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2024-07
【目次】 ①滞在先 ②大学 ③アドバイス ④感想 【①滞在先】  グアルーリョス国際空港に到着してからは、KUISの同級生が迎えに来てくれた。5月ぶりのサンパウロの空気は大して美味しくなかったが、久しぶりに友人の顔が見れてうれしかった。Airbnbで一時的な滞在先を探していたのだが、会員登録をする際に私の入力したブラジルの電話番号がすでに使用されていることに気づいた。通常であれば入力した電話番号の端末にSMSが届き、そこに記載されているコードを打ち込むことで会員登録することができる。それにもかかわらず、私は自分に届くはずのない認証コードの申請を何度も繰り返したため、翌日までログイン行為がブロックされてしまった。最終的に友人のスマホから予約してもらうことができたが、ブラジリアを出発する前にしっかりアカウントにログインできるか確認して、予約を済ませておくべきだったと反省した。  Pousada(宿泊先/ゲストハウス)に無事に到着し、ようやくくつろげると肩の力を抜いたのも束の間、渡された鍵の部屋に入るとAirbnbのアプリ内で表示されていた顔写真と別人の(ようで本人だった)オーナーの女性が挨拶をしてきた。彼女は軽く自己紹介を済ませたあと、ブラジルの政治や宗教、コロナ禍で起きた出来事について語り始めた。人にもよるが、ブラジル人は基本的にその手の話題を語り始めると長いので、事前にうまく話を切り上げる方法を考えておくことを勧める。  今回宿泊した場所はあくまでオーナー(おばさん)の自宅であり、そのうち空いている部屋を私のスペースとして貸してくれるというシステムであったため、まるで二人暮らしをしているような感覚だった。正直居心地はあまり良くなかった。  一時的にPinheirosに滞在している間に、FacebookでButantãやUSP周辺の物件情報をこまめにチェックしていた。幸いにもP1近くに良い物件を見つけることができたので、内見に行きその場で契約を結んだ。現在住んでいるマンションは新築で、私と私のルームメイトがこの部屋の最初の入居者らしい。敷地内にはプールやBBQスペース、図書室、パーティールーム、シネマなど様々な設備が揃っている。家賃はブラジルのアパートにしてはかなり高いが、その分セキュリティや設備などにはとても満足している。  ブラジルで物件を探すのは日本に比べてはるかに楽である。物件掲載者にメッセージを送って内見の日程を決め、実際に足を運んで気に入ればすぐに契約することができる。 【②大学】  サンパウロ大学(メインキャンパス)は神田外語大学の約37.8倍の敷地面積を誇り、創設90年の歴史を持つ南米トップの大学である。ブラジル全土から優秀な生徒が集まり、学部生の総数は約6万人に上る。大学には校門(Portão)が3つあり、それぞれP1、P2、P3と番号が振られている。個人的にはP1周辺に住むのが留学生にとって最も利便性が高いと感じる。自宅から大学までは徒歩で約25分ほどであり、私は基本的に歩きで通っているが、友人のほとんどはバスを利用している。バスはBUSPと呼ばれる学校から支給される交通系カードを利用すれば、指定の路線を無料で利用することができる。Butantã地区は比較的治安が良く、通学路がかなり整備されているので安心して登下校することができるのが魅力だ。  学食(通称 Bandejão)は7時から8時30分、11時15分から14時15分、17時半から19時45分の時間帯で営業しており、朝食は0.5レアル(約14円)、昼食と夕食は2レアル(約57円)で食べることができる。基本的には米とフェイジョアン(豆)、レタス、肉もしくは魚、果物のシンプルなメニューである。  月終わりには大学で留学生向けオリエンテーションが行われ、後期発の日本人留学生たちと知り合うことができた。今学期の日本人留学生は前期組4人と後期組4人、そしてブラジリア大学(以下、UnB)から転学して来た私を含めて計9名である。  USPでは運動系の講座やクラブが数多く存在し、幅広いジャンルのスポーツに挑戦することができる。実際に私の友人の一人はハンドボール部に所属しており、スポーツ活動は人脈づくりにもつながると語っていた。 【③アドバイス】  サンパウロに到着してからすぐに風邪をひいてしまい、一日中寝込むほどに体調が悪化した。薬箱をブラジリアの寮に忘れてしまっていたので、泥のように重い身体とクラクラした頭で薬局に行った。帰宅後、クレジットカードを紛失したことに気が付きカードの紛失願いを申請し受理されたが、のちに椅子のクッションの間に挟まっているのを発見した。すでにカードは凍結済みであり、再び使用するためには1万円ほど払い再発行する必要があったため諦めた。7月は自己管理能力の低さを痛感した一か月だった。大したアドバイスにはならないが、日頃から健康管理に意識を向け、身の回りの物をしっかりと管理する習慣をつけると、留学先で精神的にも身体的にも余計な負担がかからずに済む。 【④感想】  先月末にUnBのストライキがついに終結したが、私はサンパウロ大学(以下、USP)への転学を決めており、今学期はUnBでは週2回のポルトガル語の授業のみしか受講していなかった。半ば長期休みのような感覚でブラジリアでの最後の生活を満喫した。留学生仲間と日本食や韓国料理のレストランに行ったり、近くの自然公園(Água Mineral)で水浴びやハイキングを楽しんだり、ブラジル人の友人とバーに飲みに行ったり、彼らのおかげで充実した時間を過ごすことができた。  サンパウロに到着してからはFacebookで大学付近(Butantã周辺)の住居を探しつつ、日中はUSPの学食や図書館に行ったり、友人たちとアニメのイベントや博物館などを訪れた。5月にサンパウロを訪れた際に知り合ったほかの日本人留学生とはすぐに打ち解けることができたため、一緒に行動することが多かった。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2024-06
月次報告書6月分
引きこもりの留学生
