パーユの報告書一覧
プロフィール
学科
アジア言語学科
学年
3年
専攻
タイ語専攻
留学期間
2015-05-01 ~ 2016-03-31
留学種別
交換
1~10件目 / 11件中
2016-03
2016-02
2016-01
月次報告書1月分
帰国する前に。
アジア言語学科 3年 交換
2015-12
月次報告書12月分
早朝から真夜中までテスト
 今月は試験だらけの月でありました。 タイ語の試験から英語の試験タイ音楽などその他もろもろ。 大体はどこも同じような普通の試験なのですが、教育学部のタイ音楽専攻の試験には度肝をぬかれました。大教室に特製の舞台が用意され、そこで授業で習った曲を披露するという試験形式です。 学科の教師はもちろん、各地の音楽のお偉いさんも招かれ厳しい評価をつけます。 そして、教育学部タイ音楽専攻のすべての学年の科目の試験が同じ日にそこで行われました。 試験は朝の7時ごろから試験が始まり、一年生から四年生の学生が先生の気まぐれで選ばれ舞台で演奏します。それ以外の生徒はそれを見守ります。筆者も15分ばかり、習った曲を独奏しました。何人もの先生と大勢の生徒の前で独奏する緊張感はとても言葉では表現できません   試験は順調に進んでお昼休憩に入った際、先生が「この調子じゃ今日中に終わらないぞ」なんて言っていたのを耳にしました。冗談で言っていると思っていたのですが、本気で言ったと気が付いたのはその日の夜でした。 それもそのはず、タイ音楽専攻のすべての授業のテストをいっぺんにやるんですもの。 演奏に二十分くらいかかる曲は当たり前。それを 独奏したり 二人組で演奏したりすれば気の遠くなる時間がかかります。それに加え、習った曲は一曲や二曲どころじゃないですから、いつ終わるか想像しがたいものです。 ひたすらタイ音楽を聴きながら時間をつぶすこと早15時間、先生が次の発表で今日は終わりにしようといったころには日付が変わっていました。テストの続きは朝の7時から始めるので、そのまま教室で寝る生徒もいれば、級友の寮に泊まる生徒もいました。 タイ音楽専攻の期末試験は、朝の7時集合で夜の12時半に解散。 これが三日間続きました。 まさにドントリー漬けでした  さまざまな決まりを盾に柔軟な対応を拒む日本の大学ではできない貴重な体験ができた年末でした
アジア言語学科 3年 交換
2015-11
2015-10
カーンチャナブリー県はビルマと国境を接す、タイ東部の県である。そのビルマとの国境近くを流るるメコン川(現クウェー・ヤイ川)には、映画 戦場にかける橋で有名なメクロン河永久橋が架かっている。かの橋は今から約70年前の大東亜戦争時に、日本軍第十六捕虜収容所が指導し建設されたものである。その建設に携わった連合軍の捕虜や現地人たちは、過酷な労働を劣悪な環境の中で強いられ、多くの命を失った歴史を持つ。橋は幾度も米機の来寇に会うも、早ながらの雄姿を今も臨める。十月の末、筆者はここを橋を架けさせた国の人として訪れた。  まず驚いたのが河の流れの速さとその深さだ。大きめの船が航行できるほど深さあり且つ、流れも速い。はやたつに手作業で橋を架けた民の苦労が窺えた。先人たちに思い量りつつその早川に架かる鉄橋を歩いて渡った。朽ちつつある枕木からむき出しの、一つ一つ形や大きさの異なる鉄杭は、紛れ無き骨を折る手作業の跡であった。次に橋のそばにある連合国捕虜の共同墓を来観した。ここには建設に従事し非命に斃れた6982人の捕虜たちの英霊が眠っている。その墓石のいちいちを偲んで園内を回ると気が付くのは、さまざまの欧州の国の歳二十前後の青年ばかりであることだ。その無辜たちに深念すれば、ただ虚しさにかられたのであった。   この史跡をめぐり、改めて感じたのは平和の尊さである。戦後70年が過ぎ、平和が当たり前となっているわが国では、その尊さに気づけるものは多くはない。国の礎が変わろうとしているまさに今、平和を失ってから初めてそのたっとさに気が付くのではなかろうか
アジア言語学科 3年 交換
2015-09
雨にもあてず、風にもあてず、夏の暑さにもあてぬタイ人の生活。 というのも、雨風の中傘をさして歩いたり、日中に街を歩いたりしているのは日本人だけのようです。そして、先の16日と17日にバケツごと落ちてきたかのような激しい雨が降り続き、街に川や海ができました。雨が上がって外に出かけると、寮の前の道路には水深が膝くらいの川が流れ、行き来する車によってできた波が打ち寄せていました。こんなに街が水浸しになっていても不思議なことに、人々の生活に普段と変わった様子はありません。自転車やバイクに乗る人、道路沿いで屋台や露店を営む人などなど、普段通りなのです。ただし、バイクでゴムボートを引いて遊ぶ人以外は...。タイの人は雨風暑さなどの自然に弱いと思っていたのですが、どうやら洪水には強いようです。 そのおかげで食べるものには困らず、寮の近くの飲食店で夕ご飯にありつけました。 店といっても店に壁はありません。屋根と柱だけの店です。もちろん床上浸水。車の波が脛に打ち付けてくる中で食べる夕ご飯は、実に風流でありました。店を開く主人もすごいけど食べにくる客もすごい。  この日は授業があったのですが、浸水のため午後の授業は切り上げられ、次の日の18日も休校になりました。  特に困った様子はなく、私も現地の人々も洪水を楽しんでるようでした。
アジア言語学科 3年 交換
2015-08
2015-07
2015-06
1~10件目 / 11件中