づの報告書一覧
プロフィール
学科
アジア言語学科
学年
4年
留学期間
2023-02-01 ~ 2023-12-31
留学種別
交換
1~10件目 / 12件中
2023-12
留学成果報告書12月分
サイゴン留学まとめ
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1957 年 ・学生数 22000人 ・設置学部 28学部 ・その他 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) Khoa tiếng Việt học / Khoa Việt Nam học. (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など ベトナム語学部ではそれぞれのレベルに合った授業を受講することができる。2時間の授業と4時間の授業とプライベートコースの3タイプがあるが、交換留学の場合でも、プライベートコースは有料。 ベトナム学部では、人文大学の正規の学生(1〜4年生)が受けている授業から自由に選択して選ぶことができる。 ・語学留学の場合:学部科目を履修できるオプションがあったか あり。最初から学部で授業を受けるにはある程度のベトナム語能力を証明する資格等が必要。多くの場合はベトナム語能力試験でB2〜C1ほどが求められるそうだが、その情報も実際あてにならなかった。しばらくベトナム語学部の方で勉強していて、ある程度のベトナム語能力が認められている場合は資格が必要ない場合がある。しかしそのあたりの明確な線引きはないように見えた。実際、ベトナム学部の正規の学生のベトナム語レベルも人によって様々で、中には全然話すことができない人もいて驚いた。 (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 大学の雰囲気はそこまで厳しくなく、穏やかな雰囲気であると思う。他の大学では、サンダルや膝が見えるズボンは禁止などあるがここはそんなことはない。ベトナム語学部、ベトナム学部ともに外国人が100%である。 (5) 課題や試験(KUISとの違いや負担の大きさなど) ベトナム語学部では宿題はなかった。ただ、次の授業の予習は欠かせない。ベトナム学部では毎回のように宿題がある。Zaloというチャットアプリを使って宿題を提出したり、クラスの情報を発信していたりするので、いち早くそのクラスに馴染んでクラスメイトからzaloや情報をもらえるかが大切だった。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか 困った時はベトナム語学部のオフィスに行っていた。特に、ベトナム語学部で自分に合ったレベルのクラスがもうなくなってしまった時に、ベトナム学部に移動することの助言を頂いたのでとても助かった。 (7) オリエンテーション (オリエンテーションがあったか、あった場合その内容) なし。 (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) ベトナム語学部は、クラスが終わるタイミング(2ヶ月or4ヶ月ごと)でオフィスに行き、授業の登録をする。 ベトナム学部は、ベトナム語学部のオフィスより建物の奥にあるベトナム学部のオフィスに行き、シラバス一覧の資料をもらって、そこから授業を選ぶ。登録用の紙をもらう事ができるので、その紙に書き込んで担当の人に提出する。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 語学の向上はもちろんのこと、日本側から見たベトナムだけではなく、ちゃんとベトナムに住むことによってベトナム側に立って考える力がつくと考えていた。また、時間がある大学生活の中で、少しでも違う世界を見て自分自身の価値観や多様性を向上させたかった。 (2) 留学先を選んだ理由 サイゴンを選んだのは天気や人の暖かさが自分自身と合っていると思っていたため。今の大学は、外国人に対してのベトナム語教育の歴史が長く、尚且つサイゴンの中心に位置しているため国際色豊かなサイゴンを一番感じる事ができると考えたため。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 文法はともかく、単語量をもっと増やすべきだった。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) もっと積極的に話しかけたり、コミュニケーションを取ろうとするマインド。日本人だからといって遠慮しない。 (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) 留学中は日本人の友達を作らないようにしていましたが、意外とベトナム人の友達は日本人繋がりでできる事が多かった。そう意味では日本人の友達を持つことは悪くないと思った。友達とは、カフェに行くことが一番多く、次にサッカー、たまに遠出した。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと ベトナム語はもちろんのこと、ベトナム人がどれほどベトナムの文化を重要視しているのか、ベトナムの社会構造など、ベトナム内のことを多く知る事ができたと思う。また、これまでKUISでは客観的に学んできたベトナムの文化や社会について主観的に考えることによって、また違った見方をする事ができた。 (7) 授業外で参加した活動 (ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法) 東日クラブをはじめとした日本語クラブ。東日クラブは申し込み不要。他の日本語クラブ等はフェイスブックを使用して見つけ、申し込むことができる。