満開だった桜は,毎日雨風に打たれながら絶えず成長し,真新しい緑色の葉をつけ,たんぽぽはいつの間にか綿毛となり,どこかへ飛んで行きました。 テスト期間が終わり,やっと息を吹き返しました。テストは記述式が多く,どれだけ正確に授業内容を全て頭の中に詰め込めるかが鍵となるテストが多かったです。また相対評価なので,良くない表現で言えば,周りが出来なければ出来ないほど,自分の評価が上がります。そのため日本で見たようなテスト勉強の助け合いはあまりなく個人戦という印象を強く受けました。ただ助け合う派も存在して,まるで何かの取引のように情報を交換していました。彼らは授業を録音し,その音声を文字起こしさせ,それをAIに分析させ予測問題と回答を作らせていました。教授の方針で,需要なことはアップロードされる資料には書かず,口頭で授業に参加している学生にだけ教えるという場合もあるので,テスト勉強中にはこの授業録音がためになるときもあるようです。ただこのような情報を得るためには,自分も何かプラスになる情報を提供するか,ご飯を奢ったりしているようでした。私は何も渡せるものがなかったので,あまり輪の中に入っていけなかったのですが,テスト前夜に,ひとりの韓国人のオンニが,「韓国はこういう形式で,問題はこういうのが出て,回答はこんな風に書けば良くて」と手取り足取り教えてくれました。昨年度ここに留学に来ていた同級生の方にも同じように助けていただきました。本当に感謝しています。 テストが終わると、MTに出かける学生も多く,留学生はエバーランドへの遠足が先着中で募集されていました。私は,ひとりでいるのが好きなのと,アトラクションがちょっと怖そうだったので参加は見送りました。 実は、「留学生活どうですか?」という質問をたくさんの方からいただくのですか、時間がなかったりして、しっかりと考えて答えを出すことができていなかったので、ここで少し振り返ってみたいと思います。私は大学に入学してから漢陽大学に留学することが夢で、そこで学びたいことがあって、2年次の夏に交換留学生選抜試験を受けましたが、落ちました。その後、僅かな希望に賭けて漢陽大の教育院に連絡をしてみたりしましたが、当然失敗に終わりました。ただ、諦めることができず、あと1年間やれるところまでやってやるととにかく全力で生きました。一年後、もしかしたら、また夢で終わるのかもしれないと思いながらも試験に再挑戦し、やっとやっと、最後の最後に、自分の手に入ってきた漢陽大への切符でした。 ただ、第一希望のキャンパスではなく、私が学びたいと思っていた専攻も、このキャンパスでは交換留学生は受け入れていないと、また絶望へと戻ることになりました。ただ時間は止まることなく流れていくので、留学の準備をして、最後に部屋を掃除し、自分の体重くらいあるスーツケースを持って、飛行機に乗り、自分が今まで頑張ってきたことは何だったのか、自分は何のために留学をするのか、真っ暗な外の景色を眺めながら私は留学生活のスタートを切りました。到着してからも、やる事は山積みで、書類の準備や保健所の予約、洗剤など重いものの買い出しなど、毎朝体を起こすだけで鼻血が出たりと、身体的にも、精神的にも最悪の状態でした。ただ、人という生き物は、私が思っていたよりもずっと強い生き物だったようで、同じように到着した留学生同士助け合って、たくさん涙を流しながら、気づいたらこの土地に適応し、それぞれの道の上に立てていました。ここからやっと光がさしてきました。気づいたら私は専攻長室のドアをノックし、タバコを吸っている大柄な男性を前に、「私もここで学びたいです」と直談判していました。「わかった」という言葉を貰い、また別の先生に引き継がれ、「何の実力もないあなたの存在は他の学生の害になる」と言われながらも物怖じしない態度を貫いていたせいか、「約束はできないけど、聴講という形なら受けいれてくれる先生がいるかも」と許可が降りました。その後、受け入れてくださる授業が見つかったのですが、決まっていた授業との時間が合わず、後期に見送ることとなりました。他の授業を一生懸命聞いて、後期まで頑張ろうとしていたところに、休む間もなく、また難題が押し寄せてきました。就活です。4年次ということもあり、気持ちが焦る中で、大手は面接の日程調節が出来なかったので、融通のきく子会社を探したり、一方で、これは本当に自分のやりたいことなのかと、心は疲弊していきました。ある日、就活中であることを伝えていた教授に「あなたは何がしたいの」と聞かれました。正直に自分の夢を伝えました。ただ、現実的ではないことと、ビザの関係もあり難しいと伝えると、「大きな会社じゃなくても小さい会社を見つけてそこで経験を積めばいいじゃない」と言葉をいただいたのですが、「日本ではその小さい会社を探すのが難しい」と伝えると、教授は私の次の言葉を待っているようでした。そこで、「もしかして教授が今までお仕事されたところの中で、私が経験を積めるようなところはないですか」と聞いてみると、「何でも一生懸命やるんでしょ?」と聞かれたので大きく頷くと教授がどこかに電話をかけ始め、履歴書と自己紹介書をデータで送るように言われました。まだ結果の連絡はもらっていませんが、どんな結果であろうと、意味のある一歩になったと思います。 思い描いていたことが、一つも現実にならず、何度も絶望して、何度も立ち上がりました。しかしどんな時も一生懸命に生きていると、目の前にはいつもチャンスが現れました。そのチャンスを掴むためには多少の勇気と強さが必要ですが、留学という荒波の上に乗れているからか、勇気も強さも、今は充分にあるような気がします。ここに来て、いろんな人のいろんな優しさに触れて、生きることが楽しくなりました。 ルームメイトと寝る前にこんな話をしました。「私たちは今自分たちの夢が叶って、夢の中を生きているんだよね?だけど現実は優しくなくて、夢の最中だってことを私たちは忘れてる。だけど私たちせっかく夢の中を生きているんだもん、毎日笑って過ごそう」と彼女と話しました。 生きることは簡単なことではないですが、楽しめている自分、頑張っている自分を誇りに思います。こんな風に自信を持てたのも留学という経験があったからでした。来週も一生懸命に生きていきます。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 400,000 | 41,400円 |
水道光熱費 | 0 | 0円 |
学費・教材費 | 0 | 0円 |
交通費 | 0 | 0円 |
通信費 | 60,000 | 6,210円 |
食費・その他 | 500,000 | 51,750円 |
合計 | 960,000 | 99,360円 |