Gióの報告書一覧
プロフィール
学科
アジア言語学科
学年
3年
留学期間
2017-02-01 ~ 2018-01-31
留学種別
交換
1~10件目 / 12件中
2018-01
月次報告書1月分
さよなら1月
今月は留学最後の月なのでたくさんの人とお別れをした。せっかくなので旅行にもたくさん行った。 1泊2日のムイネー、ファンティエット旅行は同じ大学に通っていたもなちゃんと行った。ムイネーはロシア人とロシア語で溢れるリゾート地でホーチミンより気温が暑い。有名なのは砂丘。ホテルでツアーを予約してホワイトサデューンで日の出を見た。1枚目の写真がホワイトサデューンでの1枚。そのあとはイエローサデューン(レッドサデューン)とフェアリーストリームとランチャイへ。フェアリーストリームは一本道の浅い小川で、そこを裸足で歩く。すごく綺麗だった。ランチャイはカラフルな円形の漁船がたくさん浮かんでいる海辺。時間があったらまた行きたい。 日帰りのクチ、タイニン旅行には同じ授業をとっていた一つ上のちかこさんと行った。タイニンではカオダイ教寺院を見学。神聖な場所に観光客が来ることをもちろんよく思わない人もいて、嫌な顔をされることもあった。クチでは戦時中に使われていたクチトンネルへ行った。当時使われていたトンネルや、罠などが再現されていた。戦争についてもっと知っていたらもっと面白かったと思う。 2泊4日のダラット旅行はホーチミンで知り合ったベトナム人の友人2人とその甥っ子くんと4人で行った。ダラッとはベトナムの中南部(南部)に位置する都市で避暑地として有名である。ホーチミンは30℃くらいだがダラットは体感で10℃から20℃くらいでコートを着て過ごす。今はだんだん減っているみたいだが花がたくさん咲いていて花と苺と松が有名らしい。外国人観光客だけでなくベトナム各地からの観光客も多い。普通に旅行で来たら行けないような山奥にバイクで連れて行ってもらった。日本で自然の多い場所に行かないので新鮮で楽しかった。夜はメインの通りに行った。お土産屋さんや屋台などがたくさん並んでいて面白かった。私が一番驚いたのは街に信号機が一つもないということ。交通量もそれなりに多いのにどうやって運転しているかは謎。ホーチミンから少し距離があるので、時間ができたら今度は一人でも挑戦したい。ホーチミンから離れると英語で話しかけられる回数も減るので嬉しい。 今月は留学最後の月にもかかわらず体調を崩してしまった。高熱だったがここまで来て学校を欠席するのは嫌で毎日学校に行っていたのだが、体調は悪くなる一方。熱があるにもかかわらず友人に牡蠣を食べに行こうと誘われて食べに行って、案の定牡蠣があたってしまった。食べた翌々日に恐ろしい腹痛が襲ってきて立つこともできず苦しんでいたら同時に吐き気まで襲ってきてさすがに辛かったが悔しいので翌日は学校に普通に行った。 帰国ぎりぎりに美味しさに気づいてしまったドリアンとクウナンミルクティーを紹介。ドリアンは日本で食べたものが不味く手を出せていなかったのですが、先月チェータイに入っていたものが美味しかったのでそのままのドリアンにも挑戦。2歳の子に教えに行っている家で「美味しいドリアンが食べたい」と言ったら買ってきてくれた。2回食べさせてもらったのだが2回目が最高に美味しかった。 ついに一年間過ごしたホーチミンともお別れ。たくさんの人にお世話になった一年だった。帰国後はまず就職活動という困難が待ち受けているのでそれを乗り越えてまたホーチミンに戻りたい。大家さんからもホーチミンでの生活が合うならまた戻っておいでと言われて嬉しかった。2枚目の写真は写真は帰国寸前に大家さん一家と撮った1枚。この一年は私の人生においてとても貴重な経験をすることができた一年だった。留学をさせてもらった学校と家族に感謝、そしてベトナムでお世話になった全ての人に感謝、ありがとうございました。さよならホーチミン。
2017-12
月次報告書12月分
楽しく遊んだ12月
