Erinita/Sakiの報告書一覧
プロフィール
学科
アジア言語学科
学年
4年
専攻
インドネシア語専攻
留学期間
2022-09-01 ~ 2023-07-31
留学種別
交換
1~10件目 / 12件中
2023-07
留学成果報告書7月分
アトマジャヤ大学留学まとめ
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1960年 ・学生数 10.000人以上 ・設置学部 8個 (2)所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) Fakultas Fiabikom コミュニケーション学部 (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など コミュニケーション学部の授業とBIPA 学部選択不可 ・学部留学の場合:選択した学部・学科以外の授業を履修できるか コミュニケーション学部以外の授業は取ることができない。 英語で行われる授業があるので英語科目に単位認定可能。     ・学部留学の場合:語学コースを並行履修できるか (できる場合、申し込み方法、有料か無料か、有料の場合費用・スケジュールなど) 毎日BIPAがあり、希望者はコミュニケーション学部の授業を履修できる。 私は・sistem social indonesia・hubungan komunitas・digital marketing communicationを履修した。 (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 台湾から半年間留学にきていた学生2人とBIPAを一緒に受けた。 ドイツからも半年間数名来ていたが、BIPAは履修していなかった。 (5) 課題や試験 (KUISとの違いや負担の大きさなど) もちろん日本語はないので課題やテストの問題文などもインドネシア語で、英語からインドネシア語への翻訳などもある。舟田先生の辞書を引きながら授業や宿題を行う。 ほぼ毎日課題があるので授業の後に終わらせてから友人たちと遊んでいた。 課題は簡単ではないがしっかり取り組めば力になる。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか クレジットカードがATMに飲み込まれてしまった際に、International officeに相談しに行った。 その他の日常生活のことで何かあればBIPAのibu fifiに相談をしていた。 (7) オリエンテーション (オリエンテーションがあったか、あった場合その内容) コミュニケーション学部の先生方とお会いする会があり、少しだけ自己紹介をした。また、任意のInternational studentの親睦会のような集まりがあり、4人のうち私を含めた2人が参加した。 (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) BIPAは最初から組まれているので履修登録の必要は無い。 International studentのコミュニケーション学部のグループがあり、そこで教授が授業リストを送ってくれたので、言われた日付までにチャットで履修希望の授業を送った。後期は送ってくれなかったため、自分たちから先生に尋ねるとリストをくれた。間に合わなくなってしまうので、授業が始まってもリストが来なかったら自分から聞いたほうがいい。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 私は小学生から英語を学んでいますが、国内での学習だけでしたので、語学レベルは自分の満足する域まで達していませんでした。大学ではインドネシア語専攻を選んだものの、インドネシア語も英語に比べると全く話せるとは言えず、このままだとどちらとも中途半端に終わってしまうと思い留学を考えました。最初は応募しませんでしたが、パンデミック後で初めての留学で人数が集まっていなく、枠が余っていたので2次募集で応募しました。 (2) 留学先を選んだ理由 元々は日本語学科があるリア外国語大学を選んでいましたが、パンデミックの影響か急に留学がキャンセルされてしまいました。マランクセスワラ大学とアトマジャヤ大学が1人ずつ受け入れてくださったので、私はアトマジャヤ大学に派遣されました。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 私は留学前は忙しかったため自分では特に学習はしていません。 授業は一年からしっかり受けていたのと、3年の前期は履修できるインドネシア語の授業を全て履修しました。 せめて大学の授業で習った単語を復習しておけばいいと思います。カジュアルだけど日常生活で頻繁に使う単語は友人と会話する中で自然と覚えると思います。3年の前期でBahasa gaul(カジュアルなインドネシア語)の授業があるので履修したほうがいいと思います。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) 私は薬を頻繁に飲んでいたので、病院に行ってなるべく多くの薬を処方してもらったり、診断書をもらったりという準備を2ヶ月前ほどから初めていました。