Daniel / Itsukiの報告書一覧
プロフィール
学科
イベロアメリカ言語学科
学年
3年
専攻
ブラジル・ポルトガル語専攻
留学期間
2025-04-01 ~ 2026-01-31
留学種別
交換
1~2件目 / 2件中
2025-05
月次報告書5月分
ブラジルのご飯
留学が開始してからあっという間に2ヶ月が経過した。到着してすぐの頃にストレスとなっていた文化の違いや言語の壁も、ようやく受け入れることができ、ブラジルでの生活に慣れてきた。と感じているのは気のせいかもしれない。先月はメンタルはボロボロだったが、体調は全く問題がなかった。しかしメンタルが回復した今月は、体調面がやや不安定だった。後述するのだが、気温の変化がとにかく大きい。このせいで体が対応できず風邪を引いてしまったり、朝起きても体の疲れが取れていないことが多々あった。他にも、「浴槽につかることができない」「一つの授業が4時間ぶっ通し」などといった日本にいた頃とは違う生活スタイルが、知らず知らずのうちにストレスになっていたのかもしれない。 〈食事〉  基本的に平日の朝は、大学に行く途中の八百屋でりんごかバナナを買って食べながら通学している。昼と夜は大学の学食で済ませている。外食するよりも出費を抑えられる上、バランスの良い食事を摂ることができる。学食はバイキング形式のような形で、一枚の大きなお皿に好きなだけ盛ることができる。米、豆、野菜は取り放題である。しかし、メインのタンパク質(肉や魚)は取り過ぎを防ぐために、食堂の方がその場にいて規定量をよそってくれる。この食生活のおかげもあってか、日本を出発する頃と比べて体重が5kg近く減少した。しかし決して食べている物の『量』が減っているわけではなく、単純に『質』があがったからだと思う。思い返せば日本にいた頃、家に帰れば母が作ったバランスの良い食事を摂ることができたはずなのに、友人との時間を優先してしまった。一時期、授業終わりは毎日のように友人とファミレス、居酒屋、ラーメン屋に行っていた。そんな食生活と比べれば、痩せるのも当然だ。母には感謝の気持ちと同時に申し訳なさでいっぱいだ。と、こんなに学食のことを褒めているものの、実は最近学食の食事に嫌気がさしてきている。毎日変わり映えのないメニューなうえに、決して美味しいとは言い難い。日本にいた頃、バイトと学校の調理実習以外で包丁を握らなかった私が自炊を始めるレベルだ。今月は調味料を調達したり、食べたいもの優先で食材を集めたりで出費が重なってしまったので、来月からはコストを抑えたうえで美味しい食事を作れるようにしたい。 〈気候〉  私が通う大学や家があるサン・ペドロ地区は、標高約900mのところに位置している。その影響もあり、1日の寒暖差がかなり激しい。今の季節は「晩秋」といったところか。そのため日が出ていない朝晩はかなり冷え込む。薄い長袖のTシャツだけでは肌寒いと感じるレベルだ。一方で日が出てくると、半袖でも暑いと感じるまで気温が上がる。家を出るとき、かなり服装に迷う。半袖で出かければ、家に帰る頃にはかなり気温が下がっており、半袖で家を出たことを後悔する。一方で長袖で出かければ、日中かなり汗ばみ、長袖で家を出たことを後悔する。脱ぎ着しやすいパーカーやフーディーがあればベストなのだが、正直私はブラジルの寒さをなめていたためそのようなものを持ってきていなかった。1、2枚現地で購入することを検討している。 〈移動〉  先月はUberでタクシーを呼んでいたが、今月はバイクを呼ぶことが増えた。値段がタクシーの半分か、それ以下だからだ。しかし荷物が多いときや夜遅いときは、タクシーを呼んでいる。本来であれば、さらに安いバスで移動できればベストなのだが、予定時刻に到着しないことが多々ある。それを逆算して家を出るのが面倒なので、時間に余裕があるとき以外は使っていない。ただ、日曜はバスに無料で乗ることができるため、積極的に利用している。 〈授業〉  今月から本格的に授業が始まった。言語系の授業は難易度がそれほど高くないため苦労していないが、講義系の授業はとにかく大変だ。現地の学生に混ざって専門的な分野を学習するため、授業についていくのはほぼ不可能に近い。今現在、授業時間内では2〜3割程度理解するのが限界だ。ただ幸いなことに、別日に時間を設けて授業内容の復習を手伝ってくれる友人ができた。