2歳の子にはコーカナコと呼んでくれたり、一緒にご飯を食べたいと言ってくれるくらいには懐いてくれて嬉しい。しかし別れは来てしまうもので残り1ヶ月をきってしまった。乗り物が大好きなので、最近はトーマスのプラレールの動画を見たり、家にある乗り物のおもちゃで遊んだりした。画像を見せて「これなんだ?」と聞くとすぐに答えてくれるようになった。飛行機、電車、汽車、新幹線、バス、車、消防車、救急車は確実に答えてくれたので、子供の成長はすごいなと感動した。家にいる犬と猫が気になってしまってすぐ触ってしまう。 同じく大学でベトナム語を勉強しているもなちゃんと2区で開催されたフードフェスティバルに行った。出演アーティストは初日がソントゥン、2日目はミータム、3日目はアイザックだった。8月に帰国したMiuがアイザックが好きだったので代わりにということで3日目にした。お昼すぎに会場についてご飯やデザートをたくさん食べてライブまで待機。日本だと最前列で見るためにはそれなりに早く来ないといけないが、ベトナム人はのんびりしているせいか余裕で最前列で見ることができた。今まで日本や韓国のアイドルのコンサートには何度も行ったことはあるが、ファンサが一番すごいのはベトナムだと思う。笑ってしまうくらい近くに来て歌っていたのでびっくりした。楽しかったのはもちろん、個人的に最も嬉しかったのは、MCの人やアイザックの言っていることがほとんど理解できたので周りのベトナム人と同じくらい楽しめたと思う。個人的に好きだったのはMCのチュン・クオック・バオさん!おそらくMCを仕事にしている方みたいで、すごく面白かった。1枚目の写真が左からアイザック、チュン・クオック・バオさん。 今年もクリスマスは一人でだらだら過ごすだろうなと思っていたが、今年はすごく楽しかった。 22日に普段一緒に勉強している友達に誘われてイルミネーションを見に行った。どれくらいの時間バイクの後ろに乗っていたか覚えていないが、遠くの教会まで見に行った。日本のイルミネーションとは雰囲気が違い綺麗だし、とても楽しかった。栗やジャックフルーツのアイスクリームを食べた、美味しかった。 23日はホーチミンの留学生のクリスマスパーティーに参加した。昼からピザを食べて、夜ケーキを作るためにみんなで材料を買いに行った。気温のせいもあり生クリームが作っている間に分離してしまい一時はどうなることかと思ったが無事にケーキが完成した。フルーツはパイナップル、キウイ、ドラゴンフルーツ、ブルーベリーとベトナムらしさも加えてみて、全員大満足の味だった。2枚目の写真がそのケーキ、また作りたい。 25日はホーチミンに台風が来ると言われていて、警戒していたが問題がなさそうなのでもなちゃんとご飯を食べに出かけた。辛い麺を食べた後に、MAROUカフェでチーズケーキを食べた。チョコレート専門店なのだが、確実に食べきれなさそうだったので少しチョコレートの乗っているチーズケーキを選んだ、美味しかった。 今月はよく遊んだ月だった。残すは1ヶ月のみ。全力で楽しみたい。
2017-11
月次報告書11月分
猛勉強をした11月
2歳の子に日本語を教えるのも順調に進んでいる。かなり慣れてきてくれたので、お母さんが一緒にいなくても遊んでくれるよになった。最近はYouTubeで動画を見せながら、それを説明すると言う感じだ。車・バス・犬・猫などといった簡単な単語はもう覚えてくれたし、自分が日本語で言ったことを復唱してくれるようになった。時々、終わった後に夕飯を振舞ってくれたりするので、そのときに今後の相談をしたり、ベトナムと日本の話をしたりする。2歳の子と関わる機会があまりなく不安なことも多いが、家族の方と考えながらできるのでとても楽しい。非常に親日家の方で話していてとても楽しい。 そこの家には犬を1匹飼っているのだが、その犬のミーに関する衝撃的な話を聞いた。ミーの元主人はミーを食用の犬として育てていたらしい。ベトナムで犬肉が食べられていることは知っていたが、現在でも食用として個人で飼っている人がいると思うと少し怖くなった。自分も小さい頃に犬を飼っていたので悲しい気持ちになった。日本では鯨肉を食べ、自分も好きだという話をした。きっと感覚的には変わらないのであろう。 今月はベトナム語能力試験(chứng chỉ tiếng Việt)を受けた。10月に受けることを決めたのだが、その時点ですでに1ヶ月をきっていて、勉強といっても何をしていいのかもわからず結局勉強を始めるのが11月になってしまった。