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プロフィール
パーユ
学科
アジア言語学科
学年
3年
専攻
タイ語専攻
留学先
タイ王国
/
BURAPHA UNIVERSITY
留学期間
2015-05-01 ~ 2016-03-31
留学種別
交換
1~10件目 / 11件中
2016-03
月次報告書3月分
留学ももう終わり。
本日2日、タイ音楽のピーパートの中間テストがありました。マホーリー音楽の入門のような曲なのですが、難易度が高く自信はほとんどなかったです。 緊張しながらも先生の前で四曲なんとか最後まで独奏することができてほっとしています。 演奏を終えて、タイ音楽専攻の生徒でもない二人がこれほどできるとは感心だという旨のお褒めの言葉を先生からいただきました。毎日練習に励んだかいがありました。日本に帰っても稽古に励むようにと、楽器の叩くバチをいただきました。 さて、授業ももう終わり、これでもう留学生活は日本に帰る準備をするのみとなりました。一年もタイにいないのに、いつの間にかこんなに荷物が増えて片付けと整理に追われて大変です。留学する準備はかなり前から始めていたのに、帰る準備なぞまったくしてなかったのでどこから手を付けていいやら。 もう少し前から始めていればと少し後悔。 コンヲンヤイも日本に持って帰るので荷造り頑張ります。
タイ王国
BURAPHA UNIVERSITY
パーユ
アジア言語学科 3年 交換
2016-02
月次報告書2月分
留学ももう終わり。
本日2日、タイ音楽のピーパートの中間テストがありました。マホーリー音楽の入門のような曲なのですが、難易度が高く自信はほとんどなかったです。 緊張しながらも先生の前で四曲なんとか最後まで独奏することができてほっとしています。 演奏を終えて、タイ音楽専攻の生徒でもない二人がこれほどできるとは感心だという旨のお褒めの言葉を先生からいただきました。毎日練習に励んだかいがありました。日本に帰っても稽古に励むようにと、楽器の叩くバチをいただきました。 さて、授業ももう終わり、これでもう留学生活は日本に帰る準備をするのみとなりました。一年もタイにいないのに、いつの間にかこんなに荷物が増えて片付けと整理に追われて大変です。留学する準備はかなり前から始めていたのに、帰る準備なぞまったくしてなかったのでどこから手を付けていいやら。 もう少し前から始めていればと少し後悔。 コンヲンヤイも日本に持って帰るので荷造り頑張ります。
タイ王国
BURAPHA UNIVERSITY
パーユ
アジア言語学科 3年 交換
2016-01
月次報告書1月分
帰国する前に。
留学生活もほんのわずか日数を残すのみとなり、一層の練習を積んだ二月でありました。 授業で習っているウォンマホーリーの音楽の四曲が非常に複雑で難しくなかなか頭に入りません。その上、授業では先生の進める速さと三年生の生徒たちの覚える速さがこの上なく速いため、ついていくことすらままなりません。さすがに音楽の先生を目指しているプロとクイス生の素人では偉い差です。 そのため、授業の友人を捕まえては夕方から夜まで曲を教えてもらいました。さすがは先生の卵だけあって教えるのがとてもです。 なんとか四曲ひけるようになったものの、まだまだ練習が必要です。 三月の頭に試験があるので頑張ります。 授業で習っている四曲以外にも、サートゥカーンと呼ばれるタイ音楽で一番大切な曲を練習しています。この曲は、音楽神にお祈りする際や様々な大事な儀式で演奏され、師を仰ぐ意味もある曲です。本来ならば先生に弟子入りして直接教わらなければならない習わしなのですが、生徒にこっそり教えてもらっています。 一か月練習して覚えたのは曲の半分。留学の残りの時間で練習を積み、すべて弾けるに励んでまいります。
タイ王国
BURAPHA UNIVERSITY
パーユ
アジア言語学科 3年 交換
2015-12
月次報告書12月分
早朝から真夜中までテスト
