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プロフィール
Hendra
学科
アジア言語学科
学年
4年
専攻
インドネシア語専攻
留学先
インドネシア共和国
/
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
留学期間
2017-08-01 ~ 2018-07-31
留学種別
交換
1~10件目 / 12件中
2018-07
月次報告書7月分
帰国
今月は7日に帰国することが確定していたので、先月末からの旅行が主なすごし方になります。 6月の末にジャカルタからジョグジャカルタに向けて列車で出発しました。いままで調査でまったく旅行に時間を取れなかったので、ようやく娯楽の時間が取れました。 ジョグジャカルタでは午前六時に駅に到着し、ボロブドゥール寺院とプランバナン寺院の2箇所を1日でまわる弾丸スケジュールで観光をしました。また2日目はクラトン(王宮)近辺とジョグジャカルタの目抜き通りの観光をしました。ベチャ(自転車タクシー)の客引きやお土産店の勧誘などがたくさんあり、ジャカルタと違う活気のよさを感じました。 3日目は朝から列車で東ジャワのマランに向け出発しました。マランには何度も行っているのですが、毎回友達がたくさんいて、気候も暑くなくすごしやすいと実感しました。物価が安いのでお土産の購入や名物料理を堪能し、5日にジャカルタに戻り、6日の夜遅くの便で日本に帰国しました。 帰ってから、日本は蒸し暑くインドネシアの気候乾いた暑さと違うことを実感しています。
インドネシア共和国
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
Hendra
アジア言語学科 4年 交換
2018-06
月次報告書6月分
いざスマトラへ
今月を総括して言えば、最も忙しかった1ヶ月でした。今月は9日から20日が実質的に断食明けのイドゥルフィトゥリという長期の休みが続きました。 その長期休みを利用して、私はスマトラ島の北東部にあるジャンビ県に観光に行ってきました。ジャンビ県は私の友達の出身地で、滞在中の前半は彼の実家に滞在していました。そこは県庁所在地にあたるジャンビ市から120キロ離れているとある郡部の村で、そこまでは半分舗装されていない道を約3時間半も進んでいきました。 よって断食明けをジャンビの山奥の村で迎えることになったのですが、断食明けのお祝いをする範囲が極端に狭く、祝いの挨拶+食事を隣の家、また隣の家という風に5時間ほど続けていきました。 休暇の後半はジャンビ市内で過ごしジャンビのおみやげを購入しましたが、伝統的なお土産を販売する小さなお店が全て閉まっており、初めは探すのに苦労しました。 休暇以外は、卒論の調査の最もピークの時期で、朝から晩までジャカルタ中を駆け回っていました。
インドネシア共和国
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
Hendra
アジア言語学科 4年 交換
2018-05
月次報告書5月分
BIPA最終月
今月は授業と、調査の2つに追われる生活でした。 授業の面では今月のMULTIKULTURALISMEの授業でプレゼンテーション発表があり、『日本人は宗教なしになぜ良い行動をとれるのか』という題目について日本とインドネシアを比較して発表を行いました。日本人は神道に対する信仰心を持つ人はある程度いても、それを宗教的なものとしてとらえる人は少ないというところから、これをどのようにプレゼンテーションで発表していくか悩みました。最終的に、神道とはどのようなものか、ありのままにプレゼンでは発表をしましたが、少しでも日本人の宗教観が伝わればと思いました。 調査活動では、週末を利用して調査範囲に入っている遠くの地方に行きました。そこにはオンラインのバイクタクシーはなく、駅にいる値段交渉をして乗せてもらうバイクタクシーに乗って調査地まで行きました。ジャカルタから約1時間半にも関わらず驚くほど田舎な地方を調査することになり、貴重な経験になりました。
インドネシア共和国
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
Hendra
アジア言語学科 4年 交換
2018-04
月次報告書4月分
時間のやりくり
