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2025-12
月次報告書12月分
最終月‼︎
12月、留学先での全授業が終了した。今月の序盤にテストや課題の提出がありすぐ夏休みに入ったため、今月はそこまで新しい情報はないが、簡単に振り返ろうと思う。 ・気候 今月に入り、本格的に夏に向かって暑くなっていっている印象。上旬はまだ扇風機無しでも眠りにつくことができたが、中旬・下旬になると扇風機をつけても寝苦しいことも。しかし日本の夏ほどは湿気が少ないためまだ耐えられている。この暑さや、それぞれ授業が終わり始めていることで、最近は留学開始当初の昨夏を思い出すことが増えている。 ・大学 上記の通り、サンパウロ大学では12月の1,2週目で全授業が終了した。最後、レポートやテストなどの課題がありバタバタしていたが、無事に留学中の2学期を修了することができた。最後まで、全授業の全内容を理解し切れるようになったかといえばそうではないが、留学当初と比べたら圧倒的に聞き取り、理解能力が上がったと自負している。とはいえまだ課題が山積みなため、帰国までの数少ない時間を有効活用、帰国後も更なる語学能力の向上に努めようと思う。 ・食事 今月は学校が終了したこともあり、学食ではなく外食などに頼ることが多くなった。もちろん出費が嵩んでしまっているため、可能な日は授業がない時も学食へ行き節約するよう心がけている。ブラジルの公立大学ならではの破格の学食もあと少しで味わえなくなってしまうため、最後の最後までありがたく通いたいと思う。 ・金銭 学校が終わり、友人との食事や外出、旅行などの計画が多くなっており多くのお金を使ってしまうため、生活費や普段の食費など、可能な部分で出費を削っていければと思う。 ・休日 今月はサンパウロ市内だけでなく、旅行で他の州に行くことも。ブラジルは面積が広く、その土地柄や人、ポルトガル語の訛りや文化など、さまざまな違いを肌で感じることができるため、ブラジルはどんなに旅行をしても行きたいところが出てきて、とても興味深いと改めて感じている。 ・まとめ 最初から最後まで時の流れが早いと感じていたこの留学もいよいよ最終月が終わってしまった。学習面はもちろん、そのほかにもさまざまなことを経験することができた。全部が全部、最初に考えていた目標に到達できたわけではないが、確実に身のある一年にはなったと感じている。また詳しくはまとめの報告書で振り返ろうと思う。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2025-11
月次報告書11月分
11月ーラストスパート
かなり夏が近づいてきた11月。二学期目の終了も近づいてきたこの1ヶ月はテストやレポートなどもあり、いつもよりさらに時の流れの早さを感じた。今月も新しい出来事などを中心に振り返る。 ・気候 上記した通り、ブラジルでは夏に近づいてきたこともあり、日によっては30℃近くまでいくことも。しかし、留学開始当初の昨夏にも経験した通り、ブラジルは夏でも夜になれば気温が落ち着きすごしやすくなる。また、先月多く降っていた雨もほとんど降らなくなり快適な日が続いている。これからさらに気温が上がったりスコールの時期が始まったりすると思うが、しっかり適応していきたい。 ・大学 USPでは12月の上旬で授業が終了するため、今月は多くの授業でテストや最終課題が出される。自分が取っている5個の授業のうち、3つはテスト、2つはレポート提出が最終課題だった。そのうち2つのテストと2つのレポートは今月に完了し、残すは12月のテスト1つのみとなった。どの授業も基本的には留学生への配慮があり、現地の学生よりは少し難易度も下げてもらえるため、単位は特に問題なく取得が可能である。そんな中でも授業内のブラジル人たちに助けてもらいながら進められたものも少なくないため、彼らへの感謝と同時に、留学終了が見えてきた2学期目終盤でも自分のポルトガル語の拙さを痛感し、さらに努力が必要だと感じた。 また、今月の下旬にはGeografia do Turismo(観光地理学)の授業で1泊2日のフィールドワークがあった。少人数のグループに分かれ、Bertigoga(サンパウロ州南部の沿岸地域)の様々な観光に関する現地調査を行った。ブラジルとはいえフィールドワークでは段取りが念入りに練られているのかと思いきや、時間にルーズだったり、現地の方々へのインタビューがアポ無しだったりと、ブラジル人の余裕のありように終始驚かされる二日間だった。しかしその一方、アポなしでインタビューをお願いした方々が驚く様子もなく快諾してくださっていた様子を見て、改めてブラジル人の親しみやすさに感激した。大学ではこのような宿泊行事がそうそうないため、貴重な経験となった。 ・金銭 今月下旬には、ブラジルでもブラックフライデーが各店やサイト、会社等で開催されていた。ブラジルではスニーカーや電子機器など、日本と比べて値段が高いものが多いので、この機会に買い物をしている友人も多く見受けられた。自分は12月にいくつかの場所への旅行の計画を立てているが、その場所への移動で使用するバスも割引があったりした。年末に向けていつもよりさらに値段が高騰しているバスの値段を少しでも抑えられたのは良かった。 ・休日 今月も友人と出かけたり、サッカーを見に行ったりの二択が多かった印象。ブラジルのサッカーは日本のサッカーと開始・終了時期がほとんど同じで、12月の上旬には全ての日程が終了する。自分が応援を始めたPalmeirasは11月中にホームスタジアムでの試合が全て終了してしまったため、おそらくブラジルでの現地観戦も今月で終了を迎えてしまった。たくさんの試合を見に行くことができた中で、サッカー大国の本場の雰囲気を経験することができた。その一方で、観客同士のトラブルが観戦中のスタジアム内で起こったりもした。いい意味でも悪い意味でもブラジルならではの体験ができたことは現地に足を運ばなければできないことであり、とても貴重な体験である。これらの経験は、残りの大学生活や将来の自身のキャリアで活かしていきたいと思う。 また、今月の下旬に4連休があったため、以前知り合った駐在員の方に紹介してもらい、サンパウロの日本人向けサッカー教室の合宿に引率側として参加させていただけることなった。この教室に参加している子どもたちは、全員駐在員の息子さん、娘さんたちだった。彼らのほとんどが日本語しか話せないという状況の中で、日本人の子供たちが言語の問題を気にせず伸び伸びスポーツができる環境が提供されている光景を目の当たりにし、改めてサンパウロの日本人・日系人コミュニティの大きさに衝撃を受けた。自分が将来的にサッカー関連の職につきたいということもあり、自分の中でさらに職業の幅が広がり、今回の経験はとても貴重なものとなった。 また、今月の上旬にはF1のレースがブラジルであり、街の至る所に広告や車のモニュメントが立っていた。ブラジルでは、おそらくアイルトンセナの影響が大きく、友人の中でもF1に興味を持っている人がちらほら見受けられる。 ・まとめ いよいよ残り1ヶ月となってしまった。常に時の流れの早さを感じると同時に、自分のポルトガル語のできなさに焦燥感を抱く日々。来月上旬には学校自体が終わってしまうが、帰国までの残りわずかを少しでも有意義に使えるよう、より一層努力していこうと思う。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
月次報告書11月分
Ganhar Fla-Flu é normal
 留学が始まった4月以来の、気分が沈む月となりました。あの頃はホームシックという明確な原因があったのですが、今回はそれとは違う複雑な感情でした。帰国が近づいている中で、本当にポルトガル語の能力が伸びたのか、自分自身大きく成長することができたのか、などといった不安や、後述するテストが影響しているのかもしれません。とにかくこのまま立ち止まっていても仕方がないので、限られた時間の中で何ができるのかもう一度見直したいです。 〈気候〉  11月前半は曇りがちだったり、一日中雨が降ったりしている日もありました。しかし後半になるにつれ晴れる日が増え、日中は30℃近くまで上がる日もしばしば。しかし夕方はスコールに見舞われることも多く、折り畳み傘の携帯が必須でした。 〈授業〉  11月頭に、経済地理学の中間テストがありました。テスト前週に、辞書や授業ノートを持ち込んでいいか尋ねたところ、「まだわからないけれど、何かしら処置をとってあげる」と言われていました。しかし当日、全てのアイテムの持ち込みが禁止されました。設問が難しく、記述式だったこともあり、結果的にほぼ何も解答することができませんでした。これがかなり精神的にきてしまい、かなりの期間落ち込んでいました。このまま履修を続けていても単位取得は難しく、また精神衛生的にもよくないと考え、履修を辞めることにしました。 〈休日〉  今月は木曜日に祝日がありました。ブラジルでは火曜日や木曜日が休みになると、土日に挟まれている月曜、金曜日も休みになります。この連休と行きたかったイベントが重なったため、リオに行きました。一つ目は「Fla-Flu」と呼ばれる、フルミネンセとフラメンゴのサッカーの試合です。この2チームはどちらもリオデジャネイロにある「マラカナンスタジアム」を本拠地にしており、ライバル関係ということもありかなり盛り上がります。