Do Bronxsの報告書一覧
プロフィール
学科
イベロアメリカ言語学科
学年
4年
専攻
ブラジル・ポルトガル語専攻
留学期間
2024-03-01 ~ 2024-07-31
留学種別
交換
1~5件目 / 5件中
2024-07
【目次】 ①滞在先 ②大学 ③アドバイス ④感想 【①滞在先】  グアルーリョス国際空港に到着してからは、KUISの同級生が迎えに来てくれた。5月ぶりのサンパウロの空気は大して美味しくなかったが、久しぶりに友人の顔が見れてうれしかった。Airbnbで一時的な滞在先を探していたのだが、会員登録をする際に私の入力したブラジルの電話番号がすでに使用されていることに気づいた。通常であれば入力した電話番号の端末にSMSが届き、そこに記載されているコードを打ち込むことで会員登録することができる。それにもかかわらず、私は自分に届くはずのない認証コードの申請を何度も繰り返したため、翌日までログイン行為がブロックされてしまった。最終的に友人のスマホから予約してもらうことができたが、ブラジリアを出発する前にしっかりアカウントにログインできるか確認して、予約を済ませておくべきだったと反省した。  Pousada(宿泊先/ゲストハウス)に無事に到着し、ようやくくつろげると肩の力を抜いたのも束の間、渡された鍵の部屋に入るとAirbnbのアプリ内で表示されていた顔写真と別人の(ようで本人だった)オーナーの女性が挨拶をしてきた。彼女は軽く自己紹介を済ませたあと、ブラジルの政治や宗教、コロナ禍で起きた出来事について語り始めた。人にもよるが、ブラジル人は基本的にその手の話題を語り始めると長いので、事前にうまく話を切り上げる方法を考えておくことを勧める。  今回宿泊した場所はあくまでオーナー(おばさん)の自宅であり、そのうち空いている部屋を私のスペースとして貸してくれるというシステムであったため、まるで二人暮らしをしているような感覚だった。正直居心地はあまり良くなかった。  一時的にPinheirosに滞在している間に、FacebookでButantãやUSP周辺の物件情報をこまめにチェックしていた。幸いにもP1近くに良い物件を見つけることができたので、内見に行きその場で契約を結んだ。現在住んでいるマンションは新築で、私と私のルームメイトがこの部屋の最初の入居者らしい。敷地内にはプールやBBQスペース、図書室、パーティールーム、シネマなど様々な設備が揃っている。家賃はブラジルのアパートにしてはかなり高いが、その分セキュリティや設備などにはとても満足している。  ブラジルで物件を探すのは日本に比べてはるかに楽である。物件掲載者にメッセージを送って内見の日程を決め、実際に足を運んで気に入ればすぐに契約することができる。 【②大学】  サンパウロ大学(メインキャンパス)は神田外語大学の約37.8倍の敷地面積を誇り、創設90年の歴史を持つ南米トップの大学である。ブラジル全土から優秀な生徒が集まり、学部生の総数は約6万人に上る。大学には校門(Portão)が3つあり、それぞれP1、P2、P3と番号が振られている。個人的にはP1周辺に住むのが留学生にとって最も利便性が高いと感じる。自宅から大学までは徒歩で約25分ほどであり、私は基本的に歩きで通っているが、友人のほとんどはバスを利用している。バスはBUSPと呼ばれる学校から支給される交通系カードを利用すれば、指定の路線を無料で利用することができる。Butantã地区は比較的治安が良く、通学路がかなり整備されているので安心して登下校することができるのが魅力だ。  学食(通称 Bandejão)は7時から8時30分、11時15分から14時15分、17時半から19時45分の時間帯で営業しており、朝食は0.5レアル(約14円)、昼食と夕食は2レアル(約57円)で食べることができる。基本的には米とフェイジョアン(豆)、レタス、肉もしくは魚、果物のシンプルなメニューである。  月終わりには大学で留学生向けオリエンテーションが行われ、後期発の日本人留学生たちと知り合うことができた。今学期の日本人留学生は前期組4人と後期組4人、そしてブラジリア大学(以下、UnB)から転学して来た私を含めて計9名である。  USPでは運動系の講座やクラブが数多く存在し、幅広いジャンルのスポーツに挑戦することができる。実際に私の友人の一人はハンドボール部に所属しており、スポーツ活動は人脈づくりにもつながると語っていた。 