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2026-01
留学成果報告書1月分
ブラジル留学まとめ
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1960年 ・学生数 約1,5000人 ・設置学部 20学部学士課程(学部課程) 経営学、建築・都市計画学、芸術・デザイン、美術、コンピュータサイエンス(情報科学)、宗教学、生物科学、会計学、経済学、基礎科学、人文科学、社会科学、映画・映像学、デザイン、法学、体育学、看護学、環境・衛生工学、土木工学、計算工学、生産工学、電気工学(エネルギー/ロボティクスおよび産業オートメーション/電力システム/電子システム/通信)、機械工学、統計学、薬学、哲学、物理学、理学療法学、地理学、歴史学、ジャーナリズム、文学(手話Libras/翻訳:ポルトガル語・スペイン語・フランス語・英語・イタリア語・ラテン語)、数学、医学、獣医学、ファッション学、音楽(声楽/フルート/ピアノ/ギター/ヴァイオリン/チェロ/作曲/教員養成課程)、栄養学、歯学、教育学、心理学、化学、ラジオ・テレビ・インターネット、社会福祉学、情報システム学、観光学 ・その他 ブラジル国内大学を対象として実施された2023年のIGC(General Course Index)評価において、最高評価である「5」を獲得しており、国内大学の上位3%に位置している。また、教育の質の高さに定評があり、ブラジル国内ランキングではトップ8位にランクインしている。さらに、各学部には図書館が完備されており、学習環境も充実している。 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) • Letras(文学部) • Física(体育学部) • Artes(芸術学部) • Instituto de Ciências Humanas(人文社会学部) (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など 履修に関する制限は特に設けられておらず、留学生であってもすべての講義を履修することが可能です。私自身も、複数の学部にまたがる様々な講義を受講させていただきました。 (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 大学全体の雰囲気は、良い意味で落ち着いている印象であった。学生は騒がしいというよりも穏やかで温厚な性格の者が多く、留学生に対しても親切に接してくれる学生や教員が多かった。 留学生は、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アジア、アフリカなど多様な地域から受け入れられていたが、特にラテンアメリカ語圏出身の学生が多い印象であった。日本人学生は、KUIS以外に提携校がないこともあり、ほとんど在籍していなかった。また、韓国人学生も1〜2名程度であり、アジア圏からの留学生は非常に少ない状況であった。 (5) 課題や試験 (KUISとの違いや負担の大きさなど) UFJFにおける課題や試験は、単なる記憶や知識の暗記を問う形式ではなく、発表や論述形式が中心であった。授業で学んだ内容を総合的に理解し、それを応用して課題を遂行する力が求められる場合が多く、知識の理解度だけでなく思考力や表現力も評価の対象となった。 そのため、日頃から授業の内容を丁寧に整理し、ノートを活用して復習を重ねておくことが、試験や課題に対応する上で重要である。KUISでの学習と比べると、暗記型の試験負担は少ないものの、授業内容を主体的に整理・応用する姿勢が求められる点で負担の種類が異なると感じた。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか UFJFでは、国際戦略部(DRI)によるサポート体制が非常に充実しており、留学に関わるほぼすべての手続きを支援していただけた。履修方法の相談や、自身の興味に応じた講義・教員の紹介、学内施設(学食・図書館・バスなど)の利用方法に加え、外国人登録(RNM)の申請手続きについても、必要に応じて学外への同行支援まで行っていただいた。 留学中に何か問題が発生した場合も、国際戦略部のHugoさんやRobsonさんに相談すれば、ほぼすべての問題が解決する体制が整っていた。実際、私がRNM手続きでサーバーエラーに遭遇した際も、業務多忙であるにもかかわらず最後まで手伝っていただき、登録料の支払いのために学外の宝くじ売り場まで同行してくださった。このように、学生一人ひとりに非常に丁寧で手厚い対応が行われていたことは特筆に値する。 また、HugoさんはKUISへの留学経験もあり、ポルトガル語での相談が難しい場合でも日本語で対応してもらえる環境が整っていたことは、精神的にも非常に心強かった。 (7) オリエンテーション (オリエンテーションがあったか、あった場合その内容) 私は到着日程の都合によりオリエンテーションに参加できなかったため、具体的な内容については他の学生の報告書を参照していただきたい。しかし、参加せずとも学生生活を始める上で特に支障はなく、国際戦略部を訪問すればオリエンテーションで行われる内容と同等の説明を受けることができるため、情報面での不便はほとんどなかった。 (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) 履修登録は渡航後に行われ、授業開始後に各講義を体験受講した上で、約2週間後にDRIに履修希望科目のリストを提出する形で行われた。講義一覧については、DRIのHugoさんに連絡すればすべて送付してもらえる。また、履修登録後の変更も可能であるため、興味のある講義は一度登録し、後で調整やキャンセルを行うこともでき、柔軟な履修管理が可能であった。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 ブラジル・ポルトガル語、さらにブラジルの歴史や文化を学ぶ中で、実際に現地を訪れ、文化に直接触れる体験を通して理解を深めたいと考えたことが留学の決意の理由である。もちろん語学力向上も目的の一つであったが、日本での座学だけでは得られない実践的な知識や経験を得たいという思いが強かった。 (2) 留学先を選んだ理由 KUIS在学中、UFJFからの留学生が多く来日していたことから、同じ大学で学ぶことで学習面や生活面での支援を受けやすく、友人関係の構築においても不安を軽減できると考えた。また、ジュイス・ジ・フォーラは物価が比較的安く治安も良好であり、リオデジャネイロやサンパウロなど大都市へのアクセスも容易である点は、生活費を抑えながら充実した留学生活を送るうえで好条件であった。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 行った準備 • 普段の授業やMULCでの自主学習に積極的に取り組んだ。 • ブラジルと日本の文化・伝統・歴史・地域についての理解を深めた。 しておけば良かった準備 • 簡単な本でもよいので、ポルトガル語の読解習慣をつけておくこと。読解に慣れていれば、講義理解や課題遂行がより円滑になったと感じる。 • ポルトガル語での説明が理解しづらい場合に備えて、英語での説明理解力を高めておくことも有効であった。 • 宗教や政治に関する知識についても、事前に学習しておくことでより良い説明や理解ができたと感じる場面が多かった。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) 行った準備 • 日本滞在中からブラジル人留学生と関係を築き、積極的に交流すること。 しておけば良かった準備 • 教科書にはない口語表現や若者言葉を学んでおくことで、日常生活で遭遇する未知の単語の数を減らし、スムーズでよりネイティブに近いコミュニケーションが可能になったと感じる。 • 過去の留学報告書を事前に読み込み、現地で直面する問題や手続きに備えておくこと。事前に情報を把握していれば、解決が容易であった課題も多かったと実感している。 (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) 交友関係は、日本に留学生として来日していたブラジル人の友人をきっかけに広がっていった。現地到着後、その友人から家族や知人を紹介していただき、家庭での集まりや食事に招いていただく機会を通して、地域社会とのつながりを築くことができた。 また、サンパウロ大学の友人との交流を通じて、同大学の学生やサンパウロに駐在している日本人駐在員の方々とも知り合うことができた。大学という枠を越え、ビジネス分野における人的ネットワークを構築できたことは、大きな財産となっている。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと 特に印象的であったのは、学生の授業に対する積極性と主体性である。公立大学であり学費が無償であるにもかかわらず、学生は高い意欲を持って授業に参加していた。その姿勢は、高額な学費を支払って学んでいる私たちが改めて見習うべき点であると感じた。大学は単なる教育機関ではなく研究機関であるという本質を再認識する機会となった。 授業形式は日本と比較して自由度が高く、受動的ではなかった。一方で、学生からのリクエストや柔軟な方針変更により、授業進行に一貫性が感じられない場面もあった。知識を体系的に積み上げるという点では日本の教育に強みを感じる一方、得た知識を活用し応用する力を養う点ではブラジルの教育に優位性があると感じた。両国の教育の特性を体感できたことは、今後の学習観を形成する上で非常に意義深い経験であった。 (7) 授業外で参加した活動 (ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法) サンパウロでは、日本人祭りや県人会などのイベントやボランティア活動に、駐在員の方々の紹介を通じて参加させていただいた。こうした活動を通じ、日本人コミュニティとブラジル社会の関わりを実地で学ぶことができた。 また、ジュイス・ジ・フォーラでは、体育学部で育成年代の研究を行っている教授と連携し、日本の多言語サッカースクールを支援するための研究資料やデータの活用に関わらせていただいた。加えて、運営協力を依頼するなど、学術と実践を結びつける取り組みにも参加した。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと ブラジルには、過去の日本人留学生や駐在員の方々が築いてきた信頼関係や実績があるため、自分から積極的に動かなくても、一定の活動機会は得やすい環境にあると感じた。しかし、その基盤があるからこそ、自身の専門分野や関心領域に特化した活動を主体的に開拓していく姿勢が重要であると考える。受け入れてくれる土壌や挑戦できる環境は整っているため、それをどのように活用するかは自分次第であるということを強く実感した。 (9) 留学で達成した最も大きなこと 最も大きな達成は、価値観の許容範囲が大きく広がったことである。ブラジルで多様な人々や社会環境に触れる中で、日本では当たり前と考えていた価値観が揺さぶられる場面が数多くあった。そのたびに自分自身の考えを見つめ直し、多角的に物事を捉える姿勢を身につけることができた。 語学力の向上も大きな成果であるが、「ブラジルでしか得られない経験」という観点で考えると、最も大きな変化は思考の柔軟性と多様性への理解であると考える。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 今後は、ポルトガル語の語彙や文法知識を継続的に積み重ね、言語運用の精度と表現の幅をさらに高めていきたい。また、ブラジルのみならず、他地域のポルトガル語の特徴についても学び、場面や地域に応じて適切に使い分けられる能力を身につけたいと考えている。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 今後は、ポルトガル語の語彙や文法知識を継続的に積み重ね、言語運用の精度と表現の幅をさらに高めていきたい。また、ブラジルのみならず、他地域のポルトガル語の特徴についても学び、場面や地域に応じて適切に使い分けられる能力を身につけたいと考えている。 (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) ビザ申請は最も注意を要する手続きである。取得に時間を要する書類も多く、慣れない手続きが続くため精神的に不安になることもある。 特に以下の書類は発行に時間がかかるため早期対応が必要である。 • 無犯罪証明書 • 戸籍謄本の取得と英語訳 書類取得から申請完了まで一定の時間を要するため、十分な余裕を持って計画的に進めることが重要である。多少のトラブルがあっても自力で対応する姿勢が求められる。 (3) 航空券を予約した方法 (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) 航空券は Trip.com および Skyscanner を利用して比較検索し、最安値を選択した。旅行代理店を利用すると費用が上がると判断し、オンライン予約のみで手配した。結果として約15万円で渡航することができた。 (4) 渡航したルート 東京(NRT) → チューリッヒ(ZRH) → サンパウロ(GRU) → リオ・デ・ジャネイロ(GIG) 長距離移動となるため、乗り継ぎ時間には余裕を持つことが望ましい。 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) 大学による出迎えサービスはなかった。 リオ・デ・ジャネイロ到着後、Rodoviária Novo Rioへ移動し、そこからジュイス・ジ・フォーラ行きの長距離バスを利用した。事前にバス会社や時刻表を確認しておくと安心である。購入は、事前にネットで行った。 (6) 滞在先住居を探した方法 (大学の寮に申し込めたか、寮に滞在した場合は申込みの方法やいつ頃申し込んだか、不動産業者や特定のウェブサイトを使用した場合はその名称やURLなど、住居を手配した方法を詳細に記入してください) 渡航前から、KUISに留学していた友人の紹介で知り合ったオーナーに連絡を取り、複数の物件を内見した上で契約した。 一般的には以下の方法も有効である。 • Facebook • Viva Real 紹介経由は信頼性が高く、契約までの流れも円滑であった。 