報告書一覧
地域
留学先大学
留学種別
1~2件目 / 2件中
2025-04
月次報告書4月分
4月
満開だった桜は,毎日雨風に打たれながら絶えず成長し,真新しい緑色の葉をつけ,たんぽぽはいつの間にか綿毛となり,どこかへ飛んで行きました。 テスト期間が終わり,やっと息を吹き返しました。テストは記述式が多く,どれだけ正確に授業内容を全て頭の中に詰め込めるかが鍵となるテストが多かったです。また相対評価なので,良くない表現で言えば,周りが出来なければ出来ないほど,自分の評価が上がります。そのため日本で見たようなテスト勉強の助け合いはあまりなく個人戦という印象を強く受けました。ただ助け合う派も存在して,まるで何かの取引のように情報を交換していました。彼らは授業を録音し,その音声を文字起こしさせ,それをAIに分析させ予測問題と回答を作らせていました。教授の方針で,需要なことはアップロードされる資料には書かず,口頭で授業に参加している学生にだけ教えるという場合もあるので,テスト勉強中にはこの授業録音がためになるときもあるようです。ただこのような情報を得るためには,自分も何かプラスになる情報を提供するか,ご飯を奢ったりしているようでした。私は何も渡せるものがなかったので,あまり輪の中に入っていけなかったのですが,テスト前夜に,ひとりの韓国人のオンニが,「韓国はこういう形式で,問題はこういうのが出て,回答はこんな風に書けば良くて」と手取り足取り教えてくれました。昨年度ここに留学に来ていた同級生の方にも同じように助けていただきました。本当に感謝しています。 テストが終わると、MTに出かける学生も多く,留学生はエバーランドへの遠足が先着中で募集されていました。私は,ひとりでいるのが好きなのと,アトラクションがちょっと怖そうだったので参加は見送りました。 実は、「留学生活どうですか?」という質問をたくさんの方からいただくのですか、時間がなかったりして、しっかりと考えて答えを出すことができていなかったので、ここで少し振り返ってみたいと思います。私は大学に入学してから漢陽大学に留学することが夢で、そこで学びたいことがあって、2年次の夏に交換留学生選抜試験を受けましたが、落ちました。その後、僅かな希望に賭けて漢陽大の教育院に連絡をしてみたりしましたが、当然失敗に終わりました。ただ、諦めることができず、あと1年間やれるところまでやってやるととにかく全力で生きました。一年後、もしかしたら、また夢で終わるのかもしれないと思いながらも試験に再挑戦し、やっとやっと、最後の最後に、自分の手に入ってきた漢陽大への切符でした。 ただ、第一希望のキャンパスではなく、私が学びたいと思っていた専攻も、このキャンパスでは交換留学生は受け入れていないと、また絶望へと戻ることになりました。ただ時間は止まることなく流れていくので、留学の準備をして、最後に部屋を掃除し、自分の体重くらいあるスーツケースを持って、飛行機に乗り、自分が今まで頑張ってきたことは何だったのか、自分は何のために留学をするのか、真っ暗な外の景色を眺めながら私は留学生活のスタートを切りました。到着してからも、やる事は山積みで、書類の準備や保健所の予約、洗剤など重いものの買い出しなど、毎朝体を起こすだけで鼻血が出たりと、身体的にも、精神的にも最悪の状態でした。ただ、人という生き物は、私が思っていたよりもずっと強い生き物だったようで、同じように到着した留学生同士助け合って、たくさん涙を流しながら、気づいたらこの土地に適応し、それぞれの道の上に立てていました。ここからやっと光がさしてきました。気づいたら私は専攻長室のドアをノックし、タバコを吸っている大柄な男性を前に、「私もここで学びたいです」と直談判していました。「わかった」という言葉を貰い、また別の先生に引き継がれ、「何の実力もないあなたの存在は他の学生の害になる」と言われながらも物怖じしない態度を貫いていたせいか、「約束はできないけど、聴講という形なら受けいれてくれる先生がいるかも」と許可が降りました。その後、受け入れてくださる授業が見つかったのですが、決まっていた授業との時間が合わず、後期に見送ることとなりました。他の授業を一生懸命聞いて、後期まで頑張ろうとしていたところに、休む間もなく、また難題が押し寄せてきました。就活です。4年次ということもあり、気持ちが焦る中で、大手は面接の日程調節が出来なかったので、融通のきく子会社を探したり、一方で、これは本当に自分のやりたいことなのかと、心は疲弊していきました。ある日、就活中であることを伝えていた教授に「あなたは何がしたいの」と聞かれました。正直に自分の夢を伝えました。ただ、現実的ではないことと、ビザの関係もあり難しいと伝えると、「大きな会社じゃなくても小さい会社を見つけてそこで経験を積めばいいじゃない」と言葉をいただいたのですが、「日本ではその小さい会社を探すのが難しい」と伝えると、教授は私の次の言葉を待っているようでした。そこで、「もしかして教授が今までお仕事されたところの中で、私が経験を積めるようなところはないですか」と聞いてみると、「何でも一生懸命やるんでしょ?」と聞かれたので大きく頷くと教授がどこかに電話をかけ始め、履歴書と自己紹介書をデータで送るように言われました。