学生13164の報告書一覧
プロフィール
学科
アジア言語学科
学年
4年
専攻
韓国語専攻
留学期間
2025-03-01 ~ 2025-12-31
留学種別
交換
1~4件目 / 4件中
2025-06
月次報告書6月分
6月
雪の中で始まった留学生活をやり遂げた学生たちは、太陽の日差しに照らされながら、ひとり、ふたり、と誇らしげに帰路につきました。 成績に大きく関わる期末試験がありました。今まで学んできたことを詰め込んだプレゼンテーション、一学期間の集大成とも言える発表をするようにほとんどのクラスで指示がありました。私はプレゼンテーションを行うときには、内容を理解して自分の言葉で話すこと、独りよがりな発表ではなく、クラス全員を巻き込むこと、自分の意見を加えること、そして、発表の後に誰かが何かを考えるきっかけになるように、構成や話し方に工夫をするようにしていました。特に心に残っている発表は、日韓美意識比較の授業で、日本の工芸技術である「金継ぎ」を取り上げ、38度線の関連作品を紹介しながら、自分が持つ平和への想いと、これからの日韓関係への願いを話したことです。その際、韓国で日本学科の学生が日本を一生懸命学んでいることと同じ様に、日本でも韓国語専攻の学生が毎日一生懸命に韓国を学んでいるということを伝えました。そして、「日本と韓国の間にはいつも傷があるようにみえるが、その傷が金継ぎのように綺麗に埋められたらいいと思う」「しかし、その傷を継なげていくのは金継ぎの職人たちではなく、お互いのことを一生懸命に学んでいる、日本学科と韓国語専攻の私たち。」と自分の意見を伝えました。最後に、日本を真剣に学んでくださっている学生の皆さんと、そんな学生を情熱いっぱいに指導してくださっている先生に、お礼の言葉も伝えました。たくさんの拍手をもらって、友人たちからは「泣きそうだった、感動した」という優しいコメントを貰い、発表を通して自分を知ってもらえたことで、今まで話したことのなかった学生からも、声をかけてもらえたり、先生との距離も近くなりました。最後の日には、先生から「会えてよかった」という言葉とハグを貰ったのですが、友人たちが周りにいなかったら大泣きしていたと思います。授業内容を理解できない不安と寂しさの中で始まったクラスを、最後は拍手に包まれて終えることができたのが、嬉しかったです。そして成績もすべてのクラスで上位圏に入れました。いくつかのクラスでは最高評価のA +をもらうこともでき、気持ちよくゴールテープを切れました。 さらに嬉しかったことは、友人たちが「あなたにいろいろなものを見せたい」とソウルに遊びに連れていってくれたこと、空港までキャリーケースを持って一人で移動するという私に「私が一緒に行くよ」と声をかけてくれた友人たちがいてくれたこと、飛行機が深夜発のため友人たちの戻りの電車がない為、「来なくて大丈夫だよ、ありがとう」という私に、それなら少しでも苦労して欲しくないからと、地下鉄と違い、乗り換えのない高速バスのチケットを取ってくれたオンニ、手紙を渡したら次の日にはもっと可愛いカードに日本語でいっぱいメッセージを書いて渡してくれる友人たちがいること、本当に嬉しくて、幸せで、感謝でいっぱいで、彼女たちの姿を見てたくさんのことを学びました。 そして、どんな時も一番近くで支え合ったルームメイトにも感謝でいっぱいです。彼女はすべてのクラスでA +を貰いました。彼女からその知らせを聞いた時は、テストの後に泣いていた彼女の姿や遅くまで課題を仕上げていた彼女の後ろ姿も、彼女が努力した姿をたくさん思い出して、本当に嬉しくて、部屋のドアを開けた後、”Where is my A+ girl!!!”と叫んでいっぱいハグしました。その後は、二人でマットレスを床に下ろして、布団を隣り合わせにして、彼女の好きなホラー映画を観ました。気付けば朝の4時で、その日は出国の日だったので、彼女が私のいない間、不便の無いように部屋と浴室の掃除をして、彼女に荷物を持つのを手伝って貰いながらバスターミナルに向かいました。