クラリンコの報告書一覧
プロフィール
学科
アジア言語学科
学年
4年
専攻
インドネシア語専攻
留学期間
2023-09-01 ~ 2024-06-30
留学種別
交換
1~10件目 / 11件中
2024-06
留学成果報告書6月分
留学成果報告書 Unika Atma Jaya
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1960 ・学生数 約10,000人 ・設置学部 経済学部、経営コミュニケーション学部、教員養成教育学部、工学部、法学部、心理学部 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) 外国人向けのインドネシア語の授業(BIPA) (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など 希望すれば一般の学部生に混ざって英語や普通の学部の授業を受講できる 授業によっては聴講も可能 ・学部留学の場合:選択した学部・学科以外の授業を履修できるか 可能(ただし、BSDキャンパスの授業を取ると移動に時間がかかる) ・語学留学の場合:学部科目を履修できるオプションがあったか あり (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 生徒数が多いだけあってとても賑やかな印象、KUIS生3人に加えアフリカやヨーロッパ圏から5人の留学生がいた。その他ドイツやフランスからの学部留学生も3人ずつ在籍していた。 (5) 課題や試験 (KUISとの違いや負担の大きさなど) 課題-とても多い。授業が終わるとひたすら課題をこなしていた印象。 試験-授業の復習をきちんとしていれば難しくはない。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか 出入国関係又は生活面については大学の事務に相談可能。 (7) オリエンテーション (オリエンテーションがあったか、あった場合その内容) 露出の多い服装や、サンダルでの登校についてなどNG項目についての説明。また親睦を深めるためのレクリエーションを兼ねたキャンパスツアーや昼食会の開催。 (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) BIPAの授業開始後に英語の授業を選択した。大学の事務に相談すれば色々な授業を提案してくれる。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 現地の大学でインドネシア語を学びたいと以前から思っていたため。留学を通して学んだことが今後のキャリアを考えていく上で一つの良い機会になると考えたため。 (2) 留学先を選んだ理由 レベルの高いインドネシア語の授業を受けられるから。首都ジャカルタの中でも中心部にキャンパスがあることから色々な場所へのアクセスが良いと考えたため。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 単語量が圧倒的に足りていなかったと感じた。また、日常会話で英語を織り交ぜて話す学生も多いので、英語の会話表現が多少わかると会話に参加しやすいと思う。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) パーカーなどの羽織ものや長袖をもう少し持っていくべきだったと思う。教室やショッピングモールなどの室内は冷房が効いているので半袖だと寒い時がある。 (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) K3J(日本文化同好会)に所属する学生との交流が主だった。授業後にお昼を一緒に食べたり、休みの日にはスポーツ大会やバレンタインのイベントなどに参加した。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと 一度の授業で学ぶ単語量が多いため、予習復習をしないと授業についていけない。最初はBIPAの先生の話すスピードが早く感じたが、1ヶ月ほどすれば慣れる。 (7) 授業外で参加した活動 (ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法) バドミントンサークルに参加しようとしたが、現在は活動していないらしく断念した。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと 同年代でも宗教や文化の異なる友人達との交流はとても新鮮だった。 また、ジャカルタの観光地については理想と現実のギャップが激しいので過度な期待をしすぎない方が良い。 (9) 留学で達成した最も大きなこと インドネシアでの生活や現地の人との関わりを通して、物事に臨機応変に対応する柔軟性が身についたと思う。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 留学を通して培った語学力を衰えさせないため自主学習に励み、日々単語量を増やしていきたい。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 必要書類はなるべく早く出す。 (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) 大学に必要書類を提出後、e-visaが発行される。 (3) 航空券を予約した方法 (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) シンガポール航空のウェブサイト (4) 渡航したルート 生き返り共にシンガポール経由 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) 空港到着後はダルマシスワのオープニングセレモニー出席のためスタッフによるバスでの送迎 コスまでは大学の職員による送迎 (6) 滞在先住居を探した方法 (大学の寮に申し込めたか、寮に滞在した場合は申込みの方法やいつ頃申し込んだか、不動産業者や特定のウェブサイトを使用した場合はその名称やURLなど、住居を手配した方法を詳細に記入してください) 最初は昨年度のKUISの先輩方が住んでいたコスに入居した。 その後引っ越しをした際はMamikosというアプリで部屋を探した。 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 家賃は現金支払いか銀行アプリからの送金で行っていた。 トイレ・シャワーや冷蔵庫は各部屋に備え付けのものがあったが、引っ越し先のコスは基本的な設備は全て共用。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) ・女子は女性専用のコスがおすすめ。セキュリティー面や共用設備の綺麗さなど安心要素が多い。 ・小さいコスだとWi-Fiが強くて良い。 ・多少の汚さは耐えられるという人は少し妥協すれば安くて良いコスを見つけられる(コスパの良いところは人気なのですぐ内見に行くべき!) ・基本どこでも虫とネズミはいるので慣れるしかない! 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) BCA(Bank Central Asia)の口座を作って銀行アプリからの送金システムやQRコード決済で主に支払いをしていた。日本口座からの引き出しはデヴィッドカードで行った。 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) 入国の際IMEI登録でトラブルがあり、Wi-Fiをデザリングするためだけに安いスマホを現地のモールで買う羽目になった。 (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) コスでのWi-Fiは期待しない方がいい。テレコムセルを使っていたが時々通信障害が起こる。 (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) デング熱にかかり大学近くの私立病院で1週間入院した。友人や大学の先生の手助けもあり、入院手続きや入院中の生活で特に困ったことはなかった。強いと言えば病院食がハイカロリーできつかった。 (5) 日本から持っていくべきもの 日本食、長袖・羽織もの (6) 治安状況 (どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか) 在インドネシア日本国大使館からのメールでデモの状況や危険なエリアの情報をチャックしていた。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか) 学食と外食(屋台)共に平均200円ほど (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか) SNSなど (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 とにかくみんなフレンドリーだが、だからといってむやみに連絡先は交換しない方がいい。基本的に大学の友達以外は信用しない方がいい。 ジャカルタの観光地は理想と現実のギャップが激しいのではあまり過度な期待を持ちすぎない方がいい。 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) 就職 (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) オンラインでの説明会や面接に参加していた。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 帰国後から就活を始めるため具体的な進路は未定だが、インドネシアに関わる職に就きたい。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 理不尽なことも色々あると思いますが、Santaiを自分に言い聞かせて頑張って下さい!!
月次報告書6月分
ついに帰国
主に今月の授業では最終プレゼンテーションの練習を行なった。発表当日は他のクラスの人も加わった30人ほどの前で約20分間プレゼンをした。私はインドネシアにおける医師不足についてプレゼンした。とても緊張したけど、練習の時よりも上手くできてよかった。終始和気藹々とした雰囲気で他のクラスの人の発表も聞けて面白かった。 最終プレゼンが終わってもBIPAのクラスはその次の週まであり、主に文法やスピーキングのテストをした。最終授業日には10ヶ月授業を担当してくださった先生に最後のご挨拶をした。出来の悪い私をいつも根気強く指導してくださり、たくさん怒られもしたけど、その分インドネシア語の力がついたと思えた留学生活だった。 帰国前最後の週末には大学の友達と最後のジャカルタ散策をした。これまでは男友達と遊ぶことの方が多かったので、最後くらいと思い女友達を遊びに誘ってみた。友達の提案でPasar Baruというジャカルタで有名だという市場に行った。友達曰く「色んなものがあるからお土産探しにピッタリ!」とのことだったが、実際はそんなに見るところがなかった。。あまり観光地に期待しすぎてはいけないのがジャカルタらしいなあと改めて感じられた日だった笑。 翌日には友達が誘ってくれてBSDに行った。アニメフェスに連れて行ってくれて夜は一緒にご飯を食べた。これまで定期的に会えた友達としばらく会えなくなると思うと少し悲しくなった。けど、今度は友達が日本に来た時に私が案内できるように、帰国後もインドネシア語の勉強を頑張りたい!
2024-05
月次報告書5月分
大好き日本食!
