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プロフィール
学生7338
学科
国際コミュニケーション学科
学年
4年
専攻
国際ビジネスキャリア専攻
留学先
台湾
/
開南大学
留学期間
2018-09-01 ~ 2019-07-31
留学種別
交換
1~10件目 / 11件中
2019-07
月次報告書7月分
留学の総括
今月で留学生活が終わりました。この1年間は人生の中で1番早く終わった1年だと思います。やり残したことといえば、玉山(台湾で一番高い山。富士山よりも少し高い)に登ることや、自転車で台湾縦断再チャレンジ(これは冬に挑戦したが、失敗に終わった)等、まだまだやりたかったことはありますが、また今度台湾に来た時にチャレンジしようと思います。そして、この留学をして良かったことは様々な国から来た素晴らしい仲間たちと一緒に勉学に励むことができたことです。またグループワーク1つとっても神田外語大の学生とは違った考えを持ってたり、課題のやり方やプレゼンテーションの仕方も様々だったのでとても勉強になりました。 最後に今まで勉強した中国語とビジネスの知識をアウトプットするため、台湾の現地企業でインターンシップをしました。そこでは日本から工業用カメラを台湾に輸入するための貿易事務や手続きであったり、またポスターの作成などのプロモーションを考えるなど、今まで勉強した語学や経営学をフルに活用できる実習でした。 この1年間無事に留学生活を終えることができたのも日本にいる家族や留学先で出会ったたくさんの友人や先生、そして国際交流課の皆様のお力添えがあったからこそだと思います。心より感謝申し上げます。以上を持って私の留学滞在記を終わりにしたいと思います。
台湾
開南大学
学生7338
国際コミュニケーション学科 4年 交換
2019-06
月次報告書6月分
留学生活最後の1ヶ月
今月は留学生活で最も忙しい1ヶ月でした。なぜかと言うと、今月は最後の期末試験のみならず退学手続きだったり帰国の準備をしなければならなかったからです。また今回の期末テストは今までより難しく、中国語の授業では語学劇が期末テストとは別に課されて、前回は中間テストが終わって、少し間を空けてからでしたが、今回は中間テスト後の次の週でしたので大急ぎで準備をしました。ほかにも会計学やもう1つの中国語のテストの準備もとても大変でした。会計学のテストでは普通のプレゼンテーションではなく、本当に内容を理解しているかどうかを試すために、先生がプレゼンの途中に何度も質問をしてきました。例えば、ここの数字はなぜこうなるのかやこの資料はリソースはどこからか、ここの公式はなぜこうなるのかなどしどろもどろになりながら何とか答えることができましたが、中には曖昧な回答をしてプレゼンを次の週にやり直しさせられてしまった人もいました。 こんな感じでとにかく忙しい1ヶ月でしたが、1日だけリフレッシュのために日帰りで旅行に行きました。場所は台中にある干潮と晴れの天気が重なればウユニ塩湖のような景色を見ることができる高美湿地というところに行きました。その日は運良く晴天で干潮の日でもあったので水平線の向こうまで青色のきれいな空が湿地全体に鏡のように写し出されている景色を見ることができました。ここに行ったおかげで、次の日から勉強にまた打ち込むことができ、無事にテストを乗り切ることができました。 (ここの場所に行くまで片道電車で2時間、最寄り駅から自転車で40分だったため、かなりの疲労が溜まり、その週末に疲労から熱が出てしまい、寝込みながら勉強をしたのは今となってはいい思い出になった)
台湾
開南大学
学生7338
国際コミュニケーション学科 4年 交換
2019-05
月次報告書5月分
シェア文化について
