学生4720の報告書一覧
プロフィール
学科
英米語学科
学年
3年
留学期間
2015-09-01 ~ 2016-06-30
留学種別
私費
1~10件目 / 10件中
2016-06
月次報告書6月分
エドモンズ
エドモンズは学校の停車場からバスで20分ほどの小さな港町です。特別目を引く観光場所もなけれ大きなショッピングモールもない町ですが、私はここがすごく好きです。通りに並ぶ店々は古くからの自営業が多く、店主とお客さんはほとんどが顔見知り、私にも気さくに話しかけてくれます。そんな中で私が一番好きな場所は、1920年代からあって今尚現役のエドモンズ映画館。ここはスクリーンが1つしかなく上映作品も1週間に1つと、都会の映画館に比べると不便ではありますが、私がアメリカで出会ったなかで最も好きな映画館です。 劇場に入ると、上映が始まるまでスクリーンに映し出されるのは、音もなければ動きもしない、近くのパン屋や本屋の広告。音一つない劇場の外ではポップコーンを売る声が聞こえ、徐々に劇場内が映画を楽しみにするお客さんの声で溢れ出します。いざ上映開始の時間になると、スクリーンの前に立って挨拶をするのはオーナーのスティーブさん。今日は映画を観に来てくれてありがとう、来週はこんな作品をやる予定だから観に来てね、それからエンドロールの後にはちょっとしたおまけがあるよ、じゃ、映画を楽しんで。と、一通りのご挨拶があると、いよいよ、映画が始まります。この日観に行ったのは、日本では来月公開の『ファインディング・ドリー』。この日は日曜日だったこともあり劇場内は家族連れでいっぱいでした。アメリカでは何度か映画を観に行きましたが、日本よりも観客の反応が大きく、映画館で見ず知らずの人と感動を共有する素晴らしさを知ることができました。
2016-05
もうこの映画の話を何回するんだという感じかもしれませんが、これで最後にしますので聞いてください。 アメリカに来てから、バック・トゥ・ザ・フューチャーのファンとして色々なことを経験しました。この映画のファンでいて本当に良かったと感じる瞬間が何度もありましたし、また、ファンだからこそ向き合わなけらばならない辛い出来事もたくさんありました。このコンサートは、私にとってアメリカで最後のバック・トゥ・ザ・フューチャーのイベントなのです。去年の11月、日本でも同様のコンサートが開催され、賑わいを見せていたのは記憶に新しいかと思います。私もアメリカからあのニュースを耳にし、今すぐ帰国して参加したい気持ちになったのを覚えています。 会場のポートランドまでは電車で3時間ほどかかりますが、今まで家の小さなテレビでしか観たことがなかった映画をハイビジョンのフルオーケストラで体験できるまたとない機会です、逃すわけにはいきません。また、今までコンサートは吹奏楽部の演奏会くらいしか行ったことがない私にとって、これは生まれて初めて生でプロの演奏を聴く機会でもあります。 会場に着くと開演までまだ時間があったので、展示されていたデロリアンの前で写真を撮りまくりました。アメリカで目にする2台目のデロリアンです。 席に着くと、既にオーケストラのメンバーが個人練習をしている音が聞こえてきました。もうこの時点で私は大興奮です。その後のコンサートは本当は笑いあり涙あり大喝采ありの最高な時間でした。このコンサートのためにアラン・シルヴェストリさんが新たに書いてくださったスコアが聴けたのですからもう大満足です。エンディングでは、お馴染みのBack in Timeの代わりに3作のメドレーを演奏してくださいました。改めて、この映画において音楽が持つ力がどれほど大きいのかを知ることができる最高のコンサートでした。
2016-04
月次報告書4月分
チューリップタウン