留学開始から9ヶ月が経ち、来月にはもう帰国なんだと思うと本当に時の流れの早さを感じる。週末は帰国に向けてお土産探しを始めたが、どこに行くにも渋滞していたり、歩行者に優しくない道の作りをしているのでいつも外に出るのがめんどくさくなる。 今月は最後の小旅行でインドネシアの三代都市に数えられるバンドンに行った。ジャカルタ以外の大きな都市はどんなものなんだろうと思ったが、実際はすごい数の物乞いと、案外殺風景な街の感じに驚いた。ジャカルタとその他の地域ではすごい差があるんだなと感じた。それからバンドン近くの観光地のkawah putihに行ったが、ドライバーさんのワイルドすぎる運転に終始手汗が止まらなかった。それでも友達とどこかに出かけられたというだけで楽しかったし、また1つ土産話増えたと思うといい経験だったと思う。 中旬には大学側が企画してくれてpulau seribuへ行った。まさかこの船に乗るの?っていう感じのリアル奴隷船で約3時間ほどかけて行った。そこらじゅうでタバコを吸う人がいて船内の空気は最悪だった。周りの人のことを考えないこの国の喫煙者には本当にイライラする。宿泊先のホームステイでは樽に溜めた水を桶で掬って髪や体を洗う「リアル水浴び」を経験した。インドネシア語で「お風呂に入る」が「mandi(水浴び)」である理由がよくわかった。 また、今月は今までで一番日本食が恋しく感じた。美味しいけど味のレパートリーが少ないインドネシア料理に飽きてしまったのと、「来月の今頃には日本にいるんだ」と思うと何故か急に日本食が食べたくなったからだ。ちょうどそのタイミングで友達の知り合いの日本人の方が回転寿司に連れて行ってくださったり、友達がおすすめの日本食屋さんを紹介してくれてみんなで豚の生姜焼き丼を食べた。久しぶりに食べる日本食は格段に美味しかった。 最近大学で知り合いの人に「日本人はいつも何を食べるの?」と聞かれた。今年一番返答に困る質問だった。インドネシアだったら鶏肉・揚げ物・ナシゴレンやミーゴレン、味付けは絶対サンバルって答えるだろうけど、日本にはそういった料理の定型がないし、和洋中なんでも美味しいからとても悩んだ。同時に、答えられないほど味や料理のレパートリーが多い日本食は本当にすごいなと感じた。
2024-04
月次報告書4月分
コモド島1人旅
今月はラマダン明け休暇で1週間ほど大学の授業が休みだったので、1人でコモド島に小旅行に行った。初めての1人旅だったので少し不安もあったけど、空港に着いた途端に偶然出会ったおじさんが道案内してくれたり、ホテルの人が親切だったりと、現地の人がみんな優しいので1人で行ってもあまり不安は感じなかった。 コモド島やピンクビーチなど、いくつかのスポットを1日で回るツアーに参加した。コモドドラゴンは血の匂いで寄ってくると聞いていたので少し怖かったけど、実際に島に行くと日向ぼっこしてるコモドドラゴンがいて可愛かった。一緒に写真も撮れて大満足だった。パダール島でのトレッキングは想像以上にハードだったけど、頂上からの景色の写真を撮りたい一心で1人黙々と登った。私が1人で参加しているのを知って、ツアースタッフのお姉さんがよく話しかけてくれたり、写真を撮るのを手伝ってくれた。 最終日はちょっとしたトラブルが起きた。イタリアンのお店に行ったら料理が来なくて2時間近く待たされた。特にすることもなかったので気長に待っていたが、最後のお会計の時にお釣りを正確に渡さなかったのが不服だったのでクレームを入れた。返信なんか来ないだろうと思ったらお店側から返金対応をさせて欲しいと連絡が来て、後日全額返金してもらえた。怒っている時はインドネシア語がポンポン出てきて自分でもびっくりするほど長文が書けてなんだか嬉しかった。普段は我慢して済ませることが多いけど、時には自分から言ってみるものだなあと思った。
2024-03
