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2024-06
留学成果報告書6月分
Universitas Atmajaya
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年:1960年 ・学生数:17000人 ・設置学部:経済、経営、コミュニケーション、言語教育、技術、法、医、心理、バイオテクノロジー ・その他 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) 外国人向けのインドネシア語コース(BIPA) (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など 基本的に先生に許可を取れば、どの授業でも可能 ・学部留学の場合:選択した学部・学科以外の授業を履修できるか BIPAコース (どの授業でも履修可能) ・学部留学の場合:語学コースを並行履修できるか (できる場合、申し込み方法、有料か無料か、有料の場合費用・スケジュールなど) 可能 ・語学留学の場合:学部科目を履修できるオプションがあったか ある。 (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 大学の雰囲気:かなり賑やか、カトリック系が多い。 留学生の割合:他国からの学生もいる、日本人は駐在妻が多い。 (5) 課題や試験 (KUISとの違いや負担の大きさなど) 課題はKUISに比べてかなり多い。 試験も、レベルは上がる (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか IO(International Office)という留学生対応課に行けば、対応してくれる。 (*しかし、対応は遅い) (7) オリエンテーション (オリエンテーションがあったか、あった場合その内容) 留学初月に、留学生全員が学部生と一緒にキャンパスツアーをした。 (クイズを交えながら行った) (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) 前期:渡航前に希望を出す 後期:長期休み中に、IOに希望を出す 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 語学力の向上と1人で何かをやってみたかった (2) 留学先を選んだ理由 一人暮らしが初めてな自分にとって、ジャカルタは都会で比較的、過ごしやすいと感じたから。 グローバルな学生が多いと聞いていたから (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) ・若者言葉をもう少し学んでおけばよかったと思う (習う尼語と使う尼語には大きな差があるため) ・文化的なイベントにもう少し参加してみたかった。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) ・ワクチン接種 ・自分の肌に合った化粧水や乳液(現地は高い) (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) ・K3Jと呼ばれる、日本人大好きサークル ・フットサル部 ・ジャカルタにある日本人ラグビーチーム ・校内で合った人 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと 神田で扱われている授業に比べて、かなり難易度は上がる インドネシア語には「語幹」を呼ばれるものがあり、それが派生して様々な意味になる。 それについて、なぜそういう意味になるのかを文法的な視点から学ぶことができた。 (7) 授業外で参加した活動 (ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法) フットサル部(学内):IOに連絡 日本人ラグビーチーム(学外):渡航前に本校のOBに繋げてもらった。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと ・お金に対する価値観の違い ・祝日の重要さ ・社会人として大切なこと (9) 留学で達成した最も大きなこと 自分の力で新たな「縁」を確立することができた。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 日本では、全くインドネシア語を使う機会がない。今まで培ってきたインドネシア語を無駄にしないために、学内外問わず、様々なイベントに参加する。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 国際戦略部の指示に従う。 (募集がかかるので、期日前に志望書を提出) (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) 国際戦略部の指示に従う(交換留学、推薦留学の場合) (3) 航空券を予約した方法 Web(シンガポール航空) (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) (4) 渡航したルート 往路:HND→SGP→JKT 復路:JKT→SGP→NRT (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) 大学側が迎えにきてくれる。 (6) 滞在先住居を探した方法 (大学の寮に申し込めたか、寮に滞在した場合は申込みの方法やいつ頃申し込んだか、不動産業者や特定のウェブサイトを使用した場合はその名称やURLなど、住居を手配した方法を詳細に記入してください) ・学校指定の滞在先からの選択 ・先輩からの情報収集 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 支払い方法:現金 or 送金 (水漏れあり) (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) 日本に比べて質はかなり落ちる。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) 現金、クレジットカード、銀行のQR決済 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) IMEIという携帯登録がある。本体価格が500ドル?を超える場合、関税がかかる。 SIMカードは、モールで購入。(空港で購入する方が良い) (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) WIFIはかなりひどい。 (*場所による) (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) 日本人専用の病院あり(TAKENOKO クリニック) 日本語を使える (5) 日本から持っていくべきもの 自分が必要だと思ったものhなるべく持っていくとどこかで役にたつ。 (6) 治安状況 (どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか) 東南アジアの中では、比較的良好。ただスリには要注意。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか) 朝:コンビニ 昼:学食 夜:ワルン、ワルテグ (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか) WEBサイト、友人、現地の日本人の方 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 ・アザーンがある。 ・左手は基本使ってはいけない 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) ・就職 (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) 現地からの日本の企業に就職活動。オンラインインターンなどに参加した。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 自分が学んできたこと、それに対して、どんな目標を持って取り組んだかをアピールする。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 留学するなら2−3年時をおすすめる。 「まだインドネシア語力が、まだそこまでの準備が、、」と思っている方、現地に行ったら慣れる! 結局、言語は慣れなので、学んでいるうちに身につくから大丈夫です! 悩んでいるのでれば、行くことを勧めます!