前期の終わり頃、ふとスマホを充電しようと思ったら、いつもはコンセントにさしてある充電器がなくなっていることに気づきました。あれー、ないなーと思って良く見たら、ルームメイトの机に置いてありました。 日本だったら物を借りるときは必ず許可を得るのが当たり前ですが、ここ台湾だと親しい仲でしたら特に何も聞かずに借りていいらしいです。たしかに今思い返すと、台湾人の友人から物を借りるときに「今度からいちいち言わなくてもいいよ」とよく言われたので、あまり物を借りることや貸すことに対しては何も思わないのかもしれません。また物だけではなく、食べ物も分け合うこともよくあります。例えばマクドナルドでハンバーガーとポテトを買ってきたときには、頼んでもいないのにハンバーガーをくれたり、なんてこともたまにありましたし、お菓子とかもよくルームメイトからもらっていました。おそらくこういった背景から台湾ではシェアエコノミーが活発になっているのかと思います。
台湾
開南大学
学生7338
国際コミュニケーション学科 4年 交換
2019-04
月次報告書4月分
留学生の足 ubike
先月は食事に行くのに自転車に乗って行くというお話しをさせていただきましたが、今回はその自転車についてお話ししたいと思います。台湾では日本よりもシェア文化が広がっており、タクシーはuber、食事のデリバリーはPanda expressなど様々なシェアサービスがあります。その中で私たち留学生がよく使うのは台北市のシェアサイクリング、ubikeです。ubikeは「悠遊卡」という台湾版のSuicaを持っていれば誰でも使えます。中国のmobikeとは違い、どこでも放置してよいのではなく決まった自転車のステーションに置かなければなりません。(幕張にある幕チャリ⁇も同じシステムだと思います) 悠遊卡を自転車のステーションのパネルにかざすとロックが解除され、その自転車を使うことができます。このubikeがあれば近くの商店街も桃園市内にも行けることができるのでとても便利です。また料金は三十分以内なら無料ですので、たいていのところは無料でいけます。ですので、バスだとお金もかかるし、本数も限られてて、どこへでもいけるというわけではないので、ubikeがなければ私の台湾生活はかなり不便なことになってたと思います。
台湾
開南大学
学生7338
国際コミュニケーション学科 4年 交換
2019-03
月次報告書3月分
普段の食生活について
今月は普段私が何を食べているのかについて紹介したいと思います。 朝ごはんを食べるとしたら、選択肢は3つあります。1つは学食の朝ごはん屋さん、2つ目は学外の朝ごはん屋さん、3つ目は学校内にあるFamily Martです。この3つの中からどこで朝ごはんを買うか選びます。基本どこの朝ごはん屋さんにもトースト、餅、ハンバーガー、おにぎりなどがあります。Family Martではサンドイッチかツナマヨネーズのおにぎりを買います。この3つの選択肢の中から、朝起きた瞬間の気分によってどれを食べるかを決めます。だいたいどこに行っても飲み物付きでお値段は200円以内に収まりますね。 お昼ご飯は学食で食べます。そこには鍋や台湾料理のビュフェ、餃子・水餃子、ラーメン、牛丼、カレーなどがあります。ただラーメンは味薄いので日本人からは不評でした。ですので、ラーメン以外のものをお昼ご飯に食べます。 夜ご飯は同じく学食か自転車で10分くらいのところにある商店街のようなところにいってご飯を食べるかのどちらかです。稀に桃園市内に行くこともあります。ただ桃園市内は自転車で30分ですので土日以外はあまりいかないです。 だいたい学外に行けばなんでもありますので、学食の料理に飽きてしまった後期はよく自転車を漕いで食べに行ってました。 次回は台湾の交通事情についてお話ししたいと思います。
台湾
開南大学
学生7338
国際コミュニケーション学科 4年 交換
2019-02
月次報告書2月分
台湾一周旅行記 〜日本統治時代の面影を訪ねて〜 後半
高雄の次に向かったのが台南です。ここには日本の統治時代の建物というよりかはオランダ統治時代の遺跡であったり、お城が残っています。本当はオランダのことについても書きたいのですが、ここでは割愛させていただきます。 その後、私は台南から自転車で嘉義市の手前にある烏山頭ダムに行きました。ここで私は今回の旅の目的であった「なぜ台湾という国はこれほどまでに親日なのか」が自信を持って答えられると確信できるようになりました。 このダムは1930年に完成された台南の地域の治水工事のためのダムです。