今月はBIPAの先生と少し揉めることがあった。今年入ってからの授業では、質問に答えられないと怒鳴られたり、責められたりと精神的に追い込まれる時が多々あった。 先生の態度が急変した理由は、就活のせいで授業に身が入っていないと思われているからだと薄々気づいてはいたが、説明会や面接の時間も授業と被らないよう努力してきたのに、勝手なイメージで授業を疎かにしていると思われることが理不尽に感じ、やるせない気持ちになった。それでも私たちのためにこれまで以上に厳しく授業をして下さっているんだと思い耐えていたが、友人から「アカデミックハラスメント」という言葉を聞いて、自分たちは真っ当な授業を受けられていないんだと初めて気づいた。 今回の一件もあって留学中の就活は諦めることにしたが、その分自由な時間が増え、より授業の復習やTOEICの勉強に時間を費やせるようになり、自分はこれでいいんだと思えるようになった。 授業が大変な分、友人達と遊びに行く時間がいいリフレッシュになったし、なにより誘ってくれるのが嬉しかった。一方で、インドネシア語の課題をよく友人に見てもらっているが、「この問題は私もよくわからない」と言われたり、授業で答え合わせをすると教えてもらった設問が間違っていることがよくある。まだまだ難しく感じることがあるが、残りあと3ヶ月ほどめげずに勉強を頑張りたい。
2024-02
月次報告書2月分
インドネシアでの就活
2024-01
月次報告書1月分
束の間のistirahat…
1/1はバリ島の隣にあるロンボク島のギリ・トラワンガンという小さい島に移動した。自転車であれば1時間程度で島を1周できるほどの小さい島で、海が綺麗だった。島の人はとても親切で、海に入っていたらシュノーケリングのゴーグルを貸してくれたり、日本の地震は大丈夫だった?と心配してくれる人もいた。滞在2日目では人生初のシュノーケリングをした。途中ウミガメに遭遇することができてとても楽しかった。 ギリ島は真珠が有名なので、お土産に買うために島中の真珠を売っているPakを回って値段交渉した。こういう時にインドネシア語が使えると話が弾むし、自分の話す練習にもなって楽しかった。沢山値引きしてくれそうなPakに狙いを定めて2日間お店に通って値段交渉した。また来たのかー!って感じのPakの顔が忘れられない笑。最終的に日本円で1本約3000円だった真珠のネックレスを1250円ほどまで値下げすることができた。家族へのいいお土産になって大満足だった。 1月下旬は西オーストラリアのパースへ小旅行に行った。空港の外に出た瞬間に空気の綺麗さに驚いた。日本からオーストラリアに来たら普通のことに感じるかもしれないけど、ジャカルタから来た私たちにとってはまず嫌な匂いがしないのがとても快適に感じた。一方でオーストラリアの物価の高さには驚いた。ジャカルタではコンビニで水を買うと1本30円ほどだけど、パースは1本300円ほどするので、そういう面ではジャカルタが恋しくなる時もあった。2日目はパース市街から少し離れたキャバーシャム・ワイルドパークに行った。あまりアクセスのいい動物園ではなかったので行き帰りの徒歩移動が大変だったけど、カンガルーと触れ合ったり念願だったコアラとの記念撮影ができて嬉しかった。 英語圏へ旅行に来たことで改めて英語の勉強の方も頑張らないといけないなと思った。とっさに出てくる単語が全てインドネシア語に置き換わっていて、日常会話もあやしい自分の英語力にがっかりした。後期は英会話の授業も始まるので、これを機にスピーキングに力をれて勉強しようと思った。 沢山旅行をして沢山息抜きができたので、これからは就活と残りの留学生活に集中して悔いのないように過ごしたい。
2023-12
月次報告書12月分
辛すぎるデング熱、、
今月は初めから風邪をひいてしまった。ちょうど期末試験の時期に体調を崩してしまったので、授業終わりに病院に通う生活が続いた。長期休みに入るほんの3日ほど前に39.6分の高熱が出て、体のだるさと吐き気で2日間本当にベッドから動けなかった。ベッドで横になっていてもだるくて寝れないし、病院に行きたくても行けない状況が本当に辛かった。今考えればもっと早く友人や大家さんに連絡して強引にでも病院に連れて行って貰えばよかったなと思った。3日目の朝は流石に病院に行かないといけないと思い、授業終わりの友人に病院まで連れて行ってもらった。15時ごろ病院に着いて血液検査や尿検査をして、実際にお医者さんの診断が始まったのは23時ごろだった。その間友人がずっと付き添ってくれて本当にありがたかった。大学の国際部のスタッフの方やBIPAの先生まで病院に駆けつけてくださって、入院の手続きまでしてもらった。後日伝えられた診断結果はデング熱だった。まさか自分がかかるとは思っていなかったので驚いた。