留学成果報告書6月分
留学成果報告書 Unika Atma Jaya
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1960 ・学生数 約10,000人 ・設置学部 経済学部、経営コミュニケーション学部、教員養成教育学部、工学部、法学部、心理学部 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) 外国人向けのインドネシア語の授業(BIPA) (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など 希望すれば一般の学部生に混ざって英語や普通の学部の授業を受講できる 授業によっては聴講も可能 ・学部留学の場合:選択した学部・学科以外の授業を履修できるか 可能(ただし、BSDキャンパスの授業を取ると移動に時間がかかる) ・語学留学の場合:学部科目を履修できるオプションがあったか あり (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 生徒数が多いだけあってとても賑やかな印象、KUIS生3人に加えアフリカやヨーロッパ圏から5人の留学生がいた。その他ドイツやフランスからの学部留学生も3人ずつ在籍していた。 (5) 課題や試験 (KUISとの違いや負担の大きさなど) 課題-とても多い。授業が終わるとひたすら課題をこなしていた印象。 試験-授業の復習をきちんとしていれば難しくはない。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか 出入国関係又は生活面については大学の事務に相談可能。 (7) オリエンテーション (オリエンテーションがあったか、あった場合その内容) 露出の多い服装や、サンダルでの登校についてなどNG項目についての説明。また親睦を深めるためのレクリエーションを兼ねたキャンパスツアーや昼食会の開催。 (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) BIPAの授業開始後に英語の授業を選択した。大学の事務に相談すれば色々な授業を提案してくれる。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 現地の大学でインドネシア語を学びたいと以前から思っていたため。留学を通して学んだことが今後のキャリアを考えていく上で一つの良い機会になると考えたため。 (2) 留学先を選んだ理由 レベルの高いインドネシア語の授業を受けられるから。首都ジャカルタの中でも中心部にキャンパスがあることから色々な場所へのアクセスが良いと考えたため。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 単語量が圧倒的に足りていなかったと感じた。また、日常会話で英語を織り交ぜて話す学生も多いので、英語の会話表現が多少わかると会話に参加しやすいと思う。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) パーカーなどの羽織ものや長袖をもう少し持っていくべきだったと思う。教室やショッピングモールなどの室内は冷房が効いているので半袖だと寒い時がある。 (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) K3J(日本文化同好会)に所属する学生との交流が主だった。授業後にお昼を一緒に食べたり、休みの日にはスポーツ大会やバレンタインのイベントなどに参加した。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと 一度の授業で学ぶ単語量が多いため、予習復習をしないと授業についていけない。最初はBIPAの先生の話すスピードが早く感じたが、1ヶ月ほどすれば慣れる。 (7) 授業外で参加した活動 (ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法) バドミントンサークルに参加しようとしたが、現在は活動していないらしく断念した。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと 同年代でも宗教や文化の異なる友人達との交流はとても新鮮だった。 また、ジャカルタの観光地については理想と現実のギャップが激しいので過度な期待をしすぎない方が良い。 (9) 留学で達成した最も大きなこと インドネシアでの生活や現地の人との関わりを通して、物事に臨機応変に対応する柔軟性が身についたと思う。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 留学を通して培った語学力を衰えさせないため自主学習に励み、日々単語量を増やしていきたい。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 必要書類はなるべく早く出す。 (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) 大学に必要書類を提出後、e-visaが発行される。 (3) 航空券を予約した方法 (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) シンガポール航空のウェブサイト (4) 渡航したルート 生き返り共にシンガポール経由 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) 空港到着後はダルマシスワのオープニングセレモニー出席のためスタッフによるバスでの送迎 コスまでは大学の職員による送迎 (6) 滞在先住居を探した方法 (大学の寮に申し込めたか、寮に滞在した場合は申込みの方法やいつ頃申し込んだか、不動産業者や特定のウェブサイトを使用した場合はその名称やURLなど、住居を手配した方法を詳細に記入してください) 最初は昨年度のKUISの先輩方が住んでいたコスに入居した。 