Ningtyasの報告書一覧
プロフィール
学科
アジア言語学科
学年
4年
専攻
インドネシア語専攻
留学期間
2024-09-01 ~ 2025-06-30
留学種別
交換
1~10件目 / 11件中
2025-06
留学成果報告書6月分
留学成果報告書 Unika Atma Jaya
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1960年 ・学生数 約17,000人 ・設置学部 経済、経営、コミュニケーション、言語教育、技術、法、工学部、心理、バイオテクノロジー (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) 外国人向けのインドネシア語コース(BIPA) (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など BIPA、英語、コミュニケーション ・語学留学の場合:学部科目を履修できるオプションがあったか あった (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 ジャカルタ中心部に位置しているだけあって、生徒たちも都会の学生っぽい雰囲気だった。KUIS生3人に加え、マダガスカルやオランダからきてる留学生もいた。その他、フランスなどから来てる学部留学生もいたが、関わる機会は多くはなかった。 (5) 課題や試験 (KUISとの違いや負担の大きさなど) 課題:初めの半年間は課題が多く、授業の後図書館でやっても終わらず家に持ち帰ることも多かった。後半の半年間は、課題の形式が変わったため、それほど負担ではなかった。毎日課題はあった。 試験:復習をしていればそれなりに出来るが、難しい。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか 留学生をサポートしてくれるインターナショナルオフィス(IO)のスタッフたちに相談すると情報をくれる。また、BIPAの担任の先生も質問や相談をするときちんと聞いてくれた。 (7) オリエンテーション (オリエンテーションがあったか、あった場合その内容) ダルマシスワ奨学金の開会式時、露出の多い服装やサンダルでの登校はNGなどの説明を受けた。 (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) BIPA以外の英語や一般生徒に混ざったコミュニケーションの授業は、BIPAの担任の先生が手配してくれた。それ以外の、授業もIOのスタッフに相談すると履修可能。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 もともとインドネシア人の人柄や料理が好きだったため、現地でより詳しく身近に感じたいと思った。また、言語習得のため現地で勉強するのが1番だと考えたため。 (2) 留学先を選んだ理由 英語とインドネシア語の両言語に力を入れている大学だったため。また首都ジャカルタの中心部に位置し、交通の便も良いと思ったため。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 若者言葉の授業は留学前に履修しておいてよかったと思う。先生のインドネシア語は聞き取れても、一般学生のインドネシア語が聞き取れないことが多かったため、留学前にMULCの留学生などともっと話しておけばよかったと思う。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) 私の場合、ショートパンツやミニスカートは持っていったもの公共交通機関を多く利用していたため、ほぼ履く機会はなかった。特にバスで履いていると首都ジャカルタでも視線を感じる。カフェやモール内は冷房が効いていて寒いので、羽織るものや薄手の長袖があると便利。 (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) K3J(日本文化同好会)に所属する学生がよく遊びに誘ってくれた。同じBIPAの他国から来た留学生と、雑談しながらお昼ご飯を食べたり一緒に下校したりしていた。また、KANTIN(学校の食堂)で昼食をとっていると、話しかけてくれる学生が多くいて仲良くなったりもした。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと 担任の先生の話すスピードが早く、初めは圧倒されたが、徐々に慣れて不思議と大体聞き取れるようになる。生徒が話していても、いつの間にか先生のターンになってしまうことがあるので、気を強く自信を持って話し続けたら良い。一回の授業で、新出単語が山のようにあるため予習・復習が大事。 (7) 授業外で参加した活動 (ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法) 水泳・ダイビングサークルに参加していたが、それほど活発に活動してなかった。申し込み方法は、サークルのインスタグラムから連絡し、チャットグループに参加させてもらったり、フォームを提出したりした。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと 同じサークル活動でも国や文化が違うと、泊まりがけのサークル交流会のあり方などが大きく異なっていて参加して非常に面白かった。 (9) 留学で達成した最も大きなこと 文化も言語も違う場所で戸惑った時「分からないから一歩引く」のではなく声に出して尋ねることの重要性だったり、失敗を恐れずにチャレンジする行動力は、留学前に比べ大きく成長させられたと感じている。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 単語の勉強だったり、リスニングに関してはYouTubeの動画を定期的に見る習慣をつけ、耳をインドネシア語に慣れさせ続けていきたい。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 必要書類はなるべく早めに出す。地方から上京している学生は、親の直筆サインが必要な書類もあるので時間には余裕を持つ。 (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) 大学に必要書類を提出後、e-visaが発行される。 (3) 航空券を予約した方法 (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) トリップドットコム (4) 渡航したルート 往復路ともに羽田⇄ジャカルタの直行便 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) ダルマシスワ奨学金のスタッフの方が迎えに来てくれた。 (6) 滞在先住居を探した方法 (大学の寮に申し込めたか、寮に滞在した場合は申込みの方法やいつ頃申し込んだか、不動産業者や特定のウェブサイトを使用した場合はその名称やURLなど、住居を手配した方法を詳細に記入してください) 渡航前にIOからKostのリストが送られてきていたため、候補は事前に伝えていた。 現地到着日にIOの方といくつかのkostを見て周り、値段や設備など納得した場所に決めた。 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 私のKostの家賃は現金支払いのみだった。 設備→冷蔵庫、エアコン、ベット、クローゼット、勉強机、テレビ、トイレ、シャワー、収納ボックス、全身鏡、共有キッチン (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) ・何か困ったことがあれば(エアコンから水が出てくる、トイレが流れないなど)、kostの管理人や警備の人にいうと対応してくれる。 ・週2日決まった曜日の朝に、お掃除が入るので寝ていてノックに気づかないと鍵を開けて入ってきてしまうので注意。 ・家賃の支払いは、翌月5日が締切。遅れると1日ごとに10%が加算されるので、通知が来たら早めに払うことをお勧めする。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) ・インドネシアの銀行BCAの口座をIOの方と開設したため、現地での支払いは主にQRコード決済だった。 ・クレジットカードは航空券やホテルの予約など、まとまった出費の際に使用していた。 ・多めに日本円の現金を持って行ったため、家賃を支払うときはレートの良い外貨両替所で両替し、そのまま現金支払いしていた。 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) 到着日に空港でTelkomselのSIMカードを購入し、GBが無くなり次第アプリ内からGBの購入を行なっていた。 (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) ・キャンパス内はWi-Fiが繋がる。 ・Kostの部屋は、接続が不安定だったためほぼ繋いでいなかった。なぜかiPadは接続が安定していた。 ・ほとんどのカフェにWi-Fiがある。パスワードを聞くと教えてくれる。 (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) ・4回ほど高熱を出し、たけのこクリニックという日本語が通じる病院に行った。 ・真っ黄色のビタミン剤の点滴を打ってもらったり、コロナの検査をしてもらった。 ・栄養不足で困っていた時、整腸剤やビタミン剤も処方してもらえた。 (5) 日本から持っていくべきもの 虫刺されの薬(ムヒ)、栄養が取れるサプリメント、常備薬(整腸剤、便秘薬、解熱剤等、)日焼け止め(10ヶ月分) (6) 治安状況 (どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか) 日本国大使館のメールで、デモや犯罪などを把握していた。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか) ・平日は学校の食堂で昼食を済ませ、帰りにコンビニやスーパー、屋台などで夜ごはんを調達していた。 ・休日は家にあるものを食べるか、モールなどで外食 (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか) SNS、現地の友達、先生、 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 ・外出するときティッシュを必ず持ち歩く。(トイレに備え付けられていない事が多いから) ・物の受け渡しで左手を使わない。 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) 就職 (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) オンラインの企業説明会に参加していたが、本格的には帰国後に始める予定だった。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 留学で培えられた、異文化を理解するだけでなくそれに適応する力や自立心、チャレンジ精神を大いにこの先の進路に活かしていきたい。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 今留学に行くか悩んでいる人は、ぜひ勇気を出してチャレンジしてみてください。もちろん大変なことはありますが、いろんな人に出会う事ができて、日本では体験できない事がたくさんあります。必ず将来の自分のためになると思います。
月次報告書6月分
留学生活最後の月
遂に留学最後の月になりました。 始まった当初は、1日がとても長く感じていたのに今となっては1週間、1ヶ月があっという間に過ぎていくように感じます。 今月の初めには、留学生みんなが仲良くしてもらっているインドネシア人の方の誕生日パーティーに参加させて頂きました。日本人からのプレゼントということでシャトレーゼの和菓子詰め合わせをプレゼントしたら、すごく喜んでいただけて嬉しかったです。 最後のインドネシア語の授業では、先生に花束とお手紙を渡しました。今日で授業が終わりなのに、また明日もみんなで授業を受けてるような気がして、なんだか信じられませんでした。先生は、いつも早口で、一見怖いけどすごく私たちのために尽くしてくださっていました。とてもとても感謝しています。 私がこの留学生活で1番食べた学校の食堂のお母さんたちとの最後のお別れの時は、お母さんも泣いてしまってもらい泣きでとても悲しかったです。いつも変わらない美味しいご飯に何度助けられたか分かりません。絶対にまた食べに戻って来ようと思います。 6/6はIdul Adha(犠牲祭)のため祝日でした。私は、当日までこの日に何が行われるか知らず、ただ町中に羊や牛の小屋が建てられ、至る所に牛や羊がいるなとだけ思っていました。インドネシア人の方から話を聞くと、この羊や牛たちは道路脇で屠殺され、お肉を家族や友人、貧しい人に分け与えるのだと言います。この祝日は、断食明けのイドゥル・フィトリと同様にイスラムの二大祭日として知られ、神への信仰と服従を象徴する、そして助け合いの精神を広めるという非常に深い意味と価値を持つ日なのだそうです。 のちに調べてみると日本にいるイスラム教徒の人たちは、動物の屠殺は制限されているため、その精神を尊重するため、同時期に食事会や募金活動などが行われているようです。 このようにインドネシアで生活したからこそ、自らの目で見ることができ、新たに興味を持って自分で調べてみたり、いろんな思う事や感じた事がこの10ヶ月間には数え切れないほど沢山あります。 ここに留学しなければ出会えなかった人たちや、 親身になって指導してくれた先生方には感謝してもし切れません。 不便に感じることや、慣れないこと、辛いことも沢山ありましたが、 今となっては全て今の自分を作ってくれている大事な経験だったと感じています。 私の人生において忘れられない10ヶ月間になりました。 本当にありがとうございました。
2025-05
月次報告書5月分
9ヶ月目
