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2026-01
留学成果報告書1月分
ブラジル留学まとめ
【派遣先大学について】 (1) 基本情報 ・設立年 1960年 ・学生数 約1,5000人 ・設置学部 20学部学士課程(学部課程) 経営学、建築・都市計画学、芸術・デザイン、美術、コンピュータサイエンス(情報科学)、宗教学、生物科学、会計学、経済学、基礎科学、人文科学、社会科学、映画・映像学、デザイン、法学、体育学、看護学、環境・衛生工学、土木工学、計算工学、生産工学、電気工学(エネルギー/ロボティクスおよび産業オートメーション/電力システム/電子システム/通信)、機械工学、統計学、薬学、哲学、物理学、理学療法学、地理学、歴史学、ジャーナリズム、文学(手話Libras/翻訳:ポルトガル語・スペイン語・フランス語・英語・イタリア語・ラテン語)、数学、医学、獣医学、ファッション学、音楽(声楽/フルート/ピアノ/ギター/ヴァイオリン/チェロ/作曲/教員養成課程)、栄養学、歯学、教育学、心理学、化学、ラジオ・テレビ・インターネット、社会福祉学、情報システム学、観光学 ・その他 ブラジル国内大学を対象として実施された2023年のIGC(General Course Index)評価において、最高評価である「5」を獲得しており、国内大学の上位3%に位置している。また、教育の質の高さに定評があり、ブラジル国内ランキングではトップ8位にランクインしている。さらに、各学部には図書館が完備されており、学習環境も充実している。 (2) 所属した学部、コース、プログラム等(原語および日本語訳) • Letras(文学部) • Física(体育学部) • Artes(芸術学部) • Instituto de Ciências Humanas(人文社会学部) (3) プログラムの概要 ・履修可能な授業、所属学部選択の制限など 履修に関する制限は特に設けられておらず、留学生であってもすべての講義を履修することが可能です。私自身も、複数の学部にまたがる様々な講義を受講させていただきました。 (4) 大学の雰囲気、留学生や日本からの学生の割合や人数 大学全体の雰囲気は、良い意味で落ち着いている印象であった。学生は騒がしいというよりも穏やかで温厚な性格の者が多く、留学生に対しても親切に接してくれる学生や教員が多かった。 留学生は、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アジア、アフリカなど多様な地域から受け入れられていたが、特にラテンアメリカ語圏出身の学生が多い印象であった。日本人学生は、KUIS以外に提携校がないこともあり、ほとんど在籍していなかった。また、韓国人学生も1〜2名程度であり、アジア圏からの留学生は非常に少ない状況であった。 (5) 課題や試験 (KUISとの違いや負担の大きさなど) UFJFにおける課題や試験は、単なる記憶や知識の暗記を問う形式ではなく、発表や論述形式が中心であった。授業で学んだ内容を総合的に理解し、それを応用して課題を遂行する力が求められる場合が多く、知識の理解度だけでなく思考力や表現力も評価の対象となった。 そのため、日頃から授業の内容を丁寧に整理し、ノートを活用して復習を重ねておくことが、試験や課題に対応する上で重要である。KUISでの学習と比べると、暗記型の試験負担は少ないものの、授業内容を主体的に整理・応用する姿勢が求められる点で負担の種類が異なると感じた。 (6) 困ったときに相談できたか、相談窓口はどこか、どのようなサポートを受けられたか UFJFでは、国際戦略部(DRI)によるサポート体制が非常に充実しており、留学に関わるほぼすべての手続きを支援していただけた。履修方法の相談や、自身の興味に応じた講義・教員の紹介、学内施設(学食・図書館・バスなど)の利用方法に加え、外国人登録(RNM)の申請手続きについても、必要に応じて学外への同行支援まで行っていただいた。 留学中に何か問題が発生した場合も、国際戦略部のHugoさんやRobsonさんに相談すれば、ほぼすべての問題が解決する体制が整っていた。実際、私がRNM手続きでサーバーエラーに遭遇した際も、業務多忙であるにもかかわらず最後まで手伝っていただき、登録料の支払いのために学外の宝くじ売り場まで同行してくださった。このように、学生一人ひとりに非常に丁寧で手厚い対応が行われていたことは特筆に値する。 また、HugoさんはKUISへの留学経験もあり、ポルトガル語での相談が難しい場合でも日本語で対応してもらえる環境が整っていたことは、精神的にも非常に心強かった。 (7) オリエンテーション (オリエンテーションがあったか、あった場合その内容) 私は到着日程の都合によりオリエンテーションに参加できなかったため、具体的な内容については他の学生の報告書を参照していただきたい。しかし、参加せずとも学生生活を始める上で特に支障はなく、国際戦略部を訪問すればオリエンテーションで行われる内容と同等の説明を受けることができるため、情報面での不便はほとんどなかった。 (8) 履修登録 (履修登録のタイミング(渡航前・渡航後)や、履修登録の方法など) 履修登録は渡航後に行われ、授業開始後に各講義を体験受講した上で、約2週間後にDRIに履修希望科目のリストを提出する形で行われた。講義一覧については、DRIのHugoさんに連絡すればすべて送付してもらえる。また、履修登録後の変更も可能であるため、興味のある講義は一度登録し、後で調整やキャンセルを行うこともでき、柔軟な履修管理が可能であった。 【自身の留学について】 (1) 留学を決意した理由 ブラジル・ポルトガル語、さらにブラジルの歴史や文化を学ぶ中で、実際に現地を訪れ、文化に直接触れる体験を通して理解を深めたいと考えたことが留学の決意の理由である。もちろん語学力向上も目的の一つであったが、日本での座学だけでは得られない実践的な知識や経験を得たいという思いが強かった。 (2) 留学先を選んだ理由 KUIS在学中、UFJFからの留学生が多く来日していたことから、同じ大学で学ぶことで学習面や生活面での支援を受けやすく、友人関係の構築においても不安を軽減できると考えた。また、ジュイス・ジ・フォーラは物価が比較的安く治安も良好であり、リオデジャネイロやサンパウロなど大都市へのアクセスも容易である点は、生活費を抑えながら充実した留学生活を送るうえで好条件であった。 (3) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(学習面) 行った準備 • 普段の授業やMULCでの自主学習に積極的に取り組んだ。 • ブラジルと日本の文化・伝統・歴史・地域についての理解を深めた。 しておけば良かった準備 • 簡単な本でもよいので、ポルトガル語の読解習慣をつけておくこと。読解に慣れていれば、講義理解や課題遂行がより円滑になったと感じる。 • ポルトガル語での説明が理解しづらい場合に備えて、英語での説明理解力を高めておくことも有効であった。 • 宗教や政治に関する知識についても、事前に学習しておくことでより良い説明や理解ができたと感じる場面が多かった。 (4) 留学のためにした準備/しておけば良かったと思う準備(生活面) 行った準備 • 日本滞在中からブラジル人留学生と関係を築き、積極的に交流すること。 しておけば良かった準備 • 教科書にはない口語表現や若者言葉を学んでおくことで、日常生活で遭遇する未知の単語の数を減らし、スムーズでよりネイティブに近いコミュニケーションが可能になったと感じる。 • 過去の留学報告書を事前に読み込み、現地で直面する問題や手続きに備えておくこと。事前に情報を把握していれば、解決が容易であった課題も多かったと実感している。 (5) 留学中の交友関係 (どのようなきっかけで交友関係が広がったか、どのような活動をしたかなど) 交友関係は、日本に留学生として来日していたブラジル人の友人をきっかけに広がっていった。現地到着後、その友人から家族や知人を紹介していただき、家庭での集まりや食事に招いていただく機会を通して、地域社会とのつながりを築くことができた。 また、サンパウロ大学の友人との交流を通じて、同大学の学生やサンパウロに駐在している日本人駐在員の方々とも知り合うことができた。大学という枠を越え、ビジネス分野における人的ネットワークを構築できたことは、大きな財産となっている。 (6) 授業についての全般的な感想、学んだこと 特に印象的であったのは、学生の授業に対する積極性と主体性である。公立大学であり学費が無償であるにもかかわらず、学生は高い意欲を持って授業に参加していた。その姿勢は、高額な学費を支払って学んでいる私たちが改めて見習うべき点であると感じた。大学は単なる教育機関ではなく研究機関であるという本質を再認識する機会となった。 授業形式は日本と比較して自由度が高く、受動的ではなかった。一方で、学生からのリクエストや柔軟な方針変更により、授業進行に一貫性が感じられない場面もあった。知識を体系的に積み上げるという点では日本の教育に強みを感じる一方、得た知識を活用し応用する力を養う点ではブラジルの教育に優位性があると感じた。両国の教育の特性を体感できたことは、今後の学習観を形成する上で非常に意義深い経験であった。 (7) 授業外で参加した活動 (ボランティア、サークルなど:参加した場合申し込み方法) サンパウロでは、日本人祭りや県人会などのイベントやボランティア活動に、駐在員の方々の紹介を通じて参加させていただいた。こうした活動を通じ、日本人コミュニティとブラジル社会の関わりを実地で学ぶことができた。 また、ジュイス・ジ・フォーラでは、体育学部で育成年代の研究を行っている教授と連携し、日本の多言語サッカースクールを支援するための研究資料やデータの活用に関わらせていただいた。加えて、運営協力を依頼するなど、学術と実践を結びつける取り組みにも参加した。 (8) 授業外の活動についての全般的な感想、学んだこと ブラジルには、過去の日本人留学生や駐在員の方々が築いてきた信頼関係や実績があるため、自分から積極的に動かなくても、一定の活動機会は得やすい環境にあると感じた。しかし、その基盤があるからこそ、自身の専門分野や関心領域に特化した活動を主体的に開拓していく姿勢が重要であると考える。受け入れてくれる土壌や挑戦できる環境は整っているため、それをどのように活用するかは自分次第であるということを強く実感した。 (9) 留学で達成した最も大きなこと 最も大きな達成は、価値観の許容範囲が大きく広がったことである。ブラジルで多様な人々や社会環境に触れる中で、日本では当たり前と考えていた価値観が揺さぶられる場面が数多くあった。そのたびに自分自身の考えを見つめ直し、多角的に物事を捉える姿勢を身につけることができた。 語学力の向上も大きな成果であるが、「ブラジルでしか得られない経験」という観点で考えると、最も大きな変化は思考の柔軟性と多様性への理解であると考える。 (10) 今後どのような学習を継続していきたいか 今後は、ポルトガル語の語彙や文法知識を継続的に積み重ね、言語運用の精度と表現の幅をさらに高めていきたい。また、ブラジルのみならず、他地域のポルトガル語の特徴についても学び、場面や地域に応じて適切に使い分けられる能力を身につけたいと考えている。 【渡航・滞在先住居について】 (1) 派遣先への出願 (気を付けるべき点など) 今後は、ポルトガル語の語彙や文法知識を継続的に積み重ね、言語運用の精度と表現の幅をさらに高めていきたい。また、ブラジルのみならず、他地域のポルトガル語の特徴についても学び、場面や地域に応じて適切に使い分けられる能力を身につけたいと考えている。 (2) ビザ申請 (気を付けるべき点や、申請から発行までにかかった時間など) ビザ申請は最も注意を要する手続きである。取得に時間を要する書類も多く、慣れない手続きが続くため精神的に不安になることもある。 特に以下の書類は発行に時間がかかるため早期対応が必要である。 • 無犯罪証明書 • 戸籍謄本の取得と英語訳 書類取得から申請完了まで一定の時間を要するため、十分な余裕を持って計画的に進めることが重要である。多少のトラブルがあっても自力で対応する姿勢が求められる。 (3) 航空券を予約した方法 (旅行代理店や利用したウェブサイトなど) 航空券は Trip.com および Skyscanner を利用して比較検索し、最安値を選択した。旅行代理店を利用すると費用が上がると判断し、オンライン予約のみで手配した。結果として約15万円で渡航することができた。 (4) 渡航したルート 東京(NRT) → チューリッヒ(ZRH) → サンパウロ(GRU) → リオ・デ・ジャネイロ(GIG) 長距離移動となるため、乗り継ぎ時間には余裕を持つことが望ましい。 (5) 最寄りの空港から大学または住居までの移動 (大学の出迎えサービスがあったか、どの交通機関を使用したかなど) 大学による出迎えサービスはなかった。 リオ・デ・ジャネイロ到着後、Rodoviária Novo Rioへ移動し、そこからジュイス・ジ・フォーラ行きの長距離バスを利用した。事前にバス会社や時刻表を確認しておくと安心である。購入は、事前にネットで行った。 (6) 滞在先住居を探した方法 (大学の寮に申し込めたか、寮に滞在した場合は申込みの方法やいつ頃申し込んだか、不動産業者や特定のウェブサイトを使用した場合はその名称やURLなど、住居を手配した方法を詳細に記入してください) 渡航前から、KUISに留学していた友人の紹介で知り合ったオーナーに連絡を取り、複数の物件を内見した上で契約した。 一般的には以下の方法も有効である。 • Facebook • Viva Real 紹介経由は信頼性が高く、契約までの流れも円滑であった。 (7) 滞在先住居についての詳細 (費用の支払い方法、設備や備品は何があったか、メンテンスの状態など) 家賃:約R$800 支払方法: • Wise経由 • Pix mobiliado(家具付き)物件を契約したため、生活に必要な基本設備は整っていた。 備え付け設備 • ベッド • 机 • クローゼット • フライパン • 洗濯機 自身で購入したもの • マットレス • 枕 • ハンガー • 時計 • 鏡 到着直後から生活を開始できる環境であり、メンテナンス状態も概ね良好であった。 (8) 滞在先についての感想、アドバイス (どのような生活をするべきか、何を持っていくべきかなど) 生活費を抑えるためには、大学の学食と自炊を中心とした生活が最も効率的である。特に学食は低価格で栄養バランスも比較的良く、日常的に活用することで支出を大幅に抑えることができる。 移動手段については、以下のサービスを適切に使い分けることで交通費を節約できる。 • 長距離バス • BlaBlaCar(相乗りサービス) • 99 • Uber 特に都市間移動では長距離バスやBlaBlaCar、市内移動では99やUberを利用することで、安全性と費用のバランスを取りやすい。 生活環境については、住宅によっては虫が頻繁に発生する場合がある。特に気温や湿度の高い時期は増加する傾向があるため、虫除けスプレーや殺虫剤などの対策用品を準備しておくと安心である。 また、ブラジル人の友人は非常に社交的で、こちらから積極的に声をかけることで様々な場所に連れて行ってくれることが多い。行きたい場所や挑戦したいことを日頃から周囲に共有しておくと、偶然その地域出身の友人と繋がったり、有益な経験に発展したりする機会が生まれる。受け身ではなく、自ら意思表示をすることが生活の充実度を大きく左右すると感じた。 【滞在国・地域での生活について】 (1) 現地での支払方法や現金の調達 (どの支払い方法を主に使用していたか、現金をどうやって引き出したか、日本からどうやって送金したか、クレジットカードはどの程度使用できるかなど) 日常生活では現金の使用頻度は非常に低かった(旅行先でのバス利用時を除く)。 日本の銀行からWise経由で Banco do Brasil に送金し、ATMで引き出していた。クレジットカードやPix決済が広く普及しているため、キャッシュレス環境は整っている。 (2) 携帯電話 (現地で携帯電話やSIMカードをどうやって購入したかなど) ショッピングモール内の Vivo 店舗でSIMカードを契約した。事前に料金プランを調査していたため、契約はスムーズであった。 (3) インターネット (キャンパス内や住居、街中でのインターネットの繋がりやすさなど) 大学では図書館のWi-Fiは安定しているが、教室によっては接続が不安定な場合があった。住居のインターネット環境は快適で問題はなかった。 (4) 医療 (現地で病院にかかったか、その際の対応はどうだったか、困ったことはあったかなど) 5月に発熱と吐き気が続いたため、UPA(公立救急医療機関)を受診した。渡航前から、ポルトガル語で自分の症状や直近の食事内容、服薬状況などを整理しておき、説明できる準備をしていたことが非常に役立った。また、ブラジル人の友人に同行してもらったことで、受付手続きや問診での意思疎通もスムーズに行うことができた。 現地の医療スタッフは非常に丁寧で、症状を確認した上で迅速に点滴治療を施してくれたため、短期間で体調を回復させることができた。 (5) 日本から持っていくべきもの  • 撥水・防水ハイキングシューズ • マリンシューズ • 防水・防風ジャケット • 40L程度の旅行用リュック • 速乾インナー(夏用) • ヒートテック(冬用) • 室内干しでも乾きやすいタオル • 日本製の医薬品・化粧品 • 湿布、外用薬、虫刺され薬 • 軟膏(オロナイン類似) • アースノーマット • ポケットティッシュ • ふりかけ • はらまき • 変換プラグ • 体温計 • 腕時計 • 文房具 • USBケーブル複数本 • コロコロ、消臭スプレー (6) 治安状況 (どのような危険があるか、どうやって情報を入手したか、どのような対策をしていたか) ジュイス・ジ・フォーラではDom Bosco地区に注意していれば大きな問題は感じなかった。 一方で、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロ、ノルデスチ地方、イベント参加時は以下を徹底した。 • 高価に見える服装を避ける • 荷物を最小限にする • 場合によっては携帯電話を持参しない • 現地人と行動する • 領事館情報や現地ニュースを事前確認 過度に恐れる必要はないが、リスク管理意識は不可欠である。 (7) 食事 (毎食どのように用意したか、大学の学食があったか、学食や外食はいくらくらいか) 基本は学食と自炊であった。 学食は1食約40円で、平日は昼・夜の利用が可能である。 外食は、 • チェーン店:約1,000円 • 高価格帯の店:約2,000円(サービス料込み) 物価差を考慮すると、学食のコストパフォーマンスは非常に高い。 (8) 情報の入手 (書籍やウェブサイト、ガイドブックなど、現地の情報をどのように入手したか) ガイドブックは使用せず、主にTikTokやInstagram などのSNSで観光情報を事前に調査した。現地では友人や知人からの口コミ情報が有効であった。 (9) 特筆すべき文化や習慣の違い、気を付けるべき点 LGBTや宗教に関する価値観は日本と大きく異なる。多様な立場が明確に存在し、自身の意見を求められる場面も多い。曖昧な態度ではなく、相手を尊重しつつ自分の立場を明確に示す姿勢が重要である。 【進路について】 ※目標編(非公開)と重複しても構いませんが、公開することが差し支える内容は目標編に記載してください。 (1) 留学終了後の進路 (就職、進学、未定など、決まっておりかつ公開が差支えなければ就職先や進学先) 卒業後は、日本企業のうち海外駐在の機会がある企業を中心に就職活動を行う予定である。特に、将来的に海外拠点での業務に携わることができる環境を志望している。あわせて、在外公館派遣員試験にも挑戦し、外交・国際業務に関わる可能性も模索していきたいと考えている。 (2) 現地での就職活動や進学準備 (現地から日本の企業に就職活動をしたか、日本企業のジョブフェアなど現地で就職活動をしたか、大学院の進学準備をどのように行ったかなど、した場合その方法) 留学期間中、本格的な就職活動は十分に行うことができなかったが、留学初期にはオンラインで実施されている企業の合同説明会に参加し、業界研究や自己分析を進めていた。 同期の進路が次々と決定していく中で焦りを感じる場面もあったが、最終的には「今年度中の就職活動は行わず、帰国後に取り組む」と判断した。その決断により、留学中は目の前の学習や現地での経験に集中することができ、自分のペースで将来を考える時間を確保することができた。 結果として、留学期間を中途半端な状態で終えることなく、学業および現地活動に専念できたことは有意義であったと感じている。 (3) その進路に対して留学経験をどう活かすか 将来的には、ブラジルあるいはポルトガル語圏と関わる業務に従事し、留学で培った語学力を実務レベルで活かしたいと考えている。 また、語学力のみならず、異文化環境における適応力、多様な価値観を受け入れる姿勢、主体的に行動する力といった非認知的能力も、今後の職務において重要な資産になると考えている。 特にブラジルでの経験を通して得た「自分の常識を相対化する視点」は、国際業務に限らず、組織内外の多様な立場の人々と協働する上で大きな強みになると考えている。 【今後留学を目指す学生へのアドバイス】 留学を検討している学生は、「なぜ自分は留学をしたいのか」「なぜ旅行ではなく“留学”でなければならないのか」という問いに、時間をかけて向き合うべきである。 旅行は非日常を“体験”するものであるのに対し、留学は非日常を“生活”に変える選択である。旅行では都合の良い部分だけを切り取ることができるが、留学では言語の壁、制度の違い、文化的摩擦、孤独、不安といった現実と継続的に向き合うことになる。だからこそ、自分の動機が曖昧なままでは、困難に直面した際に立ち戻る軸を失ってしまう。 明確で立派な理由が最初からある必要はない。しかし、「なぜ今なのか」「なぜその国なのか」「その経験を通して自分はどう変わりたいのか」といった問いを自分自身に投げかけ続けることが重要である。その内省の過程こそが、留学を単なる海外滞在から“自己変容の機会”へと昇華させる。 留学は、良くも悪くも自分の前提を破壊する経験である。これまで当然だと思っていた価値観、正しさ、常識が通用しない場面に何度も直面する。自分の語学力の未熟さ、論理性の弱さ、視野の狭さを突きつけられることもある。その過程は決して快適ではない。しかし、その不快感こそが成長の源泉である。 異なる文化の中で生活するということは、「自分が多数派である」という前提を失うことである。自分の意見が常識ではなくなり、自分の文化が基準ではなくなる。その経験を経ることで、初めて他者の立場を本質的に理解する視点が養われる。これは語学力以上に価値のある財産である。 また、留学を選択することで、周囲とは異なる時間軸を歩むことになる可能性もある。就職活動の時期がずれる、卒業が遅れる、キャリアが一時的に停滞するように見えることもある。しかし、人生を長期的な視点で捉えたとき、数か月や一年の差異は決定的なものではない。むしろ、自ら選択し、自ら責任を負った経験の蓄積こそが、その後の人生の意思決定を支える基盤となる。 留学の価値は、「どこへ行ったか」ではなく、「その環境でどれだけ主体的に行動したか」によって決まる。受け身で過ごせば、どれほど遠い国にいても成長は限定的である。一方で、自ら問いを持ち、人に会い、挑戦し、失敗し、振り返ることを繰り返せば、その経験は確実に血肉となる。 最終的に重要なのは、留学を“特別な経歴”にすることではなく、“自分の思考と選択の質を高める経験”にできるかどうかである。 それでもなお挑戦したいと感じるのであれば、迷う時間も含めて意味のある過程である。勇気を持って一歩を踏み出してほしい。 留学は、単なる海外経験ではない。自分が無意識に抱いてきた前提や常識を問い直し、思考を更新し続けるための環境であり、自身の可能性を拡張するための実践的な訓練の場であると、私は強く感じている。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
【① 気候、衣服】  1月の気候は、不安定そのものだった。今月はジュイス・ジ・フォーラ、リオ・デ・ジャネイロ、サンパウロなど複数の都市に滞在したが、いずれの地域においても、真夏日を思わせる強い暑さを感じる日があった一方で、長袖が必要と感じるほど気温が下がる日もあり、日による寒暖差が非常に大きかった。  月を通した気温の目安としては、最低気温が約16℃、最高気温が約33℃程度であり、天候によって体感温度が大きく左右される印象を受けた。特に晴天時の日差しは強く、同じ気温であっても、日本のような蒸し暑さではなく、日差しそのものによる暑さを強く感じる場面が多かった。また、日差しの影響により、1日屋外を歩いているだけでも肌が大きく日焼けしてしまうことがあるため、日焼け止めに加え、現地で広く使用されているPos sol(日焼け沈静用アロエジェル)などを携帯することの重要性を実感した。     さらに、11月頃から雨の日が増え始め、1月に入ってからも降雨の頻度は高い状態が続いている。ブラジルの雨は短時間で激しく降る、いわゆるスコールのような形態が多く、外出前に天候を確認する習慣が欠かせないものとなった。現地で販売されている雨具は簡易的なものが多く、耐久性の面で不安を感じる場面もあったため、日本から高性能なレインウェアや折り畳み傘を持参することは、実用面で大きな利点があると感じた。私は上着用のカッパのみを持参していたが、防水性のある靴や下半身用の装備を用意していなかったため、この点については少し後悔している。 【② 学校生活と授業】  今月は後期の最終月にあたるため、各授業においてテストが実施された。テストの形式はオーラルテストや筆記試験、プレゼンテーションなど多岐にわたり、後期を通じて身につけた語学力や理解度が総合的に問われる内容であった。前期と同様に、単なる暗記では対応できない設問が多く、準備にはかなりの時間を要した。 特にオーラルテストでは、即興的な受け答えや自分の意見をその場で組み立てて発話する力が求められ、単なる知識量だけでなく、実際に使える言語運用能力を重視する授業方針が明確に表れていると感じた。  また、この1年間の留学生活を通じて多様な授業に参加し、多くの学びを得てきたが、今月でそれらすべてが終了したことで、留学としての1つの大きな節目を迎えたことを強く実感した。 日々の授業に追われていた期間は長いようで短く、学習が日常の一部として定着していたからこそ、その終わりを迎えた際には静かな寂しさを覚えた。  しかし、後期の終了をもって私の学生生活における全授業が完結した現在、これまで受講してきた授業を改めて振り返ると、受講して後悔したものは1つもなく、いずれの授業においても、自身の語学力のみならず、異なる価値観に向き合う姿勢や考え方そのものを広げる貴重な経験になったと感じている。これらの学びは、私の今後の学習や将来の進路を考えるうえでも重要な基盤になると確信しており、改めて自身で選択してきた進路が、意義のあるものであったと認識する契機となった。 【③ 私生活】 リオ・デ・ジャネイロ/コパカバーナビーチでの年越し  2025年も大晦日を迎え、海外で初めて新年を迎えることとなった。