【目次】 ①滞在先 ②大学 ③アドバイス ④感想 【①はじめに】  あっという間に終わった。今月を一言でまとめるなら、そんなとこだろう。留学生活が始まってから早四ヶ月が経ち、特に目新しいこともなくまたひと月が過ぎ去った。六月といえば梅雨の季節だが、ブラジリアでは相変わらず一度も雨が降ることなく、生活は快適そのものだ。今月はFesta Junina(収穫祭)のほかに特筆すべきことがないため、非常に内容の薄い報告書になってしまうのが残念でならない。 【②滞在先】  今月は本当に寮から出た記憶がない。学校に行くのは週二回のみで、どこかに出かけることもなく、ほとんどの時間を自室で過ごした。思い出せることといえば、Festa Juninaに行ったことぐらいだ。一回目のFesta Juninaでは、友人と寮の近くの教会でBolo de milho、Brigadeiro、Pamonhaなどに舌鼓を打った。二回目は、寮の真横の教会で、似たようなデザートを堪能した。ここではビンゴ大会が行われていたのだが、これが思ったよりも盛り上がり、司会者が番号を口にする度に、歓喜と不満の声が飛び交っていたのが実にブラジルらしいと感じた。最後のFesta Juninaは月末に寮内で催されたものであり、最も華やかなイベントとなった。みんなでCaipira(田舎者スタイル)の服装に着替え、キャンプファイヤーを囲ってQuadrilhaを踊ったり、定番の料理を味わったり、六月を素敵な記憶とともに締めくくることができた。 【③大学】  四月中旬から約二ヶ月半もの間続いたストライキは、今月下旬にようやく終わりを迎えた。本来であれば七月までに前期が終了するはずであったが、九月まで長引くこととなった。私はすでにサンパウロ大学への転学を決めて出願書類を提出していたので、六月中に授業が終わるポルトガル語のみを継続して受講することにして、残りの三科目については履修から外すことにした。 【④アドバイス】  今月は寮に引きこもりがちだったので、メンタルが特に落ち込み気味だったと感じる。私は家族と連絡をとる習慣がなく仲の良い友人も少ないため、孤独感や疎外感を感じることが多いのだが、もし気軽に会話ができる人がいるのであれば、定期的に連絡を取って「心の底から笑える時間を作る」ことを勧める。 【⑤感想】  瑞々しい紫陽花、色とりどりの傘、街を包み込む雨のにおい、そんなものなど一つもなく過ぎ去ったブラジルでの水無月。たとえ梅雨が来なくても気分はずっとどんよりしていて、心の中はひたすら雨模様だった。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2024-05
【目次】 ①滞在先 ②大学 ③旅行 ④アドバイス ⑤感想 【①滞在先】  三月にブラジリアに到着したときは夕方になると必ず雨が降っていたのだが、五月に入ってからは快晴以外の日を知らない。洗濯物を干すタイミングを考えずに済む上に、よく乾くのでとてもありがたい。早朝に寮の同僚と近くの自然公園までランニングに行ったり、暇な時間にピアノ(電子キーボード)を弾いたり、また休日にはFestival do Japão(ブラジリア日本祭り)やJungle Fight(南米最大級の総合格闘技団体)に行ったり、ストライキ期間の楽しみ方を少しずつ覚えてきている。ずっと寮内にいると気分も落ち込んでしまうので、なるべく外出したり運動したりしてメンタルを保つように心がけている。 【②大学】  ストライキが始まってから一ヶ月が経過したが依然として状況は変わらず、ポルトガル語の授業を週二回受けるだけの留学生活を送っている。 【③旅行】  大学がストライキに入り一足早い冬休みのような日々を過ごすことになった私は、日本にいたときからずっと訪れたいと思っていたパラナ州クリチバまで旅行することに決めた。今回は長距離バスを利用したのだが、ブラジリアからサンパウロまで十七時間、サンパウロからクリチバまで七時間かかった。ブラジルの長距離バスは目的地に一時間早く着くときもあれば、二時間遅れることもあるので、到着時間はあまりあてにしないほうが良い。また、街を抜けると基本的に電波が通じなくなるので、バスの中で観たい映画は事前にインストールしておくことを勧める。座席の座り心地は想像以上に快適で、旅の始まりに疲れを溜めずに済んだ。  クリチバに到着してからは二泊三日で約100レアル(約3,000円)のリーズナブルなPousadaに宿泊した。安いだけあり、部屋は二段ベッドが四つ置いてある窮屈な八人部屋であったが、幸いにも宿泊者は私を含め三人のみであった。翌日からはPraça do Japão、Jardim Botânico、Catedral Basílica de Curitiba、Parque de Bariguiなどの観光スポットを巡り、ブラジル到着後初の旅行を満喫した。  クリチバでは夜になるとUberでタクシーが拾えなくなるので、予め99(タクシーアプリ)をインストールし決済方法などを登録しておくと役に立つ。日本のクレジットカードはブラジルのサイトやアプリではよくはじかれるので事前に確認しておくと良い。  サンパウロに戻ってからはサンパウロ大学(以下、USP)に留学中のKUISの友人と三か月ぶりに再会した。当日彼は授業があったため、半ばもぐりのような形で学校に行き授業を受けた。授業後はUSPのほかの日本人留学生たちや日本語専攻の生徒たちと知り合い、一緒に学食で昼食をとった。USPへの転学を検討している身として、実際に大学に足を運びいろいろ見て回れたことはサンパウロでの留学生活を具体的に想像するのに役立った。その晩は友人の家に泊り、翌日はLiberdadeに行きラーメンをすすった。久しぶりに質の高い日本食にありつけたことに大きな満足感を覚えつつ、次の目的地である移民資料館へと向かった。日本にいたときに授業で勉強していたことと関連付けながら鑑賞することができたので、歴史が苦手な私でも意外と楽しめた。  Rodoviária(バスターミナル)で友人に別れを告げバスに乗り込んだ瞬間、旅の疲れがどっと押し寄せた。売店で購入したパンを食べ尽くし、すっかり眠くなってしまった私は、座席を倒して早めに休むことにした。  夢の中から引きずり出されたのは深夜の三時四十分。肩を軽く叩かれ目を覚ますと、目の前には運転手らしき男性が立っており、ほかの乗客は一切見当たらなかった。状況をうまく飲み込めずにいると、彼は「バスが故障したから、ほかのバスへ移ってくれ」と言った。荷物をまとめて前方に停車しているバスに移ると、少しの不安を抱えて再び眠りについた。  日は昇り、そして暮れ、あと二時間ほどでブラジリアに到着する地点まできたところで、妙なことに気がついた。マップ上に表示されていた現在地が、明らかにブラジリアへの道のりから外れていたのだ。嫌な予感が頭をよぎり、隣に座っていた乗客にバスの目的地を聞くと、なんとブラジリアではなくマットグロッソ州クイアバに向かっていることが判明した。最終的に州境の手前で下車して、深夜まで独りでバスを待ち、ゴイアニアを経由して昼頃に無事にブラジリアに到着した。ふつうサンパウロからブラジリアへはバス一台で約十八時間ほどで到着するのだが、今回はバス四台で合計四十四時間かかった。 【④アドバイス】  旅行を計画する際、バスを利用するなら約二週間前、飛行機を利用するなら約二か月前にはチケットを購入することを勧める。特に航空券は価格の変動が激しく、数日経つだけで倍の値段になることもある。