留学生活も残りわずかとなりました。 徐々に「最後」のことが増えてきて、留学が本当に終わるのを実感させられている気がします。 そんな5月は月初めに神田外語の高知先生に誘って頂き、ジャカルタ留学生5人と現在インドネシアで働いている先輩方にお会いする機会がありました。先輩方のインドネシアで働いてみて感じた思いだったり、留学していた頃の思い出話など聞くことができて、とても学びの多い時間になりました。また、今の留学生たちの就活についての相談だったり、インドネシアの生活の話だったりも聞いて頂きました。 その2日後には、日本からインドネシア語専攻の先輩が遊びに来ているということで、留学していた頃のお友達たちとの時間に私もご一緒させて頂きました。カラオケでみんな日本のアニメの曲を歌っていて、アニメの影響力はすごいなと感じました。 そして今月はついに日本へのお土産探しを始めました。全く日本に帰る実感はないのにお土産だけが増えていっていて、不思議な感覚です。日本人のお友達と大きいスーパーに行って、お土産を爆買いして大荷物で地下鉄に乗ったのもいい思い出です笑 また月末にはUNJに留学中のお友達に、インドネシア人のお母様方を対象にした日本のお弁当作りのイベントに誘っていただき参加してきました。大勢のお母様方を前に日本人を代表して、卵焼きとタコさんウインナーが入ったのり弁を作るのは緊張していましたが、思いの外、お母様方は作っている姿を見ていなかったので良い意味で緊張が解けました笑 日本人のお手本を見た後、インドネシア人が真似してお弁当を作る時間があったのですが、卵焼きにすごく苦戦していたようで、日本食ほど繊細な料理は割と珍しいものなんだと感じました。なんの指示もなく、それぞれのチームで個性的なキャラ弁のような物を作って楽しんでいて、私も日本のお弁当文化を知ってもらえて嬉しかったです。 そして、最終プレゼンテーションも月末に行いました。私は、インドネシアの喫煙問題について取り上げ、聴衆の皆さんに喫煙が引き起こす問題や非喫煙者への影響、喫煙を減らすための解決策を発表しました。昨年一度プレゼンテーションは経験していたものの、より話しかける形で行いたかったので、そのを徹底的に行いました。本番では、今までミスしなかったところで躓いてしまったものの、なんとか成功させることができました。日本人以外の留学生も今回は発表したのですが、留学当初はインドネシア語が話せなかったお友達が人前に立ってプレゼンしている姿に自分の事のように嬉しく感動しました。 一緒に授業を受けていた駐在奥様方も私たちの発表を見に駆けつけてくれて、嬉しさと共に今日が奥様方と会うのも最後だと思うと寂しい気持ちになりました。 徐々に最後のお別れをしなければならない方も出てきていて、本当に留学が終わるんだな、10ヶ月長かったようであっという間だったなと考えるようになりました。 来月は1週間ほどしか授業がないので、最後気を引き締めて事故などに遭わないよう生活していきたいです。
2025-04
月次報告書4月分
たくさん出かけた8ヶ月目
今月は週末に友達や他の国から来ている留学生との予定が多く、忙しくもとても充実していてあっという間に過ぎた1ヶ月間でした。ジャカルタの国立博物館に行ったり、インドネシア人の子と日本食を食べに行ったり、離島に泊まりがけで行きシュノーケリングをしたり、たこ焼きパーティーをしたり、カラオケに行ったりとたくさんのことを経験させていただきました。 特に印象深かったのは、学校のイベントで留学生何人かとスタッフさんで離島に行ったことです。ずっとやってみたかったシュノーケリングが出来たというのも理由の一つですが、離島までの行き帰りの船が日本では絶対に経験できないような、人がぎゅうぎゅう詰め木造二階建ての船だったからです。一目見た時は本当にこれに2時間も乗るのかと愕然としました。暑いインドネシアでエアコンもなく、風もさほど入ってこない定員オーバーらしき船は非常に恐ろしかったです。1日目の夜は、私が4月生まれと知っていてくれた日本人の友達たちが計画してくれて、みんなでサプライズをしてくれました!たくさんの友達がお祝いしてくれてとっても嬉しかったです!その後は眠くなるまで、UNOやトランプをして遊びました。 インドネシアならではで、遊びに行くと誰かしら新しく出会う人がいるので、今月は多くの新しい友人に出会うこともできて、とても思い出深い1ヶ月になりました。 留学生活も残り2ヶ月となったので、やり残したことがないよう全力で楽しみながら勉強も頑張りたいです。
2025-03
月次報告書3月分
初めてのラマダン(断食月)