昼過ぎ、地球の反対側にある日本ではすでに年が明けており、LINEや Instagramなどの SNS上には「明けましておめでとう」という言葉が次々と流れていた。画面の向こうでは新年が始まっていて、自分だけがまだ2025年に取り残されている状態に、時差というものをこれまで以上に強く意識させられた瞬間だった。  大晦日のリオ・デ・ジャネイロは、日本で一般的に見られる落ち着いた年末の雰囲気とは大きく異なり、観光都市であることも相まって、街全体がお祭りのような高揚感に包まれていた。留学前から、2026年の年明けはコパカバーナビーチで迎えたいと考えていたため、この日はブラジル人の友人とともに、伝統に倣って全身白い服に着替え、夕方17時頃、早めにコパカバーナへ向けて出発した。 (ブラジルでは、新年に平和や幸せを願い、白い服を身に着ける習慣がある。また、年明けに海へ入り、7回波を越えながら願い事をするという伝統的な儀式もある。)  当日のコパカバーナ周辺は想像以上の混雑で、19時以降の車両の進入が閉鎖されていたため、主な移動手段は公共バスや電車、徒歩に限られていた。バスは乗車率が100%近く、途中乗車が難しいほどであるが、友人から事前に情報を得ていたため、私たちは始発から乗車することで大きな支障なく現地へ向かうことができた。年末に同地を訪れる際には、ブラジル人と一緒に行くか事前の情報収集が重要であると感じた。  ビーチに到着すると、前面の道路は歩行者天国となっており、街中から集まった多くの人々で溢れていた。リオの年末年始は治安面に不安を抱いていたが、実際には警察官や機動隊の姿が至る所にあり、周囲の雰囲気も含め、想定していたほどの不安は感じなかった。ビーチに設置された特設ステージでは、有名アーティストによるライブが絶え間なく行われ、日本の年末とは全く異なっていた、音量も規模も規格外で賑やかな年末の光景が広がっていた。  当日は10数名のグループで訪れていたため、カンガを6〜7枚ほど敷き、それぞれが持ち寄ったお菓子やジュースを囲みながら、年明けの瞬間を待った。カウントダウンが始まると、多くの人々が一斉に海の方向へ集まり、身動きが取りづらいほどの混雑の中で空を見上げていた。  「0」の掛け声と同時に、夜空を覆い尽くすような花火が一斉に打ち上げられ、その迫力に圧倒された。日本の花火大会と比べても規模は非常に大きく、日本でいうクライマックスに相当する花火が、約30分間にわたって続いた。周囲は拍手と歓声に包まれ、その場にいる全員が同じ瞬間を共有し、一体感を強く感じた。  その後はドローンショーが始まり、夜空にコルコバードのキリスト像が描かれたり、「2025」から「2026」へと数字が切り替わる演出が行われたりする様子を見ることができた。日本の伝統的で静かな新年とは異なる、賑やかで祝祭的な年明け、そして初めて目にした大西洋から昇る初日の出、すべてが新鮮で強く心に残る体験となった。ここで新年を迎えられたことで、今年もまた新たな挑戦に前向きに取り組んでいきたいという気持ちを一層引き締めることができた。 帰国する友人達  1月を迎え、UFJFではまだ授業が継続しているものの、ストライキの影響を受けていない他大学では学期が既に終了しており、それぞれ母国へ帰国する友人たちが出始めた。 1年間という限定的な期間ではあったが、多くの時間を共に過ごした友人が次々と帰っていく現実は想像以上に寂しく、次はいよいよ自分の番なのだと思うと、ブラジルでの生活が一層名残惜しく感じられた。  私を含む帰国予定の留学生組と現地の学生達で Despedida(お別れ会) を開き、これまでの留学生活を振り返りながら思い出を語り合い、写真を撮り、さらには互いにメッセージを書き合うなど、限られた残りの時間を惜しむように過ごした。中には、別れを前に涙を流してくれる友人や、わざわざサプライズプレゼントを用意してくれた友人もおり、その瞬間、自分がどれほど多くの人に支えられ、恵まれ、そして大切に思われていたのかを強く実感することができた。  留学生活の終わりが近づくことは寂しく、時に辛さも伴います。しかし、ここでしか出会えなかった友人や、ここでしか得られなかった経験、そして数えきれない思い出が胸に刻まれているからこそ、心から「留学をして本当によかった」と思えました。 アマゾン旅行  ブラジルでの最後の旅行先として、私はアマゾン州の州都マナウスを選びました。 アマゾンは説明不要な地球の肺であり、ブラジルをブラジルたらしめている象徴的な地域でもあります。世界最大の流域面積を誇るアマゾン川と、広大な熱帯雨林を有するこの地を、自分の目で確かめずに帰国するわけにはいかないと感じていました。  リオ・デ・ジャネイロからサンパウロを経由し、マナウス空港へ向かう機内で、眼下にアマゾン川が見えた瞬間、その規模に思わず言葉を失いました。 流域面積が世界一で、「海のように見える」と聞いてはいましたが、実際に上空から見た印象はそれをはるかに超えていました。最初に頭に浮かんだ感想は、「海の上に森が浮かんでいる…」といったもので、人間の想像や理解度を軽々と超えてくる光景でした。この異様とも言えるスケールを前に、これから始まる旅への期待で胸の高鳴りが止まりませんでした。  マナウス到着後は、日本の真夏をそのまま思い出させるような、湿度を伴った蒸し暑さに包まれながらホテルへ向かい、翌日以降の行程に備えて体を休めました。 熱帯雨林散策ツアー  滞在中、アマゾンの自然をより深く体感するため、現地の Tucano Turismo というツアー会社を利用し、1人 R$300の日帰り探索ツアーに参加しました。 インターネット上では同様のツアーが R$450以上、かつ宿泊を伴うものしか見つからず、日帰りでの参加を希望していたため、現地到着後に直接店舗を訪れて予約を行いました。ポルトガル語で直接やり取りしたことで、相場よりも安く予約できただけでなく、複雑な集合場所や当日の流れも問題なく理解することができ、自身の語学力の向上を実感する機会にもなりました。  ツアーでは、車で街の中心部から約3時間移動し、鬱蒼と木々が生い茂るジャングルの中へ入っていき、下車後森の中を歩きながら、洞窟や滝など熱帯雨林ならではのスポットを巡っていきました。雨季の時期で天候が不安定だったため、カッパ、滝用のサンダルと水着、虫対策として長袖・長ズボン、虫除け(SC Johnson社Repelente Exposis Extreme)を持参しました。参加者は、13名程でブラジル国籍の方はおらず、英語での説明も多くありました。 (バンの乗車人数に限りがあるので利用する場合は、早めの予約をお勧めします。 集合は、Teatro Amazonas 近くにあるHotel Dez de Julho 前に7:15でした。)  実際には半袖・半ズボンの参加者も多く、想像していたほど虫はいませんでしたが、万が一があるためやややりすぎ程度の対策をしておいて損はないと感じました。靴はトレッキングシューズを履いていきましたが、泥濘や水の中を進む場面も多く、マリンシューズや折り畳み式の長靴があればより便利だったと思います。  森を1時間ほど歩いた先で、大きな滝に到着しました。水は茶色く、流れも速く、少し泡立っている様子でしたが、多くの観光客が泳いで楽しんでいました。  「アマゾンで泳ぐ」という1つの夢を叶えるため、私も勇気を出して近くの岩場から水に飛び込みました。見た目の色から少し身構えていましたが、実際に入ってみると水は思っていたよりも心地よく、流れも想像ほど強くはありませんでした。茶色く濁った水に身を委ねるという非日常的な感覚がむしろ心地よく、滝の轟音を間近に聞きながら水面に浮かんでいると、世界最大級の熱帯雨林の中にただ自分がひとりぽつんといるのではないかという錯覚さえ覚えました。巨大な自然の中で遊んでいるという解放感に包まれ、時間の感覚さえ曖昧になるようなひとときでした。  水から上がったときには、「本当にアマゾンで泳いだ」という実感が強く残り、単に楽しかったという以上に、自分の中の1つの夢を確かに叶えたという満足感を覚えました。 先住民の洞窟  その後、車で別の森へ移動し、ガイドさんとともに再び1時間ほど歩き続けると、突然視界が開けた岩場に到着しました。巨大な岩が重なり合って自然の通路を形成し、その奥には洞窟と、上から滝が流れ落ちる幻想的な空間が広がっていました。  ガイドさんによると、この洞窟は約2000年前に実際に先住民が使用していた場所であり、光が差し込む滝は聖地として扱われていたそうです。洞窟の奥には調理場の跡も残されており、森の中に突如現れる岩場という地形の特性上、狩りをせずとも動物が自然と落ちてくることもあったと説明を受けました。  実際に彼らの生活の痕跡を目の当たりにし、この場所にわざわざ足を運んだからこそ貴重な体験ができました。熱帯雨林の自然だけでなく、人々の歴史にも触れることができた、非常に意義深い旅となりました。 アマゾン料理  アマゾン旅行中、特に驚かされ、感動したのが郷土料理の数々でした。 この地域では川で獲れる魚が日常的に食卓に並び、ジュイス・ジ・フォーラで肉中心の食生活を送っていた私にとって、アマゾンの魚料理は大きな楽しみの1つでした。  Mercado Municipal(中央市場)では、滞在中に何度も地元料理を味わう機会があり、世界最大の淡水魚である Pirarucu(ピラルク) をはじめ、Pacu(パクー)、Tambaqui(タンバキ)、Jaraqui(ジャラキ)、Piranha(ピラニア) など、さまざまな魚を主にフライでいただきました。  味の印象としては、 ・Pirarucu(ピラルク)はクセのない上質な白身魚で、骨もほとんどなく非常に食べやすいのが特徴です。ムケッカとして提供されることもありました。 ・Pacu(パクー)は皮が鶏皮せんべいのような味わいで、身は鶏肉と白身魚の中間のような食感でした。ただし骨が非常に多く硬いため注意が必要で、実際に口の中に骨が刺さり、出血してしまったこともありました。 ・Tambaqui(タンバキ)は脂が多く、ジューシーで食べ応えがあり、特にムケッカとの相性が良い魚でした。 ・Jaraqui(ジャラキ)は卵にししゃものような苦味があり、全体としてはタラに近い味わいでした。 ・Piranha(ピラニア)は味がほとんどなく、骨が非常に多いため可食部分が少ない魚でした。提供している店もほとんど見かけず、唯一見つけた店でも昼頃には在庫がなく、予約をすれば夜までに仕入れるという状況で、日常的に食べられているものではないと感じました。  ピラニアを除く多くの魚料理は、ワンプレートにご飯やフェイジョアーダが付いて R$25〜40程度 で提供されており、レモンを絞って食べると、日本の唐揚げのような感覚で次々と箸が進みました。これほど多くの川魚を食べる機会は初めてで、非常に満足度の高い食体験となりました。 船ツアー  翌日は、Boto Da Amazônia のツアー会社を利用し、1人 R$140 の船ツアーに参加しました。このツアーは WhatsApp を通じて事前予約を行い、朝8時に Mercado Municipal に集合した後、船で複数のスポットを巡る内容でした。参加者は約30人で、熱帯雨林散策ツアーとは異なりブラジル人の参加者が多く、ガイドも含めほぼすべてポルトガル語で進行されました。そのため、他の観光客とポルトガル語で会話する機会も多く、実践的な語学経験の場にもなりました。  大型船でのツアーだったため、船内には浄水器やトイレも完備されており、非常に快適な環境でした。Rio Negro(ネグロ川) を進むにつれて、川幅の広さと心地よい風に包まれ、まるで大海原へ航海に出たかのような感覚を覚えました。 Encontro das Águas(川の合流地点)  最初に向かったのは、Rio Negro(ネグロ川)と Rio Solimões(ソリモインス川)が、混ざり合うことなく並んで流れる「Encontro das Águas」と呼ばれる場所です。pH値や水温、流速の違いによって、色の異なる二つの川が一本の線を引いたように分かれて流れる、アマゾンを代表する景色の一つです。  船で20分ほど進むと、それまで一面に広がっていた黒い川の向こう側に、泥色がかった真っ茶色の水が現れました。近づくにつれて境界線ははっきりとし、水と油が分かれるように、二つの川が混ざる気配なく流れているのが目に見えて分かりました。その光景に、乗客たちは身を乗り出して写真や動画を撮り、船内は自然と盛り上がっていきました。  周囲では野生のイルカの姿も確認でき、ただ景色を眺めているだけでも、アマゾンという場所のスケールと不思議さを肌で感じる時間となりました。 ピラルク釣り  川の合流地点を後にした後は、そのままソリモインス川をしばらく遡りました。途中、現地の人々が小型ボートで移動する様子や、川の上に森が浮かんでいるかのような独特の景観も見ることができました。  やがて小さな水上施設に到着し、「これからピラルク釣りを行います」というアナウンスが流れました。施設にはピラルクの生簀が設置されており、すでに他の観光客が釣りに挑戦していました。水面から時折現れる巨大な鱗や尾びれが、水飛沫を上げながら動く様子は圧巻でした。  3回で R$10 のチケットを購入し、約10cmの小魚を餌にした釣竿を受け取り挑戦しました。竿を入れた瞬間、強靭な力で引き込まれ、姿を見ることも叶わず30秒足らずで餌を持っていかれてしまいました。そもそもピラルクは世界最大の淡水魚で、体長は最大 4.5m にも達する古代魚であり、約 1億年前 から姿を変えていない「生きた化石」とも呼ばれる怪魚です。そのため、竿1本で釣り上げるのは成人男性でも非常に困難です。  再挑戦では集中して臨み、強烈な引きに耐えながら力いっぱい竿を引くと、水中から巨大な頭部が姿を現しました。その姿はまるで恐竜のようで、約10秒間の格闘の末、再び敗北しましたが、その圧倒的なスケールとパワーを体感することができ、非常に印象深い体験となりました。 