Keigöの報告書一覧
プロフィール
学科
イベロアメリカ言語学科
学年
4年
専攻
スペイン語専攻
留学期間
2019-08-01 ~ 2020-06-30
留学種別
交換
1~8件目 / 8件中
2020-03
月次報告書3月分
メキシコ女性運動 #SinNosotras
世界どの国を見ても女性問題は多かれ少なかれあるのではないだろうか。今回はメキシコの性差別とそれと闘うフェミニスタの運動を紹介する。 メキシコ人女性に対する差別問題は非常に深刻であり、状況改善の為の女性運動も大変盛んである。その実情は過去の月次報告書でも述べたよう昨年から留学先の政治社会学部 (FCPyS)、ひいてはメキシコ国立自治大学 (UNAM) 全土で女学生による学部の閉鎖、ストライキなどが何度も見られた。日本に於いても女性の地位、仕事での給与や手当が男性よりも不十分であるなどの差別はあるが、メキシコは男性からの過剰な暴力が主な性差別の要因である。命を落としてしまった女性はメキシコ全土で見れば決して少ない数ではない。3月8日、国際女性デーはメキシコシティのレフォルマ通り沿い、べジャスアルテス周辺、ソカロ等で大規模なストライキが行われた。街中には紫色の服やバンダナで身を纏い、同色の旗を持ち行進する多くの女性たちで溢れかえった。なかには、店のガラスを割って店内に入り商品を盗む者、モニュメントをハンマーで傷つける者、壁にスプレーで落書きをする者などもいた。翌9日は #SinNosotras というスローガンのもとメキシコ中の女性は仕事も学校もなく家にいた。 1月30日から始まった学部のストライキも1ヶ月が経過するが収束する見込みはない。学部の再開を待つばかりである。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2020-02
月次報告書2月分
タスコ・プエブラ探訪
タスコは18世紀、白を基調とした建物が残るコロニアル都市の1つであると共に、「銀の街」として名高い。中南米最初の銀鉱山がスペイン人植民によって造られ繁栄した街である。1743年、フランス人鉱夫ボルダが発見し、シルバーラッシュが始まった。今となっては銀は採れないが腕折りの銀職人さんによる銀製品が安く手に入り、メキシコシティからもバスで約3時間の近さから、目玉観光地となっている。 プエブラはメキシコシティからバスで東へ2時間走るとあるコロニアル都市である。植民地時代の趣を残す旧市街と近郊チョルーラが見どころである。チョルーラはアステカ時代に人口10万人を抱えた大都市であり、その中心は大神殿トラチウアルテペトルであり、頂上には黄色く塗られた教会が建つ。神殿頂上から見渡すプエブラ全体の街並み・眼前にはナワトル語で「煙を出す山」を意味するポポカテペトル山と「白い女の山」イスタクシワトル山の絶景がいただける。ハーハーと息を切らしながら登る価値があること間違いなしである。 また、プエブラ料理モーレはもちろんだが、ローカル料理セミータも食べ逃せない絶品である。 ※学部の授業は1/27日からフェミニストらによるストライキで閉まっているため授業が無かった。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2020-01
今月の写真はマチュピチュとクスコのアルマス広場。 12月13日にメキシコを出て、1月はエクアドル、ペルーに訪れ1月15日に戻った。 <エクアドル> 首都キトで2020年を迎えた。エクアドルでは人形を燃やしその年の嫌なことを忘れ、新しい年の成功を祈る"Año Viejo"という伝統行事がまだ残っている。又、幸せを表す黄色・恋を表す赤色の下着を着て年越しをするようで、道には沢山の黄色・赤色の服が売られていた。 キトからバスで7時間程度離れた、エクアドル最大の都市グアヤキルにも訪れた。ここはかつて野口英世博士が黄熱病の研究に従事した港町であり、シモン・ボリバルとサン・マルティンの歴史的会談が行われた場でもある。 <ペルー> クスコは標高3500mに位置し、かつてはインカ帝国の都があった場所で当時の文化や歴史が学べるインカ博物館がある。