今月は試験だらけの月でありました。 タイ語の試験から英語の試験タイ音楽などその他もろもろ。 大体はどこも同じような普通の試験なのですが、教育学部のタイ音楽専攻の試験には度肝をぬかれました。大教室に特製の舞台が用意され、そこで授業で習った曲を披露するという試験形式です。 学科の教師はもちろん、各地の音楽のお偉いさんも招かれ厳しい評価をつけます。 そして、教育学部タイ音楽専攻のすべての学年の科目の試験が同じ日にそこで行われました。 試験は朝の7時ごろから試験が始まり、一年生から四年生の学生が先生の気まぐれで選ばれ舞台で演奏します。それ以外の生徒はそれを見守ります。筆者も15分ばかり、習った曲を独奏しました。何人もの先生と大勢の生徒の前で独奏する緊張感はとても言葉では表現できません 試験は順調に進んでお昼休憩に入った際、先生が「この調子じゃ今日中に終わらないぞ」なんて言っていたのを耳にしました。冗談で言っていると思っていたのですが、本気で言ったと気が付いたのはその日の夜でした。 それもそのはず、タイ音楽専攻のすべての授業のテストをいっぺんにやるんですもの。 演奏に二十分くらいかかる曲は当たり前。それを 独奏したり 二人組で演奏したりすれば気の遠くなる時間がかかります。それに加え、習った曲は一曲や二曲どころじゃないですから、いつ終わるか想像しがたいものです。 ひたすらタイ音楽を聴きながら時間をつぶすこと早15時間、先生が次の発表で今日は終わりにしようといったころには日付が変わっていました。テストの続きは朝の7時から始めるので、そのまま教室で寝る生徒もいれば、級友の寮に泊まる生徒もいました。 タイ音楽専攻の期末試験は、朝の7時集合で夜の12時半に解散。 これが三日間続きました。 まさにドントリー漬けでした さまざまな決まりを盾に柔軟な対応を拒む日本の大学ではできない貴重な体験ができた年末でした
タイ王国
BURAPHA UNIVERSITY
パーユ
アジア言語学科 3年 交換
2015-11
月次報告書11月分
入門式で弟子入り。
今月の5日に、教育学部タイ伝統音楽学科主催のงานไหว้ครูครอบครูと呼ばれる門下式に参加しました。この式は音楽のカムイに感謝ののりとをささげて祀るお祭りでもあり、音楽家一門に弟子入りする式でもあります。遠方よりタイ国で一番偉い音楽の大先生をお呼びして、感謝ののりと、お経、舞踊等をささげました。 常に音楽神の加護のおかげで日頃の練習ができるのでありますから、丁寧にオンカミしました。 さきの捧げものの後、弟子入りの儀式を手を合わせながら受けました。先生が音楽の神様を筆者の頭に二体乗せ、白い土で三つの点の紋を額に描き、右耳に丸めた香草を乗せるというものです。経験浅く未熟なものが門下に入ってよいものかと少し不安がありましたが、精進に励みなさいとのお言葉をたまわり、一層の活力を覚えました。 タイ音楽を学ぶ一身として、残り少ない留学の期間なれど、さらなる練習を積んでまいる覚悟であります。
タイ王国
BURAPHA UNIVERSITY
パーユ
アジア言語学科 3年 交換
2015-10
月次報告書10月分
戦場にかける橋、架けた人、架けさせた人
カーンチャナブリー県はビルマと国境を接す、タイ東部の県である。そのビルマとの国境近くを流るるメコン川(現クウェー・ヤイ川)には、映画 戦場にかける橋で有名なメクロン河永久橋が架かっている。かの橋は今から約70年前の大東亜戦争時に、日本軍第十六捕虜収容所が指導し建設されたものである。その建設に携わった連合軍の捕虜や現地人たちは、過酷な労働を劣悪な環境の中で強いられ、多くの命を失った歴史を持つ。橋は幾度も米機の来寇に会うも、早ながらの雄姿を今も臨める。十月の末、筆者はここを橋を架けさせた国の人として訪れた。 まず驚いたのが河の流れの速さとその深さだ。大きめの船が航行できるほど深さあり且つ、流れも速い。はやたつに手作業で橋を架けた民の苦労が窺えた。先人たちに思い量りつつその早川に架かる鉄橋を歩いて渡った。朽ちつつある枕木からむき出しの、一つ一つ形や大きさの異なる鉄杭は、紛れ無き骨を折る手作業の跡であった。次に橋のそばにある連合国捕虜の共同墓を来観した。ここには建設に従事し非命に斃れた6982人の捕虜たちの英霊が眠っている。その墓石のいちいちを偲んで園内を回ると気が付くのは、さまざまの欧州の国の歳二十前後の青年ばかりであることだ。その無辜たちに深念すれば、ただ虚しさにかられたのであった。 この史跡をめぐり、改めて感じたのは平和の尊さである。戦後70年が過ぎ、平和が当たり前となっているわが国では、その尊さに気づけるものは多くはない。国の礎が変わろうとしているまさに今、平和を失ってから初めてそのたっとさに気が付くのではなかろうか
タイ王国
BURAPHA UNIVERSITY
パーユ
アジア言語学科 3年 交換
2015-09
月次報告書9月分
雨には負けれど洪水には負けず