その後引っ越しをした際はMamikosというアプリで部屋を探した。 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 家賃は現金支払いか銀行アプリからの送金で行っていた。 トイレ・シャワーや冷蔵庫は各部屋に備え付けのものがあったが、引っ越し先のコスは基本的な設備は全て共用。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) ・女子は女性専用のコスがおすすめ。セキュリティー面や共用設備の綺麗さなど安心要素が多い。 ・小さいコスだとWi-Fiが強くて良い。 ・多少の汚さは耐えられるという人は少し妥協すれば安くて良いコスを見つけられる(コスパの良いところは人気なのですぐ内見に行くべき!) ・基本どこでも虫とネズミはいるので慣れるしかない! 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) BCA(Bank Central Asia)の口座を作って銀行アプリからの送金システムやQRコード決済で主に支払いをしていた。日本口座からの引き出しはデヴィッドカードで行った。 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) 入国の際IMEI登録でトラブルがあり、Wi-Fiをデザリングするためだけに安いスマホを現地のモールで買う羽目になった。 (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) コスでのWi-Fiは期待しない方がいい。テレコムセルを使っていたが時々通信障害が起こる。 (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) デング熱にかかり大学近くの私立病院で1週間入院した。友人や大学の先生の手助けもあり、入院手続きや入院中の生活で特に困ったことはなかった。強いと言えば病院食がハイカロリーできつかった。 (5) 日本から持っていくべきもの 日本食、長袖・羽織もの (6) 治安状況 (どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか) 在インドネシア日本国大使館からのメールでデモの状況や危険なエリアの情報をチャックしていた。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか) 学食と外食(屋台)共に平均200円ほど (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか) SNSなど (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 とにかくみんなフレンドリーだが、だからといってむやみに連絡先は交換しない方がいい。基本的に大学の友達以外は信用しない方がいい。 ジャカルタの観光地は理想と現実のギャップが激しいのではあまり過度な期待を持ちすぎない方がいい。 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) 就職 (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) オンラインでの説明会や面接に参加していた。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 帰国後から就活を始めるため具体的な進路は未定だが、インドネシアに関わる職に就きたい。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 理不尽なことも色々あると思いますが、Santaiを自分に言い聞かせて頑張って下さい!!
月次報告書6月分
ついに帰国
主に今月の授業では最終プレゼンテーションの練習を行なった。発表当日は他のクラスの人も加わった30人ほどの前で約20分間プレゼンをした。私はインドネシアにおける医師不足についてプレゼンした。とても緊張したけど、練習の時よりも上手くできてよかった。終始和気藹々とした雰囲気で他のクラスの人の発表も聞けて面白かった。 最終プレゼンが終わってもBIPAのクラスはその次の週まであり、主に文法やスピーキングのテストをした。最終授業日には10ヶ月授業を担当してくださった先生に最後のご挨拶をした。出来の悪い私をいつも根気強く指導してくださり、たくさん怒られもしたけど、その分インドネシア語の力がついたと思えた留学生活だった。 帰国前最後の週末には大学の友達と最後のジャカルタ散策をした。これまでは男友達と遊ぶことの方が多かったので、最後くらいと思い女友達を遊びに誘ってみた。友達の提案でPasar Baruというジャカルタで有名だという市場に行った。友達曰く「色んなものがあるからお土産探しにピッタリ!」とのことだったが、実際はそんなに見るところがなかった。。あまり観光地に期待しすぎてはいけないのがジャカルタらしいなあと改めて感じられた日だった笑。 翌日には友達が誘ってくれてBSDに行った。アニメフェスに連れて行ってくれて夜は一緒にご飯を食べた。これまで定期的に会えた友達としばらく会えなくなると思うと少し悲しくなった。けど、今度は友達が日本に来た時に私が案内できるように、帰国後もインドネシア語の勉強を頑張りたい!