クスコはマチュピチュへ行く拠点地でもあり世界中から来る観光客で溢れている。 標高が高くまだ肌寒い朝7:30にクスコをミニバンで出発し6時間、水力発電所に到着する。そこからは道がなくなるため、高級列車を横目にやりながらひたすら線路の上を2時間半12km歩きマチュピチュ村へ。翌日早朝5:30に起床しマチュピチュへ登り夜の9時過ぎにクスコへ戻る。かなりきつい2日間の登山だが、インカ文明が誇る「空中都市」の眺めは言葉に表せないほどの絶景だ。 さらにクスコからバスで8時間移動し、ティティカカ湖畔の町プーノまで足を伸ばす。ティティカカ湖は世界で最も高い位置にある湖であり、標高は3800mまで上がる。先住民アイマラ族によってトトラ(藁)で作られた浮島ウロス島のツアーへ参加した。この浮島にはトトラで作られた舟、学校、病院、教会などまであるというのだから驚きである。(首都リマも訪れたが割愛。) 世界的にも注目を浴びる美食の国ペルー。アルパカ、クイの肉を始め、紫とうもろこしで作る飲み物チチャ、ロモサルタード、アヒ・デ・ガジーナ、アンティクーチョなどの絶品揃いのペルー料理に舌鼓を打つ。 クスコをあとにし1カ月ぶりにメキシコへ戻る。大気汚染が少なく、青く晴れ渡った空が「おかえり」と歓迎してくれているようだった。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2019-12
学部・CEPE共にようやく授業が終わり、1月までの長い冬休みに突入した。せっかくメキシコまで来たので中南米(メキシコ以外の国)も旅したいと渡墨前から考えていた。学部が6日、CEPEが9日に終わり、13日にメキシコを出国した。 <キューバ> ホームステイ先の夫がキューバ人で妻と帰るとのことだったので一緒に着いて行くことに。首都ハバナからハイウェイを2時間西へ走り飛ばした Pinar Del Ríoのご実家に滞在した。アフリカ系黒人の家庭でヨルバ教というとても不思議でちょっと怖い宗教に出会った。観光客で溢れるハバナとは違い、コンビニが1つしかなかったり、馬で移動したりとモノはかなり限られているが常に笑顔を絶やさず楽しくすごす本来のキューバをの在り方を身をもって感じられた。 <コロンビア> *カルタヘナ* コロンビアを南北へ流れカリブ海へ注ぐマグダレナ川がある湾岸都市だ。かつて海賊からの攻撃からまちを守るために要塞が建てられ、1657年建造のサン・フェリペ要塞はUNESCO文化遺産に登録されている。 *メデジン* かつて麻薬カルテルの本拠地だったメデジンだが大幅な治安改善により2013年のウォールストリート・ジャーナルのコンテストで「最も革新的な都市」第一位となった。観光地化したスラム街「コムナ13』やPiedra del Peñolがありカラフルな街「グアタペ」などに足を運んだ。(ボゴタとカリにも訪れたが割愛) <エクアドル> *キト* メキシコシティよりも少し高い2800mに位置するエクアドルの首都キトに降り立つと眼前にはアンデスの山々が広がり、南米にいることを実感する。標高が高いため天候が変わりやすい上に酸素が薄く坂を登ると息が上がる。エクアドルはスペイン語で「赤道」という意味だ。郊外にある赤道記念碑・赤道博物館は見逃すまい。旧市街にはスペイン征服時の建造物や教会が数多く残り情緒ある街並みだ。 ※国内はグアダラハラ州に訪れた。また12月12日のグアダルーペ聖母祭の日に寺院を訪れメキシコの宗教・歴史・文化を学ぶと共に彼らの宗教信仰心の強さを身をもって感じた。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2019-11
月次報告書11月分
一瞬で過ぎた11月