4月1日、チューリップタウンにあるチューリップ畑を見に行きました。アシュウェイの乗り継ぎ場からバスで1時間弱のところにあるチューリップタウンは、毎年この時期になるとチューリップフェスティバルが開催されるそうです。私達は町の停留所からまた2つほどバスを乗り継ぎ、マウント・バーノンにあるルーゼンガーデというチューリップ畑に行きました。 入ってすぐのところには小庭にような場所がありました。そこでは様々な種類のチューリップが咲いており、花壇一つ一つに、ときには同系色、ときには補色というように全体のバランスを考えて花が植えられています。ガーデニングは服をコーディネートするときのようにお互いの色を活かしあって一つ一つの花をより魅力的に見せることが大事なのだと思いました。 小庭を抜けると、見渡す限りの広い敷地一面チューリップが植えられています。黄、赤、紫、橙のチューリップで埋め尽くされたそこはは、ほとんど地面が見えないくらいでした。小庭とは違いチューリップは色ごとに分けて順番に植えられています。こちらの方が小庭よりも人々の興味を引くらしく、一緒に来た友人も写真を撮るので大忙しでした。しかし、私は辺り一面に堂々と咲いたチューリップよりも、控えめに、けれども繊細に咲いた小庭のチューリップの方が愛おしいと思いました。
2016-03
月次報告書3月分
長年の夢
3月18日、授業期間が終わったその日に私はシアトルからシリコンバレーに飛び立ちました。長年の夢を叶えに行くのです。約1時間半のフライトの間、私の胸は期待と興奮でいっぱいでした。私が一人飛行機に乗ってシリコンバレーに来た目的、それはシリコンバレーのコミックコンベンション、通称コミコンとして知られるアメリカ最大のコミックイベントです。といっても私の長年の夢というのはこのコミコンに参加することではありません。実は今回のシリコンバレーコミコンでは、あの映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に出演したマイケル・J・フォックスとクリストファー・ロイド、そしてリー・トンプソンが集結するのです。私の長年の夢とはこの3人に会うことなのです。私は夕方頃に現地に到着すると、ホテルに荷物を置いてそのままチケットを引き換えるためイベント会場に向かいました。その日は前夜祭だったのですが、会場は人々でごった返していました。 3月19日。開場が10時だったので9時半頃に会場に到着すると、入り口前にはすでにたくさんの人が行列を作っていました。映画のコスプレをしている人も多く、並んでいる間も見ていて飽きません。そしてついに10時、黄色い歓声と共に会場のドアが開きました。BTTF出演者のサイン会まではまだ時間があったので、私はまずteam FOXのデロリアンフォトブースへ向かいました。初めて生で見るデロリアンは本当にかっこよかったです。次元転移装置が実際に光ってるのを見るのはまさに感動ものです。 そしてついに、マイケルjフォックスとクリストファー・ロイドのサイン会に向かいました。私が着いた頃にはすでにサインブースの周りには大勢の人がいました。特にマイケルはこの日1日だけの参加とあってファンの熱気も凄かったのを覚えています。早速マイケルのサイン待ち列に並ぶと、遠目からでしたがサインをするマイケルが見えました。ずっと画面を通してしか見たことがなかったマイケルが今同じ空間にいると思うと、私は失神しそうになりました。これが私が初めてマイケルを生で見た瞬間です。BTTF3のあの時計の前にドクとマーティが立っている写真にサインをしてもらいました。本当に天にも昇る気持ちでした。 続いてそのまま隣にあるロイド氏のサインブースへ向かいました。マイケルにサインしてもらった写真と同じものにサインをしてもらいましたのですが、私は焦りすぎて渡すペンの色を明らかに間違ってしまいました。セピア色の写真に真っ青な色で書かれたサインはちょっと見た目は悪いですがこれも味があって良いでしょう。何より嬉しかったのは、去り際にロイド氏が私を見て目を見開きながら笑ってくれたことです。あの瞬間は今思い出しても心臓が止まりそうになります。 次はいよいよマイケルとロイド氏との写真撮影です。人が多かったのであまり長時間一緒に過ごすことはできませんでしたが、確かに3人で写真に写りました。