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 家賃:約R$800 支払方法: • Wise経由 • Pix mobiliado(家具付き)物件を契約したため、生活に必要な基本設備は整っていた。 備え付け設備 • ベッド • 机 • クローゼット • フライパン • 洗濯機 自身で購入したもの • マットレス • 枕 • ハンガー • 時計 • 鏡 到着直後から生活を開始できる環境であり、メンテナンス状態も概ね良好であった。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) 生活費を抑えるためには、大学の学食と自炊を中心とした生活が最も効率的である。特に学食は低価格で栄養バランスも比較的良く、日常的に活用することで支出を大幅に抑えることができる。 移動手段については、以下のサービスを適切に使い分けることで交通費を節約できる。 • 長距離バス • BlaBlaCar(相乗りサービス) • 99 • Uber 特に都市間移動では長距離バスやBlaBlaCar、市内移動では99やUberを利用することで、安全性と費用のバランスを取りやすい。 生活環境については、住宅によっては虫が頻繁に発生する場合がある。特に気温や湿度の高い時期は増加する傾向があるため、虫除けスプレーや殺虫剤などの対策用品を準備しておくと安心である。 また、ブラジル人の友人は非常に社交的で、こちらから積極的に声をかけることで様々な場所に連れて行ってくれることが多い。行きたい場所や挑戦したいことを日頃から周囲に共有しておくと、偶然その地域出身の友人と繋がったり、有益な経験に発展したりする機会が生まれる。受け身ではなく、自ら意思表示をすることが生活の充実度を大きく左右すると感じた。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) 日常生活では現金の使用頻度は非常に低かった(旅行先でのバス利用時を除く)。 日本の銀行からWise経由で Banco do Brasil に送金し、ATMで引き出していた。クレジットカードやPix決済が広く普及しているため、キャッシュレス環境は整っている。 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) ショッピングモール内の Vivo 店舗でSIMカードを契約した。事前に料金プランを調査していたため、契約はスムーズであった。 (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) 大学では図書館のWi-Fiは安定しているが、教室によっては接続が不安定な場合があった。住居のインターネット環境は快適で問題はなかった。 (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) 5月に発熱と吐き気が続いたため、UPA(公立救急医療機関)を受診した。渡航前から、ポルトガル語で自分の症状や直近の食事内容、服薬状況などを整理しておき、説明できる準備をしていたことが非常に役立った。また、ブラジル人の友人に同行してもらったことで、受付手続きや問診での意思疎通もスムーズに行うことができた。 現地の医療スタッフは非常に丁寧で、症状を確認した上で迅速に点滴治療を施してくれたため、短期間で体調を回復させることができた。 (5) 日本から持っていくべきもの  • 撥水・防水ハイキングシューズ • マリンシューズ • 防水・防風ジャケット • 40L程度の旅行用リュック • 速乾インナー(夏用) • ヒートテック(冬用) • 室内干しでも乾きやすいタオル • 日本製の医薬品・化粧品 • 湿布、外用薬、虫刺され薬 • 軟膏(オロナイン類似) • アースノーマット • ポケットティッシュ • ふりかけ • はらまき • 変換プラグ • 体温計 • 腕時計 • 文房具 • USBケーブル複数本 • コロコロ、消臭スプレー (6) 治安状況 (どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか) ジュイス・ジ・フォーラではDom Bosco地区に注意していれば大きな問題は感じなかった。 一方で、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロ、ノルデスチ地方、イベント参加時は以下を徹底した。 • 高価に見える服装を避ける • 荷物を最小限にする • 場合によっては携帯電話を持参しない • 現地人と行動する • 領事館情報や現地ニュースを事前確認 過度に恐れる必要はないが、リスク管理意識は不可欠である。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか) 基本は学食と自炊であった。 学食は1食約40円で、平日は昼・夜の利用が可能である。 外食は、 • チェーン店:約1,000円 • 高価格帯の店:約2,000円(サービス料込み) 物価差を考慮すると、学食のコストパフォーマンスは非常に高い。 (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか) ガイドブックは使用せず、主にTikTokやInstagram などのSNSで観光情報を事前に調査した。現地では友人や知人からの口コミ情報が有効であった。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 LGBTや宗教に関する価値観は日本と大きく異なる。多様な立場が明確に存在し、自身の意見を求められる場面も多い。曖昧な態度ではなく、相手を尊重しつつ自分の立場を明確に示す姿勢が重要である。 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) 卒業後は、日本企業のうち海外駐在の機会がある企業を中心に就職活動を行う予定である。特に、将来的に海外拠点での業務に携わることができる環境を志望している。あわせて、在外公館派遣員試験にも挑戦し、外交・国際業務に関わる可能性も模索していきたいと考えている。 (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) 留学期間中、本格的な就職活動は十分に行うことができなかったが、留学初期にはオンラインで実施されている企業の合同説明会に参加し、業界研究や自己分析を進めていた。 同期の進路が次々と決定していく中で焦りを感じる場面もあったが、最終的には「今年度中の就職活動は行わず、帰国後に取り組む」と判断した。その決断により、留学中は目の前の学習や現地での経験に集中することができ、自分のペースで将来を考える時間を確保することができた。 結果として、留学期間を中途半端な状態で終えることなく、学業および現地活動に専念できたことは有意義であったと感じている。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 将来的には、ブラジルあるいはポルトガル語圏と関わる業務に従事し、留学で培った語学力を実務レベルで活かしたいと考えている。 また、語学力のみならず、異文化環境における適応力、多様な価値観を受け入れる姿勢、主体的に行動する力といった非認知的能力も、今後の職務において重要な資産になると考えている。 特にブラジルでの経験を通して得た「自分の常識を相対化する視点」は、国際業務に限らず、組織内外の多様な立場の人々と協働する上で大きな強みになると考えている。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 留学を検討している学生は、「なぜ自分は留学をしたいのか」「なぜ旅行ではなく“留学”でなければならないのか」という問いに、時間をかけて向き合うべきである。 旅行は非日常を“体験”するものであるのに対し、留学は非日常を“生活”に変える選択である。旅行では都合の良い部分だけを切り取ることができるが、留学では言語の壁、制度の違い、文化的摩擦、孤独、不安といった現実と継続的に向き合うことになる。だからこそ、自分の動機が曖昧なままでは、困難に直面した際に立ち戻る軸を失ってしまう。 明確で立派な理由が最初からある必要はない。しかし、「なぜ今なのか」「なぜその国なのか」「その経験を通して自分はどう変わりたいのか」といった問いを自分自身に投げかけ続けることが重要である。その内省の過程こそが、留学を単なる海外滞在から“自己変容の機会”へと昇華させる。 留学は、良くも悪くも自分の前提を破壊する経験である。これまで当然だと思っていた価値観、正しさ、常識が通用しない場面に何度も直面する。自分の語学力の未熟さ、論理性の弱さ、視野の狭さを突きつけられることもある。その過程は決して快適ではない。しかし、その不快感こそが成長の源泉である。 異なる文化の中で生活するということは、「自分が多数派である」という前提を失うことである。自分の意見が常識ではなくなり、自分の文化が基準ではなくなる。その経験を経ることで、初めて他者の立場を本質的に理解する視点が養われる。これは語学力以上に価値のある財産である。 また、留学を選択することで、周囲とは異なる時間軸を歩むことになる可能性もある。就職活動の時期がずれる、卒業が遅れる、キャリアが一時的に停滞するように見えることもある。しかし、人生を長期的な視点で捉えたとき、数か月や一年の差異は決定的なものではない。むしろ、自ら選択し、自ら責任を負った経験の蓄積こそが、その後の人生の意思決定を支える基盤となる。 留学の価値は、「どこへ行ったか」ではなく、「その環境でどれだけ主体的に行動したか」によって決まる。受け身で過ごせば、どれほど遠い国にいても成長は限定的である。一方で、自ら問いを持ち、人に会い、挑戦し、失敗し、振り返ることを繰り返せば、その経験は確実に血肉となる。 最終的に重要なのは、留学を“特別な経歴”にすることではなく、“自分の思考と選択の質を高める経験”にできるかどうかである。 それでもなお挑戦したいと感じるのであれば、迷う時間も含めて意味のある過程である。勇気を持って一歩を踏み出してほしい。 留学は、単なる海外経験ではない。自分が無意識に抱いてきた前提や常識を問い直し、思考を更新し続けるための環境であり、自身の可能性を拡張するための実践的な訓練の場であると、私は強く感じている。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
【① 気候、衣服】  1月の気候は、不安定そのものだった。今月はジュイス・ジ・フォーラ、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロなど複数の都市に滞在したが、いずれの地域においても、真夏日を思わせる強い暑さを感じる日があった一方で、長袖が必要と感じるほど気温が下がる日もあり、日による寒暖差が非常に大きかった。  月を通した気温の目安としては、最低気温が約16℃、最高気温が約33℃程度であり、天候によって体感温度が大きく左右される印象を受けた。特に晴天時の日差しは強く、同じ気温であっても、日本のような蒸し暑さではなく、日差しそのものによる暑さを強く感じる場面が多かった。また、日差しの影響により、1日屋外を歩いているだけでも肌が大きく日焼けしてしまうことがあるため、日焼け止めに加え、現地で広く使用されているPos sol(日焼け沈静用アロエジェル)などを携帯することの重要性を実感した。     さらに、11月頃から雨の日が増え始め、1月に入ってからも降雨の頻度は高い状態が続いている。ブラジルの雨は短時間で激しく降る、いわゆるスコールのような形態が多く、外出前に天候を確認する習慣が欠かせないものとなった。現地で販売されている雨具は簡易的なものが多く、耐久性の面で不安を感じる場面もあったため、日本から高性能なレインウェアや折り畳み傘を持参することは、実用面で大きな利点があると感じた。私は上着用のカッパのみを持参していたが、防水性のある靴や下半身用の装備を用意していなかったため、この点については少し後悔している。 【② 学校生活と授業】  今月は後期の最終月にあたるため、各授業においてテストが実施された。テストの形式はオーラルテストや筆記試験、プレゼンテーションなど多岐にわたり、後期を通じて身につけた語学力や理解度が総合的に問われる内容であった。前期と同様に、単なる暗記では対応できない設問が多く、準備にはかなりの時間を要した。 特にオーラルテストでは、即興的な受け答えや自分の意見をその場で組み立てて発話する力が求められ、単なる知識量だけでなく、実際に使える言語運用能力を重視する授業方針が明確に表れていると感じた。  また、この1年間の留学生活を通じて多様な授業に参加し、多くの学びを得てきたが、今月でそれらすべてが終了したことで、留学としての1つの大きな節目を迎えたことを強く実感した。 日々の授業に追われていた期間は長いようで短く、学習が日常の一部として定着していたからこそ、その終わりを迎えた際には静かな寂しさを覚えた。  しかし、後期の終了をもって私の学生生活における全授業が完結した現在、これまで受講してきた授業を改めて振り返ると、受講して後悔したものは1つもなく、いずれの授業においても、自身の語学力のみならず、異なる価値観に向き合う姿勢や考え方そのものを広げる貴重な経験になったと感じている。これらの学びは、私の今後の学習や将来の進路を考えるうえでも重要な基盤になると確信しており、改めて自身で選択してきた進路が、意義のあるものであったと認識する契機となった。 【③ 私生活】 リオ・デ・ジャネイロ/コパカバーナビーチでの年越し  2025年も大晦日を迎え、海外で初めて新年を迎えることとなった。昼過ぎ、地球の反対側にある日本ではすでに年が明けており、LINEや Instagramなどの SNS上には「明けましておめでとう」という言葉が次々と流れていた。画面の向こうでは新年が始まっていて、自分だけがまだ2025年に取り残されている状態に、時差というものをこれまで以上に強く意識させられた瞬間だった。  大晦日のリオ・デ・ジャネイロは、日本で一般的に見られる落ち着いた年末の雰囲気とは大きく異なり、観光都市であることも相まって、街全体がお祭りのような高揚感に包まれていた。留学前から、2026年の年明けはコパカバーナビーチで迎えたいと考えていたため、この日はブラジル人の友人とともに、伝統に倣って全身白い服に着替え、夕方17時頃、早めにコパカバーナへ向けて出発した。 (ブラジルでは、新年に平和や幸せを願い、白い服を身に着ける習慣がある。また、年明けに海へ入り、7回波を越えながら願い事をするという伝統的な儀式もある。)  