たくさんの友人からの優しさで無事に帰国した後、荷解きをしていると、リュックに見覚えのない手紙が入っているのを見つけました。普段シャイな彼女がこっそりリュックに入れておいてくれたみたいです。彼女と過ごせるのはあと1ヶ月程しかありません。しかし、彼女が世界のどんな場所にいようと私は必ずまた彼女を探しにいくと思います。私たちは遠く離れた場所で、それぞれの人生を一生懸命に生きていたところ、ある日夢が叶い、あの小さくて汚れた部屋で出会うことになりました。これから、私たちはあの部屋を出て、それぞれの人生を休むことなく、また、一生懸命に歩いていくと思います。そうして過ごしているうちに、ほんの少しだけ遠い未来で、また私たちは出会えると思います。 人生の中で最も幸せな4ヶ月間でした。自分らしさや、夢も見つけて、尊敬する友人たちの背中を追いかけながら、険しい道も走り抜けました。これからも努力して、上手くいかなくても、また立ち上がります。助けてくださったすべての方に感謝し、たくさんの方々から貰った優しさを、自分が出会う人たちに必ず繋げていきます。ありがとうございました。
アジア言語学科 4年 交換
2025-05
月次報告書5月分
5月
あっという間に夏の太陽が昇ってきました。日が暮れればとても過ごしやすい天気が続いています。 暑さに負けず、充実した1ヶ月を過ごしました。好きなアイドルグループのイベントに、友人たちとのカラオケ、オンラインコンサート、学祭と楽しいことが続きました。そして、これらのイベントは友人たちのおかげで楽しむことができたと感じています。 韓国に来てからは、日本で一人で問題なくこなせていたことが、人に頼らないとできなくなりました。電車やバスの乗り換えのような小さなことや、人が多くいるところではアナウンスが聞き取れなかったり、病院や郵便局、銀行などもまだ慣れません。日本にいたときは、文字を読んで理解ができて、言葉が聞き取れて、人と簡単に会話をすることができました。韓国に来てからは、授業中も、友人といる時も、学校の外にいるときも、すべての情報がぼやけた状態で頭に入ってきます。そのせいか、足を運んでみたい場所があっても、部屋に一人でいることを選ぶようになっていました。そんな時に、友人が「オンニ、このイベント行きたいんでしょ!せっかく韓国まで来たんだから一緒に行こうよ!」と友人自身は興味関心もない場所なのに声をかけてくれました。ありがたいことに、さらに4人の友人が一緒に来てくれることとなり、5人の大切な人たちに囲まれて、幸せな時間を過ごせました。他に、5時間一緒に待機列に並んでくれたルームメイトや、翻訳機を使いながら全部日本語で手紙を書いて、プレゼントまで用意してくれたオンニ、いつも不安ばかりの私をみて「全部大丈夫、やればなんでもできる」と言葉をプレゼントしてくれたネイルショップのオンニといった、自分にはもったいないほど、美しい人たちが周りにいてくれたおかげで、たくさんの優しさを学べました。 留学に来て、今までの人生の中で、一番笑顔で過ごしているような気もしますが、「辛い」という自分の感情も認めてあげないといけないなと感じることも多かったです。私は、日本学科に在籍していますが、そこに存在する日本人としての責任を重く感じることがあります。学生の日本に関する発表を聞きながら、それが事実と違えば、質問をしなくてはいけないし、その質問に上手く答えられなかった学生が泣き出すこともありました。自分一人の言動や行動のせいで、ここにいる日本を一生懸命学んでくれている学生たちが日本を嫌いになってしまうのではないか、怖かったです。発表者の中には、私が質問をした時に、「あなたの話している韓国語が理解できない」と無視とも取れる態度を見せる学生もいました。先生が私の伝えたいことを伝えようとしてくれましたが、上手く行きませんでした。