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと 活動を通して、ベトナムの良いところも悪いところも見えてきた。悪いところが見えるのは個人的に良い事だと思っていて、それはこれから仕事をする時にベトナムと関わるのであればしっかりとその弱点を把握できているという事だと思う。また、逆にそれによってこれまであまり良いイメージを持っていなかった日本の社会の良いところも見えてきて、留学を終えた今ならもっと日本の社会のいい部分を自分なりに見つけて楽しむことができると思う。 (9) 留学で達成した最も大きなこと ベトナム語の能力としては、10月に受けた擬似のベトナム語能力試験でC1の結果を出すことができた。普段の活動では、12月に在越日本大使館からのご招待を頂き、ASEAN-JAPAN Youth Festivalに日本の代表の学生として参加することができた。ASEANの各国の代表と英語でのディスカッションを踏まえて様々なことを学んだ。ベトナム語とは直接の関係はないが、日頃の授業の事があったからこそ、大学からの推薦を頂いたと思う。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 積極的にベトナム語に触れるようにすることと、 日本に慣れずに、それぞれの国で感じた良さを忘れずに何事もチャレンジしていく。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 普通に手続きやメールの返信を忘れられている時があるので、遠慮せずに催促する。 (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) 東京のベトナム大使館(特にテト前)はかなり混んでいるので、日程に余裕を持って行く。 (3) 航空券を予約した方法 (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) ベトナムエアラインの公式HP (4) 渡航したルート 成田→サイゴン(直行) (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) 徒歩 (6) 滞在先住居を探した方法 サイゴンでの不動産業者をネットで探して、その不動産業者に物件を紹介してもらったが、その後にその不動産業者は介入することはなく、大家さんと直接交渉を進めました。 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 現金or銀行送金 冷蔵庫、エアコン、テレビ、ケトル、電子レンジ、IH、 日本製品も多く、状態も良い。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) 正直ベトナムは大家さんとの相性がかなり大きいと思うので引越し前提で借りてもいいかもしれません。大家さんとの相性がいいと本当に充実して、そこからまた交流が広がります。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) プラチナパスポートで全て完結させていました。(現在はサービス終了済み) カードは少し高価な店であればほとんどの店は対応していました。 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) 大学の先生がちょうど帰省していたので、一緒に携帯ショップに行って契約しました。 (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) キャンパス内のwifiはため息が出るほど使い物にならない。カフェでの無料wifiの設備の良さは日本以上。その代わりsimの通信はそこまで良くないように感じたが、使えないほどではない。 (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) 現地でインフルエンザA型に感染。東京海上火災保険に連絡し、最寄りの病院を受診し、診察料金、処方された薬の料金など何も負担することなく完治した。 (5) 日本から持っていくべきもの 遠慮しないマインド (6) 治安状況 (どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか) 特に危険な状況になることはなかったが、家の鍵やカード類は紐でリュックに固定していた。野良犬に注意する。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか) 毎食は大体外食で、一日大体800円行かないくらいだが、友達とご飯に行ったり、頻繁にカフェに行くとその分かさむ。 (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか) 日頃から大家さんと多くお話ししたり、ニュースなどはベトジョーをたまに見ていた。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 最初に話してみて怒っているように見えるおばちゃんやおじちゃんでも仲良くなるとすごく優しいので、すぐに敵対するのではなく、寛容に受け止めて、明るく返せたらいい。 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) 商社 (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) ベトナムでオンラインにて就職活動をした。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 語学を生かすこともそうだが、せっかく色々な経験をしてきたのだから、ビジネスでも私生活でも視野を広く持って寛容で寛大な人間になる。