当日のコパカバーナ周辺は想像以上の混雑で、19時以降の車両の進入が閉鎖されていたため、主な移動手段は公共バスや電車、徒歩に限られていた。バスは乗車率が100%近く、途中乗車が難しいほどであるが、友人から事前に情報を得ていたため、私たちは始発から乗車することで大きな支障なく現地へ向かうことができた。年末に同地を訪れる際には、ブラジル人と一緒に行くか事前の情報収集が重要であると感じた。  ビーチに到着すると、前面の道路は歩行者天国となっており、街中から集まった多くの人々で溢れていた。リオの年末年始は治安面に不安を抱いていたが、実際には警察官や機動隊の姿が至る所にあり、周囲の雰囲気も含め、想定していたほどの不安は感じなかった。ビーチに設置された特設ステージでは、有名アーティストによるライブが絶え間なく行われ、日本の年末とは全く異なっていた、音量も規模も規格外で賑やかな年末の光景が広がっていた。  当日は10数名のグループで訪れていたため、カンガを6〜7枚ほど敷き、それぞれが持ち寄ったお菓子やジュースを囲みながら、年明けの瞬間を待った。カウントダウンが始まると、多くの人々が一斉に海の方向へ集まり、身動きが取りづらいほどの混雑の中で空を見上げていた。  「0」の掛け声と同時に、夜空を覆い尽くすような花火が一斉に打ち上げられ、その迫力に圧倒された。日本の花火大会と比べても規模は非常に大きく、日本でいうクライマックスに相当する花火が、約30分間にわたって続いた。周囲は拍手と歓声に包まれ、その場にいる全員が同じ瞬間を共有し、一体感を強く感じた。  その後はドローンショーが始まり、夜空にコルコバードのキリスト像が描かれたり、「2025」から「2026」へと数字が切り替わる演出が行われたりする様子を見ることができた。日本の伝統的で静かな新年とは異なる、賑やかで祝祭的な年明け、そして初めて目にした大西洋から昇る初日の出、すべてが新鮮で強く心に残る体験となった。ここで新年を迎えられたことで、今年もまた新たな挑戦に前向きに取り組んでいきたいという気持ちを一層引き締めることができた。 帰国する友人達  1月を迎え、UFJFではまだ授業が継続しているものの、ストライキの影響を受けていない他大学では学期が既に終了しており、それぞれ母国へ帰国する友人たちが出始めた。 1年間という限定的な期間ではあったが、多くの時間を共に過ごした友人が次々と帰っていく現実は想像以上に寂しく、次はいよいよ自分の番なのだと思うと、ブラジルでの生活が一層名残惜しく感じられた。  私を含む帰国予定の留学生組と現地の学生達で Despedida(お別れ会) を開き、これまでの留学生活を振り返りながら思い出を語り合い、写真を撮り、さらには互いにメッセージを書き合うなど、限られた残りの時間を惜しむように過ごした。中には、別れを前に涙を流してくれる友人や、わざわざサプライズプレゼントを用意してくれた友人もおり、その瞬間、自分がどれほど多くの人に支えられ、恵まれ、そして大切に思われていたのかを強く実感することができた。  留学生活の終わりが近づくことは寂しく、時に辛さも伴います。しかし、ここでしか出会えなかった友人や、ここでしか得られなかった経験、そして数えきれない思い出が胸に刻まれているからこそ、心から「留学をして本当によかった」と思えました。 アマゾン旅行  ブラジルでの最後の旅行先として、私はアマゾン州の州都マナウスを選びました。 アマゾンは説明不要な地球の肺であり、ブラジルをブラジルたらしめている象徴的な地域でもあります。世界最大の流域面積を誇るアマゾン川と、広大な熱帯雨林を有するこの地を、自分の目で確かめずに帰国するわけにはいかないと感じていました。  リオ・デ・ジャネイロからサンパウロを経由し、マナウス空港へ向かう機内で、眼下にアマゾン川が見えた瞬間、その規模に思わず言葉を失いました。 流域面積が世界一で、「海のように見える」と聞いてはいましたが、実際に上空から見た印象はそれをはるかに超えていました。最初に頭に浮かんだ感想は、「海の上に森が浮かんでいる…」といったもので、人間の想像や理解度を軽々と超えてくる光景でした。この異様とも言えるスケールを前に、これから始まる旅への期待で胸の高鳴りが止まりませんでした。  マナウス到着後は、日本の真夏をそのまま思い出させるような、湿度を伴った蒸し暑さに包まれながらホテルへ向かい、翌日以降の行程に備えて体を休めました。 熱帯雨林散策ツアー  滞在中、アマゾンの自然をより深く体感するため、現地の Tucano Turismo というツアー会社を利用し、1人 R$300の日帰り探索ツアーに参加しました。 インターネット上では同様のツアーが R$450以上、かつ宿泊を伴うものしか見つからず、日帰りでの参加を希望していたため、現地到着後に直接店舗を訪れて予約を行いました。ポルトガル語で直接やり取りしたことで、相場よりも安く予約できただけでなく、複雑な集合場所や当日の流れも問題なく理解することができ、自身の語学力の向上を実感する機会にもなりました。  ツアーでは、車で街の中心部から約3時間移動し、鬱蒼と木々が生い茂るジャングルの中へ入っていき、下車後森の中を歩きながら、洞窟や滝など熱帯雨林ならではのスポットを巡っていきました。雨季の時期で天候が不安定だったため、カッパ、滝用のサンダルと水着、虫対策として長袖・長ズボン、虫除け(SC Johnson社Repelente Exposis Extreme)を持参しました。参加者は、13名程でブラジル国籍の方はおらず、英語での説明も多くありました。 (バンの乗車人数に限りがあるので利用する場合は、早めの予約をお勧めします。 集合は、Teatro Amazonas 近くにあるHotel Dez de Julho 前に7:15でした。)  実際には半袖・半ズボンの参加者も多く、想像していたほど虫はいませんでしたが、万が一があるためやややりすぎ程度の対策をしておいて損はないと感じました。靴はトレッキングシューズを履いていきましたが、泥濘や水の中を進む場面も多く、マリンシューズや折り畳み式の長靴があればより便利だったと思います。  森を1時間ほど歩いた先で、大きな滝に到着しました。水は茶色く、流れも速く、少し泡立っている様子でしたが、多くの観光客が泳いで楽しんでいました。  「アマゾンで泳ぐ」という1つの夢を叶えるため、私も勇気を出して近くの岩場から水に飛び込みました。見た目の色から少し身構えていましたが、実際に入ってみると水は思っていたよりも心地よく、流れも想像ほど強くはありませんでした。茶色く濁った水に身を委ねるという非日常的な感覚がむしろ心地よく、滝の轟音を間近に聞きながら水面に浮かんでいると、世界最大級の熱帯雨林の中にただ自分がひとりぽつんといるのではないかという錯覚さえ覚えました。巨大な自然の中で遊んでいるという解放感に包まれ、時間の感覚さえ曖昧になるようなひとときでした。  水から上がったときには、「本当にアマゾンで泳いだ」という実感が強く残り、単に楽しかったという以上に、自分の中の1つの夢を確かに叶えたという満足感を覚えました。 先住民の洞窟  その後、車で別の森へ移動し、ガイドさんとともに再び1時間ほど歩き続けると、突然視界が開けた岩場に到着しました。巨大な岩が重なり合って自然の通路を形成し、その奥には洞窟と、上から滝が流れ落ちる幻想的な空間が広がっていました。  ガイドさんによると、この洞窟は約2000年前に実際に先住民が使用していた場所であり、光が差し込む滝は聖地として扱われていたそうです。洞窟の奥には調理場の跡も残されており、森の中に突如現れる岩場という地形の特性上、狩りをせずとも動物が自然と落ちてくることもあったと説明を受けました。  実際に彼らの生活の痕跡を目の当たりにし、この場所にわざわざ足を運んだからこそ貴重な体験ができました。熱帯雨林の自然だけでなく、人々の歴史にも触れることができた、非常に意義深い旅となりました。 アマゾン料理  アマゾン旅行中、特に驚かされ、感動したのが郷土料理の数々でした。 この地域では川で獲れる魚が日常的に食卓に並び、ジュイス・ジ・フォーラで肉中心の食生活を送っていた私にとって、アマゾンの魚料理は大きな楽しみの1つでした。  Mercado Municipal(中央市場)では、滞在中に何度も地元料理を味わう機会があり、世界最大の淡水魚である Pirarucu(ピラルク) をはじめ、Pacu(パクー)、Tambaqui(タンバキ)、Jaraqui(ジャラキ)、Piranha(ピラニア) など、さまざまな魚を主にフライでいただきました。  味の印象としては、 ・Pirarucu(ピラルク)はクセのない上質な白身魚で、骨もほとんどなく非常に食べやすいのが特徴です。ムケッカとして提供されることもありました。 ・Pacu(パクー)は皮が鶏皮せんべいのような味わいで、身は鶏肉と白身魚の中間のような食感でした。ただし骨が非常に多く硬いため注意が必要で、実際に口の中に骨が刺さり、出血してしまったこともありました。 ・Tambaqui(タンバキ)は脂が多く、ジューシーで食べ応えがあり、特にムケッカとの相性が良い魚でした。 ・Jaraqui(ジャラキ)は卵にししゃものような苦味があり、全体としてはタラに近い味わいでした。 ・Piranha(ピラニア)は味がほとんどなく、骨が非常に多いため可食部分が少ない魚でした。提供している店もほとんど見かけず、唯一見つけた店でも昼頃には在庫がなく、予約をすれば夜までに仕入れるという状況で、日常的に食べられているものではないと感じました。  ピラニアを除く多くの魚料理は、ワンプレートにご飯やフェイジョアーダが付いて R$25〜40程度 で提供されており、レモンを絞って食べると、日本の唐揚げのような感覚で次々と箸が進みました。これほど多くの川魚を食べる機会は初めてで、非常に満足度の高い食体験となりました。 船ツアー  翌日は、Boto Da Amazônia のツアー会社を利用し、1人 R$140 の船ツアーに参加しました。このツアーは WhatsApp を通じて事前予約を行い、朝8時に Mercado Municipal に集合した後、船で複数のスポットを巡る内容でした。参加者は約30人で、熱帯雨林散策ツアーとは異なりブラジル人の参加者が多く、ガイドも含めほぼすべてポルトガル語で進行されました。そのため、他の観光客とポルトガル語で会話する機会も多く、実践的な語学経験の場にもなりました。  大型船でのツアーだったため、船内には浄水器やトイレも完備されており、非常に快適な環境でした。Rio Negro(ネグロ川) を進むにつれて、川幅の広さと心地よい風に包まれ、まるで大海原へ航海に出たかのような感覚を覚えました。 Encontro das Águas(川の合流地点)  最初に向かったのは、Rio Negro(ネグロ川)と Rio Solimões(ソリモインス川)が、混ざり合うことなく並んで流れる「Encontro das Águas」と呼ばれる場所です。pH値や水温、流速の違いによって、色の異なる二つの川が一本の線を引いたように分かれて流れる、アマゾンを代表する景色の一つです。  船で20分ほど進むと、それまで一面に広がっていた黒い川の向こう側に、泥色がかった真っ茶色の水が現れました。近づくにつれて境界線ははっきりとし、水と油が分かれるように、二つの川が混ざる気配なく流れているのが目に見えて分かりました。その光景に、乗客たちは身を乗り出して写真や動画を撮り、船内は自然と盛り上がっていきました。  周囲では野生のイルカの姿も確認でき、ただ景色を眺めているだけでも、アマゾンという場所のスケールと不思議さを肌で感じる時間となりました。 ピラルク釣り  川の合流地点を後にした後は、そのままソリモインス川をしばらく遡りました。途中、現地の人々が小型ボートで移動する様子や、川の上に森が浮かんでいるかのような独特の景観も見ることができました。  やがて小さな水上施設に到着し、「これからピラルク釣りを行います」というアナウンスが流れました。施設にはピラルクの生簀が設置されており、すでに他の観光客が釣りに挑戦していました。水面から時折現れる巨大な鱗や尾びれが、水飛沫を上げながら動く様子は圧巻でした。  3回で R$10 のチケットを購入し、約10cmの小魚を餌にした釣竿を受け取り挑戦しました。竿を入れた瞬間、強靭な力で引き込まれ、姿を見ることも叶わず30秒足らずで餌を持っていかれてしまいました。そもそもピラルクは世界最大の淡水魚で、体長は最大 4.5m にも達する古代魚であり、約 1億年前 から姿を変えていない「生きた化石」とも呼ばれる怪魚です。そのため、竿1本で釣り上げるのは成人男性でも非常に困難です。  再挑戦では集中して臨み、強烈な引きに耐えながら力いっぱい竿を引くと、水中から巨大な頭部が姿を現しました。その姿はまるで恐竜のようで、約10秒間の格闘の末、再び敗北しましたが、その圧倒的なスケールとパワーを体感することができ、非常に印象深い体験となりました。 インディオの集落訪問  その後、インディオの集落を訪れました。集落では、顔にペイントを施してもらったり、伝統的な儀式を見学したり、インディオの人々やナマケモノと写真を撮る機会がありました。  しかし、写真撮影にはインディオが一人R$10、ナマケモノは一回R$25程度と明確な料金が設定されており、全体として強い観光ビジネスの色を感じました。特に印象的だったのは、集落で対応していたインディオの中に、同年代あるいは年下に見える若い女性たちも多く含まれていた点です。彼女たちは終始無表情で、儀式や撮影対応もどこか事務的に進められており、文化を共有する場というよりも、観光客を相手にした労働の場として機能しているように感じられました。  また、ナマケモノやワニとの写真撮影では、かなり積極的に勧誘される場面も多く、動物が文化体験の一部というより、収益のための「道具」として扱われている印象を受けました。個人的には、この点については違和感が強く、心から楽しめたとは言い難い体験でした。さらに撮影を断る場合は、曖昧な態度ではなく、かなり強めの意思表示をする必要があるとも感じました。撮影を希望する場合でも1頭ごとに請求をされてしまうので、同時に複数の動物を身体に乗せられないよう注意が必要です。 カワイルカ(ボト)  旅の最後に訪れたのは、今回の最大の目的の一つであるカワイルカ(通称ボト)が生息するスポットでした。ボトはアマゾン川流域のみに生息する固有種のイルカで、淡いピンク色の体を持つことが特徴です。絶滅危惧種にも指定されており、幼い頃に図鑑で眺めていた存在を、実際にこの目で見て触れられるという事実に、現地へ向かう前から自然と胸が高鳴っていました。  ガイドが水に入り、餌を撒いて呼び寄せると、水面下から次々と大きな魚影が現れ、あっという間に周囲を取り囲みました。