月次報告書6月分
ラストマンス in Jakarta
今月はジャカルタで過ごす最後の月です。 今まで出会ってきた方々とお別れをし、最後のジャカルタを満喫しました。授業では、最終課題のプレゼンテーションとテストを受け、約10ヶ月間の授業は終了しました。長いようで短いあっという間の10ヶ月でした。 【生活編】 今月は、送られることが多かったです(当たり前ですが)。ジャカルタに関わらず、海外にいるとやはり日本人同士のコネクションが非常に強いです。6月上旬には、1月に一回だけお会いした人にお別れ会を開いていただきました。普通のお食事会だと思って参加したら、まさかの僕のための会だったので非常に驚きました。15日には、ジャカルタ北部にセリブ島にて、ラグビー部の方々が僕の送別会を開いていただきました。インドネシア人の友達とは、カフェで最後のノンクロンをしたり、帰国日4日前には一緒にPasar Baruに行きました。今までお会いしてきた全ての方々に、大感謝です。 【学習編】 今月7日に、最終課題として、インドネシアについてのプレゼンテーションがありました。私は「インドネシアの経済」について、現在、進められている首都移転政策と絡めて発表しました。発表会場がかなり広かったので、緊張しましたが、なんとか終える事ができました。その翌週には、期末テストがありました。正直、良い点数を取れたかは不安ですが、自分の頭の中にある知識をフルで出しました。 総じて、この10ヶ月間は、起こる事ほぼ全てが「初めて」であり、最初は不安しかありませんでしたが、いつしかそれが普通と思えるようになってきて、自分でなんとかできるようになっていました。自分の長所、そして短所も改めて知る事ができ、充実した留学生活だったと感じます。この経験を糧にして、将来、社会人として飛躍できるように努めていきます! Sampai Jumpa Lagi Indonesia!! また来るぜ!
留学成果報告書6月分
インドネシア留学のまとめ
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年-1960年 ・学生数-17,00人 ・設置学部-経済・経営学部、コミュニケーション学部、言語教育学部、技術学部、法学部、医学部、心理学部、バイオテクノロジー学部 (2) 所属した学部、コース-外国人学習者向けのインドネシア語コース(BIPA)、コミュニケーション学部 (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など-BIPA、学部内の授業は全て履修可能 ・学部留学の場合:選択した学部・学科以外の授業を履修できるか-許可を取れば聴講可能 ・学部留学の場合:語学コースを並行履修できるか-可能。 (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数-ダルマシスワ奨学金の留学生が8人、その他から3人 (5) 課題や試験(KUISとの違いや負担の大きさなど)-多い、又は同じくらい。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか-できる。時と場合によって、対応異なる。 (7) オリエンテーション-あった。キャンパスツアーを兼ねたゲームをしたり、お昼ご飯をみんなで食べた。 (8) 履修登録-渡航前にシラバスを見たが、説明足らず。危うく、1時間ほどかかるもう一つのキャンパスの授業をとることになりそうだった。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由-行かなかったら後悔すると思ったから。 (2) 留学先を選んだ理由-協定校の中で最も難易度、知名度が高かったから。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面)-渡航前にインドネシア語検定C級を取得し自信をつけた。ある程度の単語の知識を入れた。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面)5種類のワクチンを打った。長袖の服をもう少し持っていけばよかった。 (5) 留学中の交友関係(どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど)-K3Jの皆んなと遊んだ。スポーツ大会をしたり、ボーリングに行ったり、お昼や夜ご飯を食べた。