予防接種は・狂犬病・AB型肝炎・腸チフスを東京ビジネスクリニックでしてもらいました。何を打つかは個人の選択ですが、値段は一回1万ほどのものが数回あったりするので、お金は貯めておいたほうがいいです。また、インドネシアで痛くなると大変なので、親知らずも抜いておきました。 (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) K3Jという日本文化愛好家サークルがあり、参加していたわけではなかったですが、そこの友人たちがいつも遊んだり勉強を手伝ってくれました。最初にK3Jを担当している先生に、そのクラブに興味があると声をかけると、紹介してくれました。私は友人を多く作ることを目標としていたので、一回でも話をした友人にはキャンパスなどで見かけたらとにかく自分から話しかけに行っていました。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと BIPAではフォーマルなインドネシア語を学びますが、日常生活では正直ほとんど使わないので、私は別の言語を習ってるものだと割り切り友人からはカジュアルなインドネシア語、授業ではしっかりとしたフォーマルなインドネシア語を学びました。 学部の授業の先生方は優しいですが適当なことが多く、留学生にパスワードやStudent numberを教えてくれず、オンラインの授業に入れないというようなトラブルは頻繁にありました。何度も聞かないと忘れられていて返信が来ないことも多いので、自主的に動く必要があります。 学生証はFlazzのように使えるのでバスや電車などの公共交通機関はほとんど全部使えるうえ、図書館を使うために必要なのですが何度大学に聞いても「印刷機が壊れている」と言われ、結局帰国の1週間前に貰いました。 (7) 授業外で参加した活動 (ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法) 知り合いの友人が日本語学校を立ち上げているとのことで、私を紹介してくださりボランティアとして授業をしました。10回の授業を担当させていただきました。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと 課外活動でとても貴重な経験をできて良かったです。生徒たちは日本語がまだ喋れないので、全てインドネシア語を使って授業をしました。慣れないことをすると言葉が詰まることも多く、試行錯誤し友人にも言い回しなどを相談し準備してから毎回授業に臨みました。生徒たちは素敵な方ばかりで、大変でしたが毎回楽しく授業をさせていただいたので、私を紹介してくれた友人にも、ボランティアとして受け入れてくれた日本語学校にも感謝しています。 (9) 留学で達成した最も大きなこと インドネシア語力が10年ほど学習した英語以上にまで上達したことです。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか インドネシア人の友人と電話をしスピーキングとリスニングの練習と、授業で習った単語などを忘れないよう学習を続けたいです。C級は4年の夏に取得できたので、冬にB級を取りたいです。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 用意する書類が多いので、締め切りに間に合うように余裕を持って準備し始めたほうがいいです。 (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) 1.5ヶ月ほど (3) 航空券を予約した方法 (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) Singapore Airline (4) 渡航したルート 成田国際空港→チャンギ国際空港(シンガポール)→スカルノ・ハッタ国際空港(ジャカルタ) (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) 大学からInternational officeの先生が車で迎えに来てくれました。 (6) 滞在先住居を探した方法 (大学の寮に申し込めたか、寮に滞在した場合は申込みの方法やいつ頃申し込んだか、不動産業者や特定のウェブサイトを使用した場合はその名称やURLなど、住居を手配した方法を詳細に記入してください) 最初のkosは大学からおすすめされた2つの中から選びました。慣れるまでは学校から近いところに住んで、慣れてきたら引っ越すことをお勧めします。 私は6月に授業が終わった後に友人たちの住むBSDに引っ越しをしました。 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) Kos 1……3.9 juta(電気代別), ジャカルタ(スマンギキャンパスから歩いて15分) ・部屋の中にシャワー(快適ではない)、冷蔵庫、エアコン ・クリーニングサービス(2日に1回)、ランドリーサービス(毎日)、キッチン共有(汚くてあまり使えない)。 ・クレジットが使えなかったので毎回現金を引き出して払っていました。 