ガイドが腕を上げて魚を差し出すと、ピンク色のイルカが水面から顔を出し、勢いよく餌をくわえていきました。そのたびに船上から歓声が上がり、現場は一気に熱気に包まれました。  ライフジャケットを着用し、私もイルカを囲むように水に入ると、水面から見えていたのはせいぜい2頭ほどだったにもかかわらず、実際には足元に何頭ものイルカが集まっていました。つるりとした体が手や足に触れ、ときには足の間をすり抜けるように泳ぎ、まるで持ち上げるかのように体を預けてくる瞬間もありました。  人生で初めてイルカと共に泳いだ体験は、想像をはるかに超えるもので、アマゾンの自然の豊かさと生命の近さを強く実感する時間となりました。深い満足感と余韻を胸に、旅の終わりを迎えました。 【総括】   1月は、複数のテストや発表を乗り越え、私の学生生活における最終学期を納得のいく形で締めくくることができた月であった。語学力の向上だけでなく、物事を多角的に考える力や異なる価値観を受け入れる姿勢の成長を実感できたことは、留学という選択が確かな意味を持っていたことの証になった。  私生活では、友人たちが次々と帰国していく姿を見送りながら、以前から覚悟していたはずの自身の帰国という現実が、日を重ねるごとに重みを増していった。別れの寂しさと同時に、多くの人に支えられてきた1年だったのだと気づく場面も多く、そうした思いを噛みしめる中で、この留学生活の充実を改めて実感した。  また旅行面では、念願であったアマゾン州マナウスを訪れ、世界最大級の熱帯雨林を実際に体感する機会を得た。熱帯雨林探索ツアーでは鬱蒼とした森を歩き、夢であったアマゾン川で泳ぎ、さらに先住民の歴史的痕跡にも触れることができた。自然の壮大さだけでなく、そこに積み重なってきた人々の営みにも向き合えたことは、極めて意義深い経験であった。さらに船ツアーにて、川を進みながらアマゾン固有の生物達に触れ、目の前に広がる自然の豊かさ肌で感じた。アマゾンを「歩き、泳ぎ、食べ、触れる」という五感すべてを使った体験は、単なる観光を超え、巨大な自然と真正面から向き合う時間であったと言える。  1月は、学業の一区切りを迎え、留学生活の終わりを実感しながら、念願であったアマゾンという象徴的な地にも足を踏み入れた、極めて密度の高い1ヶ月であった。来月にはいよいよ帰国を控えている。留学の締めくくりとして、私がブラジルを知るきっかけとなったブラジル最大のイベント、リオのカーニバルが待っている。最後の最後までこの国を自分の目で確かめ、心から楽しみ、確かな満足感を胸に日本へ帰国したい。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-12
留学成果報告書12月分
サンパウロ留学総括編
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1934 年 ・学生数 約97000人 ・設置学部 哲学、文学、歴史学、社会科学、デザイン学、法学、経済学、出版学、体育とスポーツ学、教育通信学、看護学、舞台芸術学、視覚芸術学、天文学、経営学、建築と都市計画学、ジャーナリズム学、レジャーと観光学、マーケティング学、数学、応用数学、応用ビジネス数学、応用数学と科学計算学、医学、応用獣医学、応用気象学、音楽、栄養学、栄養と代謝学、産科学、海洋学、歯学、教育学、心理学、広告学、化学、国際関係学、広報学、公衆衛生学、情報システム学、作業療法学、テキスタイルとファッション学、観光学、動物科学、統計学、薬学、経済ビジネス学、物理学、計算物理学、医学物理学、理学療法学、言語聴覚療法学、地球科学と環境教育学、地球物理学、地理学、地質学、老年学、環境マネジメント学、公共政策管理学、食品工学、生体システム工学、コンピューター工学、材料工学、材料製造工学、鉱業工学、石油工学、生産工学、電気工学、物理工学、林業工学、機械工学、メカトロニクス工学、冶金工学、海軍工学、化学工学、航空工学、農業工学、環境工学、生物化学工学、土木工学、食品科学、精密科学、物理・生体分子科学、視聴覚学、バイオテクノロジー学、農業科学、数理科学、生物科学、生物医学、会計科学、コンピューターサイエンス学、自然科学、生物医学情報学 ・その他 サンパウロ大学は、ブラジル最大規模を誇る総合大学であり、ラテンアメリカでも最難関の大学の一つとされている。サンパウロ州内に8つのキャンパスを有し、33の学部および研究所を擁する。公立大学であるため、授業料は無料。 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) ・哲学・人文・人間科学部(FFLCH):文学部(Letras)、地理学部(Geografia) ・国際関係学部(IRI) (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など 基本的に、留学生はほぼすべての授業を履修することが可能である。ただし、FFLCH以外の学部の授業を履修する場合には、事前に担当教授へ留学生の受講が認められるかどうかを確認する必要がある。また、留学生の受け入れ人数は、原則として各授業につき5名までと制限されている。そのため、履修登録はできるだけ早めに行うことが望ましい。 ・学部留学の場合:選択した学部・学科以外の授業を履修できるか 基本的に可能であるが、担当の教員に直接確認することを推奨する。 ・学部留学の場合:語学コースを並行履修できるか 有料だが、履修可能である。本講座は、A1・B1・C1(上級者向け)といったレベル別にポルトガル語のクラスが編成されている。私はC1レベルを履修し、約3か月間(週に1回)受講した。受講申込時には、156レアルを銀行で直接支払う必要がある。授業初日には専用のテキストが配布される。前期にも履修を希望したが、定員に達していたため受講できず、後期に改めて履修した。そのため、募集案内が開始されたら、できるだけ早く申し込むことが望ましい。 (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 サンパウロ大学(以下USP)は、ラテンアメリカを代表する名門総合大学である。ブラジル国内各地から優秀な学生が集まり、学問水準の高さと研究力において高い評価を受けている。キャンパスは非常に広大で、自然に囲まれた開放的な環境が特徴である。敷地内にはUSP専用のバスが運行しており、大学自体が一つの「街」のような構造になっている。また、USPが運営する博物館も複数存在し、日常的に歴史や文化に触れられる点も大きな魅力である。留学生も非常に多く、ラテンアメリカ諸国をはじめ、世界各地から多くの学生が集まっている。特にフランス人や中国人の学生が多く見られる。後期は私を含めて10名の日本人学生が在籍しており、日本人にとっても決して珍しい環境ではない。さらに、学部によって留学生の出身地域に特徴が見られる。例えば、FFLCHはアジア出身の学生が比較的多く、ECAやFAUなどその他の学部ではヨーロッパやラテンアメリカ出身の学生が多い傾向にある。 (5) 課題や試験 授業内容や担当教員によって異なるが、私が履修していた授業では課題が頻繁に出されることはなかった。しかし、KUISと比較すると、全体的な学習負担は圧倒的に大きいと感じた。成績評価は、基本的に出席率・中間試験・期末試験の結果を総合して算出される。特に授業内容の復習は非常に負担が大きく、理解を深めるためには相当な時間を要した。筆記試験では辞書の使用が認められる場合もあるが、試験内容は現地学生と同等の難易度で実施されることもある。一方で、担当教員によっては採点基準が比較的柔軟であったり、通常の課題提出を課さず最終レポートのみで評価が行われたりするなど、評価方法には一定の差が見られた。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか 私は大学側のサポートを積極的に利用する機会があまりなかったため、詳細について述べることは難しいが、留学生向けにはCCINTという部署が設置されている。これはKUISでいう国際戦略部に相当する機関であり、主に留学生対応を担当している。留学当初、polícia federalにおいてRNM申請の予約を行う際には、この部署からサポートを受けた。一方で、担当者が実質的に一名で多くの業務を担っているため、メールの返信に時間を要する場合もあった。数日経っても返信がない場合には、再度連絡を取ることが望ましい。特に緊急性の高い案件については、直接オフィスを訪問することが有効であると感じた。困ったことが生じた際には、まずCCINTに相談することを推奨する。 (7) オリエンテーション 学期開始前には、IN GLOBAという学生団体が留学生向けに大学説明会やキャンパスツアーをはじめとする各種イベントを企画している。そのため、留学生同士が交流を深める機会は十分にあるといえる。イベントは大学内にとどまらず、大学外で開催される交流会もあるほか、学期終了時には留学生向けのお別れ会も実施される。こうした活動を通じて、学期初期の段階から人間関係を築くことが可能である。私自身も、IN GLOBAで活動しているブラジル人学生数人と親しくなり、大学生活に関するさまざまな情報を得ることができた。イベントに参加することで、留学生同士だけでなく現地学生との交流も広がるため、機会があれば参加することを勧めたい。 (8) 履修登録 留学生は、授業開始日から2週間、興味のある授業を自由に見学することができる。同じ講義を継続して受講し検討することも可能であり、複数の授業を比較することもできる。この期間中に、担当教授へ留学生の履修が可能かどうかを確認しておくことが望ましい。また、課題量や評価方法について不安がある場合には、辞書の使用可否なども含めて事前に質問しておくことが重要である。見学期間内に履修希望科目を整理し、履修登録日にオンライン上で申請を行う。履修登録期間は2日間と短い。さらに、原則として各授業につき留学生は5名までという制限があり、基本的には先着順であるため注意が必要である。ただし、定員を超えた場合でも、担当教授やCCINTに相談し許可を得られれば履修が認められる場合もある。不明点や問題が生じた場合には、CCINTへ相談することが適切である。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 もともと大学に入学した当初から、いつか留学をしたいと考えていた。切磋琢磨しながら勉強し、実際に留学へ挑戦していく先輩や同級生の姿を見て、自分も現地に行き、自分の目でブラジルを見てみたいと思うようになった。そして、机上の知識だけでなく、現地でしか得られない経験をしたいという思いが強くなり、留学を決断した。 (2) 留学先を選んだ理由 私がブラジル・ポルトガル語専攻を志望したのは、ブラジルと日本のつながりに関心を持ったことがきっかけである。特にサンパウロには多くの日系人が暮らし、日本文化も根付いていることから、その歴史的・文化的背景を現地で体験し、自分の目で確かめたいと考えた。また、過去の移民の歴史だけでなく、現在における両国の関係についても深く学びたいと考えるようになった。さらに、ラテンアメリカで最難関といわれるサンパウロ大学という、多様で優秀な学生が集まる環境の中で刺激を受けながら学び、視野を広げたいと考え、留学を志望した。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 学習面で最も大切だと感じたのは、MULCに積極的に通うことである。MULCに通っていれば、語学力の基礎づくりはほぼ準備できると思う。私は1年生の頃はよく通っていたが、部活動やアルバイトが忙しくなり、2年生以降はあまり行かなくなってしまった。今振り返ると、もっと継続して利用すればよかったと感じている。MULCでは、チャットタイムなどブラジル人の先生や留学生と気軽に交流できる機会がある。忙しいとは思うが、「週に〇回は行く」といった目標を立てて継続することが大切だと思う。幸い、私はブラジル人留学生との交流があったため、日常的にポルトガル語を教えてもらう機会があり、それは大きな助けになった。 また、基礎を固めることの重要性も強く感じた。文法や基本表現をしっかり理解していれば、多少語彙が不足していても言い換えで対応できる。授業で扱う文法事項をその都度きちんと理解しておくことが大切である。さらに、留学先ではレポート課題などで本を読む機会が多い。私はもともと日本語でも読書があまり得意ではなかったため、長文を読むことに苦労した。日本にいるうちから読書の習慣をつけておけば、よりスムーズに対応できたのではないかと感じている。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) サンパウロ大学に留学する場合、基本的に住居は各自で探す必要がある。そのため、渡航前からFacebook上の学生向け物件コミュニティに参加し、条件に合う物件を継続的に探していた。住居選びは留学生活の質に大きく影響するため、立地や治安、大学までの距離などを十分に検討したうえで、早めに決定することが望ましい。また、すでに留学している先輩学生と連絡を取り、実際の住環境について相談することも参考になる。 私はもともと一人暮らしをしていたので、留学中も特に大きな不安はなかった。ただ、一人暮らしの経験がない人は、料理や掃除など、日常生活に必要な一通りの家事をあらかじめ練習しておくと安心だと思う。普段から少しでも家事に取り組んでおけば、現地での生活もよりスムーズに始められると感じた。 (5) 留学中の交友関係 日本人留学生は、現地の日本語専攻の学生と自然に交流が生まれやすい。共通の話題が多く、日本語とポルトガル語を教え合うことができる点も大きな魅力である。ひとりと親しくなることで人間関係が広がり、交友関係が次第に拡大していく傾向が見られる。また、現地で出会う他大学の日本人留学生とも関係を深めることができるため、日本人留学生と現地の日本語専攻の学生を中心とした中規模のコミュニティが形成されることもある。さらに、大学外での活動に参加することも交流の幅を広げる契機となった。例えば、県人会主催のイベントやボランティアでの活動を通じて知り合ったブラジル人学生と親しくなり、学外で交流する機会もあった。こうした学外での交流は、USP内とは異なる人間関係や文化的経験を得る貴重な機会となった。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと USPの授業は、入退室が比較的自由である。遅刻してくる学生や、授業の途中で退出する学生も珍しくなく、休憩時間以外にコーヒーを買いに行く姿も見られる。