先生も外国人留学生を受け入れて授業を行うのが大変だとおっしゃっていて、申し訳なかったです。そうこうしているうちに、熱を出して初めて「辛かった」という気持ちに気付くことができました。体調を崩したことで、外国で病院を探して受診するという経験もできたので、またほんの少しだけ成長できたように思います。参考までに、エリカキャンパスの周辺には、保険会社の提携病院は見つけられませんでした。そのため、カカオマップで現在地から近い病院を検索し、レビューと診療時間を確認した後、念のため「外国人なのですが診て頂けますか」と電話をかけておくことをお勧めします。病院に到着してからは、韓国の健康保険には加入していないということと、日本の保険会社へ提出するための書類を作成して欲しいということを伝えれば大丈夫です。 ルームメイトとコンビニまで歩いていたら空を飛ぶ飛行機とそれに続く綺麗な飛行機雲が見えました。到着した日を思い出し、ここで出会った人たちと別れる日が迫ってくるのを感じ、時間の流れの速さに寂しくなりました。一日一日を精一杯生きているからなのか、暖かい人たちのおかげで、ずっと笑いながら過ごしているからなのか、時間が流れていくのがとても早いです。人から与えて貰った以上に返せる人間になれるよう頑張っていきたいです。
アジア言語学科 4年 交換
2025-04
月次報告書4月分
4月
満開だった桜は,毎日雨風に打たれながら絶えず成長し,真新しい緑色の葉をつけ,たんぽぽはいつの間にか綿毛となり,どこかへ飛んで行きました。 テスト期間が終わり,やっと息を吹き返しました。テストは記述式が多く,どれだけ正確に授業内容を全て頭の中に詰め込めるかが鍵となるテストが多かったです。また相対評価なので,良くない表現で言えば,周りが出来なければ出来ないほど,自分の評価が上がります。そのため日本で見たようなテスト勉強の助け合いはあまりなく個人戦という印象を強く受けました。ただ助け合う派も存在して,まるで何かの取引のように情報を交換していました。彼らは授業を録音し,その音声を文字起こしさせ,それをAIに分析させ予測問題と回答を作らせていました。教授の方針で,需要なことはアップロードされる資料には書かず,口頭で授業に参加している学生にだけ教えるという場合もあるので,テスト勉強中にはこの授業録音がためになるときもあるようです。ただこのような情報を得るためには,自分も何かプラスになる情報を提供するか,ご飯を奢ったりしているようでした。私は何も渡せるものがなかったので,あまり輪の中に入っていけなかったのですが,テスト前夜に,ひとりの韓国人のオンニが,「韓国はこういう形式で,問題はこういうのが出て,回答はこんな風に書けば良くて」と手取り足取り教えてくれました。昨年度ここに留学に来ていた同級生の方にも同じように助けていただきました。本当に感謝しています。 テストが終わると、MTに出かける学生も多く,留学生はエバーランドへの遠足が先着中で募集されていました。私は,ひとりでいるのが好きなのと,アトラクションがちょっと怖そうだったので参加は見送りました。 実は、「留学生活どうですか?」という質問をたくさんの方からいただくのですか、時間がなかったりして、しっかりと考えて答えを出すことができていなかったので、ここで少し振り返ってみたいと思います。私は大学に入学してから漢陽大学に留学することが夢で、そこで学びたいことがあって、2年次の夏に交換留学生選抜試験を受けましたが、落ちました。その後、僅かな希望に賭けて漢陽大の教育院に連絡をしてみたりしましたが、当然失敗に終わりました。ただ、諦めることができず、あと1年間やれるところまでやってやるととにかく全力で生きました。一年後、もしかしたら、また夢で終わるのかもしれないと思いながらも試験に再挑戦し、やっとやっと、最後の最後に、自分の手に入ってきた漢陽大への切符でした。 