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2024-03
月次報告書3月分
留学開始
三月上旬にブラジルに到着してからすでに1ヶ月が経った。異国の地で生活することに対して大きな不安はあったが、想像していたよりも穏やかに過ごすことができ、日本との違いに驚きながらも日々楽しく生活できている。 『ジュイス・ジ・フォーラまでの行き方』 エールフランスを利用してパリ経由で行った。私は海外へ行くのは初めてで、それも一人旅だったため乗り換えや入国審査など心配事がいろいろあったが、実際は心配する必要がないほどスムーズに行くことができた。リオまでは大きなトラブルもなく到着したが、飛行機が20分ほど遅れたことや、渋滞していたりと様々なことが重なり、予約していたジュイス行きのバスに間に合わなかった。返金はできないと思いつつも、バス会社の窓口で問い合わせてみたところ、支払った金額から差し引いて新しいチケットを購入することができた。(ただし、直前の購入だったため少し高い料金だった)バスの出発が遅れたため、ジュイス・ジ・フォーラに到着したのは夜中の12時半頃になってしまった。到着すると、以前神田外語に留学していた方が私を待っており、寮まで案内してくれた。 『住居』 私は寮に住んでいて、ここでは女性6人が一緒に暮らしている。1人1部屋でシャワーやキッチンなどは共有。大学まで徒歩5分弱で、スーパーも近いため住みやすい環境だが、犬や鶏などの鳴き声がよく聞こえてくる。光熱費込みで2万円ちょっとぐらい。 『携帯』 日本ではiphone14を使用していたが、周りから新しい機種だと盗まれる可能性が高いと聞いたので、外出する際は以前使っていたiPhoneを使用している。VIVOという通信会社と契約し、友人が全ての手続きを代行してくれた。15日間で4GBのデータプランにした。 『ストライキ』 大学が始まってすぐに、事務の方々のストライキが始まった。そのため学籍番号を受け取ることができず、最初の1週間は授業を受けることができなかった。1週間が経ってもストライキは続いたため2週目からは授業を受けることが可能となった。学籍番号がないと図書館や学食などが利用できないので、大学の施設はほとんど利用できていない。3日程前に学籍番号は知ることができたが、学生証はまだ貰えていない。また、4月からは教員がストライキに参加することが決まっているそうなので、学校に行けない日々始まるだろう。 『食事』 学食が利用できなかったため、主に自炊を行なった。スーパーの食品はほとんど日本よりも安いが、魚は結構高いように感じた。住居の周りや中心街には飲食店が多数並んでおり、メキシコ料理や韓国料理など様々なジャンルがある。値段は日本と変わらない、もしくは少し高い印象を受けた。 ブラジルに到着して日が浅く、やらなければならないことを行なっていたら、1ヶ月があっという間に過ぎてしまった。口座開設やRNMなどの手続きを行う際はブラジルの友達が助けてくれた。このこと以外にも授業中や施設内など初対面にも関わらず様々な方が親切にしてくれて、毎日のようにブラジル人の優しさを感じている。この1ヶ月が本当に早かったので、これからは1日1日を大切に過ごしていきたい。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
月次報告書3月分
踏ん張りどころ
 ブラジルに来てから2ヶ月が経過した。3月にはキリスト教のイースターがあり、大学の授業が1週間休みになった。そこで自分の勉強に集中することが出来たりもした。今月の大きな変化といえば、大学の授業が本格的に始まったことである。3月15日までは、履修登録期間であったが、一般学生用の授業なので、通常通りの授業が進行される。授業の選択の仕方は日本のものと大きな違いはなく、興味がある授業に参加し、課題や評価方法などを確認して決めていく。また、3月にもなるとブラジル人の友達も増えてくるので、そこで先生の情報だったりを聞いたり、授業の概要についても聞くことでさらに、細かいところまで知ることができる。また、履修を考えている授業にブラジル人の友達がいるとノートを見せてくれたり、授業中にわからないところを教えてもらえるので、一人で受けるときと比べ、内容の理解度が格段に良くなる。    僕は大学の一般の授業を受けるのと並行して、留学生用のポルトガル語の授業を受けることにした。それらの情報はインスタグラムなどで告知され、気づいた時には期限が過ぎていたりと、常にアンテナを張っていなければならなかったので大変だった。僕はたまたまブラジル人の友達に教えてもらい、その存在を知ることが出来たのだが、申し込み期限を過ぎてしまった。しかし、ダメ元で確認しに行ったところなんとか申請することができた。僕が申し込んだ授業はC1という少し難易度が高めのクラスでありそれ以外のレベルのクラスの空きはなかった。また、有料でもあり、4500円で1学期間、授業が開講される。授業内容は、発音などの細かいところから、前置詞の細かいニュアンスの違いなどで、知っているものから以前から疑問に思っていたことなどを学ぶことができている。最初は自分には難しいコースなのでは無いのかと心配していたが、内容は問題なく理解できるので、適正のレベルであったと今は感じている。  また、このポルトガル語のコースの支払いが終わった翌週に、もう一つのポルトガル語コースの開講情報を知り、こちらは無料だということで、少し損した気分であるがこの授業も合わせて受講している。こちらの授業はB1−2のレベルであり、授業で扱う内容がより基礎から始まる印象である。こちらの授業はブラジルに留学に来る学生なら、あまり受ける必要はないように感じているが、まだ数回しか受けていないので断定することはできない。  授業外のことでは、3月の中旬にRNM(在留カード)の申請をするために、ブラジル連邦警察にいった。自分は友達の付き添いと、自分の申請の時と2回行ったのだが、どちらも3〜4時間ぐらい待ったので、それは覚悟していくと幾分の気持ちが楽だと思う。しかし、その日にはカード本体が受けてれるわけではなく、1〜2ヶ月受け取るまでかかるそう。しかし、このカードが無いと、Nubankというオンライン上の銀行口座を作ることが出来ないことに加え、pix という日本で言うpaypayのようなアプリも使用することが出来ない。これらは、友達と割り勘をするときや、家賃を払うときに必要なのでなるべく早く作りたいのだが、現段階では難しい。現金を引き出す時に国際銀行から引き出すため、手数用が700円ほどし、結構痛い出費なのでなんとかしたいところである。  イースター休み明けの最後の週は、ここ2ヶ月間の疲れがどっと出た気がした。1週間の休みは、現時点で分かっている課題などを早めに終わらせるために、隣人のブラジル人と一緒に大学の図書館に籠る生活をしていた。そこで取り掛かり始めた、人類学のテキストの要約の課題はテキストが難しく、二日間を費やして、3ページしか読み進められなかった時は、流石にしばらく何も考えたくなかった。しかし、結果的には友達の助けも借りながらなんとか提出することができた。生活にようやく慣れ始めたが、日々困難に直面し、濃厚な日々を送っている。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2024-02
今年度のサンパウロ大学の授業開始がストライキなどの影響で早く、前年度や他大学と比べて半月ほど早まっていた。そのこともあり、2月7日に日本を出発したのだが、全ての準備が終わったのは出発前日であった。そのような慌ただしく、準備も万全ではない状態でブラジル、サンパウロに到着して1ヶ月が過ぎたので現地での様子などを書いていきます。 『出発まで』 僕は、最後の黄熱病のワクチン接種が渡航の7日前、ビザを受け取ったのが2日前とドタバタのスケジュールで、出発した。(これは悪い例なので絶対に真似しないで)留学したみんなが言うことだが、留学先の大学から留学許可証が届き、授業開始日がわかったらすぐに、航空券を買う方がいい。航空券がないとビザの発行などができず、最後に慌てる羽目になる。また、サンパウロ大学(USP)に留学したいと考えている人は、一番ネックとなる問題は住居探しだと思う。僕は先輩に聞いたり、FacebookのUSP学生のための住居情報が載ってるアカウントなどを見たが、結局先輩から教えてもらったところにした。AirBnBに対応しており、また大学からも近いので満足している。 『滞在先』 上記したことに加えて、僕が現在滞在しているのは、repúblicaと言われるところで、住んでいる人はUSP学生が多く、 またシャワー、キッチン、トイレ、洗濯機が共同となっている。しかし、部屋にはエアコンがなく、扇風機だけである。大家さんや他の隣人の人たちはいい人たちで、特にトラブルなどなく快適に生活している。 『食事』 食事は大学が始まった現在では学食で昼と夜を食べており、ほとんど料理することはないが、初めの二週間は日本から持ってきたレトルトカレーやレンジで作れるものなどを食べたり、近くのスーパーで買ったりした。最初の2、3日は時差ボケで出かけられないことを考えて、すぐ調理できるものを持っていって正解だったと感じる。現地のポルトガル語に慣れれば買い物などは簡単なので、慣れるまでの間の少しの食糧で十分である。スーパーは野菜やパンなどが安いが、その他の物価はそこまで日本と変わらないと感じる。サンパウロなので大抵のものはあり、日本食も売っている。レストランも値段は700円〜1500円ほどで、やはりこれも日本と変わらない気がする。 『大学』 サンパウロ大学(USP)は留学生への支援などしっかりしている。そのため、問題やわからないことが多々起きても、その都度CCINT(国際戦略部のようなところ)に相談しに行くと解決することができる。そのため、特に学校生活で必要以上に不安に感じる必要なはないと思う。おすすめは対面で直接聞きに行くことで、メールはしばしば対応されないことがあるので注意した方がいい。 授業についても、事前に日本で提出する履修したい授業などは特に関係がなく、二週間ほど興味がある授業を受けられる期間があり、その後に履修登録をする。また授業ごとに先生に留学生であるが、授業に参加できるどうかや、留学生向けの別の評価方法はあるかなどを聞きに行く必要はあるが、ほとんど全ての先生が留学生に理解があり、優しく対応してくれる。 基本的に現地のブラジル人の人と同じ授業を受けるため、授業中は全くわからない。そのため、僕がしていることは、先生の話の中でわからない単語などをノートに書き出し、授業後に調べたり、授業を録音して、振り返るなど工夫はしている。しかし、まだまだ難しく、興味ある分野の話をしているのにも関わらず、わからないというもどかしい状況が続いている。 その中でも、日本文化(歴史)などは比較的理解しやすく、現在では唯一の心休まる授業である。 『友人関係』 これは日本でも難しいのと同じように、ブラジルでも難しいのは当たり前であり、その中で僕は恵まれた方であると思っている。当たり前だが、全ての人とは仲良くなれないので、自分を受け入れてくれる人たちと仲良くしていくのが良いと思う。ブラジル人は冗談が多いのであまり気にしないで、気ままに生きるのが僕のおすすめである。「仲良くなるのも、嫌われるのも、喧嘩するのもここではすごく簡単だ」ということを学んだ1ヶ月だった。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-12
留学成果報告書12月分
ブラジル・サンパウロ留学 まとめ
基本的情報については私の留学報告書に詳しく記載してあるため、 詳しく知りたい方はそこを確認してください。 各月の下の方には留学する方に向けて必要な情報をまとめてあります。 【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1934年 ・学生数 約97000人 ・設置学部 哲学、文学、歴史学、社会科学、デザイン学、法学、経済学、出版学、体育とスポーツ学、教育通信学、看護学、舞台芸術学、視覚芸術学、天文学、経営学、建築と都市計画学、ジャーナリズム学、レジャーと観光学、マーケティング学、数学、応用数学、応用ビジネス数学、応用数学と科学計算学、医学、応用獣医学、応用気象学、音楽、栄養学、栄養と代謝学、産科学、海洋学、歯学、教育学、心理学、広告学、化学、国際関係学、広報学、公衆衛生学、情報システム学、作業療法学、テキスタイルとファッション学、観光学、動物科学、統計学、薬学、経済ビジネス学、物理学、計算物理学、医学物理学、理学療法学、言語聴覚療法学、地球科学と環境教育学、地球物理学、地理学、地質学、老年学、環境マネジメント学、公共政策管理学、食品工学、生体システム工学、コンピューター工学、材料工学、材料製造工学、鉱業工学、石油工学、生産工学、電気工学、物理工学、林業工学、機械工学、メカトロニクス工学、冶金工学、海軍工学、化学工学、航空工学、農業工学、環境工学、生物化学工学、土木工学、食品科学、精密科学、物理・生体分子科学、視聴覚学、バイオテクノロジー学、農業科学、数理科学、生物科学、生物医学、会計科学、コンピューターサイエンス学、自然科学、生物医学情報学 ・その他 サンパウロ大学はブラジル最大の研究大学であり、ラテンアメリカで事実上一番難関な大学。 サンパウロ州内に8つのキャンパスがある。公立なため授業料は無料。日系人が14%を占める。 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) 文学部(Letras) (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など 基本的にはすべての授業の履修が許可されている。哲文人間科学部内の授業でも、先生が留学生を受け付けていない可能性もあるため、登録期間に、履修可能か確認する必要がある。 ・学部留学の場合:選択した学部・学科以外の授業を履修できるか 基本的には可能。哲文人間科学部以外の学部でも授業を受けたい場合は、現地での履修登録の際にその学部の留学生課に相談する必要がある。成績処理など管轄が異なる。 ・学部留学の場合:語学コースを並行履修できるか 有料だが可能。 Centro Interdepartamental de Linguasというセンターがあり、そのHPで受講申込ができる。 A1からC1の3つのレベルでの授業がある。(C1は上級者向け) 前期後期それぞれで授業が行われている。 私はC1レベルを受講したが、約3カ月間(週に1回)で計30時間。費用は約R$156(4680円程度)だった。 A1の授業期間は5日間、計10時間。費用はR$132(3960円程度) B1の授業期間は3カ月間、計30時間(週に1回の授業)。費用はR$156(4680円) (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 大学の敷地はとても広く、東京ドーム79個分ある。自然が豊かで、敷地内に博物館なども何個かある。日系員が多く全体生徒数の14%も存在する。日本語を勉強する専攻もあり、日本について興味を持っている人も。 大学内にはバスが通っており、8012、8022、8032のバスであればBUSPというカードを使うと無料で乗ることができる。 日系人が多いからか、留学生と日系人の見分けがつかず、話しかけに来る人達は他大学に比べ少ないように思う。 前期の全体の留学生数は50人くらいだった。そのうち日本人留学生は11人居た。最も多かったのはフランスからの留学生。日本以外の留学生は大体が半年で別の国へ留学しに行くか、自国へと帰っていた。 (5) 課題や試験 ラテンアメリカ最難関と言われるほどあり、間違いなく課題はKUISに比べとてつもなく多いと思う。履修する授業にもよるが、1週間以内に100ページ以上を読まなければならないこともある。試験については、当たり前ながら他言語のため難しい。授業によってはブラジル人と同じ様に試験を受けることは非常に困難であるため、試験内容が発表されたあと「なにか別対応ができないか」を先生に尋ねることが必要である。私の場合は、何も変わらなかったり、採点が少し甘くなったり、一個テストがなくなったり、辞書の持ち込みを許可さり、、などした。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか 特に大きな相談をするようなことはなかったが、基本的にCCINT(留学生担当の課)にメールか直接連絡すれば最大限に助けてくれる。もしくはおそらくどこかの課を紹介してくれたりするはずである。困ったらCCINT。ただし返信を忘れられてしまう場合もあったため、数日待って返信が来ない場合は再度連絡すること。 (7) オリエンテーション 1年間の留学だったが、前期後期それぞれにオリエンテーションがあった。オリエンテーションでは学生カードがもらえ、色々な手続きについての説明がある。RNM(外国人登録カード)の説明についてもこの日にある。後期のオリエンテーションは、あくまでも新しい留学生のためのものであるため、必須ではないが、無料学食券がもらえるのと新しいお友達作りに良いと思う。 ※学生カードの名前や写真が自分と一致しているかどうかをきちんと確認すること。私は他の方の写真と取り違えられていました。 (8) 履修登録 渡航前にも履修希望調査のようなものがあるが、その際はあまり真剣に履修を悩まないで選択して良い。渡航後にオリエンテーションがあり、その日から2週間自由に授業を見学できる期間がある。(KUISと同じような感じ) 基本的に履修できる授業に制限はなし。ただしその期間中に授業へ行き、先生に自分は留学生だと伝え、履修してよいかどうかを確認する必要がある。2週間を終える頃、Emailで履修登録用のリンクが送られてくる。そのリンクで登録すれば完了。ただし各授業ごとに人数制限があるため早いもの勝ちである。 別の学部の授業を履修する場合、その見学期間にその学部の留学生課を訪ね、用紙をもらい記入する必要がある。上記のリンクでは他学部の履修登録はできないので要注意。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 私は留学自体は中学校の頃に決めていた。しかし留学したい国は決まっていなかった。私は小学校の頃にブラジルのサンパウロに住んでいたのだが、日本に帰国してからブラジルへの興味が自然と強まっていった。当時外国語に興味を持っており、英語以外に何を勉強するのが良いか考えた。そして高校生のとき、大学生になったらブラジルに留学することを決めた。私には将来の夢があり、それが実現するためにはブラジルに留学をすることが必要であると考えていた。ただ言語だけを知っていても、その国に住んだことがないのであればそれはペーパードライバーと同じようなものであると私は考えている。そのため私は実際にまた住んでみて、色々な考えに触れようと決意した。 (2) 留学先を選んだ理由 私がブラジルのサンパウロを選んだ理由は、幼少期の経験が関係する。私は小学二年生の頃(約12年前)にブラジルサンパウロに住んでいた。というのも父が教師で、サンパウロ日本人学校へ文部科学省に3年間派遣されたことにより、私も日本人学校に通うことになったためである。サンパウロは私にとって原点で思い出の地であり、その景色をもっと鮮明に、そして今のサンパウロとブラジル人を知るためにこの地を選んだ。そしてUSPはラテンアメリカで最難関と言われるほどの大学で、私が興味を示していた「心理学」と「言語心理学」を学べる場所もあるというのも理由の一つである。治安が悪いで有名なサンパウロだが、日本人も多い。私は実際に生きて帰ってきたという幼少期の経験から、サンパウロでも危機管理を徹底すれば、やむを得ない場合大丈夫だとそう思ったためサンパウロに留学することを決めた。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 私は留学のために、できるだけ単位を取っておくようにと考えていた。またもちろん留学すると決めているからには、授業は休まず真剣に受講し、成績もできるだけ取れるようにと心がけていたつもりである。また1年時の頃からMULCのチャットタイムには週1回必ず参加していた。そのおかげで私は留学し始めの頃に「ブラジル人は話すのが速い」ということで悩まなかった。その他にも学内の暗唱大会に参加したり、ウチナーンチュ大会でのポルトガル語を使用したボランティアにも参加した。 また、留学先で受けたいと考えている授業の分野については、予め日本語で勉強しておいた。日本語でもわからない内容であれば、その国の言語ではなおさらわからないためである。しっかりと、でなくとも大まかには理解しておくと、現地で勉強しやすくなると私は思う。 私はもちろんポルトガル語に関して、聞く練習や読む練習など全てにおいてもっとやっておくべきだったと思う。しかしながら私がもっと勉強しておくべきだったと感じたのは英語である。ポルトガル語が話せないのであれば、英語を話せば通じるのだが、私はうまく話せなかった。というのも私はポルトガル語にばかり熱が入ってしまい、留学前の最後の頃は若干英語が疎かになっていたからである。そのせいか英語が頭に出てこず、喋ることができなかった。ポルトガル語も英語も少ししか話せないとなると、友達作りも難しくなってくる。またどの言語を話すにしても、「難しい言葉を自分が分かる言葉に置き換えて話す」という力は非常に大事だと思う。ポルトガル語よりも先に、まずそれを第1段階の英語でできていなかったため非常に苦労した。別言語ではあるが、英語ができていれば外国語の話し方や、聞き方、読み方など「方法」ですごく役立つのだと感じた。 要するにブラジルに留学する人たちは、どちらかに偏らずMULCとSALCで会話練習を行うべきだと私は思う。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) 私は高校の頃に既にブラジル留学を決めていたため、アルバイトでコツコツ貯金をしていた。結局のところ留学終盤から少し金銭面的にきつくなってしまったが、アルバイトを頑張っていたからこそ(もちろん学業優先で)まだ終盤で済んだのだと思う。もう既に留学を決めているのであればちょっとずつでも貯めておくと良いかもしれない。 またブラジルには日本の文化に興味のある人がたくさんいる。特にアニメや漫画である。USPの日本語専攻のほとんどの学生はアニメや漫画好きだったように思う。私は特に漫画やアニメを良く知らなかったため、話題作りやそれらの話を振られたときにうまく返すことができなかった。歴史と同様、アニメや漫画についても、「日本人だから知っている」という前提で話しかけてくるので、時間があるのであれば有名どころはおさえておいたほうが良いかも。 そして私が1番にしておくべきだと思う準備は、自らのコミュニケーションの取り方をより良くすることである。日本で日本人と日本語で話す時にできないことは、留学中に急に行おうとしてもできない。そのため日本にいる時から留学中のことを少しでもイメージして行動しておくと良い。 (5) 留学中の交友関係 留学中の交友関係で一番広まりやすいなと感じたのは部活とスポーツの授業である。部活とスポーツの授業は、授業に比べ周りの人と話す機会が多い。私は前期のはじめ、授業しか受けていなかったため、なかなか交友関係が広まりにくかった。しかし陸上部に入り、後期にはスポーツの授業を履修すると、周りの人と会話する機会も増え、友人も増えた。スポーツを行っている人たちは基本的には社交的なが多いため、友達作りにはおすすめである。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと USPでの授業は、入退出が自由である。普通に遅刻してくる生徒もいるし、授業の途中で抜けてしまう人もいる。飲食は自由のようではあったが、流石にお菓子を食べている人は居なかった。 出席は、紙にサインすることで出席とされる。リストが毎授業回ってくるので、そこにサインすれば良い。各学期の最初の方、留学生はまだリストに名前が追加されていないため、自分で付け足す必要がある。WhatsAppには各授業のグループが存在し、その中で「リストはもう回った?」や「私の分サインしといてくれない?」などわちゃわちゃしているため、リストがまわったかまわってないかはそこで確認できる。 日本の授業に比べ、サンパウロ大学の授業での生徒の態度は積極的だった。皆手を上げて質問をするし、生徒同士で意見を交わしたりする。先生がなにか問いかけると、誰かは必ず発言する。KUISの一部の授業のように無言の時間が存在しない。この積極性は本当に見習うべきであるし、こうであらなければならないとさえ感じた。特に日本はお金を払って大学に行っているので、授業の時間は貪欲に使うべきであると私は思う。 ブラジル人の視点で教えられる授業たちはどれも興味深くて、私が共感できることもあれば、違うなあと感じることもあった。 日本とは異なり、ストライキで授業がなくなることも頻繁にあるため、授業が始まったら同じ授業のブラジル人に聞いてWhatsAppグループに入り、授業があるかないか通知を確認すると良い。 (7) 授業外で参加した活動 私は陸上部に所属したり、沢山のボランティアに参加したりした。 ・陸上部 各学部に各部活がある。FFLCHの陸上部にはインスタグラムアカウントがあったためそのアカウントにDMで話しかけた。練習時間を教えてもらい、「その時間に来るだけでもう参加できるよ!」と言われたため、時間通りに行き練習に参加した。周りのブラジル人に聞けば、アカウントや練習時間を知っていると思うので、聞いてみることをおすすめする。 ・ボランティア 私が沢山のボランティアに参加するきっかけとなったのはすべて日本人である。サンパウロには留学生の会というものが存在し、それを取り仕切っている味の素の駐在員さんがきっかけで、日本祭りのボランティアや卓球バレーのボランティアなどをすることができた。留学をすれば、必ず留学生の会の情報が流れてくると思うので、それに参加し、ボランティアに参加したい人は聞いてみると良い。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと 留学生活での学びの多くは、私が行ってきたボランティアの数々によるものだと思う。私は基本的に選ばずにボランティアを行ってきた。よって多種多様な経験をすることができ、自分の新たな一面を知ることもできた。大学生のうちに色々な経験をしておくと、多方面からの考え方や経験が身につくためとても良いと思う。 (9) 留学で達成した最も大きなこと 私が留学で達成した最も大きなことはポルトガル語の能力だと思う。話すことも聞くことも成長した。 これは留学生ほぼみんなが達成するであろうことだと思うため、あえて私は「自分について知った」ということについて述べたい。私は正直なところ、留学するまで自分について知らなかったし知ろうとしていなかった。もちろんある程度は知っていて、何も知らなかったわけではない。私は留学期間中、かなり悩むことがあった。自分の行動について反省したり、自分以外の人によって傷つけられ夜も眠れない日もあった。また、日本にいるときよりも様々な考え方に触れることで、比較対象が増え、自分について考えるようになった。悩むべきことは一度立ち止まってしっかり悩むことで自分について段々と分かってきたように思う。何が得意で、何が不得意なのか、こういったときにこう行動してしまうのが自分で、どうしなければならないのか。などなど、留学生活を行ったからこそ見えてきたのだと私は思う。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 私は留学はあくまでもはじまり、もしくは通過点に過ぎないと思っているため、日本に帰ってからは今以上に言語学習に取り組みたいと思う。日本に帰ったら、必然とポルトガル語に触れる機会は減る。そうした中で私はMULCのチャットタイムを利用する以外にも、空いている時間にはアプリを利用してブラジル人と会話をしたり、ポルトガル語を聞いたりしたい。そうすることによって、今と同じくらいポルトガル語を使用できると思う。またCELPEBRASという試験もあるためその試験に向けても上記の方法を利用して勉強していきたいと思う。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 交換留学であれば国際戦略部の方が案内してくださると思うので、それに従い、期日を守るようにすれば問題ないと思う。またCCINT(USPの留学課)の方に対してのメールも、できるだけ失礼のないように心がける必要がある。しかし相手側はこちらが外国人であるということを知っていて、まだポルトガル語を自由に操ることができないことも知っているため、言語面で心配する必要はない。 (2) ビザ申請 ドルのレートによって預金しなければならない額が異なる。通常100万円預金されていればOKだとされているが、私の時期は135万円以上必要だと指摘された。ビザ申請を行う前に念のため確認しておくとよい。ビザ発行には1週間程度かかった。もちろんこれは時期によって変わるため、1ヶ月かかることもあるそう。 帰りの航空券を購入していないと、授業期間が終わってすぐまでのVISAとなるため、帰りの航空券を購入しておくと、余裕を持った期間のVISAが発行されるかもしれない。 (3) 航空券を予約した方法 私はemiratesが良いと思ったため公式サイトを利用してドバイ経由の航空券を購入した。Skycannerでは航空券の値段を比較できるため、そこを見てみても良いかもしれない。また、航空券は早めに買ったほうが格段に安く購入できる。そして日付変更可能な券を購入しておくと、なにかあった際に手数料無しで変更できたりするため念には念をでそちらを選択しても良いかもしれない。 (4) 渡航したルート エミレーツ航空 成田国際空港→ドバイ国際空港→グアルーリョス空港(サンパウロ) グアルーリョス空港(サンパウロ)→ドバイ国際空港→成田国際空港 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 住居まではiFriends(USPの留学生サポーター)がUberタクシーを呼んでくれ、車に乗って行った。 出願の際にiFriendsをお願いするか否かの欄があるため、お願いしたほうが色々と助けてくれるため良い。出願後しばらくして連絡が来るため、お迎えにこれるかどうかは早めに確認するように。 もし来てもらえない場合、私と同様にUberタクシーを呼び住居へ向かうか、もしくは側にとまっているタクシーの運転手にお願いする事もできる。Uberではなく普通のタクシーであると、値段も高い上に不当に請求される可能性もある。また行き先なども口頭で正確に伝えなければならないため、Uberタクシーを呼ぶことをおすすめする。ただし、グアルーリョス空港のWiFiがうまく機能しないこともあるため、そういった場合は普通のタクシーを利用するか、地下鉄を利用しなければならない。 地下鉄の場合、まず空港からCPTM(電車)までの無料バスに乗る。そしてCPTMのチケット売り場でチケットを購入し、Luzまで乗車。USPの近くに住んでいる場合は黄色い4番の電車に乗り換え(無料)、Butantaまで乗車。そこから徒歩かタクシーで移動。