工事の計画は日本人技術者の八田與一によってつくられ、このダムが出来たことにより嘉南平原の農作物が安定して栽培できるようになりました。その功績を称え、ダムの施設内には八田與一技師の銅像が建てられたそうです。日本が先の大戦で敗れ、国民党が台湾を治めた当時、日本の歴史的なものを壊す運動がありました。そんな時、八田與一の銅像も狙われたのですが、その恩恵をあやかった当時の住民たちが必死に守り抜いたそうです。ですので、八田與一は台湾の農業発展の礎を築き、さらに住民からも慕われるそんな素晴らしい方なのです。もちろん、台湾の歴史の教科書にも登場してくるので、台湾人なら誰でも知っています。(私は台湾人に教わるまで知らなかった、、、) このダムとその近くに併設されている八田與一のお家にに向かう途中私は迷子になってしまいました。なぜなら、近くの駅からバスが出ているらしいですが、本数が少なくその日の運行は終わってしまったため、片道一時間半かけて15kgあるバックパックを背負って歩くことにしました。しかし、Googleマップの道順に沿って進んでいったら、目的地まであと一キロのところでその先は行き止まりになっていました。しかも、この時すでに午後4時半。午後5時には施設が閉まってしまうため、今から戻って別のルートで行くにしても5kmあるので間に合いません。諦めながら来た道を戻っていたら、そこへ一台の車が来て私の目の前に止まりました。車の窓が開き、そこから1人の中学生くらいの娘さんとそのお父さんとみられる男性が、「今からどこ行くの?」と聞いてきたので、私はそこのダムと八田與一の家に に行きたいと片言の中国語で言いました。そしたら、「もう時間ないから早く乗って!」と言われ、何がなんだかわからない状態のまま、車に乗せてもらいました。最初に見えたのが八田與一の家でしたので、まずはそこで降ろしてもらったのですが、なんとダムの入場券は八田與一の家では販売しておらず、そこから500メートル離れた先にある観光案内所に行ってそこでチケットを買ってからまたこの場所に戻らないといけないということが発覚しました。そこで代わりにお父さんがチケットを買いに行って来てくれるというので、その間に私は八田與一の家を観光していました。一巡して、戻ってきたら受付の人にダムのチケットを渡されました。あのお父さんは?と受付の方に尋ねたら、もうすでに行ってしまったとのことでした。ただそのお父さんの伝言を受付の方から聞きました。内容をまとめると、「この地はかつて日本人がやってきてダムを作ってくれたおかげて今の台湾がある。だからその恩返しを日本人であるあなたにしたかった」ということらしいです。 このあとも旅は続き、もっと書きたいことがたくさんあるのですが、この辺で終わりにします。 日本統治時代の観光地に行くと、よく台湾人のお年を召した方々に日本語や中国語で話しかけられました。彼等から昔の日本人がどんなに素晴らしいことをしたか、そしてどんだけ日本が素晴らしい国かと言うことを教えてくれました。 なぜ台湾という国はこれほどまでに親日なのか。その答えがやっと見つかりました。それは「ひと昔前の偉大な日本人の方々が台湾のために一生懸命に働き、それが今でも形として残っている」ということです。私たち日本人は改めてこれらの歴史を学び直し、戦前の祖先の方々が築き上げてきた功績を受け継ぎ、誰かのために貢献できる人にならないといけないのかもしれません。 終 *写真1枚目が烏山頭ダムの風景。2枚目はダムの敷地内にある八田與一技師の銅像。
台湾
開南大学
学生7338
国際コミュニケーション学科 4年 交換
2019-01
月次報告書1月分
台湾一周旅行記 〜日本統治時代の面影を訪ねて〜 前編