さらに授業で使ったスライドもグーグルクラスルームを通じて配布されるため、これも利用しながらなんとか内容を理解している。 〈休日〉  ジュイスには、これといった商業施設や観光地はない。そのため友人と「遊びに行こう!」となることは正直あまりない。しかし昼から夕方にかけてレストランやバーに集まり、お酒を飲んでいる人が多い。私も大学内で新たな知り合いができるたびに、このような場に招待していただくのだが、いざ行ってみると片手にビール、片手にタバコを持ち、音楽にあわせて騒いでいるだけのことが多い。私自身タバコを吸わないので、その場の雰囲気に馴染むことができない。さらに中にはタバコ以外のものを吸っている人もおり、勧められることもある(もちろんブラジルでも違法です)。そのため誘っていただいても、一回きりの関係で終わってしまうことが多い。ブラジル人特有の心の近さに助けられることもあれば、困らされることもあり、人間関係の難しさを感じている。 大学内、大学外ともに過ごし方に慣れてきた3ヶ月目、もう「まだブラジルに慣れてなくて、、、」とは言い訳のできないフェーズに入ってきました。何をすべきなのか今一度生活習慣を見直し、来月は充実した1ヶ月にします。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2025-04
月次報告書4月分
ブラジル留学開始!!
待ちに待ったブラジル留学が始まった!…とウキウキでいられたのは到着した初日のみだった。いざ留学が始まるとあっという間にホームシックになってしまった。この報告書を書いている今はすでにホームシックを脱却しているが、これも貴重な経験だと思うので、個別の見出しを作って詳しく綴ろうと思う。 〈出発前〉 私が留学する大学はストライキが起こっていた関係で出発が2ヶ月近く遅れた。そのため先に留学が始まっている友人からアドバイスを受けながら留学準備を進めることができた。そこまで困ったことはなかったが、残高照会書と無犯罪証明書の発行は1-2週間程時間が必要なため、入学許可証を受け取り次第早めに動くべきだろう。 〈航空券〉 大学から入学許可証が届いてすぐ、飛行機のチケットを探した。本来であれば授業開始の3-5日前に到着する便で行くのがベストであるが、予算やトランジットの時間の都合上、2週間前に到着する便を選んだ。これより良い便が見つからなかった。 〈携帯〉 私は盗まれるのが嫌だったため、兄が以前使っていたiPhone11を譲り受けてそれを使っている。元々使っていた携帯会社とは契約を切り、新たに楽天モバイルと契約した。月2GBまで海外ローミングが可能な上に、その月の使用GBが3以下であれば、月額990円だからだ。これをeSIMで契約し、新たにブラジルでVIVOという携帯会社と契約した。そしてこちらの回線をメインに使っている。契約したプランは、月12GB/59レアル(日本円で1500円前後)だ。Wi-Fi下での使用がメインのため、このGB数で問題なく使えている。二重に通信料がかかってしまうが、日本にいた頃に使っていた電話番号を残したり、どちらかの回線が使えなくなってももう一方を使えるということを踏まえれば、そこまで気にならない。契約は、「projeto buddy」という留学生をサポートする支援団体の方に手伝ってもらった。また、ブラジルではTVerなどといった日本のコンテンツを視聴することができない。そこでVPNを使い接続しているのだが、その契約に月330円支払っている。 〈住居〉 projeto buddyの方に日本にいる間にコンタクトをとり、部屋探しの手伝いをしてもらった。最初はアパートで一人暮らしを考えていたが、家電がついていないところが多く最終的には「república」と呼ばれるシェアハウスのような建物の1部屋を借りることになった。大学から徒歩10分ほど、部屋はかなり広くさらに治安のいいサンペドロ地区にある。それでいて家賃は月1000レアル(日本円で25000円前後)なので、かなりいい物件を紹介してもらえたと思う。 〈食事〉 大学にある学食は、学生証があれば1食1.4レアル(日本円で35円程)で食べれるため、かなり食費を抑えることができる。私は自炊ができないし今後もするつもりはないため、1年間お世話になるだろう。しかし到着してすぐは学生証を持っていなかったため、大学北門の前に伸びるストリートでパンやお肉、フルーツなどを買って食べていた。 