インディオの集落訪問  その後、インディオの集落を訪れました。集落では、顔にペイントを施してもらったり、伝統的な儀式を見学したり、インディオの人々やナマケモノと写真を撮る機会がありました。  しかし、写真撮影にはインディオが一人R$10、ナマケモノは一回R$25程度と明確な料金が設定されており、全体として強い観光ビジネスの色を感じました。特に印象的だったのは、集落で対応していたインディオの中に、同年代あるいは年下に見える若い女性たちも多く含まれていた点です。彼女たちは終始無表情で、儀式や撮影対応もどこか事務的に進められており、文化を共有する場というよりも、観光客を相手にした労働の場として機能しているように感じられました。  また、ナマケモノやワニとの写真撮影では、かなり積極的に勧誘される場面も多く、動物が文化体験の一部というより、収益のための「道具」として扱われている印象を受けました。個人的には、この点については違和感が強く、心から楽しめたとは言い難い体験でした。さらに撮影を断る場合は、曖昧な態度ではなく、かなり強めの意思表示をする必要があるとも感じました。撮影を希望する場合でも1頭ごとに請求をされてしまうので、同時に複数の動物を身体に乗せられないよう注意が必要です。 カワイルカ(ボト)  旅の最後に訪れたのは、今回の最大の目的の一つであるカワイルカ(通称ボト)が生息するスポットでした。ボトはアマゾン川流域のみに生息する固有種のイルカで、淡いピンク色の体を持つことが特徴です。絶滅危惧種にも指定されており、幼い頃に図鑑で眺めていた存在を、実際にこの目で見て触れられるという事実に、現地へ向かう前から自然と胸が高鳴っていました。  ガイドが水に入り、餌を撒いて呼び寄せると、水面下から次々と大きな魚影が現れ、あっという間に周囲を取り囲みました。ガイドが腕を上げて魚を差し出すと、ピンク色のイルカが水面から顔を出し、勢いよく餌をくわえていきました。そのたびに船上から歓声が上がり、現場は一気に熱気に包まれました。  ライフジャケットを着用し、私もイルカを囲むように水に入ると、水面から見えていたのはせいぜい2頭ほどだったにもかかわらず、実際には足元に何頭ものイルカが集まっていました。つるりとした体が手や足に触れ、ときには足の間をすり抜けるように泳ぎ、まるで持ち上げるかのように体を預けてくる瞬間もありました。  人生で初めてイルカと共に泳いだ体験は、想像をはるかに超えるもので、アマゾンの自然の豊かさと生命の近さを強く実感する時間となりました。深い満足感と余韻を胸に、旅の終わりを迎えました。 【総括】   1月は、複数のテストや発表を乗り越え、私の学生生活における最終学期を納得のいく形で締めくくることができた月であった。語学力の向上だけでなく、物事を多角的に考える力や異なる価値観を受け入れる姿勢の成長を実感できたことは、留学という選択が確かな意味を持っていたことの証になった。  私生活では、友人たちが次々と帰国していく姿を見送りながら、以前から覚悟していたはずの自身の帰国という現実が、日を重ねるごとに重みを増していった。別れの寂しさと同時に、多くの人に支えられてきた1年だったのだと気づく場面も多く、そうした思いを噛みしめる中で、この留学生活の充実を改めて実感した。  また旅行面では、念願であったアマゾン州マナウスを訪れ、世界最大級の熱帯雨林を実際に体感する機会を得た。熱帯雨林探索ツアーでは鬱蒼とした森を歩き、夢であったアマゾン川で泳ぎ、さらに先住民の歴史的痕跡にも触れることができた。自然の壮大さだけでなく、そこに積み重なってきた人々の営みにも向き合えたことは、極めて意義深い経験であった。さらに船ツアーにて、川を進みながらアマゾン固有の生物達に触れ、目の前に広がる自然の豊かさ肌で感じた。アマゾンを「歩き、泳ぎ、食べ、触れる」という五感すべてを使った体験は、単なる観光を超え、巨大な自然と真正面から向き合う時間であったと言える。  1月は、学業の一区切りを迎え、留学生活の終わりを実感しながら、念願であったアマゾンという象徴的な地にも足を踏み入れた、極めて密度の高い1ヶ月であった。来月にはいよいよ帰国を控えている。留学の締めくくりとして、私がブラジルを知るきっかけとなったブラジル最大のイベント、リオのカーニバルが待っている。最後の最後までこの国を自分の目で確かめ、心から楽しみ、確かな満足感を胸に日本へ帰国したい。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-12
月次報告書12月分
カウントダウン
2025年も終わりを迎えようとしています。毎年この時期になると、「一年あっという間だったな」と感じますが、今年、より一層そう感じるのは初めてのことが多かったからでしょうか。人生初飛行機。人生初海外。人生初一人暮らし。最初はうまくいかないことも多かったですが、帰国を直前に控える中で「まだ帰りたくない」という感情を芽生えさせてくれたブラジルには感謝でいっぱいです。 〈気候〉  暦の上では夏です。しかし12月前半は雨が多いこともあり、そこまで気温は上がらない日も多かったです。一日中小雨が降っては止んでをくり返す日は、半袖一枚ではだいぶ肌寒かったです。それでも年末が近づくにつれ気温はどんどん上がっていき、昼間は30℃を超えます。この時期は夜になっても気温が下がらず、扇風機を回したままでないとかなり寝苦しかったです。ちなみに今月、土砂降りにより標高が低いセントロ地区で洪水が起きました。 〈授業〉  陶芸の授業のみ、年内に終了しました。最終課題は、作品提出+その作品についてのプレゼンでした。しかし先生との一対一でのプレゼンだったため、そこまで緊張せずに行うことができました。 〈食事〉  帰国が近づいているため、友人と食事に行く回数が多かったです。現地の人しか知らないようなお店を訪れたり、ミナスジェライス州の料理を味わうことができたりしてよかったです。また初めて海外でクリスマスを迎えたわけなのですが、ブラジルでは家族で過ごすことが一般的です。さらにジュイスには一人暮らしをしている若者が多いため、ほとんどの友人はそれぞれの街に帰ってしまいました。そのためどのように過ごすか迷っていたのですが、運がいいことに、今住んでいるシェアハウスの大家さんが親戚の集まりに招待してくださいました。24日の夕ご飯と25日の昼ごはんをご馳走になり、感謝でいっぱいです。 〈年越し〉  クリスマス同様、年越しもブラジルで過ごしました。南半球で最も人が集まると言われるリオのビーチ・コパカバーナで年越しをしました。ここでは白い服を着るのが一般的だそうで、「平和」や「幸運」「新しい、始まり」などの意味が込められているそうです。いざ年が変わる瞬間を目前に控えカウントダウンをしていると、終わりに近づいているのは2025年だけでなく、留学もなんだと感じて少し寂しくなりました。しかし2026年になった瞬間に空に上がった花火を見ていると、あの花火のように大きく花開ける一年にしたいと感じました。コパカバーナについてから、翌日宿に帰るまで、ずっとブラジル人の友人たちと一緒にいたため、危険な目に会うことはありませんでした。しかしビーチは人で溢れかえっており、犯罪の温床になりうる条件が揃っています。もし今後コパカバーナで年越しをしたいと考えている人は、必ず現地の人と行動するようにしてください。  あと1ヶ月。何ができるのか考え、後悔なく留学が終えられるようにします。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
【① 気候、衣服】  12月のジュイス・ジ・フォーラは、11月に引き続き天候の不安定さが見られるものの、季節としては完全に夏へと移行しました。月全体を通して気温は高く、月の最高気温は32℃、最低気温は15℃、平均気温はおよそ23℃となり、日本の初夏から真夏を思わせる気候が続きました。  11月までは朝晩に肌寒さを感じる日もありましたが、12月に入るとそうした冷え込みはほとんど見られなくなり、日中は汗ばむことが多くなりました。そのため、普段は半袖やタンクトップにショートパンツといった軽装で過ごすことが基本となり、衣服選びにおいても通気性や涼しさを重視するようになりました。  一方で、天候の安定度という点では注意が必要な月でもありました。晴天の日は11月と比べて増えたものの、突発的な豪雨に見舞われる日も少なくありませんでした。特に12月15日には、わずか1時間の間に85.8mmという非常に激しい雨が降り、道路の冠水やセントロ地区のショッピングモールの浸水、さらには山間部での土砂崩れなど、災害級と呼べる被害が各地で発生しました。   【② 学校生活と授業】  12月に入り、学校生活においては年末に向けて、発表や課題提出の機会が徐々に増えてきました。ブラジルの大学では、発表を通じて学習成果を示す場面が多く、日常的に人前で話す機会が頻繁に設けられていると感じています。  学習内容を直接問う定期テストに関しては、現地の学生と比べると十分な点数を取ることが難しい場面もあります。そのため、発表や課題については、内容や構成に十分な時間をかけ、毎回できる限り高いクオリティで提出することを意識して取り組んでいます。 ( 発表課題の具体的な内容については、各授業の授業内容の欄に記載しました。)  一方でスペイン語の年内最後の授業では、小規模な発表会が行われました。授業中に繰り返し練習してきたスペイン語の歌をクラス全員で歌ったほか、スペイン語圏の筆者によって書かれたポエムがその場で配布され、それをクラスメイトの前で音読するという活動も行われました。  私自身も、クラスメイトから急遽依頼を受け、彼が弾き語りで発表予定だった曲の中の日本語パートを担当することになりました。事前の準備時間はほとんどなく、本番で初めて歌う形となりましたが、強い緊張を感じつつも、無事に最後まで歌い上げることができました。 【③ 私生活】 日本人の会  今月は、留学生と現地で働く駐在員の方々が、半年に1度サンパウロに集まって開催される「日本人の会」に参加しました。前回もこの会に参加させていただきましたが、今回は2回目ということもあり、前回以上に積極的に行動し、この会で得られることを1つでも多く持ち帰ろうという気持ちで臨みました。  当日は複数のグループに分かれ、日系人コミュニティがブラジル社会に与えている影響や、AI 社会をどのように生きていくべきかといった、私たちの将来や仕事、生活に直結するテーマについて意見交換を行いました。その後、各グループで話し合った内容をまとめ、発表する機会も設けられました。  前回は緊張から思うように行動できなかった場面もありましたが、今回は積極的に駐在員の方に対して質問や意見を述べることができ、自身の将来の可能性を広げるために、より主体的に参加できたと感じています。  会の終了後には、参加者全員でシュハスコを囲み、和やかな雰囲気の中で交流を深めました。将来に対する素朴な疑問や不安から、日常生活やプライベートな話題に至るまで幅広く語り合うことができ、非常に有意義な時間を過ごすことができました。 田所商店ブラジル店!?  サンパウロを訪れる際は、久々に日本食を味わえる貴重な機会でもあるため、滞在中はなるべく日本食を食べるようにしています。今回もその一環として、友人に味噌ラーメンの店へ連れて行ってもらいましたが、そこで食べた一杯は、これまでブラジルで食べた日本食の中でも、最も強く印象に残るものとなりました。  今回訪れたのは「MISOYA RAMEN」という店です。日本食といえばリベルダージ地区を思い浮かべることが多いのですが、この店はパウリスタ通りから数分、MASPの近くにあります。この立地に本格的なラーメン屋があるとは知らず、訪問前から意外性を感じていました。  味噌ラーメンはもともと大好物であるため、期待しながら入店するとどこか見覚えのある店内… 違和感を覚えつつ席につきメニューを見た瞬間、思わずハッとしました。「田所商店だ!」  そうなんです、この店は神田外語大学の近くに本店を構える「田所商店」の海外店舗だったのです。幕張に通っていた頃から何度も足を運んでおり、日本に帰国したら必ず食べたい店リストの一つにも入れていため、まさかブラジルで再会することになるとは思ってもみませんでした。  日本で通っていた際、一番好きだった北海道味噌炙りチャーシューラーメンを注文し、待つこと数分、日本のものと全く同じ見た目のラーメンが運ばれてきました。失礼ながら、ブラジルでは写真と実際の商品が異なることも少なくないため、いくらチェーン店でノウハウがあるとはいえ、日本人の店員がいない環境で、ここまで再現度が高いとは正直予想していませんでした。  待ちきれずスープを一口味わった瞬間、味さえも日本とまったく同じであることに驚きを隠せませんでした。麺を啜っても、チャーシューを頬張っても、間違いなく日本で何度も味わった、あの田所商店の味でした。  ブラジルにある日本食は、日本食として提供されていても、味付けや完成度が日本と全く同じということはほとんどないのが現状です。しかし、このラーメンは例外で、味・見た目・店の雰囲気のすべてが日本での記憶と重なり、たった一杯のラーメンを通じて、日本で過ごしていた頃の思い出が蘇るほどの感動を覚えました。  たった一杯のラーメンに心を動かされ、強い満足感を抱きながら店を後にしました。後日調べてみると、同じ田所商店ブランドとして「SORA」という別のラーメン店も展開されていることを知りました。そちらでは醤油ラーメンも提供されているそうなので、次回サンパウロを訪れる際には、ぜひ足を運んでみたいと考えています。  ( ちなみに同じ同じと言ってますが、価格だけは大きく違い、一杯R$72にサービス料が加算されるので、価格は日本のおよそ2倍くらいします。そこだけが唯一の違いです。