雨にもあてず、風にもあてず、夏の暑さにもあてぬタイ人の生活。 というのも、雨風の中傘をさして歩いたり、日中に街を歩いたりしているのは日本人だけのようです。そして、先の16日と17日にバケツごと落ちてきたかのような激しい雨が降り続き、街に川や海ができました。雨が上がって外に出かけると、寮の前の道路には水深が膝くらいの川が流れ、行き来する車によってできた波が打ち寄せていました。こんなに街が水浸しになっていても不思議なことに、人々の生活に普段と変わった様子はありません。自転車やバイクに乗る人、道路沿いで屋台や露店を営む人などなど、普段通りなのです。ただし、バイクでゴムボートを引いて遊ぶ人以外は...。タイの人は雨風暑さなどの自然に弱いと思っていたのですが、どうやら洪水には強いようです。 そのおかげで食べるものには困らず、寮の近くの飲食店で夕ご飯にありつけました。 店といっても店に壁はありません。屋根と柱だけの店です。もちろん床上浸水。車の波が脛に打ち付けてくる中で食べる夕ご飯は、実に風流でありました。店を開く主人もすごいけど食べにくる客もすごい。 この日は授業があったのですが、浸水のため午後の授業は切り上げられ、次の日の18日も休校になりました。 特に困った様子はなく、私も現地の人々も洪水を楽しんでるようでした。
タイ王国
BURAPHA UNIVERSITY
パーユ
アジア言語学科 3年 交換
2015-08
月次報告書8月分
「初めて」の新鮮さ。
今月は初めてのことだらけでした。良きことも良からぬことも初めてのことは良い経験であり、新たなる感激を覚えます。 さて、まず始めに今月の頭に初めてのピザ更新に行きました。そこでの出来事やその他もろもろのあらすじは略しまして、簡単に言えばタイ人の仕事っぷりに頭が痛くなったこどです。寮の管理者が法律に沿って申告しなかったこと。そして、その人が罰金を払えば済むところを無駄な言い争いをして、二日の時間を無駄にしたこと。よく書類の確認をせずにビザ更新をした大使館の人など様々です。ルーズなタイ社会なるタイらしさを体験できました。これには慣る必要があります 次に、生まれて初めて21歳になったことに際し同じタイ人友達たちに2度祝われたことです。ここではケーキの上のろうそくを実年齢より一つ多くするそうです。その理由を聞いて、こんな小さなところにもタイ人らしさとその考え方が生きていると知り、新たな発見ができました。
タイ王国
BURAPHA UNIVERSITY
パーユ
アジア言語学科 3年 交換
2015-07
月次報告書7月分
寮選びの失敗
今住んでいる寮は、日本に居たころ専攻の先生に紹介されたところです。海外で一人暮らしをしたことがない上に、まったく土地勘が無いところで、住まい探しをするのもなかなか大変なものでした。なので、先輩たちの代もみんなそこに行っていると紹介された寮に、他のところと比べもせずついつい決めてしまいました。 紹介された寮はジラポン寮といい、大学から歩いて五分の距離にあり、通学する面で非常に便利です。生活面でも、家具や家電がそろった部屋では何の不自由もありません。家賃は月におよそ6千バーツほど(2万円くらい)で、日本で一人暮らしをしていた時の家賃の4万円と比べれば安く感じます。 初めのころはその値段に違和感を覚えなかったのですが、現地の市場価格を知り、一般タイ人の金銭感覚を身に着けてしまったらもう大変です。相場の二倍以上の家賃が勿体なく感じて仕方ありません。探してみれば、ここよりも環境も家賃も良い物件がごまんとあります。 後輩のみなさん、住まい選びは自分でしましょう
タイ王国
BURAPHA UNIVERSITY
パーユ
アジア言語学科 3年 交換
2015-06
月次報告書6月分
意外と高い電気代
日本で一人暮らしをしていたころは、よく光熱費を気にしていたため、どれくらい使えばいくらくらいの請求がくるのか大体の感覚を持っていました。そして、先日届いた家賃などの請求書をみてびっくり。日本にいたころは、電子レンジやこたつその他もろもろの電化製品を使って月に1500円ほど。どころがタイの寮では冷房も冷蔵庫もつけず、パソコンと携帯電話の充電しか電気を使っていないのに、月に600バーツ(1900余円)もの請求が来たのです。こちらの物価はラーメン一杯30バーツ(90余円)ほどなので、その物価とに比べればずば抜けて高いことがわかります。さて、電気代が異常にとびっきり高いとわかったので、少々削らねばなりません。今まで夜更かしすることが多々あったので、寝る時間を早めれば照明代はかなり浮くはずです。早寝遅起きの習慣をつけて、生活費を安く抑えたい今日この頃であります。 しかし、いくら電気代を安く抑えても、浮いたお金はこの地区の平均家賃の2倍近いに寮費に消えてしまう運命にあるのです。
タイ王国
BURAPHA UNIVERSITY
パーユ
アジア言語学科 3年 交換
1~10件目 / 11件中