タイトルにある「Ganhar Fla-Flu é normal」は、フルミネンセが試合に勝ったとき、サポーターが相手(フラメンゴ)を煽るフレーズであり、意味的には「Fla-Fluの試合で私たちが勝つのは当然のことだ」となります。このタイトルがついているということは、そういうことです。私が応援しているフルミネンセが2-1で勝ちました!ブラジルに来てから、フルミネンセが勝つ試合をスタジアムで見れていなかったので、勝てて本当によかったです。二つ目は、Dua Lipaのライブです。去年日本で行われたライブに参加しており、機会があればまた行きたいと考えていましたが、まさかその願いがブラジルで叶うとは思ってもいませんでした。このライブを通して、日本とブラジルの違いを感じることができました。まず座席についてです。日本では指定席が多いため、ライブ開始ギリギリに会場に到着しても問題ありません。しかしブラジルは指定席ではなく、先に来た人が前に行くことができます。スタジアムならば段差があるため後ろでもある程度後ろでもステージが見えますが、今回の会場は平面なため後ろに行くとステージはほとんど見えなくなってしまいます。そのため私は4時間前に会場に到着しましたが、それでも私のチケットで入れるスペースの中で前から5〜6列目でした。次はライブ中の観客の様子です。日本では曲に対してコールをしたり、合いの手を入れたりすることはあっても歌手と一緒に歌うことは少ないと思います。しかしブラジルではとにかくみんな声を出します。その影響で、歌手の声が聞こえないこともしばしばありました。最後にグッズについてです。日本では、会場内や近くで公式グッズが売られることが多いです。しかしブラジルでは会場の外でインフォーマルセクターの人々が非公式のグッズを売っている姿を多く目にしました。しかしほとんどの場合、公式のものに比べて圧倒的に安いため、彼らからグッズを買う人も少なくありません。今回でリオに滞在するのは5回目なのですが、毎回新しい発見があって面白いです。    今年も大きな怪我や病気、トラブルなく終えることができそうです。支えてくれている全ての人に感謝しながら、より一層気を引き締めて今年を締めくくりたいです。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2025-10
【① 気候、衣服】  10月のジュイス・ジ・フォーラは、9月に続いて暖かい日が増え、より春らしい気候になりました。平均的な最高気温は28〜30℃、最低気温は10〜14℃程度で、日中は気温が上がり半袖でも快適に過ごせる日が多くなりましたが、朝晩はまだ肌寒いため、長袖Tシャツや薄手の上着を着用することが多かったです。  天候は晴れまたは曇りの日が中心で、時折強い雨が降ることもあります。ただし、雨は長時間続くことは少なく、多くの場合1時間ほどで止みます。ブラジルの雨は突発的に激しく降り出す傾向があるため、折りたたみ傘を常に携帯するなどの工夫をしています。 【② 学校生活と授業】  後期が始まって1ヶ月が経過し、授業にも順調に慣れてきました。新たな友人も増え、学内での交流の幅が広がっています。  一方で、初めて学ぶスペイン語には苦戦しており、ポルトガル語と文法構造が似ているため、読んで理解することはある程度できますが、発音や聞き取り、そして微妙な語彙の違いにはまだ十分に対応できていません。今後は引き続き努力を重ね、より自然でスムーズな会話ができるようになることを目標としています。  授業外では、4月以来利用していなかった留学生支援制度「Buddy Project」主催のシュハスコイベントに参加しました。これまであまり関わる機会がなかったため、既知の友人が一人もいませんでしたが、参加してみると皆とても親切で、日本の話題やサッカーなどのレクリエーションを通じてすぐに打ち解けることができました。後期から新しく来た留学生とも知り合うことができ、もっと早くから参加していれば良かったと感じるほど、多くの学びと出会いに恵まれた非常に有意義な時間でした。  今回のイベント参加をきっかけに新たな友人とのつながりが生まれ、来月には旅行にも誘っていただきました。後期はジュイス・ジ・フォーラでも様々なイベントに参加し、より多くの人と交流を深められるようにしたいです。 【③ 私生活】 Rio de Janeiro リオデジャネイロ  先月に引き続き、今月も週末にリオデジャネイロを訪れました。 残り5ヶ月しかブラジルに滞在できないため、時間とお金が許す限り、できるだけ多くの場所を訪れ、また地元の人と同じくらいリオデジャネイロの街やお店、地理を学ぶことを最近の目標としています。  今回もサッカーのチケットを取ることができたため、日帰りで観戦に行きました。学生割引(Meia)を使えるうちは存分に活用し、学生ならではの特権を最大限に楽しみたいと思っています。 CBF ブラジルサッカー連盟  iPhoneの調子が悪かったため、リオ中心部から電車で約1時間の場所にあるApple Storeへ修理に行きました。その帰り道、近くにCBFの本部があることを知り、せっかくなので外観だけでも見ておきたいと思い立ち寄りました。  到着すると、ブラジル代表のエンブレムにも描かれているCBFのシンボルが刻まれた巨大な建物が目に入り、「ここがブラジルサッカーの全てを統括する場所なのか」と、その威厳と存在感に圧倒されました。フェンス越しに写真を撮っていると、中の警備員の方々が笑顔でこちらを見ており、「今どくから、ここから撮りな」と机をどかして撮影場所を作ってくださるなど、とても親切に対応してくれました。  内部には歴代ユニフォームやワールドカップトロフィーのレプリカなどが展示されているそうですが、一般の立ち入りは禁止されており、今回は外観のみの見学となりました。いつかこの場所に堂々と入れるような人間になりたいと強く感じました。 Maracanã マラカナンでのサッカー観戦  今回訪れたのは、ブラジルサッカーの象徴であり、「サッカーの神殿」とも呼ばれるマラカナン・スタジアムです。世界的にも名高いこのスタジアムでは、過去にW杯の決勝戦も開催され、ペレ、ジーコ、ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ、ネイマールといった数々のレジェンドたちが歓喜と屈辱、栄光と挫折を経味わってきました。サッカーファンにとって、ここで試合を観戦することは一つの夢であり、私自身もいつかその現場に立ち会いたいと長年思っていました。  マラカナンは、Flamengo(フラメンゴ)とFluminense(フルミネンセ)のホームスタジアムとして知られています。今回は、ブラジル国内リーグ首位Palmeiras(パルメイラス)と2位 Flamengoが激突する注目の一戦を観戦しました。    リオのチームによるホーム試合、さらに勝てば順位が入れ替わるという大一番だったため、チケットはまさに争奪戦でした。販売開始と同時に公式サイトへアクセスしましたが、サーバーが混雑し何も操作できず、サイトのアクセス待機人数は3万5千人を超えるほど。何度もエラーを繰り返しながら、3時間半もの格闘の末にようやくチケットを手に入れることができました。  試合当日は、会場近くで軽く食事を済ませ、試合開始の1時間前に到着。スタジアムへ向かう途中、街中は赤と黒のユニフォームを身にまとったフラメンゴサポーターで溢れかえり、360度どこを見ても同じ色のユニフォームで染まっていました。  顔認証、ボディチェックを経てスタジアムに入ると、耳をつんざくような大歓声が響き渡っていました。先月訪れたヴァスコ・ダ・ガマのホームスタジアム「サン・ジャヌアリオ」よりも規模が大きいにもかかわらず、観客の熱気は桁違いで、隣の友人と会話をするのも困難なほどでした。 人の波をかき分けて前方の席を確保し、前から5〜6列目、ピッチまでの距離約10mという絶好のポジションで観戦することができました。試合前には応援団による大合唱や、赤と黒の風船を空に放つ儀式、相手チームへのブーイングなど、フラメンゴのホームらしい圧倒的な熱量を肌で感じました。  大歓声と雨の中で試合がキックオフ。両者が意地と誇りをかけて激しくぶつかり合い、一時は乱闘寸前の緊迫した場面もありました。迎えた開始10分、フラメンゴが値千金の先制点を挙げると、スタジアムは爆発的な歓声に包まれ、サポーターは狂喜乱舞、会場全体が歓喜の渦に包まれていました。 得点後、勢いづいたサポーターは椅子を叩き、指笛を鳴らし、相手チーム罵声を飛ばしながら、ありとあらゆる方法でチームに追い風を送っていました。その圧倒的な一体感と圧力はもはや、相手選手たちが平常心を保ってプレーすることが不可能に思えるほどでした。  試合はその後も白熱した展開となり、壮絶な撃ち合いを制したフラメンゴが最終スコア3−2で勝利。勝ち点で首位パルメイラスに並んだことで、サポーターは歓喜し、スタジアムの外でも歌い踊りながら勝利を祝っていました。 ここまで情熱的で力強い応援を目の当たりにしたのは初めてであり、この自国リーグに対する愛とサッカーへの情熱こそが、「サッカー王国ブラジル」を支える強さの根底にあるのだと改めて実感しました。 Brasília ブラジリア  今月末は、ブラジルの首都であるブラジリア連邦直轄地を訪れました。ブラジリアは、1960年にリオデジャネイロから首都が移された内陸部の都市であり、オスカー・ニーマイヤーによる近代建築群が数多く存在することから、都市全体がユネスコ世界文化遺産に登録されています。  