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 私は2年生から留学を希望しましたが、結局4年生になるまでコロナで行くことができませんでした。3年生の後期には正直留学を諦めていましたが、4年生の前期になってやっぱりこのまま卒業はできないと思い、もう一度4年生をやり直して留学に行く決意をしました。コロナなんて状況ではなかったら4年生で留学に行く人などいないわけで、就活もどうなるかわからなかったけれど、本当にあの時に決断した自分、支えてくれた国際戦略部の先生、そして何より両親に感謝しています。それほどこの一年が私に与えてくれたものは大きかったです。私も2年前は留学を目指す学生として先輩達の留学webを読んでいましたが、本当に今は先輩達と全く同じく、「留学に行かないなんて考えられない」と感じています。日本人として他の国の人と接したり、教科書でしか学ばなかったものを目の前で体験したり、日本ではないような理不尽な体験などの一つ一つの経験が自分自身の考え方を変えてくれました。そしてそれらの経験を繋いでくれたのは言語でした。語学を学んでいるのは、ただコミュニケーションをとる為ではなくて、コミュニーケーションによってさらにもう一歩先を学ぶためなのかなと強く思った一年でした。4年生でこんなにギリギリで留学しても本当に留学してよかったと心から感じています。なので過去の私のような境遇にある方がいるのであれば是非おすすめしたいです。
月次報告書12月分
ASEAN-JAPAN Youth Festival
今月は「ASEAN-JAPAN Youth festival」に参加しました。 このイベントではベトナムの青年団体が主催していて、ASEANと日本の国交樹立50周年を記念し、各国の推薦された生徒達が集まって交流を深めるものでした。私は人文大学のベトナム学部でご縁があり、在越日本大使館に推薦して頂いてこのイベントに参加させて頂きました。 イベントは2泊3日あり、各日程で気候変動や教育の問題、人口問題などのディスカッションを英語で行い、それをプレゼンテーションしたり、マングローブの森での植林、国交樹立50周年を記念したパーティなどに招待して頂いたりなど、様々な経験をすることができました。 ディスカッションやパーティーなどでASEANの各国の学生と交流を広めていく中で、自分自身の英語力や、神田外語大学でこれまで学んできた授業の知識が生きる機会が多くあり、私の神田外語大学での4年間を総括するような3日間でした。 それと共に各国の学生達が受けてきたであろう教育のレベルの高さと彼らの吸収力の高さ、コミュニケーション能力、何事に対しても興味を持つ姿勢に私はとても感化されました。 もちろん彼らが各国の学生の中でトップレベルの教育を受けていることは承知の上ですが、彼らの持つ能力やこのイベントに対しての姿勢は、私にASEAN各国が今後も更なる発展を遂げることを安易に想像させました。 この留学期間中にベトナム以外の国の人と交流機会は非常に少なかったですが、この期間中はASEANのほぼ全ての学生と関わることができ、特にミャンマーなどの国内事情が複雑な国の人とも交流することができたのが個人的に嬉しかったです。戦争や内戦などに対して外野からしか見ることができない日本人にとって彼らの話はとても新鮮で、言葉には表せないほどの複雑な気持ちになりました。これまで授業やニュースでただその情報を頭に入れている時とは違い、目の前にいる人がその悲惨な状況下にあるということは留学ならではの体験だったと思います。 このイベントに参加した多くの学生はその後それぞれの国に帰ってしまいましたが、何名かはベトナムに滞在しているとのことで、年末のカウントダウンやトゥンドゥックタン大学でのサッカーのイベントに招待してもらい長く交流を続けることができています。特に年末のカウントダウンは在越インドネシア大使館に招待していただき、そこでも新たな人との交流があり、日を重ねるごとに交流の輪が広がりました。 1月末に帰国なので彼らとお別れなのはとても悲しいですが、このイベントに与えてもらった経験やパワーを忘れずに社会人になっても目標に向かって努力できる人間になりたいと思います。
2023-11
先日の「ベトナム文化基礎」の授業にて、ベトナム文化の考え方の元となっているÂm Dương Ngũ Hành(陰陽五行)について学びました。 陰陽五行とは、「Âm(陰)とDương(陽)」と「五行 Hỏa (火), Thủy (水), Mộc (木), Kim (金), Thổ (土)」という要素に分けられる考え方、思想のことです。中国からベトナムに輸入された思想で、食べ物や生活、医学まで影響を与えているそうです。日本文化にも、陰陽師やおせち、一部の占いなどでその考え方が残っているそうです。 簡単に説明すると「陰」と「陽」は反対の存在ですが、それらの要素をバランスよく保つべきという考え方や、「五行」の中の要素でもバランスや相性の良いものと悪いものがあり、それらを意識して生活したり、文化を構築していく考え方です。 例えば、自分の体調が悪い(陰)時には、(陽)の性質があるお粥を食べるべき。 家族は子供(陽)と祖父祖母(陰)と父母(陰と陽の間の存在)で構成されている。 また、結婚するときには相手の五行属性と自分自身の五行属性の相性を気にするようです。 なぜ陰陽五行の授業を紹介したかというと、今月はまさに「陰」と「陽」の月だったからです。 今月の初めには休みを利用して友人とタイとマレーシアに行きました。(陽)しかし、ベトナムに戻ってきた直後にインフルエンザにかかり 39度の熱が出て、中間テストを受けられませんでした。(陰)その後、フーコックに行きました。(陽)しかし、乾季に入ったからか、謎の咳がずっと止まらなくなりました。(陰)その後、以前から予定していたベトナム国内に旅行に行きました。(陽)しかし、なにもない場所で転んで両腕から出血しました。(陰) 旅行に行ったり、インフルになったり、陰と陽を行ったり来たりの激動の1ヶ月でした。ただ、結果的に本当に陰と陽のバランスが取れていて驚きました。 留学生活残り2ヶ月程ですが、無事に日本に帰ることができるように頑張りたいと思います。 写真は全ての元凶の陰陽五行の授業と「陽」最高潮のフーコックです。