それでも食べに行く価値は十分あると思います!) Porto Alegre ポルトアレグレ  今月は、リオグランデ・ド・スル州のポルトアレグレを訪れました。大学2年時に拝野先生のブラジルの民族・地理という授業でこの地の存在を知り、最終課題にてガウーショ(カウボーイ)文化について調べて以来、この場所はブラジル滞在中に是非一度訪れたいなと思っていました。  愉快な港を意味するこの都市は、ブラジルでも有数の白人移民が多い都市で、ブラジルでありながらすれ違う人々の7割ほどが白人の方で、地理的な影響でアルゼンチンやウルグアイの文化なども感じられる、ブラジルの中でも他地域とは異なる独自の文化圏を形成している都市です。  都市の中には博物館や美術館館などが多く点在し、本来であればそれら全てを周りたかったのですが、訪れたのがクリスマスシーズンだったために、修繕工事や閉業期間に入ってしまい、何箇所かはお預けとなってしまいました。それでも有名な中央市場は営業しており、マテ茶のカップやBombilla(マテ茶用ストロー)、茶葉など現地ならではのお土産を購入することができました。  夜にはシュハスカリアを訪れました。リオグランデ・ド・スル州は、ガウーショ文化の中で発展したシュハスコの発祥地としても知られており、本場のシュハスコを一度は食べてみたいと思ってました。    店内に案内され本場のシュハスコといざ対面、一口食べてみると驚くほどジューシーで肉汁が溢れ出してきました。本場のシュハスコは、他州のもと比べ、肉自体に炭や煙の香りがしっかりと乗っており、高火力で一気に焼かれたためか外の皮は少し焦げが乗るほどカリカリで香ばしく、中はレアで美しいロゼ色に仕上がっていました。    今回は時間の都合で行くことができなかったですが、ブラジル最初のシュハスカリアとされる「Santo Antônio 」という店もここポルトアレグレにあるので、いつかまた次にこの街を訪れる機会があれば、改めて本場の味を求めて足を運びたいと考えています。 Gramado グラマド  グラマドは、ブラジル南部に位置する高原リゾートで、「ブラジルの中のヨーロッパ」とも呼ばれる街です。19世紀後半から20世紀初頭にかけて入植したポルトガル系、ドイツ系、イタリア系移民によって築かれたこの街は、ブラジルにありながらも、明らかに他の都市とは異なる空気をまとっていました。  街を歩くと、スイスやオーストリアなどのアルプス地方に見られるシャレー様式の建物が立ち並び、ヨーロッパの山岳リゾートに迷い込んだかのような錯覚を覚えます。冬には気温約8℃、年によっては0℃も記録したことがあるこの街では、夜にはチーズやチョコレートのフォンデュを楽しむ文化が根付き、街全体が「寒さを楽しむ場所」として完成されている印象を受けました。  また、グラマドは「イベントの街」としても知られています。ブラジル国内で高い評価を受けているグラマド映画祭が開催されるほか、年末には「Natal Luz」と呼ばれる大規模なクリスマスイベントが街全体を舞台に行われます。今回は、このNatal Luzのクリスマスパレードを見るために、グラマドを訪れました。  ポルトアレグレからバスに揺られること約3時間。街へと近づくにつれ、道路沿いには大量の紫陽花が咲き誇り、日本人の感覚では夏を連想させる花とクリスマスシーズンが同時に存在するという、不思議な季節感を味わいながら到着しました。  バスを降りた瞬間、目の前に広がっていたのは、クリスマス一色に染まったヨーロッパの街並みでした。ここが本当にブラジルなのかと疑ってしまうほど、建物の装飾や街灯、看板に至るまで細部まで作り込まれており、信号や電線さえも視界に入らず、テーマパークのような空間が広がっていました。  パレードが始まるまでの時間は、街を散策しながらチョコレート店や土産物店を巡り、カトリックの国で迎える初めてのクリスマスの雰囲気を存分に味わいました。日本のクリスマスとは異なり、各施設がバラバラにクリスマスの飾りつけをしているのではなく、街全体が本気でひとつのクリスマスを作り上げるその空気感に驚くほどの没入感を覚えました。  夜になると中央道路にパレード会場が設けられ、事前に購入していた有料席のチケットを手に入場しました。会場はこの日のために集まった観客で溢れかえり、パレードを一目見るための人々で会場周辺の道路は通行できないほどでした。  パレードが始まると、通りに張り巡らされたイルミネーションが一斉に点灯し、会場全体が強い光に包まれました。音楽が鳴り響く中、クリスマスの衣装に身を包んだキャストたちが次々と登場し、歌や踊り、観客へのファンサービスで、会場を一気に盛り上げていきました。  パレードは約1時間にわたって続き、その間、色鮮やかな山車が次々と目の前を通り過ぎていきました。それぞれの山車ごとに演出やテーマが異なり、照明の色や音楽の雰囲気も切り替わるためとても見応えがありました。上空からは人工の雪が絶え間なく降り注ぎ、生演奏で流れるクリスマスソングに合わせ自然と手拍子と笑顔が広がっていました。  気づけば私も、音楽と光、人々の歓声に包まれながら夢中になって楽しんでおり、視界に入るすべてが祝福に満ちていて、「クリスマスを祝う」という言葉の意味を初めて心の底から理解した瞬間だったように思います。ブラジルで迎えたこの夜は、私の心に強く残り、忘れることのできないクリスマスの思い出となりました。 リオデジャネイロで過ごすクリスマス  年末年始を過ごすため、リオグランデ・ド・スル州での旅の後、リオデジャネイロへと向かいました。  クリスマスイブにリオデジャネイロへ到着する予定だったため、グラマドでの壮大なクリスマスパレードを見た直後だったということもあり、リオデジャネイロのクリスマスはどのようなものなのかと楽しみにしていました。しかし、実際に過ごしてみると、その印象は一変しました。  リオでは、スーパーなどを含めたほぼすべての店が朝から晩まで閉まっており、iFood(ブラジル版Uber Eats)でさえも、注文受付後にキャンセルされ夕飯を食べられないといった状況に陥ってしまいました。  クリスマスには多くの店が閉まると事前にブラジル人から聞いていましたが、経済活動そのものがほぼ停止してしまうほどだとは想像しておらず、大きな驚きとカルチャーショックを受けました。 その一方で、日本では正月やクリスマス、お盆といった行事の時期であっても、生活に必要なサービスが一定程度維持されており、日常生活に大きな支障が出にくい社会構造になっていたことを改めて実感しました。  これから来る留学生の方は、クリスマス前から食材などを準備し、備えるようにしてください。 年末リオデジャネイロの治安  年末のリオデジャネイロは、国内外から多くの観光客が訪れる時期である一方で、治安は平常時と比べて明らかに悪化していると感じました。  実際に、私がリオデジャネイロを訪れる数日前には、在リオデジャネイロ日本国総領事館から、セントロ地区における邦人被害の強盗事件について注意喚起が出されていました。  12月17日午後3時頃には邦人男性2名が、また12月24日午後7時頃には邦人女性1名が、いずれもセントロ地区のカリオカ水道橋およびリオデジャネイロ大聖堂付近、Rua do Lavradio周辺において強盗被害に遭っています。  いずれの事件も被害者に怪我はなかったものの、あまり遅くない時間帯での発生であり、日中であっても決して油断できない治安状況であることが分かります。  私自身も、ブラジル人の家族とともに友人宅からセラロン階段へ向かう途中、リオデジャネイロ大聖堂前、カリオカ水道橋、Praça da Cruz Vermelha の前を通過しましたが、これらの3か所はいずれも特に注意が必要だと強く感じました。  中でもカリオカ水道橋周辺では、上半身裸の人々が30人ほど路上に座り込んだり、寝転がったりしており、明らかに異様な雰囲気が漂っていました。同行していた友人の父親に状況を尋ねたところ、「ここにいる人々のほとんどはクラック中毒者で、この辺りは本当に危険だ」と話しており、現地住民でさえ警戒するエリアであることを実感しました。  またセラロン階段からの帰り道にも、路上で男女のクラック中毒者と思われる人々による喧嘩に遭遇しました。女性が2m程ある角材で男性を殴り、それに激昂した男性が女性の顔面を拳で複数回殴る場面を目の当たりにしました。 非常に緊迫感のある衝撃的な光景でしたが、Uberの運転手は「セントロならこれくらいは日常だ」と話し、特に気にも留めていない様子でした。  この報告書を読んでいる方の中には、年越しをリオのコパカバーナで迎えようと考えている方もいるかもしれません。しかし、年末年始は特に観光客を狙った犯罪が増加する時期です。Uber乗車中であっても安易に携帯電話を使用せず、周囲の状況に常に注意を払いながら行動するなど、慎重すぎるくらいの意識で観光を楽しむことを強く勧めます。 【総括】  今月は、気候の変化や学業、私生活における多様な出来事を通して、ブラジルという国の特徴をより立体的に理解することができた1か月でした。夏本番を迎えたジュイス・ジ・フォーラでの生活に加え、南部のポルトアレグレやグラマド、そしてリオデジャネイロを訪れたことで、同じブラジル国内であっても、地域によって気候、文化、街の雰囲気、さらには人々の価値観まで大きく異なることを実感しました。  また、日本人の会への参加や授業内での発表などを通して、これまで以上に自ら発言し、行動する姿勢を意識できた月でもありました。特に前回の経験を踏まえ、「縮こまらずに一つでも多くを吸収する」という意識を持って臨めたことは、自身の成長を感じられる点で大きな収穫でした。  一方で、クリスマス期間中の経済活動の停止や、年末のリオデジャネイロで目にした治安の現実など、日本ではあまり意識することのない社会の側面にも直面しました。これらの経験を通じて、文化や価値観の違いは単なる知識として理解するものではなく、実際にその中で生活し、体験することで初めて実感を伴って理解できるのだと強く感じました。  今後も、安全面への配慮を怠らず、積極的に行動しながら、現地でしか得られない経験を一つひとつ自分の糧として積み重ねていきたいと考えています。  
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
2025-11
【① 気候・衣服】  11月のジュイス・ジ・フォーラは、スコールや雷雨が頻繁に発生するなど、天候が荒れる日が多い1ヶ月となりました。 高原地帯に位置しているため、午前と午後で天候が真逆になることも珍しくなく、外出前に天気予報サイトでの確認が欠かせない日々が続きました。 ( 私は、普段 Climatempo というアプリを利用しています。)    気温については、日中が約28℃、朝晩が約17℃と、10月と比較して平均気温が上がり、半袖で過ごせる時間帯も多くなりました。一方で、天候が急変すると気温が急激に下がり、夜間や雨天時にはジャケットが必須となる寒さになることも多く、1日の寒暖差に柔軟に対応する工夫が必要でした。 【② 学校生活と授業】    学校生活では、授業内容のレベルが上がり、それに伴い宿題の量が増えるなどの変化が見られました。  特に、英語とスペイン語の授業では既に発表やテストなどが実施され、その準備に時間を割くことが多くなりました。前期に比べて履修している授業数は少ないものの、言語科目を集中して履修しているため、どの授業も週に2回あり、非常に速いペースで進行しています。1ヶ月で教科書が20〜30ページ進むことも珍しくなく、来月もテストを控えているため、引き続き予習、復習、自習が欠かせない状況です。  また、今月も Buddy Project のイベントへ参加し、在学生や他の留学生との交流を深めることができました。普段関わる機会の少ない学部の学生とも交流でき、大人数ならではのアクティビティやレクリエーションを通じて、親睦を深めています。今後も積極的に参加していきたいと考えています。 【③ 私生活】 São João del Rei サン・ジョアン・デル・へイ  今月の初旬は、上部の項目にも記載した Buddy Project のイベント旅行からスタートしました。  開催日の数週間前からグループ内で参加希望者を募り、旅行専用のグループチャットが作成されました。その中で、企画陣によって立てられた当日のプランニング、注意事項、持ち物リスト、移動費などの費用に関する情報が送られてきました。  大学組織の団体旅行という利点を活かし、今回の旅の移動には大学のバスを利用することができ、現地で利用した汽車を除き、交通費は基本無料となりました。  Buddy Project による旅行は、交通費を抑えて楽しめることに加え、現地の事前調査や予約といった準備が全て手配されること、そして安全かつ安心して行動できることが、非常に大きな利点です。こうした手厚いサポートのおかげで、個人旅行ではなかなか訪問しない場所へもお得に旅行することが可能となっています。なので少しでも興味がある方は勇気を出して参加してみることをお勧めします。  当日は、早朝に大学に集合し、バスで約3時間かけて現地に到着すると、すぐにカルチャーセンターのような施設に案内していただきました。そこで、現地のコーディネーター(UFSJ サン・ジョアン・デル・へイ連邦大学の学生)の方から、街の歴史や見どころ、観光地などについて丁寧な説明を受けました。  その後、事前に決められていたグループごとに分かれ、制限時間内に各施設を巡るという形で散策が始まりました。 Igreja de Nossa Senhora do Carmo ノッサ・セニョーラ・ド・カルモ教会  グループごとに分かれ最初に訪れたのは、18世紀に建造されたノッサ・セニョーラ・ド・カルモ教会です。この教会は、バロック様式からロココ様式へと移行する時期に建てられ、両様式が融合した優美で豪華な装飾が特徴的です。