ジュイス・ジ・フォーラからバスで向かう途中は、「本当にこの先に近代都市があるのだろうか」と思うほど、何もない乾燥した高原地帯が延々と続いていました。建物ひとつ見当たらないため、車窓からは地平線が見え、夜になると満天の星空を眺めることができました。  約14時間の移動を経て、突然道幅が広がり、これまで閑散としていた道路が一気に混雑し始めました。Google Mapを確認すると、そこはブラジリアへと続く一本道。窓の外を見ると、乾いた大地の彼方に巨大ビル群が聳え立っており、まるで映画の未来都市を見ているかのような感覚でした。 さらにその一本道には、約300メートルほどの間隔でブラジル国旗が立ち並び、「ここがブラジルの首都なのだ」と強く実感させられました。  ブラジリアの中心部に入り、まず驚かされたのは街の整然とした美しさでした。直線的でゴミひとつない道路、美しく手入れされた芝生、そして東京のような大都市とは対照的に、開放的で余裕のある土地の使い方がなされていました。滞在中、ホームレスなどをほとんど見かけることはなく、フードコートでさえ綺麗な格好をした人々ばかりで、サッカーユニフォームのようなラフな服装をしている人がほとんどいないことに衝撃を受けました。  街全体がまるで一つの巨大な建築作品のようで、美的でありながら機能的でもありました。 行政・住宅・商業といった空間が明確に分けられていることで、統一感のある景観が生み出されており、計算し尽くされた街づくりであることがひと目で伝わってきました。 街並みを見て、こんなに感動したことは今までなく、世界のどこにもない唯一の街づくりだと感じまた。 Catedral Metropolitana de Brasília ブラジリア大聖堂    ブラジリアで最も有名な観光施設のひとつでありオスカー・ニーマイヤーによって設計されたブラジリア大聖堂。 1970年に完成したこの教会は、コンクリート製の白い柱が天に向かって広がるように配置されており、外観はまるで王冠のような形をしています。その独創的で曲線的なデザインは、半世紀以上前に建てられたとは思えないほど近未来的で、都市全体のモダンな景観とも調和していました。  内部に入ると、青・緑・白のステンドグラスが天井一面に広がり、自然光が柔らかく差し込む幻想的な空間が広がっていました。外からの印象とは対照的に、内部は静寂に包まれており、宗教施設でありながら現代建築の芸術作品のような美しさを感じました。また、教会ということもあり、内覧は無料で誰でも自由に入ることができ、観光客だけでなく地元の人々にとっても心を落ち着ける憩いの場となっていました。 Museu Nacional da República 国立共和国博物館  こちらもブラジリアを象徴する建築群のひとつで、建築家オスカー・ニーマイヤーによって設計されました。2006年に開館した比較的新しい施設で、白く滑らかな半球状の外観が特徴的です。近未来的でシンプルなデザインながら、その巨大なドーム構造は圧倒的な存在感を放ち、まるで宇宙船のようにも見えました。  内部は広い吹き抜けの空間で、展示作品は多くありませんでしたが、独特の静けさと空間の広がりが印象的でした。展示内容は時期によって入れ替わるようで、訪れるタイミングによって異なる雰囲気を味わえるようです。  また、入館料は無料で、他の観光地のような混雑もなく、ブラジリアの近代建築と芸術との融合を肌で感じて楽しめる貴重な場所でした。 Torre de TV de Brasília ブラジリアテレビ塔  ブラジリアの中心部にそびえる高さ224メートルのテレビ塔は、市内を一望できる人気の観光スポットです。建築家ルシオ・コスタによって設計され、1967年に完成しました。ブラジリアの都市計画を象徴する建築物のひとつでもあります。  展望台は地上約75メートルの位置にあり、ガラス張りのエレベーターで上ることができます。そこからは、「飛行機の形」ともいわれるブラジリアの都市全体を見渡すことができ、国会議事堂やカテドラルなど主要な建築群を一望できるそうです。  私が訪れた日は、不運にもエレベーターの故障により展望台に登ることは叶いませんでしたが、その代わりに、塔の足元にある「Eu ♡ Brasília」のオブジェや噴水の前で写真を撮りつつ、夕陽を受けてオレンジ色に染まるテレビ塔を眺める時間を楽しみました。 先輩との再会  ブラジリア滞在期間中、在外公館派遣員としてブラジリアで勤務されている大学の先輩と久しぶりに再会し、一緒に昼食をとったあと、カフェで仕事の苦労やこれまで訪れたブラジルの観光地での思い出などをゆっくりお話しすることができました。  同じ大学・学部の先輩が、海外で第一線で活躍されている姿を目の当たりにし、自分も将来に向けてより一層努力しようという気持ちが強まりました。 Belo Horizonte ベロオリゾンチ  ブラジリアでの旅行を終え、飛行機でミナスジェライス州の州都ベロオリゾンチへ向かいました。到着してまず驚いたのは、自分が想像していた以上に街全体が高層ビルで埋め尽くされていたことです。ブラジル内陸部に位置し、これまで訪れたミナス州内の都市はビルとは無縁の場所も多かったため、中心地だけでなく広い範囲にビル群が広がる光景は予想外でした。  特に宿のある Savassi(サヴァッシ)地区 は、安全な高級住宅街としても知られ、おしゃれなカフェやバーが立ち並ぶ洗練されたエリアでした。一部の通りは歩行者天国になっており、ランニングをする人や愛犬と散歩を楽しむ人々でにぎわっていました。全体的に落ち着きがありながらも活気が感じられ、歩いているだけで楽しくなる地域でした。 Praça da Liberdade リベルダージ広場  サヴァッシからほど近い場所にあるリベルダージ広場は、ベロオリゾンチでも人気のエリアです。 大きな噴水のまわりには楽器を演奏する人たちが自然と集まり、その周囲では子どもたちが元気に走り回っていました。平日でも多くの市民が思い思いの時間を過ごしており、広場全体にのびのびとした雰囲気が広がっていました。    また、広場を取り囲むように複数の博物館や美術館が並んでいるのも大きな特徴です。かつては州政府の行政建築として使われていた歴史的な建物群が、Circuito Cultural Praça da Liberdade(リベルダージ文化回廊)としてリノベーションされ、文化施設へと生まれ変わっています。 観光客にとっても一つの場所を歩くだけで複数の施設を巡れるため、非常に効率的で魅力的なスポットでした。 Palácio da Liberdade リベルダージ宮殿  リベルダージ広場の一角に建つリベルダージ宮殿は、ミナスジェライス州政府の旧庁舎として使われていた歴史的建造物です。19世紀末に建設された建物で、ネオクラシック様式を基調とし、重厚な石造りと繊細な装飾が組み合わされた優雅な外観は、当時の州政の中心地としての威厳を今に伝えていました。  現在は行政機能を終えており、観光地としての運営が中心となっていますが、緑豊かな庭園に加え、折衷主義(エクレクティシズム)に基づき世界の文化を取り入れた豪華な会議室などがあり、その美しさは健在でした。 MM Gerdau – Museu das Minas e do Metal 鉱山と金属の博物館  この博物館では、ミナスジェライス州で産出される鉱物資源や、それに関連して発展してきた科学技術などが紹介されていました。    ミナスジェライス(Minas Gerais)という地名は、ポルトガル語で「広大な鉱山群」や「多種多様な鉱山」を意味しており、この地名が示す通り、州全体が鉱山資源によって発展してきた歴史的背景があるため、この博物館での見学は、ミナスジェライス州ならではの産業史と鉱物に関する内容を深く学べる、とても貴重な機会になりました。 さらに、博物館内のお土産もユニークなものが多く、市場に売っているものよりも値段が良心的でした。 Mercado Central de Belo Horizonte ベロオリゾンチ中央市場  ベロオリゾンチの有名な中央市場を訪れました。同じ施設型の大型市場でも、以前訪れたサルヴァドールのモデーロ市場とは雰囲気も商品構成も大きく異なり、地域による違いがよく表れていました。  サルヴァドールが観光客向けの土産物や民芸品が中心だったのに対し、ベロオリゾンチ中央市場は生活に密着した実用的な市場で、肉屋や八百屋に加えて、多くのレストランが並び、地元の人々で常ににぎわっていました。私自身もそのレストランのひとつで朝食をとりましたが、牛肉を使ったワンプレート定食にもかかわらず会計は約9レアル(250円)ほどと非常に安く、地元市場ならではの素朴さと現地の雰囲気を感じることができました。 また、市場内には、ウサギやインコなどの小動物を扱うエリアや、ミナス地方特産の編み物、ミナスチーズが大量に並ぶミナスならではのエリアもあり、地域の文化と生活がぎゅっと詰まった場所だと感じました。 Ouro Preto オーロプレット  ベロオリゾンチの滞在期間中、ベロオリゾンチからバスで片道3時間移動し、ブラジルで初めてユネスコ世界文化遺産に登録された街、オーロプレットを訪れました。 Ouro Preto (黒い金)の名前を持つこの街は、17世紀末のゴールドラッシュによって誕生した植民都市で、18世紀にはブラジルの経済と文化の中心として栄えました。  街全体が「ミナス・バロック」と呼ばれる独自のバロック様式で統一されており、起伏の激しい地形に沿って石畳の坂道と豪華な教会が点在しています。