ができる。 しかし時間帯によってはとっても危険で、且つ時間もかかり疲れているので、お金を出してでもタクシーで住居へ向かった方が良い。 (6) 滞在先住居を探した方法 サンパウロ大学の寮はない。そのため自分で探す必要がある。いつ探したか、探し方については私の留学報告書の序盤の月の下の方に詳しくまとめてあるため、それを見てほしい。 簡潔に書くと、私は現地の状況を実際に目で見て把握するために、はじめはAirbnbで1ヶ月住む住居を探した。その後結局のところ忙しくなってしまって、住居が決められず1ヶ月以上滞在を延長した。その時点で4月になってしまい、Facebookのグループで部屋を探していても空きが出た住居はもう埋まってしまっていた。残っているのはあまり良くない大家さんが管理している住居か、ルールがとても厳しい住居、家賃が高い住居、治安の悪い地域の住居であった。私のように現地を見てから決めたい人は、次の住居探しは遅くとも3月には終わらせた方が良い。結局住むことになった部屋はSHARE BUTANTAというUSPの学生だけが住んでいるマンションである。(https://sharesl.com.br/en/unidades/butanta) ・住居探しには、下記のサイトが使える Airbnb (https://www.airbnb.jp/) Facebookのグループ Republicas somente USP Butanta(https://www.facebook.com/groups/859685467477681/) Republicas da USP(https://www.facebook.com/groups/republicasdausp/) (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 私は合計3つの住居に住んだ。 ①Airbnbの物件 住居費用に光熱費などはすべて込み。支払い方法は、アプリでクレジット払いだった。 キッチン、洗濯機は共用。基本的にすべて揃っていた。何があるかは事前にアプリやサイトで確認できる。 ②SHARE BUTANTA 住居費用に光熱費などはすべて込み。支払い方法はクレジットで、毎月メールで支払いのためのリンクが送られてくる。私が住んだ部屋のタイプは1つのアパートを4人でわけるもの。キッチン、お風呂やトイレは共用。個室あり。の部屋だった。この住居も何があるかは事前に把握することができる。洗濯するのには別途でお金がかかる。家賃がすごく高いが、その分施設が整っており、ブラジルでは珍しいエアコン付き、プールやシュハスケイラ、ジム、スタディールームなどがある。ドアマンもいて、顔認証の鍵となっているためセキュリティはバッチリ。 ③Airbnbの物件 住居費用に光熱費などはすべて込み。支払い方法は、アプリでクレジット払いだった。 キッチン、洗濯機は共用。基本的にすべて揃っていた。何があるかは事前にアプリやサイトで確認できる。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) 上記に書いた通り、現地をみてから住む場所を決めても良いが、早めに住居探しをすること。P2、P3のVila indianaという地域に住むのは危ないためできるだけ避けた方が良い。P1の近く、Butantãという地域は比較的安全で、人通りも多いため非常におすすめ。 契約無しで住める物件もあるため、もしその物件が空いているのであればそこをおすすめする。というのも、やはり生活習慣が異なるので、本格的に悩む前に都合よく住居を変えれるからである。また、もしお金があるのであれば、エアコン付きの部屋のほうが良いのかもしれない。理由としては夏は想像以上に暑く、部屋に扇風機を置いていても暑いという話を友人から聞いていたため。しかしエアコンがある部屋は稀で高価である。渡航したばかりのときは余裕もないため、手持ち扇風機を持っていくと部屋で涼めて便利である。ゴキブリはたくさんいるので、ゴキブリ退治の製品を持っていくと役立つかも。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) 支払い方法は主にクレジットを利用していた。ブラジルで使いものにならないものもある。(特にイオンなど) EPOSカードが一番使えて良い。発行にも時間がかからない。 またブラジルではPixというPayPayに似たようなものがある。Pixはそれぞれの銀行口座に付帯しているため、口座さえ開設すれば自由に使用することができる。Pixでの支払いでは、電話番号やCPF、QRコード、URコードが使える。スマホひとつで行えるためとても便利。 ブラジルでの口座開設はNubankが一番簡単で便利だと思う。これはネット銀行で、RNMカードさえあれば最短10分で開設することができる。留学生はほとんどこれを使用していた。Pixも付帯。 Nubankに送金するために、Wisというアプリを使用する。これは国際送金ができるアプリである。手数料もそう高くなく、スマホひとつでできるためとても楽である。Wiseはデビットカードとしても利用することができる。 ブラジルでのキャッシングは、NubankやWiseのカードで行うのが一番良い。クレジットカードでのキャッシングは無駄に手数料がかかる。一方上記2つは手数料がかからない。 Nubankは24時間ATMでのみキャッシングができる。Wiseは基本どこの銀行でもキャッシングができる。 (2) 携帯電話 ブラジルではVIVO、TIM、Claroの3つの会社が有名である。 私はVIVOという会社のSIMカードを服屋さんで購入した。「え?」と思う人もいるかもしれないが、ブラジルではどこでもSIMカードが買える。しかし、できるだけ道端で売っているものは安心できないため買わない方が良い。 私は音声に従って適当に設定していたら、設定が完了していたため、どうやってセッティングするかはブラジル人の友達やiFriendsに聞いたほうが良い。 プランは契約してまとめて支払うもの、使った分だけ支払うもの、使おうと思っている分を事前に支払うものの3種類ある。無駄なく使うために、私は使う分を事前に支払うプラン(pre pago)を選択した。 国際電話について。 現地の電話会社だと高く付くと思い、私はViberというアプリを使ってを電話している。このアプリでは日本相手なら$2.99で100分電話できるため、手続きも楽で安くて時間もたっぷりありちょうどよい。 (3) インターネット キャンパス内のWiFiは基本強いと思う。登録方法は、オリエンテーション後にもらえる資料の中に書いてある。街中では、田舎になればなるほど通じるネット回線が限られていく。基本的に、生活圏内では問題ないと思う。私はVIVO推し。 (4) 医療 私は高熱と肉離れで病院のお世話になった。 留学の際は海外保険に入ると思うので、何かあったら海外保険の方が迅速に対処してくださる。私が行った病院はEnkyoという日系病院で、リベルダージにある。とても近いし、日本語も通じて良い。 海外保険についてや病院について詳しくは私の10月留学報告書に書いてある。 (5) 日本から持っていくべきもの ファブリーズ(サンパウロで見たことがない)、手持ち扇風機、充電器、モバイルバッテリー(高品質なもの)、ムヒ、虫よけ、常備薬(一年間で必要な分全部)、レンジで炊飯できるもの(ちびくろちゃん)は必要だと思う。 日本食や大まかな日本の製品に関しては、高いがサンパウロのリベルダージに沢山売っている。ダイソーもあり、100円ではないが約3倍の値段で日本から輸入されたものが売っている。 もし持っていけるのであれば、日本の水筒を持っていったほうが、保冷保温ができて良い。日本のような高品質なものはブラジルにはない。あったとしてもとても高い。 安全対策として、立派なお財布は持ってきていない。安いお財布を持ってくるようにした。また、クレジットのスキミングなどがあるため、スキミング防止のケースに入れて持ち運んでいる。そして服の中に隠すことのできるセキュリティポーチも持ってきた。クレジットやお金などはここに隠して持ち歩いていた。 その他詳しくは私の留学報告書の各月の下の方にまとめてあるが、日本に関するものなどは思ったよりもサンパウロになんでもあるため安心して良い。 (6) 治安状況 ブラジル、サンパウロなので基本治安は悪い。しかし生活していけば徐々に自然に危機管理ができるようになる。そのため、意外と暮らしてみれば、想像しているよりも過ごしやすいかもしれない。 強盗、スリが特に多い。その情報については大使館や領事館からのメールで確認していた。対策としてはよく流れてくる危ない地域に行かないこと、なるべく暗い時間に一人で歩かないこと、速歩きすること、都度後ろや周りをみることである。夜中に移動しなければならないときは、Uberタクシーを利用するべき。 LuzやSé、Republicaという地域で1人で絶対に歩かないように。 初めての場所やちょっと心配だなと思ったときは、荷物は最小限にし、服の下に隠せるセキュリティーポーチを利用した。また現金は分散させて持ち歩いていた。 (7) 食事 大学がある日以外の食事は基本自炊をしていた。日本の調味料がリベルダージで買えるため、そこで購入して揃えた。大学の学食はとても安いため、できる限り学食で食べたほうが安上がりになる。朝は50センターボス(15円ほど)、昼と夜は2レアル(60円ほど)で食べることができる。支払いはデジタル学生証に現金またはpixでチャージし、それを入り口でスキャンすると学食を使うことができる。 外食は基本的に1000円は超えると思って良い。SUKIYA(すき家)は色々な箇所にあり、その他日本食もパウリスタ通り付近やリベルダージで食べることができる。相場は1000円から3500円ほど。 (8) 情報の入手 プライベートに関しては、インターネットでブログなどを書いている方がいるため、それを見るとかなり参考になる。もしくはインスタグラム、Facebookなど。大学に関してはWhatsAppグループやEmail。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 挨拶、お礼は必ずすること。日本のように気を使ったりしないことが多いため、言ってはいけない冗談を普通に言うため戸惑うかもしれないが、それが文化でありブラジル人にとっては普通。基本的に感情は表にでていてわかりやすいため、店員さんの機嫌が悪そうでもあまり気にしないこと。日本のように察してはくれないので、言いたいことははっきりと言うべき。Noと言ってもなにか文句を言われることはないので、ダメなときはダメとはっきり言うこと。街なかを歩いていると「韓国人!」や「中国人!」など違った国籍を叫ばれることもあるが、それは日常茶飯事であるためできるだけ気にしないこと。バスはボタンを押さないと停車しない。バスを捕まえるときは、バスが近づいてきたと思ったら指を出さないと止まらない。運転は基本荒いので手すりか何かに捕まること。電車は基本たくさん来る。交通機関は時刻通りに来ないと思って良い。渡るときは安全を確認して信号を無視する。赤で車が通っていないのに待っている人はほぼ0。雨がふると停電がよく起こる。冷蔵庫が共用の場合、勝手に食べられることがある。ブラジル人は掃除が苦手な人が多い。そのためこれは文化の違いだと、妥協することが大事。荷物は肌見離さず持ち歩く。トイレットペーパーは流れないため、ゴミ箱に捨てること。サッカー関連の話をしていて、どこのチームが好き?と聞かれた時は本当にこだわりがない限り「よくわからない」と答えるか、「サンパウロFC」と答えると無難である。チームのサポーター同士は基本敵対しているため「コリンチャンス」や「パウメーラス」などと答えると、嫌がられることがしばしば。反対に相手の好きなチームを答えると一気に距離が縮まるため良いかもしれない。 【進路について】 (1) 留学終了後の進路 在外公館派遣員(ブラジルに限る)に申し込み、試験を受け、ブラジルの枠に受かることができればそのまま派遣員を行う。受からなければ日本で就職をする予定。最終目的はポルトガル語の通訳に関わる仕事に就くことだが、まずはその前にポルトガル語に関わる仕事、もしくはブラジル赴任がありえる会社に就職したいと考えている。 (2) 現地での就職活動や進学準備 就職説明会や、オンライン企業紹介などには参加していたが、時間帯や忙しさもありその他は何も行えなかった。その代わりに留学中は、ボランティア活動を行ったり、現地で人脈を広げたりした。駐在員の方にお話を聞いたり、質問をすることでほんのすこしだけでも準備はできたと思う。就活の95%は日本に帰ってから行う予定。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 私の将来の夢は、今回の留学経験が直結するものである。とくに留学で培ったポルトガル語の技能は私の進路に大いに役立つため、日本でも維持または成長させければならない。また留学中にはブラジル人の性格について知ることができ、色々な考え方に触れることができた。これは通訳の仕事ひとつひとつの正確さに大いに役立つと思う。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 留学をすると決めただけで、今後の可能性が充分に広がったと思います。日本ではできなかったことを経験する大きなチャンスになるはずです。留学をするにあたり、私はまずお金を貯めるためにアルバイトをたくさんしました。留学先で自由に行動するためにはお金がかかります。できる範囲で、学業に支障がない範囲でバイト頑張ってください。また、どの国に行くにしても、その言語+英語を話す練習をできるだけしておいたほうが良いです。KUISにはSALCやMULCでネイティブの方とお話できる機会が充分にあるため、存分に利用しましょう。現地の方よりも私達のことを理解し、考えてくれるため、安心して練習することができます。 留学を迷っている方は、もし留学できるだけのお金がありそうで、健康上も問題ないのであれば絶対に留学するべきだと私は胸を張って言えます。留学は言語能力を成長させるだけでなく、自分自身を成長させてくれるものだと私は思っています。もしかしたら将来の夢が変わる、見つかるかもしれません。もし、留学生活で言語能力があまり成長できなかったとしても、海外で生活することは難しいことなので、確実に自分自身の何かは成長するはずです。ただその言語を学んでいるだけの人と、言語を学んだ上で留学している人では異なると思うので、チャンスが有るのであればぜひ留学してほしいです。特に、ブラジル留学に関しては「ブラジルは治安が悪いから…」など考え、諦める人もいると思います。実際に、留学に来ていた日本人の中では、過ごしてみるまでは本当に不安だったと言っている人もいましたが、「過ごして慣れてみたら意外と大丈夫だった。」と皆言っていました。サンパウロは治安が悪い方ですが、都会で観光地にも近く、日本食が手に入りやすいです。加えて、日本人駐在員さんが多いため、お話しして人脈を広げることも可能です。私はサンパウロ(大学)を非常におすすめします。もちろんサンパウロでなくとも他に協定校はあり、そこは比較的安全とされているので、ぜひブラジルに留学してみてください。勇気を出して留学してみれば、絶対にいい経験になるはずです。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
留学成果報告書12月分
ブラジル留学終了 まとめ