期末テストが終わった次の週からバス・電車・自転車で台湾一周の旅に出ることにしました。この旅の目的は「なぜ台湾という国はこれほどまでに親日なのか」です。これは留学する前からずっと気になっていたことで、台湾に留学したいと思うようになったきっかけでもあります。そして今月、ついにこの台湾一周を成し遂げ、その問に対して自分なりに答えを出せたと思います。その答えを旅の経路と共に説明していきたいと思います。 まず私が訪れたのは台北から北東に進むこと約1時間半のところにある宜蘭(Yílán)に行きました。ここには昨年の大河ドラマの主人公"西郷隆盛"の息子である"西郷菊次郎"という人物が雨が多く降る宜蘭の治水工事を見事に成功したため、その石碑が現在も残っております。またかつて旧日本統治時代に官舎として利用された建物も現在は「宜蘭文学館」として大切に保管されています。次に訪れたのは花蓮。ここは太平洋戦争の時、旧日本陸軍の司令部施設が置かれていました。現在は「松園別館」という名前で観光地化されています。ここには戦時中に使われた防空壕もありました。遡る事昭和20年、米軍が沖縄に上陸し、敗戦色が濃くなると、ここから神風特攻隊として出撃し、全員帰らぬ人となりました(もちろん台湾人も太平洋戦争に日本人として参加したため、犠牲者の中には含まれています)。一見この建物は落ち着いたところでフォトジェニックな場所ではありますが、今から70年前にこの地から飛びだって散った特攻隊員のことを思うと胸が締め付けられる思いになりました。 続いて訪れた場所が高雄です。ここは台湾第二の都市でもあり、台北よりも暑い熱帯の地域に属しているので冬でも半袖・長ズボンでちょうどよかったです。ここには1900年代に台湾が世界有数の砂糖国家になることを支えた砂糖工場(現台湾糖業博物館)があるというのでそこを訪れました。そもそも砂糖業はオランダ統治時代からの主要産業の一つでした。しかし、日本統治時代の初期には台湾産サトウキビの品種は茎が細くて収穫量も少なく、品種改良が必要とされました。そこで総督府技師として新渡戸稲造は台湾に招かれ、サトウキビの品種改良、栽培、加工などを行い、さらには収穫期を異にする品種をそれぞれ栽培して、台湾の製糖工場が一年中稼働するようにしました。そして敗戦後、中国大陸から国民党が台湾に移り住み、その工場は中華民国政府によって接収され、46年5月に合併されて台湾糖業公司を設立しました。その後も砂糖業は台湾の経済発展の礎にも繋がり、台湾の砂糖業を大きく飛躍させた新渡戸稲造の業績が讃えられて、台湾の学校の歴史の授業で教えられています。 後編に続く・・・ ※写真1は松園別館の外観。 写真2は花蓮の旧日本軍の防空壕の中に飾られている特攻隊員の写真。
台湾
開南大学
学生7338
国際コミュニケーション学科 4年 交換
2018-12
月次報告書12月分
文化の違い
もう早い事12月となってしまい、今学期も残すところあと1ヶ月となりました。今月の生活編では開南大学にいる留学生について書きたいと思います。 はじめに日本から来た留学生について紹介したいと思います。日本から来た留学生のほとんどが地方国公立大学の学生さんです。ですので自分よりも優秀な日本人が大勢いるのでとても頼りになります(笑)というのも、私は数学が苦手なので統計学の授業などでわからない数式が出てきた時、センター試験で数学を勉強していた彼らに聞けば日本語でわかりやすく説明してくれます。またそれぞれの大学の学生の専攻や学んでいることが違うので、日本で勉強してきたことをお互いに深く雑談することさえもとても勉強になります。一方で日本人と一緒に行動し過ぎてしまうと語学の上達の妨げにもなるということをよく聞きますが、メリハリをつけて一緒に過ごせば問題ないと思います。 次に日本以外の留学生ですが、交換留学生として留学に来ているのが韓国のみで、他は全て開南大学の本科生であります。ここ、開南大学に来ている留学生の国籍は多い順で東南アジアの国々、ハイチ、モンゴル、インド、パラオ、ロシアです。 それぞれの国毎に文化が違うので授業でグループワークをすると、それぞれの国の毎にお国柄というか性格が違うと感じます。基本的にモンゴル人とロシア人以外は暖かい気候国々から来ているので、時間や課題の締め切りなどにはルーズな人が多いです。実体験として一つ例をあげるなら、「明日までにプレゼンの案をラインで教えてね」と伝えるとほとんどのモンゴル人はきちんと考えて来るのに対して、特にインド人、そしてハイチ人は何もやってこない人が多かったです。もちろん個人差はありますので一概にルーズな人たちだと決めつけるのは良くないことですが、そういう人たちが多いというのは一つの事実として受け止めてもらえれば結構です(笑) しかし、私はたとえ彼らが課題をやってこなかったり、時折宿題を丸パクリされようともインド人やハイチ人の人たちとグループワークを組みたくないとは思いません。彼らの良いところ些細なミスや失敗をしても特に怒ったり非難する事が決してないからです。よく彼らがうことは「気にせずに人生を楽しもうぜ!」というのでそれにしたがって私ものんびりと過ごしています。