ブラジルの長距離バスは基本的に座席の充電器が故障しているので、モバイルバッテリーを必ず持参したほうが良い。また、車内はかなり冷房が効いているため少し厚めの上着も持ち物リストに加えてほしい。バスのトイレは非常に汚いが、そこはもう慣れるしかない、というよりいつか慣れる(ブラジル人男性はバス内のみならず寮や学校でもトイレを流さない人が本当に多い)。  ブラジルでは物乞いが非常に多く外出するたびにお金をせびられるが、たとえ彼らが怖くても、かわいそうに見えても、しっかり断らなければならない。中には言葉巧みに話を進めたり、しつこくつきまとってきたりする者もいるため、堂々とした姿勢でNÃOと言えるようにしよう。 【⑤感想】  私はおそらくブラジリアで最も呪われた日本人なのではないだろうか。少なくとも、日本人留学生の中ではそうだろう。不運は続くもので、今月も先月と同じく苦労の絶えない一か月となった。一般的に留学の魅力といえば「言語能力の向上」や「異文化体験」であるが、私は「自分の取り扱い方が上手になる」ことこそが留学における最大の収穫であると考えている。物事が思うようにいかないとき、アクシデントに巻き込まれたとき、等身大の自分を知ったとき、そこで初めて自身の人間力が試される。「ストライキのせいで留学のスタートが台無しだ」「深夜にバスが故障するなんて最悪だ」「みんなの話してること全然分かんない...私のポルトガル語はダメダメだ」と考えるよりも「ストライキのおかげで一足早い長期休みを満喫できる!」「このトラブルもきっと良い経験値になるはず!」「一年間でどれだけポルトガル語の能力を向上できるか楽しみ!」と考えたほうが素敵ではないだろうか。同じ物事でも捉え方によってまったく印象が違う。「自分の取り扱い方」を知ることはモチベーションやメンタルを保つことに役立ち、精神的に安定した状態で日々を過ごすことは、悩みや不安の多い留学生活を乗り切るために必要不可欠である。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2024-04
月次報告書4月分
騒音、野良犬、ストライキ
【目次】 ①滞在先 ②大学 ③アクシデント ④アドバイス ⑤感想 【①滞在先】  多少の不満はあれど寮での生活にはそれなりに慣れてきたのだが、ここ最近で唯一ストレスとなっていたのが、就寝時の騒音である。寮の規則では二十三時以降は静かにしなければならないのだが、夜中の話し声がとてもうるさくてとても寝付けない。廊下で談笑していた同僚たちに直接静かにするように言ったのだが、ほんの少しの間ひそひそ話すだけで、すぐに騒がしくなってしまうのだから仕方がない。深夜ににテレビの音量を四十六にしてアニメを観ていた者や、大声で会話しながらピアノをチャラチャラと鳴らしている者もいたが、文句を言っても変わらないなら自分が変わるしかないとのことで、アマゾンでアイマスクと耳栓を購入し、ようやく平穏な睡眠が戻ってきた(それでも耳栓を貫通してくる騒音には時折苦しんでいる)。  ある日の昼過ぎ、近くのパスタ屋で腹を満たした私は、昼寝をするために寮の自室へと向かっていた。部屋のドアノブに手をかけ一歩踏み出した瞬間、そこにルームメイトと顔見知りの女性がベッドの上で一緒に寝そべっている姿を目撃した。どう反応していいのか分からず固まっていると、向こうのほうからぎこちない笑顔で挨拶してきた。女性が慌てた様子でその場を後にすると、部屋には私とルームメイトの二人きりになった。詳細は省くが、その後の気まずさといったら、これは皆さんの想像にお任せしたい。先月の報告書でも書いた通り、寮の規則では寮内での恋愛および異性の部屋への進入が禁止されているのだが、やはりルールに従っている者はほとんどいない。 【②大学】  ブラジリアに到着した三月中旬の時点で大学は軽いストライキ状態にあったのだが、のちに大学内での正式な承認を受けて、今月中旬より本格的なストライキが始まった。履修している授業四つのうち継続しているのはポルトガル語の授業のみで、それ以外は完全に中断されてしまった。大学の図書館も三月の時点から閉鎖されており利用できない状態である。  ブラジリア大学には数多くのスポーツ活動があるのだが、私は特に格闘技に興味があったため、ブラジリアン柔術のクラブに参加してきた。基本的にはインスタグラムでクラブのアカウントにダイレクトメッセージを送り、実際にトレーニングに参加するだけなので、特に入部届を提出する必要はない。ポルトガル語で新しいことを学ぶのはとても大変だが、先生や練習仲間が親切に教えてくれるおかげで、楽しみながらトレーニングすることができている。私は性格上あまり初対面の人と話すのが得意ではないのだが、「日本から来た」と言うと皆興味を持って話を聞いてくれるので、特に孤立することなく和気藹々とした雰囲気でトレーニングに参加することができる。これからも練習仲間と親睦を深め、柔術の技術を磨いていきたい…と思っていたのだが… 【③アクシデント】  ある日の朝、寮の門を開けようとしたところ、数頭の大型犬がホームレスの住むテントに戻っていく姿を発見した。裏門周辺が少し危険であることを理解していたにもかかわらず、授業に遅刻しそうだったこともあって少し迷ったあとに扉をくぐってしまった。寮には表門と裏門があり、裏門を通るルートはより短い時間で学校に到着することができるのだが、ホームレスが点在していたり、夜は道がかなり暗かったりと、治安の面で不安の多い道のりとなっている。しかし私は時間を節約するためいつも裏門から通学していた。車道沿いの歩道を目指し草むらを歩いていたとき、先ほど家に戻ったはずの大型犬五匹ほどが私の存在に気づき、こちらをじっと凝視していた。かつて野良犬に噛まれたという寮の友人の話を思い出し、「やられる前にやらねば」という感情が芽生えた私は彼らを威嚇するために両手を大きく広げ一つ吠えた。その瞬間、彼らは怒り狂ったかのようにバウバウと声を上げ、こちらに向かって全速力で走り出した。「考えるより先に体が動いていた」とはこのことかと、某漫画のセリフを思い出しつつ、生命の危機から逃れるため全速力で草むらを駆けた。当然ながら運動不足の大学生が犬の俊敏なスピードに勝てるわけもなく、とうとう追いつかれてしまった。背負っていたリュックをぶんぶんと振り回しながら格闘していたが、彼らの圧に押されてバランスを崩してしまい、二頭ほどに脚を噛まれてしまった。「狂犬病って発症したら致死率百パーセントだよな…」と嫌な予感が頭をよぎり、まだ死にたくないという一心で彼らを振り払い、なんとか車道に飛び出た。そのとき、ちょうど目の前を通りかかった車に轢かれそうになったのだが、運転手がクラクションを鳴らしてくれたおかげで、野良犬たちはビビって走り去っていった。