1人で勉強する自信もなかったのでベトナム語能力試験用の授業をとった。とりあえず教科書3と4の復習をしていたのだが、授業が始まると普段のテストとは全く違うことを知った。A1・A2・B1・B2・C1・C2の6つのレベルがあり、自分はB2(教科書4終了レベル)を目指した。テスト内容は会話(先生と生徒2対1)・聴解(コンピューター)・読解(コンピューター)・作文(穴埋め問題を含む)の4つ。以前まではA・B・Cと違うテストだったらしいのだが、現在はどのレベルでも全く同じテストを受けて、4つの平均で何割とれているかでレベルが決まる。つまりものすごい簡単な問題からものすごい難しい問題まであるということだ。自分個人の意見だが、聴解は特に最後の方の問題になってくると話の内容もつかめないほど難しい単語も出てくる。自分は特に会話のテストに不安があって、模擬会話テストをやってもらったときは今のままでは最高でも2点と言われた。聴解と読解はコンピューターでやるので書き込みができないのがとても痛手だった。合格はできなくても全力は出そうと毎晩近くのカフェで猛勉強をした。1枚目の写真がそのカフェで毎回注文していたtrà đào kem sữa(ピーチティーミルクフォーム)。結果は無事にB2を取ることができた。もう少しでもう一つ上のレベルだったので少し悔しい。 今月の初め頃に学校の売店の肉まんの美味しさに気づいて毎朝のように食べていた。今までは朝はお腹が空かないので食べていなかったが、朝ご飯を食べることで授業にも集中できて、朝ご飯の大切さに気づいた。 不思議な話をひとつ。その日は朝起きると眼痛と頭痛と吐き気がひどく、授業も集中できなくて外で休んでいたら、先生が「治すの手伝ってあげるよ!」と言ってくれて、薬くれるのかな有難いなあと思っていたら、昔その先生が東洋医学やつぼを勉強していたみたいで、スースーする薬つけてつぼを押してくれた。そうすると不思議とスっと痛みが消えてその後の授業も集中することができた。感謝してもしきれない。 今月末に8月に帰国したMiuが約一週間遊びに来た。自分が最近よく一緒に勉強している子達と焼肉とチェータイを食べに行ったり、たまたま会ったアキさんと3人でお話ししたり、よく一緒に食べていた懐かしいベトナム料理を食べたり、色々した、楽しかった。2枚目の写真がベトナムのデザート、チェータイである。チェータイにはドリアンが入っていて、念願叶ってホーチミンでドリアンを食べることができた。小さい頃に近所のスーパーで試食したドリアンは恐ろしいほど不味かったのに、ホーチミンのドリアンはすごく美味しかった。基本的に好き嫌いはないので色々なベトナム料理に挑戦しているがどれもすごく美味しい。ドリアンもパクチーもマムトム(エビの発酵調味料)もチュンクッロン(うずらの卵の孵化寸前のやつ)もどれも美味しく食べられるようになった。何でも食べられるというとベトナム人に驚かれる。食べられない日本人も多いらしくすごくもったいないなと思う。唯一二度と食べたくないと思ったのはドクダミ。生まれてから20年間雑草としてしか見ていなかったので抵抗しかない。いつか食べられるようになりたい。
2017-10
月次報告書10月分
また生活が安定してきた10月
今月の5日から5日間、お母さんがホーチミンに遊びに来た。家と学校に近いホテルを取ってくれたので、自分も一緒に泊まった。朝食も美味しくて、部屋も過ごしやすくてとても快適だった。5日間の間に、ブンタウ日帰り旅行に行ったり、マッサージをしたり、ビテクスコフィナンシャルタワーのスカイデッキに上ったり、フーミーフン都市区に行ったりした。特に楽しかったのはブンタウ日帰り旅行。前日にFUTAというオレンジと緑のバス会社でチケットをとって行った。なんとバス代は往復1人950円と破格の安値。ブンタウに着いてからタクシーも手配してくれて、目的地まですんなり行くことができた。目当てはコーティエンヨーグルトとバインコット(小さいカリカリの生地にエビがのった料理)。ブンタウではとても優しいタクシーの運転手さん2人、DuさんとCáさんに出会った。乗ってるときもベトナム語で話しかけてくれたりした。