2023-10
月次報告書10月分
【新しい授業】ベトナム学部
ついに留学期間も残り3ヶ月になりました。 今月も色々なことがありましたが、一番大きなことは、ベトナム学部に移動したことです。 これまで、KUISからの留学生でベトナム学部に移動した学生はこれが初めてとの事を聞いたので、これからもし同じようにベトナム学部で授業を受けてみたいという学生の方のためにその条件や授業内容の感想を今月は書きたいと思います。 <今月起こったこと> これまでベトナム語学部という場所で、ベトナム語の授業を受けてきましたが、先月のレポートでも書いたように、次のレベルのクラスに生徒が十分集まらなかったので授業が開講されませんでした。そのため、先月はしょうがなく同じレベルのクラスをもう一度受講していたのですが、今月も同じ状況になりました。ただ、3度も同じ授業を受けるわけにもいかないため、ベトナム語学部に事務所に相談をしたところ、特別にベトナム語学部ではなく、ベトナム学部で授業を受けれることになりました。 <ベトナム学部とは> ベトナム学部はベトナム語の授業もありますが、主にはベトナム語でベトナムの政治、経済、文化、歴史などを学ぶことができる学部です。主な学生はホーチミン人文社会科学大学に「留学生」としてではなく普通の「学生」として入学している外国人の学生達です。これまでのベトナム語学部では、主に「留学生」がベトナム語を勉強していました。 <ベトナム学部で授業を受ける条件とその例外> 本来であれば、ベトナム学部はベトナム語能力試験B2以上を持っていなくてはならないと聞いていました。ベトナム語能力試験は交換留学生であれば3,000,000vnd(日本円で18,000円)もするので、そこまで気軽に受けられるものではありません。 しかし、ベトナム学部の先生によれば、その資格はの条件は留学に来たばかりの時などの「ベトナム語能力が未知数の生徒」に対してある程度のベトナム語能力を証明するために設けているそうです。なので、例外として私のように、「既に半年間ベトナム語学部で勉強し、ある程度のベトナム語の能力を証明できているような場合」は、資格等は必要ないとのことでした。(参考程度に、私がベトナム語学部で最後に受けていた授業はsách4の後半の授業でした。明確にどのレベルの授業を受け終わったらベトナム学部に行けるなどの条件はありませんでした。ただ個人的には、今回のケースからしてsách4を終えていれば確実だと思っています。) <ベトナム学部の授業> 上に書いたようにベトナム学部は、ホーチミン人文社会科学大学に「留学生」としてではなく普通の「学生」として入学している外国人の学生達が所属しています。授業は KUISの様にさまざまな授業がある訳でなく、かなり限られていてます。普通の学生として所属している彼らは、それぞれの学年で受ける授業が完全に決まっているそうで、ほとんど授業を選択するという事はないそうです。ただ、交換留学生の場合は1年生から4年生の全ての授業から好きに選ぶ事ができます。ベトナム学部の事務所に行くと、全ての授業のシラバスのリストを渡され、その中から授業を選んで紙に書いて履修しました。 基本的に授業時間は90分に統一されているわけではありません。中には1コマ5時間の授業もあります。1年生の授業はベトナム語基礎の4技能、2年生はベトナム語応用の4技能、3、4年生になると、「ベトナムの文化基礎」「ベトナム共産党の歴史」「マルクス・レーニンの政治経済」「社会学大全」「ビジネスベトナム語」「メディアベトナム語」などの授業があります。 特に、4年生の「ビジネスベトナム語」「メディアベトナム語」は、これまで勉強していたアカデミックなベトナム語ではなく仕事などで実用的な(英語でいうところのTOEIC英語の様な)ベトナム語を勉強することができます。ベトナムでの就活後、内定先の企業が参加するベトナムでの展覧会などに何回か参加する機会があったのですが、そこでのビジネスの会話が普段学ぶ単語とは全く違く、何もわからなかった事があります。なので、もし将来ビジネスの場などでベトナム語を使いたい方には、この授業はとても良いと思います。 授業の特徴として、プレゼンがかなり多い印象です。一つの授業につき、一学期で3回程プレゼンをするそうで、私は学期の途中からクラスに入ったので、初めて受けた週の次の週に、「気になる社会学者二人について」と「ベトナム文化がインド文化に受けた影響」についてロシア人とペアを組んでベトナム語で発表するカオスな状況にありました。 学年にはそれぞれ1人クラスリーダーがいて、必要なお知らせやプレゼンの時のチームはクラスリダーが中心になって行われるので、最初にクラスリーダーが誰なのかを聞くとスムーズにクラスについていけると思います。 <授業でのベトナム語レベルと授業の進め方> 2年生の授業でのベトナム語レベルはそこまで高くない印象(sách3くらい?)です。しかし、3、4年生の授業は容赦ありません。先生はベトナム人の学生に話すスピードで授業を進めてくるし、授業内容もおそらく日本語でも理解に苦しむ内容です。教科書は無く、先生が毎時間 PDFのデータを送ってくださるので、 ipadでPDF見ながら、パソコンにノートとって、スマホで単語の意味を調べるという方法をほとんどの生徒がしています。 <メリット・デメリット> -メリット- - ベトナム語を学びながらベトナムの文化や歴史、政治経済を学ぶことができる。 - 自分で授業を選ぶので、好きに時間を作ることができる。 - 様々な学年の授業に参加できるので、一気に友達が増える。 - その授業内容に関するかなりコアなベトナム語を勉強できる。 - ベトナム語レベルが高いので、かなり鍛えられる - ベトナム語でのプレゼンを経験できる -デメリット- - ベトナム語レベルが高すぎるクラスがある - 学期中は休んだり旅行に行くことが難しい(単位が取れないと単位の振替ができない。旅行といっても急にベトナム人の友達の故郷に誘われた時や、経験や文化理解としてベトナムの各省に行こうとしても、出席が足りないと単位が取れないので、行けない事がある。個人的にそういう機会も留学ならではだと感じているのでそれが制限されるのは厳しい。) - クラスの人数が多い(1クラスおよそ20人くらいなので、ベトナム語学部の様な少人数型クラスよりは発表回数が限られる) - わからないと置いていかれる また、私は先月から突然この学部で受けることになったので、来月に4-5週間くらいでベトナムを回る旅行の予定を入れてしまっていました。これまでのベトナム語学部であれば時間換算で単位振替がされますが、この学部では成績がFだと単位振替ができません。このままだと、旅行で出席が足りずに単位を落としてしまいますが、私は現在卒業単位数は全て取り終わっている状況なので、先生にこれまで就活でずっとベトナムでやりたかったことをまだできていないこと、卒業単位は取り終わっていることを伝え、先生と相談し、休む許可をもらいました(単位は落とすかも)。なので、単位は取れるかは正直わかりませんが、参加できる授業を一生懸命参加しようと思います。 今現在ここまで授業を受けて思ったのは、初めてベトナム学部で授業を受けるにも関わらず、調子に乗って授業を取りすぎたなと感じています。他のクラスメイトに履修している授業を伝えると驚かれるくらいとってしまい、授業の予習などが追いつかなくなりそうなので、来月は(できたら)履修を変更するなどして改善したいと思います。
2023-09
月次報告書9月分
【LGBTQ+】Pride Parade HCM
留学生活も3分の2が過ぎ、いよいよ終盤戦です。 授業は次のレベルのクラスが生徒不足で開講されず、先月と同じクラスをもう一度受講しました。 そのほか学校生活や日常生活で変わったことは起こりませんでした。 ただ、先月就活から解放された私は、これまで失われた留学の時間を取り戻すべく、今月はさまざまな場所やイベントに参加しました。そのうちの1つの「Pride Parade」を紹介します。 「Pride Parade in HCM」  9月末にホーチミンではプライドパレードというLGBTQ+の多様な社会を目指したイベントが行われました。プライドパレードは世界中で有名なイベントで、日本でも東京や大阪などで度々行われています。しかし、私のセクシャリティーはストレートで、LGBTQ+には当てはまりませんが、多様性を認める社会には賛同するし、以前LGBTQ+に関する授業をとった時からプライドパレードには興味があったので、実際に海外のプライドパレードに混ざって性的マイノリティーの方とコミュニケーションをとってみたいと考えていました。 イベントは3日間あり、ホーチミンの各地でさまざまな催しがありましたが、私が参加したのは、グエンフエ通りをレインボーな服装、グッズを持って歩くパレードのようなメインイベントでした。 そこにはベトナム人はもちろん、アメリカやヨーロッパの方も多く、皆がフレンドリーな雰囲気でした。見知らぬ日本人である私にも仲良くしてくれ、彼らとは写真を一緒に撮ったり、英語やベトナム語でお話ししたりしました。  その中で「君のセクシャリティーは何?」と聞かれることが何回かありました。その度に私はドキッとしました。なぜなら私はストレートであって、LGBTQ+の枠には当てはまらないからです。ただ、嘘をつくわけにもいかないので「実はストレートなんだよね」と言うと少し驚かれました。「ただ、LGBTQ+のように多様な社会には同意するし、みんなの想いを知りたくて来たんだよ」と言うとみんな仲良くしてくれて、レインボーの旗をくれました。  今の社会ではストレートがマジョリティでLGBTQ+がマイノリティですが、パレードの日のコミュニティでは私がマイノリティで、彼らがマジョリティでした。だからこそマイノリティである私がセクシャリティーを聞かれた時はドキッとしました。でも、逆に日常生活では彼らはずっとマイノリティとしてこういう思いをしていたのかなと感じました。この機会で人生で初めて擬似的に性的マイノリティ側の経験をすることができました。  LGBTQ+は世界でもかなりトレンドのワードなので注目されていますが、まだまだ他の分野でもマイノリティによって生き辛い人達もいるのかなと思います。そのような人たちの考えを受け入れるかどうかは個人の自由だと思いますし、私自身も正直まだ理解できない考え方とかコミュニティはありますが、例えそうであってもその人達を否定し、自分の考え方を押し付けるようなことにはなってほしくないと思いました。 理解できなくても「それも君の考え方だよね」で収まる社会であって欲しいです。
2023-08
月次報告書8月分
【内定!】留学中の就活
今月はとにかく時間がキツキツの1ヶ月でした。 授業を1日2時間のレギュラーコースから、1日4時間のインテンシブコースに変え、 そして就活も終盤戦、1週間に4回も面接があった時もありました。 『授業』 授業は意外とインテンシブコースでも問題なく受けることができました。 一番大変だったのは授業の予習です。4時間の授業に対して毎日3時間分くらいの予習をしていたので、合計で毎日7時間勉強していました。ただ、今回のクラスのクラスメイトは全然予習をするわけではなかったので、授業の進み方はかなり遅く、先生も前回のクラスに比べて厳しい先生ではなかったので、かなり物足りなく感じました。それだけ前回のクラスの先生が厳しくて、韓国人のクラスメイトが優秀だったんだなと感じました。 予習を毎日欠かさずするのは大変でしたが、授業が午後から始まるので、午前中にカフェで予習した後に学校に行くような生活をしていました。