一命を取り留めた私は、ルームメイトに電話をかけ車で迎えに来てもらい、寮に帰った後はシャワーで傷口を洗い流して保健所へと向かった。今月だけでもすでに三回狂犬病ワクチンを接種した。 【④アドバイス】  月初めにRNM(Registro Nacional Migratório/外国人登録)を申請しに空港のすぐ近くにあるPolícia Federal(連邦警察)に行った。待ち時間は確か一時間ほどで、それほど待つことなく手続きを済ますことができた。申請時に必要な書類として証明写真が挙げられているが、手続きの際に職員がカメラで撮影してくれるため、事前に写真屋に行く必要はない。RNMの番号は当日中に取得できるが、カードが届くまでは通常約三か月かかるためブラジルに到着したらなるべく早めに申請することを勧める。  最初の週末には寮の人たちとブラジリアの観光スポットを回った。Torre de TV(テレビ塔)、Museu Nacional(国立美術館)、Catedral Metropolitana(ブラジリア大聖堂)、Congresso Nacional(国会議事堂)など有名どころは一日あれば一通り観光することができる。別日にはCCBB(Centro Cultural do Banco do Brasil)の展示や青いステンドグラスで知られているSantuário Don Bosco(ドン・ボスコ大聖堂)にも訪れた。個人的にはTorre de TVから一望できる眺めが広大で美しく、将来ブラジリアに来る留学生にはぜひ訪れてほしい。 【⑤感想】  騒音に悩まされ、授業にはついていけず、ルームメイトの浮気現場を目の当たりにし、野良犬に襲撃され、大学はストライキに入るなど、まさに踏んだり蹴ったりの一か月間だった。人間は不幸なことに目を向けがちだが、改めて振り返ってみるとそれなりに楽しいこともあったように感じる。大学では新しい友人が何人かできたり、寮の住人や留学生仲間と距離を縮めたり、少しずつ新しい環境に慣れてきている実感がある。これからも適度に休むことを忘れずに、興味や関心のあることには積極的に挑戦していきたい。また、中旬には国際戦略部の方とストライキの件についてZoomでミーティングを行い、ストライキが数か月に渡り長引いた際は日本に帰国しなければならないことや、万が一を考えてサンパウロ大学への転学が可能であるとの説明を受けた(今回のストライキはブラジル全土の連邦大学で行われており、USPは州立大学であるためこの対象から外れている)。これからも大学の動向に注視しながら、じっくりと考えていきたい。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2024-03
月次報告書3月分
開発途上国、ブラジル
【目次】 ①渡航 ②滞在先(寮) ③大学 ④アドバイス ⑤感想 【①渡航】  3月4日の昼時過ぎに成田国際空港を出発した。機内食はなかなか美味しかった。15時間かけてスイスのチューリッヒで乗り継ぎをした。機内は想像以上に冷えるため、少し厚めの上着を持っていくと体温調整に役立つ。グアルーリョス国際空港(サンパウロ)到着後、スーツケースを受け取るとキャスターが1本根本から壊れていた。長旅の途中で壊れることを想定してあまり高くないスーツケースを買ったつもりだが、その予想は見事に的中した。しかしもう少しお高いものを買っていたら壊れずに済んだのかと思うと、本当に正しい選択だったのか疑問が残る。ブラジリア国際空港に到着後、大使館職員のご友人夫妻に車でお出迎えしていただき、寮まで送っていただいた。翌日もショッピングモールまで連れて行っていただき、SIMカードの契約を手伝ってもらった。 【②滞在先(寮)】  寮についてまず一つ意見を挙げるなら「お世辞にもキレイとは言えない」ということである。これは同じ寮に住む日本人留学生らと議論していたことだが、この寮に「日本から来る客をもてなす」という精神はあまり感じられない。まさに文化の違いを肌で感じたわけだが、このおもてなし精神の良し悪しについてここで述べるつもりはない。これに関してはただの文化の違いであり、決して寮のオーナーが私たちを嫌っているわけではないということは十分理解しているからだ。他の日本人留学生の話だが、寮に到着後、部屋に入るとクローゼットの中が埃で汚れていたり、壁に部分的にカビが生えていたり、ハエの死骸が床に寝そべっているなど、基本的な衛生状態が保たれていないことに気付いたという。彼は鼻水や目が痒くなるなどの症状に悩まされており、相当ストレスを溜めているようだったが、すでに他のアパートに引っ越すことを決めたらしい。私自身も、夜の騒音やキッチンを飛び交うハエが少しストレスであった。この留学報告書を読んでいる後輩たちにここで一つ伝えたいことは、必ずしもこの寮を選ぶ必要性はないということだ。「今まで先輩が寮で生活を送ってきたから、自分も大丈夫」という考えは少し安直である。私はここでの生活に慣れて不自由なく過ごしているが、人によっては楽しさよりもストレスを感じる人もいるだろう。寮での生活がどういうものなのか、改めて想像してみてほしい。ここまで読むと寮に住む気が失せてしまった人もいるかもしれないが、もちろんメリットもたくさん存在する。寮で生活するということは、いつでもブラジル人とポルトガル語の練習ができるということであり、友達もかなり作りやすい。寮内ではイベントが多く、焼きそばやシュラスコを作ったり、水遊びをしたり、サッカーをしたり、友人同士で仲を深める機会は十分にある。くわえて、他大学からの日本人留学生が集まるため、日本人同士で助け合える点も魅力的である。ちなみに今学期ブラジリア大学に日本から留学している人は全員この寮に住んでいる。  寮内のキッチン、シャワー、洗濯機は自由に使える。フォークとナイフ、箸、コップ、皿、フライパンなどは寮側から支給されるが、シャンプーやリンス、洗剤や柔軟剤などは自分で買い揃える必要がある。食器類はキッチンのロッカーに収納することができる。朝食にはパンと牛乳が支給され、昼食は17レアル(520円)払えば見た目は微妙だがそれなりに美味しい弁当を用意してもらえる。洗面所には個室トイレとシャワーが3台ずつあるが、便座が欠けていたり、鍵が壊れていたり、お湯が出なかったりと、設備の管理はあまり良くない。洗濯機は8時から10時、14時から16時、20時から22時の枠があり、名前を書いて予約する。また、キッチンの近くには図書室があり、住人たちはそこで課題をやったり、仕事をしたりしている。ちなみに「図書室」とはいうものの、本は部屋の隅っこの棚に積まれているだけで、ほぼ机と椅子があるだけの自習室である。寮内では2GのWiFiを無料で利用できるが、接続環境はあまり安定していない。  寮内は恋愛禁止だが、ここブラジルではルールは破られるためにあるというのが一種の常識である。