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと-現地の生きたインドネシア語を沢山学ぶことができた。 (7) 授業外で参加した活動(ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法)ジャパネシアと呼ばれるジャカルタにいる日本人と交流するという場に参加した。留学生みんなで一泊二日で離島に行った。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと-インドネシア人に限らず、外国人と過ごすのはとても大変に感じる反面、吸収できることも沢山ありとても有意義なものだと感じた。 (9) 留学で達成した最も大きなこと-発展途上国で10ヶ月間という長い期間生活できたこと。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか-今後社会人になり多様な人々と関わる中で、物事を広く柔軟に受け入れていく姿勢をもち続けたい。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願(気を付けるべき点など)-個人で行う。 (2) ビザ申請(気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など)-大学側が行った。 (3) 航空券を予約した方法-ウェブサイト。 (4) 渡航したルート-行き:日本→シンガポール→ジャカルタ/帰り:ジャカルタ→日本 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動-大学の送迎。 (6) 滞在先住居を探した方法-先輩が住んでいた場所 (7) 滞在先住居についての詳細-現金払い。清掃員によって、掃除の加減が異なる。WiFiは日による。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス-きつい・汚い・危険を覚悟する。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達-現金とQRコード決済。現地の銀行でカードを作ると便利。 (2) 携帯電話-IMEI登録失敗して、もう一台スマホを買いテザリングして使用。常にスマホ2台持ち生活。頻繁に通信障害起こる。 (3) インターネット(キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど)-家も学校も時と場合によって最悪。オンライン面接開始後すぐ画面が真っ暗になり電話面接状態に。 (4) 医療(現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど)-軽い症状なら、タケノコ診療所で問題なし。重い病気などは、大きな病院に行く必要あり。診察が遅い。 (5) 日本から持っていくべきもの-持っていけるだけの日本食(現地で購入できるが高い。) (6) 治安状況(どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか)-言うほど悪くないが場所による。貴重品は常に注意して持ち歩く。 (7) 食事-屋台だと100〜200円だが、油物ばかりで辛い。きつい。日本食が恋しくなる。自炊する方が高い。 (8) 情報の入手(書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか)-知り合いから。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点-アザーンがきつい。 【進路について】 (1) 留学終了後の進路-就職 (2) 現地での就職活動や進学準備-オンラインでインターン、説明会、面接。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか-多様な人々と関わる際、柔軟に広く物事を考え、受け入れられるようになったこと。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 2−3年次の留学をお勧めする。 現地での就活との両立は厳しい。静かな環境やWiFi環境の整った場所が少ない。 食べ物、生活環境、何に対しても受け入れられないと感じ辛くて苦しいと感じる時が来ること。
月次報告書6月分
10ヶ月間の留学終了☑︎
2024-05
月次報告書5月分
大好き日本食!