3月頭に留学中ではおそらく3度目の高熱が出ました。毎度のように寒気と頭痛に襲われ辛い日々を過ごしました。私は、日本では1年に1度風邪を引くか引かないかくらいなので、自分ではそこまで感じていないつもりのストレスや栄養不足などが意外と影響しているのだと感じます。 今月はラマダン(断食月)です。インドネシアは、8割以上がイスラム教であるので、街の雰囲気がどう変わるのか、私たち(非イスラム教徒)のご飯はどうするのか、屋台や食堂で働いているムスリムの方はどうするのかなど多くの疑問がありました。実際に過ごしてみて、街の雰囲気は大きく異なることに気づきました。断食月と聞くと道の屋台がなくなるかと思いきや、反対に日没後の食事に向けた屋台がお昼頃からたくさん道に出ています。そして、夕方16時頃になると揚げ物などの軽食を買う人で溢れていました。私が通う大学はカトリックなので多くの生徒はいつもと変わらず食事をし、食堂も通常通り営業していました。しかし、家から近いお気に入りのご飯屋さんは断食明けの軽食販売のみの営業になっており、1ヶ月食べられませんでした。また、ラマダン中は多くの企業が勤務時間を短縮するようで、退勤ラッシュの時間帯も早まり、比較的夜は静かな気がします。モールにご飯を食べに行った際には、断食明けの食事が優先で予約されており、断食明け2時間前にも関わらず食事時間が制限されたこともあります。このように、街全体がラマダン一色になり、断食明けには家族や友人と集まりお祝いをします。日本にはないことなので非常に新鮮な1ヶ月間でした。 3/28〜4/6までレバラン休暇(断食月終了の大祭)で学校が休みだったので、ジャカルタから高速鉄道で40分ほどのバンドンという街にプチ旅行してきました。バンドンは食と自然が有名な観光地として知られています。 “Kawah putih”という火口湖に行ったり、動物園でオランウータンを見たり、地元で有名なご飯を食べたりしました。また、かつてオランダの植民地だった時代の街並みが残っていたりと、ジャカルタとは違う雰囲気や気候も楽しむことができました。
2025-02
月次報告書2月分
2学期スタート
2月2日に日本人主催の節分イベントに誘っていただき参加してきました。 インドネシア人も多く参加しており、日本人の私からすると日本の文化に興味を持ってくれていることがまず何より嬉しかったです。イベント内では、実際に巻き簀を使って1人1本恵方巻を作りました。もちろんインドネシア人にとっては初めての事で苦戦しながらもみんな楽しそうに作っていました。今年の方角「西南西」を見てお願い事をしながら黙々と食べ、最後に豆まきをしました。私自身日本を感じることができたし、日本の節分の文化をインドネシア人に知ってもらえて嬉しかったです。 約1ヶ月の長期休暇が明け、2月3日から2学期が始まりました。長いと思っていた留学生活も残り4ヶ月です。休みモードから急に始まった毎日の学校に、疲れが出てきていましたが、1週目の土曜日に学校でスポーツデイが開催されていたので参加しました。朝9時開始のスケジュールだったため時間どうりに行くと3人しかいませんでした。あぁここはインドネシアだったと改めて感じました。いるメンバーでバドミントンをしていると徐々に人が集まってきました。その後も、バレーボールやバスケットボール、ドッジボールなど夜8時まで活動しました。久しぶりに朝から汗を流して体を動かし、なんだかスッキリしました。案の定、次の日には全身筋肉痛になり、家の近くのマッサージ屋さんに初めていきました。全身マッサージで約1500円と破格の値段でとても気持ちよかったです。今後も疲れが溜まった時は利用したいものです。 2月前半は有難いことに沢山のイベントに参加して現地の学生と交流することができましたが、後半は気分が沈む出来事がありぼーっとしてしまったり、急遽日本に一時帰国したりと記憶にないくらいあっという間に2月が過ぎ去っていきました。残り4ヶ月となりましたが、最後まで楽しむ気持ちと学ぶ気持ちを持ち続け有意義な留学生活にして生きたいです。
2025-01
月次報告書1月分
2025年スタート
元旦はバリ島で初日の出を見るため、Jeepでバトゥール山を登るツアーに申し込み午前1時30分にホテルを出発しました。急すぎる山道を容赦なく進み、振り落とされそうなほど揺れるJeepで辿り着いたsunriseスポットには、私たち以外にも多くの観光客がいました。初日の出を見る文化は日本だけかと思っていたので少し驚きました。残念ながら天候には恵まれず初日の出は見られませんでしたが、新鮮な空気を感じられて良い一年のスタートができました。 今月は長期休暇で授業がないので、一月後半にもバリ島を訪れました。古くからのバリ人のお友達にあって色んなところに連れて行ってもらったり、美味しいwarung(小さな食堂)を発掘したりと充実した休暇を過ごすことができました。日本から会いにきてくれた方たちが日本に帰ってしまった後には、また一人になるんだと孤独を感じ寂しい気持ちになりましたが、十ヶ月の留学も折り返し地点に来たので気持ちを切り替えて二学期も頑張りたいです。 今月出会った🇮🇩の魅力 * 信号のない大通りを渡れずにいると一緒に渡ってくれた * 通学路にいるPKL(移動式屋台)のおじちゃんおばちゃんたちが毎日おはようとおかえりを言ってくれる * 写真を沢山撮ってくれたJeepの運転手さん(サービス精神旺盛) * 私の探し物を町中一緒に探してくれて帰りも送ってくれたgojek(バイクタクシー)のおじちゃん