外観、内部ともに白い石を基調とした美しいデザインは、当時の街の文化的な豊かさを物語っていました。  この教会で特に印象的だったのは、二階部分に展示されていた多数の鐘です。サン・ジョアン・デル・ヘイは「鐘の街」としても知られており、その伝統を象徴するかのように、様々な大きさや年代の鐘を間近に見ることができました。ブラジルにおける鐘の歴史や重厚感を肌で感じることができる貴重な機会となりました。 お昼ご飯 UFSJ (サン・ジョアン・デル・へイ連邦大学)の学食    お昼には、UFSJの学食を訪れました。ブラジルでは、学食は在学生向けに安価で提供されており、入館の際には学生証を使ってチェックもされるため、他大学の学食を利用する機会はなかなか得られません。今回は、訪問者(Visitante)として受付で15レアルを支払い、利用させていただきました。  UFSJ の学食は、UFJF(ジュイス・ジ・フォーラ連邦大学)の学食と比べると規模は小さかったものの、食材や提供スタイルに個性が見られました。例えば、煮込み料理が提供されることが多い UFJF では、あまり出てこないグリルチキンが提供され、マイボトルを持参しなくてもプラカップでコーヒーやジュースを飲めるようになっていました。( UFJF ではマイボトルがないと飲み物が飲めません。)    学食を利用できたことで、みんなで同じ席に座りながら安価で美味しく昼食をいただくことができ、さらに他大学の学生生活を垣間見て、体験できる貴重な経験となりました。 Passeio de Maria-Fumaça 蒸気機関車ツアー    昼食を終えた後、午後の目的地であるチラデンチスへ向かうため、蒸気機関車を利用しました。 この列車は、1881年に開通し、かつては Estrada de Ferro Oeste de Minas(ミナス・ジェライス州の鉄道網)として金などの物資を運んでいたという歴史を持っています。現在は、古い農場や川、森、渓谷をのんびり走る情緒溢れる観光列車として地元住民や観光客に愛されています。 今回は、サン・ジョアン・デル・へイからチラデンチスまでの約12km の区間を、所要時間約40〜45分で運行しました。  本格的な蒸気機関車ということもあり、乗車前から私を含め参加者全員のテンションが上がっていました。決して広くはない車内でしたが、皆で席を詰めて座り、ワイワイ話し合いながら持ち寄ったお菓子を交換し合うなど、まるで子供時代の遠足を彷彿とさせるような雰囲気で乗車していました。  沿線の住民の方々が笑顔で手を振ってくれる温かい雰囲気の中、田舎ののどかな風景と、機関車から出る煙の香りを楽しみながらゆっくりと進み、目的地のチラデンチスに到着しました。ミナス・ジェライスの自然と歴史を感じる、非常に思い出に残るツアーとなりました。 Tiradents チラデンチス  チラデンチスに到着してまず驚いたのは、その街並みの美しさでした。まるで絵画やおとぎ話に出てくるような中世ヨーロッパ風の景観が保たれており、街全体が統一された美しいデザインで溢れていました。カラフルな家々と美しい石畳、そして街中を走る馬車が、情緒豊かな雰囲気を醸し出していました。    この街の名前は、独立運動家であるチラデンチスに由来します。彼は、このチラデンチス近郊の Fazenda (農場)で生まれました。植民地時代のブラジル、特にミナス・ジェライス州では産出された金にポルトガルが莫大な税を課した影響で、当時のミナス・ジェライス州は深刻な貧困に陥っていました。チラデンチスは、この状況を打破すべく州を独立させるための運動を起こしましたが、1792年にポルトガル王室に弾圧され、処刑されたのち、見せしめとしてその遺体を四つ裂きにされました。    この街は、もともと São José del-Rei(王の聖ヨゼフ)というポルトガル王政を感じさせる名でしたが、1889年の共和制成立に伴い、王政時代のイメージを払拭するため、共和制の象徴として国内で再評価されていた地元の英雄チラデンチスの名を取り改名されたと言われています。  美しい街並みを見るだけでなく、その名称や景観の背景にある歴史を理解したうえで街を歩いたことで、単なる観光にとどまらず、ブラジルの独立と共和国成立を象徴する場所を実際に訪れた経験とすることができました。 マラカナンで体感した「ブラジルの至宝」ネイマール  11月に入り、ブラジル国内リーグもいよいよ終盤戦に入ってきました。残り少ない貴重な観戦機会を逃さないために、週末を利用して再びサッカーの聖地、マラカナン・スタジアムを訪れました。    今回のカードは、リーグ首位を走るフラメンゴ対、降格圏からの脱出を狙うサントス。今回、会場まで足を運んだ理由として、フラメンゴサポーターの熱狂的な声援を再び肌で感じたいという思いももちろんありましたが、最大の目的は別にありました。それは、今年サントスに電撃復帰したネイマールのプレーを生で観戦することでした。    今シーズンの度重なる怪我からついに復帰し、チームの危機を救うために彼が次試合からピッチに戻ってくる。このニュースを目にした瞬間、「この絶好の機会を逃すわけにはいかない」とすぐさまチケットを確保しました。    当日は、いつものように試合開始1時間前に会場入りし、少しでも近くの席を確保しようと人混みをかき分けて進みましたが、1人での観戦だったことも幸いし、運良くコーナー付近の前から2列目という、選手の息遣いまで聞こえてきそうな絶好の座席を確保することができました。  試合が始まると予想に反し、サントスは首位フラメンゴを相手に互角以上の攻防を繰り広げ、両チームともシュートシーンの多い白熱した展開となりました。  すると前半20分頃、サントスがコーナーキックを獲得し、キッカーを務めるネイマールが私の目の前まで近づいてきたのです。その距離、実にわずか5メートル!ずっと憧れていたスター選手を至近距離で目にし、胸の高鳴りが収まりませんでした。とはいえ、試合中には彼に対する激しい野次も飛んでいましたし、フラメンゴのホーム席で敵チームのエースを公然と応援することは身の危険を伴います。そのため、表立って喜ぶのは控えようと心がけていました。  しかし、そこは流石「ブラジルの至宝」。たとえフラメンゴのファンであっても、彼を目の前にしてその興奮を抑えきることは難しかったようで、気がつけば私以外の周囲のサポーターも、一斉にカメラを構えたり、彼に声をかけサインを貰おうと身を乗り出す人々で溢れかえっていました。彼の持つ圧倒的なスター性を、体感した瞬間でした。    彼は、後半途中で交代してしまったものの結果は、3-2の接戦でフラメンゴの勝利で終わりました。長年欧州サッカーを見てきた自分にとってかけがえのない瞬間であり、留学生活の中でもトップクラスで良い思い出となりました。 人生で初めて開いた誕生パーティー  11月末、半年前から構想していた自身の誕生日パーティを、ついに開催することになりました。  自分の人生を振り返ってみても、誕生日パーティを自ら主催し、人を招いて祝ってもらうという経験はこれまで一度もありませんでした。そこで今回は、ブラジルに根付く「誕生日をパーティで盛大に祝う文化」に便乗させていただくことにしました。  一般的にブラジルの誕生日パーティは、主催者の家に集まり、シュラスコや料理、ケーキを主催者側が用意し、参加者は各自飲み物やお菓子を持ち寄るというスタイルで開催されます。    しかし、11月にもなると、これまで何人もの友人が誕生日パーティでシュラスコを行っており、そろそろ皆も飽きてきているのではないかと悩んでいました。  それならば、せっかくの機会なので日本人らしさを全開に出したいと思い、用意する料理のコンセプトを「1日居酒屋スタイル」に変更し、ブラジルで可能な限り再現できるよう準備を進めました。  当日は、15人ほどの友人が集まってくれ、唐揚げや焼き鳥、寿司、玉子焼きなど、久しく口にしていなかった日本料理を振る舞いました。  皆とても喜んでくれ、その後はケーキを食べたり、プレゼントをもらったり、音楽に合わせて踊ったりと、終始陽気で笑顔にあふれた、これまでで一番楽しい誕生日にすることができました。  本当に一生の思い出に残る経験となるので、これから留学を考えていて、ブラジル留学中に誕生日を迎える予定の方は、ぜひ勇気を出して、パーティの開催を検討してみてください。 【総括】  今月は、学業、課外活動、私生活のいずれにおいても、ブラジルでの留学生活を強く実感する1か月となりました。気候面では、スコールや寒暖差といった環境の変化に対応する必要があり、日常生活においても事前の情報収集や準備の重要性を改めて認識しました。また、授業では言語化の学習量と進度が大きく上がり、限られた時間の中で計画的に学習を進める力が多く求められました。  私生活では、Buddy Project を通じた団体旅行や学外活動に参加することで、個人では得がたい安全性と学習機会を享受し、ブラジルの歴史や文化を実体験として学ぶことができました。サン・ジョアン・デル・へイやチラデンチスでは、街並みの美しさだけでなく、その背景にある独立運動や共和制成立の歴史を理解した上で行動できたことが、単なる観光との差を生む経験となりました。  さらに、サッカー観戦や誕生日パーティの主催といった経験を通じ、ブラジルの人々の熱量や人間関係の近さを実感することができました。異文化の中で主体的に行動し、人と関わる経験は、語学力の向上にとどまらず、自身の適応力や行動力を高める機会となっています。今後もこの環境を最大限に活かし、学びを実践につなげていきたいと考えています。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
月次報告書11月分
Ganhar Fla-Flu é normal
 留学が始まった4月以来の、気分が沈む月となりました。あの頃はホームシックという明確な原因があったのですが、今回はそれとは違う複雑な感情でした。帰国が近づいている中で、本当にポルトガル語の能力が伸びたのか、自分自身大きく成長することができたのか、などといった不安や、後述するテストが影響しているのかもしれません。とにかくこのまま立ち止まっていても仕方がないので、限られた時間の中で何ができるのかもう一度見直したいです。 〈気候〉  11月前半は曇りがちだったり、一日中雨が降ったりしている日もありました。しかし後半になるにつれ晴れる日が増え、日中は30℃近くまで上がる日もしばしば。しかし夕方はスコールに見舞われることも多く、折り畳み傘の携帯が必須でした。 〈授業〉  11月頭に、経済地理学の中間テストがありました。テスト前週に、辞書や授業ノートを持ち込んでいいか尋ねたところ、「まだわからないけれど、何かしら処置をとってあげる」と言われていました。しかし当日、全てのアイテムの持ち込みが禁止されました。設問が難しく、記述式だったこともあり、結果的にほぼ何も解答することができませんでした。これがかなり精神的にきてしまい、かなりの期間落ち込んでいました。このまま履修を続けていても単位取得は難しく、また精神衛生的にもよくないと考え、履修を辞めることにしました。 〈休日〉  今月は木曜日に祝日がありました。ブラジルでは火曜日や木曜日が休みになると、土日に挟まれている月曜、金曜日も休みになります。この連休と行きたかったイベントが重なったため、リオに行きました。一つ目は「Fla-Flu」と呼ばれる、フルミネンセとフラメンゴのサッカーの試合です。この2チームはどちらもリオデジャネイロにある「マラカナンスタジアム」を本拠地にしており、ライバル関係ということもありかなり盛り上がります。タイトルにある「Ganhar Fla-Flu é normal」は、フルミネンセが試合に勝ったとき、サポーターが相手(フラメンゴ)を煽るフレーズであり、意味的には「Fla-Fluの試合で私たちが勝つのは当然のことだ」となります。このタイトルがついているということは、そういうことです。私が応援しているフルミネンセが2-1で勝ちました!ブラジルに来てから、フルミネンセが勝つ試合をスタジアムで見れていなかったので、勝てて本当によかったです。二つ目は、Dua Lipaのライブです。去年日本で行われたライブに参加しており、機会があればまた行きたいと考えていましたが、まさかその願いがブラジルで叶うとは思ってもいませんでした。このライブを通して、日本とブラジルの違いを感じることができました。まず座席についてです。日本では指定席が多いため、ライブ開始ギリギリに会場に到着しても問題ありません。しかしブラジルは指定席ではなく、先に来た人が前に行くことができます。スタジアムならば段差があるため後ろでもある程度後ろでもステージが見えますが、今回の会場は平面なため後ろに行くとステージはほとんど見えなくなってしまいます。そのため私は4時間前に会場に到着しましたが、それでも私のチケットで入れるスペースの中で前から5〜6列目でした。次はライブ中の観客の様子です。日本では曲に対してコールをしたり、合いの手を入れたりすることはあっても歌手と一緒に歌うことは少ないと思います。しかしブラジルではとにかくみんな声を出します。その影響で、歌手の声が聞こえないこともしばしばありました。最後にグッズについてです。日本では、会場内や近くで公式グッズが売られることが多いです。しかしブラジルでは会場の外でインフォーマルセクターの人々が非公式のグッズを売っている姿を多く目にしました。しかしほとんどの場合、公式のものに比べて圧倒的に安いため、彼らからグッズを買う人も少なくありません。今回でリオに滞在するのは5回目なのですが、毎回新しい発見があって面白いです。    今年も大きな怪我や病気、トラブルなく終えることができそうです。支えてくれている全ての人に感謝しながら、より一層気を引き締めて今年を締めくくりたいです。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