友人から聞いた話だが、この寮の恋愛事情は「かなり複雑」らしい... 住人たち(ブラジル人)はゴシップや噂ばなしが大好きで、廊下で談笑している姿をよく見かける。私はあまり興味がないので特に気にしていない。 【③大学】  ブラジリア大学(ダルシー・リベイロキャンパス)は神田外語大学の約40倍の敷地面積を誇り、自然豊かで落ち着いた雰囲気の公立大学である。今学期はメキシコやコロンビアなどの南米諸国を中心に世界中から約20名ほどの留学生が集っており、私を含め5名の日本人留学生がいる。大学までは寮の表側から徒歩で30分ほどであるが、裏側から通ると10分ほど早く到着することができる。裏門を出てすぐの草むらにホームレスが住み着いており、治安はあまり良くないと感じる。  私が今学期に履修した授業は以下の4つである。①Introdução à Sociologia(社会学入門)、②Sociologia Brasileira(ブラジルの社会学)、③Cultura Brasileira(ブラジルの文化)、④Português para Estrangeiros 2(外国人のためのポルトガル語2)。履修登録は国際交流課(INT:インチ)で行うことができる。手順としては、事前に大学のポータル(SIGAA)にアクセスして履修したい授業のシラバスを確認し、その授業名と授業番号をINTの職員に告げるだけである。もちろんINTの職員にどの授業あ良いか相談することもできる。  学食は7時から19時30分まで営業しており、朝食はR$2,85(約85円)、昼食と夕食はR$6,10(約183円)で食べることができる。基本的には米とフェイジョアン(豆)、レタス、肉もしくは魚、日替わりの果物ジュースの組み合わせである。 【④アドバイス】  今この留学報告書を読んでいる後輩に一つアドバイスがある。それは、日本にいるうちに留学先で学びたい分野を絞り、事前に予習しておくべきであるということだ。例えば社会学に興味があるのなら、社会学入門の本を何冊か読んでみたり、それに関連する授業を履修してみたりしてほしい。事前知識があるかないかでは授業の解像度がまるで違う。日本語で理解していない内容を外国語で理解するというのは実に骨が折れる。私のような失敗をしないためにも、皆さんにはぜひ入念に準備を進めてほしい。 【⑤感想】  ブラジルに到着してから「ブラジルは先進国ではなく、開発途上国である」という事実を再認識させられた。私の留学しているブラジリアは名前こそあまり知られていないが、一応は首都だからそれなりに整備されているだろうと想像していたのだ。しかし、いざ留学生活が始まってみると、水道水が飲めない、ホームレスや物売りが多い、夜道が暗い、道路の水捌けが悪い、公共交通機関がしっかりと整備されていない、大学のシステムが潤滑に機能していない、街中の至るところで落書きが見受けられるなど、日本との違いを挙げればきりがない。しかし、これだけ不便を感じる場所でも人々は普通に生活を送っており、私自身も特に問題なくこの環境に適応してしまった。日本人学生がただ1年間「滞在する」ことと、ブラジル人がこの国に生まれ「住む」ことを一括りにして比較することが無意味であることは理解しているが、この生活水準で大きな不満なく生活できるという事実は、私がいかに日本という恵まれた環境に生まれ、必要以上に贅沢な生活を送っていたかについて大きな気づきを与えてくれた。これから1年間何が起こるか全く予想できないが、そのすべてが未来の自分の糧になることを信じて、楽しむことを忘れずに全力で駆け抜けたい。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2023-12
留学成果報告書12月分
留学とは何か
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1962年 ・学生数 21,044人 ・設置学部 109 ・その他 人柄は基本的に優しくて、困ったことがあると助けを求めれば助けてくれる。 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) departamento de historia 歴史学部 (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など 履修希望の授業を学期始めにUnBに提出して、そこで履修可能かどうか判断される。大体の授業は履修可能。 ・学部留学の場合:選択した学部・学科以外の授業を履修できるか どんな学部学科の授業でも履修できる。実際私も歴史学部に所属していたが、哲学、ポルトガル語、英語など色々な授業を履修した。留学生の中には手話の授業を履修している人もいた。 ・学部留学の場合:語学コースを並行履修できるか (できる場合、申し込み方法、有料か無料か、有料の場合費用・スケジュールなど) できる。申し込み方法は普通の授業と同じで、履修登録時に登録するだけで、別途料金がかかることはない。授業は週に2回。 ・語学留学の場合:学部科目を履修できるオプションがあったか (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 留学生に慣れているという感じで、優しい。困っていたら、助けてくれる人が多い。日本からの学生は知っている限りは6人くらい。留学生はアジアからの留学生が多くて、ポルトガル語の授業では韓国人、中国人、日本人がほとんどだった。 (5) 課題や試験 (KUISとの違いや負担の大きさなど) 課題の量はあまり変わらないように感じた。特にきついと感じたことはない。試験は記述がメインで、時間以内に与えられたテーマについて論じるというようなものが多かった。先生によっては留学生は別のテストを用意してくれることもあるが、基本的には他の学生と同じテストを受ける。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか 困った時は国際教務課のようなところに行くと相談に乗ってくれた。履修登録でミスがあったが、それも彼らに相談したら、すぐに解決してくれた。 (7) オリエンテーション (オリエンテーションがあったか、あった場合その内容) オリエンテーションはある予定だったが、他の留学生との予定が合わなくて、なくなった。 (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) 前期の履修登録は渡航前にlearning agreementを用いて提出する。その用紙に希望の授業を書いて提出するだけで履修登録完了。後期も同様にlearning agreementを出して履修登録をする。前期の授業が終わってからすぐに後期の履修登録が始まるので、注意が必要。