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1960年 ・学生数 毎年受け入れ人数は4600人 ・設置学部 20以上の学部93コースの総合大学※ただし、インターナショナルな学問(国際関係など)に特化した学部はない。 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) 留学生は基本的に全ての学部、コースの授業を受けることができる。 私が取った授業の学部は、Letras(文学部・外国語学部)、História(歴史学部) Ciência da Religião(宗教科学) (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など ⇒基本的に全ての授業が履修可能 (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 -大学の雰囲気- もちろん人にもよるが、大学内の生徒を初め、教員、職員のみなんさんは、親切な方が多く、初めの頃は、沢山の人に助けられた。個人的な印象だと、Letras(文学部・外国語学部)の学生は特に、気さくな人が多い印象を受けた。 -留学生、日本人留学生の割合- UFJFは様々な国と交流のある大学で、ほとんど全ての地域から留学生が来ており、一学期目に到着した留学生は40人ほどだった。現在、日本の大学で協定があるのは神田のみらしく、今期の日本人留学生は私のみだった。 (5) 課題や試験 (KUISとの違いや負担の大きさなど) これに関しては本当に授業によりけりである。Letras(文学部・外国語学部)は、言語系の授業は比較的、難易度が低く、やはり講義系に関しては、授業理解や課題をこなすために、配布された資料を読む必要があったりなどと、負担は大きかった。História(歴史学部) 、Ciência da Religião(宗教科学)の授業は全て講義系だったので、資料読解にはかなり苦戦した。 課題や試験に関しては、全ての課題・試験を現地の学生と同じようにさせてもらった。一学期の頃は、筆記試験で辞書の使用を許可してもらったりなど、特別な処置をしてもらうこともあったが、基本的には留学生だからという理由で特別扱いは受けなかった。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか 留学生の相談窓口としては、DRIという神田の国際戦略部にあたる部署がある。担当の方の一人には、神田の元留学生で、日本語も堪能な方がおり、とても心強い。対面でも、メールでも気軽に相談することができる。 (7) オリエンテーション 一学期の初めに一度オリエンテーションがあり、その際、学生証の発行や、校内ツアーなどを行った。 (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) 履修は渡航後、授業開始から2週間のお試し期間が設けられ、その間に最終的に履修する科目を決定する。 留学生の履修登録は現地の学生とは異なり、DRIが管理するため、履修したい科目が決まりしだい、EメールでDRIに履修希望科目を提出する。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 一番の理由は、自身の専攻であるブラジルについて、実際に現地に赴いて、知りたいと思ったからである。もちろん、ポルトガル語をより良くするためであったが、ブラジルについて、大学で学びながら、一度もブラジルに行ったことがないというのは、自分の中で説得力が足りないと思い、留学を決めた。 (2) 留学先を選んだ理由 ジュイス・ジ・フォーラを選んだ一番の理由は、治安である。私にとっては、海外で暮らすのは初めてのことであり、治安が一番の心配の種であったため、なるべく治安の良い土地を選ぶことにし、その結果、比較的治安もよく、住みやすいという理由でジュイス・ジ・フォーラに決めた。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) -留学のためにした準備- 普段の授業を真面目に受けることと、マルクのチャットタイム、留学生との交流、勉強会、弁論大会など、大学内で活用できるもの、最大限活用するようにしていた。 -しておけばよかった準備- ポルトガル語の読み物をもっと読んで、沢山の量を読むということに慣れとけば、もう少し留学生活が楽だったと感じる。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) 特にした準備はないが、実家で普段から基本的な家事をしていたのは役に立ったと感じている。 (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) 神田に留学に来ていた、UFJFの学生と留学前から仲良くなり、渡航後も彼らとよく遊ぶようになり、そこから、彼らの友達ともよく遊ぶようになり、交友関係が広がった。 ジュイス市内を案内してもらったり、行け付けのお店に連れて行ってもらったした。長期休みには、ブラジル内を一緒に旅行した。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと 想像はしていたものの、第一に言語の壁が厚く、本当に何もわからないときは、少し落ち込んだりもしたが、それでも、友達や周りにサポートされながら、全ての授業を乗り越えることができた。この経験から、わからない、困難なことも最後まで、どうにかしながら、やり方を見つけて、成し遂げることを学んだ。 (7) 授業外で参加した活動 時々、DRIで学生主体の留学生向けイベントが行われていたので、いくつかに参加した。私が参加したのは、サンバとパゴッチというどちらもブラジルの伝統的なダンスの初心者向けクラスである。一日のみの、体験ではあったが、ブラジルの文化を体験でき、また他の留学生とも交流することができた。 注意:イベントは不定期で行われ、決まった内容が毎年あるわけではない。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと 約一年間の留学生活を通して学んだことは、適応力だと思う。その場所での暮らし方を学び、新しい交友関係を築き、多くの人に助けてもらいながら、その土地に適応し、生活するという能力が、今回の留学を通して、得られた大きな収穫の一つとなった。 (9) 留学で達成した最も大きなこと やはり、留学を通して一番の成長を感じたのは、語学能力である。知り合いからも、留学が始まった頃に比べて、圧倒時に私の語学力は上がっていると、言ってもらうことができ、また自分自身でもその成長を日々感じていた。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 特に継続していきたいのは、読解と筆記の2つである。留学生活の中で、沢山の資料を読む機会があり、また読んだ内容について自身の意見を文面で表現する作業も多くあった。そして読解と筆記はただ、読む力と書く力を助けるだけでなく、語彙や表現方法を増やし、会話力も向上させることに、改めて気付かされた。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 出願方法は派遣先から送られてくるGoogleフォームで行う。気をつけるべき点は特にないが、かなり量があるので、記入漏れをしないように。 (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) ビザ申請から発行までは1周間から2週間程度でそこまで時間はかからないが、ビザ申請には、航空券、旅券、派遣先からの入学許可書など、様々な資料が必要なので、それらの資料を留学決定後は速やかに行うように。 (3) 航空券を予約した方法 (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) 航空券にはエミレーツ航空を利用し、代理店は使用せず、直接航空のサイトにて購入した。 注意すべきは、航空券は出発日が近くなるに連れ、価格が高くなるので、入国日が決まり次第、速やかに買うことをおすすめする。 (4) 渡航したルート 成田空港⇒ドバイ国際空港⇒アントニオ・カルロス・ジョビン国際(リオ・デ・ジャネイロ) (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) 残念ながら、出迎えのサービスはない。一応Buddyという、現地の学生が留学生を助けてくれるという制度があり、個人的に頼めば来てくれるかもしれないが、あまり期待はできない。 -移動方法- リオの空港に到着の場合、住居までの移動方法は、まず空港からuberでバスステーションまで移動し、その後、ジュイス・ジ・フォーラまでのバスに乗る。ジュイスに到着後は、再びuberで住居まで移動する。 (6) 滞在先住居を探した方法 大学に留学生寮はないが、一応、住居探しを手伝ってくれる制度があり、出願時のGoogleフォームに申請希望の欄がある。入国前から住居探し申請を行えば、いくつか候補のリストが送られてくる。しかし、確実にそららの住居に住める保証はなく、私が使用した際は入居を断られてしまった。 私の住居先は、神田に来ていた留学生に紹介してもらい、そこの大家さんと直接SNSでやり取りしながら、入国前の2ヶ月前には契約し、場所取りのために、家賃も払い始めていた。 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 費用の支払い方法はpixという現地の送金システムで行う。Republicaという学生専用のシャア-ハウスで、キッチン、浴室、洗濯機は共有、6つの個室があり、個室は一人部屋である。個室にはベット、クローゼット、勉強机・椅子がそれぞれ備え付けである。食器類や日用品は全て各自が用意し、基本的シャアすることはなかった。メンテナンスは月に数回の共有部分の清掃、家で何か問題が発生したときは、大家さんに伝えれば、対応してくれる。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) 住居での生活において、シャア-ハウスのように同居人がいる場合、適度なコミュニケーションが大事であると思う。執拗に仲良くする必要もないが、何かあったときに知らせたり、トラブルを起こさないためにも、適度にコミュニケーションを日常から取ることは大切である。 基本的な生活用品でこちらで買えないものはないので、特別、持っていった方がいいものはないと思う。ただブラジルではエアコンのある住居はメジャーではなく、日中や夏場が暑いのは、もちろんだが、以外にも日が暮れてから、また冬は思っていたより寒かったので、暖かくできる服装を持っていくことをおすすめする。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) -支払い方法- ほとんど全ての場所でカード払いができる。現金が必要な場面は、大学の学食の支払いと、バスの乗車賃くらいだった。また、現地での銀行口座を開けば、pixというコード決算ができる。pixは近年、流通が進み、こちらもほとんど全ての場所で使用できる。 -送金- 私は到着後すぐ、現地の銀行口座を開設し、日本の口座からブラジルでが口座に、wiseという外貨交換のアプリを通して、送金を行っていた。 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) 携帯電話は日本から持ってきた物を使用し、現地でSIMカードを購入した。SIMカードはドラックストアなどでも手に入る。しかし、私が実際に、一度購入した際はうまく機能せず、結局、携帯ショップで再度購入し、そこでキャリアの契約も行った。 (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) 住居内のWi-Fiは常に安定して快適だった。学内は、各建物もごとにWi-Fiがあるのだが、少し不安定だった。街中では、カフェやレストランにはWi-Fiがあるところが多く、店内にWi-Fiの記載がない場合も、だいたいお店の人に尋ねれば、暗証番号を教えてくれる。 (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) 今回の留学で実際に医療機関にかかることはなかった。ブラジルはSUSという無料の医療機関があり、誰でも使用できる。しかし、待ち時間が長いこと、質が疑問視されるなど、一概におすすめはできない。基本的には海外保険に入ることが義務づけられているはずなので、医療機関を使用する際は、保険対象内ならば、保険を利用し、私立の医療機関にかかることをおすすめする。 (5) 日本から持っていくべきもの -冬服-  以外かもしれないが、冬服を何着か持っていくことをお勧めする。ジュイスは標高が少しあり、冬は冷える、特に日が暮れた後は、さらに寒くなるので、冬用の上着も一枚あるとよいかもしれない。 -折り畳み傘-  ジュイスは頻繁に雨が降りだすので、常に折り畳み傘を携帯していた。 -パソコン、iPad-  大学内に、神田にあるようなパソコン室はないので、文章を書くときパソコンを使いたい方は、ノートパソコンを持っていった方がいいと思う。また、授業内で扱う資料や、教科書が、PDFで配布されることが多いため、iPadを携帯しておくと、便利である。 (6) 治安状況  ジュイスはブラジルの中でも比較的、治安がよい方ではある。しかし、夜中むやみに一人で出歩くなどといった行為は危険なであり、油断は禁物である。実際の脅威としては、強盗や強姦また、違法薬物ではあるが、大麻かなり流通している。行っていた対策としては、夜間の一人行動はしないこと、夜10時以降のバス利用はせず、代わりにuberを利用するようにする。怪しげな人に遭遇したら、極力目を合わせずに、速やかに距離をとり、その場から去るなど。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか)  毎日の食事は主に、学食で昼と夜の2回をすませていた。1食1.40レアルで日本円にして30円前後とかなりお手頃である。市内のレストランはランチタイムの多くは、量り売り式でセルフサービスが多く、価格はまちまちだが、15~40レアルである。夜になると、レストランなどのご飯やさんは閉まってしまい、飲み屋や、ハンバーガー、ホットドッグ、ピザといった、ファーストフード店が目立つ。 (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか)  ジュイスは日本でそこまで知られている街ではないので、ポルトガル語でのネット検索や、SNSが有効である。また、神田にジュイスからの留学生が来ておれば、彼らに色々尋ねてみるのが、一番の情報となるだろう。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点  挨拶に関しては、人にもよるが、握手やハグ、頬をくっつけリップ音を出したりなど、日本と比べ、圧倒的にスキンシップ多めである。  個人的に困惑した文化の違いは、冗談をよく言うことである。これももちろん個人差はあるが、親しい関係または、親しくなりたい時に、ブラジル人はよく冗談を言う。最初の頃は、語学力が低いのと合間って、冗談が冗談であることがわからず、よく困惑した。 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) 神田で四年生となる最後の学生生活を過ごす。卒業後の進路は未定。 (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) 一度だけ、オンライの就活アドバイスサービスを利用し、その際、就活は留学終了、帰国後に行うことに決めた。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか  卒業後、留学で得た知識経験を直接いかすような、通訳や外交系などの道に進むかは未定ではあるが、少なくとも今回の経験を通して学んだ、適応能力や語学能力、ブラジルについての知識を自分の強みとして、就活にいかそうと考えている。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】  出発前の準備は、留学が決定したら直ぐに始めた方がいい。特に、ビザ、旅券、航空券は早め早めに用意すること。これらが揃わないことには、留学が始まらないし、また航空券は出発日が近づくにつれ、高くなるので、本当に早く買った方がいい。  いざ、留学がスタートしてからは、自身の想像と異なる環境や状況に戸惑い、落胆することは良くあるこ。なので、個人的には、全てのことに過剰に期待したり、勝手に想像を膨らませない方がいいと思う。ネガティブに聞こえるかもしれないが、留学生活を楽しむ上で、この心持ちは意外と大事である。また、何か不運に見舞われたときも、ある程度は、仕方ない精神で受け流し、引きずり過ぎないほうが、気持ち的にも楽である。しかし、同時に本当に不満に思うことがあるなら、それを解決するために、行動することも、大切なことである。  初めてことで苦労することもあると思うが、最終的には全て自身を成長させる経験となるので、ぜひ留学に挑戦してみてほしい。