特に、「ブラジルのミケランジェロ」と称される彫刻家アレイジャジーニョ(Aleijadinho)の作品が多く残されており、サン・フランシスコ・ヂ・アシス教会などにその傑作を見ることができます。街並みそのものが歴史的芸術作品として保存されており、現在では観光業と大学都市として機能しています。 Mina de ouro 金鉱山  オーロ・プレットに到着して最初に向かったのが、金鉱山の探索ツアーでした。かつて金の採掘によって繁栄したこの街には、操業を終えた鉱山跡が多数点在しており、訪問した際にはぜひ見学したいと考えていた場所の一つでした。  車で30分ほど移動して施設に到着し、受付で料金を支払って鉱山へ向かいましたが、平日だったこともあり、参加者は私たちのみでした。ツアーの醍醐味であるトロッコで地下350mまで一気に降りていくと、気温が急に低くなり、最下層に着くまでの道中にも複数の採掘跡が連続して現れ、当時の作業の痕跡を感じました。  最下層に到達すると、外界の音が一切届かない静寂の世界が広がり、壁には断層がくっきりと見えていました。さらに、地下水が湧き出して湖になっている場所や、当時使用されていた古いポンプ類も残されており、採掘現場がそのまま時間を止めたような雰囲気でした。  奥へ進むと、マリア像を飾った小さな祭壇や、金鉱石を選別した際に残る「脈石」と呼ばれる厚さ15cmほどの石の板が一箇所に無数に積み上げられ、3mを超える高さで洞窟の天井にまで届いていました。この膨大な量の脈石を見ると、この場所で黒人奴隷たちがどれほど過酷な作業を強いられていたのかが、数字以上の説得力をもって伝わってきました。  地上へ戻った後は、砂に水を混ぜ、円盤状の板を回して遠心力で金を分離する実演を見学しました。大量の砂の中から米粒ほどにも満たない小さな金片が現れ、先ほど街中で目にした豪奢な金装飾が、ひとつひとつこの途方もない作業の果て積み重ねられたものだという事実が、より強い実感を伴って理解できました。ブラジルの歴史を支えた現場を巡る大変貴重なツアーでした。 Restaurante Contos de Réis コントス・ジ・レイス・レストラン  昼食には、ミナス料理の専門店であるRestaurante Contos de Réisを訪れました。この店は18世紀の古い邸宅を改装してつくられており、現在レストランとして使われている部分は、当時奴隷の宿舎として利用されていた空間です。  そのため、上階の建物は通常の壁で構成されていますが、レストランのあるフロアは石壁で造られており、天井も低めに設計されています。室内は薄暗く、窓には鉄格子が残されているなど、建物の歴史を物語る特徴が随所に見られました。  現在はエレガントな雰囲気のレストランとして整えられていますが、空間の細部には、かつての用途を思い起こさせる要素が残されており、料理とともにこの地域の歴史を深く感じられる場所でした。 ( 料理は、とても美味しかったです。) Museu Casa dos Contos カサ・ドス・コントス博物館  食後には、Museu Casa dos Contos を訪れました。この施設は、植民地時代のブラジルで有数の富豪であったジョアン・ロドリゲス・デ・マセドの邸宅を利用したもので、現在は資料館・博物館として運営されています。当時の硬貨や紙幣、財政制度に関する貴重な史料が多数保存されていることが特徴です。  さらに、建物の地下には奴隷宿舎である Senzala(センザラ) が、当時のままの保存状態で残されています。レストラン同様、邸宅の上階部分は煌びやかな装飾や通常の壁で構成されていますが、センザラは壁も床もすべて石で造られており、窓はありましたがこちらにも強固な鉄格子が取り付けられていました。昼間にもかかわらず、照明をつけなければ薄暗くなるほどの環境で、石壁には複数の穴があり、かつて奴隷を手枷・足枷で固定するために使われていたそうです。  その空間は重苦しい雰囲気を帯びていましたが、知っておかなければならない歴史の現場に触れることができ、当時の暮らしと奴隷制度の現実をより深く理解する貴重な経験となりました。 Igreja de Nossa Senhora do Rosário dos Homens Pretos ノッサ・セニョーラ・ド・ロザーリオ・ドス・オメンス・プレットス教会  最後に訪れたのは、Igreja de Nossa Senhora do Rosário dos Homens Pretos(黒人信徒のためのロザリオの聖母教会)でした。この教会は、制度としての黒人奴隷制が解放された後も、社会の中に人種差別が根強く残り、白人の教会で礼拝に参加することを許されなかった黒人たちが、自らの信仰の場を確保するために建てたものです。ここは宗教施設としてだけでなく、自分たちの文化やコミュニティを守る重要な拠点として機能してきました。  バロック様式を基調とした楕円形の建築は、貧しく限られた資源の中、そして社会的に抑圧された状況に置かれながらも、最高の技術と芸術性をもって自分たちの信仰の場を築き上げたという、“不屈の精神の証”とも言えるものです。  内部には入れませんでしたが、外から眺めるだけでも十分に力強さと静かな存在感があり、ここが単なる教会以上の意味を持つ場所であることが自然と感じ取れました。 【総括】    10月は、旅行や私生活、そして学校での活動を通して、ブラジルでの生活の奥行きを格段に深めることができた1ヶ月となりました。  学校生活では、授業に順調に慣れ、学内イベント「Buddy Project」への参加を機に、新たな友人たちとのつながりが生まれました。特に、イベント参加や旅行に誘われるなど、私的な交流が本格的に深まり始めたことで、後期生活の期待や大きな充実感につながっています。一方で、初めて学ぶスペイン語の語彙や発音の微妙な違いに苦戦しつつも、今後の語学学習における具体的な目標も明確にすることができました。  私生活面では、1ヶ月を通し、ブラジルの「熱狂」「未来」「歴史」を追体験する、非常に密度の高い旅を展開することができました。  リオデジャネイロでは、ブラジルサッカーの象徴であるマラカナンでの大一番を観戦し、サポーターの圧倒的な「熱狂」と「一体感」を肌で感じ、ブラジルサッカーの強さの根源を実感しました。    またブラジルの首都ブラジリアでは、オスカー・ニーマイヤーの計算し尽くされた近代建築を目の当たりにし、世界のどの都市にもないような計算し尽くされた、「整然とした美」という新たな一面を発見しました。    さらに、ミナスジェライス州の歴史都市オーロ・プレットでは、金鉱山や奴隷宿舎(センザラ)が残る歴史的建造物を巡ることで、かつてのゴールドラッシュの栄光と、それを支えた過酷な奴隷制度という、ブラジルの根幹にある歴史的現実に深く触れることができました。 日常の交流から、非日常的な場所での探索まで、この1ヶ月は、ブラジルという国が持つ多様で複雑な文化・歴史・情熱を多角的に体感し、多くの学びと出会いに恵まれました。結果として、ブラジル滞在と国に対する理解の質が一段階上がった特別な1ヶ月となりました。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
月次報告書10月分
ブラジル、サンパウロの生活
 すっかり習慣となった豆とご飯、ブラジル流日本料理、家で作るラザニア。食欲の秋のような春、10月。 週末  Paranapiacabaというサンパウロ市から少し離れたところへ。電車を乗り継いでそこから少しバスに乗って着いたそこは、海の近くに位置していて、霧が町全体を覆っていました。古い電車や線路が残っていて、サンパウロ市内では見ることができない光景で素敵な町です。  他の週末には、知り合いの方がいるイビウーナへ行きました。その日は、お寺にたくさんの日系人の方々が集まり、焼きそばを食べ、盆踊りをして。自分の家族以外で日系人の方と関わる機会を持てて、色々学ぶこともあり楽しかったです。日本人の私よりもブラジル人の皆さんの方が盆踊りを知っていて、踊り方も学べて、初めての盆踊りは良い思い出になりました。 気候  写真を見返してみると、ノースリーブを着て温かい汁物を食べている写真。その横には長袖を着てアイスを食べている写真が。服装選びがおかしいように聞こえますが、この原因は一日の気温差にあります。昼は暑くて夜は寒い。でも一概にそうとも言い切れず、昨日は最高10度後半だったのに今日は30度近くまで上がったなんて日も頻繁に。そういう次の日の気温が上がる夜は上着無しで過ごせることもあります。とにかく服装選びと体調管理が難しい。 食事  叔父の誕生日のため、ブラジルに来てから覚えた人参のケーキを手作り。自分の誕生日があまり好きではない叔父には、歌も歌うことなく食事のみ。願い事をしながらケーキを切るという風習にも、「ケーキを食べる」と願いながら切る叔父。今まで参加した友人らの誕生日会は人も多くてにぎやかな感じでしたが、こうやって家族だけで祝う誕生日も違った良さを感じます。 友人関係  後期から来る留学生も多く、授業で関わったり、遊びに行ったりすることも増えてきました。日本人やブラジル人はもちろん、韓国やスペインなど多国籍の人たちともつながる機会がありました。友達の友達。「そのスカートかわいい」「あなたの服も素敵」からインスタを交換したり、きっかけは色々。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
月次報告書10月分
Tá Bom?