Duさんは山に連れってくれて、美味しいバインコットのお店にも連れて行ってくれた。1枚目がそのバインコットの写真 で、一皿5つ入りで2万ドン(約100円)。物価が恐ろしいほど安くて感動。Cáさんは時間がなくて焦ってるときに塩たまごケーキ(bánh bông lan trứng muối)のお店に連れてってくれた。良いタクシーの運転手さんに会えたからこそ良い旅になった、ありがとうございました。 今月の19日から週に2回、7区のお宅で2歳の子に日本語を教え始めた。最初は2歳の子に?日本語を?教える?と思っていたが、内容としては一緒にお喋りをしたり、ベトナム語の絵本を日本語に翻訳して読み聞かせをしたり、一緒に遊びながら日本語で話しかけるといった感じ。頭は使うが翻訳作業は面白い。突然家に謎の外国人が来たということで、当たり前のように警戒されている。話しかけたり、近くにいるだけですごく嫌な顔をされる。お母さんがいなくなって2人になった途端、謎に自転車を蹴り自分を痛めつけ出したときは恐ろしくなった。お父さんお母さん曰く、これは「魔の2歳」で、1歳まではなかったような奇怪な行動をとってしまうらしい。お父さんお母さんもとても優しくて親切な方で、教えた後に夕飯を食べさせてくれたりする。多少の肉は食べるらしいのだが、基本的に菜食の家庭なので美味しい野菜料理を作ってくれる。自分が食べたことないであろう食材を使って作ってくれたりするので、また新たな食材と出会える。2枚目の写真が食べさせてもらったご飯。ウコンの麺とスースーという野菜が入っている麺料理、美味しかった。お父さんお母さんが日本語が話せるわけではないので、自分自身ベトナム語のいい練習にもなるので嬉しい。ちなみにお父さんはフランス語がペラペラらしいので、お子さんのMinhくんはフランス語も勉強している。自分と話しているときもナチュラルにフランス語を使うのでパニックになる。 知り合いの方が日本語とベトナム語の勉強会を開こうと言ってくれたので、予定の合う3人で週に2回勉強をし始めた。発音が汚く伝わらないことが多いので、発音を教えてもらっている。bạn(=友達)とかgà(=鶏)とかとても単純な発音を練習したりした。そしてなぜかずっとベトナム人の人に伝わらなかったtám(=8)の謎が解けた。タクシーの運転手さんに住所を言うときも、バスの番号を伝えるときもなぜか8だけが伝わらず悩んでいたが解決した。大学の先生は外国人のベトナム語に慣れているので聞き取ってくれても、普通の人は聞き取ってくれないのが現実。発音って大切だ。 以前大学に留学生としてハノイから来ていた子がホーチミンで働いていたのでドンナイにBBQをしに遊びに連れて行ってもらった。ベトナム人6人と自分の合計7人で行った。バイクの後ろに乗せて行ってもらったのだが、道に迷ってしまったらしく予想をはるかにこえる時間バイクに乗っていて非常に辛かった。途中で眠くなってバイクから落ちそうになったこともあった。ベトナム人の子たちが海老、タコ、豚肉、オクラなどなど材料をたくさん持って来てくれて焼いて食べた、美味しかった。海鮮が安く手に入るのはとても羨ましい。
2017-09
月次報告書9月分
時間の使い方を失敗した9月
先月からなぜか食欲が全くなく、インスタントのおかゆしか食べれないほどまでに悪化してしまった。元々どちらかといえば大食いの方で、ベトナム料理も大好きなのでなぜ食欲がなくなったのかわからずとても不安になった。 神田外語の卒業生のクミコさんとユキさんと戦争証跡博物館に行った。説明が英語とベトナム語で書いてあったのだが、特殊な単語が多くほとんど理解できなかった。ベトナム戦争については何度も勉強はしているが元々歴史が嫌いなので全く覚えられない。帰国までにまた何度か足を運びたいと思う。 今月の27日に大家さんの娘さんの結婚式に参加させてもらった。ベトナムで結婚式に参加するのは2回目だが、知り合いの結婚式に参加するのは生まれて初めてなので嬉しかった。大家さんの知り合いと席をご一緒させてもらい、参加者の方々が帰った後には、新郎新婦の家族と一緒に座ってお話を聞いていた。司会の人がベトナム語と中国語を話していたので不思議に思って後から聞くと、新郎の家族は中国の方とのことだった。食欲も月初めと比べると戻っていたので食事も美味しくいただいた。非常に貴重な経験をさせてもらえて良かった。1枚目の写真は最後に新郎新婦、大家さん一家と一緒に撮った記念写真。 今月から午後授業になったのだが、土日だけでなく平日までもダラダラと過ごしてしまい時間がもったいないので次は午前授業に戻したい。