月次報告書12月分
経験し、考えること
 今月は最後の試験や課題、授業があった。また多くのボランティアも行ったため、慌ただしい1ヶ月となった。今月で留学11ヶ月目。締めくくりの月である。11年前、両親と一緒に住んだブラジル。今回は留学生として再度訪れ、子供の時と今では、ブラジルの見え方も自分に対するブラジル人の接し方も全く異なっていた。幼少期の記憶で、自分の中で勝手に作り上げられていたブラジルとのギャップに悩んだこともあった。考える事が増えた分、苦しむことももちろん多く、この留学生活を楽しかった‼とは言えない。しかしそれでも充実していたと胸を張って言える。留学生活の間、私が受けたい授業を受けるのは当たり前として、私はできるだけ色々な体験をできるようにと心がけてきた。そのおかげで沢山の人と出会い、色々な考えに触れ、且つ自分についても良い部分だけでなく悪い部分をよく知ることができた。特に「色々な考えに触れる」という部分は私が留学中に掲げていた目標のうちの1つで、それをできたことは自分の将来にとってすごく価値のあることだと思う。私にとって留学はあくまでも通過点、もしくは始まりに過ぎないので、日本に帰ってからより一層頑張ろうと思うし、頑張れると思う。 [気候]  12月になると気候は完全に夏になった。朝から夜にかけて基本的に長袖で生活できる。日中は湿気がないといえど日差しが強く、とても暑い。基本的には30℃を超える。日焼け止めを塗っていても日焼けをするくらい。12月からは午後に大雨(通り雨)が降る季節も始まる。かなりの大雨なので、傘は持ち歩くようにした方が良い。 [生活] ・サッカー観戦 なでしこジャパンVSブラジル代表  12月上旬には、女子サッカー日本対ブラジルの試合があった。隣の駅付近にあるスタジアムで行われたうえに、チケット代はたったのR$20!そのため行かない意外の選択肢はなかった。スタジアムについてみると、応援席には予想以上に日本人がたくさんいた。もちろん日本からはるばる来ている人もいるだろうが、親子連れが多く、ほとんどは駐在員の方々だと思われた。私は改めてサンパウロの日本人の多さを感じた。日本人たちとブラジルで、日本の応援をすることは自然と団結感が生まれ、シュートが決まったときに一緒に喜んだり、外れたときには惜しかったねと言ったりするのはなんだか不思議で楽しかった。ブラジル側の応援の声量はとても大きく、一方日本は少しおとなしめで、それもなんだか日本らしいなと思った。  試合の動きは激しかったが、見事日本が2対0で勝利した。試合が終わったあと、日本チームは各方面へお辞儀をしていた。ブラジル対アルゼンチンのサッカーの試合を観ていたため、てっきりブラジルサポーターからブーイングが飛ぶと思っていた。しかし全くその逆で、大きな歓声が湧いていた。もちろん本格的な試合ではないということも関係あると思うが、それでもやはりブラジルは親日国なのだと感じた。その後監督は私達のほうまで走ってきて、「ありがとうございました!」と伝えに来てくれた。その後もちろんまたブラジルサポーターの方にもしっかりとお辞儀をしていた。しっかりと「礼儀正しくお礼を伝える」という日本(だけではないが)の代表的な文化は素晴らしいなと思った。  ちなみに私はこの日、激暑だったにも関わらず日焼け止めを塗っていなかったため、日にあたった部分は真っ赤になり、後日真っ黒になった。そして人生で初めて皮が剥けた。やはりブラジルに注がれる日光を侮ってはいけないなと、それがその日一番の学びだった。 ・私が今月行った5つのボランティア ①留学生の会  12月にやっと、今まで準備していた留学生の会が行われた。これはブラジルに駐在員としている社会人のかたと、ブラジルの留学生が集まる会である。実際ブラジル留学を経験している社会人のかたもいて、就活や今後について、なにか質問したりすることをメインとしている。コロナ以降初めての開催で、既に10回開催されている。中には数年前に留学生の会に留学生として参加していた社会人の方もいた。 私と先輩2人は中心となって会の運営をしていて、ディスカッショングループを決めたり、どのように会を進めるかなど数カ月に渡って考えてきた。  当日社会人の方9人、留学生13人程が集まった。それぞれ大学も仕事先も異なる中で、様々なお話を聞くことができた。就職活動に遅れを取っている私達にとって、この機会はとてもありがたく、実際に同じ時期を過ごした先輩方からお話を聞けるのは貴重だった。  会は無事終了して、社会人の方と連絡先を交換できた方たちもおり、多少うまく行かない部分はあったが充実した1日になったと私は思う。以前も述べたが、サンパウロの良いところは、日本人駐在員の方がたくさんいて、そういった方と繋がりやすいことだと思う。日本ではこんなにたくさんの社会人の方と近い距離でお話できる機会はそんなにないと思う。そしてこのような会があることで、皆の就職活動のスピードに追いつけていないという不安を少しでも払拭できるのではと思う。 ②卓球バレー通訳  卓球バレーの通訳ボランティアも今月ついに本番だった。当初は11月上旬に日本から卓球バレー連盟会長が訪れる予定だったが、時期がずれ、12月になった。その影響で私は最終課題やテストの期間と被ってしまい、授業を受けていない先輩に任せることになり。結果的にはそこまでお手伝いすることができなかった。  基本的に行った内容は、会場までの付き添い、通訳(会話通訳や講演内容の通訳)である。私は授業との兼ね合いもあるため、授業が終わったあとに会場へ向かったり、講演が終わったあとに大学へと向かったりした。訪問したのは、知的障害を持った方たちの施設、視覚障害を持った方たちの施設、またスポーツ系の大学である。私はそのうちの1つで講演の通訳を経験させてもらえた。会長さんが障害者スポーツや卓球バレーについて日本語で説明していくのを、ポルトガル語で同時通訳するというものだった。私は厳しい状況になる、ということを予めわかってはいたが、結果的にそれ以上にダメダメな通訳となった。公演の途中、次第に日本語もポルトガル語も話せる卓球バレーのスタッフの方が私に先立って通訳をするようになり、私は結局、私よりもポルトガル語を話せる先輩と途中で交代することになった。講演の同時通訳は私にとって初めてでとても緊張した。しかしそれが理由にならないほど、ひどく、自分のポルトガル語能力のなさに絶望した。かつ今まで先輩と同じ約1年間ほどブラジルで過ごしてきたにも関わらず、私の能力は先輩よりも遥かに下だ。と比較してしまい、とても落ち込んでしまった。私はポルトガル語関係の仕事に就きたいと考えていたため、本当に大丈夫なのか、本当に成長できるのか、と深く深く考えこみ、一時期は本当に夢を諦めてしまおうかと思った。両親に相談し、「人はそうやって成長していくんだよ」と私が知っていたようでしっかりと分かっていなかったことを言われ、「だめだったけど、失敗したのが今で良かった」とそう思うことができた。  卓球バレーの普及活動最終日、講演で失敗してしまった私は申し訳のない気持ちで会場へと向かったが、会長さんは「大丈夫だよ、経験だよ」と私に言ってくださった。  卓球バレーを体験している障害を持っている方たちや持っていない方たちすべての方が、負けても勝っても笑顔で楽しそうにプレーをしていた。障害の有無に関わらず皆平等にプレーできるスポーツは本当に素晴らしいなと、そう感じた。そして実際にそういったスポーツの普及活動に関わらせてもらえたことをとても嬉しく思う。今回のボランティアのために、本当だったら訪れることのなかっただろう障害者施設に訪れたり、様々な人と関わることができ、私の名前を呼んでもらえ、本当に貴重な機会になったと思う。そして何より、わざわざ私達にこの仕事を任せていただけたこと、ここで失敗をさせてもらえたことに感謝したい。 ③岩手県人会おもちつきのお手伝い  岩手県人会の方には、7月の日本祭りでもボランティアとしてお世話になっていた。岩手県人会では毎年12月にお餅つきを行い、大量のお餅を販売用に作る。餅米を炊き、杵でつき、丸めて梱包するという作業を全部手作業で行なっていた。私はお餅に触れられるだけでも幸せだったが、作業時間は思ったよりも長く、朝の9時から夜の9時まで行われていた。私は用事があったため夕方で抜けさせてもらったが、それまでの間永遠にお餅を丸めていた。その間は日系人の方とお話をしたりしていた。県人会の方達は、日本人の方もいるが、ほとんどが日系人の方のよう。30人ほどの人たちがお手伝いに訪れていて、県人会はすごいなと思った。お餅をいただくことができなかったが、購入することができた。やはりつきたてのお餅はとても美味しく、やっぱりお餅はいいなと、日本でまた食べたいなと思った。 ④栗農家さんのお手伝い  Atibaiaの栗農家さんのお手伝いはこれで3回目となる。お手伝いの前に、最後だからとPedra Grandeに連れて行ってもらった。おっきな岩で作られた景色のいい観光名所なので、本当だと車で上まで登ることができる。が、天候などで随時道の形状が変わってしまうようで、今回は土でタイヤがうまく回らず途中から徒歩で頂上まで登った。坂はとてもきつかったが、頂上に着くと、Atibaia一帯の景気が見渡せてとても綺麗で爽やかだった。頂上では農家さんが作ってくれたおにぎりを食べ、リラックスした時間を過ごした。 その時間とは裏腹に、その後は次の日に行われる、駐在員の方向けの栗拾い体験会の準備を慌ただしく行った。大量のお肉を切ったり、お食事を食べてもらう場所の大掃除をしたりした。その日の夜はすき焼きをご馳走していただけて、幸せな気分だった。  体験会当日、約11組の駐在員の方ご家族が訪れた。なかには以前運動会でご一緒させていただいたご家族もおり、偶然の再会をした。体験会ではまず初めに朝ごはんの栗ご飯を提供し、その後栗拾い、野菜の収穫、お昼ご飯の焼肉、デザート、焼き栗の試食を行った。とても忙しい1日でほとんど動きっぱなしだった。日本で行っていたバイトのようなことを行なった。ブラジルで薄切りの和牛を食べれるのは本当に貴重で、栗拾いもでき、かつここの栗はブラジルのものとは異なり艶があるため、参加している親御さんやお子さんはすごく嬉しそうだった。私栗拾いの際、サポートとして一緒についていった。サポートをしながらも初めて栗拾いをすることもでき、栗愛好家の私にとって幸せな時間だった。  皆さんを見送った後、大量のお皿洗や片づけをし、サンパウロへと戻った。おそらく最後のお手伝いだが、とても良い経験だったと思う。 ⑤スポーツ合宿スタッフ  2泊3日の泊まり込みで、日本人の小学生のお子さん向けのスポーツ合宿のお手伝いをした。10月の報告書で述べた通り、この合宿を行なっているのは日本人元プロサッカー選手の方である。普段はブラジルとメキシコで、日本人駐在員のお子さんを対象にスポーツアカデミーを行なっている。合宿はSKA Brasilというサッカーチームの本拠地で行われた。このクラブチームには中学生の頃にブラジルに渡ってきた最年少日本人男性が4年間所属している。  今回私が行う内容は、まず第一に小学生への指示、コーチのサポート、コーチよりも近い距離でいることのできるお姉さんになること、そして90分の陸上指導である。ボランティアは、保護者の方に挨拶をし、ミニバスに小学生を乗せるところから始まった。小学生は本当に元気で、バスの中でもたくさん騒いでいた。1時間ほどで現地に到着し、それからスポーツの授業が始まった。鬼ごっこをしたり、サッカーをしたりと、暑いのにも関わらずたくさん運動していた。お昼ご飯は選手と同じ食堂で食べた。低学年だとまだ身長が高くないため、おかずを取るのをサポートしたりしていた。その後また屋外でスポーツをした後、おやつタイムがあり、そしてまたスポーツをした。夕食も同じ食堂で食べ、その後は就寝まで自由時間となった。その間、私たちは小学生たちが頼んできたことに答えたり、皆の分の水筒を洗ったりと色々な作業をした。夜中には各部屋の見回りをしたりなど、修学旅行の引率の先生の気分だった。  2日目の活動開始時間は6:30で、小学生とはいえさすが合宿という感じだった。もちろん私は早めに起きて、小学生を起こしに行ったりしなければならなかった。朝の散歩を終え、朝食をとり、その後大体は同じような活動を行った。2日目には私の陸上の授業もあった。私は大人数、しかも小さい子供に何かを教えるのは初めてで、数週間前からとても緊張していた。そして、全てが全て走ることに興味がある子ではないため、やはり教えるのはとても難しかった。教えた内容としては、スタートダッシュの仕方や基本動作、走り方などである。もちろん真剣に練習しようとする子はいたが、やはり小学生なのですぐに飽きてしまう子もいた。また小学生にわかるように説明するのも本当に難しいなと感じた時間だった。陸上を教えている父やコーチをとても尊敬する。その後はプールに一緒に入ったり、工作のお手伝いをしたりした。握力がまだなく、ハサミでダンボールを切れない子もいて、可愛いなと思った。夜には私も一緒にレクリエーションを行ったりした。  日光に当たりながら、小学生に注意を向けながらの慣れない活動で、私は2日目でもうすでに体力に余裕がなくなっていた。しかしながら小学生は2日目でもまだ元気で、本当に回復が早く、歳をとるとはこういうことなのかと深く感じた。  3日目もほとんど同じようなことを行なったが、合宿の最後には、初めに書いた日本人若手選手のサッカーの試合で小学生たちがエスコートキッズをし、観戦するためにスタジアムに行くことになっていた。そのため時間はあまりなく、慌ただしい1日になった。小学生を急かさなければならない状況で、ごめんねと思いながらもなんとか時間に間に合わせた。  試合会場では、小学生に注意を向けながらも、試合観戦をすることができた。日本人選手は、サッカーのことに詳しくない私でもわかるほどパスやドリブルが上手で格好良かった。彼はポルトガル語の発音も上手で、流暢に話せる。中学生の頃からブラジルに来て、周りに日本人がいない中1人で頑張っていると考えると本当にすごいなと思った。合宿中にたくさんお話しできる機会があり、周りに同年代の友達がいないため寂しく、私たちに会えて嬉しいと話していた。試合は大きく得点差をつけSKAが勝利した。  