先月のニュピの日では貴重な経験ができましたが、今月はそれに関連するダルマサンティという行事がインドネシア軍基地内で行われました。このイベントは国単位で行うイベントだったので、ジョコウィ大統領が短い時間でしたが来賓として参列しました。ジョコウィの前でいつもの演奏者のおしさんとガムランを弾くという、またとない経験をすることができました。ここまで多くの人に助けられていろんな行事に参加してきて、人脈も広がりました。4月も中盤に差し掛かり、留学の残り期間は2か月ちょっとになり最終的な卒論調査を始めました。築きあげてきた人脈を頼りに調査を進めていきます。 今月は昨年11月のバンドゥンに続く、大学の言語教育センター主催の学外プログラムが組まれ、ジャカルタにあるバティック博物館に行きました。そこではインドネシア中から集められたバティック、織物が展示されており、また実際にバティック作りを体験することができました。
インドネシア共和国
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
Hendra
アジア言語学科 4年 交換
2018-03
月次報告書3月分
ジャパンセンター開所式典・ニュピの日
今月は8日に神田アトマジャパンセンターの開所式があり、私は式典の司会を務めました。神田に1年留学した学生が日本語で司会を務め、私はインドネシア語での司会となりました。準備期間が身近い中で急ピッチで準備が進められましたが、大きなミスもなく式典を終わらせることができました。当日はJKT48、狂言の和泉流宗家の方々の公演もあり、生のステージに会場が盛り上がりました。司会は緊張しましたが、貴重な経験をすることができました。また式典の翌日には大規模なインドネシア語専攻同窓会があり、先生や先輩方、かつての留学生と親睦を深めることができました。 また17日にはインドネシアのヒンドゥー教徒にとっての新年である「ニュピ」の日を迎えました。この日は私はジャカルタ中を駆け回り、ガムランをたたき、オゴオゴ(負のイメージを担がせるハリボテ人形)をかつぎ、夜はジャカルタの南にあるボゴールの山の上にあるお寺で24時間の断食をしました。ヒンドゥー教徒のニュピの過ごし方を身をもって経験することができました。
インドネシア共和国
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
Hendra
アジア言語学科 4年 交換
2018-02
月次報告書2月分
アメーバ食べました
インドネシア留学もいよいよ折り返しというさなか、先月末より2月の中旬近くまでひどい胃痛に見舞われていました。 結論から言えばアメーバ性胃腸炎(直訳)(アメーバ赤痢を発症させるアメーバと同じものが原因で発症したのですが、この胃腸炎=アメーバ赤痢かは不明です)を発症しました。どうやら免疫が落ちているときに摂取した食べ物と一緒にアメーバを体内に取り込んでしまい、胃の粘膜に作用し急激な胃痛、腹痛を引き起こしたようです。胃腸炎との名前はありますが下痢をするのは初めの数日で、それ以降も胃を中心に痛みが続いたのがかなり印象に残っています。いままでに感じたことのない痛みで、病院のベッドの上でさえも痛みでのた打ち回るという経験をしました。点滴約3時間、鎮痛剤を打っても効果はなく、結局抗生物質で体の中でアメーバを殺すしかないという生活を2週間すごし回復しました。(入院は一切しておりません) インドネシア人でもめったにならないという病気にかかったということですが、授業開始日になんとかでてこれたのは幸いでした。今回のアメーバは東南アジア地域では貝などのシーフード、生野菜から摂取する可能性があり、体が疲れているとき、体調がすぐれない時などは食べることを避けたほうがよさそうです。
インドネシア共和国
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
Hendra
アジア言語学科 4年 交換
2018-01
月次報告書1月分
インドネシアを巡る
昨年度末から約1カ月授業が休みなのでこの機会に国内旅行をしました。 年末のジャカルタから東ジャワのマランまでをローカルの電車に乗り17時間をかけて走破した列車旅行に始まり、年末はバリで過ごしました。バリでは人のつてと事前に集めた情報で、名高い観光地のほかにもローカルな生活の垣間見える観光客のこない地域にも行くことができました。ジャカルタでバリ人のコミュニティに接していたことで、本場であるバリ本島の文化や社会に対しても理解が深まりました。 続いて第2のバリとも称されるロンボク島に移りました。バリからの移動手段はシャトルバス(トラベル)とフェリーを選びました。ロンボク島の港に入港できず海の上で2時間待つというトラブルに見舞われましたが、久々に知り合いの方に会うことができ、また翌日の観光もお手伝いいただきました。 そこから少し時期を置いて中部ジャワのスマランを再び訪れました。先日のスピーチコンテストでも行ったスマランですが前回行くことができなかった、より南の地方にも行くことができ自然を感じることができました。