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 そもそも大学を選んだ理由の大部分はブラジル留学に行くことだったので、大学に入ってから新たに決意したことはない。何か立派な理由があったわけではない。ただただブラジルに行きたかったから。 (2) 留学先を選んだ理由 ブラジリアを選んだのはブラジルの中でも比較的安全だし、寮が大学の近くにあって便利そうだったから。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 語学を習得するためには余程の天才ではないかぎり、コツコツ学習するのが、一番早いと思った。語彙は文章を読む時より会話している時に必要性を強く感じた。文章を読むときも語彙は必要だが、文章を読む時は時間をかけることができるので、必要性は強くは感じない。しかし、会話はその場ですぐに語を使えなくてはいけないので、そういった意味で、会話の時の方がより語彙を求められる。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) 当たり前だが、日本の生活で必要なものは必要。生活にこだわりがないのであれば、ブラジルのスーパーで買えるので何ら問題はない。ブラジルに人が住んでいるのだから、人が住むためのものは全てブラジルにある。ただ、生活スタイルの中でこだわりがあるのなら、それを日本から持っていったらいいと思う。 (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) 日本語学科の人は積極的に話しかけてくれる人が多いので、友達になりやすい。他の授業でも困ったことを聞けばそこから仲良くなることもある。寮があるので、そこで友達ができる。ショッピングに行ったり、サッカーをしたり日本で友達と遊ぶのと変わらない。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと 学生が積極的だった。しかも純粋に疑問に思っていることを質問しているので、質問しなくてはという強迫観念も、逆に質問しづらいと思うこともなかった。 (7) 授業外で参加した活動 (ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法) 日本祭りの手伝いをした。申し込み方法は特になく、大使館の方から誘われたので参加した。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと 私は浴衣を着て、イベントに来た人と写真を撮るということをした。見せ物になった気分を味わえる。楽しく手伝える人もいるかもしれないが私には向いていなかった。 (9) 留学で達成した最も大きなこと 約1年間日本以外の国で生活したこと (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 興味のままに勉強を続けていきたい。ポルトガル語はやはり難しいので、もっと話せるように頑張りたい。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 提出する際に書類に不備がないようにする。提出期限を守る。 (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) 早めに準備に取り掛かると良い。申請から発行までは一ヶ月くらいかかった気がするので、それを考慮して良き頃に申請すればいいと思う。 (3) 航空券を予約した方法 (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) HISのウェブサイトで予約をした。ウェブサイトの中で、安そうで乗り継ぎの時間が短そうなものを選んだ。 (4) 渡航したルート 行きは日本→フランクフルト→サンパウロ→ブラジリア 帰りはブラジリア→サンパウロ→スイス→日本 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) 大使館の方が迎えに来てくれた。着いてからそのあとすぐに市内観光をした。 (6) 滞在先住居を探した方法 (大学の寮に申し込めたか、寮に滞在した場合は申込みの方法やいつ頃申し込んだか、不動産業者や特定のウェブサイトを使用した場合はその名称やURLなど、住居を手配した方法を詳細に記入してください) 日系の寮があったので、そこに滞在した。その寮は神田外語から紹介されたもの。 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 支払い方法はいろいろあるが、私は現金で払った。pixで払う人もいる。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) ルームーメイトが愉快な人だったので楽しかった。持ってくればよかったと後悔したものは特にない。大体揃っているし、足りないものがあれば、買えば良いと思う。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) ブラジルではほとんどカードで支払っていた。現金はVISAの使えるATMが大学の近くにあったのでそこから引き出した。 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) ルームメイトが手伝ってくれて、SIMカード関係のことは大体やってくれた。まとめてギガを買うプランにしたので、ギガがなくなったら、追加で買い足していた。 (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) キャンパス、寮では快適にインターネットが繋がる。アマゾンや国境近くに行かなければインターネットは快適に使える。 (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) 現地の病院にかかっていないのでわからない。 (5) 日本から持っていくべきもの 日本での生活の中でこだわりのあるものは持っていった方が良い。 (6) 治安状況 (どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか) ブラジリアは比較的安全で、特に危険だと思う場面には遭遇しなかった。しかし、街中を歩くときは後ろを振り返って、安全を確認しながら歩いた。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか) 基本的には朝は寮の朝食、昼は大学の学食、夜は寮のご飯を食べた。