試合が終わった後、小学生たちをバスに乗せ、ご飯を配ったりし、サンパウロへと帰った。帰りのバスも小学生はとても元気で、へとへとになった私とは正反対だった。これが若さというものなのかと。そして無事到着し、親御さんの元へと帰った。  この2泊3日の合宿サポートは、今までのボランティアの中で一番というほど色々考え、動き、疲れた。陸上を教えたり、小学生を導いたりなどたくさんの初めての体験をさせてもらえてすごく良かったと思う。  コーチは好きなことを仕事にした方ではあるが、それでももちろん大変そうだった。親御さんのクレーム対策で色々なことを考え事前対策したり、子供達に対してどうすべきなのか、怒るべきところは怒る、甘くするところは甘くするという判断を適切に行っていた。これも慣れといえばそうだが、できない人はやはりできないので、そういった姿を見て私は勉強になる部分があった。子供達の中には日本人学校に通っている子もいて、私がブラジルにいた時(12年前)と同じ境遇の子達をサポート、指導するという不思議な体験をできたボランティアだった。 ・お見送り、お別れ  私より早く帰る留学生友達のお見送りがあった。また1年留学組の1人も日本に帰国し、日本で会えるとはいえ悩みを共有し一緒に過ごしてきた人をお見送りするのはやはり寂しかった。  また空港に到着した日から今までお世話になっていたiFriendsの友達とも最後の食事をした。彼は私に「成長したね」と言ってくれ、とても嬉しかった。 ・美術館、博物館など ①アフロブラジル博物館  イビラプエラ公園にはアフロブラジル博物館がある。これはブラジルのアフリカ系移民に関する展示が行われている場所で、持ち込まれた文化や黒人奴隷についてなどを知る、見ることができる。水曜日は無料で入ることができ、現地の学生証があれば7.5レアル(約220円)で入ることができるのでおすすめ。 ②MASP(サンパウロ美術館)  MASPはブラジルで初めての近代的な美術館。パウリスタ通りの真ん中にある。様々な国の作品が集まる。 火曜日は無料で入ることができ、その他の曜日は学生は半額の30レアルで入ることができる。とはいえ少々お高めなので無料の日に入ることをお勧めする。私が行った時は冷房がとてもきいていてむしろ寒すぎるくらいだった。もしかしたら長袖を持って行った方が落ち着いて見れるかもしれない。 ③日本移民資料館  リベルダージには日本移民資料館がある。この資料館には名前の通りブラジルに渡ってきた日本移民についての展示がたくさんある。昔ブラジルに渡ってきた日本人の名前を検索できる機械もある。展示には日本語と英語、ポルトガル語の説明が書いてあるため、留学序盤でも十分に楽しむことができると思う。水曜日は無料で、その他の曜日は学生は8レアル(約240円)で入ることができる。 ・クリスマス  クリスマスは、日本人のように恋人と過ごすのではなく、ブラジル人は家族と過ごすのが一般的。そのため多くの人が地元に帰っていて、私のブラジル人の友達たちも地元へ帰ってしまっていた。私が住んでいる住居もほとんどブラジル人がおらず、スカスカだった。クリスマスイブとクリスマスは日本人留学生と過ごすことになった。イブは友人と自炊料理を持ち寄り屋上でゆっくりご飯を食べた。25日になると同時に、あちこちで花火が上がっているのが見え、屋上で食べてよかったなと思った。  クリスマスは、友人のお家で食べ物を持ち寄り、みんなで集まる予定だったが、スーパーなどほとんどのお店はどこに行っても閉まっており、空いているのは薬局だけだった。唯一開いていたピザ屋さんのピザをRappiで頼み、みんなで食べた。クリスマスソングを流し、色々な話をしながらビリヤードをしたりした。ブラジル人と一緒に過ごすことはできなかったが、楽しい2日間だった。  クリスマスや年末の時期は、バスと地下鉄料金が無料になる。そのためホームレスの人たちもその期間の間に移動したりするのかなと考えた。またクリスマスは囚人が解放されるため治安にも注意である。 11月からクリスマスムードに入るが、それと同時にバスもイルミネーションでクリスマス仕様にデコレーションされる。また運転手さんがサンタ帽をかぶっているバスもあるそう。地下鉄の音楽もクリスマスで、なんだか愉快な気分になる。 ・年越し  年越しはリオで過ごした。年末もまた、ブラジル人はクリスマスからずっと実家にいる人が多いようで、友人もその1人のため、またまた日本人と過ごした。年末は高速バスの料金も高くなり、ホテルも高くなる。8人ほどで泊まったため少しだけ安くはなったが、少人数で泊まると少し大変かもしれない。  私の念願のコパカバーナビーチでの年越しで、とても嬉しかった。コパカバーナでの年越しはスリや強盗などが多く危ないと聞いていたため、大人数とはいえ荷物は服の下に隠すなど対策し、かつ本当に荷物は最小限にして盗まれても大丈夫なものだけを持って行った(スマホ以外)。一応ステージは22時から始まるようで、向かった時にはすでに多くの人が集まっていた。人混みを例えるなら、休日の原宿通りである。皆幸運の象徴である(ラッキーアイテム)の白い服を着ていた。道端にはちょっとした屋台もあり、軽食や飲み物を買うことができる。基本的に音楽に合わせて皆踊っているのだが、ファンキ(ブラジルの若者に人気な音楽の種類)が流れた時は本当に踊りが激しくなるので、体が持っていかれないように注意した方が良い。  スマホはできる限り出さない方が良いが、撮影したい時は周りを囲んでもらったり見張ってもらって撮ると対策にはなる。とはいえ、万が一のことを考えてスマホで写真を撮るのは最低限に控えた方が良い。実際、目の前で強盗の現場を目撃し、逃げている人にぶつかられた。もちろん私は気をつけていたのでただぶつかられただけだが、コパカバーナで年越しを過ごしたい人はブラジルでの普段の生活の10倍は気をつけた方が良い。ちなみに、その犯人は奇跡的に警察に取り押さえられ、叩かれており、その姿を見たブラジル人たちは警察を称えていた。  カウントダウンが始まると、みんなも声を上げだす。年越しと同時に、一面の花火がたくさん上がる。Feliz ano novo!と叫び、抱き合う人もいる。花火は本当に綺麗だった。正直日本には敵わないだろうと思っていたが、もしかしたら迫力では日本を超えてしまうかもしれない。それくらい圧倒された。綺麗な花火に見惚れ、見ている間に留学生活のことを思い出し、少し泣きそうになってしまったりもした。見た景色は一生忘れないと思う。ブラジルでは新年とともに、願い事をしながら波を7回飛び越えると願い事が叶うという言い伝えがあ。そのため波を飛び越えている人がいっぱいいた。もちろん私たちも真似して飛び越えた。ちなみに私は願い事をするのを忘れてしまった、残念。。花火の写真も無事撮れ、その後は何も被害を負わずに一旦無事ホテルに帰ることができた。  初日の出を見るために4:30ごろにまたホテルを出発した。夜に見た景色とはまた異なった景色が広がっていて、ブラジル人もまだたくさんいた。新年を迎えたままビーチにそのままいたようである。初日の出は残念ながら少し雲に隠れていたが、それでも綺麗な砂浜で見る初日の出は素晴らしかった。  初日の出を見た後はまたホテルに帰り、夕方までみんなで寝た。そのままゆっくりして夜ご飯を食べ、その日はそのままホテルで過ごした。最終日もまたコパカバーナの海へ行った。天気も良かったため、海に入った。気温も暑かったため、水温もちょうど良く、ブラジルで海に入るのは初めてだったため幸せな時間だった。  その後は軍隊の博物館へ行った。その日はちょうど無料で入ることができた。中には昔使われていた軍人用の部屋や兵器などが置いてあった。屋上は展望台のようなものになっていて、コパカバーナの海全体を見渡すことができた。  博物館の後は、サンバのバーに行った、そこにはサンバのエスコーラの服やネームなど、サンバに関するものがたくさん置かれていた。演奏を聞きながらバスの時間までの間、ゆっくり過ごした。  これが留学中最後のリオになる。リオの治安は少しサンパウロより悪く感じるが、サンパウロに比べ観光地がいっぱいあり、とても楽しいため、留学中一度は行ってみてほしい。 [住居]  今月でアパートのシェア生活は終了した。いざ終わって、完全に1人の部屋になると少し寂しく感じるが、色々な問題はなくなるので少し楽かもしれない。部屋の人は出かけていたのでメッセージでお別れをすると、感謝と応援のメッセージを送ってくれた。  ブラジル出発までの残りの期間は、日本人がたくさん住む、Paraísoという地域に住む。エアコンがある住居で、最安のところをAirbnbで探した結果この住居になった。パウリスタ通りにも徒歩で行くこともでき、USPには遠くなるが交通の便もいいため好立地。そして全く気にしていなかったが、たまたま12年前に住んでいたマンションの隣で、よく行っていたスーパーも近くだった。私の原点に戻った生活になる。やはり人間は原点に戻るのだと思った。 [授業]  12月は最終レポート、テストの時期である。中旬には私の授業が終了していたが、ある一部の授業はストライキの影響で1月まで授業終了が延期されることになった。 ・日本文化  日本文化の最終テストはグループで行えるものだった。他のテストもあり余裕がなかったので前期とは異なり個人ではなくグループでテストを行った。  日本文化の授業は唯一2学期通して受講した。私は正直歴史を学ぶのが苦手であるが、講師の先生が好きだったというのと、授業内容を知っていることでポルトガル語を勉強しやすくなるという理由で受講した。また日本語を学んでいるブラジル人学生と知り合うきっかけともなったため、受講して良かったと思う。 ・言語心理学  ペアで5日間のうちに設問(記述問題)に答えて提出するという内容だったが、私は深くは授業内容を理解できておらず、点数が心配な上に相手に迷惑をかけると思い、先生に3人でできないかお願いした。しかし先生はそれを許してはくれず、2人で行うように私に言った。それでは私と組んでくれる人が見つからないため3人にしてほしい。と諦めずに先生に言うと、今度は先生が私と組んでくれる生徒を探し、その人と2人でテストを行うように言った。私は状況はこれ以上変わらないと思い、組んでくれる相手に状況を伝え、ごめんねと言い、今まで通りテスト勉強を続けていた。するとどうやらペアがいない生徒がいたようで、最終的に3人で試験を行えるようになった。もちろん私は勉強を続けていたが、結局のところ3人で試験問題を解き始めたのは締切前日で、とてもバタバタしていた。どうやら他2人の会話は噛み合っていないようで、なかなか進まず、結局時間が十分になくなってしまい、試験問題の半分くらいは私が用意した解答を使用することになった。試験問題自体は私にとって少し難しいくらいだったため、言語がわかる2人にとっては私よりも簡単に感じるはずなのだが私が作った回答を提出することになり、嬉しくもあり不安でもあった。  この授業は私がとりたかった科目ではあるが、内容は「子供の言語学習」に焦点を当てたもので、私の希望とは少しだけ違かった。しかしながらこの学問は言語学の1つであり、かつ知らないことを沢山知れて留学中に履修した授業の中で1番面白かったと思う。 ・スポーツジャーナリズム  12月の授業では、スポーツ施設の訪問をすることができた。その施設には、サッカー、バスケ、テニス、器械体操、水泳、ハンドボールなどなどその他たくさんのスポーツができる場所があった。それぞれのクラブチームに入っている人たちだけが利用できる施設なため、一般の人たちは利用できないが、施設がとても充実していた。この授業は座学だけではなく他の実践的な体験や訪問もできるため、面白い。  この授業の最終課題は、スポーツに通じる身近の人にインタビューしてレポートを書くと言うもので、私はちょうどボランティアをしていたということもあり、卓球バレーの会長さんにインタビューすることができた。課題自体はそう難しくはなく、留学生でも他のブラジル人たちと同じようにできる最終課題だったと思う。 ・外国人のためのポルトガル語C1  この授業の最終課題は、自分の学術分野(出身国とブラジルを関係させる)の発表だった。私はブラジルの日本移民についてと日本にいるブラジル人についての話をした。なるべく原稿を見ないようにとの指示だったが、練習のおかげか当日はほとんど見ないで話すことができた。また先生には、「文法や単語の間違いはほぼなく、発音は完璧だ」と褒められ、少しだけ成長が感じられとても嬉しかった。最後に、成績には入らないが、次の学期同じ授業を受ける留学生に向けて留学生活についての手紙を書いた。  この授業は前期後期両方開催されている。ABCの中で、C1は最もレベルの高い授業だったが、なんとかついていくことができた。文法に関する授業だが、ブラジルの歴史や文化などを交えながら勉強するため、文法だけでなくブラジルについても知ることができる。私にとってとても有意義で楽しい授業だった。 ・ポルトガル語形態学  この授業の最終課題はなく、毎週のレポートによって成績が出る。  ポルトガル語の仕組みについてより知ることができるため、面白かった。そして何より、先生は留学生向けの授業も経験済みなため、留学生や外国人に対しての理解がある。また話している内容も面白いため、授業が楽しかった。 ・スポーツ系の授業  サッカー、カポエイラ、空手のスポーツの授業は、肉離れをして以来行くのをやめてしまったが、特に団体競技だと座学の授業よりも新しい友達を作りやすく、さらに気分転換にもなったため受講して良かったなと思う。サッカーやカポエイラはブラジルの文化の1つであり、ブラジルでできたことは良かったと思う。また空手は日本の文化に興味のある人たちが多かった。 ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 ——————————————————————————————————————————————— ・ブラジルから日本への荷物の送り方  意外と簡単です。Correiosのサイトから、ダンボールの大きさを入力しプランを選択すると大体の金額が出てきます。私はお土産を沢山持って帰るために、先に重い本を送ろうと考えており、重さを計ってみると11キロもありました。11キロで大体R$853(日本円で約25000円程度)でした。預け荷物の重量超過分を支払うよりも安く送ることができるのでなくなったとしても諦めのつく、もしくは荷物が戻ってきた場合を考えはやめに荷物を送るのであれば郵便で送っても良いと思います。  具体的な送り方を説明すると、まずその荷物が入るだけのダンボールを用意するもしくは買います。ダンボールの裏面には送り主(remetente)の住所と名前、cpfをポルトガル語で書きます。表面には宛先(destinatário)を日本語とポルトガル語で書きます。中に荷物を詰め、封をして郵便局に持っていきます。その際、中に入っているものの名前と値段を書いたメモを持っていくと受付がスムーズに行きます。郵便局で手続きをしたあと、6枚ほどの書類に署名をし、代金を支払ったら終了です。支払い方法は基本的にはデビットもしくは現金のようですが、私の住居の近くのcorreiosはクレジットカードも受け付けてくれました。郵便局の方からもらえる受領証には追跡番号がついているので、correiosのHPから荷物の追跡をすることができます。 ・Bilhete Únicoの期限  学生料金でメトロやバスに乗れるのは12月が最後のようです。1月になると更新手続きを行わなければならず、更新するには授業の履修登録証明書などが必要になってくるため、更新することはできません。年末に近づくと、お金をチャージできる金額に制限がかかり始めるため、もし1月以降も使いたいのであれば制限がかかり始める前にお金をチャージしておく必要があります。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