【③アドバイス】  サンパウロに到着してからすぐに風邪をひいてしまい、一日中寝込むほどに体調が悪化した。薬箱をブラジリアの寮に忘れてしまっていたので、泥のように重い身体とクラクラした頭で薬局に行った。帰宅後、クレジットカードを紛失したことに気が付きカードの紛失願いを申請し受理されたが、のちに椅子のクッションの間に挟まっているのを発見した。すでにカードは凍結済みであり、再び使用するためには1万円ほど払い再発行する必要があったため諦めた。7月は自己管理能力の低さを痛感した一か月だった。大したアドバイスにはならないが、日頃から健康管理に意識を向け、身の回りの物をしっかりと管理する習慣をつけると、留学先で精神的にも身体的にも余計な負担がかからずに済む。 【④感想】  先月末にUnBのストライキがついに終結したが、私はサンパウロ大学(以下、USP)への転学を決めており、今学期はUnBでは週2回のポルトガル語の授業のみしか受講していなかった。半ば長期休みのような感覚でブラジリアでの最後の生活を満喫した。留学生仲間と日本食や韓国料理のレストランに行ったり、近くの自然公園(Água Mineral)で水浴びやハイキングを楽しんだり、ブラジル人の友人とバーに飲みに行ったり、彼らのおかげで充実した時間を過ごすことができた。  サンパウロに到着してからはFacebookで大学付近(Butantã周辺)の住居を探しつつ、日中はUSPの学食や図書館に行ったり、友人たちとアニメのイベントや博物館などを訪れた。5月にサンパウロを訪れた際に知り合ったほかの日本人留学生とはすぐに打ち解けることができたため、一緒に行動することが多かった。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2024-06
月次報告書6月分
引きこもりの留学生
【目次】 ①滞在先 ②大学 ③アドバイス ④感想 【①はじめに】  あっという間に終わった。今月を一言でまとめるなら、そんなとこだろう。留学生活が始まってから早四ヶ月が経ち、特に目新しいこともなくまたひと月が過ぎ去った。六月といえば梅雨の季節だが、ブラジリアでは相変わらず一度も雨が降ることなく、生活は快適そのものだ。今月はFesta Junina(収穫祭)のほかに特筆すべきことがないため、非常に内容の薄い報告書になってしまうのが残念でならない。 【②滞在先】  今月は本当に寮から出た記憶がない。学校に行くのは週二回のみで、どこかに出かけることもなく、ほとんどの時間を自室で過ごした。思い出せることといえば、Festa Juninaに行ったことぐらいだ。一回目のFesta Juninaでは、友人と寮の近くの教会でBolo de milho、Brigadeiro、Pamonhaなどに舌鼓を打った。二回目は、寮の真横の教会で、似たようなデザートを堪能した。ここではビンゴ大会が行われていたのだが、これが思ったよりも盛り上がり、司会者が番号を口にする度に、歓喜と不満の声が飛び交っていたのが実にブラジルらしいと感じた。最後のFesta Juninaは月末に寮内で催されたものであり、最も華やかなイベントとなった。みんなでCaipira(田舎者スタイル)の服装に着替え、キャンプファイヤーを囲ってQuadrilhaを踊ったり、定番の料理を味わったり、六月を素敵な記憶とともに締めくくることができた。 【③大学】  四月中旬から約二ヶ月半もの間続いたストライキは、今月下旬にようやく終わりを迎えた。本来であれば七月までに前期が終了するはずであったが、九月まで長引くこととなった。私はすでにサンパウロ大学への転学を決めて出願書類を提出していたので、六月中に授業が終わるポルトガル語のみを継続して受講することにして、残りの三科目については履修から外すことにした。 【④アドバイス】  今月は寮に引きこもりがちだったので、メンタルが特に落ち込み気味だったと感じる。私は家族と連絡をとる習慣がなく仲の良い友人も少ないため、孤独感や疎外感を感じることが多いのだが、もし気軽に会話ができる人がいるのであれば、定期的に連絡を取って「心の底から笑える時間を作る」ことを勧める。 【⑤感想】  瑞々しい紫陽花、色とりどりの傘、街を包み込む雨のにおい、そんなものなど一つもなく過ぎ去ったブラジルでの水無月。たとえ梅雨が来なくても気分はずっとどんよりしていて、心の中はひたすら雨模様だった。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2024-05