まだ結果の連絡はもらっていませんが、どんな結果であろうと、意味のある一歩になったと思います。 思い描いていたことが、一つも現実にならず、何度も絶望して、何度も立ち上がりました。しかしどんな時も一生懸命に生きていると、目の前にはいつもチャンスが現れました。そのチャンスを掴むためには多少の勇気と強さが必要ですが、留学という荒波の上に乗れているからか、勇気も強さも、今は充分にあるような気がします。ここに来て、いろんな人のいろんな優しさに触れて、生きることが楽しくなりました。 ルームメイトと寝る前にこんな話をしました。「私たちは今自分たちの夢が叶って、夢の中を生きているんだよね?だけど現実は優しくなくて、夢の最中だってことを私たちは忘れてる。だけど私たちせっかく夢の中を生きているんだもん、毎日笑って過ごそう」と彼女と話しました。 生きることは簡単なことではないですが、楽しめている自分、頑張っている自分を誇りに思います。こんな風に自信を持てたのも留学という経験があったからでした。来週も一生懸命に生きていきます。
アジア言語学科 4年 交換
2025-03
月次報告書3月分
3月
指先がしびれるような寒さは落ち着き、たまに雪が降りながらも、道端に小花が咲く季節になりました。 滞在先の寮は過ごしやすく、マートまでは徒歩で移動でき、最寄り駅まではシャトルバスが出ていたりと生活しやすい環境です。郵便局、コンビニ、飲食店なども備わり、図書館は24時間解放されていてとても便利です。 生活面では、学校終わりには友人たちとカフェに行ったり、ご飯を食べに行ったりして過ごしています。日本に対する疑問や日本人の文化や価値観が韓国人の彼女たちにはどう見えているのか話すことのできる貴重な時間です。私自身も韓国の文化に戸惑ったときに彼女たちの説明を聞いて助けられたことが何度もあります。そのうちのひとつが"強く言われたら強く言い返す"という文化です。日本人の視点で見れば"喧嘩"や"言い合い"にも見えますが、実際はただの会話のパターンに過ぎないそうです。教員と学生の間のやり取りでもこの文化がよく見られます。私自身もやや強い言葉を教員から受けたので、授業後に「授業中に先生がおっしゃったことを考えてみたのですが理解ができません。どういうことですか。」と質問をするようになりました。その先生とは数分言い合った末、一緒にお昼ご飯を食べに行きました。これも韓国の文化なのだと驚きの毎日です。 また、特に印象深かった講義は日本の地域と文化という講義です。私は韓服をきた自分の写真をプロフィールに設定しているのですが、写真を見た担当教員の方から「それ何で着てるの?笑」と笑われました。その後の講義でも、広島の説明をするときに「世界でただひとつ原爆落とされた場所ですね笑」、福島の説明でも「地震があってから原発動いてないんですよ笑」、阪神淡路大震災の死者数が東日本大震災の死者数と比べて少ないのをみて「あんまり死んでないですね笑」と発言がありました。たまたまこの発言があった日は3月11日の翌日でした。どんなに少ない数字であったとしても、その数字ひとつひとつが命なのにと心が押し潰される思いでした。救いになってくれたのは、一緒に講義を聞いている韓国人の学生たちの態度です。教員の説明につられて笑う人は一人もいませんでした。「今日の授業、オンニ不便だったよね?大丈夫?」と声をかけてくれた友人たちのおかげで、継続して講義に参加出来ています。 (上記の文章は、留学を目指す後輩たちのために、心の傷の予防接種のようなものになってくれればいいなという思いで書きました。そのためあえて強い言葉をそのまま残しましたが,ちょっとした衝撃をこの文章から事前に受けておくことで、皆さんがいつか上記のような発言を受け取った時に,「そういえば先輩もこんなことあったって言ってたな」「よくあることなんだな」と捉え,大きく傷つかないでいてくれたらいいなという想いがあります。また、個々の意見は国籍によって一様ではなく、一人の韓国人の考えがすべての韓国人の考えを代表するわけではないということを、読んでくださった方々に感じ取っていただければ嬉しいです。) 留学生活で講義の他にとても楽しんでいることがルームメイトとの生活です。ルームメイトの母国語はスペイン語で、二人で会話をするときには英語で話します。メキシコの家族ぐるみで仲良くなる文化の影響で彼女の家族とも電話越しに話したり、とても親しく過ごしています。彼女の友人のメキシコ人3人に囲まれて一緒に買い物に行ったり、スペイン語を教えて貰ったりと楽しんでいます。また、辛いときにひとりにならない、なれないというのもルームメイトがいる利点だと思います。部屋で泣いていたときに「なんで泣いてるのよ!!」「指怪我したの」「あなたはそんなことで泣かない、本当のこと早く言って!!」と無理にでも笑顔になれるようにしてくれたり、自分も彼女にとって同じくらい力になれているのかと不安になるほど優しくして貰っています。一緒にいられる時間は限られていますが、一緒懸命恩を返していきたいです。 来月は中間試験の準備に忙しくなりそうです。友人たちと力をあわせて乗り切ります。
アジア言語学科 4年 交換
1~2件目 / 2件中