留学成果報告書12月分
留学とは何か
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1962年 ・学生数 21,044人 ・設置学部 109 ・その他 人柄は基本的に優しくて、困ったことがあると助けを求めれば助けてくれる。 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) departamento de historia 歴史学部 (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など 履修希望の授業を学期始めにUnBに提出して、そこで履修可能かどうか判断される。大体の授業は履修可能。 ・学部留学の場合:選択した学部・学科以外の授業を履修できるか どんな学部学科の授業でも履修できる。実際私も歴史学部に所属していたが、哲学、ポルトガル語、英語など色々な授業を履修した。留学生の中には手話の授業を履修している人もいた。 ・学部留学の場合:語学コースを並行履修できるか (できる場合、申し込み方法、有料か無料か、有料の場合費用・スケジュールなど) できる。申し込み方法は普通の授業と同じで、履修登録時に登録するだけで、別途料金がかかることはない。授業は週に2回。 ・語学留学の場合:学部科目を履修できるオプションがあったか (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 留学生に慣れているという感じで、優しい。困っていたら、助けてくれる人が多い。日本からの学生は知っている限りは6人くらい。留学生はアジアからの留学生が多くて、ポルトガル語の授業では韓国人、中国人、日本人がほとんどだった。 (5) 課題や試験 (KUISとの違いや負担の大きさなど) 課題の量はあまり変わらないように感じた。特にきついと感じたことはない。試験は記述がメインで、時間以内に与えられたテーマについて論じるというようなものが多かった。先生によっては留学生は別のテストを用意してくれることもあるが、基本的には他の学生と同じテストを受ける。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか 困った時は国際教務課のようなところに行くと相談に乗ってくれた。履修登録でミスがあったが、それも彼らに相談したら、すぐに解決してくれた。 (7) オリエンテーション (オリエンテーションがあったか、あった場合その内容) オリエンテーションはある予定だったが、他の留学生との予定が合わなくて、なくなった。 (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) 前期の履修登録は渡航前にlearning agreementを用いて提出する。その用紙に希望の授業を書いて提出するだけで履修登録完了。後期も同様にlearning agreementを出して履修登録をする。前期の授業が終わってからすぐに後期の履修登録が始まるので、注意が必要。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 そもそも大学を選んだ理由の大部分はブラジル留学に行くことだったので、大学に入ってから新たに決意したことはない。何か立派な理由があったわけではない。ただただブラジルに行きたかったから。 (2) 留学先を選んだ理由 ブラジリアを選んだのはブラジルの中でも比較的安全だし、寮が大学の近くにあって便利そうだったから。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 語学を習得するためには余程の天才ではないかぎり、コツコツ学習するのが、一番早いと思った。語彙は文章を読む時より会話している時に必要性を強く感じた。文章を読むときも語彙は必要だが、文章を読む時は時間をかけることができるので、必要性は強くは感じない。しかし、会話はその場ですぐに語を使えなくてはいけないので、そういった意味で、会話の時の方がより語彙を求められる。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) 当たり前だが、日本の生活で必要なものは必要。生活にこだわりがないのであれば、ブラジルのスーパーで買えるので何ら問題はない。ブラジルに人が住んでいるのだから、人が住むためのものは全てブラジルにある。ただ、生活スタイルの中でこだわりがあるのなら、それを日本から持っていったらいいと思う。 (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) 日本語学科の人は積極的に話しかけてくれる人が多いので、友達になりやすい。他の授業でも困ったことを聞けばそこから仲良くなることもある。寮があるので、そこで友達ができる。ショッピングに行ったり、サッカーをしたり日本で友達と遊ぶのと変わらない。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと 学生が積極的だった。しかも純粋に疑問に思っていることを質問しているので、質問しなくてはという強迫観念も、逆に質問しづらいと思うこともなかった。 (7) 授業外で参加した活動 (ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法) 日本祭りの手伝いをした。申し込み方法は特になく、大使館の方から誘われたので参加した。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと 私は浴衣を着て、イベントに来た人と写真を撮るということをした。見せ物になった気分を味わえる。楽しく手伝える人もいるかもしれないが私には向いていなかった。 (9) 留学で達成した最も大きなこと 約1年間日本以外の国で生活したこと (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 興味のままに勉強を続けていきたい。ポルトガル語はやはり難しいので、もっと話せるように頑張りたい。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 提出する際に書類に不備がないようにする。提出期限を守る。 (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) 早めに準備に取り掛かると良い。申請から発行までは一ヶ月くらいかかった気がするので、それを考慮して良き頃に申請すればいいと思う。 (3) 航空券を予約した方法 (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) HISのウェブサイトで予約をした。ウェブサイトの中で、安そうで乗り継ぎの時間が短そうなものを選んだ。 (4) 渡航したルート 行きは日本→フランクフルト→サンパウロ→ブラジリア 帰りはブラジリア→サンパウロ→スイス→日本 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) 大使館の方が迎えに来てくれた。着いてからそのあとすぐに市内観光をした。 (6) 滞在先住居を探した方法 (大学の寮に申し込めたか、寮に滞在した場合は申込みの方法やいつ頃申し込んだか、不動産業者や特定のウェブサイトを使用した場合はその名称やURLなど、住居を手配した方法を詳細に記入してください) 日系の寮があったので、そこに滞在した。その寮は神田外語から紹介されたもの。 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 支払い方法はいろいろあるが、私は現金で払った。pixで払う人もいる。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) ルームーメイトが愉快な人だったので楽しかった。持ってくればよかったと後悔したものは特にない。大体揃っているし、足りないものがあれば、買えば良いと思う。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) ブラジルではほとんどカードで支払っていた。現金はVISAの使えるATMが大学の近くにあったのでそこから引き出した。 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) ルームメイトが手伝ってくれて、SIMカード関係のことは大体やってくれた。まとめてギガを買うプランにしたので、ギガがなくなったら、追加で買い足していた。 (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) キャンパス、寮では快適にインターネットが繋がる。アマゾンや国境近くに行かなければインターネットは快適に使える。 (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) 現地の病院にかかっていないのでわからない。 (5) 日本から持っていくべきもの 日本での生活の中でこだわりのあるものは持っていった方が良い。 (6) 治安状況 (どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか) ブラジリアは比較的安全で、特に危険だと思う場面には遭遇しなかった。しかし、街中を歩くときは後ろを振り返って、安全を確認しながら歩いた。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか) 基本的には朝は寮の朝食、昼は大学の学食、夜は寮のご飯を食べた。朝ごはんは無料、昼は6レアル、夜は11レアル程度 (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか) 特に書籍やガイドブックなどは買っていない。気になったら、その時にウェブで調べた。ウェブのリンクを保存していないので、どのウェブサイトかはわからない。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 基本的にオープンな性格なので、自己開示が苦手な人は会話するときに少ししんどさを感じるかもしれない。 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) 国内の哲学科の大学院に進学希望 (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) 各大学院のホームページなどから募集要項などを確認し、院試に必要なものを確認にそれに向けて準備をした。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 日本以外の国で暮らした経験が思考する時に私に影響を確実に与える。今現時点でそれを実感している。だから、意図的に留学経験を活かすというよりは思考の中で、それらの経験が自然に要請され、活用される。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 留学に行きたくて、そして実際に行ける状況にいるのなら、その状況に感謝して留学に参加した方がよい。留学中もっとも大切なものはお金なので、お金を支援してくれる人に感謝して自分の思う全力で楽しめばきっといい留学になる。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
-真夏のクリスマス!-  人生初となる、真夏のクリスマスは、友達の家族がいる、ubá(ウバ)というジュイスから2時間半ほどの小さな町で過ごすことになった。この町の特徴は一言で言うと、とにかく蒸し暑い。地形的に山々に囲まれ、風通りが悪いため、暑い空気のたまり場となり、町全体がじとじととした暑さで包まれていると言った感じである。  ブラジルのクリスマスは、家族、親戚で集まって過ごすことが一般的には多いらしく、友達の家族は、30人とかなり大人数が1つの家に集まっていた。また、カトリック教徒が最も多いブラジルでは、クリスマは非常に重要な行事として位置づけされている。  クリスマス・イブは朝から、みんなで準備を行い、夜9時ごろから、ホームパーティーのような感じで、ご飯を食べながら、みんなでプレゼント交換などのゲームをしなが和気あいあいと、家族の時間を過ごし、楽しいかった。25日クリスマス当日、日付が変わる夜中の0時の3分ほど前になると、みんなで和となり、お祈りの言葉を唱えていた。お祈りが終わり、25日になると”feliz natal!”と言いながら、家族の一人一人とハグをして、イエス・キリストの生誕を祝った。  私が参加させてもらった、友達の家族はカトリックの信仰が厚い家族で、ブラジル宗教文化的には、かなり伝統的なブラジルのクリスマスを経験することができたのではと思う。また、家族ではない私を、こういった家族団らんの場に、混ざらせてくれることがとても嬉しく、ブラジルらしいなぁっと思った。 - ビーチで年越し!-  年越しは、ビーチを求め、友達たちと旅行も兼ねて、友達の一人の家があるEspírito Santo(エスピリト・サント州)のvila velha (ヴィラ・ヴェーリャ)という町で過ごした。この町はかなり古い建築物が残っていたりと、歴史的な町であると同時に、海岸沿いには、多くのマンションが立ち並び、オシャレな印象を受けた。  ジュイスからヴィラ・ヴェーリャまでは、車でおよそ10時間と長旅となった。友達の一人が車を出してくれ、一人で運転をしてくれた(感謝でしかない)。途中リオ・デ・ジャネイロ州を通過し、休憩を挟みながら、無事に到着することができた。  ブラジルの年越しは、クリスマスと比べるとそこまでの重要性は高くなく、過ごし方も、家族、友達、恋人などと旅行に行ったり、ホームパーティーを開いたりと、各々が過ごしたいように、年越しを迎えるという感じのようだ。その中でも、ビーチのある場所では、年越しに合わせて花火が打ち上がたり、音楽ライブなどが行われるので、ビーチの赴く人は多いようだ。  年越し当日は、夜10時頃からceia(セイア)といって、(本来は真夜中の0時から始まる)、クリスマスにも行われる、伝統的な食事を取り、お腹を満たし、11時半頃になると、みんなでビーチに移動を開始し、その時を待った。ビーチには白い服を着た人が溢れており、これは、年越しのときに身につける色によって、平和、お金、希望、愛など、それぞれの意味をもつとされるブラジルの一つの文化である。白はその中でも、一番多く身につけられる伝統的な色であり、平和の意味があるあらしい。  1月1日に日付が変わると、海には花火が打ち上げられ、ビーチには"feliz ano novo!!!"という歓声が上がった。私も友達たちと共に新年を祝った。  年越し後は、数日ほど、友達宅に泊まらせてもらいながら、ヴィラ・ヴェーリャを観光し、満喫した。 写真左:ビーチで年越し 写真右:ceia セイア
月次報告書12月分
逃げすぎず、耐えすぎず