【目次】 ①滞在先 ②大学 ③旅行 ④アドバイス ⑤感想 【①滞在先】  三月にブラジリアに到着したときは夕方になると必ず雨が降っていたのだが、五月に入ってからは快晴以外の日を知らない。洗濯物を干すタイミングを考えずに済む上に、よく乾くのでとてもありがたい。早朝に寮の同僚と近くの自然公園までランニングに行ったり、暇な時間にピアノ(電子キーボード)を弾いたり、また休日にはFestival do Japão(ブラジリア日本祭り)やJungle Fight(南米最大級の総合格闘技団体)に行ったり、ストライキ期間の楽しみ方を少しずつ覚えてきている。ずっと寮内にいると気分も落ち込んでしまうので、なるべく外出したり運動したりしてメンタルを保つように心がけている。 【②大学】  ストライキが始まってから一ヶ月が経過したが依然として状況は変わらず、ポルトガル語の授業を週二回受けるだけの留学生活を送っている。 【③旅行】  大学がストライキに入り一足早い冬休みのような日々を過ごすことになった私は、日本にいたときからずっと訪れたいと思っていたパラナ州クリチバまで旅行することに決めた。今回は長距離バスを利用したのだが、ブラジリアからサンパウロまで十七時間、サンパウロからクリチバまで七時間かかった。ブラジルの長距離バスは目的地に一時間早く着くときもあれば、二時間遅れることもあるので、到着時間はあまりあてにしないほうが良い。また、街を抜けると基本的に電波が通じなくなるので、バスの中で観たい映画は事前にインストールしておくことを勧める。座席の座り心地は想像以上に快適で、旅の始まりに疲れを溜めずに済んだ。  クリチバに到着してからは二泊三日で約100レアル(約3,000円)のリーズナブルなPousadaに宿泊した。安いだけあり、部屋は二段ベッドが四つ置いてある窮屈な八人部屋であったが、幸いにも宿泊者は私を含め三人のみであった。翌日からはPraça do Japão、Jardim Botânico、Catedral Basílica de Curitiba、Parque de Bariguiなどの観光スポットを巡り、ブラジル到着後初の旅行を満喫した。  クリチバでは夜になるとUberでタクシーが拾えなくなるので、予め99(タクシーアプリ)をインストールし決済方法などを登録しておくと役に立つ。日本のクレジットカードはブラジルのサイトやアプリではよくはじかれるので事前に確認しておくと良い。  サンパウロに戻ってからはサンパウロ大学(以下、USP)に留学中のKUISの友人と三か月ぶりに再会した。当日彼は授業があったため、半ばもぐりのような形で学校に行き授業を受けた。授業後はUSPのほかの日本人留学生たちや日本語専攻の生徒たちと知り合い、一緒に学食で昼食をとった。USPへの転学を検討している身として、実際に大学に足を運びいろいろ見て回れたことはサンパウロでの留学生活を具体的に想像するのに役立った。その晩は友人の家に泊り、翌日はLiberdadeに行きラーメンをすすった。久しぶりに質の高い日本食にありつけたことに大きな満足感を覚えつつ、次の目的地である移民資料館へと向かった。日本にいたときに授業で勉強していたことと関連付けながら鑑賞することができたので、歴史が苦手な私でも意外と楽しめた。  Rodoviária(バスターミナル)で友人に別れを告げバスに乗り込んだ瞬間、旅の疲れがどっと押し寄せた。売店で購入したパンを食べ尽くし、すっかり眠くなってしまった私は、座席を倒して早めに休むことにした。  夢の中から引きずり出されたのは深夜の三時四十分。肩を軽く叩かれ目を覚ますと、目の前には運転手らしき男性が立っており、ほかの乗客は一切見当たらなかった。状況をうまく飲み込めずにいると、彼は「バスが故障したから、ほかのバスへ移ってくれ」と言った。荷物をまとめて前方に停車しているバスに移ると、少しの不安を抱えて再び眠りについた。  日は昇り、そして暮れ、あと二時間ほどでブラジリアに到着する地点まできたところで、妙なことに気がついた。マップ上に表示されていた現在地が、明らかにブラジリアへの道のりから外れていたのだ。嫌な予感が頭をよぎり、隣に座っていた乗客にバスの目的地を聞くと、なんとブラジリアではなくマットグロッソ州クイアバに向かっていることが判明した。