今思い出しても嘘のようです。それに、写真に写る直前、マイケルが私の目を見て笑ってくれたのです。私も信じられないといった心地で笑い返しました。本当に幸せでした。 写真撮影が終わると、そのままBTTFのパネルと呼ばれるトークショーの入場待ち列に並びました。会場の40分ほど前でしたが、列はすでに入り口前の通りを抜けて向こう側の広場まで伸びていました。それもそのはず、これが今回のイベントのメインと言っても過言ではないのですから。入場口のドアが開いた瞬間に席の争奪戦が始まり、私はちょうど真ん中あたりの席を獲得しました。並んでいた位置を考えるとなかなか悪くない席です。そしてその数分後、ついにパネルが始まりました。トンプソンさん、ロイド氏、マイケルの順にBTTF出演者が紹介され、映画について語ったあと、お客さんとのQ&Aがありました。お客さんからの質問は真面目なものからちょっとふざけたものまであってとても聞き応えがありました。特に印象に残ったのは、part2で登場した自動靴ヒモについて聞かれたマイケルが「あれはパーキンソン病の人にとっては便利だよね」と言っていたことです。客席からは大きな笑いが起こりました。こんな風に自分の病気をもギャグにしてしまうマイケルを本当に尊敬せずにはいられません。シャイなロイド氏はあまり沢山は喋りませんでしたが、マイケルに「話しなよ、クリス」と促されると、スタントのことを丁寧に話してくれました。トンプソンさんはとても明るくて面白い方で、お客さんからの質問にも真っ先に答えたり、映画の台詞を実際に言ってくれたりしました。パネルは全部で45分ほどでしたが、本当にあっという間でした。あんなに濃い45分は生まれて初めてです。 文字数の問題でほんの一部しかお伝えできませんでしたが、本当に夢のような経験でした。
2016-02
2016-01
月次報告書1月分
HELLO!
1月10日、シアトルのパラマウント劇場でミュージカル"the Book of Mormon"を観てきました。サウスパークのクリエイターさんが作った、ブラックジョークと下ネタが満載のミュージカルです。ふざけた内容ですが、アメリカではトニー賞で9部門を受賞して「今世紀最高のミュージカル」なんて評された大人気の舞台です。私が初めてこのミュージカルを知ったのは、今からちょうど一年前でした。そして、こっちに来て1ヶ月も経たないうちに運良くシアトル公演の情報が入ってきたのです。それからすぐにチケットを予約したので、かなり良い席で観ることができました。 ストーリーは、モルモン教を布教するためにウガンダの貧困地域に派遣された主人公のエルダー・プライスとエルダー・カニングハムが現地で奮闘するというもの。プライスは一見優等生っぽくてまともな青年ですが、ミッキーマウスが大好きで、派遣先をディズニーワールドがあるオーランドにしてもらえなかったことを不満に思っています。カニングハムは変わり者のSFオタクで、焦るとすぐに嘘をついてしまう(彼の父曰く想像力が豊かすぎるだけ)悪い癖があります。この2人がウガンダに布教活動をしに行くのですが、着いた途端に持ち物を全部盗まれ、村人は宗教に全く興味なし、そんな状況です。ネタバレになるので詳しいストーリーはあまり書きませんが、とにかく下品でブラックで、でも最後には納得させられるメッセージがある、そんなミュージカルです。 私が観に行った日は千秋楽で、客席はほぼ満席でした。開演1時間前に着くと、すでに劇場は沢山の人で埋め尽くされていました。私は、グッズ売り場でパンフレットを購入し、それを読みつつ開演を待ちました。そして午後1時、嵐のような拍手と共に第一幕が始まったのです。それからはずっと笑いっぱなしで、途中休憩の時には喉がカラカラになっていました。物語が佳境に入っていく第二幕では、観客の笑い声、歓声、時には悲鳴が劇場と一体になって、最後にはスタンディングオベーションで幕が下りました。こんなに笑いっぱなし、圧倒されっぱなしの3時間はそう経験できるものではありません。 