後期の授業も終わり、留学の終わりが近づいている。 今ブラジルは夏なので暑いし、日差しで肌がチクチクと痛む。こっちの夏は日本のようにジメジメとした暑さではないが、とにかく日差しが強い。サングラスをした方が良いのだが、いつも忘れてしまって、道路に出た時に気づく。強い日差しで日焼けをしているので日本に帰ったら冬とは思えない日焼けで季節に溶け込むことができなそうだ。 マルクスガブリエルの本を哲学の授業で読んだのだが、そこで存在するというのは意味の場に現れることだというような主張がなされているのだが、では意味の場は存在するのかという疑問が浮かぶ。おそらくその本をもっと読めばこの疑問に答える箇所はあるのだろうが。彼は世界、つまり、すべての意味の場を包摂するような意味の場は存在しないと言っているのだが、それでは意味の場は存在するのか、するとしたらどのように存在するのかということが気になる。この存在の仕方が意味の場とその他のものとで違うなら、そもそも存在するとは意味の場に何かが現れることであるという主張が正確ではないのではないかという考えもよぎる。もしくは意味の場の存在様式だけ例外的に他のものと異なるのか。もう少しこの本を読む必要がある。同時にベルクソンの精神のエネルギーという本も読んでいるのだが、この二人は生きている時代は全く違うが、問題として取り上げているものに共通点があるように思える。それはいわゆる科学主義的なものに対する批判である。科学的世界観というもののある程度はすでに哲学の範囲で語られているものであるといったような主張。 学期の最後として、寮の人たちの中の参加できる人でシュラスコをやった。前期の終わりと後期の始まりにやった時よりは年末ということもあり人が少なかったが、楽しかったし美味しかった。そこで会うのが最後になってしまう人もいたので、留学の終わりを感じた。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2023-11
 今月で留学10ヶ月目。今月はボランティア活動や久々の授業たちがある中でも、初めてのサッカー観戦をしたり、バーに行ったりとたくさん楽しめたと思う。もうすぐ真夏で気温も暑くなってきた。気温とは裏腹にヒヤヒヤする場面もあったため、留学が終わるまで何もないように、もう一度気を引き締めたい。 [気候]  11月に入ると、30℃をこえるときがあるくらい、すでに焼けるような暑さになっていた。基本的に半袖で過ごすことが多い。雨が降ったりすると長袖が必要な時もあるが、以前ほど寒くはない。サンパウロは、日本のように湿気はなく、カラッとした日差しの強い暑さなため、気温は高く暑いことに変わりはないが、少しはマシだと感じる。 [生活] ・USP内のブックフェア  USPの中で、年に1度ブックフェアが行われる。50以上の出版社が集まり、50%以上安く多種多様な本を販売する。そのためこの日のためにお金を貯めている人や、USP外からも人がたくさん集まっていた。トンネル状のテントに、50社以上の出版社とたくさんの人が集まっていたため、とても混んでいて暑かった。 私はこのブックフェアに2回行った。というのも、数時間だけではみ終わらないほどの本の量であり、且つどれも面白そうな本ばかりなのでみているだけで自然と、時間が過ぎていってしまうためである。教育書やUSP以外の大学の教科書、アート系の本や楽譜、小説、子供向けの本、そして漫画などが置いてあった。もちろん日本の漫画(ポルトガル語ver)もずらっと置いてあり、少し人だかりもできていた。  私は1日目、2冊の本を買い、2日目には3冊の本を買った。合計5冊を3000円くらいで買うことができた。普段本屋さんでみていて買いたいけど値段で買うか迷っていた本など、本当に安くなっているのでUSPに留学する人はぜひ覗いてみてほしい。  ちなみに本当に人が多いため、スリと落とし物に気をつけるべきです、、。私は2日目、ちょっとの気の緩みで、Bilhete ÚnicoやBUSP、部屋のカードキーをなくしてしまった。センターポーチに入れており、私はいつもそれを抱えているのでスリではないのだが、落とし物でも、人が多く敷地も広いため見つけることができなかった。幸いどれも再発行できたから良かったが、もう一度忘れ物にも気をつけて過ごすようにしたい。 ・合計3枚になったUSP学生証  カード類を無くした後、CCINTにはBUSPを失くしてしまったと伝えたのだが、学生証も新しく発行してくれていた。私はブラジルに来た頃、学生証を他の方の写真に取り違えられており、その後私の写真のものが新たに到着した。そしてまた学生証が届くため、合計3つになるのである。 留学10ヶ月にしてやっと1枚目の取り違えられた写真の方を見つけ出すことができた。その方は私と同じ名前の方で、コロナウイルスが流行る前にUSPへ留学に来ていた方だった。顔は全く違うのに、どうやって間違えたのだろうと思っていたが、日本人であり同じ名前となるとややこしくなってしまうのかもしれないと納得した。笑 ・Havaianas  ブラジルではHavaianas という、ビーチサンダルの会社があり、有名でよくお土産に購入されている。中には、サンダルの紐の部分にピンをつけたりしてアレンジできるお店もある。私も11年前にアレンジし、購入したのを覚えていて、そのお店がどこにあるのか探したところOscarFreireという高級街にあった。そこのお店は店舗が大きく、サンダルやピンの種類も豊富なため、ぜひいってみて欲しい。 ・ショーロ(楽器)のショー  ブラジルでは、バーなどで、ブラジルの楽器を用いて演奏されている。私はショーロを習っている留学生の友達の紹介でショーロのショーに行った。普通の音楽が流れているバーでももちろん良いのだが、ショーロなどの楽器を用いた演奏があると、とても落ち着くため好きである。友人のおかげでこういったイベントに行くことができて、感謝感謝である。 ・男子サッカー観戦(ブラジル対アルゼンチン)  21日に、ブラジル対アルゼンチンのワールドカップ練習試合がリオのMaracanãスタジアムであった。Maracanãスタジアムは、オリンピックの開会式で使われた場所でもある。試合のチケットを取るのはとても大変で、かなりの人がこの試合のチケットを欲しかったのか、まるでライブのチケットを取るかのように永遠にクリックしていたらようやくチケットを取ることができた。そしてまた大変だったのが、チケットを正式なものに交換することである。スタジアムではなく周辺の交換所で交換しなければならず、時間予約もないため、とても暑い中日向で2時間くらい待ち、ようやく交換できた。  私はこの試合のために事前にオフィシャルユニフォームを買って、試合に臨んだ。スタジアム周辺には偽物のユニフォームを売っている人がたくさんいたり(これはブラジルでは普通で、売っている人も買ってきている人も日常的にいる)、飲み物を売っている人たちがいた。ホーム試合のため、当たり前ながらブラジルサポーターばかりなのだが、たくさんの人がいた。実際スタジアムに入ると、米粒のような量の人が入っていた。アルゼンチンのサポーターは、私の席とは対角線状に固まっていた。  ブラジルの選手が入場し、選手紹介が始まると、ブラジルのサポーターたちは大きな歓声をあげていた。その間、どうやら私の対角線状、アルゼンチンのサポーターとブラジルのサポーター同士で乱闘があったようで、そこにリオの警察が警棒を持って介入し、警棒を振り翳してボコボコに殴るというある意味事件が発生して、試合開始が30分遅れた。警棒で殴られたことによってたくさんの血を流している人もおり、アルゼンチンの選手たちは心配して駆け寄ったりしていた。これらの全体の詳しい流れは、後でTwitter(x)で知ったのだが、実際その時はその場所がモゴモゴしているということしかわからなかった。全く別で試合を観に来ていた友人はその近くにいたようだが、特に何も被害はなかったようで、念の為巻き込まれずに逃げれるよう上の方の席をとっていた私も後で思えば危なかったなあと少しヒヤヒヤした。やはり、サッカー大国のアルゼンチンとブラジルの戦いは、明らかに行き先が良くないのはわかる。また、クラブチームの試合も同様に乱闘があるようで、有名なチームのサッカーの試合を観に行くのが一番危険な行為なんじゃないかとすら感じた。とはいえ、試合はとても面白く、ブラジルもアルゼンチンに対してかなり攻めていたが、後半にスカッと1点決められてしまった。ブラジルのサポーターはアルゼンチン側がしたファールやシュートに悉くブーイングしており、きいていて面白かった。  結局そのまま試合は終了し、0対1でブラジルは負けてしまった。試合が終わるとブラジルのサポーターはそれぞれたくさんの文句を言いながら早速帰っていて、それもなんだか正直で面白かった。 初めての試合観戦で、強い国同士の代表戦を見ることができ、チケット取りの大変さがどうでも良くなった程楽しい時間だった。 ・泊まらずのリオ(3回目)  私と日本人、イギリス人留学生で、ブラジル対アルゼンチンの試合観戦をするためだけにリオに行き、試合開始までの間、数カ所観光した。 まず初めにセラロン階段(2回目)を訪れた。前回とは異なり昼間だったため綺麗に階段が見えて良かった。傍には、いろいろなものが描かれたたくさんのタイルがあり、その中に阪神タイガースのタイルがありとても驚いた。  次はリオデジャネイロ大聖堂を訪れた。中に入るのは初めてで、ステンドガラスがとても綺麗だった。カトリックの大聖堂だということはわかるのだが、それ以上は何もわからず、ただただ綺麗だと思った。 最後にMuseu do amanhãを訪れた。ここもリオで有名で、地球の問題に焦点を当てた博物館である。その日は運良く入場無料の日だった。ブラジルではそれぞれの美術館や博物館で無料の日が設けられていたりする。 博物館の中には、プラネタリウムのような空間で映像を見れるようなところもあり、地球問題について考えさせられたりと、楽しくも充実した時間になった。  試合を観た後、本当はすぐに帰りたかったのだが、バスのチケット取り合戦に負けてしまったため、朝5時までの約5時間、バスターミナルで待たなければならず、私もイギリス人の友達もとても疲れていた。5時間の間特にすることもなく、眠りたいが安心しては眠れない状況でぼーっと5時間過ごし、サンパウロの自宅へと帰った。 リオは3回目だったが、今回でやっと有名どころを全て回れたのでとても良かった。回数を重ねると、リオはサンパウロ近所のように感じるようになる。それだけリオに行けているのは嬉しい。 ・朝食bandejão&初めてのFísica  11月になり、ようやく初めて朝食のbandejãoに行った。朝は50centavos(15円)で食べることができる。出されるのは、パンと飲み物(牛乳、チョコミルク、コーヒーのどれか)、そして果物である。私は朝食たくさん食べる人なので少し物足りなく感じたが、にしても15円で食べれるのは本当にすごいところだと思う。 USPには約5つの学食があり、QuímicaとCentralは行ったことがあったがそのほかはない。今回初めてFísicaの学食に行くことができた。ここはそこまでQuimicaとかわらなかったが、メニューが少しだけ違うよう。私はいつも行っているCentralの次にこの学食が好きだった。 ・クリスマス  ハロウィンが終わり、11月に入ると、もうすでに街はクリスマスの飾り付けがされていた。クリスマスツリーが飾られていたり、オーナメントが売られていたり。中には打楽器のオーナメントが売っていたりしてとても可愛かった。  ブラジルのショッピングセンターには、サンタさんが出没するようで、私は少なくとも3つのショッピングセンターで3体のサンタさんを見つけた。一つのショッピングセンターでは少し隠れたところにサンタさんがいた。無料で写真を撮ることができ、私は別々の機会に2回写真を撮ってもらった。サンタさんは本物みたいで、お髭も白かった。  ブラジルのクリスマスで有名なのがpanetoneというお菓子(ケーキ?)である。クリスマス時期になるとたくさんのパネトーネが並ぶ。近くのスーパーでは、私の大好きなdoce de leiteというお菓子の場所がパネトーネに占領され、ついには無くなってしまった。それくらいpanetoneはクリスマスの重要なものである。 ・留学生の会  12月に控えた、ブラジル留学生の会(学生と駐在員の方のお話会)の幹部としての準備も忙しくなってきた。直前で都合のつかなくなった方もおり、そういった面での調整などで慌しかった。就職活動がまともにできない留学生活の中で、実際にブラジルに来てお仕事をされている社会人の方々とのお話は非常に価値のあるものだと思うため、より充実した会になるようにと私と先輩2人は空いている時間を準備に費やした。 [授業]  日本文化の授業では、第1回目のテストがあった。私は元々歴史が大の苦手ではあるが、日本人であるため、ブラジル人よりも点数がもらえるように勉強した。が、結果は悲惨だった。苦手なものは苦手なんだと、そう思ったが、やっぱりブラジル人からしたら「日本人は日本のことを知っていて当たり前」であるため、少し悔しかった。 *写真左:サッカー観戦とリオ 写真右:ブックフェア、クリスマスとショーロのショー ※以下はサンパウロへの留学を考えている方へ。参考までに知っておいた方が良い情報を掻い摘んで書いています。(上記と重複有り) あくまでも私の知見です。 —————————————————————————————————————————————————ーーー ・クレジットカードの郵送  私は追加でクレジットカードをもらうために、日本から輸送してもらいました。もちろん犯罪に遭うという怖さはあったが、必要だったため仕方なく郵送してもらいました。 セキュリティ対策としては、あらかじめ海外からの使用をブロックしてから郵送すること、また関税で中身をわざわざ確認されないために、お菓子など余計なものは入れず、封筒便(もちろん追跡あり)でスキミング防止をした上で頑丈なダンボールに包み送ってもらいました。封筒だと2週間以内には到着しました。また無事不正利用もなく、関税もかかりませんでした。  送らないに越したことはないですが、クレジットカードがブラジルで盗まれてしまったり、止まってしまったりし、本当に必要な場合は、この送り方を参考にしてみてください。 ・カード類の再発行  上記で述べたとおり、私はBilhete ÚnicoやBUSPなどのカードたちを失くしてしまいました。もし失くしてしまった場合、どちらも再発行はできるようです。  Bilhete Únicoは、ネットで2a via(2枚目のカード)を申請します。そして自宅郵送ではなく直接受け取りを選択した場合、USPの近くではPinheirosで受け取ることができます。値段は1回目に作った時と同じで、30レアルほどかかります。受け取りは3日でできました。  BUSPについては、CCINT(留学生課)の方に「カードを無くしました」と連絡してください。そうすると新たなカード申請を行なってくれます。値段は1回目のように無料ではなく、19レアルほどかかりますが、毎回お金を支払うよりは十分マシです。受け取りは約1週間ほどでできました。  また、もし残りの留学期間が少なく、元を取れそうにない場合、TOPというアプリを使うとSuica代わりに使用できて便利です。TOPはカードもありますがアプリの方が簡単で荷物も増えなくて済むので便利です。毎回現金を支払ったりするのはとても面倒なのでおすすめです。 ・返信が来ない時、間違いがあるとき  学生証のことがあったように、ブラジルではよくこういったミスがある。特に、よくお世話になる留学生課の方は、忙しいのかミスも意外と多いため、少し返信が遅い時や、何か間違っている時は追ってメールを送ったり、しっかりと伝えることが大事である。少ししつこいかも、と思ってしまうかもしれないが、単に忘れられている可能性もあるため、積極的で大丈夫です。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
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