<オアハカ探訪~死者の日~> 11月1、2日は死者の日だ。およそ1ヶ月前から祭壇(altar)が準備され、町中骸骨のモニュメントやカラフルなお供物(ofrenda)が色をそえる。死者の日はUNESCOの世界無形文化遺産に登録されているメキシコに連綿と続く伝統行事である。1日は子どもの霊魂、2日は大人の霊魂が死者の世界から戻ってくる。日本のお盆に類似点を持つ。道の上には死者が家路の途中で道に迷わぬようマリーゴールド(cempasuchil)の花弁が散りばめられる。アステカ時代から途絶えることなく続き死者を偲び・祀る、独自の死生観をもつメキシコならではの伝統行事である。 オアハカ名物のイナゴ( chapulines)やさけるチーズ(quesillo)も堪能した。ツアーに参加しオアハカ市内から行ける遺跡モンテ・アルバンとミトラの見学もした。 <ストライキ-FUERA MACHOS DE LA UNAM-> 元のカレンダーによれば今月末で1学期は終了する予定だったが、UNAMひいてはメキシコの至る所で女性主義者ら(feministas)によるストライキ・デモが起こった。筆者の学部は政治が絡んでいることもありUNAMでもずば抜けてストライキが多く、今回のストは約2週間続いた。長く続いた分学期も少し伸び12月にまでまたいでしまう。しかし、日本では大学でストライキやデモなど全く起こらないので勉強になったと共に、学部のあらゆる壁に書かれた彼女らの怒りのこもったメッセージを見ていると、決して加害者ではないが考えさせられるものがある。 また、学期末の最終レポートも書かなければいけなくラテンアメリカの授業は最低10ページ以上だった。それに加えてCEPEの授業・課題も毎日あり、11月は多忙な月となった。 <引っ越し> 今月の家賃が高いのは引っ越しをしたせいだ。新しいホームステイ先は不動産屋に勤務する友人の手を借りて見つけた。立地はメトロEje Central駅から徒歩2分。大学へメトロのみで通えるので30、40分程度の近さだ。とても落ち着いた地域で近所にはスーパー(普通のと日本食)、日本人経営のパン屋さんなどもありとても便利だ。家族構成は母、夫(キューバ人)、30歳の息子と26歳の娘、2匹の犬と猫だ。筆者の他にも5名程部屋を借りている人がいる。そのうちの一人はチリ人で彼女のスペイン語は速すぎてついていけないが、メキシコ、キューバ、チリ、日本と多国籍でとても楽しい。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2019-10
[グアナファト探訪] メキシコ滞在も3ヶ月目に入り、ようやくメキシコシティ外に旅に出た。グアナファト市はシティからバスで5時間のところにある。メキシコに数あるコロニアル都市の1つであり、ユネスコの世界文化遺産にも登録されている。色とりどりの家々、車も通れないくらいの狭い道(callejón)、石畳の道など、中世ヨーロッパを彷彿とさせる街並みが広がっている。ピピラの丘からの絶景は見る物全てを魅了する。 又、グアナファトは炭鉱・銀山の町としても知られ、今でも数多くのトンネルが残っている。10月のこの時期、国際セルバンテス祭が毎年開催され世界中から観光客が集まる。今年の招待国はカナダ、招待州はゲレーロ州だった。夜はグアナファト名物、エストゥディアンティーナの美しい音色と共に狭い石畳の道を練り歩く。さらに、グアナファトに来て逃してはならないミイラ博物館にも足を運び、色々な種類のミイラがあることに驚いた。 異世界に迷い込んだかのように静かなトンネルを一人とぼとぼ歩く。充満した排ガスの匂いが今では懐かしく感じる。 [壁画] 休講になった貴重な1日をメキシコ人の友人とシティ内の美術館巡りに費やした。国立宮殿に赴きディエゴ・リベラの大作「メキシコの歴史」を遂に鑑賞した。壁画の大きさと迫力に圧倒された。その後も、現在は美術館になっていてフリーダ・カーロも在籍していたUNAM初の高校(サン・イルデフォンソ学院)やべジャスアルテス美術館に足を運び、メキシコの三代壁画家ディエゴ、シケイロス、オロスコの壮大な壁画を沢山見た。壁画には様々なメッセージや意味が込められていて、それを考えながら見るのがとても楽しかった。中でもべジャスアルテスにあるディエゴ作"El Hombre Controlador del Universo"は圧巻だ。 ※備考 下記の月額費用の学費はCEPEの金額。CEPEの新学期に伴う支払いとグアナファト旅行で先月より合計額が大きい。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2019-09