特にサイゴンは朝活に最適な街だと個人的に思っていて、カフェは日本のコンビニより多いし、朝は屋台のご飯も美味しいものが多いし、朝早くから活気があって散歩するだけでもやる気が出てきます。就活の企業研究などもかなり捗りました。 『就活』 今月はやっと就活を終わらせることができました。思い立ってみれば去年も就活をしていて、内定を貰っていましたが、その内定を蹴って留学に来て、留学をしてからは5月頃に内定をもらいましたが、自分の中で納得がいかなかったので、他に内定を持っていないにも関わらず、その内定も蹴り、背水の陣の状況でもう一度就活を0から始めました。結果的に今月だけで3社の内定を頂き、最後の最後に第一志望の企業様からも内定を頂き、諦めずにこだわり続けてよかったと思いました。面接やESで留学の経験はすごく生きたし、口だけではなくしっかりと行動できることの証明になるのでかなりの武器になりました。 『留学をしながらの就活』 留学をしながらの就活は難しかったですが、意外と問題なくできると思いまいした。 一番驚いたのはテストセンターがサイゴンにもあることです。自宅監視型のテストでも変更できますが、ベトナムの通信環境ではテストを受けることすら難しく、悩んでいました。しかし調べてみると対面でテストを受けることができるテストセンターがサイゴンにもあり、そこでテストを受けてきました。受付からテストの説明まで全てベトナム語でしたがテストの内容は日本語というカオスな状況でしたが、自宅で受けるより圧倒的に安心感があるし、通信トラブルがないので確実に受けることができました。 面接に関しては、コロナ禍の影響もあり、全てオンラインで実施可能な企業は全体の約45%ほどで、予想していたよりも多くの企業様が留学中という状況にも対応して下さりました。 特に、私が受けていた企業様はグローバル企業が中心だったので、留学に対しての理解が深かったのかも知れません。また、商社、メーカー、ITなどを受けましたが、IT系が業界柄もあり圧倒的にオンラインで対応してくださる事が多かったです(そもそも在宅ワークの社員の方が多かった)。ただ、もしこれが空港系の客室乗務員やグランドスタッフなどの職種だとオンラインでの対応は厳しかったと思います。 また、内定先や選考中の企業様のホーチミンの現地工場や現地支店に直接見学に行く機会も頂くことができ、留学中ならではの体験でした。 写真は就活中に通ったカフェと、スーパーの魚です。
2023-07
今月の頭に韓国人の友達3人とムイネーに旅行に行きました。 その韓国人の友達は留学に来てから初めてできた友達です。 6ヶ月間彼らとずっと授業を受けて、毎日一緒にお昼ごはんを食べ、一緒にサッカーを見て、カフェで何時間も勉強したりなど多くの時間を共に過ごしました。 ベトナム人の友達とは違ってベトナム語レベルが近いからこそ、授業の復習や文法解釈なども一緒にすることができて、とても有意義な時間でした。 そして何よりも私が嬉しかったのが、韓国と日本の関係について度々話すことができたことです。 竹島(独島)とか慰安婦問題とか、日本統治時代(日帝独占期)なんかについて、 ラフに話すことができるほど仲が良かったです。喧嘩になる訳でもなく、淡々と素直な意見交換をしました。 日本人とか韓国人とか忘れて、個人としての意見をストレートに話せる関係でした。 他の文化圏の人と話すと、考え方や文化の違いに「国籍」の壁を感じてしまいがちですが、 私は「国籍」で区分するのがすごく嫌いです。 特に、就活の面接でよくあった質問に「ベトナム人の性格はどんな感じですか?」と聞かれますが、 その質問が本当に嫌いで、ベトナム人だから〜、日本人だから〜、韓国人だから〜とかじゃなくて、 一人一人の想いとかバックグラウンドがあってその人の考え方があるわけで、 それを「国籍」で区分して決めつけたくないです。 なんだかまさにliberalism!!みたいな考え方かもしれませんが、 みんながみんな理解できる訳じゃないとは思うけれど、 個人個人くらい別に国籍関係なく理解し合えるでしょくらいの考え方でいます。 そんなことを再確認させてくれた大切な韓国人の友達は今月帰国しました。 ムイネーの旅行は最後の思い出の旅行になり、 旅行中に訪れた少数民族の村や、色々な場所でも、彼らなりの考え方を教えてくれて 最後まで勉強になりました。 空港でまた会おうと約束したので、 それまでにまた自分自身の考え方も成長しようと決心しました。 写真はムイネーのチャンパー族の塔と、ホワイトサデューンの朝日です。
2023-06
ベトナムに来てから驚いていたバイクの量も、突然の雨の大きさも、日常になってきました。 すべて日本を基準に考えていたからバイクは危ないと考えていたし、雨も大きいと感じていましたが、 ベトナム目線になると逆に日本が安全すぎるし、天候もかなり安定していると感じます。 日本に来る前はベトナムの生活について少し怖い部分もあり、 逆にその怖い部分が楽しみでもありました。怖かった理由の一つに、社会主義がありました。 ベトナムはベトナム社会主義共和国な訳であって、共産党一党独裁なんですよね。 日本に住んでいると、社会主義とか共産党一党独裁とかと聞いた時少し身構える人も多いのではないでしょうか。その政治的思想を否定するわけでも肯定しているわけでもないですけどね。 Đổi mới(ドイモイ政策)後、ほぼ完全に市場経済が流通しているとはいえ、ベトナムのことを勉強していて 実際のところの生活はどうなのか、勉強していることは本当なのか、とずっと気になっていました。 しかし、住んでいる分には全く支障はないし、今のところ全く問題ありません(日本人として)。 逆に少し残念、もっと社会主義を感じたい!!(私自身は社会主義とか右寄りとか左寄りとかなく、ただ異文化・様々な考え方を感じたいだけ)と思った時に決まって行く場所があります それはCộng cà phêというカフェです。 