新しい月が始まったな、なんてことを考えていると、気づいた頃には1ヶ月が終わりかけています。留学が終わるまではまだ3ヶ月ありますが、テストや年末で忙しくなることを考え、帰国の準備を少しずつ始めています。あんなに長かったはずの留学も、帰国後のことを考えなくてはならないフェーズに突入しており辛いです。 〈気候〉  全くといっていいほど気温に変化がありません。夏に向かっているはずなのに、一日中半袖で過ごせる日はまだありません。それどころか10月中旬は寒い日が多く、長袖で過ごすことが多かったです。ジュイスでは強風が吹くことは滅多にないのですが、先ほど述べた期間は風が強い日が多かったです。毎日のように海風が吹く千葉で育った私ですが、「強風が吹くなんて珍しい」と感じてしまうということはブラジルに染まってしまった証拠かもしれません。 〈授業〉  ある授業で、AIを用いて行う宿題が課されました。この課題で驚いたところは、内容の9割以上をAIに任せる点でした。日本では、AIに対して否定的な立場を示す人が多いと感じます。実際、生徒が課題をAIで行って提出し、その是非が問われているような内容の記事を多く目にします。私も課題を行う際、AIに助けてもらうことは多々ありますが、ここまでAIに任せっきりにしたことはなかったためとても新鮮な経験でした。 *ブラジルでAIの使用が完全に肯定されているわけではありません。もちろん否定的な人もいます。 〈食事〉  普段の月と変わらないため、軽くブラジルの食事について話します。街を歩いていると食品を扱っている店を多く見かけるのですが、その中で多いのが ・Lanchonete(軽食屋) ・Açougue(肉屋) の二つです。Lanchoneteはコンビニとパン屋を足して2で割ったようなお店です。名前の通りPastelやCoxinhaといったブラジルの代表的な軽食が買えるほか、菓子パン、惣菜パン、ケーキ、プリンなど色々なものが売られています。またペットボトルや缶の飲料、スナック菓子、乳製品なども売られており何かと勝手がいいお店です。スーパーに比べると割高ですが、大学までの道のりにあるため利用することが多いです。Açougueは量り売りの肉屋です。肉に限った話ではなく、ブラジルでは量り売りのものがとにかく多いです。野菜、フルーツ、パンなど様々なものが、〇〇レアル/1kg の表記で売られています。日本では〇〇円/1個で売られていることが多いため、規格が厳しく出荷できずに廃棄されてしまうといった問題を抱えています。一方量り売りではこのような問題を気にする必要がないため、様々な形やサイズの商品を見かけます。野菜やフルーツの値段が安いのは、こういった理由が関係しているのかもしれません。話が少し外れてしまったので肉屋の話に戻ります。ブラジルで肉を買うときは、店員さんに 鶏肉/豚肉/牛肉の 〇〇(部位)を ××g 欲しいといえば商品を受け取ることができます。それをレジに持っていけば支払いができます。その場で切ってくれるため、(生姜焼き用に)薄切りにしてほしい、(ステーキ用に)厚切りにしてほしい、(ハンバーグ用に)挽肉にしてほしいなど大体の要望には答えてくれます。ただ多くのブラジル人は適当なので、頼んだ量より多かったり少なかったりしても、Tá Bom?(これで大丈夫?)といって渡してきます。ブラジルらしさが溢れた日常の一コマです。  ブラジルでたくさんの大切な人に出会いました。彼らに感謝の気持ちを忘れず、共に過ごせる時間を大切にしていきたいです。
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留学8ヶ月目が終了した。天気の悪い日も比較的多かった10月は気持ちもあまり乗り切らないこともしばしば。今月も少しでも有益な情報を残せるよう、振り返ろうと思う。 ・気候 先にも言った通り、今月は気候が不安定だった。曇りや雨の日が多かったり、気温の寒暖差が大きかったりしたため、周りに体調を崩す人もちらほら。幸いにも自分は体調を崩すことなく過ごすことができた。残りもなるべく多くの時間を有意義に過ごせるように体調管理に努めたい。サンパウロは一年中、1日ごとの気温の変化が大きいことが多いため、毎日の天気予報の確認は必須。 雨の日は洗濯物もあまり乾かない。特にデニムなどは2、3日干したままでようやく乾くほど。ありがたいことに住んでいる住居には屋根付きの洗濯物を干すスペースがあるため、そこに放置すれば問題なく乾燥させることができる。 ・大学 今学期の授業はあまり日常的には課題が出されないが、今月は日本文化の授業で中間テストがあった。前学期同様、Cultura Japonesa(日本文化)の授業は1つの小さい課題、個人で行う中間テスト、そしてグループでの期末テストで成績が判断される。留学生は前学期同様に辞書の使用が許可されているので、テスト対策さえしていれば問題ない。今回の中間テストも先生の評価が良かったため、ひとまず安心。 ・友人関係 いつものことながら、基本は日本人留学生、現地の日本語専攻のブラジル人と過ごしている。彼らは学校での昼食や夕食、空きコマの時間などはもちろんのこと、土日などの祝日にも遊びなどに誘ってくれるためとても感謝している。 ・交通・通学・移動 ブラジルの夜行バスはかなり後ろに座席を倒せるものが多いため、日本のものより旅行の際に使用することが多い。リオなども、サンパウロからだと6時間ほどで行けてしまうため、自分も重宝している。バス内にはトイレがあったり、レストランにすらない無料の水が置いてあることがほとんど。なぜバスだけ水が無料なのか意味がわからないが、いつもありがたくもらっている。 ・金銭 基本的には引き続き、現地の銀行のデビットカードやPixでの支払いがほとんど。それらが不具合で使えない時などのみ、日本から持ってきたクレジットカードを使っている。Banco do Brasilのデビットカードは、どうやら少額であればクレジット機能も使えるらしく、家に少額の請求が届いた。不正利用ではなく、リオで地下鉄に乗った際の料金だった。どうやら請求の明細に記載されているPixのQRコードでも支払いができるらしいが、自分は念の為何の支払いなのか確認をしたかったため、大学内の店舗窓口で支払った。 ・休日 今月も、可能な限りサッカー観戦、主にPalmeirasの試合に足を運んだ。今月の中旬には、リオに行き、Flamengo(フラメンゴ)とPalmeiras(パルメイラス)の試合を見にいくことができた。ブラジル国内リーグの1、2位直接対決だったこともあり、リオデジャネイロのMaracanãスタジアムは大盛り上がり。Palmeirasを応援していたが、結果は3−2でフラメンゴが勝利。勝ち点差はほとんどなくなりリーグ終盤戦へ突入。最後までこの2チームから目が離せない。 Palmeirasの応援をしているが、この日はFlamengoのユニフォームを着て、ホームチームサポーターになりきりスタジアムに向かった。ブラジルでは国民的スポーツであるサッカーに熱を注いでいる人が異常なほど多い。熱く盛り上がる一方で、時には死亡事故が起こるほどサポーター同士の喧嘩が頻発する。当初Palmeirasのユニフォームを着ていこうとしていたところ、サッカーに詳しいブラジル人の友人から全力で止められた。アウェーサポーターは相手のスタジアムに乗り込んでいる状態となり、時に暴力を振るわれたりなどもあるらしい。ここブラジルでは冗談が冗談で済まない可能性があるため、もし現地でのサッカー観戦、特にライバル同士などの試合観戦を考えている人は予習が必須だろう。 ・まとめ 今月も無事に過ごすことができた。今月の下旬にはリオデジャネイロの犯罪組織と警察の対立が起こったりと、各所で事件、事故がちらほら起きている。最後まで気を抜かず、安全に過ごしていきたい。
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2025-09