2025-10
【① 気候、衣服】  10月のジュイス・ジ・フォーラは、9月に続いて暖かい日が増え、より春らしい気候になりました。平均的な最高気温は28〜30℃、最低気温は10〜14℃程度で、日中は気温が上がり半袖でも快適に過ごせる日が多くなりましたが、朝晩はまだ肌寒いため、長袖Tシャツや薄手の上着を着用することが多かったです。  天候は晴れまたは曇りの日が中心で、時折強い雨が降ることもあります。ただし、雨は長時間続くことは少なく、多くの場合1時間ほどで止みます。ブラジルの雨は突発的に激しく降り出す傾向があるため、折りたたみ傘を常に携帯するなどの工夫をしています。 【② 学校生活と授業】  後期が始まって1ヶ月が経過し、授業にも順調に慣れてきました。新たな友人も増え、学内での交流の幅が広がっています。  一方で、初めて学ぶスペイン語には苦戦しており、ポルトガル語と文法構造が似ているため、読んで理解することはある程度できますが、発音や聞き取り、そして微妙な語彙の違いにはまだ十分に対応できていません。今後は引き続き努力を重ね、より自然でスムーズな会話ができるようになることを目標としています。  授業外では、4月以来利用していなかった留学生支援制度「Buddy Project」主催のシュハスコイベントに参加しました。これまであまり関わる機会がなかったため、既知の友人が一人もいませんでしたが、参加してみると皆とても親切で、日本の話題やサッカーなどのレクリエーションを通じてすぐに打ち解けることができました。後期から新しく来た留学生とも知り合うことができ、もっと早くから参加していれば良かったと感じるほど、多くの学びと出会いに恵まれた非常に有意義な時間でした。  今回のイベント参加をきっかけに新たな友人とのつながりが生まれ、来月には旅行にも誘っていただきました。後期はジュイス・ジ・フォーラでも様々なイベントに参加し、より多くの人と交流を深められるようにしたいです。 【③ 私生活】 Rio de Janeiro リオデジャネイロ  先月に引き続き、今月も週末にリオデジャネイロを訪れました。 残り5ヶ月しかブラジルに滞在できないため、時間とお金が許す限り、できるだけ多くの場所を訪れ、また地元の人と同じくらいリオデジャネイロの街やお店、地理を学ぶことを最近の目標としています。  今回もサッカーのチケットを取ることができたため、日帰りで観戦に行きました。学生割引(Meia)を使えるうちは存分に活用し、学生ならではの特権を最大限に楽しみたいと思っています。 CBF ブラジルサッカー連盟  iPhoneの調子が悪かったため、リオ中心部から電車で約1時間の場所にあるApple Storeへ修理に行きました。その帰り道、近くにCBFの本部があることを知り、せっかくなので外観だけでも見ておきたいと思い立ち寄りました。  到着すると、ブラジル代表のエンブレムにも描かれているCBFのシンボルが刻まれた巨大な建物が目に入り、「ここがブラジルサッカーの全てを統括する場所なのか」と、その威厳と存在感に圧倒されました。フェンス越しに写真を撮っていると、中の警備員の方々が笑顔でこちらを見ており、「今どくから、ここから撮りな」と机をどかして撮影場所を作ってくださるなど、とても親切に対応してくれました。  内部には歴代ユニフォームやワールドカップトロフィーのレプリカなどが展示されているそうですが、一般の立ち入りは禁止されており、今回は外観のみの見学となりました。いつかこの場所に堂々と入れるような人間になりたいと強く感じました。 Maracanã マラカナンでのサッカー観戦  今回訪れたのは、ブラジルサッカーの象徴であり、「サッカーの神殿」とも呼ばれるマラカナン・スタジアムです。世界的にも名高いこのスタジアムでは、過去にW杯の決勝戦も開催され、ペレ、ジーコ、ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ、ネイマールといった数々のレジェンドたちが歓喜と屈辱、栄光と挫折を経味わってきました。サッカーファンにとって、ここで試合を観戦することは一つの夢であり、私自身もいつかその現場に立ち会いたいと長年思っていました。  マラカナンは、Flamengo(フラメンゴ)とFluminense(フルミネンセ)のホームスタジアムとして知られています。今回は、ブラジル国内リーグ首位Palmeiras(パルメイラス)と2位 Flamengoが激突する注目の一戦を観戦しました。    リオのチームによるホーム試合、さらに勝てば順位が入れ替わるという大一番だったため、チケットはまさに争奪戦でした。販売開始と同時に公式サイトへアクセスしましたが、サーバーが混雑し何も操作できず、サイトのアクセス待機人数は3万5千人を超えるほど。何度もエラーを繰り返しながら、3時間半もの格闘の末にようやくチケットを手に入れることができました。  試合当日は、会場近くで軽く食事を済ませ、試合開始の1時間前に到着。スタジアムへ向かう途中、街中は赤と黒のユニフォームを身にまとったフラメンゴサポーターで溢れかえり、360度どこを見ても同じ色のユニフォームで染まっていました。  顔認証、ボディチェックを経てスタジアムに入ると、耳をつんざくような大歓声が響き渡っていました。先月訪れたヴァスコ・ダ・ガマのホームスタジアム「サン・ジャヌアリオ」よりも規模が大きいにもかかわらず、観客の熱気は桁違いで、隣の友人と会話をするのも困難なほどでした。 人の波をかき分けて前方の席を確保し、前から5〜6列目、ピッチまでの距離約10mという絶好のポジションで観戦することができました。試合前には応援団による大合唱や、赤と黒の風船を空に放つ儀式、相手チームへのブーイングなど、フラメンゴのホームらしい圧倒的な熱量を肌で感じました。  大歓声と雨の中で試合がキックオフ。両者が意地と誇りをかけて激しくぶつかり合い、一時は乱闘寸前の緊迫した場面もありました。迎えた開始10分、フラメンゴが値千金の先制点を挙げると、スタジアムは爆発的な歓声に包まれ、サポーターは狂喜乱舞、会場全体が歓喜の渦に包まれていました。 得点後、勢いづいたサポーターは椅子を叩き、指笛を鳴らし、相手チーム罵声を飛ばしながら、ありとあらゆる方法でチームに追い風を送っていました。その圧倒的な一体感と圧力はもはや、相手選手たちが平常心を保ってプレーすることが不可能に思えるほどでした。  試合はその後も白熱した展開となり、壮絶な撃ち合いを制したフラメンゴが最終スコア3−2で勝利。勝ち点で首位パルメイラスに並んだことで、サポーターは歓喜し、スタジアムの外でも歌い踊りながら勝利を祝っていました。 ここまで情熱的で力強い応援を目の当たりにしたのは初めてであり、この自国リーグに対する愛とサッカーへの情熱こそが、「サッカー王国ブラジル」を支える強さの根底にあるのだと改めて実感しました。 Brasília ブラジリア  今月末は、ブラジルの首都であるブラジリア連邦直轄地を訪れました。ブラジリアは、1960年にリオデジャネイロから首都が移された内陸部の都市であり、オスカー・ニーマイヤーによる近代建築群が数多く存在することから、都市全体がユネスコ世界文化遺産に登録されています。  ジュイス・ジ・フォーラからバスで向かう途中は、「本当にこの先に近代都市があるのだろうか」と思うほど、何もない乾燥した高原地帯が延々と続いていました。建物ひとつ見当たらないため、車窓からは地平線が見え、夜になると満天の星空を眺めることができました。  約14時間の移動を経て、突然道幅が広がり、これまで閑散としていた道路が一気に混雑し始めました。Google Mapを確認すると、そこはブラジリアへと続く一本道。窓の外を見ると、乾いた大地の彼方に巨大ビル群が聳え立っており、まるで映画の未来都市を見ているかのような感覚でした。 さらにその一本道には、約300メートルほどの間隔でブラジル国旗が立ち並び、「ここがブラジルの首都なのだ」と強く実感させられました。  ブラジリアの中心部に入り、まず驚かされたのは街の整然とした美しさでした。直線的でゴミひとつない道路、美しく手入れされた芝生、そして東京のような大都市とは対照的に、開放的で余裕のある土地の使い方がなされていました。滞在中、ホームレスなどをほとんど見かけることはなく、フードコートでさえ綺麗な格好をした人々ばかりで、サッカーユニフォームのようなラフな服装をしている人がほとんどいないことに衝撃を受けました。  街全体がまるで一つの巨大な建築作品のようで、美的でありながら機能的でもありました。 行政・住宅・商業といった空間が明確に分けられていることで、統一感のある景観が生み出されており、計算し尽くされた街づくりであることがひと目で伝わってきました。 街並みを見て、こんなに感動したことは今までなく、世界のどこにもない唯一の街づくりだと感じまた。 Catedral Metropolitana de Brasília ブラジリア大聖堂    ブラジリアで最も有名な観光施設のひとつでありオスカー・ニーマイヤーによって設計されたブラジリア大聖堂。 1970年に完成したこの教会は、コンクリート製の白い柱が天に向かって広がるように配置されており、外観はまるで王冠のような形をしています。その独創的で曲線的なデザインは、半世紀以上前に建てられたとは思えないほど近未来的で、都市全体のモダンな景観とも調和していました。  内部に入ると、青・緑・白のステンドグラスが天井一面に広がり、自然光が柔らかく差し込む幻想的な空間が広がっていました。外からの印象とは対照的に、内部は静寂に包まれており、宗教施設でありながら現代建築の芸術作品のような美しさを感じました。また、教会ということもあり、内覧は無料で誰でも自由に入ることができ、観光客だけでなく地元の人々にとっても心を落ち着ける憩いの場となっていました。 Museu Nacional da República 国立共和国博物館  こちらもブラジリアを象徴する建築群のひとつで、建築家オスカー・ニーマイヤーによって設計されました。2006年に開館した比較的新しい施設で、白く滑らかな半球状の外観が特徴的です。近未来的でシンプルなデザインながら、その巨大なドーム構造は圧倒的な存在感を放ち、まるで宇宙船のようにも見えました。  内部は広い吹き抜けの空間で、展示作品は多くありませんでしたが、独特の静けさと空間の広がりが印象的でした。展示内容は時期によって入れ替わるようで、訪れるタイミングによって異なる雰囲気を味わえるようです。  また、入館料は無料で、他の観光地のような混雑もなく、ブラジリアの近代建築と芸術との融合を肌で感じて楽しめる貴重な場所でした。 Torre de TV de Brasília ブラジリアテレビ塔  ブラジリアの中心部にそびえる高さ224メートルのテレビ塔は、市内を一望できる人気の観光スポットです。建築家ルシオ・コスタによって設計され、1967年に完成しました。ブラジリアの都市計画を象徴する建築物のひとつでもあります。  展望台は地上約75メートルの位置にあり、ガラス張りのエレベーターで上ることができます。そこからは、「飛行機の形」ともいわれるブラジリアの都市全体を見渡すことができ、国会議事堂やカテドラルなど主要な建築群を一望できるそうです。  私が訪れた日は、不運にもエレベーターの故障により展望台に登ることは叶いませんでしたが、その代わりに、塔の足元にある「Eu ♡ Brasília」のオブジェや噴水の前で写真を撮りつつ、夕陽を受けてオレンジ色に染まるテレビ塔を眺める時間を楽しみました。 先輩との再会  ブラジリア滞在期間中、在外公館派遣員としてブラジリアで勤務されている大学の先輩と久しぶりに再会し、一緒に昼食をとったあと、カフェで仕事の苦労やこれまで訪れたブラジルの観光地での思い出などをゆっくりお話しすることができました。  同じ大学・学部の先輩が、海外で第一線で活躍されている姿を目の当たりにし、自分も将来に向けてより一層努力しようという気持ちが強まりました。 Belo Horizonte ベロオリゾンチ  ブラジリアでの旅行を終え、飛行機でミナスジェライス州の州都ベロオリゾンチへ向かいました。到着してまず驚いたのは、自分が想像していた以上に街全体が高層ビルで埋め尽くされていたことです。ブラジル内陸部に位置し、これまで訪れたミナス州内の都市はビルとは無縁の場所も多かったため、中心地だけでなく広い範囲にビル群が広がる光景は予想外でした。  特に宿のある Savassi(サヴァッシ)地区 は、安全な高級住宅街としても知られ、おしゃれなカフェやバーが立ち並ぶ洗練されたエリアでした。一部の通りは歩行者天国になっており、ランニングをする人や愛犬と散歩を楽しむ人々でにぎわっていました。全体的に落ち着きがありながらも活気が感じられ、歩いているだけで楽しくなる地域でした。 Praça da Liberdade リベルダージ広場  サヴァッシからほど近い場所にあるリベルダージ広場は、ベロオリゾンチでも人気のエリアです。 大きな噴水のまわりには楽器を演奏する人たちが自然と集まり、その周囲では子どもたちが元気に走り回っていました。平日でも多くの市民が思い思いの時間を過ごしており、広場全体にのびのびとした雰囲気が広がっていました。    また、広場を取り囲むように複数の博物館や美術館が並んでいるのも大きな特徴です。かつては州政府の行政建築として使われていた歴史的な建物群が、Circuito Cultural Praça da Liberdade(リベルダージ文化回廊)としてリノベーションされ、文化施設へと生まれ変わっています。 観光客にとっても一つの場所を歩くだけで複数の施設を巡れるため、非常に効率的で魅力的なスポットでした。 