友人、先生、家族との再会。ポルトガル語でのスピーチ。新学期スタート。日本に帰って行く人たちをたくさん見ても寂しさをそこまで感じなかったのは、すでにサンパウロでの生活に慣れたからなのか。半年を過ぎ、終わりが近づいているからなのか。 気候 8月は冬のピークかと思っていましたが、サンパウロは日中半袖、上着があれば夜も乗り切れるといったような感じでした。季節的に冬だから毎日寒いというより、日によって暑い日と寒い日で大きく変わります。服装選びは天気予報を何個か駆使しますが、大体失敗します。雨も時々降るので一応折りたたみ傘を持ち歩くときもありますが、傘をさしているブラジル人はほとんど見かけません。折りたたみではない普通の傘を持ち歩いている人は見たことがないです。 週末 父と弟が日本から来ていたため、サンパウロ市内を観光したり、パラナ州へ行ったり。弟にとっては見るものすべてが新鮮のようで、様々なことに驚いていました。私も来たばかりのころは感じていたはずの驚きを久しぶりに思い出しました。 8月半ばには、知り合いの方からお声がけいただき、ポルトガル語でスピーチをする機会がありました。もともと文章を書くのが得意ではないので報告書もこんな感じですが、3カ月ほど前から内容を考え、最終的にはたくさんの人の前で緊張しながらも終えることができ、自分の力を試す良い機会になったと思います。 交通 今までも何度かバスについて書いてきましたが、今回もバスについて。父と弟、姉と一緒に隣の州へ。サンパウロへの帰りの夜行バス、後5分で到着というところで停止しました。「皆さん、身分証を見せてください」と乗り込んできたのは警察官。一人ひとり身分証を確認し、どこから来たのか、何をしていたのかを質問していきます。特に多かったのは、パラグアイに行った人たちに、何目的だったのかという質問でした。その後、荷物チェックのために警察官に呼ばれた数人がバスから降りていきました。預けていた荷物の持ち主を探すために荷物の番号が呼ばれ、その番号の控えは私の手元に。父がバスを降り、私のスーツケースを開いて警察官とチェック。万が一何かあったらとかなり不安でした。(勝手に人の荷物に入れて密輸するという話も聞いたことがあるので。)幸い、私の荷物からは何も怪しいものは見つからず、父は車内に戻りました。バスが停止してから2時間が経ち、捜査も終わったらしく降ろされていた乗客達も戻ってきました。警察官が「ご協力ありがとうございました。」と言いながら見せた手のひらサイズの黒い塊には葉っぱのマーク。私の後ろに座っていた10代後半の子はバスから降ろされてそのまま戻りませんでした。ブラジルでは、このように警察が来るBatidaというのは珍しくないそうですが、初めてだったのでかなり動揺しましたし、身内が連れて行かれると不安が増します。そういう物が身近にあるというのも、かなり恐怖です。 食べ物 サンパウロでは日本祭りを含め、様々なイベントが行われます。ブラジル人向け?にアレンジされた日本食も多いです。寿司、手巻き、丸ごと揚げられた手巻き、イチゴとクリームチーズの寿司。すき家もありますが、メニューには普通の牛丼に加えてカレー、ラーメン、ベジタリアンメニューも。他にもフードコートなどによくある日本食のお店などは焼きそばを売っているところが多め。私が日本人だからそう思われているのか、ただただ食器不足なのかわかりませんが、カレーを頼んでもかなりの確率で箸を渡されます。 買い物 これは、留学に行く際に参考になればなという感じです。かなり考えて、周りのブラジル経験者にも聞いて用意したはずでしたが、暮らしていくと不足はでてきます。例えば私の場合は洗濯ネット。こちらでも買えるのですが、値段を見ると日本の百均で買えばよかったとなります。私の知る限り、サンパウロとリオデジャネイロにはDAISOがあります。値段は100でもなければ均一でもないですが、大体探しているものには出会えます。私はiPhoneの充電器を探したのですが、もう全てタイプCの時代になっていました。薬や化粧水など、日本から持っていくものは想像よりも多めに持った方がいいです。が、シャンプーやクレンジングは現地調達が良いと思います。水と合わなくて使えませんでした。他にもあるはずなのですが、書き出してみると思い出せないのでまた今度。
内訳 | 費用(現地通貨) | 日本円換算 |
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家賃 | 0 | 0円 |
水道光熱費 | 0 | 0円 |
学費・教材費 | 0 | 0円 |
交通費 | 150 | 4,148円 |
通信費 | 64 | 1,770円 |
食費・その他 | 1,000 | 27,655円 |
合計 | 1,214 | 33,573円 |