〈気候〉 日本とは季節が真逆なため、今ブラジルは秋である。とはいえ昼間はとても暑い。気温は20−25℃くらいだ。日本みたいにジメッとしていないため汗で服がびちゃびちゃになることは少ないが、太陽の日差しが強すぎるため、サングラスと日焼け止めは必須だ。しかし夜になると一気に気温が下がるため、昼間と同じ格好でいるとかなり寒い。夜まで予定がある場合、1枚上に羽織れるパーカーやカーディガンのようなものがあるといいだろう。 〈移動〉 基本的にはUberと呼ばれるアプリでタクシーを呼んで移動している。日本より断然安いし、変にバスや電車に乗るより安全だ。さらに確実に目的地に時間通りに到着することができる(特にバスは時間内には来ない)。 〈旅行〉 到着してから大学の授業が始まるまでかなり時間があったため、どのように過ごそうか困っていたのだが、この時期はイースターで授業が休みだそうで、サンパウロ大学に留学している友人たちに誘われリオへ旅行に行った。この旅行のおかげでホームシックはかなり和らいだため、彼らには感謝しかない。 〈授業〉 4月の間は留学生にとってお試し期間のような感じで、自分の好きな授業に参加することができる。留学生は全ての学部・学科の授業を履修することができるが、留学生専用の授業は特に設けられていない。そのため、いかにこの期間内に自分に合った授業を見つけられるかが大事である。DRIという国際線略部のような機関があり、そこに過去神田へ留学していた方がいる。日本語が堪能であり様々なことが相談でき、彼に頼めば気になる学部の授業一覧のファイルを送ってくれる。しかし教室が明記されていないこともあり、実際にその学部のキャンパスまで足を運び自分で確認しなければならないときもある。また「興味がある」という理由だけで授業を選んでしまうと、想像以上に内容が難しいこともある。そのため授業が始まる前に教授に自分が留学生であることを伝えた上で、授業の進め方や成績の付け方、授業中の辞書・スマホの使用の可否を相談することが大事だ。教授のポルトガル語が自分にとってどれくらい聞き取りやすいかも大切な要素だ。 〈ホームシック〉 この項目を書くかかなり悩んだが、現在進行形で同じ気持ちの人や、将来誰かがこの報告書を読んだとき少しでも心が軽くなったらいいなと思い書き残すことにした。ネガティブな言葉が続くため、それが嫌な人は飛ばしてもらってかまわない。 ・要因①初めての一人暮らし 私は20年間ずっと実家で暮らしてきた。そのため家に帰れば常に誰かがいる状態だった。しかし今は家に帰っても「おかえり」を言ってくれる人はいないし、部屋でずっと1人なのでかなり寂しい。 ・要因②初めての海外 20年間ずっと日本で過ごして来たため、生活における全てのことが新鮮だ。それを素敵な刺激として受け取ることができれば、ホームシックにはなっていなかったかもしれない。しかし文化の違いや言葉の壁など多くの問題に直面し、海外経験がなく、耐性がない私にとってそれら全てがストレスとなってしまっていた。 ・要因③周りへの依存 大学でも家でも、常に周りに依存してきた。家ではほとんど親が家事をやってくれていたし、大学でも困ったことがあればすぐに他人に頼ってしまっていた。しかし今はそれらを全て一人でやらなければならない(大学では助けてくれる人はたくさんいるが、自分のポルトガル語に自信がなく話しかけることができないことも多々ある)。このようなこともホームシックの原因のひとつではないか。 ・要因④他大学への羨ましさ サンパウロ大学等は、神田外語以外の日本の大学とも提携を結んでおり、多くの日本人が留学に来ている。さらにサンパウロにはリベルダージと呼ばれる日本人街があり、簡単に日本食が食べられる。一方でジュイスには日本人は神田外語以外の学生はおらず、街では日本人はおろかアジア人すら見かけない。日本食レストランもないと言ったら嘘になるが、それでもあるのは日本文化ガン無視の寿司屋くらいだ(寿司が揚がっていたり、クリームチーズが入っていたりする)。ポルトガル語しか伝わらない環境に身を置いた方が自分のためになることは重々承知しているが、それでも他大学の日本人と関わることができたり、気軽に日本食を食べることができるサンパウロに羨ましさがある。 ・要因⑤推しの存在 日本にいる間、推しのアーティストがいた。そして出国直前にブレイクしだし、これをきっかけにたくさんのライブ公演の予定が発表された。