Palácio da Liberdade リベルダージ宮殿  リベルダージ広場の一角に建つリベルダージ宮殿は、ミナスジェライス州政府の旧庁舎として使われていた歴史的建造物です。19世紀末に建設された建物で、ネオクラシック様式を基調とし、重厚な石造りと繊細な装飾が組み合わされた優雅な外観は、当時の州政の中心地としての威厳を今に伝えていました。  現在は行政機能を終えており、観光地としての運営が中心となっていますが、緑豊かな庭園に加え、折衷主義(エクレクティシズム)に基づき世界の文化を取り入れた豪華な会議室などがあり、その美しさは健在でした。 MM Gerdau – Museu das Minas e do Metal 鉱山と金属の博物館  この博物館では、ミナスジェライス州で産出される鉱物資源や、それに関連して発展してきた科学技術などが紹介されていました。    ミナスジェライス(Minas Gerais)という地名は、ポルトガル語で「広大な鉱山群」や「多種多様な鉱山」を意味しており、この地名が示す通り、州全体が鉱山資源によって発展してきた歴史的背景があるため、この博物館での見学は、ミナスジェライス州ならではの産業史と鉱物に関する内容を深く学べる、とても貴重な機会になりました。 さらに、博物館内のお土産もユニークなものが多く、市場に売っているものよりも値段が良心的でした。 Mercado Central de Belo Horizonte ベロオリゾンチ中央市場  ベロオリゾンチの有名な中央市場を訪れました。同じ施設型の大型市場でも、以前訪れたサルヴァドールのモデーロ市場とは雰囲気も商品構成も大きく異なり、地域による違いがよく表れていました。  サルヴァドールが観光客向けの土産物や民芸品が中心だったのに対し、ベロオリゾンチ中央市場は生活に密着した実用的な市場で、肉屋や八百屋に加えて、多くのレストランが並び、地元の人々で常ににぎわっていました。私自身もそのレストランのひとつで朝食をとりましたが、牛肉を使ったワンプレート定食にもかかわらず会計は約9レアル(250円)ほどと非常に安く、地元市場ならではの素朴さと現地の雰囲気を感じることができました。 また、市場内には、ウサギやインコなどの小動物を扱うエリアや、ミナス地方特産の編み物、ミナスチーズが大量に並ぶミナスならではのエリアもあり、地域の文化と生活がぎゅっと詰まった場所だと感じました。 Ouro Preto オーロプレット  ベロオリゾンチの滞在期間中、ベロオリゾンチからバスで片道3時間移動し、ブラジルで初めてユネスコ世界文化遺産に登録された街、オーロプレットを訪れました。 Ouro Preto (黒い金)の名前を持つこの街は、17世紀末のゴールドラッシュによって誕生した植民都市で、18世紀にはブラジルの経済と文化の中心として栄えました。  街全体が「ミナス・バロック」と呼ばれる独自のバロック様式で統一されており、起伏の激しい地形に沿って石畳の坂道と豪華な教会が点在しています。特に、「ブラジルのミケランジェロ」と称される彫刻家アレイジャジーニョ(Aleijadinho)の作品が多く残されており、サン・フランシスコ・ヂ・アシス教会などにその傑作を見ることができます。街並みそのものが歴史的芸術作品として保存されており、現在では観光業と大学都市として機能しています。 Mina de ouro 金鉱山  オーロ・プレットに到着して最初に向かったのが、金鉱山の探索ツアーでした。かつて金の採掘によって繁栄したこの街には、操業を終えた鉱山跡が多数点在しており、訪問した際にはぜひ見学したいと考えていた場所の一つでした。  車で30分ほど移動して施設に到着し、受付で料金を支払って鉱山へ向かいましたが、平日だったこともあり、参加者は私たちのみでした。ツアーの醍醐味であるトロッコで地下350mまで一気に降りていくと、気温が急に低くなり、最下層に着くまでの道中にも複数の採掘跡が連続して現れ、当時の作業の痕跡を感じました。  最下層に到達すると、外界の音が一切届かない静寂の世界が広がり、壁には断層がくっきりと見えていました。さらに、地下水が湧き出して湖になっている場所や、当時使用されていた古いポンプ類も残されており、採掘現場がそのまま時間を止めたような雰囲気でした。  奥へ進むと、マリア像を飾った小さな祭壇や、金鉱石を選別した際に残る「脈石」と呼ばれる厚さ15cmほどの石の板が一箇所に無数に積み上げられ、3mを超える高さで洞窟の天井にまで届いていました。この膨大な量の脈石を見ると、この場所で黒人奴隷たちがどれほど過酷な作業を強いられていたのかが、数字以上の説得力をもって伝わってきました。  地上へ戻った後は、砂に水を混ぜ、円盤状の板を回して遠心力で金を分離する実演を見学しました。大量の砂の中から米粒ほどにも満たない小さな金片が現れ、先ほど街中で目にした豪奢な金装飾が、ひとつひとつこの途方もない作業の果て積み重ねられたものだという事実が、より強い実感を伴って理解できました。ブラジルの歴史を支えた現場を巡る大変貴重なツアーでした。 Restaurante Contos de Réis コントス・ジ・レイス・レストラン  昼食には、ミナス料理の専門店であるRestaurante Contos de Réisを訪れました。この店は18世紀の古い邸宅を改装してつくられており、現在レストランとして使われている部分は、当時奴隷の宿舎として利用されていた空間です。  そのため、上階の建物は通常の壁で構成されていますが、レストランのあるフロアは石壁で造られており、天井も低めに設計されています。室内は薄暗く、窓には鉄格子が残されているなど、建物の歴史を物語る特徴が随所に見られました。  現在はエレガントな雰囲気のレストランとして整えられていますが、空間の細部には、かつての用途を思い起こさせる要素が残されており、料理とともにこの地域の歴史を深く感じられる場所でした。 ( 料理は、とても美味しかったです。) Museu Casa dos Contos カサ・ドス・コントス博物館  食後には、Museu Casa dos Contos を訪れました。この施設は、植民地時代のブラジルで有数の富豪であったジョアン・ロドリゲス・デ・マセドの邸宅を利用したもので、現在は資料館・博物館として運営されています。当時の硬貨や紙幣、財政制度に関する貴重な史料が多数保存されていることが特徴です。  さらに、建物の地下には奴隷宿舎である Senzala(センザラ) が、当時のままの保存状態で残されています。レストラン同様、邸宅の上階部分は煌びやかな装飾や通常の壁で構成されていますが、センザラは壁も床もすべて石で造られており、窓はありましたがこちらにも強固な鉄格子が取り付けられていました。昼間にもかかわらず、照明をつけなければ薄暗くなるほどの環境で、石壁には複数の穴があり、かつて奴隷を手枷・足枷で固定するために使われていたそうです。  その空間は重苦しい雰囲気を帯びていましたが、知っておかなければならない歴史の現場に触れることができ、当時の暮らしと奴隷制度の現実をより深く理解する貴重な経験となりました。 Igreja de Nossa Senhora do Rosário dos Homens Pretos ノッサ・セニョーラ・ド・ロザーリオ・ドス・オメンス・プレットス教会  最後に訪れたのは、Igreja de Nossa Senhora do Rosário dos Homens Pretos(黒人信徒のためのロザリオの聖母教会)でした。この教会は、制度としての黒人奴隷制が解放された後も、社会の中に人種差別が根強く残り、白人の教会で礼拝に参加することを許されなかった黒人たちが、自らの信仰の場を確保するために建てたものです。ここは宗教施設としてだけでなく、自分たちの文化やコミュニティを守る重要な拠点として機能してきました。  バロック様式を基調とした楕円形の建築は、貧しく限られた資源の中、そして社会的に抑圧された状況に置かれながらも、最高の技術と芸術性をもって自分たちの信仰の場を築き上げたという、“不屈の精神の証”とも言えるものです。  内部には入れませんでしたが、外から眺めるだけでも十分に力強さと静かな存在感があり、ここが単なる教会以上の意味を持つ場所であることが自然と感じ取れました。 【総括】    10月は、旅行や私生活、そして学校での活動を通して、ブラジルでの生活の奥行きを格段に深めることができた1ヶ月となりました。  学校生活では、授業に順調に慣れ、学内イベント「Buddy Project」への参加を機に、新たな友人たちとのつながりが生まれました。特に、イベント参加や旅行に誘われるなど、私的な交流が本格的に深まり始めたことで、後期生活の期待や大きな充実感につながっています。一方で、初めて学ぶスペイン語の語彙や発音の微妙な違いに苦戦しつつも、今後の語学学習における具体的な目標も明確にすることができました。  私生活面では、1ヶ月を通し、ブラジルの「熱狂」「未来」「歴史」を追体験する、非常に密度の高い旅を展開することができました。  リオデジャネイロでは、ブラジルサッカーの象徴であるマラカナンでの大一番を観戦し、サポーターの圧倒的な「熱狂」と「一体感」を肌で感じ、ブラジルサッカーの強さの根源を実感しました。    またブラジルの首都ブラジリアでは、オスカー・ニーマイヤーの計算し尽くされた近代建築を目の当たりにし、世界のどの都市にもないような計算し尽くされた、「整然とした美」という新たな一面を発見しました。    さらに、ミナスジェライス州の歴史都市オーロ・プレットでは、金鉱山や奴隷宿舎(センザラ)が残る歴史的建造物を巡ることで、かつてのゴールドラッシュの栄光と、それを支えた過酷な奴隷制度という、ブラジルの根幹にある歴史的現実に深く触れることができました。 日常の交流から、非日常的な場所での探索まで、この1ヶ月は、ブラジルという国が持つ多様で複雑な文化・歴史・情熱を多角的に体感し、多くの学びと出会いに恵まれました。結果として、ブラジル滞在と国に対する理解の質が一段階上がった特別な1ヶ月となりました。
イベロアメリカ言語学科 4年 交換
月次報告書10月分
Tá Bom?
新しい月が始まったな、なんてことを考えていると、気づいた頃には1ヶ月が終わりかけています。留学が終わるまではまだ3ヶ月ありますが、テストや年末で忙しくなることを考え、帰国の準備を少しずつ始めています。あんなに長かったはずの留学も、帰国後のことを考えなくてはならないフェーズに突入しており辛いです。 〈気候〉  全くといっていいほど気温に変化がありません。夏に向かっているはずなのに、一日中半袖で過ごせる日はまだありません。それどころか10月中旬は寒い日が多く、長袖で過ごすことが多かったです。ジュイスでは強風が吹くことは滅多にないのですが、先ほど述べた期間は風が強い日が多かったです。毎日のように海風が吹く千葉で育った私ですが、「強風が吹くなんて珍しい」と感じてしまうということはブラジルに染まってしまった証拠かもしれません。 〈授業〉  ある授業で、AIを用いて行う宿題が課されました。この課題で驚いたところは、内容の9割以上をAIに任せる点でした。日本では、AIに対して否定的な立場を示す人が多いと感じます。実際、生徒が課題をAIで行って提出し、その是非が問われているような内容の記事を多く目にします。私も課題を行う際、AIに助けてもらうことは多々ありますが、ここまでAIに任せっきりにしたことはなかったためとても新鮮な経験でした。 *ブラジルでAIの使用が完全に肯定されているわけではありません。もちろん否定的な人もいます。 〈食事〉  普段の月と変わらないため、軽くブラジルの食事について話します。街を歩いていると食品を扱っている店を多く見かけるのですが、その中で多いのが ・Lanchonete(軽食屋) ・Açougue(肉屋) の二つです。Lanchoneteはコンビニとパン屋を足して2で割ったようなお店です。名前の通りPastelやCoxinhaといったブラジルの代表的な軽食が買えるほか、菓子パン、惣菜パン、ケーキ、プリンなど色々なものが売られています。またペットボトルや缶の飲料、スナック菓子、乳製品なども売られており何かと勝手がいいお店です。スーパーに比べると割高ですが、大学までの道のりにあるため利用することが多いです。Açougueは量り売りの肉屋です。肉に限った話ではなく、ブラジルでは量り売りのものがとにかく多いです。野菜、フルーツ、パンなど様々なものが、〇〇レアル/1kg の表記で売られています。日本では〇〇円/1個で売られていることが多いため、規格が厳しく出荷できずに廃棄されてしまうといった問題を抱えています。一方量り売りではこのような問題を気にする必要がないため、様々な形やサイズの商品を見かけます。野菜やフルーツの値段が安いのは、こういった理由が関係しているのかもしれません。話が少し外れてしまったので肉屋の話に戻ります。ブラジルで肉を買うときは、店員さんに 鶏肉/豚肉/牛肉の 〇〇(部位)を ××g 欲しいといえば商品を受け取ることができます。それをレジに持っていけば支払いができます。その場で切ってくれるため、(生姜焼き用に)薄切りにしてほしい、(ステーキ用に)厚切りにしてほしい、(ハンバーグ用に)挽肉にしてほしいなど大体の要望には答えてくれます。ただ多くのブラジル人は適当なので、頼んだ量より多かったり少なかったりしても、Tá Bom?(これで大丈夫?)といって渡してきます。ブラジルらしさが溢れた日常の一コマです。  ブラジルでたくさんの大切な人に出会いました。彼らに感謝の気持ちを忘れず、共に過ごせる時間を大切にしていきたいです。
イベロアメリカ言語学科 3年 交換
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