最終的に州境の手前で下車して、深夜まで独りでバスを待ち、ゴイアニアを経由して昼頃に無事にブラジリアに到着した。ふつうサンパウロからブラジリアへはバス一台で約十八時間ほどで到着するのだが、今回はバス四台で合計四十四時間かかった。 【④アドバイス】  旅行を計画する際、バスを利用するなら約二週間前、飛行機を利用するなら約二か月前にはチケットを購入することを勧める。特に航空券は価格の変動が激しく、数日経つだけで倍の値段になることもある。ブラジルの長距離バスは基本的に座席の充電器が故障しているので、モバイルバッテリーを必ず持参したほうが良い。また、車内はかなり冷房が効いているため少し厚めの上着も持ち物リストに加えてほしい。バスのトイレは非常に汚いが、そこはもう慣れるしかない、というよりいつか慣れる(ブラジル人男性はバス内のみならず寮や学校でもトイレを流さない人が本当に多い)。  ブラジルでは物乞いが非常に多く外出するたびにお金をせびられるが、たとえ彼らが怖くても、かわいそうに見えても、しっかり断らなければならない。中には言葉巧みに話を進めたり、しつこくつきまとってきたりする者もいるため、堂々とした姿勢でNÃOと言えるようにしよう。 【⑤感想】  私はおそらくブラジリアで最も呪われた日本人なのではないだろうか。少なくとも、日本人留学生の中ではそうだろう。不運は続くもので、今月も先月と同じく苦労の絶えない一か月となった。一般的に留学の魅力といえば「言語能力の向上」や「異文化体験」であるが、私は「自分の取り扱い方が上手になる」ことこそが留学における最大の収穫であると考えている。物事が思うようにいかないとき、アクシデントに巻き込まれたとき、等身大の自分を知ったとき、そこで初めて自身の人間力が試される。「ストライキのせいで留学のスタートが台無しだ」「深夜にバスが故障するなんて最悪だ」「みんなの話してること全然分かんない...私のポルトガル語はダメダメだ」と考えるよりも「ストライキのおかげで一足早い長期休みを満喫できる!」「このトラブルもきっと良い経験値になるはず!」「一年間でどれだけポルトガル語の能力を向上できるか楽しみ!」と考えたほうが素敵ではないだろうか。同じ物事でも捉え方によってまったく印象が違う。「自分の取り扱い方」を知ることはモチベーションやメンタルを保つことに役立ち、精神的に安定した状態で日々を過ごすことは、悩みや不安の多い留学生活を乗り切るために必要不可欠である。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2024-04
月次報告書4月分
騒音、野良犬、ストライキ
【目次】 ①滞在先 ②大学 ③アクシデント ④アドバイス ⑤感想 【①滞在先】  多少の不満はあれど寮での生活にはそれなりに慣れてきたのだが、ここ最近で唯一ストレスとなっていたのが、就寝時の騒音である。寮の規則では二十三時以降は静かにしなければならないのだが、夜中の話し声がとてもうるさくてとても寝付けない。廊下で談笑していた同僚たちに直接静かにするように言ったのだが、ほんの少しの間ひそひそ話すだけで、すぐに騒がしくなってしまうのだから仕方がない。深夜ににテレビの音量を四十六にしてアニメを観ていた者や、大声で会話しながらピアノをチャラチャラと鳴らしている者もいたが、文句を言っても変わらないなら自分が変わるしかないとのことで、アマゾンでアイマスクと耳栓を購入し、ようやく平穏な睡眠が戻ってきた(それでも耳栓を貫通してくる騒音には時折苦しんでいる)。  ある日の昼過ぎ、近くのパスタ屋で腹を満たした私は、昼寝をするために寮の自室へと向かっていた。部屋のドアノブに手をかけ一歩踏み出した瞬間、そこにルームメイトと顔見知りの女性がベッドの上で一緒に寝そべっている姿を目撃した。どう反応していいのか分からず固まっていると、向こうのほうからぎこちない笑顔で挨拶してきた。女性が慌てた様子でその場を後にすると、部屋には私とルームメイトの二人きりになった。詳細は省くが、その後の気まずさといったら、これは皆さんの想像にお任せしたい。先月の報告書でも書いた通り、寮の規則では寮内での恋愛および異性の部屋への進入が禁止されているのだが、やはりルールに従っている者はほとんどいない。 【②大学】  ブラジリアに到着した三月中旬の時点で大学は軽いストライキ状態にあったのだが、のちに大学内での正式な承認を受けて、今月中旬より本格的なストライキが始まった。