2024-12
月次報告書12月分
2024年終了
皆さん明けましておめでとうございます!(Selamat tahun baru!) 残り6ヶ月となった私の留学日記を今年もよろしくお願いします。 今回の日記では2024年12月を振り返っていきたいと思います。 12月といえば寒くなったり、街がクリスマスの雰囲気になったり、年末特番の番組が放送されたりと日本にいると今年も終わるな〜と感じる場面が多くありますが、ジャカルタでは冬はもちろんクリスマス感や年末感を感じる機会は多くありませんでした。そのためクリスマスイブはほんとにクリスマス?と思いながら1人でカフェで勉強をしながら過ごしました。クリスマス当日はなんとかクリスマス感を見出したく、日本人の友達ととても雰囲気の良いレバノン料理を食べにいきました。これまた日本にいたら食べる機会が無さそうな国の料理を食べられて嬉しかったです。 2024年は人生初の海外での年越しになりました! 大都市ジャカルタで過ごすかも悩みましたが、やはりバリ島のhappy new yearを見てみたいと思い12/30~1/4で行ってきました。 既に年越しムードで浜辺では沢山の花火が上がっていましたが、日本とは違いすべての花火が個人的に打ち上げられているようです。私も初めは想像がつきませんでしたが、日本にも売っているような簡易的な打ち上げ花火が浜辺で沢山売られており、それを購入し、好きな所で好きなタイミングで打ち上げることができます。日本では考えられないですが、バリ島では主流なようです。危険性などは考えられておらず、歩いてるすぐそばで打ち上げ花火が上がります。もちろん年越しのカウントダウンの時がクライマックスでした。近いし量も多いしで爆発のようでしたが初めての光景にすごく圧巻されました! 海外の年越しといえば 3,2,1 … HAPPY NEW YEAR!!!!!という盛り上がりを想像していましたが、誰もカウントダウンをしなければHappy new yearも聞こえませんでした。いろいろ想定外ではありましたが、あの空間に居れたことが素敵な一生の思い出になりました! また、何より私がインドネシア語を勉強したいと思ったきっかけでもあるバリ島で年越しを過ごせたことがすごく嬉しかったです。そして現地の方々とインドネシア語を通して会話できるのが非常に嬉しかったと同時に、外国人である私がインドネシア語を話すと喜んでもらえたり、少しの移動時間でも日本とインドネシアの違いなどについて話すことができて良い経験ができました。しかしまだまだ、現在のインドネシア語能力は至らないことだらけであることを実感し、この旅行のおかげで留学後半戦さらに頑張ろうと感じることができました。 同じインドネシアでもジャカルタとバリ島では、人柄も町の雰囲気も大きく変わります。 バリ島へは幼い頃両親によく連れていってもらいましたが、インドネシア語を勉強し、旅行だけでは無くなった今、また違ったインドネシアの魅力に気づくことができました。 留学という機会をいただいている今しか経験できないことは、語学以外にも多くあると感じています。 有限な時間を無駄にしないよう今後の留学生活も有意義なものにしていきたいと思います。
2024-11
今年も残すところ残り1ヶ月となりました。 12月に入りジャカルタのショッピングモールも至る所がクリスマス仕様になる中、外は未だに暖かいのが不思議でたまりません。日本の冬が恋しくもあります。しかし、インドネシアは雨季ということもあり、11月はこれまでよりは涼しく雨の日が格段と増えたように感じます。 留学生活3ヶ月目の11月はサークル合宿、母との旅行、月末のプレゼンが重なり忙しくあっという間に過ぎ去りました。 ⚪︎ 課外活動 今月初めには、所属しているUKM(サークル)のMAKRAB(合宿)がありました。以前参加した練習で会ったことのある人が3人だけだったので初めは緊張していましたが、先輩方も新入生も皆優しく沢山話してくれたのでとても楽しかったです。水泳・ダイビングサークルならではのプールでのアクティビティや現在のインドネシアの海問題についてグループプレゼンを行うなど、楽しいだけでなくチームワークの大切さなど学びも多い合宿でした。合宿先までの行き帰りは軍人が乗るようなトラックでの移動でした。雨が降ってきて雨漏りしたり、すごく揺れたりと居心地はあまり良くなかったですが、みんなでカードゲームをしたりお話したり有意義な時間を過ごすことが出来ました。 ⚪︎母との旅行 今月は母がジャカルタに遊びに来てくれました。私の学校は通常通り授業があるため、丸1日お出かけすることはできませんでしたが、午後は大きなスーパーマーケットに行ったり、地元民が行くようなモールなどを案内することが出来ました。