Kos 2……1.9 juta(電気代別), タングラン(BSDキャンパスからバイクで5分) ・部屋の中にシャワー(快適)、エアコン ・クリーニングサービス(2週間に1回)、ランドリーサービス(毎日)、キッチン共有、冷蔵庫共有 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) インドネシアはクリーニングサービスがあるkosが多いですが、部屋に貴重なものは置かないほうがいいです。私はスーツケースにいつも鍵をかけてお金やゲーム機などはそこに入れていました。現地の友人が長く部屋を空けていた間に、荷物を管理人に全部盗まれて逃げられてしまったことがありました。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) 三菱UFJのDebitカードは海外でお金を下ろせるので、それとクレジットカードを使っていました。ですがDebitカードがATMに飲み込まれて現金を引き出せず大変だったので、お金を引きおろせるカードを2枚ほど、クレジットカードも一枚ほどは持って行ったほうがいいと思います。 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) 到着してすぐにInternational officeの方がSIMカードを購入するのに付き添ってくれました。そして3ヶ月ごとにSIMを買った携帯ショップに行き更新をしました。当初は更新できることを知らず、3ヶ月過ぎ携帯が使えなくなった後はSIMカードをまた購入しポケットWifiに入れて使っていました。 (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) パスワードを教えてもらっていなかったので、アトマジャヤ大学のWifiは使っていませんでした。友人によると繋いでも遅過ぎて意味がないそうです。 BIPA教室にもWifiがあり、そちらは強かったので、オンラインの授業などはBIPAの空き教室で受けていました。 最初のKosは写真が見れないほどWifiが遅くなることがあったため、Ibu kosにその都度報告していました。マクドナルドにもWifiがあるのでたまに勉強をしていました。スターバックスのWifiは強いので、友人は大事なオンライン会議の時はスターバックスに行っていました。 (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) 1年間海外保険に入っていたので、ジャカルタのSudirmanのタケノコ診療所に無料でいつもお世話になっていました。海外旅行保険被保険者証とパスポートを持っていけば無料で診察してくれます。よく体調を壊したので1ヶ月に1度くらいの頻度で通っていたと思います。インフルやコロナの検査もしてくれますし点滴もしてくれます。 (5) 日本から持っていくべきもの おかゆやお湯で溶かすスープ、味噌汁など、日持ちする食べ物はたくさん持って行ったほうがいいと思います。体調が悪くなった時は日本食がやはり恋しくなりますが、例えばインドネシアのおかゆは味が濃いものばかりですし、ゼリーも全部甘いので食べる気になりませんでした。日本からの輸入品はモールやPAPAYAには売っていますが、とても高いです。ポカリはコンビニに普通に売っています。 また、洋服はインドネシアなら安いと思ってあまり持っていきませんでしたが、モールなどの服だと値段は日本と変わらないので、最低限は持って行ったほうが節約できます。 (6) 治安状況 (どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか) スマホは、私は携帯ストラップを使ったうえでポケットに入れていました。現地の人には危ないよと言われることが多かったですが、リュックに入れていちいち出すほうがなくす心配もありますし、ずっと見えるところに無くて危ないと私は思っていたので、斜めがけしてポケットに入れていました。 現地に長くいる日本人や現地の友人からも今までに怖い経験をしたことがあるとよく聞きましたが、私は運良く1年間特にこれといった怖い経験や危ない思いはしませんでした。ジャカルタはどこにも人がたくさんいるので、田舎の人気がないところよりは安心だろうなと感じました。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか) 朝ごはんはジャムなどをつけて食パンを一枚食べていました。 昼ごはんはよく大学のKantin(食堂)で食べていました。 夜ご飯は、Warung(屋台)などで買いました。 自炊はほとんどしていません。KantinやWarungで買えば一食100円程度で済ませられるのでとても安いです。 (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか) 基本的に友人にいろいろ教えてもらいました。バイクで色々なところに連れて行ってもらったり食べ方を教わりながら食べ物を一緒に食べたりしました。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 アトマジャヤはカトリックの大学のため、ほとんどの友人がキリスト教でしたので、私はあまりイスラム文化には触れませんでした。