2017-08
月次報告書8月分
リセットした8月
8月は別れの多い月だった。今までずっと教えてくれた先生方、クラスの友達、そして同じ時期から来ていたMiuも日本に帰国した。留学生のHậuちゃんに再会できたのはとても嬉しかった。 今月は2回交流会に参加した。そのうちの1つはお茶会。私が茶道部に入った目的は外国の方たちにも日本のお茶の文化を知ってもらいたいと思ったからなので、いい機会だと思いagata japan cafeを借りて小さなお茶会を開催させてもらった。インターンで同じ茶道部のHoà Bìnhが来てくれたので、お点前をお願いした。正直、半年以上も茶道に触れていなかったので自分は忘れてしまっていた。今まで主催者側として参加した交流会の中では一番成功したと思う。久々に抹茶をいただいて茶道部が恋しくなってしまった。写真がそのお茶会のときの写真。携わってくれた皆さんありがとう。 日本語学校では、レベルの高いクラスを担当していたので、初めは会話だけと言われていたのに文法を教えてほしいと言われてとても苦労した。説明して例文を作るのはいいのだが、私の知らない文法用語を言われて「日本人はそういうふうに習わないのでわかりません」と言うと知らないのかと馬鹿にされたりした。さらに日本人はその言い方はしない、使わないと言うことを伝えると毎回否定されて非常にストレスになった。 今月末、自分の中でちょっとした事件があった。オープンチケットの帰国日の変更期限を過ぎてしまっていたことだ。幸運にも帰国日に指定していた日付はぎりぎり過ぎていなかったので、通常の値段で変更することができた。気づくのがあと数日遅かったら高いお金を出して買ってもらったオープンチケットがただの紙くずになっていた。無事に変更できたのでJALさんにもHISさんにも感謝してもしきれない。 来月からは授業が午後になるので正直これからどのような生活になるのか想像もつかない。周りからは1人になったことでものすごい心配されたが、寂しい気持ちはあっても、特に1人になることに不安はない。
2017-07
月次報告書7月分
折り返し地点を迎えた7月
先月の30日から今月の11日まで約2週間の夏休みがあった。2月の頭からほとんど休みなく学校に通っていたので、一般的な夏休みと比べると短いとはいえ嬉しかった。なのでせっかくのこの休みを使ってMiuとタイのバンコクを旅した。なぜベトナムにいるのにタイに旅行?と思う人もいるかもしれないが、個人的にはとてもいい経験になったので大満足。 まず1つ目は、バンコクの印象が大きく変わったこと。正直行く前は、ホーチミンとバンコクなんてそんなに変わらないだろうと思っていたが大違い、バンコクはホーチミンよりかなり発展していた。一番衝撃的だったのは電車で、正直日本や韓国と変わらないレベルだった。1枚目の写真が電車の切符。ホーチミンにも線路が通る予定はあるが、バンコクのような風景になるのは果たして何年先の話なのだろうか。 2つ目は、言葉が通じない、文字が読めない恐怖を知ったこと。もちろん今までも言葉の通じない国には行ったことがあるが、そこまで気にかけたことがなかった。ホーチミンでは、全ては理解できなかったとしても、何となく言っていることがわかったり、注文ができたり特に困ったことはないが、バンコクでは注文したくても何からどう話しかけていいのかもわからずただただ立ち尽くしてしまったこともあった。拙い英語でどうにか乗り切ったものの、すごく怖かった。 ホーチミンに戻って来ると、母国に帰ったときのような安心感があったので驚いた。 先月に引き続き今月も交流会に参加した。しかし、少し違うのは主催側にいたこと。関西弁講座のときはひたすらお好み焼きを作り、日本語学校の社長さんが提案した交流会では「日本の音楽」について発表したりした。結局発表当日は通訳の方についてもらったのだが、できるだけ考えた原稿を自力でベトナム語に直してみた。