履修している授業四つのうち継続しているのはポルトガル語の授業のみで、それ以外は完全に中断されてしまった。大学の図書館も三月の時点から閉鎖されており利用できない状態である。  ブラジリア大学には数多くのスポーツ活動があるのだが、私は特に格闘技に興味があったため、ブラジリアン柔術のクラブに参加してきた。基本的にはインスタグラムでクラブのアカウントにダイレクトメッセージを送り、実際にトレーニングに参加するだけなので、特に入部届を提出する必要はない。ポルトガル語で新しいことを学ぶのはとても大変だが、先生や練習仲間が親切に教えてくれるおかげで、楽しみながらトレーニングすることができている。私は性格上あまり初対面の人と話すのが得意ではないのだが、「日本から来た」と言うと皆興味を持って話を聞いてくれるので、特に孤立することなく和気藹々とした雰囲気でトレーニングに参加することができる。これからも練習仲間と親睦を深め、柔術の技術を磨いていきたい…と思っていたのだが… 【③アクシデント】  ある日の朝、寮の門を開けようとしたところ、数頭の大型犬がホームレスの住むテントに戻っていく姿を発見した。裏門周辺が少し危険であることを理解していたにもかかわらず、授業に遅刻しそうだったこともあって少し迷ったあとに扉をくぐってしまった。寮には表門と裏門があり、裏門を通るルートはより短い時間で学校に到着することができるのだが、ホームレスが点在していたり、夜は道がかなり暗かったりと、治安の面で不安の多い道のりとなっている。しかし私は時間を節約するためいつも裏門から通学していた。車道沿いの歩道を目指し草むらを歩いていたとき、先ほど家に戻ったはずの大型犬五匹ほどが私の存在に気づき、こちらをじっと凝視していた。かつて野良犬に噛まれたという寮の友人の話を思い出し、「やられる前にやらねば」という感情が芽生えた私は彼らを威嚇するために両手を大きく広げ一つ吠えた。その瞬間、彼らは怒り狂ったかのようにバウバウと声を上げ、こちらに向かって全速力で走り出した。「考えるより先に体が動いていた」とはこのことかと、某漫画のセリフを思い出しつつ、生命の危機から逃れるため全速力で草むらを駆けた。当然ながら運動不足の大学生が犬の俊敏なスピードに勝てるわけもなく、とうとう追いつかれてしまった。背負っていたリュックをぶんぶんと振り回しながら格闘していたが、彼らの圧に押されてバランスを崩してしまい、二頭ほどに脚を噛まれてしまった。「狂犬病って発症したら致死率百パーセントだよな…」と嫌な予感が頭をよぎり、まだ死にたくないという一心で彼らを振り払い、なんとか車道に飛び出た。そのとき、ちょうど目の前を通りかかった車に轢かれそうになったのだが、運転手がクラクションを鳴らしてくれたおかげで、野良犬たちはビビって走り去っていった。一命を取り留めた私は、ルームメイトに電話をかけ車で迎えに来てもらい、寮に帰った後はシャワーで傷口を洗い流して保健所へと向かった。今月だけでもすでに三回狂犬病ワクチンを接種した。 【④アドバイス】  月初めにRNM(Registro Nacional Migratório/外国人登録)を申請しに空港のすぐ近くにあるPolícia Federal(連邦警察)に行った。待ち時間は確か一時間ほどで、それほど待つことなく手続きを済ますことができた。申請時に必要な書類として証明写真が挙げられているが、手続きの際に職員がカメラで撮影してくれるため、事前に写真屋に行く必要はない。RNMの番号は当日中に取得できるが、カードが届くまでは通常約三か月かかるためブラジルに到着したらなるべく早めに申請することを勧める。  最初の週末には寮の人たちとブラジリアの観光スポットを回った。Torre de TV(テレビ塔)、Museu Nacional(国立美術館)、Catedral Metropolitana(ブラジリア大聖堂)、Congresso Nacional(国会議事堂)など有名どころは一日あれば一通り観光することができる。別日にはCCBB(Centro Cultural do Banco do Brasil)の展示や青いステンドグラスで知られているSantuário Don Bosco(ドン・ボスコ大聖堂)にも訪れた。個人的にはTorre de TVから一望できる眺めが広大で美しく、将来ブラジリアに来る留学生にはぜひ訪れてほしい。 【⑤感想】  騒音に悩まされ、授業にはついていけず、ルームメイトの浮気現場を目の当たりにし、野良犬に襲撃され、大学はストライキに入るなど、まさに踏んだり蹴ったりの一か月間だった。