断食もしませんでしたし、友人とお酒を飲むこともありました。インドネシア人はKepo(知りたがり)の人が多く、心の距離が近いので最初はびっくりするかもしれません。道端で声をかけられたり、フレンドリーな人が多いですが、危機感は忘れてはいけないと思います。私は友人の友人など、複数の人と繋がりがある人としか仲良くしていませんでした。 わからないことや聞きたいことは、ちゃんと関係が築けてから聞くといいと思います。 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) 3月に日本で就職が解禁してから説明会に参加しだし、ESも何社か出しましたが、結局私はちゃんと始めたのは日本に帰国してからでしたので、経験を積む程度の就活しかやっておりません。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか なるべく早くインドネシアで働きたいと思っています。これからインドネシア語力を活かせたらいいです。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 成功したとしても失敗したとしても、無駄な経験は無いので、留学という誰もができるわけではない貴重な機会を手に入れられる状況にあるなら、ぜひ挑戦してほしいと思います。私の1年間のインドネシアでの経験は、学生として留学したからこそできたものですし、他では感じられないことがたくさんあったと思います。私は心から留学を決意して良かったと思います。
変わらず友達と過ごす休暇を満喫しています。 最近は節約の意味もあり、友人と週4くらいで夜ご飯を一緒に作って食べています。 BSDにはAEONがあるのでそこと近くの安いpasarで食材を買い、ご飯を一緒に作ります。移動は基本的に友達のバイクです。インドネシアに来てから自炊はほとんどしていなかったので、インドネシアの食材や調味料を使った料理の仕方を知れてとても楽しいです。 前回のレポートで書いた日本語学校でのボランティアも、全10回の授業を終えました。最後の方にはだいぶ慣れてきていたと思います。生徒さんたちの反応も良くとても楽しく授業をさせていただきましたし、日本語を頑張っている皆さんや日本語が流暢なインドネシア人の先生方を見ると、私ももっとインドネシア語を頑張ろう、と良い刺激をもらいました。 また、帰国前の思い出づくりとしてK3Jの子達とBandungに旅行に行きました。 ホテルがあまりにも汚くて泊まれないうえに払い戻しもして貰えず、みんなで駐車場にブルーシートを敷きカードゲームをしながら一晩を過ごす(笑)という大ハプニングが起きてしまいましたが、私にとってはそれも含めて思い出になりました。 私はジャカルタ周辺以外はBogorくらいにしか行ったことがなかったので、大好きなみんなと遠くに旅行し、2泊3日ずっと一緒にいられて、たくさん笑って幸せでした。みんなとずっと一緒にいたいなぁと相変わらず思います。 帰国の23日は、私の大好きなsayur asemを友人たちと朝から作り、友人の車で空港まで送ってもらいました。空港では私の荷物が重すぎて追加の2 juta払わなくてはいけないと言われ、みんなが詰め直しを手伝ってくれてなんとか無料で荷物を送れました笑 帰り際にずっと仲良くしてくれていたK3Jのみんなからメッセージとプレゼントをいただきました。帰り際までずっと泣いていましたが、この1年間、人生で一番充実していたと思います。留学の機会をくださったことと皆んなと巡り会えたことに感謝しています。
2023-06
今月の12日でテストと授業が終わりました。 ですがここ最近、体調が悪くなることが非常に多く、5月の終わり頃から授業に出られないことが増えました。インドネシアに10ヶ月近くいて、知らぬ間に体に負担がだいぶかかっているらしく、そろそろ自分の体が悲鳴をあげているなと感じます。 自分の体調とは裏腹に、気持ちとしては少しでも長く友達と過ごしたいですし授業にも出たいので、辛くて何度も泣いてしまいました。 今月はとても大きな出来事がありました。引っ越しをしました。タングランのBSDと言うジャカルタの外の方まで引っ越しをしました。コスは1ヶ月単位で払うので、授業が6月9日まであると聞いた時に引越しは諦めようかと思いましたが、お友達が「残りの1週間だけ遠くから頑張って通えばいいんじゃない?」と提案してくれたので、1週間はSemanggiキャンパスに友達のバイクと、電車、バスを使って通っていました。全部で1時間ちょっとです。 なんとか1週間の授業もこなし、今は休暇を満喫しています。BSDに引っ越したのには2つ理由があり、1つ目は、アトマジャヤ大学がBSDキャンパスにもあり、私はそちらにも友人が多いのでみんなと毎日会いたかったからです。2つ目はジャカルタの汚い空気にうんざりしてしまったからです。笑 最終プレゼンでも私は大気汚染について調べましたが、体調が悪くなることがあるほど私はジャカルタの汚い空気と車やバイクのうるささに嫌気がさしていました。BSDはまだ開発途中で、森のように自然が多く、道路は綺麗で日本に似ていると感じます。