台湾
開南大学
学生7338
国際コミュニケーション学科 4年 交換
2018-11
月次報告書11月分
留学生活でつくづく思うこと
今月は留学の勉強面についてつくづく思うことについて書きたいと思います。 留学して思うことは大学の授業に付いていくためには英語力よりもどれだけ前提知識を持っているかが重要だと云うことが身に沁みてわかります。例えば、ビジネスの授業であれば日本ですでに学んでいたこともあり、それが授業を理解することを手助けしてくれることもあります。しかし、金融や統計学といった私がかつて散々逃げ回った高校数学が必要な内容な授業やビジネス以外の教養科目の授業においては、教科書を読む前にまずインターネットの検索エンジンで日本語の意味から調べたりします。また数学は同じ日本からの交換留学生で国公立大学から来た友達に教えてもらうこともあります。 このことからこれから留学に向けて準備している人やこれから留学にいく人たちにアドバイスするのであれば、高校までの教科書で基礎的な部分だけでいいので今一度読み直すことが必要だと伝えたいと思います。本当は数学ができなくて後悔していると書きたいところですが、今更どうにもならないのでこのような書き方で今月は締めくくりたいと思います。以上。
台湾
開南大学
学生7338
国際コミュニケーション学科 4年 交換
2018-10
月次報告書10月分
部活動
今月から部活動に加入しました。 私は剣道部に入ることにしました。高校の剣道部を引退して以来、実に三年ぶりに剣道を真剣にすることとなりました。 まさか台湾にきて剣道をやるとは台湾留学前に想像もしなかったです。今回剣道部に加入した理由は二つあります。 一つ目は台湾人の友達をつくるためという理由があります。実際のところ、私が履修しているIHPの授業や交換留学生の生活をサポートしてくれるチュータの日本語学科の学生を除き、台湾人の学生と交流する機会はほとんどありません。また日本語学科の学生はある程度日本語が話せるのでどうしても日本語メインの会話になってしまい、中国語を話す機会が少なくなります。しかし、部活動ならば様々な学部の学生が所属しているのでそのような心配もありません。もちろん剣道部には日本語学科の学生は比較的に多いですが、1、2年生の学生もいるので日本語が上手な人はごく一部です。そういった環境ならば私の中国語レベルも伸びるかなと期待して部活動、強いては日本が大好きな学生が所属している剣道部に入ることにしました。もう一つの目的は文化交流です。私が日本人として日本の文化を台湾の学生に教えられるとしたら私の場合は剣道とその武道の精神くらいしかありません。このような理由から剣道部に加入することになりました。 練習は週に2回のみなので留学生活には負担にもならず、また台湾は油っこい料理が多いので適度に運動しなければ太ってしまうので楽しく活動しています。 P.S.早速練習を再開してから一ヶ月後に台北市の大会に出場させていただきました。私はその中で唯一の日本人と言うこともあり、絶対に日本人として勝たなければいけないというプレシャーに押しつぶされそうになりました。それだけではなく剣道のルールは基本世界共通で同じですが、多少日本の一本における判定の仕方とは違うところがあり、その都度戸惑うこともありましたがそんなプレッシャーや判定の仕方の違いに打ち勝ち、チームを優勝に導き出すことができました。 しかし今でも忘れられないのが試合前のミーティングで監督が「この大会、楽勝だから(このチームには日本人(私)がいるから)緊張しないでみんな試合してこい!」と言われたことです。 *写真一枚目は普段の練習風景です。 *二枚目が大会に優勝した時の集合写真です。
台湾
開南大学
学生7338
国際コミュニケーション学科 4年 交換
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