月次報告書9月分
多忙だったが充実の2ヶ月目
[勉強編] 今月から留学生用施設CEPEの授業も本格的に始まったので、学部と合わせて5個の授業があり、毎日朝から晩まで学校にいるような生活だ。学校内に書かれている “La UNAM es tu casa" (=UNAMは君の家)の標語がまさにぴったりな学校生活である。非常に忙しい月だった。 [課外活動編] 今月は様々なところへ足を運びとても楽しく休日を過ごした。9月は独立記念日があり、メキシコで1番盛り上がる月である。独立記念日付近にしか購入できない記念グッズやこの月にしか味わえない伝統料理チレ・エンノガーダも堪能した。メキシコカラーに包まれた空間で友人達と「ヴィヴァ・メヒコ」を叫べたのは貴重な体験である。スポーツでは、メキシコの国技ルチャ・リブレを聖地アレナ・メヒコへ観戦しに行った。人生初のプロレス観戦だったがとても興奮し、今ではルチャが大好きだ。さらに、メキシコに来たら外してはならない世界遺産テオティワカン遺跡の見学にも行った。想像以上の大きさに驚いたと共に、付き添ってくれた大学の友人が人類学専門なので歴史を説明してくれてとても勉強になった。メキシコ文化を存分に味わった月になった。 [天気編] メキシコは灼熱の太陽とサボテンのイメージが強く毎日暑いのではないかと思われがちだが、全くそんなことはない。朝晩はとても冷え込み20度を下回ることもしばしばある。日中は晴れているのでとても暖かいが、夕方になると天候は急変しほぼ毎日、雷と豪雨になる。ジャケットと傘は必須アイテムである。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2019-08
月次報告書8月分
留学生活、早1ヶ月が経ち
[滞在先] コヨアカンにホームステイしており、両親と2人の娘さんがいる家庭だ。娘さんの1人はCEPEの講師をしている。皆とても優しくよく声をかけてくれるのでスペイン語の上達になる。困ったことがあればすぐに相談に乗ってくれる。大学(学部)へは乗合バスとメトロを使って40分くらいで行ける。CEPEへはバスだけで行ける。 [授業] メキシコの授業開始時期は早く、KUISの授業が終了した翌日に出国した。到着した2日後から1週間オリエンテーションがあった。交換留学先である政治社会学部(FCPyS)の授業は8月5日から始まった。筆者の履修した授業は2つだが、どちらも周りを見渡してもメキシコ人学生しかいない。(授業によってはいる。交換留学生として、コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、コスタリカ、ノルウェー、ベルギー、アメリカ合衆国、ポルトガル人等の友人がいる。) メキシコ人学生・教授は優しく、困ったことがあればすぐに助けてくれるが、学部の授業で用いるテキストは内容が難しく知らない単語だらけである。学生も人によるが話す速度がかなり早い人もいてついていくのに必死である。1ヶ月経っても学部の授業は全く慣れない。一方、8月26日から始まったCEPEは外国人用施設の為、1ヶ月学部で過ごした筆者にとっては相当簡単に感じられ授業もとても楽しい。レベル5からのスタートだ。 [学校以外の生活] 中央広場のソカロ、ソウマヤ美術館、チャプルテペック城と国立人類学博物館に行った。まだピラミッドは見に行っていないので早く訪れたい。国立人類学博物館のレストランで昼食を取った時に、メニューを見て食べたことのない味のタコスを頼んでみた。テーブルに運ばれてきて驚いた。なんといも虫が乗っていたのだ。メキシコの伝統酒メスカルというテキーラの瓶の中に香り付けとして入れられているグサーノといういも虫が乗ったタコスだったのだ。興味があれば頼んでみるのも面白いだろう。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
1~8件目 / 8件中