また、インドネシアならではの屋台の食べ物も色々食べてもらうことが出来て嬉しかったです。また土・日を利用して、留学生活初めての遠出「バリ島」にも行ってきました。 私たちにとって約6年ぶりのバリ島でテンションが上がってしまったこともあり、着いてそうそうタクシー料金のぼったくりに遭いました。たった500mの距離で約2万円を要求してくるバリ人に悲しく涙が出そうでした。運転手さんに対しその金額は払えないとはっきり伝え、最終的には約4000円で済みました。インドネシア語を勉強していてよかったと思うと同時に旅行客を狙った悲しい現実があることを知りました。皆さんもインドネシアでタクシーを利用する際は、必ずスマホを使って予約タクシーを呼ぶようにしましょう! ⚪︎プレゼンテーション 月末には日本の社会問題についてのプレゼンテーションを行いました。中旬に母が旅行に来ていたこともあり、プレゼン約1週間前になって原稿・パワーポイントの修正、発表練習とすごく忙しくバタバタしてしまいました。しかし、先生も忙しい中親身になって練習に付き合って下さり、本番を無事に終えることが出来ました。私は日本の食品ロス問題について取り上げたため、今月は日常生活でも食品ロスについて考える機会が多くありました。学校のkantin(食堂)で食事をしていても、インドネシア人学生の食べ残しは日本では見ないほど多いと感じます。食べ切れる量を注文するのもそうですが、一人一人が世界の飢餓状況を知り、満足する食事ができていることに感謝するべきであると改めて感じています。
2024-10
月次報告書10月分
慣れて日常化した2ヶ月目
ジャカルタ生活が始まり2ヶ月が経過しました。 1ヶ月目は毎日に新たな発見があり子供に戻ったように得ること沢山でしたが、今月は少し違ったように感じます。“毎日同じ時間に起きて学校に向かい、授業が終わったらkantin(学校の食堂)でご飯を食べる。そして図書館で課題や復習・予習をし、カフェに勉強しに行くか帰宅する” そんな日常化した毎日を過ごし、人間の順応性に感心すると共に、何か変化が欲しいと思うようになってきました。とは言っても、平日は授業内容の復習や課題があるので学校や家付近からは離れることができません。週末は週末で沢山休みたい派なので、どう変化をつけようか常に考え中です。首都ジャカルタの中心部に住んでいるため、自然豊かな水や空気が綺麗なところにいきたいですね。 ⚪︎食事 • 健康 2ヶ月経過しますが幸いにもまだ食べ物でお腹を壊したことはありません。それどころかインドネシア料理が口に合う私からすると、屋台の食べ物は安くて美味しいのでついつい食べ過ぎてしまうことがあります。そのため今月からは毎週日曜のCar Free Dayに朝から参加しランニングで汗を流す事を心掛けています。その際にインドネシア人の朝は早いなとつくづく感じます。宗教の関係で朝4時頃に町中に大音量でお祈りが流れており、ある日曜日の朝7時30分にはみんなで歌って踊る大きなイベントが行われていました。健康的な習慣は積極的に真似していきたいものです。 ⚪︎行事 月初めにインドネシア人の友人から結婚式に誘っていただき参加してきました。過去に一度参加したことがあるのですが、地域によって式のスタイルや新郎新婦の衣装が違うことを知り貴重な経験になりました。インドネシアでは新郎新婦との関わりが全くなくても式に参加しお祝いすることが出来ます。また日本とは違い、ご祝儀などもないので当日参加し、お祝いの言葉を伝え、お料理をいただき好きな時に帰宅します。日本人の私にとっては不思議な感覚でしたが、とてもインドネシアらしい文化だと感じました。 10月後半には大学のインターナショナルオフィスが留学生のために用意してくださった1泊2日のプチ旅行がありました。別のキャンパスの留学生も五人ほど集まり、ヴィラでそれぞれの国の歌を歌うカラオケやBBQをしました。初対面での1泊2日は少し不安でしたが用意してくださった交流ゲームなどのおかげでとても充実した1日でした。しかし2日目の朝から体調が優れず食欲もなかったため何も食べず夕方帰宅すると、日本でも経験のないほどの高熱が出ました。ベットから動くのもキツくなかなか辛かったです。その後2日間学校を休み、病院に行くとウイルス感染と診断されビタミン剤の点滴をしてもらいました。日本にいた時から風邪の時にウィダーインゼリーを飲むことがなかったので、風邪を引いた際は即席味噌汁やチンするご飯を食べようと思っていましたが、いざ高熱が出るとお湯を沸かすために共有のキッチンに行くことすら辛くなります。幸いにも同じkostに住む友達がヨーグルトやウィダーインゼリーを届けてくれてなんとか栄養補給はできましたが、これから留学に行く人にはウィダーインゼリーを日本から持っていくことをお勧めします。
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