ただ、第一希望のキャンパスではなく、私が学びたいと思っていた専攻も、このキャンパスでは交換留学生は受け入れていないと、また絶望へと戻ることになりました。ただ時間は止まることなく流れていくので、留学の準備をして、最後に部屋を掃除し、自分の体重くらいあるスーツケースを持って、飛行機に乗り、自分が今まで頑張ってきたことは何だったのか、自分は何のために留学をするのか、真っ暗な外の景色を眺めながら私は留学生活のスタートを切りました。到着してからも、やる事は山積みで、書類の準備や保健所の予約、洗剤など重いものの買い出しなど、毎朝体を起こすだけで鼻血が出たりと、身体的にも、精神的にも最悪の状態でした。ただ、人という生き物は、私が思っていたよりもずっと強い生き物だったようで、同じように到着した留学生同士助け合って、たくさん涙を流しながら、気づいたらこの土地に適応し、それぞれの道の上に立てていました。ここからやっと光がさしてきました。気づいたら私は専攻長室のドアをノックし、タバコを吸っている大柄な男性を前に、「私もここで学びたいです」と直談判していました。「わかった」という言葉を貰い、また別の先生に引き継がれ、「何の実力もないあなたの存在は他の学生の害になる」と言われながらも物怖じしない態度を貫いていたせいか、「約束はできないけど、聴講という形なら受けいれてくれる先生がいるかも」と許可が降りました。その後、受け入れてくださる授業が見つかったのですが、決まっていた授業との時間が合わず、後期に見送ることとなりました。他の授業を一生懸命聞いて、後期まで頑張ろうとしていたところに、休む間もなく、また難題が押し寄せてきました。就活です。4年次ということもあり、気持ちが焦る中で、大手は面接の日程調節が出来なかったので、融通のきく子会社を探したり、一方で、これは本当に自分のやりたいことなのかと、心は疲弊していきました。ある日、就活中であることを伝えていた教授に「あなたは何がしたいの」と聞かれました。正直に自分の夢を伝えました。ただ、現実的ではないことと、ビザの関係もあり難しいと伝えると、「大きな会社じゃなくても小さい会社を見つけてそこで経験を積めばいいじゃない」と言葉をいただいたのですが、「日本ではその小さい会社を探すのが難しい」と伝えると、教授は私の次の言葉を待っているようでした。そこで、「もしかして教授が今までお仕事されたところの中で、私が経験を積めるようなところはないですか」と聞いてみると、「何でも一生懸命やるんでしょ?」と聞かれたので大きく頷くと教授がどこかに電話をかけ始め、履歴書と自己紹介書をデータで送るように言われました。まだ結果の連絡はもらっていませんが、どんな結果であろうと、意味のある一歩になったと思います。 思い描いていたことが、一つも現実にならず、何度も絶望して、何度も立ち上がりました。しかしどんな時も一生懸命に生きていると、目の前にはいつもチャンスが現れました。そのチャンスを掴むためには多少の勇気と強さが必要ですが、留学という荒波の上に乗れているからか、勇気も強さも、今は充分にあるような気がします。ここに来て、いろんな人のいろんな優しさに触れて、生きることが楽しくなりました。 ルームメイトと寝る前にこんな話をしました。「私たちは今自分たちの夢が叶って、夢の中を生きているんだよね?だけど現実は優しくなくて、夢の最中だってことを私たちは忘れてる。だけど私たちせっかく夢の中を生きているんだもん、毎日笑って過ごそう」と彼女と話しました。 生きることは簡単なことではないですが、楽しめている自分、頑張っている自分を誇りに思います。こんな風に自信を持てたのも留学という経験があったからでした。来週も一生懸命に生きていきます。
アジア言語学科 4年 交換
2025-03
月次報告書3月分
3月