今年は幕張に来ることが決まり、日本に残っていれば行けたのに…と考えてしまう。今の時代、SNSの普及でそのようなイベントの情報が簡単に手に入ってしまう。それが逆風となり、ホームシックをより深刻化させていた。このままではいけないと思い、一時フォローしていたアカウントを全てブロックし情報を完全に遮断した。今は完全に踏ん切りをつけることができており、「海外で活動している推し」くらいの感覚で、適切な距離感で情報を得ることができている。 ・要因⑥アウトドアの趣味がない これといってアウトドアの趣味がないため、ブラジルに来てから数日は家に引きこもりスマホをずっと触ってしまっていた。これがホームシックの要因の一つとなっているかはわからない。しかし気力を振り絞って街に散歩にでかけると、かなり気が晴れた。また旅行中にビーチでサッカーをしたのだが、気づいたら近くにいた子どもやドリンクを売っていたおっちゃんなどが参加し、初対面の人たちでボールを蹴りあったのだがこれがかなり楽しかった(ブラジル人みんなタッチ柔らかいし、何よりうまい)。運動するとすごく気持ちが晴れるので、大学内で運動をやっている団体を見つけて、定期的に参加できればいいなと思う。 ・要因⑦日本食がおいしくない 日本食レストランにある寿司や旅行先で食べたラーメンがとにかく美味しくなく、早く美味しい日本料理が食べたい。 ・要因⑧街が静かすぎる ブラジルは危険だからという気持ちで装備や気持ちなどかなり準備して入国したのだが、いざ到着してみると治安が良すぎて逆に心配になる。特に私が住んでいるサンペドロ地区は、昼間であれば最低限の注意を払えば一人で出歩いても問題ない。夜も、ブラジル人と一緒にいれば心配することはない。ただ、セントロ地区はかなり賑わっているため、夜は必要でない限り出歩かない方がいい。街が静かすぎるせいで、全く刺激がなく寂しくなってしまう。また、朝4時近くから犬とニワトリが鳴いているため全く眠れない。私は日本にいる間、朝にバイトをしていたので週に数回5時起きの生活を送っていた。それに身体が慣れてしまっているためか、1度目が覚めてしまうとなかなか寝付けないのが辛い。 ・対処法①日本にいる友人や家族と連絡する 正直最初はこの方法に頼るしかないと思う。最初の1週間は、毎日友人と連絡して気を紛らわせていた。しかしたくさんのお金を出してくれている親に、到着してすぐにホームシックになったなど 恥ずかしさと悔しさで切り出せなかった。しかし耐えられなくなってとうとう電話したのだが、母は優しく受け入れ、励ましの言葉までかけてくれて、思わず泣いてしまった。ただ、そのおかげですごく心が軽くなった。それと同時に今までたくさんお世話になったのにも関わらず、日本にいる間に感謝の気持ちを行動に示すことなくブラジルへ来てしまったことに大きな後悔でいっぱいになった。日本に帰ったら絶対に親孝行をしようと思う。 ・対処法②現地で友人をつくる これが1番ホームシックを乗り越えるうえで大事だと思う。正直連絡を取る方法は一時的な解消にしかならず、根本的な解決にはならない。現地で友人を作れば日本に帰るまで交流を続けることができるし、困ったことや出かけたときに困っても助けてくれるので、絶対につくるべきだ。幸いにも大学では多くの人が話しかけてくれ、一緒に食事や勉強をした。 ・対処法③新たな趣味を見つける 没頭できるものが見つかれば、自然と寂しさを忘れることができるはず。私自身、ブラジルで新しい趣味が見つかればいいなと思う。 〈まとめ〉 留学開始初月から、ほとんどの人にとって参考にならない報告書を作ってしまい反省している。しかし、これも自分の個性として受け入れようと思う。また定期的にホームシックになったとしても、無理に解決しようとせず、うまい付き合い方が見つかればそれもまた正解だと思う。スタートダッシュに失敗した感は否めない。それでもまだ先は長いので留学の意義や、なぜ留学をしようと決めたのかをもう一度考え、自分なりに進んで行きたい。絶対に後悔のない留学にします。 〈写真〉 コパカバーナビーチ(Praia de Copacabana)/セラロン階段(Escadaria Selarón)
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
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