人間は不幸なことに目を向けがちだが、改めて振り返ってみるとそれなりに楽しいこともあったように感じる。大学では新しい友人が何人かできたり、寮の住人や留学生仲間と距離を縮めたり、少しずつ新しい環境に慣れてきている実感がある。これからも適度に休むことを忘れずに、興味や関心のあることには積極的に挑戦していきたい。また、中旬には国際戦略部の方とストライキの件についてZoomでミーティングを行い、ストライキが数か月に渡り長引いた際は日本に帰国しなければならないことや、万が一を考えてサンパウロ大学への転学が可能であるとの説明を受けた(今回のストライキはブラジル全土の連邦大学で行われており、USPは州立大学であるためこの対象から外れている)。これからも大学の動向に注視しながら、じっくりと考えていきたい。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2024-03
月次報告書3月分
開発途上国、ブラジル
【目次】 ①渡航 ②滞在先(寮) ③大学 ④アドバイス ⑤感想 【①渡航】  3月4日の昼時過ぎに成田国際空港を出発した。機内食はなかなか美味しかった。15時間かけてスイスのチューリッヒで乗り継ぎをした。機内は想像以上に冷えるため、少し厚めの上着を持っていくと体温調整に役立つ。グアルーリョス国際空港(サンパウロ)到着後、スーツケースを受け取るとキャスターが1本根本から壊れていた。長旅の途中で壊れることを想定してあまり高くないスーツケースを買ったつもりだが、その予想は見事に的中した。しかしもう少しお高いものを買っていたら壊れずに済んだのかと思うと、本当に正しい選択だったのか疑問が残る。ブラジリア国際空港に到着後、大使館職員のご友人夫妻に車でお出迎えしていただき、寮まで送っていただいた。翌日もショッピングモールまで連れて行っていただき、SIMカードの契約を手伝ってもらった。 【②滞在先(寮)】  寮についてまず一つ意見を挙げるなら「お世辞にもキレイとは言えない」ということである。これは同じ寮に住む日本人留学生らと議論していたことだが、この寮に「日本から来る客をもてなす」という精神はあまり感じられない。まさに文化の違いを肌で感じたわけだが、このおもてなし精神の良し悪しについてここで述べるつもりはない。これに関してはただの文化の違いであり、決して寮のオーナーが私たちを嫌っているわけではないということは十分理解しているからだ。他の日本人留学生の話だが、寮に到着後、部屋に入るとクローゼットの中が埃で汚れていたり、壁に部分的にカビが生えていたり、ハエの死骸が床に寝そべっているなど、基本的な衛生状態が保たれていないことに気付いたという。彼は鼻水や目が痒くなるなどの症状に悩まされており、相当ストレスを溜めているようだったが、すでに他のアパートに引っ越すことを決めたらしい。私自身も、夜の騒音やキッチンを飛び交うハエが少しストレスであった。この留学報告書を読んでいる後輩たちにここで一つ伝えたいことは、必ずしもこの寮を選ぶ必要性はないということだ。「今まで先輩が寮で生活を送ってきたから、自分も大丈夫」という考えは少し安直である。私はここでの生活に慣れて不自由なく過ごしているが、人によっては楽しさよりもストレスを感じる人もいるだろう。寮での生活がどういうものなのか、改めて想像してみてほしい。ここまで読むと寮に住む気が失せてしまった人もいるかもしれないが、もちろんメリットもたくさん存在する。寮で生活するということは、いつでもブラジル人とポルトガル語の練習ができるということであり、友達もかなり作りやすい。寮内ではイベントが多く、焼きそばやシュラスコを作ったり、水遊びをしたり、サッカーをしたり、友人同士で仲を深める機会は十分にある。くわえて、他大学からの日本人留学生が集まるため、日本人同士で助け合える点も魅力的である。ちなみに今学期ブラジリア大学に日本から留学している人は全員この寮に住んでいる。  寮内のキッチン、シャワー、洗濯機は自由に使える。フォークとナイフ、箸、コップ、皿、フライパンなどは寮側から支給されるが、シャンプーやリンス、洗剤や柔軟剤などは自分で買い揃える必要がある。食器類はキッチンのロッカーに収納することができる。朝食にはパンと牛乳が支給され、昼食は17レアル(520円)払えば見た目は微妙だがそれなりに美味しい弁当を用意してもらえる。