車やバイクなどの交通量は相変わらず多いですが、自然が多い分空気はそれなりに澄んでいます。 今まではジャカルタの中でも南ジャカルタ、特に栄えている所に住んでいましたから、始めて違う場所に住んで驚くことが多かったです。今までのコスが1ヶ月3.5jutaだったのに対しBSDのコスは1ヶ月1.9jutaです。今まで住んでいたコスは値段が高い分設備がいいと思っていましたが、新しいコスは遥かに部屋も台所も綺麗で、シャワーも温かく勢いが強いし、今までのはそうでもなかったみたいだと初めて気づきました笑 でも、ジャカルタのように近くに色んなお店があるわけではないので、基本的に移動は友達のバイクに乗せてもらっています。いつかBSDに住むことがあったらバイクか車は必須だなと思いました。 また、もう一つ大きな出来事がありました。前回のレポートで書いた、日本語学校で授業を開始しました。今月は2日間、全部で6回授業をさせていただきました。最初はとても緊張しましたが、とてもやり甲斐を感じます。このような機会に巡り会えたことと、ジャカルタまで送迎してくれ応援してくれる友人に感謝しかないです。
2023-05
今月は仕事に関する情報などを沢山手に入れられたなと思います。 一番嬉しかったことが、日本人の友人が日本語学校を立ち上げている友人に私を紹介してくださって、その日本語学校の授業を見学させて貰えたことです。見学の際は生徒さんの私への質問にひたすら答えていましたが、私がまだここにきたばかりでK3J(私が仲良くしている日本文化サークル)やクラスの子達に囲まれてインタビュー状態になっていた時のことを思い出しました。その時と同じでみんなの目がキラキラしていて、私もとてもワクワクしました。みんなが日本に興味を持ってくれることを非常に嬉しく感じます。インドネシア語で質問責めにされていましたが、質問形式ならばもう詰まることもなくスラスラと答えられるなと実感しました。 来月から数回ボランティアで授業をさせていただけることになったので、不安もありますし 緊張しますが、とてもとても楽しみです。 また、現地採用でインドネシアで働いてる方々のお食事会に参加させていただき、沢山相談に乗ってもらいお話を聞けてとてもタメになりました。 インドネシアで働いてる方や滞在している方と集まる機会があると毎回思うのですが、私と同じでインドネシアが好き、という意思でここにいる方とはお話をしていてとても気が合うな、と思います。明るく社交的で柔らかい性格の方が多いと感じます。そのような先輩方に、お仕事の相談などに乗ってもらうととても心強いです。
2023-04
月が変わるたびに日本への帰国を意識し寂しくなります。それと同時に体調が悪くなることが定期的にあったり、日本から持ってきた消耗品が切れてきたりして、日本が恋しくなる時も結構あります。体調が悪くなると日本の綺麗な空気や、体に優しいご飯が恋しくなります。私の友人がBSDに多いので定期的に行きますが、SemanggiキャンパスよりBSDキャンパスの方が自然が多くて空気が綺麗だなと思います。 最近は友人のkosにみんなでお泊まりして屋上で手持ち花火をしたり、友人たちを自分のkosに招待したりすることが多くとてもとても楽しいです。クラブの研修会も含め、私はインドネシアに来てから定期的にインドネシア人の友人とお泊まりをする機会がありましたが、寝食を共にしないと学べないこともあると思いました。現地の友人たちの生活スタイルや、日常生活で使う言葉の使い回しなどです。また、深いお話もできるので仲を深めることもできます。私たちはホームステイではないので、友人たちがいなければそのような機会はないので、みんなに感謝しています。寝るまでも起きてからもずっと皆んなと笑いながらお喋りができるのは、家族と暮らしている日本では中々経験できないのでとても楽しいです。ここ数ヶ月はさらに友人たちといる時間が長く、日本語をほとんど使わないのでインドネシア語力がまた伸びてきたなと感じます。 最近、友達に教えてもらいayam(鶏)のお肉を片手だけでちぎりながら綺麗に食べられるようになりました笑 インドネシア人にまた一歩近づけて嬉しいです^^
2023-03
いつも仲良くしてくれている友人たちがmudik(帰省)から戻って来たので、今月からまた友人と過ごす時間が非常に多く幸せでした。 3月の中旬にインフルエンザにかかってしまい、熱が40度まで上がり声が2週間ほど出ないという大変な状況になってしまいました。家から出られず声も出ないので、日本の家族に電話することも誰と話すこともできず、ずっと1人で部屋にいるのが非常に心細かったです。食料調達するときや移動するときもずっとジェスチャーや口パクで必死に伝え、「外国人だからかな?」と不思議な顔をされることが多かったです笑 病院では筆談で伝えましたが全く声が出ない状況でも、頭の中ではインドネシア語脳がだいぶ働いてるな、ということに気づきました。日本にいればきっと家族がなんとかしてくれるので、ここでしか出来ない貴重な経験をしたなと思いました。 熱が引いてから、心細い時に友人たちがお見舞いに来てくれて、泣きそうなほど嬉しかったです。声が2週間も出なかったからこそ、治ってからはインドネシア語でみんなと話せることが尚更楽しく幸せに感じました。 また日本では多くの企業が就活を解禁したこともあり、いくつかのインドネシア支社がある企業の説明会に参加しました。説明会の際に日本に帰るのは7月頃ですがもし最終面接まで進めた場合、対面の面接を遅らせるかオンライン実施などの対応はして頂けるか尋ね、esを提出したりしました。