朝ごはんは無料、昼は6レアル、夜は11レアル程度 (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか) 特に書籍やガイドブックなどは買っていない。気になったら、その時にウェブで調べた。ウェブのリンクを保存していないので、どのウェブサイトかはわからない。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 基本的にオープンな性格なので、自己開示が苦手な人は会話するときに少ししんどさを感じるかもしれない。 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) 国内の哲学科の大学院に進学希望 (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) 各大学院のホームページなどから募集要項などを確認し、院試に必要なものを確認にそれに向けて準備をした。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 日本以外の国で暮らした経験が思考する時に私に影響を確実に与える。今現時点でそれを実感している。だから、意図的に留学経験を活かすというよりは思考の中で、それらの経験が自然に要請され、活用される。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 留学に行きたくて、そして実際に行ける状況にいるのなら、その状況に感謝して留学に参加した方がよい。留学中もっとも大切なものはお金なので、お金を支援してくれる人に感謝して自分の思う全力で楽しめばきっといい留学になる。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
月次報告書12月分
逃げすぎず、耐えすぎず
後期の授業も終わり、留学の終わりが近づいている。 今ブラジルは夏なので暑いし、日差しで肌がチクチクと痛む。こっちの夏は日本のようにジメジメとした暑さではないが、とにかく日差しが強い。サングラスをした方が良いのだが、いつも忘れてしまって、道路に出た時に気づく。強い日差しで日焼けをしているので日本に帰ったら冬とは思えない日焼けで季節に溶け込むことができなそうだ。 マルクスガブリエルの本を哲学の授業で読んだのだが、そこで存在するというのは意味の場に現れることだというような主張がなされているのだが、では意味の場は存在するのかという疑問が浮かぶ。おそらくその本をもっと読めばこの疑問に答える箇所はあるのだろうが。彼は世界、つまり、すべての意味の場を包摂するような意味の場は存在しないと言っているのだが、それでは意味の場は存在するのか、するとしたらどのように存在するのかということが気になる。この存在の仕方が意味の場とその他のものとで違うなら、そもそも存在するとは意味の場に何かが現れることであるという主張が正確ではないのではないかという考えもよぎる。もしくは意味の場の存在様式だけ例外的に他のものと異なるのか。もう少しこの本を読む必要がある。同時にベルクソンの精神のエネルギーという本も読んでいるのだが、この二人は生きている時代は全く違うが、問題として取り上げているものに共通点があるように思える。それはいわゆる科学主義的なものに対する批判である。科学的世界観というもののある程度はすでに哲学の範囲で語られているものであるといったような主張。 学期の最後として、寮の人たちの中の参加できる人でシュラスコをやった。前期の終わりと後期の始まりにやった時よりは年末ということもあり人が少なかったが、楽しかったし美味しかった。そこで会うのが最後になってしまう人もいたので、留学の終わりを感じた。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-11
月次報告書11月分
雨に濡れたら心が晴れた
もう11月も終わろうとしていて、一年経つの早いなと今年もいつものように思った。 近年、根性論的なものが嫌悪される風潮があるように感じるのだが、子供を持つ知り合いの人の話を聞いて、いくら逃げようとしても根性は必要なのだろうなと感じた。根性と根性論は端的に別物で、根性論が思想であるのに対して、根性は実践の伴うものであり、それが必要な場面で必然的に私たちに要請されるものである。私は根性論には完全に同意することはないし、どちらかというと嫌いで、根性論を避けているが、それでも根性は必要なのだと思った。どうしても逃げられないものや場面、それらを達成するため一要因として、根性が必要なのだ(もちろん根性の発揮の仕方は様々で、ただがむしゃらにやるということが全てではない)。そしてその逃げられないようなものや場面というのは、つまり責任を負っている場面などである。仕事、子供を育てるなど、責任を持つときにある程度の根性が要求されるのだ。そして、責任をもつということ、根性が要求されることを受け入れるということが大人になることなのではないかとその知人と話の中で思った。その上で、私は責任から逃げようとすることが多いので、自省した。 タイムラインは地層的である。Twitter のタイムラインは地層的だ。色々なツイートが縦に並んでいるのも実に地層的な見た目をしている。そのタイムラインを見れば、その時どんなことが流行っていたり、話題になっていたりしたのかがわかる。使われている言葉からそのツイートがいつ頃にツイートされたものかがわかる。実際の地層から得られる情報は世界の科学的な視点からの環境であるが、タイムラインの地層から得られるものは人間社会の情報が主なものであるだろう。1000年後の史料研究でTwitterが扱われているかもしれないと思うと少しワクワクする。 私は音楽を聴くときに歌詞が頭に入ってきてしまい、楽器を聴くのが苦手だ。言語に縛られすぎているのか馴染み深い音だから耳が自然に言語を捕まえてしまうのかわからないが、とにかく楽器を聞き取るのが難しい。音楽を聴く上で言語が中心にあり、その周りに諸楽器があるというような感じだ。だから、どうしても言語がよく耳に入ってくる。私の好きなロックバンドにマキシマム・ザ・ホルモンというバンドがあるのだが、彼らの楽曲を聴いているときは割と楽器の音を聴くことができる。それはおそらく歌詞を聞き取るのが難しいからだと思う。そしてこのような歌詞を聞き取るのが難しいような曲を聴くと、言語がただ単純に音になる。つまり、言語がある一種の楽器、音色になる。言語に縛られている(特に日本語)私からすると、言葉の「音」という側面を強調しているような曲を作れるのはすごく憧れである。おそらく母語で曲を作ろうとすると言葉の「音」という側面よりも、その言葉に持たせる意味とかの方に気を取られてしまうことが多いと思う。