終演後に帰ろうとすると、なんと劇場の裏口で休んでいる役者さん達を発見。プライス役のビリーさんとカニングハム役のA.J.さんにお願いして一緒に写真を撮ってもらいました。これはもう一生の宝物です。2人ともすごく気さくな方で、写真を撮る時に肩を組んでもらったり、「良いコートだね」なんて言われたりしました。その後スキップしながら家に帰ったのは言うまでもありません。 余談ですが、劇中での私のお気に入りのキャラは、ウガンダ派遣チームのリーダー、エルダー・マッケンリーです。彼はゲイなんですが、モルモン教では同性愛が禁じられているため、毎晩悪夢に魘されています。そのマッケンリーの動きがいちいち可愛いんですよ。キャリーバッグも1人だけ花柄の派手なやつだし。そして、私のいちおしナンバーは、カニングハムとウガンダの少女ナブルンギが歌うBaptize meと、ウガンダ人達が歌うHasa Diga Eebowaiです。Baptize meは、初めて人を洗礼するカニングハムと初めて洗礼を受けるナブルンギが初体験前のカップルみたいで最高に面白いです。Hasa Diga Eebowaiは、ウガンダに来たプライスとカニングハムに、ウガンダの人達が明るく生きるための合言葉を教える歌で、タイトルの意味は......曲を聴いてのお楽しみです。
2015-12
月次報告書12月分
2015年最後の日
12月31日、2015年最後の日です。2日前にカナダ旅行から帰って来たばかりの私は、まだ足にかすかな痛みを感じながら、それでも大晦日に家で引きこもるわけにはいくまいと、市営バスを乗り継ぎダウンタウンへと向かいました。特にこれといった用事があったわけではありませんが、大晦日のダウンタウンなのだから行けば何か面白いものがあるだろうという軽い気持ちでした。まずはじめに向かったのは、スペースニードル付近のEMPミュージアム。鉄製のパネルが張り合わされたような不恰好で大きな建物は、観光地となっているこの付近でも一際目立つ存在ですが、実際に中を見るのは今回が初めてです。ロックバンド・ニルヴァーナ展や、ハロー・キティ展、SFの世界展、ゲームの進歩展と、数多くの展覧会がこの建物の中で催されています。これといって興味をそそられるものはありませんでしたが、退屈しのぎに20ドルの入場料を払い、中へ入ることにしました。まず向かったのは、地下で開催されているSFの世界展。宇宙船をイメージした薄暗くて機械的な雰囲気の部屋に、過去のSF映画で実際に使用された小道具が展示されています。入り口でまず目に入るのは、『ターミネーター』のT-800、続いて『スター・ウォーズ』のライトセーバーです。それから、『ゴーストバスターズ』のプロトンパックや、『ブレード・ランナー』の衣装など、あまりSF映画に詳しくない私でも思わずテンションが上がってしまう代物ばかりでした。そんななか、ピンク色の物体が1つ、私の目に飛び込んできたのです。開いた口が塞がらないとはまさにこのことを言うのでしょう。そこにあったのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー part2』で使用されたホバーボードでした。私は叫びたい衝動を必死に堪え、ゆっくりとそこへ近づいて行きました。果たしてこれは本物なのかと、にわかに信じがたい気持ちで見つめていると、ちょうど横のパネルには"used by Michael J. Fox as Marty McFly"の文字が。間違いありません、これがあのBTTF2の撮影で実際に使用されたホバーボードです。私の目の前にあるこの板の上に、あのマイケル・J・フォックスが乗ったのです。私は、胸の鼓動が高まるのを感じつつ、2015年最後の日に私をここへ導いてくれた何か見えない力に心から感謝しました。初めて間近で見るホバーボードは、私が想像していたものよりも手作り感があり、貼り合わせた紙の横には鉛筆の下書きが残っていました。そこに見えたのは、架空の2015年の世界ではなく、映画を作ることに命を注いだ1989年の人々の想いでした。