Cộng cà phêは 1975年の南北が統一される前の北ベトナムがコンセプトのカフェで、 Cộngは"Cộng hoà xã hội chủ nghĩa Việt Nam(ベトナム社会主義共和国)"の略です。要は、「ベトナム社会主義共和国カフェ」ということです。最初は驚きました。もし日本だったら「大日本帝国カフェ」みたいなことですよね。 思想強めなカフェだなあと思っていましたが、「思想強め」という考え方自体が日本人だからこそで、 社会主義の国で社会主義がコンセプトのカフェをしてなにが悪いってことですよね 店内も古き良きハノイが意識された内装で、ひっそりと暮らす隠れ家感があります。 そしてなんと店員さんの制服は北ベトナム軍の軍服をモチーフにしているそうです。 ここの空間だけ時代が 1960〜70年代に止まっていて、 急発展するベトナムとは逆行した雰囲気を楽しむことができます。 日本や韓国でも最近レトロ感が流行っているせいか観光客も多いです。 店舗ごとに内装も工夫してあり、本当に面白いです。 以前行った店舗の本棚をぼーっと眺めていたらレーニンやマルクスの本がたくさん並んでいました。 店内の明かりも電球で、貧しい生活ながら耐え難きを耐えた北ベトナム時代を表しているのがよく分かります。 とにかく全てにおいてのディテールが本当に作り込まれていて、 ディズニーに行った時に時代考証の作り込まれた異世界に入り込んで探索している時と同じ感覚です。 サイゴンには18店舗あるそうですが、既に10店舗ほど訪れています。留学中にすべて制覇したいです。 またこれはcộng cà phêに限らないことですが、街中にはプロパガンダアートなどもあります。 元々私はアメリカの 2000年以前くらいの現代アートに少し興味があって、たまに東京や横浜の美術館に見に行くこともありますが、社会主義とはそもそもアメリカの真反対にある存在であって、アメリカの現代アートには反社会・反共産主義などの政治的意図が含まれたアートやリベラリズム的な表現が多いんですよね。 だからこそ社会主義のプロパガンダアートはいつもと真逆の立場から見ることができてすごく面白くて、刺激的です。 これまでそういう作品を第三者のような目線で見ていましたが、いざ目の前にすると当事者になったような気分になることができて、留学ならではの経験だなと感じます。 写真はcộng cà phê店内の様子(一枚目)と Việt cộng(北ベトナム軍)の軍服をモチーフにしている店員さんの制服(二枚目)です
2023-05
 雨季に入りました。ついこの前までは留学に来てからサイゴンで一度も雨を見たことがなかったのにも関わらず、今では毎日のように雨が降ります。とは言っても1〜 2時間で晴れるのでそこまで嫌ではないです。  そして今月は新しい授業が始まりました。留学に来る前はこの大学の授業制度をいくら調べても全然理解できなかったので、今後留学する方の為になればと書いておきたいと思います。 まず、この大学のベトナム語授業は日本の大学の授業とは全く異なり、前期後期に分けられているようなものではありません。2ヶ月または1ヶ月ごとに生徒の募集がかかり、それに応募する形になります。大学というより、お料理教室などの習い事のような感覚に近いかもしれません。 コースは二つあり、レギュラーコース(1日 2時間 2ヶ月)とインテンシブコース( 1日 4時間 1ヶ月)です。 内容や全体の量は変わりませんがインテンシブコースは4時間ある為、単純に1日に2倍の量を勉強します。そのため、インテンシブコースは1ヶ月で内容が終わります。履修は、大学の建物内にあるベトナム学部のオフィスで直接紙で申し込みます。交換留学生であれば学費はかかりませんが、教科書代は一冊あたり210,000ドンかかります。(どのレベルも同じ値段) 授業の内容はここの大学のオリジナル教科書になります。レベルが1〜5までの教科書があります。それぞれ前半後半に分かれています。基本的に一つのコースで一冊の教科書の半分を習う形です。 (ex.レギュラーコース/2月〜3月/レベル3の教科書 前半 → 4月〜5月/レベル3の教科書 後半) もちろんコースはその都度変えることもできます。 期末にテストが二日間あります。ライティング・リスニング・ボキャブラリー・リーディング・スピーキングの五能力別にテストをしてきます。リスニング・ボキャブラリー・リーディングは大学にあるパソコンでテストを受けます。 そして一番大事だと思われるのは生徒が集まるか否かです。どれだけ勉強したくても自分が受けたいレベルの授業に生徒が集まらないと授業が開きません。最低でも4〜5人の生徒が必要です。レベル3くらいのクラスであればほとんど問題ありませんが、レベル4くらいになってくると雲行きが怪しくなってきます。そこまでのレベルに達している人が少ないのと、そのレベルになるまでに留学の期間が終わり、帰国してしまうようです。 特に重要な点は、交換留学生は人数にカウントされないということです。交換留学生が5人いようと10人いようと学費を払っている生徒が4〜5人いなければ授業は開きません。(オフィスの人に聞いてみると、交換留学生は学費が無料のため、授業を開くための先生の給与を考えると割に合わないそうです。しかし「交換留学」のため、神田に留学している人文大学の日本語学部の生徒が学費を人文大学に払っているはずですが、人文大学自体に払い、ベトナム語学部には一銭も入らないそうで、赤字になるためカウントされないとのこと。) 非常に理不尽ですが、これが今の授業の仕組みです。 また、今月はベトナム語能力試験がありました。 これは、ライティング・リスニング・リーディング・スピーキングに分かれています。朝の7時に集合し、最後のスピーキングで運が悪いと夕方の17時まで待たされます。受検費用は300万ドンです。 基本的に人文大学でベトナム語の授業をある程度のコマ数受けている生徒はテストの受検費用が40%割引されますが、ここでもなんと交換留学生は対象外でした。