指先がしびれるような寒さは落ち着き、たまに雪が降りながらも、道端に小花が咲く季節になりました。 滞在先の寮は過ごしやすく、マートまでは徒歩で移動でき、最寄り駅まではシャトルバスが出ていたりと生活しやすい環境です。郵便局、コンビニ、飲食店なども備わり、図書館は24時間解放されていてとても便利です。 生活面では、学校終わりには友人たちとカフェに行ったり、ご飯を食べに行ったりして過ごしています。日本に対する疑問や日本人の文化や価値観が韓国人の彼女たちにはどう見えているのか話すことのできる貴重な時間です。私自身も韓国の文化に戸惑ったときに彼女たちの説明を聞いて助けられたことが何度もあります。そのうちのひとつが"強く言われたら強く言い返す"という文化です。日本人の視点で見れば"喧嘩"や"言い合い"にも見えますが、実際はただの会話のパターンに過ぎないそうです。教員と学生の間のやり取りでもこの文化がよく見られます。私自身もやや強い言葉を教員から受けたので、授業後に「授業中に先生がおっしゃったことを考えてみたのですが理解ができません。どういうことですか。」と質問をするようになりました。その先生とは数分言い合った末、一緒にお昼ご飯を食べに行きました。これも韓国の文化なのだと驚きの毎日です。 また、特に印象深かった講義は日本の地域と文化という講義です。私は韓服をきた自分の写真をプロフィールに設定しているのですが、写真を見た担当教員の方から「それ何で着てるの?笑」と笑われました。その後の講義でも、広島の説明をするときに「世界でただひとつ原爆落とされた場所ですね笑」、福島の説明でも「地震があってから原発動いてないんですよ笑」、阪神淡路大震災の死者数が東日本大震災の死者数と比べて少ないのをみて「あんまり死んでないですね笑」と発言がありました。たまたまこの発言があった日は3月11日の翌日でした。どんなに少ない数字であったとしても、その数字ひとつひとつが命なのにと心が押し潰される思いでした。救いになってくれたのは、一緒に講義を聞いている韓国人の学生たちの態度です。教員の説明につられて笑う人は一人もいませんでした。「今日の授業、オンニ不便だったよね?大丈夫?」と声をかけてくれた友人たちのおかげで、継続して講義に参加出来ています。 (上記の文章は、留学を目指す後輩たちのために、心の傷の予防接種のようなものになってくれればいいなという思いで書きました。そのためあえて強い言葉をそのまま残しましたが,ちょっとした衝撃をこの文章から事前に受けておくことで、皆さんがいつか上記のような発言を受け取った時に,「そういえば先輩もこんなことあったって言ってたな」「よくあることなんだな」と捉え,大きく傷つかないでいてくれたらいいなという想いがあります。また、個々の意見は国籍によって一様ではなく、一人の韓国人の考えがすべての韓国人の考えを代表するわけではないということを、読んでくださった方々に感じ取っていただければ嬉しいです。) 留学生活で講義の他にとても楽しんでいることがルームメイトとの生活です。ルームメイトの母国語はスペイン語で、二人で会話をするときには英語で話します。メキシコの家族ぐるみで仲良くなる文化の影響で彼女の家族とも電話越しに話したり、とても親しく過ごしています。彼女の友人のメキシコ人3人に囲まれて一緒に買い物に行ったり、スペイン語を教えて貰ったりと楽しんでいます。また、辛いときにひとりにならない、なれないというのもルームメイトがいる利点だと思います。部屋で泣いていたときに「なんで泣いてるのよ!!」「指怪我したの」「あなたはそんなことで泣かない、本当のこと早く言って!!」と無理にでも笑顔になれるようにしてくれたり、自分も彼女にとって同じくらい力になれているのかと不安になるほど優しくして貰っています。一緒にいられる時間は限られていますが、一緒懸命恩を返していきたいです。 来月は中間試験の準備に忙しくなりそうです。友人たちと力をあわせて乗り切ります。
アジア言語学科 4年 交換
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