【① 気候、衣服】  9月のジュイス・ジ・フォーラは、冬から春へと移り変わる季節で、気候はとても過ごしやすいものでした。最高気温はおよそ27℃、最低気温は13〜15℃ほどで、朝晩はひんやりとしながらも、日中は太陽が出ると一気に暖かさを感じる日々が続きました。  季節の変わり目ということもあり、晴れた日には半袖で快適に過ごせる一方、寒冷前線の影響で気温が急に下がる日もあり、前日との気温差が10℃近くになることもありました。そのため、軽い上着を持ち歩き、天候の変化に合わせて衣服を調整する日が多かったです。  また、これまで乾季特有の澄んだ青空が続いていましたが、今月は曇りや小雨の日も少しずつ増え、季節の移り変わりを実感しました。全体としては、日本の3月〜4月頃の気候に近く、ブラジルの春の訪れを感じながら、少しずつ街の雰囲気や空気の湿度の変化も感じられる時期となりました。 【② 学校生活と授業】  9月半ばに冬休みが終わり、新学期が始まりました。前期と同様、履修登録では今回も苦戦を強いられました。  希望する講義を試しに受講しながら時間割を組み立てていましたが、UFJFでは授業時間帯の幅が非常に広く、朝8時から夜23時まで設定されています。さらに、講義によっては同じ科目の複数レベルが同時開講されていることもあり、希望する授業のレベル選択や、他科目との時間調整など、日本の大学以上に慎重な計画が求められました。  加えて、大学の敷地が非常に広大であるため、日本ではあまり意識することのなかった講義間の移動時間や距離も重要な要素となり、教室間の位置関係を確認しながらスケジュールを組む必要がありました。最終的には、移動負担と履修希望のバランスを取りつつ、試行錯誤を重ねて時間割を完成させました。  前期は講義系科目を多く履修した関係で、語学科目を取り入れることができませんでした。しかし、語学力を維持しさらに向上させたいという思いから、今学期は英語とスペイン語を必ず履修する方針で臨みました。特にスペイン語は、7月のイグアス旅行でアルゼンチンを訪れた際に、その重要性を改めて痛感し、学習意欲が一層高まったことが要因です。  ただし、今期の履修登録も一筋縄ではいかず、慎重に組み上げた時間割には、後から開講されないことが判明した講義も含まれていたほか、ポルトガル語の授業の教室が前期とは別の棟に変更されていたことに気づかず、初回授業に参加できないというハプニングもありました。また、前期同様に先生方のバカンス明けが遅れるケースも多く、「実際に行ってみるまで授業があるか分からない」というブラジルスタイルに、今学期も振り回される場面がありました。  最終的に、後期は語学科目のみを履修することになりましたが、各科目が週2回開講されるため、結果的に前期より登校日数は増えました。今学期は学生生活最後の学期でもあるため、これまで培った学びを確実に自分のものにし、良い形で締めくくることができるよう、引き続き努力してまいります。 【③ 私生活】 Recife ヘシフェ  冬休みを利用し、サンパウロ大学の学生とともにブラジル北東部ペルナンブーコ州の都市、ヘシフェを訪れました。今回は、サンパウロ発の航空券が比較的安価であったため、飛行機での移動を選択しました。    ヘシフェは「ブラジルのヴェネツィア」とも呼ばれ、運河が多く美しい景観が広がるほか、ビーチや歴史的建造物が人気の観光地です。一方で、北東部は貧富の差が大きく、リオデジャネイロと同様に犯罪発生率も高い地域であるため、事前に宿泊地や観光地、危険エリアについて慎重に情報収集を行いました。滞在先は、治安が比較的安定している高級住宅街 Boa Viagem地区を選択し、安全に配慮しながら観光を楽しみました。 Porto de galinhas ポルトデガリーニャス  ヘシフェ旅行で最初に訪れたのは、美しいビーチで知られるポルト・デ・ガリーニャスです。このビーチは、ブラジルの観光誌『ボヤージュ&ツーリズム』主催のランキングで、8回連続「ベスト・ブラジリアン・ビーチ」に選ばれるほどの人気を誇ります。    あいにく私たちが訪れた日は曇りがちの天候でしたが、ビーチには無数のパラソルが並び、観光客や地元の人々で賑わっていました。パラソルを借り、安全のため、荷物をひとつにまとめて交代で海に入りました。海は透明度が高く、砂浜も白く清掃が行き届いており、日本のビーチよりも格段に整備されていることを実感しました。  近くで購入したボールを使ってサッカーやビーチバレーを楽しみ、少し遠くまで泳ぐなどして思う存分海を満喫しました。リオのコパカバーナビーチなどは以前訪れたことがありますが、泳いだのは今回が初めてで、ブラジルの海で初めて泳いだという経験は特に思い出に残りました。  途中、短時間ですがゲリラ豪雨のようなスコールが降りましたが、すぐに止んだため大きな影響はありませんでした。  ビーチを後にして少し歩くと、すぐ近くに多くのお土産屋が並んでおり、北東部ならではの置き物や、ガリーニャス(鶏)をモチーフにしたお土産などもたくさん販売されていました。 Olinda オリンダ    次の日は市内観光を行いました。ヘシフェで外せない観光地といえばオリンダです。街の名前はポルトガル語の「Ó, linda!(なんて美しい!)」に由来しています。オリンダ地区は、ブラジルで最も保存状態が良く、植民地時代の建物が残る地域で、世界文化遺産にも登録されています。  街は中世ヨーロッパの風景を思わせる建築物や、黄色、青、赤、ピンクといったカラフルな壁を持つ家々が立ち並ぶことが特徴で、まるでディズニーの世界観に迷い込んだかのような美しい景色が広がっていました。  また、オリンダ地区は高台に位置しているため、建物の合間を抜けた先にはヘシフェの街並みや美しいビーチを一望できる場所が多くありました。 Centro de Artesanato de Pernambuco ペルナンブーコ州手工芸センター  マルコ・ゼロ広場のすぐ隣にある、ペルナンブーコ州の手工芸品を集めた大型展示販売施設です。州内の1,500人以上の職人によって作られた、陶器・木工・ガラス・金属を用いた2万点以上の作品が並んでいます。どれもクリエイティビティとオリジナリティにあふれ、見ているだけでもとても楽しい場所です。置物から家具まで、さまざまなものが展示されています。  実際に購入することも可能ですが、値段は高く、15万円を超える品も少なくありません。それでも、ここでしか手に入らないであろう作品が多く揃っているため、お金を貯めてまた訪れたいと思わせる魅力的な場所でした。 Nordeste(北東部)料理  お昼時には、地元で有名なノルデスチ料理のレストランを訪れました。 ブラジル北東部の料理は、ヨーロッパとアフリカの文化が混ざり合って発展したと言われています。海が近い地域ということもあり、魚介類を使った料理が多く見られる一方、ポルトガル由来の肉と野菜の煮込み料理、アフリカ由来の香辛料やヤシ油を用いたコクのある料理など、多様な食文化が共存しているのが特徴です。  今回私が注文したのは、この店の一番人気メニュー Ensopado de Cabra(子ヤギ肉の煮込み)。 見た目はカレーに近く、複数の香辛料でじっくり煮込まれたその料理は、運ばれてきた瞬間から独特で芳醇な香りを放っていました。  ひと口食べると……これがもう絶品! 香辛料がしっかり染み込んだ子ヤギ肉はホロホロと柔らかく、深い旨味とほんのりスパイシーな後味。ブラジル料理はもちろん、和食と比べても遜色ないどころか、むしろ衝撃を受けるほどの美味しさでした。お米との相性も抜群で、日本の料理に例えるなら、味の染みた豚の角煮をご飯と一緒に食べる感覚に近いかもしれません。  ノルデスチ料理は独特で好みが分かれると聞いていましたが、私にはドンピシャ。 「日本食以外に、ここまで自分の好みの味が存在したのか…!」と心の底から驚かされました。  食後には、すっかり虜になり、気づけばスマホで“自宅から通えるノルデスチ料理店”を夢中で検索していました。新しい食文化を発見した満足感と喜びでいっぱいの食事体験でした。 