出席は紙のリストに署名する形式で、毎回授業中に回覧される。学期初めは、留学生の名前がまだ名簿に記載されていないことがあるため、自分で追記する必要がある。また、各授業ごとにWhatsAppのグループが作られており、休講の連絡や出席リストの確認などはそこで共有される。ブラジルではストライキなどの影響で急遽休講になることもあるため、授業開始後は同じ授業を履修しているブラジル人学生に声をかけ、グループに参加しておくことが望ましい。日本の授業と比較すると、USPの学生は非常に発言が活発である。多くの学生が積極的に手を挙げて質問し、異なる意見があれば率直に述べる。教員が問いかけを行うと、必ず誰かが応答するという印象を受けた。この主体的な姿勢は強く印象に残り、自身も見習うべきだと感じた。さらに、授業中に学生団体が教室へ入り、抗議活動やイベントの告知を行うこともある。こうした光景は日本の大学ではあまり見られないものであり、印象的だった。 留学中、実際に授業を受けてみると、当初は内容がほとんど理解できないことも多かった。教員によっては出身地の影響により聞き慣れないポルトガル語の発音を用いることがあり、中にはヨーロッパ・ポルトガル語に近い発音で話す教員もいたため、聞き取りそのものに慣れる必要があった。基本的に授業資料はMoodle上で事前に確認できるため、あらかじめ目を通して背景知識を身につけておくことが重要である。しかし、予習をしていても毎回内容を完全に理解できるわけではなかった。留学当初は、授業中に分からない単語をひたすら書き留めていたが、それだけでは内容理解には十分結びつかず、効率的とは言えなかった。むしろ細かな語彙にこだわりすぎず、まずは授業全体の流れや主張の大枠を把握することを意識するほうが効果的であった。理解できなかった箇所は、授業後に資料を読み返したり、一緒に履修している友人に確認したりすることで徐々に補うことができた。次第に耳が慣れ、専門用語にも親しむようになると、議論の内容を追えるようになった。最初は不安を感じることも多いが、継続して授業に向き合うことで確実に理解度は向上していくと実感した。 (7) 授業外で参加した活動 ・ボランティア 留学中、留学生の会を通じて知り合った駐在員の方との出会いをきっかけに、県人会の活動に関わる機会を得た。7月に開催される日本祭り・いいもの展における通訳やボランティア活動、さらにブラジル人に日本語を教えるボランティアなど、大学外での貴重な経験を積むことができた。 ・フラメンコ KUIS在学中は部活動でフラメンコに取り組んでいた。留学中に訪れたスペイン料理店で偶然フラメンコのショーを鑑賞し、出演していたプロのダンサーと交流する機会があった。その後、彼女が運営するレッスンに約2か月間参加した。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと こうしたボランティア活動や学外での経験を通して、大学内だけでは得られない視点や人間関係の広がりを実感した。異なる立場や背景をもつ人々と関わる中で、自分の価値観を相対化する機会が増え、柔軟に物事を捉える姿勢の重要性を学んだ。また、日本文化を外側から説明する経験は、自国について改めて深く考える契機にもなった。同時期に留学していた友人の中には、USPのバスケットボール部やカヌー部に所属している人もいた。団体によって活動の忙しさは異なるため、まずは見学や体験に参加して、自分に合うかどうかを確認することが大切である。 (9) 留学で達成した最も大きなこと 留学を通して、まず大きく成長したと感じているのは、やはりポルトガル語の能力、特に「話す力」である。授業や日常生活の中で積極的に会話を重ねることで、以前よりも自信を持って自分の考えを伝えられるようになった。ブラジル人の友人の話し方や表現をよく観察し、実際に使ってみることで、自然な言い回しも少しずつ身につけることができた。最初は自分の会話力に自信がなかったが、「完璧でなくても、まずは話すことが大切だ」と気づき、多くの友人を作りながら積極的にポルトガル語を使うことを心がけた。 また、自分の意見をはっきりと言葉にする力も身についた。日本では周囲に合わせ、自分の意見を強く主張しない場面もあったが、ブラジルでは自分の考えを述べることが求められる場面が多い。実際に、多くのブラジル人が自分の意見を明確に伝えている。その姿勢に刺激を受ける中で、私自身も自分の考えを持ち、それを言葉にして伝えることの大切さを学んだ。さらに、異なる文化の中で生活したことで、自分自身について深く考える機会にもなった。自分は何を大切にしているのか、将来どのような道に進みたいのかを改めて見つめ直すことができた点も、留学で得た大きな成果である。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 留学中は実践的な会話練習に重点を置いていたため、文法や語彙の習得に十分取り組むことができなかった。その結果、日常会話には対応できるレベルに達したが長文を書くことには依然として苦手意識がある。今後は、文章を書く練習にも積極的に取り組んでいきたいと考えている。また、留学中に多くの留学生と出会ったことも大きな刺激となった。もともとKUISでスペイン語を1年間履修していたが、現在は基礎的な内容しか覚えていないため、改めて学び直したいと感じている。さらに、英語の学習を継続することはもちろんのこと、フランス語やイタリア語など、新たな言語にも挑戦したいという意欲が高まった。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 大学側が定める期日までに必要書類を提出すれば特に問題は生じないが、私は提出が期限直前となり、余裕のない状況で手続きを進めることになった。円滑に準備を進めるためにも、時間に余裕をもって対応することを強く勧めたい。 (2) ビザ申請 ビザの申請から受け取りまでに要する期間は時期によって異なるが、私の場合は約5日で受け取ることができた。私は片道航空券のみでビザを申請することができたが、往復航空券を用意しておいたほうが、より円滑に手続きが進む可能性がある。また、申請時に必要書類が不足していたため、領事館を再訪問することになった。結果的に渡航直前にビザを受け取ることとなり、余裕のないスケジュールとなってしまった。さらに、CPF(ブラジルの納税者番号)はビザ申請時に同時に手続きを行うことを勧めたい。私は住民票を移していなかったため、必要な手続きやパスポートの更新のために授業を休み、平日に地元へ戻って警察署や市役所で手続きを行う必要があった。以上の経験から、留学が決まったら早めに必要書類や行政手続きを確認し、余裕をもって準備を進めることが重要であると感じた。また、不測の帰省に備えて、体調管理や授業の欠席日数にも十分注意する必要がある。 (3) 航空券を予約した方法 海外滞在の経験がなかったため、当初は旅行代理店に相談した。その後、スカイスキャナーを用いて各航空会社の料金や経路を比較し、最終的には信頼性の高いエミレーツ航空をオンラインで予約した。 (4) 渡航したルート 往路:成田空港→ドバイ空港→グアルーリョス空港 復路:グアルーリョス空港→ボレ空港(エチオピア)→成田空港 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 留学前に、USPから「Ifriends」と呼ばれるサポーター制度の案内があり、申し込みを行った。しかし、サンパウロ到着まで特に連絡はなかった。到着時刻が夜間であったため、当日は空港近くのホテルに一泊した。翌朝、当時すでに留学していた同級生が迎えに来てくれ、その後Uberを利用して滞在先へ向かった。なお、Uberは事前にアプリをダウンロードし、利用できる状態にしておくことを推奨する。空港からホテルへ移動する際、空港出口付近でタクシーの利用を強く勧められることがあるが、高額な料金を請求される可能性もあるため、十分注意が必要である。 (6) 滞在先住居を探した方法 最初はFacebookのコミュニティを通じて学生用の物件を探していたがなかなか見つからず、現地の大学がメールでおすすめしていた物件にした。時間もなかったため、当時留学していた同級生に仲介してもらい、契約した。 (7) 滞在先住居についての詳細 滞在先住居:Share Butantã 部屋のタイプは主に4種類ある。 ・2人でキッチン・浴室を共用する部屋(仕切りなし) ・2人でキッチン・浴室を共用する部屋(個室ではないが仕切りあり) ・4人でキッチン・浴室を共用する個室ありの部屋 ・1人で住める部屋 私は4人で共有する住居を選び、社会人のブラジル人男性2名と学生のブラジル人女性1名とともに生活していた。キッチン(冷蔵庫、冷凍庫、IHコンロ、電子レンジ付き)は広く、シャワールームも2室備えられていた。これらは共用スペースであり、各自には寝室を含む個室が与えられていた。 私が入居する前から他の3名が居住していたため、調理器具などは既に揃っており、それらを共有して使用していた。また、建物全体の共用設備として、乾燥機付き洗濯機(有料)、プール、ジム、シュハスカリーア、自習室、シアタールーム、小規模の無人売店などが備えられていた。建物自体は比較的新しく清潔であったが、豪雨の際には停電が発生することがあり、ひどい場合には断水も経験した。居住者の多くはUSPの学生で、留学生の入居者も少なくなかった。設備面では、エアコンの定期的なメンテナンスも行われていた。支払い方法は基本的にクレジットカード決済であったが、友達はうまく手続きができず、銀行振込で毎回対応していた。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス 停電や断水には悩まされることもあったが、駅から徒歩約3分という立地に加え、USP行きのバス停も近く、交通の利便性は高かった。また、入居者が多いため友人を作りやすい環境であった点も特徴である。さらに、Portariaや顔認証システムが導入されており、セキュリティ面では比較的安心感があった。一方で、複数人で生活する場合は、あらかじめ掃除当番などのルールを決めておくことが望ましい。私たちは週ごとに共用部分の清掃とゴミ出しの当番を決めていたが、生活習慣の違いから管理が十分に行き届かないこともあり、留学生活後半には当番制度が形骸化してしまうこともあった。 なお、報告書にも記載した通り、私自身はShareの利用をあまり勧めない。家賃が比較的高額であることに加え、断水や停電といったトラブルが頻繁に発生したためである。より安定した住環境の選択肢は他にも存在する。例えば、友人の韓国人留学生はCaza Nozに居住していた。設備やサービス内容はShareと類似しているものの、断水や停電といったトラブルは比較的少なかったと聞いている。そのため、住居選択の際にはCaza Nozも有力な選択肢の一つとなり得る。なお、こちらの住居についても、留学前にUSPから案内が送付される。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 クレジットカード2枚とデビットカード1枚を持参した。現地での現金引き出しはSantanderのATMを利用していた。USP内には銀行支店やATMが設置されているため、安全面を考慮すると学内で手続きを行うほうが比較的安心である。なお、事前にWISEのカードを日本で作成しておくことも有効な選択肢の一つであると考えられる。私は利用していないため詳細については述べられないが、他の留学生の報告書を参考にするとよいだろう。 (2) 携帯電話 ・携帯電話について 万が一盗難に遭った場合に備え、予備のスマートフォンも持参した。日本ではスマートフォンをチェーンやストラップで首から下げて持ち歩く人も多いが、そのような持ち方は周囲から目立ちやすく、盗難の標的となる可能性がある。そのため、現地では過度に目立つ携帯方法は避けることが望ましい。ただし、カーニバルなど大勢の人が密集する場面では、スマートフォンを衣服の内側に入れ、首から下げて外から見えないようにする方法は、防犯対策の一つとして役立つと感じた。 ・SIMについて 飛行機の乗り継ぎ時やサンパウロ到着直後からインターネットを利用できるよう、14日間対応のahamoの海外データ通信サービスを利用していた。サンパウロ到着後は、同じUSPに留学している友人の親戚のブラジル人の方に付き添ってもらい、ショッピングモール内にあるClaroでSIMカードを契約した。 (3) インターネット キャンパス内や私が滞在していたShareでは、基本的にインターネットは利用できるものの、接続が不安定なことが多かった。また、地下鉄や長距離バスなどの移動中は、インターネットに繋がりにくい場面もあった。 (4) 医療 北東部へ旅行する際、黄熱病のワクチンを接種していなかったため、ButantãにあるSUS(公立病院)で接種を受けた。SUSでは無料で接種できるため、普段は混雑していると現地のブラジル人の友人から聞いていたが、私が訪れたときはたまたま空いており、約30分ほどで処置が完了した。もし渡航前にワクチン接種が済んでいなかった場合でも、現地で無料で接種できるため、渡航前には最低限必要なワクチンだけ日本で済ませておくと安心である。 (5) 日本から持っていくべきもの ・パーカーなどの冬服 サンパウロの冬は予想以上に寒く、パーカーなどの長袖は必須である。ただし、半袖も含めて大量に服を持参すると、帰国時に処分せざるを得ない場合がある。私の場合、帰国前に何着かを友人のブラジル人に譲った。そのため、服は必要最低限にとどめ、足りない場合は現地で購入する方が効率的である。 ・日本のサブスクリプションの解約・停止   日本のアカウントのままだと、現地限定のアプリをダウンロードできない場合がある。アカウントの国設定を変更するには、すべてのサブスクリプションを一度解約する必要があり、解約が反映されるまでに約1か月かかる。そのため、入国の少なくとも1か月前には解約手続きを行っておくことをお勧めする。こうしておくと、メトロ利用時に現金でチケットを購入する手間が省けるほか、マクドナルドなど現地の飲食店でアプリクーポンも利用可能になる。 ・常備薬(1年分) 日本から持参した薬が切れたため現地で購入して服用したが、ブラジルの薬は成分や効き方が強く、私の体には合わなかった。そのため、日本からは必要な薬を十分な量、余裕をもって持参することが望ましい。 ・虫刺され跡を治す薬 ブラジルでビーチを訪れた際、蚊以外の虫に刺され、1週間以上かゆみが続いた。帰国後も跡が残っていたため、虫刺され跡を治す薬は持参しておくと安心だと感じた。