留学開始から9ヶ月が経ち、来月にはもう帰国なんだと思うと本当に時の流れの早さを感じる。週末は帰国に向けてお土産探しを始めたが、どこに行くにも渋滞していたり、歩行者に優しくない道の作りをしているのでいつも外に出るのがめんどくさくなる。 今月は最後の小旅行でインドネシアの三代都市に数えられるバンドンに行った。ジャカルタ以外の大きな都市はどんなものなんだろうと思ったが、実際はすごい数の物乞いと、案外殺風景な街の感じに驚いた。ジャカルタとその他の地域ではすごい差があるんだなと感じた。それからバンドン近くの観光地のkawah putihに行ったが、ドライバーさんのワイルドすぎる運転に終始手汗が止まらなかった。それでも友達とどこかに出かけられたというだけで楽しかったし、また1つ土産話増えたと思うといい経験だったと思う。 中旬には大学側が企画してくれてpulau seribuへ行った。まさかこの船に乗るの?っていう感じのリアル奴隷船で約3時間ほどかけて行った。そこらじゅうでタバコを吸う人がいて船内の空気は最悪だった。周りの人のことを考えないこの国の喫煙者には本当にイライラする。宿泊先のホームステイでは樽に溜めた水を桶で掬って髪や体を洗う「リアル水浴び」を経験した。インドネシア語で「お風呂に入る」が「mandi(水浴び)」である理由がよくわかった。 また、今月は今までで一番日本食が恋しく感じた。美味しいけど味のレパートリーが少ないインドネシア料理に飽きてしまったのと、「来月の今頃には日本にいるんだ」と思うと何故か急に日本食が食べたくなったからだ。ちょうどそのタイミングで友達の知り合いの日本人の方が回転寿司に連れて行ってくださったり、友達がおすすめの日本食屋さんを紹介してくれてみんなで豚の生姜焼き丼を食べた。久しぶりに食べる日本食は格段に美味しかった。 最近大学で知り合いの人に「日本人はいつも何を食べるの?」と聞かれた。今年一番返答に困る質問だった。インドネシアだったら鶏肉・揚げ物・ナシゴレンやミーゴレン、味付けは絶対サンバルって答えるだろうけど、日本にはそういった料理の定型がないし、和洋中なんでも美味しいからとても悩んだ。同時に、答えられないほど味や料理のレパートリーが多い日本食は本当にすごいなと感じた。
ジャカルタ生活は残りわずかとなり、最終課題にも本格的に取り組み始め、ちょっとだけバタバタし始めた。 私は、「インドネシアの経済 〜首都移転の視点から〜」というタイトルで最終課題(プレゼンテーション)を進めている。現在、インドネシアの首都『ジャカルタ』から新首都、東カリマンタン『ヌサンタラ』へと首都移転プロジェクトが進められている。その大規模プロジェクトがどう国内経済に影響するのかを様々な視点から分析し、それを6月頭に発表しなければいけない。まー難しい。正直に言って、自分の言っていることがあっているかどうかは定かではあるが、なるべく真の情報を伝えるために努めている。最初は、「テーマ決め、失敗したなぁ」と後悔していたが、この首都移転プロジェクトは投資や都市開発に様々な国が絡んでくるので、大きく見れば、「世界の動き」を多少知ることができるという意味ではよかったのかもしれない。 私はジャカルタで日本人ラグビーチームに所属しており、割と日本人の方と関わる機会が多い。 最近になって、ジャカルタに赴任される人、帰任される人が増えるようになった。5月は出会いと別れの季節なのだろうか。おそらくだが、4月に赴任されて仕事がようやく落ち着き始めたから、ラグビー部に顔を出し始めたのだろう。帰任される人の事情はよくわからない。話はそれたが、そういった人が増えることで、歓送迎会も同時にかなり増えた。そこで様々な日本人の方々と出会い、そしてそこから新たな縁が生まれ、違う方とご飯をご一緒する機会が増えた。 「留学っていうのは、現地の人と関わるのが義務だろ!」と思う人がいるだろう。分かっている。でも、社会人の方とご飯をご一緒することで、これから社会に出ていく人間として、たくさんのことを知れる。もちろん100ではないが、いいスタートダッシュを切れるように多くのことを学んでいる。 ちなみに、ジムで出会ったインドネシア人の人とご飯を食べた。 「やはりインドネシア人はおもてなしがすごい」と思ったが、なんか変な感じがしてきて、最後の方少し引いた感じで話していた。
