ってしまったとのことでした。ただそのお父さんの伝言を受付の方から聞きました。内容をまとめると、「この地はかつて日本人がやってきてダムを作ってくれたおかげて今の台湾がある。だからその恩返しを日本人であるあなたにしたかった」ということらしいです。 このあとも旅は続き、もっと書きたいことがたくさんあるのですが、この辺で終わりにします。 日本統治時代の観光地に行くと、よく台湾人のお年を召した方々に日本語や中国語で話しかけられました。彼等から昔の日本人がどんなに素晴らしいことをしたか、そしてどんだけ日本が素晴らしい国かと言うことを教えてくれました。 なぜ台湾という国はこれほどまでに親日なのか。その答えがやっと見つかりました。それは「ひと昔前の偉大な日本人の方々が台湾のために一生懸命に働き、それが今でも形として残っている」ということです。私たち日本人は改めてこれらの歴史を学び直し、戦前の祖先の方々が築き上げてきた功績を受け継ぎ、誰かのために貢献できる人にならないといけないのかもしれません。 終 *写真1枚目が烏山頭ダムの風景。2枚目はダムの敷地内にある八田與一技師の銅像。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 3,300 | 11,220円 |
水道光熱費 | 200 | 680円 |
学費・教材費 | 200 | 680円 |
交通費 | 300 | 1,020円 |
通信費 | 799 | 2,717円 |
食費・その他 | 1,000 | 3,400円 |
合計 | 5,799 | 19,717円 |