吐き気で食欲が全くなかったけど、いくら点滴をしていても直接食べないとよくならないから無理してでも食べるようにと看護婦さんから言われたので毎日3食頑張って食べていたが、病院食にしては揚げ物が多かったのでなかなか大変だった。結局1週間後に退院できたが、入院中はずっと点滴をしていたのでその間お風呂に入れなかったのがつらかった。 本来なら長期休みに入った直後に友人と旅行に行く予定だったが、私は入院していたので退院から数日後に遅れてバリ島で合流した。年越しの瞬間のビーチはたくさんの花火が上がってとても賑やかだった。他の地域に留学している神田の友達にも会えたのでとても嬉しかった。
2023-11
月次報告書11月分
スラングの壁
今月はインドネシア人の友達がたくさん遊びに誘ってくれて、みんなでボーリングをしたりお化け屋敷に行ったりビリヤードをしたりと充実した1ヶ月だった。BIPAの授業は教科書が一冊終わったので中間テストがあった。テストは1日だけかと思ったら4日間続いたのでその週は疲れた。また今月はK3Jという日本文化同好会のスポーツデーに参加した。お昼前から夕方ごろまでみんなでバドミントンやバスケ、ドッチボールをした。初めて会った人もたくさんいたけど、一緒にスポーツをすると一気に仲良くなれてとても楽しかった。一方でインドネシア人の友達と遊ぶと金銭感覚の違いを実感することもあった。飲み物が一杯5〜600円ほどする少し高めなカフェにみんなで入った時、メニュー表を見たインドネシア人の友達が少し渋い顔をしていたので申し訳ない気持ちになった。今度からは店選びも自分たちの感覚だけで決めつけないようにしようと思った。K3Jの友達の大半は私たちが通ってるSemanggiキャンパスとは別のBSDキャンパスに通っているので、授業後にみんなに会いにタンゲランにあるキャンパスまで行った。BSDまでは電車と友達の車を乗り継いで1時間ほどかかった。semanggiとは違って周りに自然がいっぱいでとてもいいところだった。 BIPAの先生の言っていることは理解できても、同年代の子達の会話をすぐに理解するのはまだまだ難しい。それはやはりbahasa gaul(若者言葉)がたくさん使われているのと、先生のようにゆっくりは喋ってくれないことが大きいと思う。昨年神田に留学していたインドネシア人の子が「みんなの会話は早すぎる」と言っていたのが今になってすごいわかる。でも色々な人と関わる機会が多いからこそ、授業では習わないこともたくさん教えてもらいたい。
2023-10
月次報告書10月分
課題に追われた10月
今月は大学の中間テストがあった。BIPAは中間テストはまだないが、英語の授業ではグループごとに選んだ企業について論じるレポート課題が出された。レポート自体は全てインドネシア語で書かないといけないらしく、英語を使う機会が一切なかった。私のグループはインドネシアのセメント工場を選んだ。私の担当は消費者の観点から見た企業についてで、インドネシア語で論ずるには少し荷が重かった。また、追加の課題で最低5000ワードのレポート課題も出た。英語の方も頑張らないといけないなとつくづく感じた。 生活面ではまあまあなぼったくりにあった。メニューに値段が書いていない屋台は初めてだったので、自分の予想で「このくらいの値段だろ」と決めつけて頼んだら量が少ない上に予想の3倍近い値段を請求された。今考えればなんで先に値段を聞かなかったんだろうと思うが、次ぼったくられないためのいい勉強になった。週末は色々な観光名所に行けた。インドネシア人の友達と一緒にジャカルタ大聖堂とイスティクラルモスクに行ったり、知り合いの人にボゴール植物園に連れて行ってもらった。個人的に一番面白かったのは大学の職員の人に連れていってもらったインドネシア対ブルネイのサッカーの試合だ。普段は温厚なインドネシア人も試合が絡むと急にアグレッシブになるので要所要所の観客の反応が面白かった。 自分の中で今月の目標はサークルに入って新しい人脈を作ることだったが、紹介してもらったバドミントンサークルは活発に活動しているわけではないらしく、未だに一度も練習に参加できていないので来月こそは参加したい。
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