インドネシア共和国
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
Hendra
アジア言語学科 4年 交換
2017-12
月次報告書12月分
今年を振り返って
雨季まっただなかということで、ジャカルタで雨の被害にあうことが増えました。お決まりのバンジール(洪水)やそれに伴うひどい交通渋滞など、外出(特に遠出は)適さない時期です。ジャカルタにきて5ヵ月が経ち、セメスターも1つ終えました。狭いのか広いのかわかりませんが、とにかくたくさんの人にもまれて生活してきたこの期間でインドネシア語活用能力と適応力(話す人や出身地によってインドネシア語の癖がだいぶ違ったりするので)が向上したと感じることができます。約1ヵ月の休暇を挟んで授業再開となりますが、モチベーションはキープしつつ有意義な休暇を過ごそうと思います。 芸術面では、ジャカルタでバリ人コミュニティに参加し、ガムランの練習に混ぜていただく機会が増えたことで、実際の舞台出演の機会も今月は2回ほどありました。特に週1回活動しているバリ人の若者グループにおいては、タンゲラン地区で行われた儀礼の舞台で演奏を頼まれるなど、出演依頼も増えています。今度は2月の別地域の儀礼に出演することもほぼ確定だそうで、練習にも熱が入りそうです。
インドネシア共和国
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
Hendra
アジア言語学科 4年 交換
2017-11
月次報告書11月分
スピーチコンテスト
今月は行事が多い月でした。 上旬にはジャカルタで毎年行われている「Japan Film Festival 2017」(主催:国際交流基金)のボランティアスタッフとして開催に携わりました。当初は日本人に日本語で案内をするという目的で採用が決まったのですが、インドネシア人に対してインドネシア語や英語を用いて案内することも多くあり、語学学習のモチベーションを上げるいい機会となりました。 中旬には、中部ジャワの州都であるスマランという街で行われたインドネシア語スピーチコンテストに参加しました。一応学校の代表として現地に赴いたのですが、多忙な中で満足のいく準備はできず賞を取るには到底至りませんでした。しかし同じインドネシア語を学ぶ外国人同士の交流はとてもいい刺激となり、新たな友達もできました。 先月の下旬から始まっている、バリのお盆に当たる行事も今月の中旬で終わりを迎え、初めてジャカルタの舞台でガムランを演奏をする機会がありました。急に知らない曲を弾き始めたり、観客の前でここに日本人がいるんだと紹介されたり、突然がおおい行事でしたが、一方でバリ人の心の温かさに触れた月でもありました。
インドネシア共和国
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
Hendra
アジア言語学科 4年 交換
2017-10
月次報告書10月分
引っ越し
今月の上旬に大学近くにあるコス(寮のような施設)に引っ越しました。大学まで徒歩10分で月2万円ということで、ジャカルタの繁華街に位置する地域のコスにしてはまだ安いほうです。門限が夜の12時ということでそこが少し不便なのですが、それを除けば満足のいくコスです。あと大雨が降ると道が冠水するので心が折れそうなことも… 今月に入りジャカルタ中を動き回ることが多くなり、交通費を抑えるために公共交通機関を使っているうちにインドネシア人に驚かれるレベルで街と交通に詳しくなりました。 今月はジャカルタに駐在している駐在員の方々とお食事会をする機会もあり、海外で働くこととは、今しておくべきことは何なのか、何に気を付けて留学生活を送ればいいのか、アドバイスをいただき貴重な機会になりました。 来月のガムランの演奏など練習予定も重なり、週末が週末と感じられない忙しさに疲れも感じているところですが、1年という短い期間内にここでしかできないことは何なのか、心に留めながら生活を送っています。
インドネシア共和国
UNIVERSITAS KATOLIK INDONESIA ATMA JAYA
Hendra
アジア言語学科 4年 交換
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