原稿を直してくれた方がちゃんと訳せていたと褒めてくれたので、お世辞だったとしても嬉しかった。ずばり、自分の課題は会話である。元々日本語でも人と話すことが苦手なので、難題である。少し先の話ではあるが、9月からは、週に最低1回でもいいので決まった子と勉強したいと思っている。人見知りな性格なので、初対面の大人数と話すより仲良くなった1人の子と話す方が数百倍気が楽だ。日本語を勉強している子がたくさん周りにいるので、お互いに勉強になったらいいなと思っている。正直今のままじゃ恥ずかしくて日本に帰れない。 東日クラブ(日本語クラブ)のピクニックで日帰りブンタウ旅行へ行った。クラブのメンバーがゲームの内容を考えてくれていて、海辺で皆でゲームをした。中にはすごく難しいお題もあって大変だったけど、チームで協力して楽しくクリアできた。海には足だけつかった、冷たかった。 話は変わって美味しい飲み物の話。家の近くにあるTrà Tiên Hưởngというお店で大好きなカルピスを見つけた。カルピスかカルピスじゃないかと言われたら微妙な味だが美味しかったので満足。フルーツゼリーを入れるともっと美味しい。もう1つは2枚目の写真のスイカシントー。今月の27日は日本ではスイカの日とされているのでその日に飲んだ。スイカジュースは店によっては薄くて美味しくない店があるのであまり飲まない。スイカシントーは最高に美味しかった。ホーチミンでは日本と違って一年中甘いスイカが食べられるので、スイカ好きにとっては天国のような場所。 今月は旅行にも行ったせいか出費が物凄いことになったので来月は節約生活をしよう、反省。 もうあっという間に留学折り返し地点、時の流れが早すぎる。
2017-06
月次報告書6月分
将来について考えた6月
つい最近知り合ったポンさんとショウタさんがJaponという日越交流団体を作ったということで、その交流会に参加させてもらった。最近は東日クラブにも参加していなかったので、良い交流の場ができて良かった。 今月はずっと気になっていたおこわを食べた。朝しか売っていないので、早起きして学校の前に買って教室で食べた。なかなか早く起きれずまだ2回しか買えていない。上の写真が、お気に入りのピーナッツのおこわと黄色いおこわの砂糖なし、上にはココナッツが乗っている。頑張って30分早く起きよう。 今月半ば頃に、知り合いの方が内定が取れたらしいと母から連絡があった。授業で将来のこと、なりたい仕事を聞かれたとき全く答えられなくて恥ずかしい思いをしたので、なりたい仕事について考えてみた。あれこれ探しているうちに受けてみたい会社も見つけた。1年間、日本で就職活動の説明会が受けられなかったり、インターンにも参加できなかったり、情報がなかなか入って来なかったり、正直周りの人達よりも遅れをとってしまう。でも、留学の経験が出来ているのは限られた人間だけなので、自分にしか出来ないことがたぶんきっとあると思う。日本語学校でのアルバイトをしてわかったことは、自分に先生は向かないということ。仕事を探す上で向かないこと、出来ないことを探すことも大切だと思った。 ホーチミンは日差しがとても強い。こっちに来てから視力も落ちているような気がして、ついに今月は歩けなくなって記憶が曖昧になるほどひどい頭痛と眼痛に襲われた。学校を休むのだけは避けたいので、さすがに怖くなってサングラスを買った。サングラス1つあるだけで、生活しやすくなった。日本に帰ってもずっとつけてしまいそう。
2017-05
月次報告書5月分
困難に立ち向かった5月
今月はすごく嫌なことが多い月だった。勉強も思うようにできず、日本語学校に行くと考えただけで憂鬱になり、人生初の洪水を経験したり…… 授業が思うように受けられない。テーマが難しくなればなるほど追いつかないということはもちろん、妨害されることもあった。自分は要領が悪いので授業を真剣に聞いていないとすぐに追いつけなくなる。授業中に関係ない話をされるのが一番嫌いだ。このイライラを相手に上手く伝えられないから語学は難しい。 先月にたまたま会った日本人のポンさんに紹介してもらって、今月の16日から日本語学校で日本語を教え始めた。