なお、現地では虫刺され用の薬や虫除けも入手でき、効果の強いものが揃っているため、個人的にはあえて日本から持っていく必要はないと考える。 (6) 治安状況 普段はできるだけ日が沈む前に帰宅するようにしていた。やむを得ず夜遅くなる場合は、複数人で行動することが望ましい。特に治安の悪いエリアでは、日中でも友人と複数人で外出することが安全策となる。実際、Paulista周辺では、目の前で知らない人がスマートフォンを盗まれそうになる場面に2、3回遭遇した。典型的なケースとしては、スマートフォンを手に持ったまま外を歩いているところを、バイクに乗った人に奪われそうになる状況がある。現地の友人から聞いた話では、バス利用時も注意が必要である。乗車中、グループの一人が話しかけてきたり、支払いで手間取っている隙に、後ろの人物がスマートフォンや財布を盗むことがある。常に周囲に注意を払い、危機管理意識を持つことが重要である。 サンパウロだけでなく、リオデジャネイロ などの大都市圏でも治安が悪い地域が多いため、大使館や領事館から発信される邦人被害情報を確認し、どの地域が危険なのか、またどのような犯罪に注意すべきかを事前に把握していた。 ・旅行に行くときに気をつけてほしいこと 私は旅行に行く際、SNSで治安に関する情報を調べた。ポルトガル語、英語、スペイン語のいずれであっても、旅先の地名を検索するだけでさまざまな情報が得られる。私は主にTikTokを利用して、旅先の治安を含めた情報収集を行った。一般的に、どの州や市でもセントロは治安が悪いことが多いため、日中に限らず1人で絶対に歩かないようにしている。これは旅行先でも同様である。また、観光地ではぼったくりの被害に遭うケースもある。例えば、Salvadorでは、観光客に白い模様のボディペイントを勝手に施そうとする人がいる。これはアフロ・ブラジル文化に由来する宗教的・伝統的な身体装飾を観光向けに商業化した行為であり、塗られた後に高額な料金を請求されることが多い。かなりしつこく勧誘されるため、はっきりと断ることが重要である。 (7) 食事 一限の授業がある日は、朝からbandejãoを利用していた。昼食や夕食も同様にbandejãoで済ませることが多かったが、日本食が恋しくなった際には、Liberdadeで外食をしたり、Butantãにあるすき家を利用したりすることもあった。しかし、外食をすると一回あたり1,000円を超えることが多いため、節約のために自炊をすることも多かった。毎日bandejãoを利用していると飽きてしまうため、自炊は気分転換にもなっていた。 (8) 情報の入手 留学前は、当時すでに留学していた同級生から、現地の生活や大学に関する情報を得ていた。実際に現地で生活を始めてからは、ブラジル人の友人を通じて日常生活や大学周辺の情報を収集していた。また、授業に関する連絡は、各授業ごとに作成されている WhatsAppのグループを通じて行われており、そこから最新情報を確認していた。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 どんな場面でも挨拶や謝罪、感謝をきちんと伝えることを心がけた。スーパーやUberを利用する際も同じである。例えば、Uberで待ち合わせに少し遅れそうなときは、事前にチャットで連絡を入れるようにしていた。また、車に乗るときに挨拶をし、遅れた場合は一言謝るだけで、運転手の対応が柔らかくなることも多かった。Uberは「最大4人まで」と表示されているが、何も連絡せずに4人で呼ぶと、到着後に断られることもある。特に、助手席に乗客を座らせたくない運転手もいるため、4人で利用する場合は事前に確認したほうがよいと感じた。また、ジェスチャーにも注意が必要である。日本では写真を撮る際にピースサインをすることが一般的だが、ブラジルでは地域によってはギャングを連想させるポーズと受け取られることがある。実際に、サルバドールを旅行した際、現地の人から注意を受けたことがあり、それ以来あまりしないようにしている。サンパウロではピースをして写真を撮る人を見かけることもあるが、基本的には控えたほうが無難だと感じた。 【進路について】 (1) 留学終了後の進路 就職先はまだ具体的には決まっていないが、これまでに身につけたポルトガル語力を生かせる仕事に就きたいと考えている。将来的には、ブラジルをはじめとするポルトガル語圏と関わりのある企業で働き、海外赴任にも挑戦したい。その目標に向けて、今後本格的に就職活動に取り組んでいく予定である。あわせて、在外公館派遣制度にも挑戦したいと考えている。現地で実際に働きながら日本と海外をつなぐ役割を担うことで、より実践的な経験を積み、自身の視野や能力をさらに高めたい。 (2) 現地での就職活動や進学準備 忙しさを理由に、就職活動についてはほとんど何もできていなかった。実際、ブラジルからオンラインで就職活動を行うとなると時差の問題もあり、難しさを感じていたのも事実である。しかし、留学中であっても自己分析をしたり、企業について調べたりすることは十分にできたはずだと感じている。そうした準備の時間をより有効に使えたのではないかと、今になって少し後悔している。 一方で、留学中には駐在員の方々とお話しする機会も多く、その際に就職活動や将来の進路について相談することができた。そうした経験は、自分の将来を考えるうえで貴重な機会であったと感じている。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 将来考えている進路の実現に向けて、帰国後もポルトガル語の学習を継続し、留学生活で培った力を自分の強みとして今後に生かしていきたい。ただ、日本ではブラジルに留学していた頃と比べてポルトガル語を話す機会が減ってしまうのも事実である。そのため、ボランティア活動に参加したり、ブラジル人が多く住んでいる地域を訪れたりしながら、実際にポルトガル語を使う機会を積極的に作っていきたいと考えている。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 迷ったり、不安になったりするのは、誰にでもあることです。でも、学生の今だからこそ、失敗を恐れず挑戦できるチャンスがあります。海外でしか味わえない経験や、触れられない文化、人との出会いは、きっと自分の視野を広げてくれます。費用や手続きのことで悩む人も多いですが、奨学金や支援制度は意外とたくさんあります。少し勇気を出して一歩踏み出してみれば、世界は思っている以上に広く、あなたの人生はもっと自由で豊かになるはずです。 ・4年次での留学を考えている方へ 私は2年生のとき、自分のポルトガル語の実力がまだ十分ではないと感じ、留学試験に挑戦せずに3年次を過ごしました。しかしその1年間、留学に行っている同期の姿を見て、とても後悔をしました。留学は費用もかかり、決して簡単に決断できるものではありません。それでも、実際に留学を経験した今、もしあのまま挑戦せずに大学生活を終えていたならば、もっと後悔だけが残っていたと思います。 4年次での留学には、就職活動との両立という不安もあります。しかし、就職活動の開始が遅れること自体は、必ずしも悪いことではないと考えています。むしろ、現地での経験を通して培った力は、大きな強みになります。また、留学中であっても自己分析や企業研究を進めることは十分に可能です。 もし4年次での留学を迷っている人がいるならば、まずは試験に挑戦するという選択肢を前向きに考えてほしいです。目の前にある挑戦の機会を、不安だけを理由に手放してしまうのはとてももったいないことです。挑戦することでしか見えない景色や、出会えない人がいます。その経験は、これからの人生において大きな財産になると私は実感しています。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
いよいよ留学生活もラストパートに入りました。気がつけばブラジルに来て10か月。あまり実感がないほど、時間は本当にあっという間に過ぎていきました。今回もさまざまな出来事がありました。 ▶︎気候 最近、スコールに遭遇する頻度が増えました。IRIでテストを受ける日も、急に激しいスコールが降り出しました。傘は持っていたものの、強風のせいでほとんど役に立たず、全身びしょ濡れに。そのままの状態でテストを受けることになり、なんともブラジルらしい一日になりました。時々涼しく感じる日もありますが、基本的には半袖で一日過ごせる気温になりました。 ▶︎住居 最後の最後で停電や断水といった出来事には遭いませんでしたが、ルームメイトの一人と喧嘩をしました。原因は、彼がストックしていた冷凍のお弁当箱を誤って落としてしまったことです。そのとき彼は仕事で部屋にいなかったため、WhatsAppで事情を説明し、謝罪しました。しかし、返信が来たのは5日後で、皮肉を含んだやや攻撃的な内容でした。今回の件については私に非がありますが、実はその3日前に、彼が私の冷凍ストックを落としていたことがありました。その際は報告もなく、冷蔵庫の下には割れた容器と散らばったご飯がそのまま放置されていました。さすがに不満が募り、私も自分の気持ちを伝えました。彼はもともと神経質な性格で、自分のテリトリーに触れられることを嫌うタイプです。4人で暮らしているにもかかわらず、冷凍庫の約7割を彼が使用しており、ほかのルームメイトが使えるスペースはほとんどありません。少し場所を動かすだけでも、すぐに元の位置に戻されるほどです。現在住んでいるシェアハウスも、退去まであとわずかですので、できるだけ穏便に過ごそうと思っています。他のルームメイトに恵まれていることが、せめてもの救いです。 ▶︎大学生活 月初めに2つのテストがありました。IRIの授業とgiografiaの授業です。どちらも筆記試験で、出された課題に対して長文で解答を書く形式でした。どちらの試験もとても苦戦しました。電子辞書の使用は認められていましたが、内容が専門的だったため、考えているだけで時間が過ぎてしまうほどでした。第二週目にはすべての授業が終了し、留学中のUSPでの授業もついに終わってしまいました。大学で当たり前のように友達と会えるのはこれが最後だと思うと、寂しい気持ちになりました。 ▶︎食事について bandejãoで食べられる回数も残りわずかになり、いろいろな人と一緒にご飯を食べました。途中で味に飽きてしまうこともありましたが、なんだかんだ言ってbandejãoのご飯が好きです。また、この約10か月の間に、ブラジルのお寿司もおいしいと思えるようになりました。日本で食べるような寿司とは少し違い、ホットロールのような揚げた寿司が中心ですが、それも含めて楽しめるようになりました。味覚もかなりブラジル寄りになってきたのではないでしょうか。 ▶︎RNMの取得 留学生活も終わりに近づいていますが、ようやくRNMを取得することができました。この10か月間、メトロやバスは常に現金で支払い、周りの人がPixを使っている中で、少し不便な生活を送っていました。そこで、オンラインで口座開設ができるNubankを利用し、申請したその日のうちにPixも使えるようになりました。これまでできなかったことが一気に解決し、ようやくブラジルの生活に追いつけたような気がします。また、学生料金で公共交通機関を利用できなかったことも大きな負担でした。RNMがなければそもそも申請自体ができなかったため、仕方のないことではありましたが、少し悔しさも感じています。 ▶︎週末の過ごし方 USPでの授業が終わり、みんなでサンパウロの沿岸部にあるビーチに出かけたり、カラオケに行ったりしました。また、6月にイギリスへ帰国していた仲の良い香港人の留学生が、サンパウロに遊びに来てくれました。半年ぶりに彼と再会し、一緒にさまざまな場所へ出かけることができたのも、とても楽しい時間でした。こうして振り返ると、本当にたくさんの思い出を作ることができたと感じます。 【Porto AlegreとGramado旅行】 クリスマスといえば、ブラジルでは家族と過ごすのが一般的です。そのため、私はクリスマス期間中にRio Grande do Sul州にある2つの市を訪れました。中でも、グラマードと呼ばれる街はクリスマスの装飾で有名で、一年を通して装飾が施されています。クリスマスシーズンということもあり、街全体がイルミネーションや飾りで彩られ、とても華やかな雰囲気でした。また、真夏の暑さの中でクリスマスを過ごすという、日本ではなかなかできない貴重な体験もすることができました。 【Rio de Janeiro旅行】 今回で3回目となるリオ訪問でした。今回は、3月のカーニバルの際にお世話になった仲の良いブラジル人の友人の家に滞在し、年末のリオを過ごしました。これまで天候に恵まれず訪れることができなかったコルコバードの丘やPão de Açúcarにもついに行くことができ、ようやくリオらしい景色を満喫することができました。そして今回の一番の目的は、リオで年越しを迎えることでした。リオの年越しは世界的にも有名で、1月1日になる瞬間、ビーチ沿いに壮大な花火が打ち上げられます。実際にその場に立ってみると、想像以上のスケールと美しさで、まさに圧巻でした。当日は「平和」や「幸運」を願う意味を込めて、白いワンピースを着て参加しました。多くの人が白い服装をしていますが、赤は恋愛運、黄色や金色は金運を願う色とされており、それぞれの願いを込めて身に着けるそうです。 人の多さに少し不安もありましたが、十分に注意して行動したため、特に問題はありませんでした。帰りは交通状況を考え、朝までビーチで過ごし、初日の出を見てから帰宅しました。長い一日でしたが、忘れられない年越しとなりました。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
月次報告書12月分
カウントダウン