Instituto Ricardo Brennand リカルド・ブレンナンド博物館  ヘシフェ最後の観光地として、内陸部に位置するリカルド・ブレンナンド博物館を訪れました。この博物館は、実業家リカルド・ブレンナンド氏の個人コレクションを基礎に設立されたもので、中世ヨーロッパの城を思わせる壮麗な建築と、世界有数の武器コレクションを所蔵していることで知られています。    館内には絵画や彫刻だけでなく、中世の鎧や剣、火器など多様な展示が並び、過去には南米No.1博物館に選ばれたこともあります。特に、ヘシフェがオランダに占領されていた17世紀に関連する品々が多く、当時の歴史や文化を視覚的に理解できる内容でした。巨大な古地球儀のほか、当時の人物や服装を精巧に再現した蝋人形の展示室もあり、まるで17世紀の世界に入り込んだかのような没入感がありました。  なかでも圧巻だったのは「鎧のホール」です。部屋に入った瞬間、無数の甲冑騎士が立ち並ぶ光景が広がり、中世の軍勢に囲まれたような迫力を体感しました。隣の展示室には、刀剣から古式銃器まで幅広い武器が整然と並び、武器技術の発展を一望することができました。  滞在時間は約2時間と限られていましたが、それでも心が満たされるほど濃密な時間でした。次の機会があれば、もっと時間をかけてじっくり鑑賞したいと思わせる、非常に価値のある文化体験でした。 Salvador サルバドール  ヘシフェでの滞在を終え、長距離バスで約13時間かけて南下し、バイーア州の州都サルバドールを訪れました。サルバドールはブラジルの旧首都であり、かつて大西洋奴隷貿易の中心地として栄えた歴史を持つ都市です。サンバ発祥の地としても知られ、リオと並ぶ規模のカーニバルが開催されるなど、ブラジル文化の中枢として重要な役割を果たしてきました。ヘシフェ同様、旧市街の都市景観はユネスコ世界文化遺産に登録されており、歴史と文化が重厚に息づく街です。 Mercado Modelo モデーロ市場  サルバドールの低地エリア、港の目の前に位置する市場で、「ブラジル最大の手工芸品ショッピングセンター」とも称されます。200以上の小規模店舗が軒を連ね、バイーアならではの民芸品、木彫り、レース編み、カンドンブレ(アフリカ系ブラジル宗教)関連の品々、カシャッサや絵画など、地域文化を象徴する多彩な商品が所狭しと並んでいました。市場内を歩くだけでも、街の文化や生活の豊かさを五感で体感できる場所です。   Elevador Lacerda ラセルダ・エレベーター  世界初の公共エレベーターとして知られるラセルダ・エレベーターは、全高72メートルを誇る歴史的建造物です。授業でも紹介された象徴的なランドマークであり、リオのコルコバードのキリスト像と並び、ブラジルを訪れる際にはぜひ立ち寄りたい名所の一つでした。  1873年(日本の明治初期)に開業した建造物とは思えない規模で、目の前で見上げるとその高さと存在感に圧倒されました。実際に乗ってみると、予想を超える快適さと速度で、古さをほとんど感じさせません(現在は電力式ですが、かつては水力式だったとのことです。)  上層階に出ると、眼下には港と市場が広がり、遮る建物がほとんどないため、水平線まで見渡せる絶景が広がっていました。この日はあいにくの曇り空でしたが、それでも街と海が一体となったパノラマは圧巻で、サルバドールの歴史と地理的スケールを肌で実感できる瞬間でした。 Largo de Pelourinho ペロウリーニョ広場  石畳の道路と植民地時代の当時のままの建物が立ち並ぶ、サルバドール旧市街・ペロウリーニョ地区の中心広場です。ユネスコ世界文化遺産にも登録されており、アフロ・ブラジル文化のルーツが色濃く残る歴史地区として知られています。  広場周辺では観光客が集い、ストリートで音楽を奏でる人々やダンスを楽しむグループ、太鼓隊(batucada)の力強いリズムが響き渡り、まさに「音の街」の空気を全身で感じられます。色鮮やかな建物と陽気なリズムが重なり合い、ただ歩くだけでも自然とエネルギーが湧いてくる場所です。  さらにここは、キング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソンが「They Don’t Care About Us」のMVを撮影した場所として世界的に有名です。映像で登場した建物には記念パネルが掲げられ、MVさながらの景色が現在もそのまま残っています。マイケルのファンである私にとっては、まさに夢のような場所でした。映像の中から飛び出してきたかのような街並みを目の前にし、聖地に立っている実感に胸が熱くなりました。  一方で、「Pelourinho」という名前はポルトガル語で “鞭打ちの柱” を意味します。植民地時代、この広場では黒人奴隷が売られたり、罰を受けるための公開の場でもありました。現在は明るく陽気な雰囲気に包まれていますが、その背景には悲しい歴史があることも忘れてはならない場所です。 Casa do Carnaval da Bahia バイーア・カーニバル博物館  カーニバル博物館は、ペロウリーニョ地区にあるカーニバル専門の博物館です。バイーア州のカーニバルの歴史や文化、衣装、音楽、踊りなどを展示・紹介しています。入館者は映像や楽器、ダンス体験を通じて、単に展示を見るだけでなく、五感でカーニバル文化に触れることができます。  館内には、お面や衣装、楽器、装飾品、衣装を着た小さなフィギュアなど、カーニバル関連の品々が多数展示されており、各展示スペースでは実際のカーニバル映像やサンバのリズムも流れていて、没入感のある体験ができました。展示室全体がカラフルで煌びやかであり、カーニバルの熱気や華やかさを存分に感じることができます。  特に印象的だったのは、2階の体験コーナーです。プロジェクターにはダンス指導の映像が流れ、仮装用のキラキラした帽子や太鼓、マラカスなどが用意されていました。映像と音楽に合わせ、他の来館者と一緒に歌い、踊り、演奏する体験は、まるでカーニバルを擬似体験しているかのようで、非常に楽しく、記憶に残るものでした。 Catedral Basílica de Salvador サルバドール大聖堂  サルバドール大聖堂は、ペロウリーニョ地区に位置する、カトリックの重要な歴史的建造物です。17世紀に建設され、バロック様式の華麗な内装や祭壇が特徴で、サルバドール旧市街の象徴的存在となっています。教会内には宗教美術品も多数展示され、訪れる人々は歴史と文化の両方を感じることができます。    聖堂内には、美しい大理石の階段やシャンデリアの光を受け金色に輝く祭壇など、豪華絢爛な空間が広がっており、とても印象的でした。 Cidade da Música da Bahia 音楽の博物館  モデーロ市場のすぐ隣に位置するこの施設では、サンバやアクシェなど、バイーアに根付く音楽文化を、最新の映像や音響技術を通して体験できます。音楽の源流や文化的背景、そして現代への発展までを、ただ“見る”のではなく、身体感覚を伴って“感じる”ことができるのが特徴です。  最上階のミュージックルームでは、キャストの合図や歌に合わせて打楽器を演奏する参加型のアクティビティが行われ、来館者全員でリズムを共有する一体感が非常に印象的でした。特に驚かされたのは、そこで使用されていた楽器です。コップ、動物の骨、貝殻、陶器のお皿、ペットボトルなど、一見すると楽器とは結びつかない日用品が、見事に音を奏でる道具として使われていました。  歴史と高度な技術によって音色を洗練させた西洋楽器の美しさとは異なり、日常のどこにでもあるものを、自分たちのリズム感と表現力だけで楽器へと変えてしまうという発想に圧倒されました。形式や既成概念に縛られず、生活の中から“音が生まれる場”を作り出してきたバイーアの人々の感性に触れ、音楽文化の多様性と奥深さを改めて実感しました。 帰路  ヘシフェ、サルヴァドール旅行を大満足で終え、帰路につきました。歴史と文化が入り混じり、街全体が華やかに溢れる都市や観光名所を見られ、心から充実した旅となりました。  帰路では、サルヴァドールからジュイス・ジ・フォーラ行きのバスに乗車し、約31時間かけて自宅に到着。