2023-02
長期休みが終わり2月6日からまた授業が再開しました。 台湾からの留学生は帰国してしまったので今学期からは私たち4人と、同じく日本人で仕事でこちらに来ている男性がクラスに参加し、日本人5人で授業を受けています。 友達とずっと一緒にいれた長期休みが終わり、授業では台湾の友達が帰ってしまったので今月は寂しいなと感じることが多かったです。 そんな中、2月は私の誕生日がありました。皆んなにあまり気を使わせたくなかったので、私は1人の家族のように仲が良い友達に一緒に過ごしたいと言いましたが、その子が実はこっそり他の仲の良い友人達を誘ってくれていて、みんなでサプライズしてくれました。今年は誕生日に日本の家族とも親友とも過ごせないので少し寂しいなと思っていましたが、皆んなのおかげで一生忘れない誕生日になりました。 また、1学期はまだ新生活に慣れないこともあり、何もやることがない時はダラダラして疲れを取ったり、課題をダラダラと終わらせる事が多かったですが、2学期からはここでの残り時間が少ないこともあり、沢山友達と会って、少ない時間で集中して課題やその他のやるべき事をできるようになったと思います。日本にいる時はあまり人といることに慣れていなかったので、友達と遊んだ後は非常に疲れやすく多くの休憩が必要でしたが、インドネシアに来て人と交流する時間のキャパシティが非常に増えたと思います。
2023-01
12月23日で授業が終わり、2月の6日まで長期休みでした。 私たちはアルバイトなどもできないですし授業もなくて暇だなぁ、勉強でも頑張るか、と思っていましたが気がつけば毎日のように友達と遊んでいてあっという間に1ヶ月ちょっとが過ぎてしまいました。私がいつも遊んでもらっている友達達が所属している日本文化サークルの2泊3日の合宿がボゴールであり、私もゲストとして参加しました。みんなと居られることがとても幸せで、その合宿の直後くらいから、留学も残り半分だということを強く意識し始め、日本に帰りみんなとお別れすることが怖いと頻繁に感じるようになりました。 長期休暇の間、時間があるのでもちろん楽しいだけでなく様々なことを考える時間がとても多かったです。帰った後の将来はどうするのか、残り半分ここでどのように過ごすか、就活、自分の事や友達の事、人間関係など。 自分の人生なので他の人にアドバイスや意見を貰うことはできても決めてもらうことはできないですし、ましてや他の人と同じ道を進まなければいけないわけでもありません。とある出来事に他の人と同じ感情や感想を持たなければいけないわけでもありません。誰かに私の人生を認めてもらう必要もなければ、否定される筋合いもありません。絶対に自分の人生なので。みんなと違っても仕方ないです。100人いたら100人違うので。 本当に沢山悩みましたが、半年間ここで生活を終えて、残りの半分はアトマジャヤ大学の留学生として生活できる最初で最後の今を後悔ないように過ごしたいと思いました。仕事や観光などでインドネシアに戻ってくることも、大好きなみんなにまた会うこともきっとできます。ですがインドネシア語を集中し勉強できて、現地の生徒と同じ学生としてみんなと沢山遊んで過ごしている今にしかできないことを沢山したいと思いました。 悩んでも仕方がないですし残り少ない時間がもったいないので、私は、今を全力で楽しみながら、将来また自分のやりたいことをできるように努力するだけだと思っています。
2022-12
2022-11
まだ先は長いにもかかわらず、日本に帰りたくないと感じることが多くなりました。素敵な友達にたくさん出会えたからです。今月はインドネシアの友達といる時間がとても多く、いつも会話でわからないことがあると「今なんて言ったの?」とか「これインドネシア語でなんて言う?」と言う風に聞いていますが、元から知っているつもりでしたが、私が今まで習ってきたフォーマルなインドネシア語と日常で使う砕けたインドネシア語は改めてあまりにも違いすぎて、また一から言語を学び直しているという風にまで感じます。一番私が困っているのはリスニングで、インドネシア人同士の会話は何語を喋っているんだと思う時もよくあります。それでも私にはなるべく砕けていないインドネシア語で話そうとしてくれますし、私が何回聞き返しても呆れずに何度も言い方を変えたり英語で伝えようとしてくれて、私が言葉が出ない時も「ゆっくりでいいよ」といつも言ってくれる友達には感謝しかないです。 私たちはスマホのIMEI登録をしていなかったので、入国してから90日経つと使えなくなるみたいで、ポケットWiFiを買いました。modemというポケットWi-Fiのデバイスが日本円で約6600円、その中に入れるSIMが8500円くらいでした。でもSIMは最初に買っていたのでそれを使えば良かったのかもしれないみたいです、よくわかりません。
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