なのでしょうがなく300万ドン払いました。 試験の10日前から応募すれば試験対策の授業が開かれるようでしたが、これも人数が集まらなかったため開かれませんでした。開かれたとしても学費は別で払わなければならないようです。 受検者は90%が韓国人でした。レベルは本当に上から下までいるようで、僕の前の席の人はリーディングの時に、開始3分くらいで寝ていました。 手応えとしては、読解とライティングは授業で学んだことがかなり役に立ったものの、スピーキングとリスニングがまだまだ鬼門だと感じます。 今月はこの大学の良い点悪い点を感じる機会が多い月でした。今のクラスにいる韓国人の生徒が7月に帰国してしまうため、その後に十分な生徒が集まるか心配です。せっかく留学に来たからには就活が終わり次第インテンシブコースにすぐに移りたいですが、インテンシブコースどころが、レギュラーコースすら生徒が集まるかわからない状況ですが、なんとかなると信じて授業を頑張りたいと思います。 写真は美味しいエビです
2023-04
今月の4月30日はベトナムの南北統一記念日でした。 48年前の1975年4月30日に北ベトナム側の南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)がサイゴン(現ホーチミン市)にある南ベトナムの大統領官邸の柵を乗り越え、占領し、サイゴンを陥落*させたためにベトナム戦争が終結しました。現在、南ベトナム大統領官邸はベトナムの南北統一を象徴する建物として観光地化し、入場料を払えば誰でも入ることができます。 現在留学している場所で、48年前まで戦争をしていたと考えると、信じられないと思うと共に貴重な経験をしていると改めて感じます。現在の日本では戦争経験者は非常に少ないですがベトナムではまだまだ多くの方がいます。そのため、留学中にそれらの戦争のことについてなるべく多くの人に聞くことは僕の中で一つの目標です。 また、僕は留学前にサイゴン陥落についての文献や映像資料をみた時にいくつかの疑問が浮かび、現地で実際に「サイゴン陥落・統一記念日について」のベトナム人のリアルな意見や感想を聞きたいと考えていました。 ただ、かなりセンシティブな内容になってしまうので、これまでは聞くことができませんでした。今月は留学して3ヶ月目なので、ある程度周りの人との信頼関係が築けてきた状態、そして統一記念日があることからこの話題に触れやすいと思い、先月から統一記念日を楽しみにしていました。 「サイゴン陥落・統一記念日について」  「首都陥落」と聞いてどのようなイメージを持つでしょうか。僕は首都で激しい市街戦が行われた末に中心部を侵攻軍が占領するようなイメージを持っていました。しかし、僕が見たベトナムの戦争博物館や過去のメディアの報道映像資料でのサイゴン陥落は私が予想していたよりも、もっと冷静なサイゴンの姿がありました。  1975年4月30日、サイゴンが陥落する約1時間半前に南ベトナムは事実上の降伏声明を発表しました。その後、北ベトナム軍の車や戦車が事実上の降伏をしたばかりのサイゴンの大通りを通り、大統領官邸をあっさりと占領しました。南ベトナム軍はもう抵抗する力がないので、市街戦にならないことは理解できますが、僕が疑問に思ったのは南ベトナムの住民の人の冷静さでした。数日前、数時間前まで敵だった北ベトナム軍に対してヒーローが来たかのように手を振り、通りには住民が北ベトナム軍の旗を掲げていました。私はその時の南ベトナムの方々の心境が知りたく、実際に留学に行ったら聞いてみようと決めていました。 僕の周りのベトナム人で戦争経験者はかなり限られています。その中で最も身近な存在だったのが、アパートの大家さんです。大家さんは1975年当時20歳でした。大家さんにその当時のことを聞くと、 「当時は正直負けることはわかっていたし、もうとにかく戦争が終わって欲しかった」 「北に負けるとか南が勝つとかそんなことは国のこと、私達はもう戦争をしたくなかった」 と答えました。僕はそれを聞いて、戦争において国の問題以前に本当の被害者が、巻き込まれた市民であることを強く感じました。この話を聞く前の僕は、どうしても戦争というと国目線で物事を考えてしまいがちでした。しかし、問題に対してもっと俯瞰的に様々な目線で見る必要があると感じました。  また、統一記念日についても聞きました。僕はこれまでベトナム戦争が終わって南北が統一された日としか思っていませんでした。この質問は大家さんに限らず、大学の先生方にも聞くと、皆が 「Ngày hết chính tranh(戦争がもうこれ以上無くなった日)」 「Ngày không bao giờ gây chiến(もうこれ以上戦争を起こさない日)」 と答えました。ベトナム人にとってこの日は日本にとっての終戦の日のように忘れてはならない重要な位置付けにあるのです。 統一記念日に近づくにつれ、サイゴンの街は記念日をお祝いする看板や飾りつけ、当日の夜には花火も上がりました。まるでお祭りが開かれるかのような雰囲気のように思えました。しかし、あくまでもこの日は戦争が終わった「けじめ」の日でした。そのことを知ってから、街中の看板や飾りつけ、花火に戦争を忘れないという強い想いが見えてきて、全く違う景色のように見えました。 *陥落という言葉は主に反共産主義が首都を陥落させた時に対して使うようですが、ベトナム戦争は北ベトナム側のベトコン軍(Việt cộng=cộngは共産主義の意味)がサイゴンを侵攻しているため、使い方が不適切かもしれません。しかし、一般的にベトナム戦争が終結したこの出来事をサイゴン陥落と呼ぶことがあるので陥落という言葉を使っています。 添付した写真は、街中にある統一記念日の看板と道沿いにある社会主義を象徴する旗です
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