2025年も終わりを迎えようとしています。毎年この時期になると、「一年あっという間だったな」と感じますが、今年、より一層そう感じるのは初めてのことが多かったからでしょうか。人生初飛行機。人生初海外。人生初一人暮らし。最初はうまくいかないことも多かったですが、帰国を直前に控える中で「まだ帰りたくない」という感情を芽生えさせてくれたブラジルには感謝でいっぱいです。 〈気候〉  暦の上では夏です。しかし12月前半は雨が多いこともあり、そこまで気温は上がらない日も多かったです。一日中小雨が降っては止んでをくり返す日は、半袖一枚ではだいぶ肌寒かったです。それでも年末が近づくにつれ気温はどんどん上がっていき、昼間は30℃を超えます。この時期は夜になっても気温が下がらず、扇風機を回したままでないとかなり寝苦しかったです。ちなみに今月、土砂降りにより標高が低いセントロ地区で洪水が起きました。 〈授業〉  陶芸の授業のみ、年内に終了しました。最終課題は、作品提出+その作品についてのプレゼンでした。しかし先生との一対一でのプレゼンだったため、そこまで緊張せずに行うことができました。 〈食事〉  帰国が近づいているため、友人と食事に行く回数が多かったです。現地の人しか知らないようなお店を訪れたり、ミナスジェライス州の料理を味わうことができたりしてよかったです。また初めて海外でクリスマスを迎えたわけなのですが、ブラジルでは家族で過ごすことが一般的です。さらにジュイスには一人暮らしをしている若者が多いため、ほとんどの友人はそれぞれの街に帰ってしまいました。そのためどのように過ごすか迷っていたのですが、運がいいことに、今住んでいるシェアハウスの大家さんが親戚の集まりに招待してくださいました。24日の夕ご飯と25日の昼ごはんをご馳走になり、感謝でいっぱいです。 〈年越し〉  クリスマス同様、年越しもブラジルで過ごしました。南半球で最も人が集まると言われるリオのビーチ・コパカバーナで年越しをしました。ここでは白い服を着るのが一般的だそうで、「平和」や「幸運」「新しい、始まり」などの意味が込められているそうです。いざ年が変わる瞬間を目前に控えカウントダウンをしていると、終わりに近づいているのは2025年だけでなく、留学もなんだと感じて少し寂しくなりました。しかし2026年になった瞬間に空に上がった花火を見ていると、あの花火のように大きく花開ける一年にしたいと感じました。コパカバーナについてから、翌日宿に帰るまで、ずっとブラジル人の友人たちと一緒にいたため、危険な目に会うことはありませんでした。しかしビーチは人で溢れかえっており、犯罪の温床になりうる条件が揃っています。もし今後コパカバーナで年越しをしたいと考えている人は、必ず現地の人と行動するようにしてください。  あと1ヶ月。何ができるのか考え、後悔なく留学が終えられるようにします。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
【① 気候、衣服】  12月のジュイス・ジ・フォーラは、11月に引き続き天候の不安定さが見られるものの、季節としては完全に夏へと移行しました。月全体を通して気温は高く、月の最高気温は32℃、最低気温は15℃、平均気温はおよそ23℃となり、日本の初夏から真夏を思わせる気候が続きました。  11月までは朝晩に肌寒さを感じる日もありましたが、12月に入るとそうした冷え込みはほとんど見られなくなり、日中は汗ばむことが多くなりました。そのため、普段は半袖やタンクトップにショートパンツといった軽装で過ごすことが基本となり、衣服選びにおいても通気性や涼しさを重視するようになりました。  一方で、天候の安定度という点では注意が必要な月でもありました。晴天の日は11月と比べて増えたものの、突発的な豪雨に見舞われる日も少なくありませんでした。特に12月15日には、わずか1時間の間に85.8mmという非常に激しい雨が降り、道路の冠水やセントロ地区のショッピングモールの浸水、さらには山間部での土砂崩れなど、災害級と呼べる被害が各地で発生しました。   【② 学校生活と授業】  12月に入り、学校生活においては年末に向けて、発表や課題提出の機会が徐々に増えてきました。ブラジルの大学では、発表を通じて学習成果を示す場面が多く、日常的に人前で話す機会が頻繁に設けられていると感じています。  学習内容を直接問う定期テストに関しては、現地の学生と比べると十分な点数を取ることが難しい場面もあります。そのため、発表や課題については、内容や構成に十分な時間をかけ、毎回できる限り高いクオリティで提出することを意識して取り組んでいます。 ( 発表課題の具体的な内容については、各授業の授業内容の欄に記載しました。)  一方でスペイン語の年内最後の授業では、小規模な発表会が行われました。授業中に繰り返し練習してきたスペイン語の歌をクラス全員で歌ったほか、スペイン語圏の筆者によって書かれたポエムがその場で配布され、それをクラスメイトの前で音読するという活動も行われました。  私自身も、クラスメイトから急遽依頼を受け、彼が弾き語りで発表予定だった曲の中の日本語パートを担当することになりました。事前の準備時間はほとんどなく、本番で初めて歌う形となりましたが、強い緊張を感じつつも、無事に最後まで歌い上げることができました。 【③ 私生活】 日本人の会  今月は、留学生と現地で働く駐在員の方々が、半年に1度サンパウロに集まって開催される「日本人の会」に参加しました。前回もこの会に参加させていただきましたが、今回は2回目ということもあり、前回以上に積極的に行動し、この会で得られることを1つでも多く持ち帰ろうという気持ちで臨みました。  当日は複数のグループに分かれ、日系人コミュニティがブラジル社会に与えている影響や、AI 社会をどのように生きていくべきかといった、私たちの将来や仕事、生活に直結するテーマについて意見交換を行いました。その後、各グループで話し合った内容をまとめ、発表する機会も設けられました。  前回は緊張から思うように行動できなかった場面もありましたが、今回は積極的に駐在員の方に対して質問や意見を述べることができ、自身の将来の可能性を広げるために、より主体的に参加できたと感じています。  会の終了後には、参加者全員でシュハスコを囲み、和やかな雰囲気の中で交流を深めました。将来に対する素朴な疑問や不安から、日常生活やプライベートな話題に至るまで幅広く語り合うことができ、非常に有意義な時間を過ごすことができました。 田所商店ブラジル店!?  サンパウロを訪れる際は、久々に日本食を味わえる貴重な機会でもあるため、滞在中はなるべく日本食を食べるようにしています。今回もその一環として、友人に味噌ラーメンの店へ連れて行ってもらいましたが、そこで食べた一杯は、これまでブラジルで食べた日本食の中でも、最も強く印象に残るものとなりました。  今回訪れたのは「MISOYA RAMEN」という店です。日本食といえばリベルダージ地区を思い浮かべることが多いのですが、この店はパウリスタ通りから数分、MASPの近くにあります。この立地に本格的なラーメン屋があるとは知らず、訪問前から意外性を感じていました。  味噌ラーメンはもともと大好物であるため、期待しながら入店するとどこか見覚えのある店内… 違和感を覚えつつ席につきメニューを見た瞬間、思わずハッとしました。「田所商店だ!」  そうなんです、この店は神田外語大学の近くに本店を構える「田所商店」の海外店舗だったのです。幕張に通っていた頃から何度も足を運んでおり、日本に帰国したら必ず食べたい店リストの一つにも入れていため、まさかブラジルで再会することになるとは思ってもみませんでした。  日本で通っていた際、一番好きだった北海道味噌炙りチャーシューラーメンを注文し、待つこと数分、日本のものと全く同じ見た目のラーメンが運ばれてきました。失礼ながら、ブラジルでは写真と実際の商品が異なることも少なくないため、いくらチェーン店でノウハウがあるとはいえ、日本人の店員がいない環境で、ここまで再現度が高いとは正直予想していませんでした。  待ちきれずスープを一口味わった瞬間、味さえも日本とまったく同じであることに驚きを隠せませんでした。麺を啜っても、チャーシューを頬張っても、間違いなく日本で何度も味わった、あの田所商店の味でした。  ブラジルにある日本食は、日本食として提供されていても、味付けや完成度が日本と全く同じということはほとんどないのが現状です。しかし、このラーメンは例外で、味・見た目・店の雰囲気のすべてが日本での記憶と重なり、たった一杯のラーメンを通じて、日本で過ごしていた頃の思い出が蘇るほどの感動を覚えました。  たった一杯のラーメンに心を動かされ、強い満足感を抱きながら店を後にしました。後日調べてみると、同じ田所商店ブランドとして「SORA」という別のラーメン店も展開されていることを知りました。そちらでは醤油ラーメンも提供されているそうなので、次回サンパウロを訪れる際には、ぜひ足を運んでみたいと考えています。  ( ちなみに同じ同じと言ってますが、価格だけは大きく違い、一杯R$72にサービス料が加算されるので、価格は日本のおよそ2倍くらいします。そこだけが唯一の違いです。それでも食べに行く価値は十分あると思います!) Porto Alegre ポルトアレグレ  今月は、リオグランデ・ド・スル州のポルトアレグレを訪れました。大学2年時に拝野先生のブラジルの民族・地理という授業でこの地の存在を知り、最終課題にてガウーショ(カウボーイ)文化について調べて以来、この場所はブラジル滞在中に是非一度訪れたいなと思っていました。  愉快な港を意味するこの都市は、ブラジルでも有数の白人移民が多い都市で、ブラジルでありながらすれ違う人々の7割ほどが白人の方で、地理的な影響でアルゼンチンやウルグアイの文化なども感じられる、ブラジルの中でも他地域とは異なる独自の文化圏を形成している都市です。  都市の中には博物館や美術館館などが多く点在し、本来であればそれら全てを周りたかったのですが、訪れたのがクリスマスシーズンだったために、修繕工事や閉業期間に入ってしまい、何箇所かはお預けとなってしまいました。それでも有名な中央市場は営業しており、マテ茶のカップやBombilla(マテ茶用ストロー)、茶葉など現地ならではのお土産を購入することができました。  夜にはシュハスカリアを訪れました。リオグランデ・ド・スル州は、ガウーショ文化の中で発展したシュハスコの発祥地としても知られており、本場のシュハスコを一度は食べてみたいと思ってました。    店内に案内され本場のシュハスコといざ対面、一口食べてみると驚くほどジューシーで肉汁が溢れ出してきました。本場のシュハスコは、他州のもと比べ、肉自体に炭や煙の香りがしっかりと乗っており、高火力で一気に焼かれたためか外の皮は少し焦げが乗るほどカリカリで香ばしく、中はレアで美しいロゼ色に仕上がっていました。    今回は時間の都合で行くことができなかったですが、ブラジル最初のシュハスカリアとされる「Santo Antônio 」という店もここポルトアレグレにあるので、いつかまた次にこの街を訪れる機会があれば、改めて本場の味を求めて足を運びたいと考えています。 Gramado グラマド  グラマドは、ブラジル南部に位置する高原リゾートで、「ブラジルの中のヨーロッパ」とも呼ばれる街です。19世紀後半から20世紀初頭にかけて入植したポルトガル系、ドイツ系、イタリア系移民によって築かれたこの街は、ブラジルにありながらも、明らかに他の都市とは異なる空気をまとっていました。  街を歩くと、スイスやオーストリアなどのアルプス地方に見られるシャレー様式の建物が立ち並び、ヨーロッパの山岳リゾートに迷い込んだかのような錯覚を覚えます。冬には気温約8℃、年によっては0℃も記録したことがあるこの街では、夜にはチーズやチョコレートのフォンデュを楽しむ文化が根付き、街全体が「寒さを楽しむ場所」として完成されている印象を受けました。  また、グラマドは「イベントの街」としても知られています。ブラジル国内で高い評価を受けているグラマド映画祭が開催されるほか、年末には「Natal Luz」と呼ばれる大規模なクリスマスイベントが街全体を舞台に行われます。今回は、このNatal Luzのクリスマスパレードを見るために、グラマドを訪れました。  ポルトアレグレからバスに揺られること約3時間。街へと近づくにつれ、道路沿いには大量の紫陽花が咲き誇り、日本人の感覚では夏を連想させる花とクリスマスシーズンが同時に存在するという、不思議な季節感を味わいながら到着しました。  バスを降りた瞬間、目の前に広がっていたのは、クリスマス一色に染まったヨーロッパの街並みでした。ここが本当にブラジルなのかと疑ってしまうほど、建物の装飾や街灯、看板に至るまで細部まで作り込まれており、信号や電線さえも視界に入らず、テーマパークのような空間が広がっていました。  パレードが始まるまでの時間は、街を散策しながらチョコレート店や土産物店を巡り、カトリックの国で迎える初めてのクリスマスの雰囲気を存分に味わいました。日本のクリスマスとは異なり、各施設がバラバラにクリスマスの飾りつけをしているのではなく、街全体が本気でひとつのクリスマスを作り上げるその空気感に驚くほどの没入感を覚えました。  夜になると中央道路にパレード会場が設けられ、事前に購入していた有料席のチケットを手に入場しました。会場はこの日のために集まった観客で溢れかえり、パレードを一目見るための人々で会場周辺の道路は通行できないほどでした。  パレードが始まると、通りに張り巡らされたイルミネーションが一斉に点灯し、会場全体が強い光に包まれました。音楽が鳴り響く中、クリスマスの衣装に身を包んだキャストたちが次々と登場し、歌や踊り、観客へのファンサービスで、会場を一気に盛り上げていきました。  パレードは約1時間にわたって続き、その間、色鮮やかな山車が次々と目の前を通り過ぎていきました。それぞれの山車ごとに演出やテーマが異なり、照明の色や音楽の雰囲気も切り替わるためとても見応えがありました。上空からは人工の雪が絶え間なく降り注ぎ、生演奏で流れるクリスマスソングに合わせ自然と手拍子と笑顔が広がっていました。  気づけば私も、音楽と光、人々の歓声に包まれながら夢中になって楽しんでおり、視界に入るすべてが祝福に満ちていて、「クリスマスを祝う」という言葉の意味を初めて心の底から理解した瞬間だったように思います。ブラジルで迎えたこの夜は、私の心に強く残り、忘れることのできないクリスマスの思い出となりました。 リオデジャネイロで過ごすクリスマス  年末年始を過ごすため、リオグランデ・ド・スル州での旅の後、リオデジャネイロへと向かいました。  クリスマスイブにリオデジャネイロへ到着する予定だったため、グラマドでの壮大なクリスマスパレードを見た直後だったということもあり、リオデジャネイロのクリスマスはどのようなものなのかと楽しみにしていました。しかし、実際に過ごしてみると、その印象は一変しました。  リオでは、スーパーなどを含めたほぼすべての店が朝から晩まで閉まっており、iFood(ブラジル版Uber Eats)でさえも、注文受付後にキャンセルされ夕飯を食べられないといった状況に陥ってしまいました。  クリスマスには多くの店が閉まると事前にブラジル人から聞いていましたが、経済活動そのものがほぼ停止してしまうほどだとは想像しておらず、大きな驚きとカルチャーショックを受けました。 その一方で、日本では正月やクリスマス、お盆といった行事の時期であっても、生活に必要なサービスが一定程度維持されており、日常生活に大きな支障が出にくい社会構造になっていたことを改めて実感しました。  これから来る留学生の方は、クリスマス前から食材などを準備し、備えるようにしてください。 