道中では、隣に座ったおじさんに話しかけられ、家族に向けたビデオメッセージを残すことになったり、かつて麻薬戦争が勃発し、2022年の国内殺人率ランキングでトップとなった Jequié という街を通過したりと、さまざまなことがありました。  ヘシフェからの移動を含めると、バス旅で合計45時間、距離にしてなんと2,200km(日本の本州は約1,500km)を移動したことになります。年を取ったらもうできないだろうなと思える壮大で貴重な旅路でした。 リオデジャネイロ一人旅  週末には、リオデジャネイロへ一人旅も行いました。私はこれまで人生で一度も一人旅をしたことがなく、いつか挑戦したいと思っていましたが、その夢がまさかブラジルで実現するとは、思ってもみませんでした。ジュイス・ジ・フォーラからリオデジャネイロへのバスは頻繁に運行しており、所要時間は約3時間。往復の交通費も時期によって2,500 〜 6,000円と手頃で、非常にアクセスしやすい環境です。 イパネマビーチでサーフィン  前回リオを訪れた際、海でウォーターアクティビティを楽しむ人々を見て、次回来たときには自分も挑戦したいと思っていました。今回、一人で自由にリオを満喫できるタイミングだったため、思い切ってサーフィンに挑戦してみることに。評判の良いイパネマのサーフィンスクールを予約しました。  料金はR$130(約3,500円)ほどで、2時間マンツーマンでしっかり教えてもらえるため、とてもお得でした。インストラクターさんは、浜辺で15分ほど基本を教えた後、すぐに私を連れて海に飛び出して、実践の中で教えるというスタイルでした。波に乗るタイミングや立ち方、視線の向け方など、私が理解しやすいように日本語でも指示を出してくれ、「コイデ!タッテ!ハマベ!」など、ビーチに日本語が飛び交う不思議な光景も。  初めての挑戦でなかなかうまくいかず何度も失敗しましたが、数回は波に乗ることに成功。想像以上に気持ちよく、充実した時間を過ごすことができました。日本に帰るまでには、さらに上達して波に乗りこなせるようになるのが目標です。 Corcovado コルコバードの丘  今回は、前回曇り空で訪れられなかったリオの象徴、コルコバードのキリスト像を訪れました。ブラジルを代表するランドマークだけあって、行く前から胸が高鳴っていました。  料金所までのバンが営業時間外だったため、Uberで向かい、チケットを購入して丘の上へ。登頂すると、目の前にそびえ立つ圧巻のキリスト像と、360℃広がるリオの街の大パノラマが迎えてくれました。到着した瞬間、その景色の壮大さに心が震える感動を覚えました。  たくさん写真を撮る中で、たまたま旅行に来ていたスペイン人の方々やブラジル人家族と仲良くなり、彼らの写真を撮る代わりにひとり旅だった私の写真も撮ってもらいました。旅が終わり数週間経った今でも、連絡を取り合っているほどです。一期一会の出会いも感じられる、特別な時間になりました。 ファベーラに連れて行かれた  コルコバードを満喫した余韻も束の間、予想外のトラブルが襲ってきました。 バンの運行はすでに終了し、Uberも全く繋がらない。残された手段は個人タクシーのみ。しかも、この後すぐにサッカー観戦が控えており、急いで下山する必要がありました。  上でタクシーを捕まえるとぼったくられる可能性が高いため、少し歩いて登りの際に下車した山の中腹まで降り、そこで再びUberを試みました。しかしやはり呼ぶことができず、仕方なく近くにいたバイクドライバーに声をかけると、降りるだけでR$400(約1万円)を要求されました。リオでは観光客やアジア人に対するぼったくりが珍しくなく、交渉の末、なんとかR$80まで下げることができました。(ちなみに登りはR$30でした。)  下山途中、彼と「君、交渉上手いね。俺は悲しいよ」「ごめん、まじでお金持ってないから」と談笑しながら歩を進めると、彼が突然「実は俺、ファベーラに住んでるんだ。行ってみたい?」と尋ねられました。危険を察知した私は、「行きたくない」と断固拒否。しかし彼は「危なくないよ」と言いながらも、私が登って来た道とは違う狭い道へ進み始めました。  「この道、違くない?登る時にはこんな道通らなかったよ」と私が尋ねると、彼は平然と「こっちのほうが近いんだ、俺の家の方だから」と返答。私は「いや、ここには行きたくない」と再度訴えましたが、「俺がいるから大丈夫」と言って運転を続け、ついにファベーラに到着してしまいました。  目の前に広がっていたのは、まさしくファベーラの光景。細く暗い通路沿いに、縦に連なる茶色いレンガの家々。所々欠けて窓もなく、壁には落書きが描かれていました。周囲には上裸で裸足の子どもたちが走り回り、ヘルメットなしでバイクを操縦する子どもおり、置かれている状況の深刻さを実感。彼は「ここからコルコバードが見えるよ、写真撮りな」と言いましたが、少し仲良くはなったものの、さっきまで私をぼったくろうとしていた相手であり、ここで拒否することに危険を感じ、バイクの後部座席から降りることもなくサブのサブの携帯で2枚だけ撮影し、「予定があるから早く降りて」と伝え、なんとか下山を再開してもらいました。途中も、「髪切っていくか?」など他の住人にも声をかけられましたが、「予定がある」と繰り返し断り続け、ようやく普通の道に戻ることができました。  結果として、故意ではないとはいえ、アジア人一人でファベーラに足を踏み入れ、非常に危険な状況に遭遇してしまいました。本当に九死に一生を得た瞬間でした。私は幸運にも無事で済みましたが、他の留学生の皆さんには、同じような状況に決して遭わないよう、心から注意を呼びかけたいと思います。 ヴァスコ・ダ・ガマ対クルゼイロ  恐怖体験も束の間、リオのサッカーチーム、ヴァスコ・ダ・ガマの本拠地に到着しました!ユニフォームに着替え、スタジアムであるサン・ジャヌアーリオへ歩いて向かいます。  サッカー観戦は長年の趣味でしたが、ブラジルに来てからは実は一度も現地で観戦したことがなく、今回が初めての経験でした。スタジアム周辺はヴァスコサポーターであふれ、屋台の香ばしい香りが煙とともに充満し、スピーカーから流れる音楽に合わせて、みんな盛り上がっていました。  スタジアム内に入ると、熱気あふれる大歓声!今日の対戦相手は、ミナスジェライス州の強豪でリーグ首位のクルゼイロ。ヴァスコへの応援歌と相手へのブーイングが入り混じり、会場全体が一体となっていました。  今回のお目当ては、元ブラジル代表で元バルセロナ所属のフィリペ・コウチーニョ。長年のファンとして、彼のプレーをこの目で見るのはまさに夢でした。選手たちがピッチに姿を現すと、会場を鼓舞するため、なんとコウチーニョが私たちサポーター席のすぐ目の前まで歩いてきて、こんな幸運な瞬間に、興奮を抑えきれませんでした。  試合が始まると、前半で順位で下位に位置するヴァスコがまさかの先制点!会場は揺れ、歓喜の瞬間に、万歳で飛んだであろうビールの雨が頭上から降り注ぎました。日本ではまず味わえない一体感と熱狂で、サッカーがこの国の生活文化そのものとして根付いていることを肌で感じました。  結果は2対0でヴァスコ・ダ・ガマの勝利。ホームで首位クルゼイロを撃破し、直近3試合の不振を吹き飛ばした瞬間、スタジアムは歓喜と歌声に包まれました。 【総括】  9月はジュイス・ジ・フォーラの春先の気候の変化を感じながら、長期休みを終えて後期がスタートした。私生活では冬休みを活かし、ヘシフェやサルバドールを訪れて、北東部の文化・歴史・建築・美食を存分に堪能。多彩な観光地を巡る中で、現地での文化体験を通じて地域ごとの多様性や歴史的背景を肌で実感した。  リオデジャネイロでは新たな挑戦にも取り組み、思わぬハプニングにも見舞われたが、無事に帰ることができた。この1か月を通して、学びと旅行・文化体験が相互に深く結びつき、異文化理解とブラジルでの経験値が一段と高まった、実りある月となった。
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