2015-11
2015-10
月次報告書10月分
未来記念日
2015年10月21日午後4時29分、私が7年間待ち続けた瞬間がようやくやってきました。そう、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーpart2』(以下BTTF2)でドクとマーティが訪れた未来です。子供から大人まで、まさに時を超えて愛されているタイムスリップ映画の金字塔であるBTTFにとっての未来が、私達にとっての過去になる重要な瞬間です。映画の舞台はカリフォルニア州にある架空の街、ヒル・バレー。なんと嬉しいことに、カリフォルニア州とここシアトルは時差がありません。私は、歴史的な瞬間を映画の舞台と全く同じ時間で祝えるということを心から嬉しく思い、その日を迎える一週間以上前から居ても立っても居られず、ホストファミリーには何度も「21日はBTTFの日だよ」と言いました。きっと皆んな、私のことを映画オタクと思ったかもしれません。しかし、ようやくその日が目前に迫った10月20日、なんと私は興奮のあまり体調不良を起こしてしまいました。留学中の体調不良とはよくある話ですが、その原因がBTTFだなんて、恥ずかしくてあまり人には言いたくありません。仕方なくその日は早めに寝たのですが、次の日の朝になると当然胸の鼓動は激しくなるばかり。いつも通り授業を終え家に帰って来ると、時間は午後の3時半、未来まで約1時間です。私はどうして良いか分からず、ただただ“2015年10月21日午後4時29分がまだ未来である時間"を部屋で一人噛み締めました。そして1時間後、遂にその時はやってきました。本当にこの時がやってきてしまったんだ、BTTF2の未来はもう未来ではないんだという実感がじわじわと身体の中を駆け巡り、気がつけば涙を流していました。7年前、初めてBTTFを観て心を奪われた頃の私は、英語が苦手中の苦手で、アメリカへ行くことなんて夢のまた夢だと思っていました。しかし、2015年の今、私はこうしてアメリカに留学しています。7年前にドクがくれた"Your future is whatever you make it"という言葉は本当だったのです。
2015-09
月次報告書9月分
2週間目
初めて日本を出てから2週間が経った。 私が滞在しているウォルター夫妻の家はSUNRISEという住宅街の一番隅にあり、私の実家の倍以上の大きさがあるその家は、三分の一が杉の木の影に隠れていて、家の全貌を確認するのは難しい。この一帯にある家のほとんどは穏やかな暖色系の外装をしており、この家も例に漏れずベージュと茶色のレンガで外側を覆っている。 ホストファミリーはとても親切な人達だ。「ホームステイの受け入れはビジネスだ」という衝撃の事実を胸に留めておいた私は、その親しみのある接し方に少々拍子抜けしてしまったほどである。学校のオリエンテーションが始まる前日、犬の散歩を兼ねて皆んなで近くのハイキングコースを歩き、その先にある広場をぬけて海に出た。向こう岸には漁に出る船が何艘も停まっていた。一家の主人であるボブが「この先を真っ直ぐ行くと日本だ」と丁寧に説明してくれた。母国を恋しがるにはまだ早かったが、その一言が私はとても嬉しかった。 家には私の他にもう一人、マカオからの留学生が滞在している。彼女は、私と同じ大学の語学コースに通っており、お互いに英語が流暢でない私達は、雑音の多い中では意思疎通が難しくなることが少なくない。例えば、彼女がrestという単語を言い、私が聞き取れなくて彼女に聞き返す、それが二回繰り返される。彼女がr-e-s-tと一つ一つスペルを言い、私がやっと理解する。ついで、私はそんな簡単な単語を聞き取れなかったことを恥じ、彼女も伝えられなかったことを恥じる。しかし、そのひとつひとつの動作を私はこの上なく愛おしく思うのである。 留学生活2週間目、私はすでに愛すべき人達に囲まれている。
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