年末リオデジャネイロの治安  年末のリオデジャネイロは、国内外から多くの観光客が訪れる時期である一方で、治安は平常時と比べて明らかに悪化していると感じました。  実際に、私がリオデジャネイロを訪れる数日前には、在リオデジャネイロ日本国総領事館から、セントロ地区における邦人被害の強盗事件について注意喚起が出されていました。  12月17日午後3時頃には邦人男性2名が、また12月24日午後7時頃には邦人女性1名が、いずれもセントロ地区のカリオカ水道橋およびリオデジャネイロ大聖堂付近、Rua do Lavradio周辺において強盗被害に遭っています。  いずれの事件も被害者に怪我はなかったものの、あまり遅くない時間帯での発生であり、日中であっても決して油断できない治安状況であることが分かります。  私自身も、ブラジル人の家族とともに友人宅からセラロン階段へ向かう途中、リオデジャネイロ大聖堂前、カリオカ水道橋、Praça da Cruz Vermelha の前を通過しましたが、これらの3か所はいずれも特に注意が必要だと強く感じました。  中でもカリオカ水道橋周辺では、上半身裸の人々が30人ほど路上に座り込んだり、寝転がったりしており、明らかに異様な雰囲気が漂っていました。同行していた友人の父親に状況を尋ねたところ、「ここにいる人々のほとんどはクラック中毒者で、この辺りは本当に危険だ」と話しており、現地住民でさえ警戒するエリアであることを実感しました。  またセラロン階段からの帰り道にも、路上で男女のクラック中毒者と思われる人々による喧嘩に遭遇しました。女性が2m程ある角材で男性を殴り、それに激昂した男性が女性の顔面を拳で複数回殴る場面を目の当たりにしました。 非常に緊迫感のある衝撃的な光景でしたが、Uberの運転手は「セントロならこれくらいは日常だ」と話し、特に気にも留めていない様子でした。  この報告書を読んでいる方の中には、年越しをリオのコパカバーナで迎えようと考えている方もいるかもしれません。しかし、年末年始は特に観光客を狙った犯罪が増加する時期です。Uber乗車中であっても安易に携帯電話を使用せず、周囲の状況に常に注意を払いながら行動するなど、慎重すぎるくらいの意識で観光を楽しむことを強く勧めます。 【総括】  今月は、気候の変化や学業、私生活における多様な出来事を通して、ブラジルという国の特徴をより立体的に理解することができた1か月でした。夏本番を迎えたジュイス・ジ・フォーラでの生活に加え、南部のポルトアレグレやグラマド、そしてリオデジャネイロを訪れたことで、同じブラジル国内であっても、地域によって気候、文化、街の雰囲気、さらには人々の価値観まで大きく異なることを実感しました。  また、日本人の会への参加や授業内での発表などを通して、これまで以上に自ら発言し、行動する姿勢を意識できた月でもありました。特に前回の経験を踏まえ、「縮こまらずに一つでも多くを吸収する」という意識を持って臨めたことは、自身の成長を感じられる点で大きな収穫でした。  一方で、クリスマス期間中の経済活動の停止や、年末のリオデジャネイロで目にした治安の現実など、日本ではあまり意識することのない社会の側面にも直面しました。これらの経験を通じて、文化や価値観の違いは単なる知識として理解するものではなく、実際にその中で生活し、体験することで初めて実感を伴って理解できるのだと強く感じました。  今後も、安全面への配慮を怠らず、積極的に行動しながら、現地でしか得られない経験を一つひとつ自分の糧として積み重ねていきたいと考えています。  
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
月次報告書12月分
最終月‼︎
12月、留学先での全授業が終了した。今月の序盤にテストや課題の提出がありすぐ夏休みに入ったため、今月はそこまで新しい情報はないが、簡単に振り返ろうと思う。 ・気候 今月に入り、本格的に夏に向かって暑くなっていっている印象。上旬はまだ扇風機無しでも眠りにつくことができたが、中旬・下旬になると扇風機をつけても寝苦しいことも。しかし日本の夏ほどは湿気が少ないためまだ耐えられている。この暑さや、それぞれ授業が終わり始めていることで、最近は留学開始当初の昨夏を思い出すことが増えている。 ・大学 上記の通り、サンパウロ大学では12月の1,2週目で全授業が終了した。最後、レポートやテストなどの課題がありバタバタしていたが、無事に留学中の2学期を修了することができた。最後まで、全授業の全内容を理解し切れるようになったかといえばそうではないが、留学当初と比べたら圧倒的に聞き取り、理解能力が上がったと自負している。とはいえまだ課題が山積みなため、帰国までの数少ない時間を有効活用、帰国後も更なる語学能力の向上に努めようと思う。 ・食事 今月は学校が終了したこともあり、学食ではなく外食などに頼ることが多くなった。もちろん出費が嵩んでしまっているため、可能な日は授業がない時も学食へ行き節約するよう心がけている。ブラジルの公立大学ならではの破格の学食もあと少しで味わえなくなってしまうため、最後の最後までありがたく通いたいと思う。 ・金銭 学校が終わり、友人との食事や外出、旅行などの計画が多くなっており多くのお金を使ってしまうため、生活費や普段の食費など、可能な部分で出費を削っていければと思う。 ・休日 今月はサンパウロ市内だけでなく、旅行で他の州に行くことも。ブラジルは面積が広く、その土地柄や人、ポルトガル語の訛りや文化など、さまざまな違いを肌で感じることができるため、ブラジルはどんなに旅行をしても行きたいところが出てきて、とても興味深いと改めて感じている。 ・まとめ 最初から最後まで時の流れが早いと感じていたこの留学もいよいよ最終月が終わってしまった。学習面はもちろん、そのほかにもさまざまなことを経験することができた。全部が全部、最初に考えていた目標に到達できたわけではないが、確実に身のある一年にはなったと感じている。また詳しくはまとめの報告書で振り返ろうと思う。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2025-11
月次報告書11月分
ハプニング続出の月
今月は初めて一人旅にも挑戦しました。普段は友人と行動することが多いですが、一人だからこそ自分のペースで街を歩き、これまでとはまた違った視点で観光を楽しむことができました。一方で、月末はレポートの締め切りやテストに追われる忙しい時期でもありました。さらにフィールドワークでは、ブラジル社会が抱える課題を目の当たりにし、楽しい経験だけではなく、現実と向き合う時間も多い一か月となりました。 ▶︎気候 ほとんど半袖で過ごすことが多いですが、夜は寒いことが多いので薄いシャツを羽織ることが多いです。少しずつ夏を感じています。 ▶︎大学生活  いよいよ授業もラストパートに入りました。今月は一部の授業でテストやレポートの締め切りがありました。ポルトガル語C1の授業では、自国とブラジルのつながりについて口頭で発表するという最終課題があり、これまで学んできたことを改めて振り返る貴重な機会となりました。また、月末にはGeografia do Turismoの課外活動として、一泊二日のフィールドワークが行われました。これまでの座学とは異なり、実際に現地を訪れて観察・分析を行うもので、非常に印象深い学習体験でした。訪れたのは、サンパウロ沿岸部のBertiogaという場所です。現地のSESCや観光地も見学しましたが、フィールドワークの主なテーマは、沿岸部のリゾート開発と地域内に存在する格差についてでした。ビーチ沿いには高級住宅地が広がり、テーマパークのように広大な敷地を持つ住宅が並んでいます。一方で、内陸部には地元住民や経済的に厳しい状況にある人々が暮らす地域があり、決して治安が良いとは言えない場所もあります。中には、観光客が多く集まるビーチ沿いで商品を販売するために、内陸部から3時間以上かけて通っている人もいるそうです。観光客は主にビーチ周辺に滞在するため、生活のためにはそこへ向かわざるを得ない現実があります。華やかなリゾート地の裏側で、日々の生活のために長い距離を移動する人々がいるという現実を目の当たりにし、観光開発と格差の関係について深く考えさせられました。こうした実地での観察を通して、ブラジルの格差社会を改めて強く実感しました。 ・SESC:Serviço Social do Comércio(SESC)は、商業従事者とその家族の福祉向上を目的に、文化・教育・スポーツなどのサービスを提供している団体を指す。 ▶︎食事 授業やボランティア、そして習い事のフラメンコとのバランスも徐々にうまく取れるようになり、夜ご飯もbandejãoで食べられるくらい、生活のリズムが安定してきました。最近は夕食を済ませた後、そのまま図書館で過ごすことが増え、勉強や課題に取り組む時間も確保できるようになりました。 ▶︎RNMの取得について 10月、申請からすでに3か月以上が経過していたため、Polícia Federalを訪れ、RNMを受け取りに行きました。しかし、まだ完成していないとのことでした。今月もう一度受け取りに来るように言われましたが、その日も結局受け取ることはできませんでした。理由としては、RNMカードを製造する工場でトラブルが発生しており、発行が遅れているとの説明を受けました。早くても年末、もしくは1月になる可能性があると言われました。この9か月間、Pixを利用できない生活が続き、不便さを感じる場面も多くありました。ブラジルでは日常的にPixが使われているため、その重要性を改めて実感しました。 ▶︎週末の過ごし方 10月に続いて、今回もミュージカルを観に行きました。私が一番好きなブラジル人歌手、Djavanの楽曲をもとにしたミュージカルです。本当はサンパウロ公演を観たかったのですが、知ったときにはすでに満席で、ブラジリア公演を観に行くことにしました。ところが、公演がまさかの1週間延期に。結果的に11月の初めにもう一度ブラジリアへ行くことになりました。1人で丸一日過ごすのは少し不安もありましたが、なんとか無事に楽しむことができました。舞台では会話だけでなく歌も多く、Djavan本人がライブをしているような感覚になり、とても感動しました。ミュージカルなのでセリフも多く、ポルトガル語の勉強にもなりました。 【Curitiba旅行】 今回は一人でクリチバを訪れました。4月に友達と行ったことのある場所ですが、今回はMarisa Monte のコンサートを観るためです。サンパウロ公演の学割チケットはすでに売り切れていて、残っている席は少し高めでした。そのため、交通費を含めても安く抑えられるクリチバ公演を選びました。私がブラジル音楽に興味を持ったきっかけは、2016年の夏季リオオリンピック閉会式で彼女の歌を聴いたことです。彼女の歌声に魅了され、そこからブラジル音楽をよく聴くようになりました。そんな思い出のあるアーティストのコンサートを実際に観ることができ、とても嬉しかったです。留学中の大切な思い出の一つになりました。 【Cananeia旅行】 仲の良いブラジル人の女の子たちと、その友達と一緒に、サンパウロの沿岸部にあるカナネイアへ旅行に行ってきました。レンタカーを借りて、ブラジル人の友達が運転してくれました。カナネイアにはイルカが多く、ビーチで泳いでいるときにも近くで何匹か見ることができました。自然の豊かさを感じられる素敵な場所です。そんな楽しい旅行のはずが、まさかのハプニングもありました。炎天下の中、砂の多い場所でタイヤがはまってしまい、さらにオーバーヒートで車が動かなくなってしまいました。そのときは島の人が少ない場所にいたため、遠くにいた人に声をかけ、みんなで車を押してなんとか脱出することができました。 さらに、車の鍵を車内に置いたままロックしてしまうというトラブルもあり、しばらく帰れない状況に。レンタカーなので無理に開けることもできず、約2時間外で待つことになりました。偶然同じ島にいた地元の修理屋さんが、車を傷つけずに開けてくれたおかげで、無事に滞在先まで戻ることができました。しかもその方は以前埼玉県に住んでいたことがあるそうで、日本の話で盛り上がることができました。思いがけない場所での出会いも、何かの縁だと感じました。 ただ、ブラジルのビーチや自然が多い場所に行く際は、虫除けを持っていくことをおすすめします。カナネイアでは蚊ではない虫に刺され、とても痒く、1週間ほど痒みが続きました。跡も残りやすいため、日本から虫刺されの跡が残りにくいタイプの薬を持参すると安心だと思います。私は今でも足に跡が残っています。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
月次報告書11月分
南半球、ブラジルで過ごす夏
 夏が近づき海に行くことも増えつつ、街にはイルミネーションが増えていく。 休日  今月はサンパウロ内の海沿いへ。ブラジルでは日本にいる時よりも海を遠くに感じます。市内からバスで数時間の移動が必須です。3か所別々の海に行きましたが、場所によって砂の色も波の大きさも水の温度もそれぞれ違っていて、お気に入りを見つけるのも楽しそうだなと思います。  11月頭には、メキシコの死者の日にちなんだイベントへ。そこにはもちろんメキシコ料理。日本料理、韓国料理もあったりパエリアもあったり多少ごちゃ混ぜではありますが、四捨五入してメキシコという。それもブラジルらしいなと。ステージでは音楽が流れ、骸骨風のメイクをしてくれるブースもありました。室内のブースには死者の日ならではの祭壇の展示もあり、すごく華やかできれいです。 気候  海に行きたくなる気温。という書き方が伝わりやすいかもしれません。日本と真逆なので夏ですし、日焼けには要注意。今でもビーチサンダル型の日焼けがくっきり。虫除けも必須です。日本の蚊と比にならないくらい寄ってくるし痒いし跡も残ります。ムヒを日本から持ってきた留学生は賢いです。 食事  ブラジルにはベジタリアンの人も多くいて、その分ベジタリアンメニューも充実しています。ベジタリアンである姉との旅行中、私も同じ食事をしたのですが、肉好きでも問題なく食べられました。日本ではまだそのようなメニューがたくさんあるわけではないので、新鮮でしたし、食材の可能性も感じました。「Atum do Futuro(未来のツナ)」というベジタリアン用の主に大豆等のタンパク質でできたツナを食べましたが、私的には見た目も味もツナで美味しかったです。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
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