つまり、歌詞には文学的な意味があり、メッセージがあるということが重視され、ただ、耳が、聴覚が、感覚的に楽しいというような視点は軽視されてしまうことがあるのではないかと思う。さらにマキシマム・ザ・ホルモンのすごいところは言葉を音とした上で、歌詞にもしっかり意味があることである。文学としても、音としてもどちらでも言語を楽しめる。おそらく、全く知らない言語の曲をきく際には単純に言語を音として楽しめているのだろう。 今月で授業が終わるので、留学の締めくくりの月として、授業に臨みたい。 最近は雨が降ったり、降らなかったりしていて天気が変わるの見ると楽しい気持ちになる。この前RU(学食)にお昼ご飯を食べに行こうと思い、歩いていたら急に大雨が降ってきて、傘も持っていなく笑うしかなったので、雨の中笑いながら走ってRUへ向かった。走っている最中楽しかったので、嘘でも笑ってみるものだなとずぶ濡れの状態でRUでご飯を食べている時に思った。 旅行に行くとお金がかかるが、日本から南米に旅行するのはもっと大変なので、今のうちに旅行をしておこうと思った。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-10
月次報告書10月分
木の脱皮
今月はクリチバに旅行した。その際に先住民族の生活や歴史に関する博物館に訪れた。そこには当時使われていた生活用品や何かの儀式のために用いられたであろう装飾品や道具が並んでいた。また、先住民族の人たちの瞬間を切り取った写真なども展示してあった。その中に木で編まれたカゴのようなものも展示されていた。しかし、ただ木で編まれただけではなく、その中には粘土か何かでコーティング加工のようなものがされてあった。これは発見された後にそのカゴを維持するために施されたものかもしれないが、もし、それが作られた当時からその加工がされていたのならと考えた時に石器や土器に対するある考えが浮かんだ。私は以前まで、縄文土器などについている模様は模様をつける目的で土器を作る過程においてヒモなどを巻き、意図的につけたものだと勝手に思っていた。しかし、このコーティングされたカゴを見た時、実はこの認識は間違っていたのかもしれないと思った。つまり、縄文土器などについている模様は模様をつけようと思ってつけたのではなく、土器を作る過程で必然的についてしまったものなのではないかということである。どういうことかというと、まず、ヒモで編まれた土器の雛形を作る。そしてそこに粘土をつけて土器の形にするのだ。こうすることで出来上がった時にはその土器に紐の模様が付くのだ。この方法で作れば、雛形がない状態で作るより簡単に作れるのではないかと思われる。粘土の塊を器の形に形成するよりも、雛形を作ってそこに粘土をくっつけていく方が容易ではないだろうか。また、作り方によっては同じような形や大きさの容器をいくつも作れるかもしれない。 これを機に土器について調べてみたところ、どうやら最古の土器は無文土器で模様が全くない土器であったそうだ。また、縄文の模様は撚り紐を転がしてつけられたと考えられているようだ。私も高校までで学んだ時の考えではこれと同じように意図的に、そして容器を作った後で模様をつけていたのだと思った。でももしかしたら、模様は意図的なものではなく、制作過程で必然的に、そして無意識的についてしまったものなのではないかと考えることも可能ではないだろうか。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-08
月次報告書8月分
ブラジルその日その日
こっちでは冬休みに入った。休みは一ヶ月程度で、日本より少し短いような感じだ。休みが終わるのが嫌いなので、それならいっそ休みなんてなくていいと休みの終わりが近づくと思う。 そんなことはさておき、ある本を読んでいて、すごいと思うことがあった。この本の内容の話をして、それがいいか悪いというような物を始めてしまうと、それは彼のなんらかの種の偏りを通して、日本を見ることになってしまうため、内容については評価しないでおこうと思う。だから、この文章では内容ではなく、彼がこの本を書くために用いたであろう技術について焦点を当てる。(しかし、その技術ももしかしたら、彼という偏り、言い換えれば、彼の特徴や彼だからできるというようなことに多分に影響されているかもしれない。) その本は「日本その日その日」というエドワード・S・モースという学者である。もしかしたらこの名前を聞いたことがあるかもしれないが、それは彼が日本で大森貝塚という貝塚を発見したことで有名だからである。彼のこの偉業は一旦横に置いて、この本は彼の日本での日記のような形式になっている。日本に着いた日から書かれ始めている。彼はまだ日本に上陸する前から、船で日本人に岸へ運んでもらっている最中から日本人という彼にとって新しいものに胸を躍らせている。西洋国家の法支配の国では考えられないような世界がそこには広がっていたんだということに関する驚きが文を通じてひしひしと伝わってくる。 彼の日記はまるでSF小説の中の架空の街についての話に思える。なぜなのか、それはおそらく、当時の日本が私にとっても馴染みのないものであることと、彼の言語による描写能力の高さに起因しているのだろう。当然その時の日本を経験したことなどないのに、彼の文を読んでいると、過去の一時代の中にタイムスリップしたような感覚になる。文章から、仮想空間が生成されるといった感じだ。きっと彼は世界を描写する時に世界を描写するということに関して、すごく真面目なのだろう。だから、私だったら、意識にすら入らずに見落としてしまうことについても、見落とさずにしっかりと描写することができるのだと思う。また、この日記の文はとても知識量が多い。彼が学者であるということもあり、調査力がすごいのだろうか。世界をよく見ているのだろう。私もこの報告書を彼の日記のように書きたいと思った。果たしてできるだろうか。観察するだけで、疲れて頭が痛くなりそうな予感がする。 この本が私にとって近いものであるように感じた一つの理由はちょうど私も異国の地にいて、それまでの慣れ親しんだ常識とは違う世界にいるという状況の近さであろう。 彼は単に語彙を多く持っているという訳ではない。文章を読んでいる人にその文から映像を想像させるのが上手いのだ。確かに語彙をたくさん持っているというのはあるだろう。しかし、それだけではない。物をよく見ているし、文から映像を想像する際にどのような情報が必要かを理解し、それを的確に文章の中に入れているのだ。だからより正確には語彙の使い方が上手いという言い方の方がいいかもしれない。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
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