洗面所には個室トイレとシャワーが3台ずつあるが、便座が欠けていたり、鍵が壊れていたり、お湯が出なかったりと、設備の管理はあまり良くない。洗濯機は8時から10時、14時から16時、20時から22時の枠があり、名前を書いて予約する。また、キッチンの近くには図書室があり、住人たちはそこで課題をやったり、仕事をしたりしている。ちなみに「図書室」とはいうものの、本は部屋の隅っこの棚に積まれているだけで、ほぼ机と椅子があるだけの自習室である。寮内では2GのWiFiを無料で利用できるが、接続環境はあまり安定していない。  寮内は恋愛禁止だが、ここブラジルではルールは破られるためにあるというのが一種の常識である。友人から聞いた話だが、この寮の恋愛事情は「かなり複雑」らしい... 住人たち(ブラジル人)はゴシップや噂ばなしが大好きで、廊下で談笑している姿をよく見かける。私はあまり興味がないので特に気にしていない。 【③大学】  ブラジリア大学(ダルシー・リベイロキャンパス)は神田外語大学の約40倍の敷地面積を誇り、自然豊かで落ち着いた雰囲気の公立大学である。今学期はメキシコやコロンビアなどの南米諸国を中心に世界中から約20名ほどの留学生が集っており、私を含め5名の日本人留学生がいる。大学までは寮の表側から徒歩で30分ほどであるが、裏側から通ると10分ほど早く到着することができる。裏門を出てすぐの草むらにホームレスが住み着いており、治安はあまり良くないと感じる。  私が今学期に履修した授業は以下の4つである。①Introdução à Sociologia(社会学入門)、②Sociologia Brasileira(ブラジルの社会学)、③Cultura Brasileira(ブラジルの文化)、④Português para Estrangeiros 2(外国人のためのポルトガル語2)。履修登録は国際交流課(INT:インチ)で行うことができる。手順としては、事前に大学のポータル(SIGAA)にアクセスして履修したい授業のシラバスを確認し、その授業名と授業番号をINTの職員に告げるだけである。もちろんINTの職員にどの授業あ良いか相談することもできる。  学食は7時から19時30分まで営業しており、朝食はR$2,85(約85円)、昼食と夕食はR$6,10(約183円)で食べることができる。基本的には米とフェイジョアン(豆)、レタス、肉もしくは魚、日替わりの果物ジュースの組み合わせである。 【④アドバイス】  今この留学報告書を読んでいる後輩に一つアドバイスがある。それは、日本にいるうちに留学先で学びたい分野を絞り、事前に予習しておくべきであるということだ。例えば社会学に興味があるのなら、社会学入門の本を何冊か読んでみたり、それに関連する授業を履修してみたりしてほしい。事前知識があるかないかでは授業の解像度がまるで違う。日本語で理解していない内容を外国語で理解するというのは実に骨が折れる。私のような失敗をしないためにも、皆さんにはぜひ入念に準備を進めてほしい。 【⑤感想】  ブラジルに到着してから「ブラジルは先進国ではなく、開発途上国である」という事実を再認識させられた。私の留学しているブラジリアは名前こそあまり知られていないが、一応は首都だからそれなりに整備されているだろうと想像していたのだ。しかし、いざ留学生活が始まってみると、水道水が飲めない、ホームレスや物売りが多い、夜道が暗い、道路の水捌けが悪い、公共交通機関がしっかりと整備されていない、大学のシステムが潤滑に機能していない、街中の至るところで落書きが見受けられるなど、日本との違いを挙げればきりがない。しかし、これだけ不便を感じる場所でも人々は普通に生活を送っており、私自身も特に問題なくこの環境に適応してしまった。日本人学生がただ1年間「滞在する」ことと、ブラジル人がこの国に生まれ「住む」ことを一括りにして比較することが無意味であることは理解しているが、この生活水準で大きな不満なく生活できるという事実は、私がいかに日本という恵まれた環境に生まれ、必要以上に贅沢な生活を送っていたかについて大きな気づきを与えてくれた。これから1年間何が起こるか全く予想できないが、そのすべてが未来の自分の糧になることを信じて、楽しむことを忘れずに全力で駆け抜けたい。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
1~5件目 / 5件中