8ヶ月目までにジャカルタを含めジョグジャカルタ、バリ島、ギリ島、ヌサペニダ島の5箇所を訪れることができた。それでも、Bandungにはまだ行ったことがなくて、ずっと行ってみたい思っていた。ちょうどマランに留学している友人がジャカルタに遊びに来ていたため、みんなで日帰りで、Kawah Putihへ行くことにした。Kawah Putihは、先日の「世界の果てまで行ってQ」でみやぞんが訪れた場所で、Bandungのとても美しい絶景スポットとして知られている。片道約3時間かけて向かった。その日一日運転手を雇っていたのだが、その運転手のおじさんが過去一ハズレだった。集合してすぐにほとんどガソリンがなくなっているし、ナビはしない、危険運転、しまいには居眠り運転までされた。しかし、目的のKawah Putinを見れたから良かった。山頂付近は気温がかなり低くさらには天候が悪かったため視界が悪かったが、非日常の景色が広がっていて、とても新鮮で良い気分転換になった。休日になると、家から出るのが億劫で、一人だと中々どこかに行く気にならなかったからこういう機会にみんなで行くのはとても久々だったし、何よりみんなで楽しい気持ちを共有できてとても良かった。翌日、朝から喉がイガイガした。友人が夕方ごろマランへ帰った後くらいから倦怠感もしてきて、夜にはあっという間に38度の熱が出た。翌日も熱がまだ下がらず、病院でコロナ・インフル・溶連菌3つの検査をしたけどどれも陰性だった。細菌感染だろうといわれて点滴を打ったらだいぶ楽になった。その後も、面接が入っていたり、課題の量も変わらずプレゼンの準備に追われて忙しい日々を過ごした。
2024-04
『断食』 3月中上旬からスタートした断食。イスラム教が国民の9割を占めるインドネシアでは、人々の昼間の活動が減る。その影響から、昼間にショッピングモールに行ったりするとビックリするぐらい人がいない。私はジムに通っているのだが、昼間にいくと本当に閑散としているからいつもよりのびのびと筋トレができて、心の中では「これが続くことはないのか、、」と思ってしまうことがあった。 しかし、夜は一転、皆日が沈んだことにより大量にご飯を食べる。だからいつも人がいないようなところにも人が座ってご飯を食べている。断食月はインドネシアをより感じることができる時間だった。断食は4月中上旬まで続く。ラマダン(断食)の後にやってくるのはレバラン休暇(断食明け休暇)だ。日本のような宗教の存在が薄い国が断食を見ると、「すごい辛そう、私、俺だったら食べちゃう」と思ってしまうが、実は断食というのは一種の祝い事、祭りであり皆終始幸せそうだった。その祭りの後にくる『レバラン休暇』は皆、自分の実家に里帰りし家族で一緒にレバラン休暇を過ごす。これをインドネシア語で『Mudik』という。 私は友達から「レバランの時はジャカルタから人がいなくなるよ」と聞いていた。正月の時も同じことを言われたが、対して人が減った気配はなかった。しかし、今回は「え、まじ!?」となるほど人があの大都市ジャカルタから消えていた。車はほとんど走っておらず、バイクもいつもに比べるとだいぶ少ない数しかいない。その光景を見て、「インドネシア、おもろ笑」と改めて思った。 『ギリトラワンガン2回目』 正月にギリトラワンガンというロンボク島の近くにある島に行ったが、その時は「もう来ないだろうな」と思っていたが、4月にまさかの2回目。今回は2泊3日だったが、かなり楽しめた。1日目は移動でかなり疲れたが、夜に釣った魚を焼いて食べた。二日目はシュノーケリング。前回も同じようにシュノーケリングをしたが、今回は初めて海亀を触ることができて嬉しかった。手を上手に使いながらご飯を食べている姿を見てすごく癒された。夜は美味しいピザとお酒を飲むなど充実した1日を過ごすことができた。三日目は朝にアサイーボウルを食べて、ロンボク島本島に移動。バリ島と似た雰囲気があるのかなと思ったらダイーぶ静かだった。ホテルも海の目の前でプライベートビーチがあり、そこで寝ながらお酒を飲んだりして最高だった。たくさんのインドネシア人とも関わることができ、お世辞だとしても「インドネシア語うまいな!」と言われるのが楽しかった。最近はそれを言われるために話しかけにいってるっていうのは内緒で。 あと留学も1ヶ月半強しかない。残りの時間大切に過ごす。
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