毎日ただ朝から授業を受けて帰って来て、という生活はつまらないので良い気分転換にもなると思い、紹介してもらうことを決めた。最初は生徒の皆と会話をしながら正しい発音に直すという授業で楽しかった。何回目かのときにテーマを決めて何か日本のことについて話してほしいと言われた。ベトナムの人が日本の何に興味があるのか全くわからないので何が知りたいと聞くと、お祭りや花見と言われたので、それについて自分なりに説明した。しかし全く興味を持ってもらえない。説明しようとしても喋っていて聞いていなかったり、質問があるか聞いても何も言わない。初めて学校の先生の気持ちがわかった気がした。 今月最も衝撃的だったことは、人生初の洪水を経験したこと。大雨が降っているときにタクシーでMiuと出かけていた。運転手さんに「ひどい渋滞だから、もう近いしここから歩いて行ける?」と言われ歩いて行くことに。しかし歩いて行った先には水が溢れていてまともに歩ける状況ではなかった。仕方なく靴を脱いでズボンを上げて歩いていたが、車道と歩道の境目もわからないくらい足元が悪く、滑って転んでしまった。転んで悲しい気持ちだったが、通りすがりのおじさんに「水浴びみたいだね!」と言われ後半は少し楽しく感じた。1枚目の写真がそのときの写真で、泥水の中を裸足で歩いている。しかしその日は良いこともあった。いつも教えているクラスの生徒さんにパーティーに誘われていた。何が好きかと聞かれて海産が好きと言ったら、出てくる料理が全て海産で嬉しかった。2枚目の写真がその写真で、貝がメインで後から海鮮鍋も振る舞ってくれた。とても美味しかった。 慣れない環境で生活するということは、たくさんの困難と立ち向かわなければならないということである。
2017-04
月次報告書4月分
遠出をした4月
今月はメコン川(南部)とファンラン(中部)へ旅行に行った。 メコン川へは、クラスの韓国人の友達と、同じくホーチミンに留学に来ているMiuと3人で行った。ひたすらバスや船で移動していて、行った場所も覚えていないくらい忙しい旅だったが、とても楽しい2日間だった。常に一緒に行動していた方々とお話ししたり、メインの観光もとても楽しかった。川沿いの家を見て、同じベトナムでもこんなにも違う生活をしている場所があるのかと驚いた。1枚目の写真はメコン川の風景。ハチミツ茶は言葉にならないくらい美味しかった。 ファンランへは、東日クラブ(日本語クラブ)で知り合った女性の従姉妹の結婚式に招待されて行った。出発から帰宅まで壮絶な旅だった。行きは初めて列車に乗った。荷物などの心配をしていたが、一番衝撃的だったのはクーラーの寒さ。元々クーラーが苦手なのでパーカーを持って行ったのだが、それにも関わらず北海道で経験したような寒さで、まともに眠ることさえできなかった。結婚式と披露宴は日本では到底考えられないような光景だった。結婚式は両家の家でそれぞれ行われ、肉まんやコーラなどが振る舞われた。披露宴は学校の全校集会くらいの人数が集まり行われた。パフォーマンスを見ながら、出てくるご飯をひたすら食べるという感じだった。その他にもファンランでは色々なことがあった。2日間水シャワーを浴びて、ハンドソープで髪を洗ったのは忘れられない。ファンラン自体は静かないい街で、ご飯も美味しくまた行きたいと思った。2枚目の写真はbánh căn(バインカン)という信じられないくらい美味しい中部料理。中にはイカと卵が入っていた。 今月末には、日本から母と叔母が来てくれた。あまり上手くガイドはできなかったが、なんだかんだ楽しんで帰ってくれたみたいなので安心した。次に誰か来たら、もっと上手くガイドできるように頑張りたい。 今月は今まで規則正しい生活をしてきたのにもかかわらず、ついに日本にいた頃のような生活に戻ってきてしまった。元々睡眠時間が6時間を超えると翌日の調子が良くない体質なので睡眠時間は3時間くらいが丁度いいが、日によっては授業でうとうとしてしまう日もあったので気をつけたい。旅行の疲れのせいか体調を崩しそうな日もあったが、何とか持ちこたえた。最近は授業の復習をさぼりがちで、唯一続けているのが日記とお小遣い帳。帰国した後も役に立つと思うので、これだけはしっかり続けていきたい。
1~10件目 / 12件中